Re:やさしい日本人①
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/12/08 22:11 投稿番号: [3174 / 7270]
>「梅棹忠夫編著」とありましたが
>「戦争・軍隊・植民地」の執筆者は園田英弘とありました。
これは勘違いしていました。訂正します。
>まあ、もともとが「日本文明」を外国人に説明するために書かれた小冊子ですから、
>読んでおけば、外国人とのやり取りの際、場合によっては何らかの「自己防衛手段」になりそうな本です(高校生などには有効かな?)
確かに、日本を帝国主義、侵略的といいながら、それは欧米より学んだことであり、その支配は過酷でなかったと巧妙に表現しているようですね。
でも、こういう紋切り型の書き方をされると、誤解を生むと思うんですよ。たとえば、
>>1875年の江華島事件は、ペリーが日本になしたのと同じことを朝鮮になした事件であった。すなわち、軍事的な恫喝による開国の要求である。
ペリーの黒船以前に、外国軍艦による開国要求事件が沢山あります。
アヘン戦争での清の敗北を、江戸幕府も知っている。
つまり、そろそろ鎖国から開国に切り替えて、外国と交易関係を結んだ方がいいんじゃないかと幕府は思っている。
その時にペリーの黒船がきた。
もちろん、ペリーは空砲を撃ったりして脅迫していますが、町人は黒船見物目当ての屋台まで出て、のんびりしたものです。
そして日米交渉も殺気立ったものではありません。
これと同じように、朝鮮でも仏・米軍と戦闘を交えた鎖国派の大院君から、開国派の閔氏政権へと変わった。
その時期に、日本が軍艦を使って国交を迫った。
それを単純に、「軍事的な恫喝による開国の要求」と書くと、歴史の真実が見えて来ないと思います。
>>古来、東洋の国際的平和は、文明のセンターとしての中国の絶対的な文化的・経済的・政治的実力を前提として、その周辺の国々は中国に恭順の意を表し、中国はこれらの国々の姿勢を是とし、不干渉主義をとることによってたもたれていた。中華思想という中国中心主義は、けっして軍事的な色彩をもたず、文明の感化力に信頼をおく思想であった
>>日清戦争における日本の勝利は、東アジアの伝統的国際秩序の終末を意味した。この勝利によって、文明のセンターであった中国に対する日本人の劣等意識は、優越感に転じた。
これも何か違うような気がします。「中華思想がけっして軍事的な色彩をもたず」とは言えないでしょう。
中原の軍事的覇権を握った者が中国となり、その周辺国を軍事的に脅迫し続けていたのですから。
朝鮮は中国の侵略を受け続け、千年属国ですぞ。(笑)
この時代、中国が西洋にとって無力な「眠れる獅子」であっただけで。
古代中国は文明センターであったのは確かですが、その後は日本にとってどうだったのでしょうか。
平安時代から日本は中国の混乱と中華思想から逃れるために距離を置き、室町の禅宗文化、江戸初期の朱子学が最後でしょうか。
そして、江戸中期からは蘭学を通じて、西洋の優れた文明、文化、学問の存在を知ることになる。
アヘン戦争で、清の停滞も分かった。
その証拠に、中華思想に染まったままの朝鮮との外交交渉が難航すると、中国に事大する朝鮮に日本は嫌気が差して、植民地化が進むアジア情勢の中で、独立国家としての気概を持てという要求をするがダメ。
結局、その気概が持てない朝鮮のために中国と戦い、併合せざるをえなくなる。
また同様に独立国家の形を失った中国のために、ロシアの侵食で日本が圧迫される。
東アジアの軍事的安定化のために、日本がひとりで奮闘せざるを得なくなる。
その延長線で、アジアを植民地化した米英蘭との対立が出てきた。
という善悪抜きのクールな解説ではダメですか。「新しい歴史教科書」より過激?(笑)
>「戦争・軍隊・植民地」の執筆者は園田英弘とありました。
これは勘違いしていました。訂正します。
>まあ、もともとが「日本文明」を外国人に説明するために書かれた小冊子ですから、
>読んでおけば、外国人とのやり取りの際、場合によっては何らかの「自己防衛手段」になりそうな本です(高校生などには有効かな?)
確かに、日本を帝国主義、侵略的といいながら、それは欧米より学んだことであり、その支配は過酷でなかったと巧妙に表現しているようですね。
でも、こういう紋切り型の書き方をされると、誤解を生むと思うんですよ。たとえば、
>>1875年の江華島事件は、ペリーが日本になしたのと同じことを朝鮮になした事件であった。すなわち、軍事的な恫喝による開国の要求である。
ペリーの黒船以前に、外国軍艦による開国要求事件が沢山あります。
アヘン戦争での清の敗北を、江戸幕府も知っている。
つまり、そろそろ鎖国から開国に切り替えて、外国と交易関係を結んだ方がいいんじゃないかと幕府は思っている。
その時にペリーの黒船がきた。
もちろん、ペリーは空砲を撃ったりして脅迫していますが、町人は黒船見物目当ての屋台まで出て、のんびりしたものです。
そして日米交渉も殺気立ったものではありません。
これと同じように、朝鮮でも仏・米軍と戦闘を交えた鎖国派の大院君から、開国派の閔氏政権へと変わった。
その時期に、日本が軍艦を使って国交を迫った。
それを単純に、「軍事的な恫喝による開国の要求」と書くと、歴史の真実が見えて来ないと思います。
>>古来、東洋の国際的平和は、文明のセンターとしての中国の絶対的な文化的・経済的・政治的実力を前提として、その周辺の国々は中国に恭順の意を表し、中国はこれらの国々の姿勢を是とし、不干渉主義をとることによってたもたれていた。中華思想という中国中心主義は、けっして軍事的な色彩をもたず、文明の感化力に信頼をおく思想であった
>>日清戦争における日本の勝利は、東アジアの伝統的国際秩序の終末を意味した。この勝利によって、文明のセンターであった中国に対する日本人の劣等意識は、優越感に転じた。
これも何か違うような気がします。「中華思想がけっして軍事的な色彩をもたず」とは言えないでしょう。
中原の軍事的覇権を握った者が中国となり、その周辺国を軍事的に脅迫し続けていたのですから。
朝鮮は中国の侵略を受け続け、千年属国ですぞ。(笑)
この時代、中国が西洋にとって無力な「眠れる獅子」であっただけで。
古代中国は文明センターであったのは確かですが、その後は日本にとってどうだったのでしょうか。
平安時代から日本は中国の混乱と中華思想から逃れるために距離を置き、室町の禅宗文化、江戸初期の朱子学が最後でしょうか。
そして、江戸中期からは蘭学を通じて、西洋の優れた文明、文化、学問の存在を知ることになる。
アヘン戦争で、清の停滞も分かった。
その証拠に、中華思想に染まったままの朝鮮との外交交渉が難航すると、中国に事大する朝鮮に日本は嫌気が差して、植民地化が進むアジア情勢の中で、独立国家としての気概を持てという要求をするがダメ。
結局、その気概が持てない朝鮮のために中国と戦い、併合せざるをえなくなる。
また同様に独立国家の形を失った中国のために、ロシアの侵食で日本が圧迫される。
東アジアの軍事的安定化のために、日本がひとりで奮闘せざるを得なくなる。
その延長線で、アジアを植民地化した米英蘭との対立が出てきた。
という善悪抜きのクールな解説ではダメですか。「新しい歴史教科書」より過激?(笑)
これは メッセージ 3173 (usagigamemaimai さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/3174.html