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Re: >善悪抜きのクールな解説①

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/14 01:48 投稿番号: [3184 / 7270]
>前代の王朝を追いやった勢力は攻めた時点では「蛮族」で、覇権を握った時点で(あるいは覇権を握る条件として)
>中華思想に染まっていったのでは?(平安時代、平家が公家風に染まったように)

兎亀さん、中国についてはこのカテにも相当な知識を持った方が大勢いらっしゃいますし、私は高校の教科書程度の知識しかありません。
講釈を述べるほど厚顔でもありません。
これは、東亜さんにでも分析して貰いたいですね。(笑)

>当時の「軍事的な恫喝」はその程度(ペリーの黒船)のものが一般的な事例だったのでしょうか?
>ならば「帝国主義列強の軍艦外交」の「恫喝」イメージを改めなければなりません。
(航海も長いしなあ、海賊も出たかもしれんし・・護身用拳銃程度の感覚の装備だったのかな)

1853年のペリー来航の前、1846年にアメリカ合衆国東インド艦隊司令長官ビッドルが、アメリカ議会の「日本は開国すべし」という要望を背景に、政府の訓令を受けて、軍艦2隻で来航します。
ご存知のように、アメリカは捕鯨船の避難場所、遭難者の救助、燃料や水食糧の補給地として日本の開国を迫っていたのですが、このとき旗艦には大砲83門、小銃800挺、短銃800挺、水兵800人、もう一隻には大砲24門、水兵200人が乗り込んでいました。
房総から相模の警備に各藩が「すわ戦」と出動し、武州忍(おし)藩主松平駿河守も家臣数千を率いて出陣したが、藩士の家族は水盃を交わし、涙を流して見送ったという状態です。
しかし、ビッドルは幕府に通商を求める願書を提出し、幕府が鎖国が国法であるから願いは聞けないと返書すると、あっさりと了承して帰国したのであります。
これはビッドルが日本に開国の意思の有無を確かめるのが任務と勘違いしたためで、当然アメリカ国内で問題となり、ペリーの派遣となる訳ですね。
つまり、砲艦外交といっても、軍事的威嚇だけでなく、本格的な交渉で強硬に出る、粘ることが必要です。
そして、その国にそろそろ開国しようかなという気運がないことには、脅しと交渉だけで開国はできないと思いますが。

中国、インドシナ諸国やインドネシアが、どのような砲艦外交をやられたのかと比較できれば面白いですね。

なお、ビッドルの前年に、日本人漁民の漂流者22人を救出したアメリカの捕鯨船マーカトル号が来航します。
船の状態は、「鯨の油を取る大鍋が三つ、武器類はなく鯨を突くモリが100本、食事はブタと薩摩芋を日に三度食べ、船中にブタが10匹ばかりいてこれを殺して食べていた」ようです。
鯨が一杯いるのに、どうして捕らないのかと聞くと、まず日本人を送り届けてからという返事でした。
日本人漂流民には大変親切で、日本人を降ろして水と食糧を受け取って出航しました。
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