竹島

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明治政府の島名混乱の収束3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/07/23 22:23 投稿番号: [14792 / 18519]
   ahirutousagi2さん、Re:14799,
>   また、太政大臣三条実美が1883年に鬱陵島を松島(一名竹島)としていることの整合性も無視なさっています。

   これは何を問題にしたいのでしょうか?   同年の太政大臣の布告は欝陵島に関する外務省の伺書をそのまま承認したものなので、太政官は欝陵島に関する外務省の認識をそのまま認めたといえます。
   外務省の認識は、伺書に添付した「竹島版圖所属考」(1881)に示されましたが、そこに両島はこう記されました。
  「竹島 一名は磯竹島 又 松島と称す   韓名は欝陵島 又 芋陵島と称する者 此なり・・・今日の松島は即ち元禄十二年 稱する所の竹島にして 古来 我版圖外の地たるや知るべし(注4)」

   外務省は、朝鮮領である竹島(欝陵島)の名を、海軍水路部の表記にしたがって松島と改めましたが、これは81年に内務省から同省へ送られてきた「竹島外一島地籍編纂方伺」関係の資料と矛盾しません。内務省資料でも江戸時代の竹島は朝鮮領の欝陵島であるとされており、外務省の認識に一致しました。
   このころ、新島名・松島(旧島名・竹島)に日本人が入り込み「禁令を犯し 密商をなす者」「樹木を討伐する者(注5)」などが現われ、1882年、朝鮮政府から抗議を受ける事態になりました。
   これに対処するため、外務省は上に述べた伺書「朝鮮国所属蔚陵島ヘ我国民渡航禁止ノ件」を83年に提出したのですが、注目すべきは、それを受けた太政官の対応です。外務省の伺書を裁可すれば、その渡航禁止令は内務省から出すことになるので、内務省への根回しが必要でした。
   その根回しの過程で内務省は「日本称 松島 一名竹島 朝鮮称 蔚陵島」の位置を「北緯37度30分 東経134度49分」と知らされたのでした。この時、初めて「日本称 松島 一名竹島 朝鮮称 蔚陵島」の位置に関する認識が太政官、外務省、内務省、水路部間で一致したのでした。
   こうした手順を踏んで、1883年、太政官は下記の指令を内務省へ発しました。

  「北緯37度30分 東経134度49分の洋上に位する日本称 松島 一名竹島 朝鮮称 蔚陵島の儀は従前 彼我政府議定の儀も有之 日本人民妄りに渡航上陸不相成候条 心得違の者無之様 各地方長官に於て諭達可致旨 其省より可相達 此旨及内達候也(注6)」

   これを受けた内務大臣は、単に渡航禁止の通達を各地方に出すにとどまらず、松島(欝陵島)に在住する日本人を強制的に連れ戻しました。

   なお、松島の固有名を欝陵島に取られてしまった古来の松島(竹島=独島)ですが、その後の明治政府関係の公文書にはその名が見られなくなってしまったようでした。太政官が同島を版図外と布告したため、その後ほとんど関心を持たれませんでした。わずかに『朝鮮水路誌』(1894)にリアンコールト列岩の名で記されました。当然の成りゆきでした。

(注1)国会図書館「近代デジタルライブラリ」http://kindai.ndl.go.jp/index.html
「大日本全國略圖」http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/map/chirikyoku.pdf
(注2)半月城通信「磯竹島略圖」(大谷家地図)
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/map/koubunroku_map.pdf
(注3)日本地圖選集刊行委員会『大日本管轄分地圖』人文社,1990
(注4)「朝鮮國蔚陵島ヘ邦人渡航禁止ノ件」附屬書二、北澤正誠「竹島版圖所属考」『日本外交文書』第14巻 P390,1951(原文はカタカナ)
   前回の書き込みの一部を「我版圖外の地」と訂正します。
(注5)「朝鮮国所属蔚陵島ヘ我国民渡航禁止ノ件」
(公文録・明治十六年・第十三巻・明治十六年三月〜四月・外務省)
(注6)外務省『日本外交文書』第16巻、原文のカタカナを平仮名に変換

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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