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Re: れRe: >農民の間の陋弊なる思想、習慣

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/15 02:59 投稿番号: [3200 / 7270]
>毛沢東の革命は中華思想の打破とは無関係だ、ということのみだったような気がします。

>土着の旧弊、陋習と中華思想は別個の問題だ、ということだったような気がします。

  わかりました。ありがとうございます。

>中国が外に向ける顔が中華思想

  なんだか、看板だけ立派に残っている崩壊寸前の元大店(おおだな)のイメージが浮かびました。


>その教師はとにかく毛沢東が好きで

  きっと、個人的魅力(カリスマ性?)のある人物だったんですね。

  私は、なんとなく周恩来のほうが(人柄も思想も知らないのですけど)好きですが。

Re: >農民の間の陋弊なる思想、習慣

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/15 02:55 投稿番号: [3199 / 7270]
>>永久革命も、中国の特に農民層の陋習を打破するには半永久的な忍耐がいる、ということの一面ではという気もしますので、

>土着の思想・習慣のために「中華思想」が本来の姿に機能していない(おかしな表現ですみません)ということでしょうか。

ここまでの皆さんの意見をまとめと、こういうことではないでしょうか。

「中華思想」は我こそが世界の中心であるという思想である。
そして、中国の伝統的統治システムとして、「支配者と民衆社会の分離」がある。

そこで、毛沢東の「永久革命」とは何かというと、「農民の間の陋弊なる思想、習慣からの脱却である」。
では、「農民の間の陋弊なる思想、習慣からの脱却」とは何かというと、旧制度、旧支配者(小資本制、地主や軍閥など)からの脱却であって、「中華思想」からの脱却ではない。
したがって、「中華思想」はそのままに、農民が積極的に毛沢東革命政権を支持し、維持してくれるように思想教育するのが、「永久革命」である。

そして、この中国共産党の中国は、農民を農奴として縛りつけ、「支配者と民衆社会の分離」という統治システムはそのままである。


>孫文や魯迅も毛沢東のそういう部分と共通してたのかなあと思いました。

孫文や魯迅は、小資本家や知識階級、学生などの支持を受け、中国を近代化によって中華たらしめて欧米列強に対抗しうる国にするという点で、毛沢東とは違うと考えます。

れRe: >農民の間の陋弊なる思想、習慣

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/12/15 02:23 投稿番号: [3198 / 7270]
  >土着の思想・習慣のために「中華思想」が本来の姿に機能していない(おかしな表現ですみません)ということでしょうか。

今となっては記憶がおぼろなのですが、毛沢東の革命は中華思想の打破とは無関係だ、ということのみだったような気がします。土着の旧弊、陋習と中華思想は別個の問題だ、ということだったような気がします。

中国が外に向ける顔が中華思想で、それが国内的陋習の故に十分機能していないというような関係はないということだったと思います。

その教師はとにかく毛沢東が好きで、矛盾論、実践論を読め、これはケネディーも論破できなかった理論だ、などとよくいってました。喧嘩したおかげで読みませんでしたが。(買うだけはかったので、本箱をさがせば、出てくると思いますが。喧嘩の理由は日露戦争は防衛戦争か侵略戦争かでした。)

>「請負政治」

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/15 02:22 投稿番号: [3197 / 7270]
>重要なキーワードだと思います。



  「請負制」ならピンときます。効率がいい場合もあるけれど弊害も起きるとかなり深刻です。

 

  ↓「場所請負制」(部分引用ですがご容赦ください)
http://www.tabiken.com/history/doc/O/O271C200.HTM
__________________________________

〜略
請負人には種々の御用金・借上金が課され,しかも契約はいつ破棄されるかわからない不安定なものであったため,勢いその活動も極端なものとなった。交易にあたり無防備ともいえるアイヌに対し,交換比率の不当,勘定の不正,果ては暴行,略奪に等しいこともあった。とくに漁場労働においては奴隷的に酷使され,なかには冬場を凌ぐ食糧さえ得られず餓死したものもいた。1789年(寛政1),国後・目梨におこったアイヌ民族の蜂起は,こうした場所請負制の矛盾にむけられたものである〜略
__________________________________


  ↑このあたりのことはトピ主のyusuraさんが冷静で詳しいです。(週末にはご帰還?)

   私はこの件では少々感情的になる可能性が・・・・(苦笑)


>〜将軍は戦争の勝利を請け負っております。担保は自分、あるいは一族の生命。

  (また話をズラして申し訳ありません)

  日中戦争時の大陸の「中国軍」もそんな感じだったのかなあと考え中・・・(独り言です)

>農民の間の陋弊なる思想、習慣

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/15 01:44 投稿番号: [3196 / 7270]
>永久革命も、中国の特に農民層の陋習を打破するには半永久的な忍耐がいる、ということの一面ではという気もしますので、

>その教師のいっていたこともあながち当っていないというわけでもないと感じます。


  土着の思想・習慣のために「中華思想」が本来の姿に機能していない(おかしな表現ですみません)ということでしょうか。

  (よく知らないので見当外れかもしれませんが)孫文や魯迅も毛沢東のそういう部分と共通してたのかなあと思いました。

>「中華思想」そのものは打破

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/12/15 01:22 投稿番号: [3195 / 7270]
されたのでしょうか。

私の高校に中共軍の捕虜になり、毛沢東フアンになった元日本兵の老教師がいました。

中華思想や永久革命のことをよく話していました。

毛沢東が目指したのは中華思想の打破などではなくて、特に農民の間の陋弊なる思想、習慣である、といっていたような気がします。

毛沢東(や訒小平等)のソ連その他の国に対する姿勢を見ると、中華思想そのものという感じがする所があります(ソ連とは敵ーアメリカーの敵は味方だという結びつきだったような気がします)。毛がロシア人のことを愚鈍で残酷な民族などと言っていたことなどにも。

永久革命も、中国の特に農民層の陋習を打破するには半永久的な忍耐がいる、ということの一面ではという気もしますので、その教師のいっていたこともあながち当っていないというわけでもないと感じます。   思想的な面で喧嘩して以来長らく会ってはいないのですが。

Re: >善悪抜きのクールな解説①

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/15 00:40 投稿番号: [3194 / 7270]
>果たして、毛沢東思想によって、「中華思想」そのものは打破されたのでしょうか。
漢民族の毛王朝の登場という風には考えられないのでしょうか。

今の支那社会を見れば、結果的に「中華思想」は打破できなかったと考えております。

支那社会の持つ復元力とでもいいましょうか、いかなる改革や「革命(易姓革命ではなくレボリューションのほう)」も、「変化」を好まない彼らの手によっていつのまにか骨抜きにされていった、とおもっております。

ついでながらいいますと、毛沢東の文革の発動には、革命の成果がなし崩しにされていくことに対する危機感があったのでしょう(それが主因とは思わないですけど)。その毛さえ結局は「毛王朝の皇帝」となってしまいましたが。

>>支那の場合、支配者と民衆社会の分離があります。

>これは現在も継続中ではないでしょうか。
共産党一党独裁で民主主義でないから、そう見えてしまうのか、全く違うシステムなのか。

はい、継続中だと考えます。
「儒教国家」の正体が、儒教を奉じるのは皇帝と士大夫層だけ、その他大勢は関係なし、であったの同様に、「共産主義国家」の正体は、共産主義を奉じるのは党員だけ、その他大勢は関係なし、といった感じだと思います。
いくら名称や看板を儒教もしくは共産主義らしいものにしたところで、本質はそうそうかわらないものでしょうね。

>韓国の場合でも民主主義といいながら、結局は任期限定の王朝を築いているだけと考えると自分ながら妙に納得してしまうのです。(笑)
「易姓革命」とか、官によるピンはねとか、中華文明そのままのようですし。

たしか、90年代前半には、大統領の顔を「龍顔」という側近がいたり、大統領の怒りを「震怒」とマスコミに書かせたりしたそうです(「海外事情」1991年4月号の田中明氏の寄稿)。
なお、韓国において「龍」の字の右下部の横棒は3本ではなく2本です。龍の絵を描く際も爪を一本減らすのと同じく、宗主国様の手前、一画を欠いているということです。

Re: >善悪抜きのクールな解説①

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/15 00:16 投稿番号: [3193 / 7270]
東亜さん、解説ありがとうございました。
非常に分かりやすいと思います。

ただ一点、これは朝鮮半島を含めて、常々疑問に思っているのですが、

>それが「中華思想に染まる」ということの実態ではないかと思っています。
>これを破るには、結局、毛沢東が「共産主義」という新しい思想とシステムを持ち込むのを待つしかなかったんでしょうね。

果たして、毛沢東思想によって、「中華思想」そのものは打破されたのでしょうか。
漢民族の毛王朝の登場という風には考えられないのでしょうか。
というのも、

>支那の場合、支配者と民衆社会の分離があります。

これは現在も継続中ではないでしょうか。
共産党一党独裁で民主主義でないから、そう見えてしまうのか、全く違うシステムなのか。

韓国の場合でも民主主義といいながら、結局は任期限定の王朝を築いているだけと考えると自分ながら妙に納得してしまうのです。(笑)
「易姓革命」とか、官によるピンはねとか、中華文明そのままのようですし。

Re:韓国の現政権

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/14 23:46 投稿番号: [3192 / 7270]
>>   国政は棚上げにして、何が何でも政権を守りきらなければ生き残れないという執念のなかで、早くも2007年選挙での政権の延長だけに躍起になるしかないのだ。国の行く先が実に心配だ。

>半島版「いつか来た道」でしょうか。選挙まで待てずに「クーデター」なんてことには・・・時代も違いますし、これは無さそうですね。

やはり、南北ともに何十年間か、国連の「信託統治」で行くべきでしたね。
兎亀さんが、「ダーバン世界会議」でアフリカ統治について、述べたように。

>こうなると、「人道的見地」から「内政干渉」も辞さず!〜というのが手っ取り早いような(これは昔ありましたっけ?)・・・過激でしょうか?
>「内政干渉=悪」と単純にはいえない時期に入るのかな〜などとふと思いますです。

正解ですね。
韓国が経済的にはIMFの管理下にあるように、自分たちで国家運営できない訳ですから、国民や周辺国救済のためには最適な方法でしょう。
「民族自決・自立」というのは、その能力がある民族がいうことで、南北朝鮮には無理な話です。

Re: 日本と中国の清潔不潔

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/14 23:08 投稿番号: [3191 / 7270]
>どうも、清潔、不潔は近代化の進度とは無関係な民度、文化のようですね。

これをフランスでみますと、ベルサイユ宮殿にトイレがなかったように、当時のパリの街でも寝室に便器が置いてあって、汚物を窓から道路に捨てることが普通だったようですし、アンリ四世も生涯で体を洗ったのは二度ほどで、腐った肉のように臭かったと、なんかで読んだ記憶があります。(笑)
やはり市民革命で浪費家の専制君主が倒され、帝国主義で植民地から集まる富を社会資本に投資できる余裕が生れ、さらに科学的な衛生観念が伴って、市民の民度も上がっていくように考えます。

中国市民は収奪されるだけで、富が還元されることなく、都市生活が古代からあまり進歩しなかったとすると、欧米から半植民地化されることによって、格段の恩恵を受けていることになります。
ただそれを受け入れる市民の民度の問題が一番のネックですね。

日本でいうと、入浴は神道や仏教の影響で、不浄を清めるという習慣から始まったように思います。
鎌倉時代に東大寺の僧侶が労働者の慰労のために蒸し風呂を作るなど、古い寺社には必ず湯殿がありますね。
入浴の功、徳というのがまずあって、それに慣れ親しむことにより、常に清潔にすることが嗜みとされる美意識が生れ、
それは住まいや服装にも現れて、貧富にかかわらず、小奇麗に暮し、木々や花を楽しむ文化になり、
大名による城下町の整備、町衆・町役による自治的な町内の運営など、近代都市造りの共同体意識が生れたことが、これらの日本文化を支えたと。
散文的でありますが、かように考えます。(笑)

と書いた後で、いい加減ではいけないと思い、お風呂についてのサイトを探してみました。
まあ、当らずといえども、遠からじ。(笑)
ヨーロッパで風呂に入らなかったのは、理由があったんですね。なーるほど。
残念ながら、韓国の風呂の起源は出てないけど。(笑)

「お風呂の歴史」
http://takejoy.fc2web.com/

Re: >善悪抜きのクールな解説①

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/14 09:58 投稿番号: [3190 / 7270]
呼ばれたようですので参上しました。
「くつわ十字」って島津ですか?そうならうれしいです(笑)

>隋・唐・(五代十国)・宋(北宋・南宋・金・西夏)・元・明・清と変遷しています。
>前代の王朝を追いやった勢力は攻めた時点では「蛮族」で、覇権を握った時点で(あるいは覇権を握る条件として)

>中華思想に染まっていったのでは?(平安時代、平家が公家風に染まったように)

支那の場合、支配者と民衆社会の分離があります。
支配者が、民衆社会への過度な干渉をせず、税金をとりたてるだけであれば、民衆は適度に支配者層とは距離を置いて生活します。
逆に、苛斂誅求やたび重なる外征などの酷い政治を行なわれて、民衆社会の生存に危機が及べば、武器を執って蜂起する。それが成功すれば「易姓革命」、失敗すれば「反乱」というだけの話になります。

支配者が変わって民衆社会に絶大な影響があった例は、清が辮髪を強要したのと、毛沢東の革命程度ではないでしょうか。

話がややずれてしまいましたが、支那史において「中華民族」というものは存在しません。匈奴や女真などの北方民族、もっと古代ならチベット系羌族、ベトナム系の呉越・楚など周辺民族が、中原の文明に参加すれば、それで「中華の人」認定なわけです。日本人なら唐の官吏になった阿倍仲麻呂も「中華の人」ですね。

それと、支那の統治システムは秦漢の時代でほぼ固まっています。
おおざっぱにいえば、皇帝が官吏を任命、官吏は民政を担当し、民衆社会に租税徴収を請け負わせる、というものです。
また、「中華的=儒教的」というのも、美しい偏見であり、実際は、皇帝らは儒教の徳治をお題目に唱え、下級官僚たちの実務は法治、という「本音と建前」統治制度です。

「請負政治」というのは、重要なキーワードだと思います。
皇帝が租税3千万円の徴収を命じれば、官吏は3千5百万を徴収して、5百万円は自分の成功報酬とする。
軍事でいえば、戦地に赴く将軍は戦費を請求した分、無問題で支給されます。そこから自分の取り分を差し引いて実際の戦費を支出する。兵の給料や食料費をピンハネするというのは、取り分を欲張っているということです。
その代わり、将軍は戦争の勝利を請け負っております。担保は自分、あるいは一族の生命。敗戦の責任を問われて処刑されるということですね。有名なところでは、「街亭の戦い」の蜀の馬謖、「城ボク(さんずいに僕)の戦い」の楚の子玉あたりですかね。
現代なら「経済解放区」が請負政治に近いでしょう。国家への上納金さえ納めればオッケーというやつです。

またずれてしまいましたが、そういった社会統治システムが固定されている以上、天下を取った支配者はそのシステムに乗るしかないわけです。楽ですし、代案に妙策もないですし。官職名を変えたり、ポストを新設したりしますが、本筋は全然変わってないのです。

それが「中華思想に染まる」ということの実態ではないかと思っています。これを破るには、結局、毛沢東が「共産主義」という新しい思想とシステムを持ち込むのを待つしかなかったんでしょうね。

 韓国の現政権

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/14 05:35 投稿番号: [3189 / 7270]
  韓国内での評価もかなりの「トンデモ」のようです。

  ↓「盧武鉉政権の被害妄想を憂慮する」

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/12/09/20051209000001.html

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ホーム > 社説・コラム > 社説 記事入力 : 2005/12/09 07:05

  李炳浣(イ・ビョンワン)大統領府秘書室長は今月7日、光州(クァンジュ)朝鮮(チョソン)大学での特別講演で「もっとも本質的な問題は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権を認められないという本質的な反対派勢力が社会の重要勢力を形成しているという点」と述べた。

  李室長は、「金大中(キム・デジュン)政権下で権力の禁断症状に震えたその勢力が、今は権力の錯乱症状を示している。2002年には露骨に手を組んで権力を取り戻そうとしたが、とうとうと流れる時代の変化に(挫けて)失敗した。しかし、失敗はしたものの、認められないとと抵抗し、2007年には必ず取り返そうと総動員令を出している」と述べた。

  李室長は大統領秘書室長らしく、現政権の本質的な問題点を総合的に身をもって見せている。

  この政権の根本的問題は、李室長のような時局を誤って判断し、国民の世論を間違って読み取り、国民を恐れることも知らず、大統領の目と耳を塞いでいる人々が秘書室長、広報首席などの重要なポストを占めて居座りつづけていることにある。

  彼らの共通点は、現政権の失政に対して失望したあまり、もはやこれ以上何も望めないという境地に至った国民世論を、最後まで認めようとしない点にある。

  この政権は、自らの口で、金大中政権の後継だと主張してきた。だとすると、現在、政権は発足8年目だといえる。

  考え方の似通った両政権は、前政権も現政権も、天下りの人事によって権勢のあるポスト、稼ぎの良いポストを選んで国中の至るところに身内を送り込んだ。

  それにもかかわらず、李室長が口にしたように、反対勢力が社会の中心部を占めているなどと決めつけながら、反対勢力を「錯乱症状」だの「禁断症状」だのと、放言するのがこの政権の常套手段となっている。

  現政権の人々は、「現政権が仕事をうまくこなしている」と考えていない80%の国民を反対派勢力と見なす被害妄想に悩まされている。

  権力者たちの被害妄想は、国家の不安要素だ。やみくもな攻撃本能をあからさまに現し始めるからだ。李室長の言動がそうしたケースだ. 周りを敵に取り囲まれて八方塞がりという心理状態で、どうやってきちんと国政を運営できるだろうか。

  国政は棚上げにして、何が何でも政権を守りきらなければ生き残れないという執念のなかで、早くも2007年選挙での政権の延長だけに躍起になるしかないのだ。国の行く先が実に心配だ。

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>   国政は棚上げにして、何が何でも政権を守りきらなければ生き残れないという執念のなかで、早くも2007年選挙での政権の延長だけに躍起になるしかないのだ。国の行く先が実に心配だ。

  半島版「いつか来た道」でしょうか。選挙まで待てずに「クーデター」なんてことには・・・時代も違いますし、これは無さそうですね。

 12月13日の記念式典

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/14 05:11 投稿番号: [3188 / 7270]
  中国の某記念館のサイトです

  ↓たくさん報道されたということだけはわかりました。

http://www.nj1937.org/zxxx.asp

http://www.nj1937.org/rdbd.asp


  たぶん、「有ること無いこと」記事になってるんだろうなあ〜orz
  (   あ、「無いこと無いこと」のほうが的確かも・・・)

Re: >善悪抜きのクールな解説①

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/14 04:54 投稿番号: [3187 / 7270]
>〜高校の教科書程度の知識しかありません。

  いつも中学程度の基礎知識からひねくっている私の「蘭学事始」にお付き合いいただいて感謝しておりますよ(多謝)

  tripさんのかみくだいてのわかりやすい解説や提示していただく資料はたいへん有難いものと思っております。

>これは、東亜さんにでも分析して貰いたいですね。(笑)

  では、「くつわ十文字」としましてご登場をほのかな期待とすることにしますです(笑)

>〜有無を確かめるのが任務と勘違いしたためで


  そんなことがあったんですか(驚いてます)これだけの装備だと港町の占領も可能かぁ

  なんだか、日本てそうとうに運が(「も」かな?)強い国だったんじゃなかろか・・

  日本の開国の後も欧米は自国の周辺問題で軍事的に忙しい時期だったそうですし(クリミア・南北・普仏とか)

  この辺の欧米の自国事情も当時の日本には鎖国から開国への転換後の体制を整えるのにプラス働いたのかなと感じます。

>砲艦外交をやられたのかと比較できれば面白いですね。

  欧米の当時の報告書などは確実な資料なのでしょうね。
(「被害意識の共有」目的ではない研究が本になっていればなぁと・・とてもそこまで手は広げられないですが。苦笑)

 
>なお、ビッドルの前年に、日本人漁民の漂流者22人を救出したアメリカの捕鯨船マーカトル号が来航します。

>日本人漂流民には大変親切で、日本人を降ろして水と食糧を受け取って出航しました

  ズレますが、小笠原諸島に捕鯨関係で米国人が住みはじめたのが19世紀前半だったとか、

  もしそうなら、八丈島方面の漁民達とは既に接触(交流)があったかもしれませんね。

日本と中国の清潔不潔

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/12/14 03:38 投稿番号: [3186 / 7270]
幕末、ほぼ同じ頃日本を訪れたシュリーマン(トロイの遺跡発掘者)とロバート・フォーチュン(植物学者)は中国も訪れ、旅行記をだしていますが、清潔度については両者は両国についてほぼ同じことをいっていますね。

シュリーマンは、「シナ人に特有の不潔さを別にすれば」とか「私はこれまで世界で不潔な町をずいぶん見てきたが、とりわけ清国のまちは汚れている。しかも天津はその筆頭にあげられよう」とか「特に北京では劇場が特に不潔で」とかいってます。

「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない。どんな貧乏な者でも少なくとも日に一度は町のいたるところにある公衆浴場に通っている」

「日本人はみな園芸家愛好家で、日本の住宅はおしなべで清潔さのお手本になるだろう」

フォーチュン
「シナの町は不潔と悪臭で派有名であるが、天津ほど胸が悪くなるような汚いところへ行ったことはなかった」

「花好きの市民・日本の中流以下の民家は商店は表や裏を開けっ放しにしてあるので、ささやかな花壇をよく覗き見下。どの家も非常に丁寧に歓迎してくれたので、私は彼らが大切にしている花や花壇を勝手に見て回った」(長崎で)

二人は驚くほど同じことを言っています。

どうも、清潔、不潔は近代化の進度とは無関係な民度、文化のようですね。

Re: >善悪抜きのクールな解説②

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/14 01:49 投稿番号: [3185 / 7270]
>西洋のものを東洋(主に中国)と比べてはじめから優れていると思ったかはいささか疑問に感じています。

いやー、そりゃそうですね。
蒸気船を見て、すごいと思うには、基礎学力がないと、何がすごいのか分かりませんね。
魔術や奇術と思っても当然です。

蘭学は例の杉田玄白の「解体新書」に始まるようですが、やはり解剖してみたら、解剖図通りだったことの衝撃があると思います。
東洋医学の思考方法と全く異なる、精緻なまでのクソ・リアリズムの世界にカルチャー・ショックを受けたと申しましょうか。

そもそも江戸時代に東洋的、日本的な最高水準の学者や専門技術者が大勢いたからこそ、西洋の素晴らしさも理解できたのでしょう。
また、江戸時代の蘭学者の経歴を見ても、いきなり蘭学を学ぶのではなく、漢学の素養が充分ですね。
つまり、漢字、言葉に対する豊かな知識があればこそ、蘭書を読んでも意味が分かろうというものです。
蘭学輸入期の「出島学問」的ではありますが、まず翻訳能力がないと、西洋学問を国内に扶植することはできません。
彼らの造語の多さ、巧みさ、西洋の概念を東洋的なものに置き換えて理解していく能力があって初めて、一般人にも学習できます。

それにしても、朝鮮半島では世界初の西洋的なオリジナル技術の発明が多いようですが、どうして発展しなかったのでしょうね。(大笑)

冗談は置いて、やはり、19世紀には中国的なものは行き詰まりを見せて、西洋文明に比較して輝きを失ってしまった。
そして、今世紀、「東洋の国際的平和は、文明のセンターとしての中国の絶対的な文化的・経済的・政治的実力」だけでなく、軍事的復権を目指す中国と日本は対峙せざるをえない。
その中国に、韓国と北朝鮮が便乗している状態でしょうか。
「中華文明どっぷり漬かり度」の程度によって、国民性まで分かれてきますね。

>「日清・日露戦争後、一般の日本人が中国・朝鮮人を嫌うようになった〜」というようなことを話していました。
>戦役で大陸に行った庶民の日本人は、当時の中国・朝鮮の庶民の振る舞い(番組では「ものの食べ方とか〜」といってました)を見て中華への尊敬が軽蔑に変わったらしいです。
>日本は当時の欧米と比較しても相当な「きれい好き」だったしなあ、まあ、軽蔑するなといっても、難しかったかもしれませんね。

朝鮮の不衛生については、沢山の資料が残っていますしね。
ご存知、イザベラバードの「朝鮮紀行」でも、「北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!」と書いてあるように、中国の汚さもあのソウル以上だったのですから、清潔好きな日本人にはたまらなかったでしょう。

そうそう、戦争末期に中国の南京と漢口にいた我が家のGさんは両都市ともに水洗便所だったので驚いたそうですが、いずれも租界を作った欧米がまず上下水道を作ったらしいですね。
しかし、漢口の街は雨が降ると泥だらけ。揚子江(長江)の水が溢れて土葬の死体が流れ出すこともあり、また晴れた日には砂塵が舞って、埃だらけ。そんな中でも平気で中華饅頭などの食い物を売っている露店が多く、とても食べる気がしなかったと言っています。
また毎日入浴する日本の兵隊に比較して、入浴の習慣がなく、にくにく臭いのには閉口したようです。

文化が違うといえば、現代人には理解できますが、当時はやはり努力向上しない中国人の怠慢に呆れたことでしょう。
「皇帝と私しか存在しない」というのが中国ですから、仕方ないのかも。

Re: >善悪抜きのクールな解説①

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/14 01:48 投稿番号: [3184 / 7270]
>前代の王朝を追いやった勢力は攻めた時点では「蛮族」で、覇権を握った時点で(あるいは覇権を握る条件として)
>中華思想に染まっていったのでは?(平安時代、平家が公家風に染まったように)

兎亀さん、中国についてはこのカテにも相当な知識を持った方が大勢いらっしゃいますし、私は高校の教科書程度の知識しかありません。
講釈を述べるほど厚顔でもありません。
これは、東亜さんにでも分析して貰いたいですね。(笑)

>当時の「軍事的な恫喝」はその程度(ペリーの黒船)のものが一般的な事例だったのでしょうか?
>ならば「帝国主義列強の軍艦外交」の「恫喝」イメージを改めなければなりません。
(航海も長いしなあ、海賊も出たかもしれんし・・護身用拳銃程度の感覚の装備だったのかな)

1853年のペリー来航の前、1846年にアメリカ合衆国東インド艦隊司令長官ビッドルが、アメリカ議会の「日本は開国すべし」という要望を背景に、政府の訓令を受けて、軍艦2隻で来航します。
ご存知のように、アメリカは捕鯨船の避難場所、遭難者の救助、燃料や水食糧の補給地として日本の開国を迫っていたのですが、このとき旗艦には大砲83門、小銃800挺、短銃800挺、水兵800人、もう一隻には大砲24門、水兵200人が乗り込んでいました。
房総から相模の警備に各藩が「すわ戦」と出動し、武州忍(おし)藩主松平駿河守も家臣数千を率いて出陣したが、藩士の家族は水盃を交わし、涙を流して見送ったという状態です。
しかし、ビッドルは幕府に通商を求める願書を提出し、幕府が鎖国が国法であるから願いは聞けないと返書すると、あっさりと了承して帰国したのであります。
これはビッドルが日本に開国の意思の有無を確かめるのが任務と勘違いしたためで、当然アメリカ国内で問題となり、ペリーの派遣となる訳ですね。
つまり、砲艦外交といっても、軍事的威嚇だけでなく、本格的な交渉で強硬に出る、粘ることが必要です。
そして、その国にそろそろ開国しようかなという気運がないことには、脅しと交渉だけで開国はできないと思いますが。

中国、インドシナ諸国やインドネシアが、どのような砲艦外交をやられたのかと比較できれば面白いですね。

なお、ビッドルの前年に、日本人漁民の漂流者22人を救出したアメリカの捕鯨船マーカトル号が来航します。
船の状態は、「鯨の油を取る大鍋が三つ、武器類はなく鯨を突くモリが100本、食事はブタと薩摩芋を日に三度食べ、船中にブタが10匹ばかりいてこれを殺して食べていた」ようです。
鯨が一杯いるのに、どうして捕らないのかと聞くと、まず日本人を送り届けてからという返事でした。
日本人漂流民には大変親切で、日本人を降ろして水と食糧を受け取って出航しました。

おお、盛り上がってる

投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2005/12/13 07:38 投稿番号: [3183 / 7270]
ここ暫く土日も無い生活を続けていますが、ここは面白そうな話がまったり続いていますね。
今週末は久しぶりに休めそうなので纏めて辿らせて頂きます。皆様の盛り上げに感謝します。

Re: 「ダーバン世界会議をめぐるニュース

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/13 02:30 投稿番号: [3182 / 7270]
>問題の本質がますます混沌となってしまいますね。

  問題が解決しない方が都合のいい勢力もあるのかもしれません。
(アフリカにも北の「金王朝」みたいなのがあるとかないとか・・)

>アフリカ各国の現実問題ををどんどん絞っていき

  国連では各国一律ではなく統治能力のある国に優先的に援助をまわす方針にする案が採決されたかは不明ですが、

  とにかく汚職・腐敗が蔓延していて援助が必要なところに届かないわ、政治は国民そっちのけで勢力争いやってるわ、
  負けそうになった側が隣の国に加勢頼むわ・・・(なんか昔のどこかに似てますね)

  こうなると、「人道的見地」から「内政干渉」も辞さず!〜というのが手っ取り早いような(これは昔ありましたっけ?)・・・過激でしょうか?

  「内政干渉=悪」と単純にはいえない時期に入るのかな〜などとふと思いますです。

>善悪抜きのクールな解説

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/13 02:25 投稿番号: [3181 / 7270]
  >「新しい歴史教科書」より過激?(笑)

   これで過激ですと生物だの地学だのの教科書は発行できないことになりますです(笑)

   ちなみに「新しい〜」は(今年度版は見ていないので判りませんが)前回のは文章が情緒的に過ぎる気がしていました。

  >「中華思想がけっして軍事的な色彩をもたず」とは言えないでしょう。

   西洋の「軍事的な色彩」に比べて「文明の感化力に信頼をおく思想であった」ってことかも・・(苦しい)

  >中原の軍事的覇権を握った者が中国となり、その周辺国を軍事的に脅迫し続けていたのですから。

   う〜ん(年表ながめて考え中)「文明の感化力に信頼をおく思想〜」・・・と

   隋・唐・(五代十国)・宋(北宋・南宋・金・西夏)・元・明・清と変遷しています。
   前代の王朝を追いやった勢力は攻めた時点では「蛮族」で、覇権を握った時点で(あるいは覇権を握る条件として)

  中華思想に染まっていったのでは?(平安時代、平家が公家風に染まったように)
 
  >   ペリーは空砲を撃ったりして脅迫していますが、町人は黒船見物目当ての屋台まで出て、のんびりしたものです。

  >そして日米交渉も殺気立ったものではありません。

  ということは、当時の「軍事的な恫喝」はその程度(ペリーの黒船)のものが一般的な事例だったのでしょうか?

  ならば「帝国主義列強の軍艦外交」の「恫喝」イメージを改めなければなりません。
  (航海も長いしなあ、海賊も出たかもしれんし・・護身用拳銃程度の感覚の装備だったのかな)

  >江戸中期からは蘭学を通じて、西洋の優れた文明、文化、学問の存在を知ることになる

   枝葉ですが、西洋のものを東洋(主に中国)と比べてはじめから優れていると思ったかはいささか疑問に感じています。
   (唐・天竺以外の文化・文明への好奇心とか、単に新しもの好きとか・・軽過ぎますか)

    アヘン戦争で   「西洋>中華」   が目に見えるようになり、

    その後の朝鮮との外交交渉で中華思想の実態を身をもって体験する・・・と、嫌気も差しましたでしょうね。
  ↓「明治開化期の日本と朝鮮1」
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi012.html
__________________________________
〜略「朝鮮の対日交渉術」

当時の朝鮮との交渉の記録を読むと非常に興味深い。(公文別録・朝鮮事件   公文別録・朝鮮始末   公文別録・朝鮮尋交始末、その他)
  日本側は繰り返し繰り返し何度も何度も話し合いを進め、朝鮮側に配慮して文章を変更したりしている。
  これがまた半端な数ではないのである。当時の史料を見ると、書き直しにつぐ書き直し、案件につぐ案件、印章も作り直したり、どの文章がいつの書契なのかよく分からないような量と手数の多さなのである。書記官たちは同じような文章をいったい何度書かされたのか、実に同情にたえない。
  しかし日本側のそのような譲歩にもかかわらず、朝鮮側は断固受け取り拒否なのである。なんと明治元年から7年経っても!。

  朝鮮の外交官僚の態度は日本人から見るとたいへん不誠実に見える。まるで、嘘・ごまかし・公私混同の弁明・仮病・突然の前言翻し、など虚々実々の駆け引きのオンパレードである。それに対して、日本側はというと、ただひたすら辛抱強く粘り強く正論をもって交渉している。その姿はまあ馬鹿正直なほどである。そこには日朝の文化の違いすらが感じられてある意味面白い。〜略
__________________________________

>結局、その気概が持てない朝鮮のために中国と戦い

  二月程前のテレビ番組で(一部しか見れませんでしたが)「日清・日露戦争後、一般の日本人が中国・朝鮮人を嫌うようになった〜」というようなことを話していました。
  戦役で大陸に行った庶民の日本人は、当時の中国・朝鮮の庶民の振る舞い(番組では「ものの食べ方とか〜」といってました)を見て
  中華への尊敬が軽蔑に変わったらしいです。
  日本は当時の欧米と比較しても相当な「きれい好き」だったしなあ、まあ、軽蔑するなといっても、難しかったかもしれませんね。


 
 
  


     
  

Re: 「ダーバン世界会議をめぐるニュース

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/11 22:28 投稿番号: [3180 / 7270]
>「欧州元凶説で民衆説得図るアフリカ指導者」

これは大変な問題ですよね。
この方面の詳しい知識はありませんが、記事を読むだけでため息が出るようです。
したがって、レスが非常に困難で、稚拙な内容になってしまいますが。(笑)

南北問題に加えて、歴史的な奴隷売買を持ち出せば欧米も反発するし、アフリカ諸国の国内事情を含めて、問題の本質がますます混沌となってしまいますね。
「朝まで」での姜尚中の発言ではありませんが、冷戦終結後、世界中で色々な歴史問題を持ち出してカオス状態になれば危険です。
南北諸国に共通の歴史認識や和解なんて不可能ですから。

知恵があるならば、南北協力してアフリカ各国の現実問題をどんどん絞っていき、援助や自助努力の重点項目を具体化することに精力を傾けるべきですよね。
不毛な歴史問題をやっている時間の余裕はないでしょう。

飢餓は少なくなりつつありますが、病気や貧困などはこのままでは克服できないです。
しかも下手に近代化にすれば貧富の格差はさらに増大し、階層・部族間の争いが増えるかも知れません。
そして農地化や工業化が進めば水不足、環境破壊にエネルギー問題という難問も待ち構えています。
均衡ある発展と差別の撤廃ができなければ、現在と近い将来の中国の混乱のようになってしまうでしょう。

いかに日本の朝鮮統治が困難で、素晴らしい成果を収めたのか、韓国もよく考えて欲しいものです。

>Re:やさしい日本人①

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/09 04:51 投稿番号: [3179 / 7270]
  前後してしまいましたが

  >こういう紋切り型の書き方をされると


  「宿題」でまた「兎亀の屁理屈」を考えてきますので・・・しばらくのご猶予を願いますです。m(_   _)m

  (独り言:紋切り型の記述から入るのは「拒絶反応」を恐れてのことかな〜。
   こりゃ穿ち過ぎか・・でも屁理屈用につかえるかも・・・もう少し練ってみようかしらん)

特別展「日米交渉〜開戦への経緯」

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/09 03:58 投稿番号: [3178 / 7270]
  本日(あ、もう昨日ですが)公開となりました。

  ↓国立公文書館アジア歴史資料センター

http://www.jacar.go.jp/?060545SL000017=PID

_______________________

2005/12/08 「公文書に見る日米交渉〜開戦への経緯〜」
特別展 を公開しました。
________________________

http://www.jacar.go.jp/nichibei/index.html

  ↑表紙のフラッシュが・・・一瞬個人のサイトかと思いました(笑)

 「ダーバン世界会議をめぐるニュース」

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/09 03:42 投稿番号: [3177 / 7270]
  欧米メディアの論調がどんなだったかなと、探してみましたが日本語のサイトにはあまりないようですね。

  ↓ここの下の方に少し載っています

http://www1.ocn.ne.jp/~yeboo/salinks/za011.html

_________________________________

  〜略〜
  ■奴隷制は「人道の罪」「現代人は責任ない」反人種主義会議宣言   英紙は否定的論調

  南アフリカ・ダーバンで8日閉幕した国連の「人種主義に反対する世界会議」は奴隷制と奴隷貿易を「人道に対する罪」と初めて規定する宣言を採択、「過去の清算」での欧州の責任が大きな焦点となったが、英国では、奴隷制に関しアフリカ自身の責任を問う論調が出るなど、おおむね同会議の結果に否定的な反応が強く、また、中東問題の取り扱いを不満とし会議から途中離脱した米国からも、会議を「時間に空費」として批判する声が出ている。

=====

(ロンドン10日=土生)

  大英帝国時代、奴隷貿易に関与した英国でも、「人道主義に反対する世界会議」は大きく報道された。奴隷貿易について賠償責任では、英マスコミの論調は、否定の立場でほぼ一致した。否定の論拠としてまず挙げられるのが、「何百年も前の政府の行為については、現代人に直接責任はない」との主張だ。「この賠償が成立するなら、イタリアがローマ帝国の征服について賠償したり、英国が十字軍についてイスラエルに謝罪しなければならなくなる」(3日、BBCインターネット)というわけだ。
  アフリカ自身の責任を問う声も目立った。「欧米が奴隷貿易を始める前に、すでにアラブ商人を仲介とした奴隷貿易が行われており、当時のアフリカ各地の指導者は、この貿易で膨大な利益を得ていた。なぜアフリカや中東の過去の対する責任を問わないのか」(9日付タイムズ紙など)。さらに、「英国は1807年に世界で初めて奴隷貿易を禁止するなど、奴隷廃止を主導してきたのは欧米だった」として、「欧米が主張しなければ、第3世界は奴隷制の非人道的に気がつかなかった」(3日付、デイリー・テレグラフ紙)との反論もあった。
  ただ、「賠償は資金ほしさの口実」として拒否する一方で、英国の歴史的責任に言及する報道もあった。3日付タイムズ紙は、賠償を主張する米の黒人弁護士を詳しく紹介した。同弁護士は、「現代社会のあらゆる分野に黒人奴隷の見えない貢献がある。例えば、麻酔もかけられず人体実験にされた黒人奴隷のおかげで医学が進歩した。また奴隷制は黒人から民族としての誇りを奪い、それが内戦や犯罪などの遠因になっている」と主張している。
  5日付インデペンデント紙も、「欧米の奴隷貿易は、従来に比べ比較できないほど大規模であり正当化は困難」とのコラムを掲載。第2次大戦中のビルマでの強制労働についての日本に謝罪を求めるのなら、なぜ自国の責任に目をつぶるのかと訴え、人種主義については、「(他者の目を通じて自分を見る)想像力こそ、唯一の治療薬」と結んでいる。

米「的外れな論議」

(サンフランシスコ9日=永田)

  ライス米大統領補佐官は9日、NBCテレビの番組で国連の「人種主義に反対する世界会議」について、「的外れな論議に時間を空費した会議だった」と述べ、過去の奴隷制を巡る議論やイスラエル批判で紛糾した会議に冷ややかな論評を加え、米国の途中退席についても「正しい判断だった」と強調した。ライス補佐官は、「現代でもスーダンのような国ではまだ奴隷制が行われている」と指摘し、今回の会議がそうした問題を取り上げず、15−19世紀の欧米の奴隷貿易の論議に終始したと非難した。

読売 2001.09.11
__________________________________


  ↓キャッシュで残っているのがありました

  「どこまで歴史たどるのか    奴隷貿易で補償要求」

http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E5%9B%BD%E9%80%A3++%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93%E3%80%80%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E6%94%AF%E9%85%8D++%E8%AC%9D%E7%BD%AA+%E8%A3%9C%E5%84%9F&ei=UTF-8&fl=0&meta=vc%3D&u=apc.cup.com/%3Fno%3D24.1.0.0.14.1.1.1.0.0.&w=%E5%9B%BD%E9%80%A3+%22%E5%A5%B4%E9%9A%B7+%E8%B2%BF%E6%98%93%22+%22%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0+%E6%94%AF%E9%85%8D%22+%E8%AC%9D%E7%BD%AA+%E8%A3%9C%E5%84%9F&d=YjxPmI6CL01O&icp=1&.intl=jp

「滅亡の帝国:日本の朝鮮半島支配」

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/09 03:26 投稿番号: [3176 / 7270]
>ご存知と思いますが、


  まだ完訳にはなっていないのが残念です。

  日本語版の出版は難しいのかもしれませんね。(ゲラが上がったあたりで向こうのマスコミが騒ぎそうだ・・)

  以前、国連のダカール国際会議というので植民地支配の謝罪と補償云々〜とあったんですが、

  直後の米国の大事件と大騒動のためすっかり霞んでしまったようです(私もこの秋まですっかり忘れておりました)

  ↓なかなかもめたようです「ダーバン世界会議をめぐるニュース」

http://www.imadr.org/japan/interview/wcar.international-news1.html
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「欧州元凶説で民衆説得図るアフリカ指導者」

  アフリカ指導者たちが奴隷貿易、植民地支配というテーマに焦点を当てたのは、被害者・アフリカの心理的な解放ばかりではない。貧困や内戦を自らの手で解決できない袋小路に追い込まれ、旧来の「欧州元凶説」以外に民衆を納得させられるカードを持ち合わせていないためだ。

  信頼の高い集計によると、15世紀から19世紀にかけアフリカ大陸から米大陸などに渡った奴隷は1200万人。白人を最優等人種に据え、黒人を「勤勉性のない未開野蛮人」と見る思想が、史上最大の民族の離散をもたらした。

  ナイジェリア国際問題研のアキトミワ博士は「欧州の勃興に奴隷、植民地からの搾取は不可欠だった。今も続く経済格差の根はそこにある」と指摘する。

  奴隷貿易による精神的な痛手も大きい。アフリカ人は劣等意識を植え付けられ、19世紀後半の欧州列強によるアフリカ争奪戦でもあっさりと植民地化を許してしまった。また、アンゴラ内戦の根には奴隷貿易に加担した側と奪われた側の対立があり、数世紀前からの後遺症は今も残る。

  だが、「裏切られたアフリカ」の著者アイティ氏は「アフリカの落ち込みは奴隷貿易より独立後の悪政が大きい。欧州よりひどい搾取がアフリカの指導者らの手でなされた」と説く。「かつての欧州人の方が民衆の生活向上について考えていた」(ザンビア北部の有力族長ヌクラ氏)のように、60年代に独立して以降のアフリカ人自らの責任を問う声も強い。

  「アフリカ復興まで援助を続けるのが欧米の義務」とアデボラ・ラゴス州立大教授は語る。そうと主張しなければ、世界から無視し続けされるだけだという危機感がアフリカにはある。   【藤原章生】[毎日新聞9月7日]
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Re:やさしい日本人②

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/08 22:12 投稿番号: [3175 / 7270]
>「『帝国の復讐』という有名なことば」はそういうことをさしているのでしょうか?

えっ、スター・ウォーズの「帝国の復讐」ですか、という冗談は置いといて、これは兎亀さんの担当です。(笑)

>それぞれの国のそれらの失敗を比較した研究があると面白いですね。

その学問のひとつの例が、欧米で盛んな「植民地近代化論」ですよね。
これは、現在の発展途上国のためにも参考になると思います。
ご存知と思いますが、改めて。

【The doomed empire : Japan in colonial Korea / M.J. Rhee著】
出版者 Aldershot : Ashgate 1997年刊・178頁より
(翻訳/重村智計・拓殖大学国際開発学部教授)

「搾取と抑圧の下、ひたすら犠牲を強いられた暗黒の36年」という植民地史観が今なお日本や韓国では根強い。
それどころか、決して疑義を差し挟んではならない絶対の真実にすらなっている。
だが、日本の植民地経営は世界史的にみてどうだったのか。
コロニアリズムというキーワードをもとに理論的、実践的にこの問題に取り組んだのが、在米の韓国人女性研究者、クリスティン・リー氏である。
リー氏はイデオロギーに振り回され学問的方法論に依らないこれまでの研究を厳しく批判する。

  私はアメリカの大学院で指導教授たちに言われた次の言葉を、今なお忘れることができません。
「日本の植民地は、その後いずれも経済発展したではないか。 そんな結論の出ている問題をいまさらどうして研究するのか」
米国の名門ラトガース大学のダン・ローデン教授は、私が博士論文の主題について日本が朝鮮半島を植民地支配した時代の教育と女性問題について研究したいとの計画を説明すると、このように反問しました。
「文明のシステムを、日本の植民地主義は朝鮮半島に導入したのではないか。スペインやアメリカ、イギリスは日本のように本国と同じような教育システムを植民地に導入しようとはしなかった。当時の朝鮮半島の人々は、文明のシステムを独自の力で導入するのに失敗した。日本の植民地主義を経ずに、あれほど早く文明の世界システムに入れただろうか」
私は、この発言に怒りが込み上げ懸命に反論しようとしたが、頭の中が真っ白になり感情だけが高ぶったのを覚えています。
そんな論文を書いたら、韓国に戻れなくなるとの不安が一瞬心をよぎりました。
論文の相談をした別の経済学専攻の教授は
「植民地化された国家の中で韓国と台湾ほどに発展した国家はない。アメリカやイギリスの植民地で、台湾や韓国ほど発展した国があるか」
とまで言うのでした。
  私の不満そうな表情を見たローデン教授は、次のようにも問いかけました。
「日本の植民地支配を非難する韓国人の留学生の一人が、自分の父親が東京帝国大学出身であると自慢げに話した。これは、暗黙のうちに日本が導入した文明のシステムを評価していることになる。本来なら、東京帝大を卒業した父親を非難すべきではないか」
  こう言われてみると、確かに東京大学はもとより京都大学、早稲田大学、慶応大学を卒業したことを誇りにする韓国人は少なくないのです。当然韓国の側に立ってくれると思った第三者のアメリカ人学者の発言は、ショックでした。
  こうして私は1997年に『The doomed empire : Japan in colonial Korea』 (滅亡の帝国:日本の朝鮮半島支配)を、英国で出版しました。
日本の植民地支配下での女性と教育問題を、学問的に整理し、感情論でなく客観的に理解する素材を提供したいと考えたからです。
当初の意図とは異なり、指導教授の理論と主張が盛り込まれました。
この本は、韓国で出版するのはまず不可能でしょう。 また、日本で出版しても、誤解を受け韓国では「親日派」と非難されかねません。
韓国で生活できなくなるかもしれません。
それをあえて覚悟したのは、近代史をめぐる日韓の対立を解消し友好な関係を築くのに微力ながら貢献したいと考えたからです。


ハーバード大学韓国学研究所長のカーター・J・エッカート博士の韓国の梨花(イファ)女子大での講演で、
「朝鮮の資本主義は、植民地支配という環境のなかで最初の真の成長を遂げたのである。確かにこれは不幸なことであり、多くの朝鮮人には認めがたい不快な指摘かもしれない。しかし、それはまぎれもない事実なのである。韓国における歴史教育において、日本の植民地支配を批判するのは理解できるが、ある事ない事をでっち上げて反日教育をしているのは日韓関係に一つもプラスにならない事だ。そのことで韓国のナショナリズムは盛り上がるかもしれないが、それが間違った教育のためだったと分かった時は、彼らはどのような思いを抱くだろうか」と語っている。

Re:やさしい日本人①

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/08 22:11 投稿番号: [3174 / 7270]
>「梅棹忠夫編著」とありましたが
>「戦争・軍隊・植民地」の執筆者は園田英弘とありました。

これは勘違いしていました。訂正します。

>まあ、もともとが「日本文明」を外国人に説明するために書かれた小冊子ですから、
>読んでおけば、外国人とのやり取りの際、場合によっては何らかの「自己防衛手段」になりそうな本です(高校生などには有効かな?)

確かに、日本を帝国主義、侵略的といいながら、それは欧米より学んだことであり、その支配は過酷でなかったと巧妙に表現しているようですね。
でも、こういう紋切り型の書き方をされると、誤解を生むと思うんですよ。たとえば、

>>1875年の江華島事件は、ペリーが日本になしたのと同じことを朝鮮になした事件であった。すなわち、軍事的な恫喝による開国の要求である。

ペリーの黒船以前に、外国軍艦による開国要求事件が沢山あります。
アヘン戦争での清の敗北を、江戸幕府も知っている。
つまり、そろそろ鎖国から開国に切り替えて、外国と交易関係を結んだ方がいいんじゃないかと幕府は思っている。
その時にペリーの黒船がきた。
もちろん、ペリーは空砲を撃ったりして脅迫していますが、町人は黒船見物目当ての屋台まで出て、のんびりしたものです。
そして日米交渉も殺気立ったものではありません。
これと同じように、朝鮮でも仏・米軍と戦闘を交えた鎖国派の大院君から、開国派の閔氏政権へと変わった。
その時期に、日本が軍艦を使って国交を迫った。
それを単純に、「軍事的な恫喝による開国の要求」と書くと、歴史の真実が見えて来ないと思います。

>>古来、東洋の国際的平和は、文明のセンターとしての中国の絶対的な文化的・経済的・政治的実力を前提として、その周辺の国々は中国に恭順の意を表し、中国はこれらの国々の姿勢を是とし、不干渉主義をとることによってたもたれていた。中華思想という中国中心主義は、けっして軍事的な色彩をもたず、文明の感化力に信頼をおく思想であった
>>日清戦争における日本の勝利は、東アジアの伝統的国際秩序の終末を意味した。この勝利によって、文明のセンターであった中国に対する日本人の劣等意識は、優越感に転じた。

これも何か違うような気がします。「中華思想がけっして軍事的な色彩をもたず」とは言えないでしょう。
中原の軍事的覇権を握った者が中国となり、その周辺国を軍事的に脅迫し続けていたのですから。
朝鮮は中国の侵略を受け続け、千年属国ですぞ。(笑)
この時代、中国が西洋にとって無力な「眠れる獅子」であっただけで。

古代中国は文明センターであったのは確かですが、その後は日本にとってどうだったのでしょうか。
平安時代から日本は中国の混乱と中華思想から逃れるために距離を置き、室町の禅宗文化、江戸初期の朱子学が最後でしょうか。
そして、江戸中期からは蘭学を通じて、西洋の優れた文明、文化、学問の存在を知ることになる。
アヘン戦争で、清の停滞も分かった。
その証拠に、中華思想に染まったままの朝鮮との外交交渉が難航すると、中国に事大する朝鮮に日本は嫌気が差して、植民地化が進むアジア情勢の中で、独立国家としての気概を持てという要求をするがダメ。
結局、その気概が持てない朝鮮のために中国と戦い、併合せざるをえなくなる。
また同様に独立国家の形を失った中国のために、ロシアの侵食で日本が圧迫される。
東アジアの軍事的安定化のために、日本がひとりで奮闘せざるを得なくなる。
その延長線で、アジアを植民地化した米英蘭との対立が出てきた。

という善悪抜きのクールな解説ではダメですか。「新しい歴史教科書」より過激?(笑)

Re:やさしい日本人

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/07 04:37 投稿番号: [3173 / 7270]
>〜ボロボロです。(笑)


  「ご覧の通り」と仰られましても、

  私には判別もできませんのでどうぞご安心ください(笑)


  >梅棹先生の文章ですね

   「梅棹忠夫編著」とありましたがもともとは英文で書かれたものを日本語にしたものだそうなので、

   文体は梅棹先生のものなのかもしれません。

   「戦争・軍隊・植民地」の執筆者は園田英弘とありました。

  かなり重いですが、園田氏の動画がありました(国際日本文化研究所の研究紹介ページより)

http://www.nichibun.ac.jp/research/f_faculty/sonoda/mov.htm

(画像を見たら、NHKの「視点・論点」に時折出演してる人でした)
 
  >日本だけを記述しても、非常に片面的で理解しにくいと思います。

  まあ、もともとが「日本文明」を外国人に説明するために書かれた小冊子ですから、
  読んでおけば、外国人とのやり取りの際、場合によっては何らかの「自己防衛手段」になりそうな本です(高校生などには有効かな?)

  >どこの国も失敗していると思います。

  「『帝国の復讐』という有名なことば」はそういうことをさしているのでしょうか?

  それぞれの国のそれらの失敗を比較した研究があると面白いですね。

  失敗の原因、過程などに共通するところもあれば「お国柄」がでたところもあるだろうし・・
  (と、毎度気楽に「妄想」にふける兎亀でございますです)

  >アメリカ軍は日本の満州経営を研究しているという話

  >平穏な満州国をどうやって作ったのか、今頃になって勉強しているようです。

  ということは、一目置くようになったわけでしょうか。

  ならば、当時の満州国の「よかった面」の実態も広く知られるようになるかもしれませんね。

  ベトナム戦争にしろ今回のイラクにしろアメリカは日本との時のように相手の研究をしていたのか疑問です。

  ↓「日本人の行動パターン」


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140017945/249-9843834-2789120
__________________________________

  内容(「MARC」データベースより)
「菊と刀」に先がけて戦時中に書かれ、国務省に提出されたレポート。日本人の「ころころ変わる行動」の背後に潜む倫理基準を明らかにした。「菊と刀」に至る知られざる背景を解説に加える

__________________________________


  >現在、日本が少し毅然としているだけで、大騒ぎですから。

 
   大騒ぎすればするほど、日本の世論が硬化するだろうと思うのですが、

  まあ、あちらにはあちらの「国内事情」がおありなんでございましょう(それにしても、甚だ騒々しいことです〜苛々)  


 


  「朝まで生テレビ」のご紹介ありがとうございます。本があるとは知りませんでした。

  活字になってやっと発言内容を確認できました(実はあの番組の格闘技ふうのやり取りが大の苦手でして、五分と我慢できない〜苦笑)


  個人的には(猪瀬以外はよく知らない方々ですが)、司会(進行)猪瀬直樹で中村粲・橋爪大三郎・秦郁彦・山田朗のフォーラムをやっって欲しかったです。

  辻元清美という人は「狂言まわし」役での出演でしょうか?なんだか全くかみ合っていない様な感じですが・・・(ただの「オジャマ虫」に思えるです)
 




Re: >Re: 朝まで①

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/05 02:27 投稿番号: [3172 / 7270]
>金、土、本日まで、風邪で寝込んでいました。

それは、大変でしたね。完全回復まで充分に気を付けて下さい。

>田原も戦争総括物を書いているようですが、あまり読む気にはなりませんねー。

田原はアジテーターですからね。(笑)

でも、「朝まで」を出したのは、博識な赤城艦長のためではありませんよ。(笑)
私を含めて、少し疑問や興味を持っていても、中々本格的に勉強できないことが多い。
それで掲示板ですから、気楽で読みやすいものをという意味で、提供しただけです。
あくまでも自分で本を読み、資料にあたって考えることですから、コメントも入れないことにしました。
私の勝手な書き込みより、何十倍もいいと思います。(笑)

>Re: 朝まで①

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/12/04 21:53 投稿番号: [3171 / 7270]
金、土、本日まで、風邪で寝込んでいました。

田原も戦争総括物を書いているようですが、あまり読む気にはなりませんねー。
本人はよく「太平洋戦争のことを調べた」などというのですが、その中に「想像力」というものがはいっているかどうか。想像力がなければ歴史はわかりませんよね。

これが、韓国での「日韓友情年」

投稿者: dokusaiwotatake 投稿日時: 2005/12/04 21:38 投稿番号: [3170 / 7270]
http://wkorea.exblog.jp/2274399

これが、韓国での「日韓友情年」

いいかげん日本は本気で韓国に怒れ!!!

>Re: 朝まで

投稿者: hokori_takaki_monogoi_mindoku 投稿日時: 2005/12/04 03:34 投稿番号: [3169 / 7270]
trip_in_the_night 氏

力作有難うm(_ _)m

メモ帳に保存しました。

朝まで⑬

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/03 22:19 投稿番号: [3168 / 7270]
橋爪大三郎

「戦争責任」と東京裁判

  今回の番組では、「戦争責任」について触れることができなかった。この問題について、補足説明したい。
  もともと「戦争責任」という言葉は、確立したいい方ではない。戦争を始めたり、終えたりするのは、国家の行為であり、近代国家であれば、当然相応の手続きをへてから行なっている。つまり、合法的な行為である。合法的である以上、結果がどうであれ、法律上の責任は生じない。大勢の人民が予想以上に死亡した、などの場合には政治上の責任が生じるが、これは国内での問題である。
  国際法上の問題としては、ルールに基いているかぎり責任は生じない。たとえば民間人を殺さないなどのルールだ。だがこうしたルールを踏みにじって戦闘行為や作戦を命令した、あるいは命令に従って実行した――これらの者たちは「戦争犯罪人」となる。これは国際法の確立した法理である。
  かつてはこれを「戦争責任」といった。
  ところが、第二次世界大戦が終結してみたら、ナチスをこの法理では裁ききれない。
  とくにユダヤ人を数百万人殺害したのは、第二次世界大戦の被害と思われているが、よく考えてみると、これは「戦争の被害」ではない。ナチスが国内の、あるいは占領地のユダヤ人を、戦闘行為としてではなく、虐殺した。このようなことが起こるとはだれも予想していなかった。従来の法理では裁くことができない。
  そこで、この虐殺を「戦争の副産物」と捉えて、「平和に対する罪」「人道に対する罪」を根拠に罰することにした。
  この論理は東京裁判にもそのまま適用された。いまでは、このようなケースも含めて、「戦争責任」といっている。
  東京裁判では、昭和天皇は起訴されることもなく、また証人として呼ばれることもなかった。つまり「免責」である。
  いったん起訴されればその有罪無罪を判断するのは裁判所だが、それ以前に起訴するかどうかを決めるのは検察官の役目である。東京裁判で主席検察官を務めたキーナンは、連合国軍司令官マッカーサーと密に連絡をとって起訴するかどうかを決定した。天皇の戦争責任を問わないことを実質的に決定したのはアメリカだったのである。
  「戦争責任」は、自虐史観や硬直した反動的言論がはびこる現在、もう一度根本から問い直したいテーマである。

(終了)

朝まで⑫

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/03 22:18 投稿番号: [3167 / 7270]
姜尚中

討論に参加して感じ考えたこと

  番組を終えて痛感したのは、新しい世紀になっても依然として前世紀の戦争の記憶に縛られている日本とアジアの現実の重さである。「未来志向」の美辞麗句をどんなに連ねても、戦争の記憶の重さがそれを許さないことにあらためて気づいた次第である。
  しかしここで考え直してみたいのは、果たして戦後の日本は、戦争の悲惨な現実にどんな責任をとろうと真剣に考え、苦闘してきたのか、ということである。厭戦気分がどんなに痛切であったとしても、やはり「他者」としてのアジアの多くの民衆を蹂躙した経験を我が身の悲惨に照らして追体験するよりは、ヒロシマ、ナガサキの記憶や満州引き揚げ、シベリア抑留など、戦争の結末がもたらした「被害者意識」の痛切さがなによりも際立っていたのではないか。その上、敗戦と占領体験が加わり、「被植民地化」に似た、あるいはそのよりももっと屈折し鬱積した「被害者意識」が蔓延し、そして戦後もそのトラウマをもたらした米国という「厳父」に逆らえない「息子」のいじましいほどのコンプレックスが近隣のアジア諸国に吐き出されている気がしてならない。
  日本の戦争を見直すとは、とりもなおさずそうした自分たちのねじれた意識――より上位の力に「被虐」的でありながら、足下の近隣諸国には「加虐」的で横柄な態度をとることを恥じない両義的な姿勢――を問い直すことでなければならない。しかし実際にはますますそうした自民族中心的な居直りが強くなっているように見受けられてしかたがない。しかもそれは結局より上位の権力に従属せざるをえないのであるから、表面の強がりとは裏腹に「従属的ナショナリズム」としかいいようのない代物である。たとえ、「ノーといえるニホン」と叫んでみても、その内実は変わっていないのである。そこに新しい世紀を迎えても、依然として新しい展望を開くことができない日本のジレンマがある。

朝まで⑪

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/03 22:17 投稿番号: [3166 / 7270]
辻元清美

日本はアジアでもう一度戦争する。そんなバカな?

  私は4年半前に国会議事堂に初めて入ったとき、強烈な実感をもって「この議事堂のこの会議室で国会議員が戦争遂行を了承し予算を決定したから、あの戦争があった」という事実を理解した。戦争をやったのは軍部だというけれど、もし国会が戦費予算を通さなかったらできなかった。先輩の国会議員がこの場で戦争遂行を決めたのだ。
  1925年の時点で20年後東京や大阪が焼け野原になる悲惨な戦争をやると誰が想像しただろう。36年にいまの議事堂が竣工したときの国会議員たちも、わずか9年後のあの敗戦を誰ひとり考えていなかっただろう。
  日本はアジア太平洋でもう一度戦争をするのではないか。
  私のこの懸念を杞憂だと笑い飛ばしていただけるようなものであったならありがたい。
  ところが、日本が再び戦争に参加する可能性は次第に大きくなりつつある。
  国会ではここ数年、戦争準備の議論と法的整備が着々と進んできている。日米新ガイドラインによる「周辺事態」法の成立と米軍の戦争のための後方地域支援活動への準備の具体化。盗聴法による国民監視システムの合法化とこれから成立させようとする個人情報保護法という名の言論封殺法案。小泉内閣になって首相と外相が大っぴらに推進を表明している集団的自衛権の行使と「有事立法」という名の戦争遂行維持法案。
  過去に戦争遂行を決めたそのまったく同じ予算委員会室で私は小泉さんの集団的自衛権の行使発言について糺した。
「日本近海で米軍と日本(自衛隊)が共同行動をしているときに米軍が攻撃を受けたら、日本はなにもしなくていいのか」という小泉答弁の論理にはゴマカシがある。
  その前に「周辺事態」が起きているのをすっ飛ばしている。日本の周辺で紛争が起きたらブッシュ政権は介入するだろう。とたんに日本はそれに「後方地域支援」という名目で参加させられる。それで日米が共同行動していたら、米軍は介入しているから攻撃される可能性がある。米軍が攻撃されたら日本は自国への攻撃がなくても参戦するのが集団的自衛権の行使なんだから、これでは周辺事態イコール戦争開始ということになってしまう。
  近い将来、日本周辺で紛争が起きる可能性はゼロではないと考えているあなた、あなたは私の「日本がもう一度アジアで戦争する」懸念を笑い飛ばすことはできますか?

朝まで⑩

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/03 22:16 投稿番号: [3165 / 7270]
猪瀬直樹

「日本の近代化」の過程と「戦後50年」の課題

  「なぜ日本は戦争に突入していったのか」ということは、ほとんど間違って理解されている。日本にはインドネシアから石油を採掘して運んでこなければならない事情があった。帰路「タンカーが撃沈されないためにはどうすればよいか」ということから、真珠湾攻撃に至るのである。この、一見単純に思われる経緯を、僕は20年ほど前に『昭和16年夏の敗戦』(『猪瀬直樹著作集』所収)で検証した。当時はなかなか理解されなかった。
  『昭和16年夏の敗戦』、そして約10年前の『黒船の世紀』(文春文庫)の調査で、僕は当時のさまざまな文献や関係者の証言を集め分析してみて、当時の日本の社会のあり方や、国民を巻き込んで成長していくメディアの動きを確認した。
  第二次世界大戦前の日本は、戦車・飛行機・毒ガスなど、あらゆる近代兵器が搭乗した第一次大戦をパスしてしまったため、その「総力戦」の凄まじさも悲惨さも体験することがなかった。世界の怖さ、大きさをみずからの血をもって知ることなしに、日米開戦への道を歩んだ――このことを、僕は第一次資料を駆使して表現したつもりである。
  ・・・・いわゆる「歴史」は、歴史学者の非常にイデオロギー的な論文に汚染されてしまっており、直接証言など一次資料によって検証するという作業がほとんどなされていない。このため、「戦後民主主義」イデオロギーに染まったまま、つまり「真相はどうだったのか」と自ら突き詰めて考える姿勢がないまま、思考を停止させている。イデオロギーや思い込みによって史実を見ていくだけでは、満足な歴史検証などできないだろう。
  番組を振り返りつつ日本の近代史を俯瞰してみると、当初の国家政策そのものはよいが、50年ほどたつと、どこかでベクトルが変わり、おかしな方向へ行ってしまうようだ。具体的にいえば、不平等条約を解消するため、明治の元勲たちが「富国強兵」「殖産興業」というスローガンを掲げ尽力したことは後年、軍事大国としての「傲慢さ」に変わってしまった。日本は、国際舞台で軍縮のイニシアチブをとるなど独自の新しい目標を探すべきだった。
  そして、高度経済成長をへて第二次大戦後50年を経過した現在、日本は国際経済戦争の渦中でどのような針路をもつべきなのか、改めて問い直さなければならないだろう。

朝まで⑨

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/03 21:57 投稿番号: [3164 / 7270]
イデオロギーに染まりすぎた戦後日本の歴史観

田原   いま姜さんから、いままでイデオロギーでやってきた、そのイデオロギーってなんですかって話が出たんで、ちょっとお答えしたい。じつはふたつ、私はここでいいたかった。秦さんたちが戦争中に神風志向があったと、でもこれはね、間違いだと思う。僕は現に神風志向なんかないですよ。なんにも。そんな神風が吹くなんて、全然思ってないですよ。思っていたとすれば、それはむしろエリートが思っていたんですね。一般大衆は思ってません。
  もうひとついえば、そのイデオロギー志向というのは何かっていえば、つまり戦後、市民革命が起こるべきだと、市民革命を起こして、日本は社会主義になるべきだと、これですよ。

姜    でもね・・・・。

田原   それは、ズーッとあったの。

姜    僕の個人的な経験からいってもね、僕はちいさいときにたとえば東宝映画で、東郷元帥うんぬんとか、いろんな戦争映画を見ましたよ、あるいは岡本喜八さんのなんとか愚連隊かとね。あるいは夕日と拳銃とか、あるいは司馬遼太郎もそうだけど、一般の庶民は、そんなマルクス主義のイデオロギーというよりは、じつは映画や小説やいろんなメディアを通じて、かなりそれては違うものを全面的に吸収していたわけで・・・・。

田原   あのね、一般人じゃなくてね。東京大学が悪いんですよ。姜さんね。今度の『日本の戦争』を書くために、いろんな教授に会って取材してわかったことは、とにかく80年代半ばまでは、つまり丸山真男さんの言葉に反することは、いえなかった。いえなかった。

姜    そんなことはないですよ。

田原   いやいや、そういってますよ、本人が。名前出してもいいですがね。それでつまり事実しか書けなかったと、歴史的な事実しか。

猪瀬   発掘した事実じゃない事実だよ、それは。

田原   まあ、事実。何にこう書いてある。何にこう書いてある。

猪瀬   それ、引用だよね。

田原   うん、引用。そして、もっといいたのは・・・・。

姜    僕は丸山さんの擁護するわけじゃないけれども、彼自身も、ある種の国民主義者でナショナリストですよ。

田原   いや、そりゃね、そんなこといったってね、とくかく僕なんか、まあこの本にも書いたけども、太平洋戦争についてなぜ負ける戦争をやったんだといったら、そんなこというな、そりゃ保守反動だっていわれましたよ、ずっと、で、それをいおうと思ってたら、いつのまにかあの戦争が正しいなんて議論がいっぱい出てきたんで、これは違うぞ!   と、やっぱりやんなきゃいけないと、こういう気持ちだったんですよ。

姜    あの戦争が正しいという議論はね、大東亜戦争肯定論以来。60年代でしたっけね。

田原   あれは少数派。大東亜戦争肯定論がなぜ売れたのかっていうとね、ごく少数で珍しかったから。

姜    珍しいけれども、知識人とか、いろんななかには結構いる。やっぱりシンパがいるわけですね。

田原   橋爪さん、どうですか?

橋爪   あのね、こういう構造になっているんじゃないでしょうか。まず私たちは戦争は悪かったと、戦争責任という枠組みで考えます。ですから、戦争を企画したA級戦犯というのは悪いと考える。ということは、逆にいうとですね、それ以外の人たちは戦争責任がなかったという意味になるんですよ。で、それでよかったという反面、釈然としないんです。
  どうしてかというと、大東亜戦争、太平洋戦争は総力戦だったんです。日本は第一次世界大戦をスキップしたけれど、この次もし戦争があれば、総力戦、ものすごい戦争になると予想し、準備した。実際そうなった。総力戦とは、国をあげて全身全霊、経済も政治もすべてが戦争目的に奉仕するということでしょう。そしたら、軍人が最後に大きな力を持つことは明らかだし、国民は軍人のいうことを聞かなきゃいけない、そういう体制になるわけですね。ですから、そのことを理解して、みんな協力したんです。みんな積極的に戦争に協力したという自覚があるし、それはそのときの考え方では正しかった。というこがあるでしょ。
  ところが戦後になって、それだけ努力してこれだのことをしたのに、そういう枠組みじゃなくて、この戦争は悪いことであり、その責任者はごく一部であると、つまり分断されたわけですよね。ここに大きな欺瞞があるんだけれども、このことを十分咀嚼できなかった。それがいま、尾を引いているんじゃないですか。

朝まで⑧

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/03 21:46 投稿番号: [3163 / 7270]
韓国のベトナムへの責任は?   ベトナムのカンボジアへの責任は?

姜   僕はね、ちょっと違うのは、冷戦が崩壊して、やっといままで語り合えなかった人たちが、語り合う時代が来たわけです。それは間違いない。

辻元   そうです。

姜   グローバル化というべきでしょう、それが今後どういう方向になるかは、まだ僕にもよくわかりませんよ。だから何か先見的にいっている価値観や歴史観があって、それもさっき猪瀬さんがいったように、ある種のイデオロギーになりかねない。むしろやっぱり、それはカオスかもしれないけれども、いままでいわば歴史の闇のなかに葬り去られたような人びとが、少しずつ話すようになったし、韓国で韓国軍を批判して、「ベトナムでこんなひどいことをやった」と発言することは、これは日本で発言してやられるのと、同じような状況があるわけですよ。
  だからそれぞれの国で歴史観をめぐって、じつは日本だけではない、いろんな国がいま、いろんな対立を起こしてるわけ。それがどうなるかは、僕にもまだよくわかりません。ただ間違いなくいえることはね、そうした多様な声が、いま、出てきたと。そこから何が出てくるのか。
  いまそういう段階にいるわけであって、日本だけがなんか歴史観の重みのなかで、打ちひしがれて大変だ大変だっていうのは、これは明らかに間違いであって、韓国のなかでも、世代間の葛藤や、ベトナム戦争をどう総括するのか――いろんな対立があるわけ。

田原   そこなんだけどね、僕はウエイトのかけ方が、ちょっと違うと思うの。つまりいままでの日本人は、侵略戦争だと、とっても悪い戦争をしたということをアメリカから押し付けられ、あるいはイデオロギーである種の学者たちが、とくに東大が多いんだけども、イデオロギーで押し付けてきて、それに対して日本人は、嗚呼悪い戦争したなあって思ってんの、じつは。でね、いまやっと、そういうものから解き放たれて、本当に見ようじゃないかという時代なんですよ。軽い時代なんだいまは、どっちかといえば。

辻元   田原さん、悪いとか軽いとかって話じゃないと思う。

田原   辻元さんね、いや、いま、あなたを責めるわけじゃないけれども、社会党なんてのはね、本当はそれ専門にやる党だよね。なんでやんなかったのかと。どうしてなんですか?

辻元   55年体制下での社会党の平和運動については、総括しなきゃいけないと思いますよ。

猪瀬   社会党はお題目で万歳っていってたんだよ。

田原   ソ連万歳、中国万歳って、いってたんだよ。

猪瀬   そこはっきりしないと、ダメなんだよ。

辻元   ところが戦後、戦争責任の問題――さっきの法案もそうだけど、ずっとやってきたのは社会党でもあったわけですよ。ですから、いいところも悪いところもあったと思います。社会党という存在がなかったらね、じゃあどうなってたかって考えたら、私はこの戦争について、一定の役割は十分果たしたと思います。

田原   僕はね、もっと乱暴にいいますよ、あのね、日本の55年体制がずっと続き、自民党1党支配が続いた最大の理由ってのは、自民党っていうのはすごい、いい構造を作ったなと思うんですよ、絶対に政権をとらない野党というのをつくった。それが社会党。そういう安全無害の野党をつくった。で、自民党のなかでは、首相になるのは帝大卒ですよ、旧帝大卒、東大か京大か。その帝大卒は汚いことができない。だから汚いことをやる専門のね、党人脈を雇って、名前というと悪いからいわないけど、これ(カネを渡す仕草)を野党の幹事長クラスにはするんですよ。で、自分は手を汚さない。これがね、55年体制なんです。
  55年体制ってのは1955年、左右両派に分裂していた社会党が統一され、これをきっかけに自由党と民主党が合同して自由民主党になった。これ以降、40年近く続いた自社共存の政治体制。保守と革新とはいえ、社会党の議席数は自民党の半分以下で、事実上の一党独裁体制だった。93年に自民党が分裂、細川護熙内閣が成立し、55年体制は崩壊した。
  それはいま、崩れたの。あなたは、まだ55年体制に毒されてる。

辻元   私たちはいま、変えようとしてるんじゃないですか(笑)。

朝まで⑦

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/03 21:43 投稿番号: [3162 / 7270]
国家賠償は終わった。個人補償はどうする?

田原   あのね、これもじつは東南アジアの人びとをお呼びして、やったことがあるんですよ。でね、ベトナムが独立するとにフランスから賠償金取ったかと。取ってないですよ。フィリピンが独立するときは、これはアメリカから少し出たかもしれない。インドネシアがオランダから独立するときにオランダは金払ったのか。払ってないんですよ。なんにも払ってないですよ、イギリスも。これはどう思う?

辻元   いや、払ったほうがいいでしょう。それは払ってない国が悪いんです。だからといって日本がね、よいということにはならない・・・・。

田原   いや、だから。

辻元   悪さくらべですよ、それは。

田原   ちょっとわかんない。むしろ、独立してみんな万歳っていってるんですよ。辻元さんは日本はカネを払えと。ほかの国は払わなくったって、いいことやったほうがいいんだと。こういう話ね。

辻元   そうです。

笠原   僕はね、国家賠償と個人補償は違うと思う。国家賠償については、確かに法的に解釈がついているところがあります。個人補償についてはいま、アジア太平洋地域の被害者から、個人の損害補償請求が出てきているでしょ。僕はやっぱり、個人補償請求については対応しないといけないと思うんですよ。

田原   このことをむしろ議論したかったんだけど、いまアメリカでね、日本の企業がどんどん訴えられてますよ。でも訴えられてる実態を見ると・・・・。ちょっと草野さん詳しいと思うからいってください。

草野   いえいえ、僕、詳しくないですよ。

田原   いい?   つまり弁護士がカネ儲けするためにやってるものが多いんですよ。反論あったらどうぞ。

朝まで⑥

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/03 21:01 投稿番号: [3161 / 7270]
国体思想が広がるなか国家理性が失われていく

姜    1935年(昭和10年)にいわゆる天皇機関説が、まあダメになります。いわゆる美濃部事件が起きて。

田原   天皇機関説ってのは、要するに、さっきのハンコを押すだけっていうことですね。

姜    国家の内部に天皇もいて、天皇は国家のひとつの機関に過ぎないと。

田原   国家のひとつの機関。最高機関ですね。

姜    ところが東京大学法学部の穂積八束さんとかいろいろ出てきてですね。いわば天皇っていうのは国家そのものであると。それに対して北一輝が反対するわけですけども。
  やっぱりこの国体思想というのは、たとえば江戸時代の水戸学から出てきて、それから明治憲法、教育勅語もそうですね。まあそこまでは百歩譲って、ある種の健全な国家の建設があったとしても、少なくとも1930年代になると、やっぱり国体明徴運動が出てきて、ある意味で、大衆を煽り立てたナショナリズムに逆にエリートたちが煽られていくというか、そういう構造があると思うんです。

田原   東大がやっぱりよくないね。東京大学ってのは日本にロクなことをしない。いまもそうだけど。まあいいや、どうぞ。

姜    そのとき大切なことは、国体という、なんかわけのわからないもののなかでみんなが動いていくわけです。それぞれのブロックのなかには確かにおっしゃるとおり、それなりにエリートで、ある程度理性的な判断のできる人がいたかもしれません。しかし構造的には国体のなかでみんな動いていくし、大衆はそのナショナリズムによって煽られていく。たとえば日比谷事件のように、そういうものはやっぱり全国的にある。

田原   日比谷事件というのは、日露戦争のときの話?   日露戦争を終らせたポーツマス講話条約に反対する民衆が、警察署や派出所などを焼き討ちした。

姜    そうです。そういう構造ですよね。
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