竹島

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>>無人島を領土として認識したか

投稿者: puracyaka 投稿日時: 2005/07/05 08:22 投稿番号: [10093 / 18519]
斉藤豊仙の書きぶりは、無人島には領有権は成立しないと考えているように思えます。隠州視聴合記の解釈としては、竹島松島は①日本領である、②無帰属地である、③朝鮮領である、の3種でしょうが、③だけがあり得ないのです。なぜなら、husenoyajiさんが指摘しているとおり、「日本領を限定したのですから、朝鮮領であると考えるならそう書く方が自然」だし、無人島に領有権が成立しないのであれば、当然朝鮮領でもあり得ないからです。当時が鎖国時代であることを想起すれば、③があり得ないのは当然なのですが、韓国人は「日本領でない=朝鮮領」という意図的なすり替えをやってきますからご用心。なお、幕府が無人島にも領有権が成立すると考えていたことは、小笠原諸島探検を見ても明らかだと思います。

>島前が巽(南東)で、島後が震(東)

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/05 06:29 投稿番号: [10092 / 18519]
私も以前疑問に思って #9311 で質問したのですが、回答はありませんでした。

その後、池内敏氏が「前近代竹島の歴史学的研究序説」註6で以下のように述べているのを見つけました。

−−−−−−−−−−−−
なお、隠岐嶋のうち島後が震(東の方向)に位置するというのはともかく、島前が巽(南東の方向)に位置するというのは実際の位置関係(南西)からすると疑問が残るが、この点については当面保留しておく。
−−−−−−−−−−−−

結局「変だけど、解釈に影響しそうにないから、今は深く考えない」ということですね。

なお、隠州視聴合紀を底本にして増補したといわれる隠岐古記集が、同論文に史料三として掲載されていますが、そこでは「是ヨリ坤地に位するを嶋前といふ」と修正されていますね。

>te2222000さんへ

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/05 06:10 投稿番号: [10091 / 18519]
> >日本の領土から一日以上離れており、外国が、見える程に近いところにある無人島を領土として認識したか。
>
> ま、そういうことではありますが、獨島からは外国が見え
> ませんし、隠岐のほうが近いはずです。

まず、「一日以上」と書いたのは「二日以上」の間違いでしたので訂正します。

さて、島の位置が実際にどうであるかということと、隠州視聴合紀の著者がどう思っていたかということは分けて考えないといけないと思います。隠州視聴合紀を読む限り、松島が朝鮮と隠岐のどちらに近いとも認識されていません。

また、隠州視聴合紀の記述が竹島と松島の所属を別に考えているとは到底思えません。松島は日本領だが、竹島は領土外というような読み方は不可能でしょう。

私は、松島から朝鮮が見えるという解釈さえできると思っていますが、これはなかなか同意しない人が多そうだし、議論を進める上で不可欠な論拠ではないので、今はこだわりません。


> 日本人がもっぱら往来していれば日本領と認識して不思議はないですね。
> そう言う時期もあったようですから。
> 安龍福を拉致した漁民たちは少なくとも日本領といわない
> までも、なわばり程度にはかんがえていたことは確実です。

不勉強なので断言はできませんが、妥当な考え方のような気がします。

ところで、現在の議論は、husenoyajiさんが#10036で「竹島と松島は日本領として記述されているとしか読めない」と書かれたことに対し、私が #10041 で「位置や無人島の記述を考えれば日本領でないという読み方が可能」と答えたことが始まりです。

なので、私としては「竹島と松島が日本領でない読み方が可能」であることを示せば十分だと思っています。もう少しくどく書くと「竹島と松島が日本領だとする読み方と、そうでないとする読み方の両方が可能」であれば、私の主張としては十分です。

husenoyajiさんが上で示された考え方は、竹島と松島が日本領だとする読み方を支持しますが、別に日本領でないという読み方を否定するものではないので、私としては特に反論しなくても良いと思っています。

tuutuu32さん

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/05 00:28 投稿番号: [10090 / 18519]
>其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後

>島前が巽(南東)で、島後が震(東)というのは一体どういうこと?隠州の中心は島後と島前の中間ではないわけ?

貴重な御指摘を頂き心より感謝しております。

lib1964_1982君に

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/05 00:19 投稿番号: [10089 / 18519]
【転写】
1.は隠岐国自体の説明です。

2.は隠岐国の外に何があるのかを各方向ごとに、説明しています。
  午(南)   雲州美穂関
  辰巳     伯州赤碕浦
  未申     石州温泉津
  子丑寅卯   なにもない(・・・略)

3.は戌亥の方向の説明をしています。松島、竹島があるとの説明です。
  さらに、4.で松島、竹島の説明が有ります。高麗(朝鮮半島あるいは朝鮮国)に近いとの説明がなされています。

  torezojpさまは、2.と3.を分けていますが、これらは共に、隠岐国の外に何があるのかを各方向ごとに、説明している一環でしょう。
  このように、隠州視聴合記を詳しく見ると、松島、竹島は隠岐国の外であることは容易に理解できると思います。

【転写終】

それは違うだろうな。

1.隠岐国の(歴史的)構成について述べた部分
2.隠岐を基点に4方位に何があるかを述べた部分
3.隠岐を基点に乾の方位に(新規に)何があるかを述べた部分
4.1.〜3.を踏まえて日本(の本土)と、隣国(高麗)と隠岐の国の位置関係を述べた部分


1.は斉藤豊仙が従来の隠岐の古紀を借文したものである。江戸時代(現代も)の方位より60度弱時計回りにズレがあることから推論される。エビデンスは隠州視聴合記の付属の隠岐の地図を見れば明らかであろう。付属の隠岐の地図の方位に問題はない。従って、2.〜3.で隠岐を基点にした方位は、ほぼ現在の方位と同様である。と言うことは、斉藤豊仙に依る文書は、2.以降の部分の記載であろう。

即ち、隠岐の地誌に斉藤豊仙が隠岐に関して記述したのは「従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、」ということになる。

故に、お手前の解釈は凡て誤っており、勝手読みと云うべきものである。

島前が巽(南東)で、島後が震(東)

投稿者: tuutuu32 投稿日時: 2005/07/04 19:51 投稿番号: [10088 / 18519]
其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後

島前が巽(南東)で、島後が震(東)というのは一体どういうこと?隠州の中心は島後と島前の中間ではないわけ?

Re2:『隠州視聴合記』の新解釈

投稿者: lib1964_1982 投稿日時: 2005/07/04 12:35 投稿番号: [10087 / 18519]
補足です。

  隠州視聴合記の著者は几帳面な人だったのでしょう。以下の文章で、順番を見てください。

  南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島

  1、南
  2、辰巳(南東)
  3、未申(南西)
  4、自子至卯(北から東)
  5、戌亥(北西)

  方向を示すことを「指南」というように、方位の基準は南でした。だから、最初に南の記述があります。また、東と西では東が先です。この順にしたがって、南東、南西の順に記述されています。残りは、北から東と、北から西です。これも、東が先に書かれています。
  このように見ると、戌亥以下が後年になって加筆されたものとは考えにくく、『南〔ノ方〕至雲州』と一体のものであると考えたほうが自然ではないでしょうか。

Re:『隠州視聴合記』の新解釈

投稿者: lib1964_1982 投稿日時: 2005/07/04 09:47 投稿番号: [10086 / 18519]
torezojp さまは書きました(後半を省略しました。すみません。)

>1.隠岐国は北海中にあるがゆえに(島名を)隠岐嶋という。(以下省略)
>2.これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること…(以下省略)
>3.(隠岐国より)戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり…(以下省略)
>4.この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し…(以下省略)


  torezojp さまの隠州視聴合記の分析は完璧だと思いますが、さらに分析してみます。

1.は隠岐国自体の説明です。

2.は隠岐国の外に何があるのかを各方向ごとに、説明しています。
  午(南)   雲州美穂関
  辰巳     伯州赤碕浦
  未申     石州温泉津
  子丑寅卯   なにもない
この説明では、隠岐国の外に何があるのかを説明しているのに、酉と戌亥の方向が欠落しています。

3.は戌亥の方向の説明をしています。松島、竹島があるとの説明です。
  さらに、4.で松島、竹島の説明が有ります。高麗(朝鮮半島あるいは朝鮮国)に近いとの説明がなされています。

  torezojpさまは、2.と3.を分けていますが、これらは共に、隠岐国の外に何があるのかを各方向ごとに、説明している一環でしょう。
  このように、隠州視聴合記を詳しく見ると、松島、竹島は隠岐国の外であることは容易に理解できると思います。

  では、松島、竹島がどの国の領土であると認識していたのか、無人島のためどこの領土でもないと認識していたのか、あるいは、特に何も考えていなかったのか、隠州視聴合記だけでは分りません。

  しかし、隠州視聴合記の記述をがどのようなものであれ、領土問題とは直接には関係ないことです。
  一例をあげると、日本最北端の地は宗谷岬であると、現地に書いてあります。だからといって、それよりも北にある択捉島の領有を日本が放棄したことになりません。なぜ、宗谷岬が日本最北端なのか。宗谷町関係者に聞いてみたところ、「これ以外観光資源がないんです」だそうです。
  隠州視聴合記の「然則日本之乾地、以此州為限矣」には、どこか隠岐国のお国自慢を感じます。

>torezojp さん・・・

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/04 00:11 投稿番号: [10085 / 18519]
>「日本の北西の地はこの州(くに)をもって限りとす。」から、
則ち、「日本の北西の地はこの嶋(竹島)をもって限りとす。」
の結論が導かれる。(# 10070)

要は同じじゃないの・・・

torezojp さん・・・

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/07/03 23:05 投稿番号: [10084 / 18519]
torezojpさんは「州は嶋と読む」から
「州と読む派」に衣替えですか?

te2222000さんへ

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/03 21:55 投稿番号: [10083 / 18519]
>日本の領土から一日以上離れており、外国が、見える程に近いところにある無人島を領土として認識したか。

ま、そういうことではありますが、獨島からは外国が見え
ませんし、隠岐のほうが近いはずです。

日本人がもっぱら往来していれば日本領と認識して不思議はないですね。
そう言う時期もあったようですから。
安龍福を拉致した漁民たちは少なくとも日本領といわない
までも、なわばり程度にはかんがえていたことは確実です。

kikousidayoさんへ

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/03 21:49 投稿番号: [10082 / 18519]
類似例の指摘ありがとうございます。

日本領のすぐ近くであれば、当然領土と考えたでしょうね。

しかし遠く離れた海のなかにぽつんとある島については、領土と考える必要もなかった可能性も考えています。

今の領土概念とは違いますからね。
これだけでは結論は出ませんね。

改訂『隠州視聴合記』の新解釈(III)

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/03 19:56 投稿番号: [10081 / 18519]
隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、・・・(中略)


1.隠岐国は北海中にあるがゆえに(島名を)隠岐嶋という。(割注)按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。(隠岐国のうち)南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。(隠岐国のうち)東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その(隠岐国の)府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。

2.これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、(隠岐国より)南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、(隠岐国より)南西は、石見国温泉津に至ること玉十八里、(隠岐国より)北から東に至る往くべき地無し。

3.(隠岐国より)戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。(割注)俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)

4.この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの州(くに)をもって限りとす。


1.隠岐国の(歴史的)構成について述べた部分
2.隠岐を基点に4方位に何があるかを述べた部分
3.隠岐を基点に乾の方位に(新規に)何があるかを述べた部分
4.1.〜3.を踏まえて日本(の本土)と、隣国(高麗)と隠岐の国の位置関係を述べた部分

  これらの記載は隠岐国の地理的特性を述べるに際して締りをつける部分にあったている。こうした点に鑑みて史料を素直に解釈しようとすれば、4.にある二島が何に属し、「此州」が何を指しているかは自ずから明瞭であり議論の生じよう筈もない。云うまでもなく、それは隠岐国でなければならぬ。

  按ずるに後年、竹島(鬱陵)の領土紛争が生じるとは当時としては予見されたり、考えられなかったため、隠岐国のこれまでの歴史的構成に、新しく始まった鬱陵の開発経営と新規に発見された松島(大谷文書)の見聞が加わり地誌に3.〜4.の記載が加わったものと考えられる。

【終了】

改訂『隠州視聴合記』の新解釈(II)

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/03 19:53 投稿番号: [10080 / 18519]
  先述したように、「国代記」は、国単位で見た隠岐国の特性を記したものであり、地理・貢納・歴史の三部構成をとる。(三)の部分は、次の項目(貢納)に移行する直前にあって、隠岐国の国単位での地理的特性を述べるに際して締まりをつける部分にあたっている。こうした点に鑑みて史料を素直に解釈しようとすれば、(三)にある「此州」が何を指しているかは自ずから明瞭であり、議論の生じようはずもない。

  にもかかわらず議論が決着しない根本原因を突き詰めてみれば、「州」は「島(嶋)」と読み替えても良い、とする主張にゆきあたる。管見の限りではそうした主張は「州はシマの意であるとする[田川孝三、四三頁]に遡る。その見解が再検討されることもなく踏襲されているところに、議論混迷の要因があるように思われてならない。(略)

【転写終了】

  愚老も鋭い御指摘であると承った。このあと「隠州視聴合記」の「州」および「島(嶋)」の用例の検索・整理から始めて精緻な論理構成から「州」は「シマ」でなく「クニ」であると結論されている。
  学者としての研究成果を領土紛争の解釈への火種に用いられることへの警戒もあるように愚老には管見されるが良心的立場からすれば充分理解され得ることである。

  池内氏に無断で、釈読の頭にローマ数字を付けたのは、「州」は「シマ」でなく「クニ」であると読むべきであるとしても、以下のような読み方も可能であることを示してみたかっただけで他意はない。現代の知見から、その視点からだけでものを論ずるは、やはり、「州」を「島(嶋)」に読みかえる過ちを犯すことを恐れるからである。

  当時の時代背景は鬱領の空島政策により、竹島、松島は無人の地と考えられ無主地と受け取られ、大谷、村川両家の漁猟を中心とした竹島経営が行われていたためにそれを熟知した隠岐郡代・斉藤豊仙は当時見聞したものを照らし合わせて地誌である「隠州視聴合記」を記したものである。後年、領土問題で勝手読みされる等とは、毛頭、念頭に無かったはずで領土意識抜きに素直に書かれたものであることに違いない。

【続く】

改訂『隠州視聴合記』の最新解釈(I)

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/03 19:49 投稿番号: [10079 / 18519]
財団法人韓国文化研究振興財団-青丘学術論集2005年3月「前近代竹島の歴史学的 研究序説」−「隠州視聴合記」の解釈をめぐって   池内敏

  上の著作は「隠州視聴合記」の解釈をめぐって展開される精緻な研究成果を総括されたものであって、学術的価値はたかい。内容にも傾聴に値する新鮮な御指摘が随所に見られる。ただ、1部に2,3愚老と意見を異にする部分も見られるので、愚按を混えて述べてみたい。併記して論じるためには字数が限られるため、失礼を承知で、可能な限り原文を残すかたちで愚按を記してみた。


【転写開始】

隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、・・・(中略)


  さて、議論となっている冒頭部分は、以下のように釈読されねばなるまい。ただし最後の一文にある「此州」については、州の解釈をめぐる議論が分かれているため、とりあえず「州」という表記のまま残しておく。


(一−一)隠岐国は北海中にあるがゆえに(島名を)隠岐嶋という。(割注)按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。

(一−二)(隠岐国のうち)南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。

(一−三)(隠岐国のうち)東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。

(一−四)その(隠岐国の)府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。

(二−一)これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、

(二−二)(隠岐国より)南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、

(二−三)(隠岐国より)南西は、石見国温泉津に至ること玉十八里、

(二−四)(隠岐国より)北から東に至る往くべき地無し。

(二−五−一)(隠岐国より)戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、

(二−五−二)そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。(割注)俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)

(二−五−三)この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。

(三)そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの州(くに)をもって限りとす。


   右に見るように、「国代記」冒頭の地理的特性を述べた部分は、隠岐の構成について述べた部分(一−一−四)、隠岐国を基点にして四方位に何があるかを述べた部分(二−一−五)、(二)を踏まえて日本(の本土)と隠岐国との位置関係を述べて部分(三)、の三っの内容から構成されることが明瞭である。

【続く】

>>無人島を領土として認識したか

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/03 09:52 投稿番号: [10078 / 18519]
何故か竹島のURLが正しくない。訂正した分を下に出します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>無人島を領土として認識したか
2005/ 7/ 2 15:28
メッセージ: 10075 / 10077

アバターとは?
投稿者: kikousidayo
周吉郡・布施村の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.16.33.910&el=133.22.38.566&la=1&sc=5&CE.x=254&CE .y=252
周吉郡・蛸木浦の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.9.17.182&el=133.15.19.316&la=1&sc=5&CE.x=253&CE. y=253
穏地郡・西村・白島崎の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.19.14.385&el=133.17.13.381&la=1&sc=5&CE.x=219&CE.y=136
海部郡の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.6.12.115&el=133.9.53.130&la=1&fi=1&sc=5
知夫郡・薄毛の竹島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.0.5.678&el=133.4.35.318&la=1&sc=4&CE.x=256&CE.y=149



  隠州の松島、竹島は、海部郡海士沖の松島を除いて殆ど無人の地でしょう。それでも隠州に入っていますから、無人島は当時でも領土の内でしょう。

  尤も韓国人の考えは、私には解りません(w

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

>te2222000さんって何様?

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/03 07:03 投稿番号: [10077 / 18519]
> この意見が妥当かどうかの判定は会議室の読者一人一人に委ねます。

すみません、別のコミュニティサイトの用語と混同して「会議室」と書いてしまいました。「会議室」ではなく「掲示板」ですね。

>無人島を領土として認識したか

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/03 06:16 投稿番号: [10076 / 18519]
husenoyajiさん

明記されていませんが、私の #10041 を受けてのご意見ですよね。

> 松島竹島がこの州に入らないとしたばあいに、
> では朝鮮に属すると結論するわけにもいかないでしょう。
>
> 日本領は隠岐まで、松島竹島は単なる無人島、
> その先に朝鮮という考え方の可能性も十分あります。
>
> 日本領を限定したのですから、朝鮮領であると
> 考えるならそう書く方が自然です。

はい、妥当なご意見だと思います。

なお、「無人島を領土として認識したか」という表現ですが、以下のように書いた方が正確です。

----------
日本の領土から一日以上離れており、外国が、見える程に近いところにある無人島を領土として認識したか。
----------

揚げ足を取るようなことを言ってすみません。
ただ、近いところなら日本領の無人島はいくらでもあるし、実際早とちりしてそういう観点からコメントされた方もいるようなので補足しておきます。

もう少し補足すると、上について斉藤豊仙が「領土とは言えない」と考えた可能性があれば、私の論は成り立ちます。したがって、たとえ以下のようなことが正しくても、私の論は否定されないと思っています。私への反論を考えていらっしゃる方は、この点ご留意ください。

- 斉藤豊仙が「領土と言える」と考えた可能性もある
- 斉藤豊仙以外の人で「領土と言える」と考えた人がいた

>無人島を領土として認識したか

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/02 15:28 投稿番号: [10075 / 18519]
周吉郡・布施村の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.16.33.910&el=133.22.38.566&la=1&sc=5&CE.x=254&CE .y=252
周吉郡・蛸木浦の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.9.17.182&el=133.15.19.316&la=1&sc=5&CE.x=253&CE. y=253
穏地郡・西村・白島崎の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.18.3.432&el=133.17.34.393&la=1&sc=5&CE.x=201&CE. y=48
海部郡の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.6.12.115&el=133.9.53.130&la=1&fi=1&sc=5
知夫郡・薄毛の竹島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.0.29.071&el=133.4.35.598&la=1&sc=4&CE.x=249&CE.y =252


  隠州の松島、竹島は、海部郡海士沖の松島を除いて殆ど無人の地でしょう。それでも隠州に入っていますから、無人島は当時でも領土の内でしょう。

  尤も韓国人の考えは、私には解りません(w

無人島を領土として認識したか

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/07/02 14:31 投稿番号: [10074 / 18519]
これも、問題になりますね。

住人が居ようが居まいが領土であるというのは現代人の感覚ですから。

松島竹島がこの州に入らないとしたばあいに、では朝鮮に属すると結論するわけにもいかないでしょう。

日本領は隠岐まで、松島竹島は単なる無人島、その先に朝鮮という考え方の可能性も十分あります。

日本領を限定したのですから、朝鮮領であると考えるならそう書く方が自然です。

te2222000さんって何様?

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/07/02 14:13 投稿番号: [10073 / 18519]
>今のところ私は、この意見に議論する価値があると思わないのでコメントはしないことにします。この意見が妥当かどうかの判定は会議室の読者一人一人に委ねます。

>なお、池内敏氏は「前近代竹島の歴史学的研究序説」において隠州視聴合紀に関する過去の論説を調査し、此州の解釈をいくつかのパターンに分類しています。しかし、竹島と松島が隠州に属するとした研究者は一人もおらず、当然池内氏はそのような分類カテゴリーを設けておりません。参考までに言い添えておきます。


このトピは会議室(そんなことだれかしってる?)のトピだったの?
Yahoo掲示板の中の竹島トピと言うから、書き込んできただけよ。

>この意見が妥当かどうかの判定は会議室の読者一人一人に委ねます。
何という会議室なのかしら?知ってる方いたら教えて。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
竹島
2001/12/26 4:19
メッセージ: 1 / 10072

アバターとは?
投稿者: ritiarno
竹島(韓国名、独島)はどちらの領土のなのでしょうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>今のところ私は、この意見に議論する価値があると思わないのでコメントはしないことにします。

などとそんな偉い方の会議室だった訳ですか。 ritiarno さんは一言もそんなこと云っていないわよね。これは[専門者会議だ]と断って下さってれば、誰も迷い込まなかったでしょうよ。こんなことってあり・・・・?

>改訂・此州ー隠岐は本邦北西の果て(II)

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/02 06:51 投稿番号: [10072 / 18519]
#10070 の torezojp さんのご意見は、私が #9653 で分類した中の「c3. 此州は隠州を指し、竹島と松島は隠州の一部である」という解釈に相当します。

これまで torezojpさんは「国代記の州はシマと読む。林子平もそう読んでいる」というお考えだったと思いますが(例えば #9246)、今回、クニと読む解釈について言及されたところを見ると、その考えに自信がなくなってきたようですね。

さて、torezojpさんは、私が #9654 に書いた以下の疑問に間接的に答えていらっしゃるようなので、まとめてみます。

> ○疑問 c3-1
>
> 国代記・地理では以下のように隠州が島前、島後の
> 四郡から成ることを述べている。
>
> 隱州在北海中故云隱岐嶋
> 按倭訓海中言遠幾故名歟
> 其在巽地言島前也知夫郡海部郡屬焉
> 其位靈地言島後周吉郡穩地郡屬焉
> 其府者周吉郡南岸西郷豊崎也
>
> ここに竹島と松島の言及がないのはなぜか。

→ ここは隠岐国の歴史的構成について述べている。


> ○疑問 c3-2
>
> 国代記・地理の記述は、隠州から北西に二日行ったところに
> 松島があると読める。これは隠州と松島を別のものと
> 考えていることにならないか。

→ 隠岐を基点に乾の方位に新規に何があるかを述べている


今のところ私は、この意見に議論する価値があると思わないのでコメントはしないことにします。この意見が妥当かどうかの判定は会議室の読者一人一人に委ねます。

なお、池内敏氏は「前近代竹島の歴史学的研究序説」において隠州視聴合紀に関する過去の論説を調査し、此州の解釈をいくつかのパターンに分類しています。しかし、竹島と松島が隠州に属するとした研究者は一人もおらず、当然池内氏はそのような分類カテゴリーを設けておりません。参考までに言い添えておきます。

>>松嶋(獨島)は隠州に非ず

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/02 05:59 投稿番号: [10071 / 18519]
kikousidayoさん

> 周吉郡・布施村の松島
> 周吉郡・蛸木浦の松島
> 穏地郡・西村・白島崎の松島
> 海部郡の松島
> 知夫郡・薄毛の竹島

私も隠州視聴合紀を確認してみました。最後の竹島は確かに巻四・知夫郡・知夫湊に載っていますね。

ただ、穏地郡・西村・白島崎の松島と海部郡の松島は見つけられなかったのですが、どこに載っているのでしょうか。そもそも西村は周吉郡だと思うのですが…

ひょっとして隠州視聴合紀には載っていないけれど当時松島と呼ばれていた島をご紹介下さったのでしょうか。よろしかったら、何という史料を参照したか教えていただけますか。

改訂・此州ー隠岐は本邦北西の果て(II)

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/01 22:49 投稿番号: [10070 / 18519]
【転写開始】

隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、


  さて、議論となっている冒頭部分(隠岐国の地理的特性を述べた部分)は、以下のように釈読されねばなるまい。


1.隠岐国は北海中にあるがゆえに隠岐嶋という。(割注)按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。(隠岐国のうち)南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その(隠岐国の)府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。

2.これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、南西は、石見国温泉津に至ること玉十八里、北から東に至る往くべき地無し。

3.戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。(割注)俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)

4.この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの州(くに)をもって限りとす。

1.隠岐国の(歴史的)構成について述べた部分
2.隠岐を基点に4方位に何があるかを述べた部分
3.隠岐を基点に乾の方位に(新規に)何があるかを述べた部分
4.1.〜3.を踏まえて日本(の本土)と、隣国(高麗)と隠岐の国の位置関係を述べた部分

  これらの記載は隠岐国の地理的特性を述べるに際して締りをつける部分にあったている。こうした点に鑑みて史料を素直に解釈しようとすれば、4.にある二島が何に属し、「此州」が何を指しているかは自ずから明瞭であり議論の生じよう筈もない。云うまでもなく、それは隠岐国でなければならぬ。

【転写終了】

  「日本の北西の地はこの州(くに)をもって限りとす。」から、則ち、「日本の北西の地はこの嶋(竹島)をもって限りとす。」の結論が導かれる。

改訂・此州ー隠岐は本邦北西の果てか(I)

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/01 22:45 投稿番号: [10069 / 18519]
>話としては大変面白いと思います。しかし、隠州にキジがいないと解釈した方が事実に合います。1730年代に編まれた「隠岐国産物絵図注書」には「雉子はと」はあるが「雉子」はありません。(#10060)
http://www.biodic.go.jp/reports/oldbird/ae017.html

  allarefriends2000さんに上のようにご教示されましたわ。 老子読みはチョット悪戯が過ぎたようですな。te2222000さんのご質問にお答えすることは、前提が崩されましたのでご勘弁頂きましょうかな。

  答えにはならないかも知れないが、愚老は島と読んでも州(くに)と読んでも、結果は同じことだと考えておりますわい。

【転写開始】

隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、


  さて、議論となっている此州を、(老子読みして)嶋とするなら、以下のように釈読されねばなるまい。


隠岐国は北海中にあるがゆえに隠岐嶋という。(割注)按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。(隠岐国のうち)南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その(隠岐国の)府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。

これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、南西は、石見国温泉津に至ること玉十八里、北から東に至る往くべき地無し。

戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。(割注)俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)

この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麓を見ること雲州より隠岐を望むが如し。そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの嶋(竹島)をもって限りとす。

【転写終わり】

  「日本の北西の地はこの嶋(竹島)をもって限りとす。」の結論が導かれる。
【続く】

>>松嶋(獨島)は隠州に非ず

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/07/01 21:08 投稿番号: [10068 / 18519]
#10064: te2222000 さん

>私が初めて隠州視聴合紀を通して読んだ時の感想の一つは「松島って結構あちこちにあるんだな」でした。今ざっと探してみると以下の二つが見つかりました。

>巻二・周吉郡・布施村の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.16.21.810&el=133.22.29.561&la=1&sc=5&CE.x=299&CE .y=224

>巻二・周吉郡・蛸木浦の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.11.58.713&el=133.17.28.389&la=1&sc=5&CE.x=167&CE .y=450

>池内敏「前近代竹島の歴史学的研究序説」の表1によれば巻ニ以降に「松島」という島名が3つ出てくるそうなので、よく探せばもう一つ見つかると思います。

>斉藤豊仙は、土地の人がその島を何と呼んでいるかを記録したのであって、行政管理用の島名を新たにつけた訳ではないでしょう。

>島どころか村の名前にも重複がありますよ。#9649 に書いた隠州視聴合紀の章立てを見てもらうと分かりますが、布施村は周吉郡と海部郡にあります。

-------------------------------------- -

私も確認してみましたら、「隠岐に非ず」とAHOさんが云われる松島、竹島が下記の通りありました。    

AHOさんは次のように述べられています。   ま、ありがちな「根拠はないけれども云ってみただけ」でしょうけど。

>もし「松嶋(=獨島)」を隠州之内とするならば、隠州には全く同名の島嶼が存在することになり、単に「松嶋」としただけでは何れとも判別できないことになります。これは全く馬鹿げた妄想と云わざるを得ません。

>   然らば即ち、二島は隠州と別に有ると読まざるを得ません。

----------------------------------------
周吉郡・布施村の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.16.33.910&el=133.22.38.566&la=1&sc=5&CE.x=254&CE.y=252
周吉郡・蛸木浦の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.9.17.182&el=133.15.19.316&la=1&sc=5&CE.x=253&CE.y=253
穏地郡・西村・白島崎の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.18.3.432&el=133.17.34.393&la=1&sc=5&CE.x=201&CE.y=48
海部郡の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.6.12.115&el=133.9.53.130&la=1&fi=1&sc=5
知夫郡・薄毛の竹島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.0.29.071&el=133.4.35.598&la=1&sc=4&CE.x=249&CE.y=252

韓国政府『間島条約』は無効

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2005/07/01 11:33 投稿番号: [10067 / 18519]
1909年9月に、日本と清国で締結された条約です。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/10/13/20041013000000.html

≫竹嶼

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/07/01 09:31 投稿番号: [10066 / 18519]
  家鴨と兎さん、情報提供有り難うございます。

>明治13年(1880)水路報告第33号、附属地図を参照して下さい。「竹島考証」271ページです。竹嶼とありますよ。

  なるほど、日本の公式な文献では以前から「竹嶼」となっていたわけですね。

  対して韓国の公式文書では、「松竹島」(李奎遠)、「竹島」(皇城新聞、勅令41号など)となっていました。
  『韓国水産誌』では韓国名「石島」を日本名「竹島」と表記すると同時に、韓国名「竹島」を「竹嶼」と表記しました。これは韓国の公式文書では初めてでしょう。

>続々・此州ー隠岐は本邦北西の果てか

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/01 06:59 投稿番号: [10065 / 18519]
torezojpさん

> さて、議論となっている此州を、先のように
> 老子読みして嶋とするなら、以下のように
> 釈読されねばなるまい。

ちょっと確認したいのですが、torezojpさんのご意見は以下のどちらですか。

A. 老子読みをしなくてもこのような釈読は可能だが、老子読みをすることで一層明瞭になる。
B. 老子読みをしないと、このような釈読ができない。

>松嶋(獨島)は隠州に非ず

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/07/01 06:54 投稿番号: [10064 / 18519]
私が初めて隠州視聴合紀を通して読んだ時の感想の一つは「松島って結構あちこちにあるんだな」でした。今ざっと探してみると以下の二つが見つかりました。

巻二・周吉郡・布施村の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.16.21.810&el=133.22.29.561&la=1&sc=5&CE.x=299&CE.y=224

巻二・周吉郡・蛸木浦の松島
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=36.11.58.713&el=133.17.28.389&la=1&sc=5&CE.x=167&CE.y=450

池内敏「前近代竹島の歴史学的研究序説」の表1によれば巻ニ以降に「松島」という島名が3つ出てくるそうなので、よく探せばもう一つ見つかると思います。

斉藤豊仙は、土地の人がその島を何と呼んでいるかを記録したのであって、行政管理用の島名を新たにつけた訳ではないでしょう。

島どころか村の名前にも重複がありますよ。#9649 に書いた隠州視聴合紀の章立てを見てもらうと分かりますが、布施村は周吉郡と海部郡にあります。

>竹嶼

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/07/01 00:04 投稿番号: [10063 / 18519]
>「竹嶼」と云う名称が使われ出したのは、大韓帝國農商工部水産局が編纂した『韓国水産誌』からは確認されていますが、それ以前に「竹嶼」と公式に表記されたことは確認されていません。

明治13年(1880)水路報告第33号、附属地図を参照して下さい。「竹島考証」271ページです。竹嶼とありますよ。

竹島・竹嶼を明治14年の報告書では混用しているということになりましょうか。いずれにせよ、韓国水産誌は、ずっとあとの話でしょう。

>島後松島

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/30 23:45 投稿番号: [10062 / 18519]
>島後周吉郡蛸木浦沖合いの松島があるから、同じ州に松島が有ってはいけないことにはならないよ。

  隠州の松島は島前です。
  そもそも隠州を管理する斉藤豊仙は「島前松島」或いはそれに類似の識別を全くしておりませんし、見かけない用例ですね。
  実例を示して下さい。

  ま、ありがちな「根拠はないけれども云ってみただけ」でしょうけど。

竹嶼

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/30 23:09 投稿番号: [10061 / 18519]
  李奎遠の報告は「松竹島」
  「皇城新聞」では「竹島」
  勅令41号も「竹島」

  「竹嶼」と云う名称が使われ出したのは、大韓帝國農商工部水産局が編纂した『韓国水産誌』からは確認されていますが、それ以前に「竹嶼」と公式に表記されたことは確認されていません。

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40034161&VOL_NUM=00003&KOMA=450&ITYPE=0

  『韓国水産誌』では韓国所属島嶼として竹島(現在の獨島、勅令の「石島」)を表記しており、同様に勅令の「竹島」を「竹嶼」に表記して、鬱島郡所轄の両島名が重複することを避けています。
  『韓国水産誌』は農商工部水産局の日本人官僚が大きく関与しており、日本人漁民の便宜も考慮されていることから、獨島の共通名称として日本名の「竹島」を採用し、韓国名「竹島」を公式に「竹嶼」と改めましたね。

Re:続・此州ー隠岐は本邦北西の果てか

投稿者: allarefriends2000 投稿日時: 2005/06/30 22:58 投稿番号: [10060 / 18519]
torezojpさん

>「州」は「島」の意となるとすればなどと、時には発想を変えてみることも必要でなかろうか。

全くその通りだと思います。

>昔変わり者の物好きが松島に雉がいないことを物足りなく思って、試みに出雲(国)から雌雄の雉を連れてきて松島に放したところ、一年後にはいなくなった。雉には羽が有ることを忘れていたところが、いかにも変わり者の物好きらしい。恐らく道後にでも移り棲んでその子孫を増やしたことだろうよ。

話としては大変面白いと思います。しかし、隠州にキジがいないと解釈した方が事実に合います。1730年代に編まれた「隠岐国産物絵図注書」には「雉子はと」はあるが「雉子」はありません。
http://www.biodic.go.jp/reports/oldbird/ae017.html

また、1983年11月16日付「毎日新聞夕刊」には、1955-60年にかけて放鳥されたキジが増え、島後は全国の猟区のうち最もキジの密度が高いという記事があります。隠岐の野鳥研究者もキジは放鳥されたものと認めています。
http://www8.ocn.ne.jp/~par15/okinoyatyou1.htm  

「隠州視聴合紀」は大変味わい深いものです。大いに楽しんで下さい。私も楽しませて貰っています(#9572)。

>松嶋(獨島)は隠州に非ず

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/06/30 22:24 投稿番号: [10059 / 18519]
>もし「松嶋(=獨島)」を隠州之内とするならば、隠州には全く同名の島嶼が存在することになり、単に「松嶋」としただけでは何れとも判別できないことになります。これは全く馬鹿げた妄想と云わざるを得ません。


島後周吉郡蛸木浦沖合いの松島があるから、同じ州に松島が有ってはいけないことにはならないよ。   AHOさん、島後松島とか呼べば別に困らないのさ。松島・竹島はありふれていて多いのさ。現に竹島にも、竹島(竹嶼)がある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

1882[5]   李奎遠   属島は竹嶼,島頂(観音島)の2島のみ

1900[6] 禹用鼎 鬱陵島周辺を調査,報告書を提出,松島への言及なし

1900[9]「皇城新聞」「付属する小六島の中で、最も顕著な島は、于山島と竹嶼

1900[10] 報告書を元に勅令41号を発布
      属島は石島,竹嶼2島記す

松嶋(獨島)は隠州に非ず

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/30 21:08 投稿番号: [10058 / 18519]
>4.にある二島が何に属し、「此州」が何を指しているかは自ずから明瞭であり議論の生じよう筈もない。

  左様。
  隠州の島前には既に「松嶋」と呼ばれる島が「松嶋(=獨島)」とは別に在り、このことは視聴合記にも記されていますね。
  もし「松嶋(=獨島)」を隠州之内とするならば、隠州には全く同名の島嶼が存在することになり、単に「松嶋」としただけでは何れとも判別できないことになります。これは全く馬鹿げた妄想と云わざるを得ません。

  然らば即ち、二島は隠州と別に有ると読まざるを得ません。

改訂・此州ー隠岐は本邦北西の果てか

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/06/30 19:22 投稿番号: [10057 / 18519]
隠州在北海中故〔云〕隠岐嶋(割注)「按、倭訓海中言遠幾故名歟」、其在巽地言島前也、知夫郡・海部郡属焉、其位震地言島後、周吉郡・穏地郡属焉、其府者周吉郡南岸西郷豊崎也、従是南〔ノ方〕至雲州美穂関三十五里、辰巳〔ノ方〕至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯無可往地、戌亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島(割注)「俗言磯竹島・、多竹・魚・海鹿〔、按、神言所謂五十猛歟〕」、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠岐、然則日本之乾地、以此州為限矣、


さて、議論となっている冒頭部分(隠岐国の地理的特性を述べた部分)は、以下のように釈読されねばなるまい。


1.隠岐国は北海中にあるがゆえに隠岐嶋という。(割注)按ずるに、倭訓に海中を遠幾(おき〉というゆえの名か。(隠岐国のうち)南東にあるものを島前というなり。知夫郡・海部郡これに属す。東にくらいするを島後という。周吉郡・穏地郡これに属す。その(隠岐国の)府は周吉郡南岸西郷豊崎なり。

2.これ(隠岐国)より南は、出雲国美穂関に至ること三十五里、南東は、伯耆国赤碕浦に至ること四十里、南西は、石見国温泉津に至ること玉十八里、北から東に至る往くべき地無し。

3.戌と亥のあいだの方角(概ね北西方向)へ行くこと二日一夜にして松島あり、そこ(松島)からさらに一日ほどで竹島あり。(割注)俗に磯竹島という。竹・魚・海鹿、多し。(按ずるに、神書にいういわゆる五十猛か。)

4.この二島(松島・竹島)は人無きの地、高麗を見ること雲州より隠岐を望むが如し。そうであるならば、則ち、日本の北西の地はこの州をもって限りとす。

1.隠岐国の(歴史的)構成について述べた部分
2.隠岐を基点に4方位に何があるかを述べた部分
3.隠岐を基点に乾の方位に(新規に)何があるかを述べた部分
4.1.〜3.を踏まえて日本(の本土)と、隣国(高麗)と隠岐の国の位置関係を述べた部分

これらの記載は隠岐国の地理的特性を述べるに際して締りをつける部分にあったている。こうした点に鑑みて史料を素直に解釈しようとすれば、4.にある二島が何に属し、「此州」が何を指しているかは自ずから明瞭であり議論の生じよう筈もない。云うまでもなく、それは隠岐国でなければならなぬ。

あの

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/06/30 14:13 投稿番号: [10056 / 18519]
>貴方が安龍福発言の信憑性を問題にするから

最初から言ったことを疑っておりません。

私は
>この説を言い出した安龍福の発言は信用に足る物ではありません。

言い出したこと自体を疑ってませんよ。
発言が信用に足らない
と言うのであって、発言を記録した朝鮮政府の資料が信用
に足らないと言ってるのではありません。

さらに
>于山島が獨島であるというのは、単純にわかる間違いだと思います。

と、命題が間違ってるのだとはっきり言ってますよ。

安龍福が獨島の存在を松島という名前で知ったことは確実です。
しかし、正確な知識は何一つ提示されていません。
正確に知れば、同じとは言えないのです。

だからこそ、「同じ」という主張自体が
領有権を否定する証拠になると言っているのです。

公私の別

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/30 13:11 投稿番号: [10055 / 18519]
  無論、安龍福は私人です。
  しかし朝鮮王朝の官撰資料は公です。

  貴方が安龍福発言の信憑性を問題にするから、日本側の文献を裏付けとして挙げたではありませんか。
  今更「彼の発言が正しかろうが間違っていようが」などと仰らないで下さい。
  下條さんの根拠無い仮説をもとに、安龍福発言を出鱈目とまで云う人もいますが、検証されるべきは下條さんの仮説であって安龍福発言の骨子には特に疑わしい点はありません。

  安龍福(及び同道した僧侶なども含むであろう)の説明に対して、日本人が「覚書で安は江原道の鬱陵島は日本で言う竹島であり、所持した朝鮮八道の地図に記されていると説明。さらに松島(現・竹島)は同じく江原道の子山(そうさん)と呼ぶ島であり、これも地図に記載されているとして、朝鮮領であるとの認識を示している。」と書いたのです。

ではないのです。

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/06/30 12:58 投稿番号: [10054 / 18519]
>「竹島と朝鮮之間三十里   竹島と松島之間五十里」との記

これでは位置関係がことなります。

>さらに松島(現・竹島)は同じく江原道の子山(そうさん)と呼ぶ島であり、これも地図に記載されているとして、朝鮮領であるとの認識を示している。」と書いたじゃありませんか

残っている地図では獨島の位置にはありません。

つまり、彼の発言はすべて、実際の獨島を知らないことを意味しているのです。
上記の距離と地図も矛盾しています。

また何度も言いますが、同じと彼が言ったかどうかではなく、
言ったことの内容が間違いだと言っているのです。
「于山島と松島は同じ」という命題自体が、
「富士山とは箱根のことである」というのと同様、命題自体が間違いなんです。
その命題を安龍福が述べたかどうかは最初から問題にしていません。

そして、彼の発言がただしかろうが間違っていようが、

彼は、正式の使節ではない、むしろ騙り。
朝鮮政府の公式認識や決定を伝えた物ではない、
鳥取藩で外交交渉はしてない、

以上の点から、無意味です。
現実を端的に言えば、奴隷がとちくるった暴挙をしたのを丁重に相手をしただけ。
これを根拠に領有権を主張するなら、かなり恥知らずだと思います。
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