朝まで⑫
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/03 22:18 投稿番号: [3167 / 7270]
姜尚中
討論に参加して感じ考えたこと
番組を終えて痛感したのは、新しい世紀になっても依然として前世紀の戦争の記憶に縛られている日本とアジアの現実の重さである。「未来志向」の美辞麗句をどんなに連ねても、戦争の記憶の重さがそれを許さないことにあらためて気づいた次第である。
しかしここで考え直してみたいのは、果たして戦後の日本は、戦争の悲惨な現実にどんな責任をとろうと真剣に考え、苦闘してきたのか、ということである。厭戦気分がどんなに痛切であったとしても、やはり「他者」としてのアジアの多くの民衆を蹂躙した経験を我が身の悲惨に照らして追体験するよりは、ヒロシマ、ナガサキの記憶や満州引き揚げ、シベリア抑留など、戦争の結末がもたらした「被害者意識」の痛切さがなによりも際立っていたのではないか。その上、敗戦と占領体験が加わり、「被植民地化」に似た、あるいはそのよりももっと屈折し鬱積した「被害者意識」が蔓延し、そして戦後もそのトラウマをもたらした米国という「厳父」に逆らえない「息子」のいじましいほどのコンプレックスが近隣のアジア諸国に吐き出されている気がしてならない。
日本の戦争を見直すとは、とりもなおさずそうした自分たちのねじれた意識――より上位の力に「被虐」的でありながら、足下の近隣諸国には「加虐」的で横柄な態度をとることを恥じない両義的な姿勢――を問い直すことでなければならない。しかし実際にはますますそうした自民族中心的な居直りが強くなっているように見受けられてしかたがない。しかもそれは結局より上位の権力に従属せざるをえないのであるから、表面の強がりとは裏腹に「従属的ナショナリズム」としかいいようのない代物である。たとえ、「ノーといえるニホン」と叫んでみても、その内実は変わっていないのである。そこに新しい世紀を迎えても、依然として新しい展望を開くことができない日本のジレンマがある。
これは メッセージ 3166 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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