◆コリア関連書籍◆

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

>南京大虐殺否定論13のウソ

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/06/14 18:48 投稿番号: [1400 / 3669]
http://www.jca.apc.org/nmnankin/ohtani1.html

とくにこれについては、参考文献の出版社が、大月書店と岩波書店。編者が、本多勝一、藤原彰。読む前から内容と結論の分かる本。

藤原彰も死んだので、左翼のなかにも、これで少しは客観的な研究ができるのでは、というひともいる、などという話がどこかにでていた。

文科系の勉強はカルト的なところがある。先生の言うことにさからえない。逆らうと大学の職がない。   法学部なども同じ。

南京大虐殺否定論13のウソ

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/06/14 17:25 投稿番号: [1399 / 3669]
直接コリア関連ではありませんが、南京事件もよく話題になるので。
内容についてはノーコメント、とりあえずこういう本があるという紹介だけ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4760117849/ref%3Dpd%5Fbxgy%5Ftext%5F2/249-9668069-8659524


http://www.jca.apc.org/nmnankin/ohtani1.html

つづき

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/06/08 00:32 投稿番号: [1398 / 3669]
  マリアの家は海辺にあった。広い庭には背の高い椰子の林があり,快い風がその中を吹き抜けてくる。数羽のニワトリを追い回して飛び跳ねていた犬が,わたしのほうを向いて吠えると,その後ろからマリアの母が現れた。近づけば,確かにそこには,五十代の韓国の女の表情があった。しかし,インディオの民俗衣装を身にまとった彼女は,全体としてはやはりどう見ても一人のマヤ族の女としか見えなかった。

  マリアの母親は,小さな時に,韓国からこの土地,メキシコの南,ユカタンまで父に連れられて来たと言った。そしてすぐ父を失い,マヤ族の中で一人で育ったことを話してくれた。

  彼女は,韓国とはどんな国か,韓国の人々は何を食べているのか,韓国は日本とは別の国なのかと,次々にわたしに尋ねた。にもかかわらず,韓国語の単語をうろ覚えに記憶していた。そして,蝶のように飛び跳ねている犬にも,「ナビ」という名を付けていた。ナビは椰子の林の中で,白い砂を蹴散らしながら走り回っていた。

  三十年近くもマリアの母は自分の国の人々に出会うこともなかったので,自分の国の風習も,地理もほとんど記憶にない。それにもかかわらず,自分の国の言葉のいくつかは一所懸命まもり続けて生きているのだ。このことは大いにわたしの心をうった。

  こんなことが縁となり,その一年後のユカタンへの旅の折も,わたしは再びこの母娘の家を訪ねた。マリアは急に大人っぽくなり,母親はますます逞しくなったと感じた。

  それからまた三年たち,旅先でのある日,予告もなしにわたしは彼女たちの家の庭に立っていた。家は静かで活気がなかった。庭もいくぶん荒れていた。出てきた母親は一挙に十年も年を取ってしまったかのようにやつれて見えた。そして重々しい口調で言った。

  ――マリアは数カ月前に死にました。あこがれのスチュワーデスになり,空を飛んで数日目に墜落したんです。

  旅での出会いと別れは,いつもこんなふうである。確かなものは何もない。こんなことを考えていると,目の前の母親も,椰子の林も,犬も,海も,すべてがずっと昔の思い出の一駒のようにさえ思えてきてしまう。

  その数年後,東京でわたしが飼った犬「ナビ」も,今はもういない。二十年の歳月はやはり長いのだ。

  そして今も確かに記憶の中で生きているあの旅先での景色といえば,わたしの目の前に立っている一人の少女のみとなってしまっているのである。


西江雅之編『日本の名随筆別巻51   異国』(作品社,1995)

  50カ国語を操るという噂のある文化人類学者西江も,韓国語はできなかったらしい。新潮文庫に彼の半生記『わたしは猫になりたかった』がある。

西江雅之『プログレッソ』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/06/08 00:29 投稿番号: [1397 / 3669]
  東京郊外のK町には,どこか国籍不明の雰囲気が漂っている。

  その町の雑踏の中で,一人の少女が,汗ばんだ浅黒い腕に小型の犬をしっかりと抱いていた。

  しなやかそうな少女の腕と,簡素な袖無しシャツでおおわれた胸と,肩の下までゆったりと下がっていく豊かな黒い髪の間で,明るい茶色の長い毛に全身をおおわれたその犬の腹が,大きく波打っていた。

  酷暑である。外側からは見えないが,胸にうずまった犬の顔の先では,尖った口がなかば開き,赤い舌が熱気を帯びた息を小刻みにハッハッと送り出しているのが手にとるようによくわかった。

  と,突然,その犬が,少女の胸のあたりをひと蹴りするような動作をしたかと思うと,身軽に地面の上に飛び下りて,わたしの足元をまるで蝶々のように軽やかに飛び跳ねたり,じゃれついたりしはじめたのだった。

  その時になってはじめて見えた十四,五歳のその少女の顔は,程よく陽に焼けていた。健康な美しさが,顔の表情のみではなく,からだのすみずみにまであふれていた。少女は明らかにアジア人だった。しかし,どこかヨーロッパ人の血が入っているようにも思えた。

  その顔は,瞬間的に,わたしがメキシコの南のはずれ,ユカタン半島のプログレッソで出会った一人の少女を思い出させた。そしてその犬は,メキシコの少女との出会いが縁で「ナビ」と名付け,東京の自宅で飼っていたわたしの犬を思い出させた。「ナビ」とは韓国語で,「蝶々」を意味する単語なのである。

  ――うちにもこれとそっくりな犬がいたんですよ,
と,わたしは思わずその少女に言った。それに答えるかのように,少女は澄んだ黒い瞳に,はにかみの表情を見せて,無言のまま微笑んだ。それはプログレッソの少女,マリアそのものだった。

  プログレッソの海岸には,カリブの海の波が打ち寄せている。暑い陽ざしの中の重い空の青と,重い海の青が,浜辺で遊ぶ陽焼けした人々をおしつぶしそうに見える。

  海岸を少し離れると,気が抜けたような陸地の景色が見えてくる。何もかもが乾燥していて,まばらに生えている細い灌木も,暑さの中で活気がない。気だるそうに走る車が,路傍の野草に,白い土ぼこりをふりかけて通り過ぎていく。

  行く手に小さなパン屋があり,そこを覗き込んでいると,「同郷の人!」と,軽くはずんだ声をかけられて,わたしはマリアと知り合った。

  ――母があなたと同じ国の人なんです。会えばきっと母は喜びますよ。父はノルウェー人の船員だったけど,わたしの半分は韓国人なのよ,
と,マリアは言う。

  わたしは韓国人でもないし,韓国の言葉も話せない。そのことをマリアに説明したのだが,それは彼女には意味がなかった。しかし,わたしはヨーロッパ人でもないし,マヤ族でもない。それに考えてみれば,彼女とほぼ同じ身体特徴を持つ人間だ。それだけでも同郷の人と言えるではないか。この土地で育ったマリアは,わたしのような人種を見たことがないのだろう。

>>オマエラ軍隊シッテルカ

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/06/06 23:26 投稿番号: [1396 / 3669]
イ・ソンチャン『オマエラ,軍隊シッテルカ!?   疾風怒涛の入隊編』

  顕忠日の今日,読了しました。

  これ読むと,兵役をすませた韓国男児に尊敬を覚えますな。
  よく,軍隊に行ってないやつは半人前といわれますが,それも頷けます。

  厳しい訓練や,不条理な仕打ちに対する怨み節だけじゃなく,ユーモアのある巧みな筆致で一気に読ませる。なかなか感心しました。

  でも,軍隊は,肉体の鍛練や精神力涵養などのいい面ばかりじゃなさそうですな。

  例えば,次のような塹壕堀りの訓練で…。

  下士(上官)が,命令を下す。
「1時間30分で掘れ。俺が直接,出来具合を確認して点数をつける。出来の悪いのはオル・チャリョ(罰のしごき)!   立派な塹壕を掘ったチームには,それなりの待遇をする。実施!」
  4人のチームで掘るのだが,僕らのチームに図体のでかい江原道出身の訓練兵がいた。途中で一服しようと言っても,「いや,ダメだ。どうせやるなら精一杯やらなくちゃ。中途半端なのは大嫌いだ。無意味な作業でも,やりのけたら爽快な気分になれる。どうせやるなら一等にならんとな」といって,休まず堀り続ける。
  見るからに逞しい筋肉美。その掘り方も「シャベル三段」程度の師範レベルだった。その結果,僕らの塹壕は4人が入っても見えないくらい深く掘ることができた。もう十分すぎるほど掘ったのに,彼はなおも掘りつづけた。掘り出した土で周囲に遮蔽物を作り,偽装用の草木をむしってきては,手当たり次第に植えていった。
  汗をダラダラ流しながら完璧な塹壕を作り,ついに検査を受ける時間になった。それまで居眠りしていた下士が,寝ぼけた顔で起き上がった。そして,その場所に立ったまま,辺りを360度見回すと大声をあげた。
「よーし,時間だ。それまで!   ご苦労だった。これで,塹壕の掘り方もわかったと思う。では,掘り起こした土で塹壕を埋め,この場所に4列横隊で集合する。二分ですませ。実施!」

  バカバカしい一日だった。いい加減なことが大嫌いという江原道の訓練兵は,今まで誰にも見せたこともない脱力感をあらわにし,塹壕を一人で見つめていた。そして,あきらめるようにして塹壕を埋めなおした。


……

  こうして,韓国の若者は,正直者が馬鹿を見るということを身を持って知り,職人気質を育てる機会を失っていくわけです。

こちらも

投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2003/06/06 02:55 投稿番号: [1395 / 3669]
ついでにup

>>芝五郎中尉の朝鮮旅行

投稿者: kitunetuki38 投稿日時: 2003/05/27 22:32 投稿番号: [1394 / 3669]
柴五郎の間違いでした。赤城先生の書き込みをみるまで間違っていたのに気がつきませんでした。さらに北清事変の時は中佐です。

小説の中の朝鮮民衆はここの書込みとかわりないような描かれかたです。役人が横暴きわめるとか、民衆が蓄財しても両班になんやかんやと難癖をつけられて取り上げられてしまうので金を貯めることをしない、男子を産んだ女性は誇らしげに両乳をだしているとかです。
ちょっと気になるのは日本領事がとても横暴であった、領事館員の対馬人が朝鮮人にたいし横柄であったということです。日清戦争前で日本が国際社会で海のものとも山のものともつかない頃からいちぶには朝鮮にたいしての蔑視があったのでしょうか。

>芝五郎中尉の朝鮮旅行

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/05/27 12:01 投稿番号: [1393 / 3669]
柴は、「明治20年より毎日日記を怠らず」らしかったので、この日記があると面白いとおもいますが、見つかったのでしょうか。

中国と中国人には理解と親近感を持っていた柴が朝鮮人に対してどのような感情をもっていたのかは大変興興味深いところです。

知中派で、親中派だったのですが、では、朝鮮にたいしては、ということです。

明石元二郎を書いた杉森の[錆びたサーベル]は、朝鮮民衆の生活について結構うそかいてますね。

芝五郎中尉の朝鮮旅行

投稿者: kitunetuki38 投稿日時: 2003/05/27 09:16 投稿番号: [1392 / 3669]
映画「北京の55日」で伊丹一三が演じた芝五郎大佐の伝記「守城の人」村上兵衛著を読みました。この中で明治21年に北京から釜山まで旅行しているのですが李朝末期の役人、民衆の生活が描かれていて面白いのですが、村上氏の筆がどの程度入っているか判りません。一次文献として芝五郎の参謀本部への報告書とか回顧談とかありましたらご教示ください。あるいは出身地の会津で郷土出身者の伝記などで其の部分が判ると面白いと思います。なんと言っても外国人の旅行記ではなく日本人による観察記録は我々の感性にぴったりくるのではないかと思うのです。

子豚の姿煮

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/05/18 13:50 投稿番号: [1391 / 3669]
光州名菜・児猪(エジョ)、おいしそうですね。
結婚式とか特別な宴会などの料理なのでしょうね。
いちど食べてみたい。

中華の子豚の丸焼きは北京ダックみたいに表面に水飴を塗ってテカテカに焼いたやつ。

スペインの地方料理とかにも子豚の丸焼きローストがありますね。
いちどウエイターが子豚の丸焼きを披露しに来て、それから一人分ずつ切り分けてくれます。

光州名物、子豚の姿煮

投稿者: trebison 投稿日時: 2003/05/18 13:33 投稿番号: [1390 / 3669]
槇浩史「韓国名菜ものがたり」(鎌倉書房)も同じようなことを書いています。

>食肉類の中で、最も庶民的な肉は豚肉といえよう。韓国でもむかしから農村では、結婚式やお葬式、大きな宴会の時には大勢の客を接待するため、豚を殺して料理を作ったのであった。今日でも例外ではない。

この豚のゲテ物料理として光州名菜・児猪(エジョ)、子豚の姿煮を挙げています。中国に子豚の丸焼きがあるのに対し、韓国では煮るのだそうです。

>児猪料理に使われる子豚は、普通、生まれて一年足らずのものが最も美味しいといわれる。そのため、一般家庭では祖先の祭祀(まつり)の時だとか、節句の時期にあわせて育てるのだが、子豚は毛が真っ黒な土産種のもので、やっと乳離れになったものを殺す。「エジョ」を作るときは、腹を割いて内臓を取り出したあと、これに沸騰水をかけて毛を全部抜いてから、丸ごと釜の中に入れ、三、四時間煮る。

また全羅南道谷城郡石谷の焼豚も肉が柔らかくて名菜になっています。

伊藤亜人『アジア読本 韓国』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/05/18 10:35 投稿番号: [1389 / 3669]
地理学者J・ブズー・マサビュオーによれば、1938年の朝鮮半島の畜産状況は、
牛類180万頭
豚150万頭
山羊45000頭
羊25000頭
馬45000頭

この数字は、日本の牧畜奨励策によって達成されたもののようで、「日本は牧畜をさらに発展させようと試みたが、農民の伝統に反することであったので、失敗に終わった」とのこと。

また、世界的に見て非常に高い人口密度をとりあげ、
「山岳地では、伐採の後に荒地が残り、雨に曝された不毛の傾斜面はヨーロッパの温暖な牧草地とは程遠い状況なので,牧畜には不向きである。だからといって平野部で牧畜を行うことは、(農産物のかわりに肉や乳製品を生産すると)1ヘクタール当たりのカロリー生産量が5分の1に減少する点から考えても適当とは言えないのである。言葉をかえていえば、朝鮮では家畜を計画的に飼育しないおかげで人口密度の高い国民がその国土で生存できるのである。」
(J・ブズー・マサビュオー『新朝鮮事情』白水社1985)

文化人類学者の伊藤亜人によれば、朴大統領がセマウル運動の指針として打ち出したもののなかに、儀礼(祭祀=法事)の簡素化があったが、それは、儀礼のたびに行われる「飲福」(親族や近所の人々への飲食のふるまい)を浪費とみなして、それを抑制するためのものであった。
「儀礼のあとの飲食が、村人にとっては動物性タンパク質を摂取する貴重な機会となっており、また休息と娯楽、情報交換と信頼の維持にとっても欠かせないものとなっていたことを忘れてはならない。結婚式、葬式、還暦の祝いなども回数こそ少ないが、同様の機会となっていた。
  もともと豚はどの家庭でも主婦の手によって野菜屑やご飯の残り物とフスマなどで育てられており、市場に出して数少ない現金収入となっていたもので、こうした儀礼の機会以外には村で消費することはなかったのである。つまり、村における豚の消費を意味づけ秩序づけていたのが、実はこうした儀礼だったのである。」
(伊藤亜人『アジア読本   韓国』河出書房新社1996)

先に
>だから豚食は盛んではなかったのでは?
と書いたのは、トンデモでした。
排物崇儒の朝鮮時代には、肉食に対するタブーはなかったものの、諸々の理由から牧畜はあまり盛んではなかったが、そのなかでは、農村家庭で手軽に飼える豚、鶏、家鴨、犬の飼育が多かった。牛は、主に農耕用であった。馬は食べなかった。
葬式や祭祀(チェサ=儒式の法要)のあとの宴はそのような希少な肉食の数少ない機会であった。

豚は、もっとも一般的な肉食対象だったようです。
ただ、今回も「葬式や法要で、豚の頭を供物として捧げる」という点は、確認できませんでした。

>>>豚の頭(続き)

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/05/17 23:33 投稿番号: [1388 / 3669]
>豚の飼育で名高いのは満州、女真、またその祖先である勿吉や「まっかつ」などツングース系の民族

モンゴルなど、遊牧民は豚を飼いませんね。群れを作らないから。

>ただ新羅に起源を持つ韓国で、高句麗系の食習慣や祭祀が行われていたか

韓国では高麗時代に仏教が国教となった関係で、一時的に肉食が途絶えた。
それが復活したのは、モンゴルによる支配を受けた後です。
だから豚食は盛んではなかったのでは?

そういえば、モンゴルが好んだ羊食が定着しなかったのも不思議。

>韓国で中国儒教式の葬儀が受容されなかったといえるのか、

面白いテーマですね。

>>豚の頭(続き)

投稿者: trebison 投稿日時: 2003/05/17 23:24 投稿番号: [1387 / 3669]
>高句麗時代には陰暦3月3日、狩りのときに豚と鹿を捕らえて祭祀を行い

この記述でふと気付いたのは、アジアでは豚肉食は一般的ながら、史上豚の飼育で名高いのは満州、女真、またその祖先である勿吉や「まっかつ」などツングース系の民族だということです。勿吉などは豚の脂身を体に塗って、寒さを防いでいたと中国の史書にあります。ツングースの系譜を受け継ぐ高句麗でも豚は盛んに食べられ、祭りにも用いられていたことは間違いないでしょう。
ただ新羅に起源を持つ韓国で、高句麗系の食習慣や祭祀が行われていたかとなると何とも言えない気がします。
またあれだけ儒教を徹底的に受容した韓国で中国儒教式の葬儀が受容されなかったといえるのか、まだ半信半疑です。
もちろん、SF作家を信用しているのではありませんが。

>豚の頭(続き)

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/05/17 22:25 投稿番号: [1386 / 3669]
金星百科事典の「豚」の項から

【民俗】昔から祭天(天を祭ること)の生け贄として使われ、たいへん神聖視された。高句麗時代には陰暦3月3日、狩りのときに豚と鹿を捕らえて祭祀を行い、朝鮮時代には冬至後3番目の未の日を臘日と定めて大きな儀式を行い兎と豚(猪)を供物として使った。今もクッや洞祭で供物として使っている。

ここで、クッというのはムーダン(巫女)の行う儀式、洞祭というのは村の守護神に無病息災、豊年を祈る祭。

儒教との直接的な関係はないようです。


やはり、葬式や法要との関係はなさそう。

豚の頭(続き)

投稿者: trebison 投稿日時: 2003/05/17 21:47 投稿番号: [1385 / 3669]
沖縄はともかく日本本土では豚の頭は食べないから、写真をみるとグロテスクなものですが、アジアでは特異な感覚なのかもしれません。

張競「中華料理の文化史」に次のような記述があります。

>神や先祖にささげる生贄は本来丸ごと供えなければならない。しかし、牛や豚のように大きい動物は丸ごと調理するには不便が多い。そのためか、後に簡略化して頭部や胴体、脚の部分を大切りにして丸ごと調理して供えるようになった。
仏教が入ってからもその習俗は継承された。近代になっても、肉親の葬儀や、自宅での忌日の法要をするときには、丸ごと料理した鶏や家鴨が使われていた。

>供え物は神が先に食べ、その後人間が食べるべきものである。現代では牛、羊の内臓や、豚の首、足や脳味噌などを食べている、、、。

やはり中国でも葬式や法要で豚の頭も供えていたし、現代でも豚の頭を食べることはあるようです。
そうだとすれば、朝鮮王朝時代には儒教式に豚の頭を供えることもあったのかもしれません。特に王陵などでは。
現代韓国の葬式ではもうそういうことはしないのかも知れませんが、伝統的には豚の頭を供えていたといえるのかもしれません。いつの頃からか豚の頭は縁起かつぎにしか供えなくなったのでしょう。
また中国人が食べるのであれば、韓国でも豚の頭を食べていたことも充分考えられることです。

>>>豚の頭

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/05/17 20:45 投稿番号: [1384 / 3669]
写真を入手しました。

http://www1.odn.ne.jp/~cbg12870/topics10001.jpg

教えてください!!!

投稿者: natahaole 投稿日時: 2003/05/16 16:47 投稿番号: [1383 / 3669]
「日本の女が韓国男が好きな10の理由」って本があるらしいですが、何なんですか?その本。10の理由って何だよ?って思ったんですが1〜10まで誰か教えてください。なんか無根拠なのか、根拠があるのか…。

>>豚の頭

投稿者: trebison 投稿日時: 2003/05/16 16:36 投稿番号: [1382 / 3669]
>の頭は「告祀」といって,「一身や一家の厄運を祓い繁栄を神霊に祈願する祭祀」のときによく使う。

>近な韓国人に聞いても,「葬式や法事」には使わないと言っていた。

SF作家なんか当てにはならないから、「告祀」と法事を間違えたのかもしれませんね。もしそうだとすると、豊田有恒はとんでもない誤解を撒き散らしていることになる。

ただ「豚の頭」という格好の話題を提供してくれたことにはなります。私も中国などで豚の頭を食べるのか、葬式の供え物にするのかどうか、調べてみます。

テジテガリ

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/05/16 13:58 投稿番号: [1381 / 3669]
うーん,食べることが目的じゃないから,必ず食べるというわけでもないでしょう。

韓国人に聞いたら,田舎ではきっと食べるでしょう,とのこと。

ゆでた状態で売ってるので,豚足食べるときの要領で食べるんじゃないかな。

耳は,よく豚足やスンデの店でもでますね。

呼び方はテジモリあるいはテジテガリ。


豚は縁起のいいものとされてるようで,初夢に豚が出てくると吉兆だそうだ。

貯金箱が豚なのも,関係あるかも。

豚の頭

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/05/16 11:58 投稿番号: [1380 / 3669]
厄払いの祭祀の飾りにするだけで捨てちゃう訳じゃないですよね?
豚の頭ってどうやって食べるんでしょうか?
また、あれを何と呼べばよいのでしょうか?
テジモリでいいのかな?
bosintangさんは食べたことありますか?

沖縄あたりでもよく市場で豚の頭を売っていて、耳はミミガー、顔はチラガーと言って食べるようですが。

ちなみに琉球方言のチラは本土で言うところの面(ツラ)と同源のようですが、これは余談。

>豚の頭

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/05/16 11:24 投稿番号: [1379 / 3669]
よく市場などで売ってますね。

だけど

>葬式や法事には、豚の頭がかかせない。

これは違うんじゃないかなあ。

豚の頭は「告祀」といって,「一身や一家の厄運を祓い繁栄を神霊に祈願する祭祀」のときによく使う。

厄払いですな。

笑った顔のものが好まれるらしい。

身近な韓国人に聞いても,「葬式や法事」には使わないと言っていた。

豊田有恒の韓国紹介本

投稿者: trebison 投稿日時: 2003/05/03 18:25 投稿番号: [1378 / 3669]
SF作家、古代史小説家として有名な豊田有恒が昨年「いま韓国人は何を考えているのか」とい新書を出した。彼は昔から韓国マニアとしても有名だが、最近はどこかの大学教授をしているらしい。
この本に書いてあることはほとんど常識ばかりで、買って損したが、ひとつだけ意外な事実を発見した。以下引用。

>韓国の葬式。法事はふつう儒教にのっとって行われる。儒教は仏教と違って殺生禁断というタブーがない。それどころか、積極的に動物の肉を食べる。葬式や法事には、豚の頭がかかせない。

韓国の葬式など見たことがないし、紹介もされないので知らなかったが、葬式に豚の頭を供えるというのは日本人にとってはショックだ。これだから日韓文化摩擦はいつまでたってもなくならない。韓国では墓地の前に肉屋が多いそうだ。

>>>「愛と憎しみの韓国語」

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/04/23 23:48 投稿番号: [1377 / 3669]
>性器を使った悪口は記憶にないなあ。

原本が手元にないんで、それを引用した投稿を。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=4z9qa5aba5fa54a5ja4kbb22ca47a4bfa43a 4ha4a2a4kbfma1a2a43a43a4g&sid=1835396&mid=455

ここでは、一つだけか。

ついでに

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=4z9qa5aba5fa54a5ja4kbb22ca47a4bfa43a 4ha4a2a4kbfma1a2a43a43a4g&sid=1835396&mid=460

>>「愛と憎しみの韓国語」

投稿者: trebison 投稿日時: 2003/04/23 23:35 投稿番号: [1376 / 3669]
おや、あの本読まれましたか。
ちょっと珍しかったので書き込んでおきましたが、辛淑玉はそんなに好きな著者ではありません。話が散漫、雑駁でしょう。

>わが民族の悪口についての考察

ですか。最近は韓国語の本を読んでいないので、こんな長いのは見るだけでゾッとしてしまいます。

>長璋吉『私の朝鮮語小辞典』

昔読んだことがあります。結構おもしろい本だったですね。出版は1985年ですか。もっと前だったような気もしますが。
罵り言葉の解説もありましたが、性器を使った悪口は記憶にないなあ。

辛の本で一番意外だったのは俳優の米倉斉加年さんが韓服を着てモランボンのコマーシャルに出た話です。子供が学校でいじめられたり、仕事が激減したり結構大変だったという裏話です。最後に説教じみた話を持ってくるのは何となく嫌味な感じもしますが。

>「愛と憎しみの韓国語」

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/04/23 21:12 投稿番号: [1375 / 3669]
trebisonさん、レスが遅れました。

ご紹介の本、今読んでます。

  最近、某トピで、「普通の韓国人たちが日常的に日本人のことを「ちょっぱり」って呼んでる」と主張する人と言い合いしちゃったんですが、『愛と憎しみの韓国語』のなかに、チョッパリを扱ったページがあった。

「いまでも韓国旅行で食堂に入った日本人の客に向かって、定番メニューの一つであるトン足をおいしそうに食べながら聞こえよがしに「チョッパリ!」と声を上げる人が、ごくたまにだがいる。
  ……チョッパリは、朝鮮半島では知らない人はいない常用語である。
  もちろん、「歴史的経緯はあるが、日本人にこんなひどい表現をもう使うべきではない」と批判する韓国人も少なからず存在する」

  みなが知ってる言葉だけれど、公然と使う人は少ない、ってところじゃないでしょうか。

>私は「きれいな韓国語」しか習わなかったので、この本を読んでショックを受けた。えげつない韓国語の悪口オンパレードだ。

  私はすでに長璋吉『私の朝鮮語小辞典』のなかの「罵り言葉辞典」の洗礼を受けてたんで、あまりショックは受けませんでした。むしろ、著者が女性だからか、「性器」を使った悪口が少なかったのが物足りなかったぐらい。

ここの
http://dcslab.snu.ac.kr/~ilhwan/articles/pumped/yok.txt
解説でも、「チョッ」と「シプ」は、悪口の基本とされている。

〈参考〉
長璋吉『私の朝鮮語小辞典』
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=23

どなたか

投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2003/04/17 07:33 投稿番号: [1374 / 3669]
「北朝鮮の歴史教科書」
李東一
を読まれた方はおられますでしょうか?

内容は、
北朝鮮の高等中学校の最終年に学ぶ教科書「偉大な首領金日成大元帥様の革命歴史」の第11章(1980~94)を抄訳したもの
だそうですが、
どれほど荒唐無稽なことが教えられているのか?
と言う意味ではちょっと興味がある。

解説はテリー伊藤が書いているらしい。

既出なら失礼しました。
上げるついでに挙げただけなんで。

>オマエラ軍隊シッテルカ

投稿者: mejiro87 投稿日時: 2003/04/05 03:51 投稿番号: [1373 / 3669]
オマエラ、軍隊シッテルカ!?   疾風怒涛の入隊編

続オマエラ、軍隊シッテルカ!?   愛と憎しみの軍人編

株式会社バジリコ   イ・ソンチャン著


この本、続編も合わせて、両方読みました。読み物としては、結構、面白かったです。
値段も、これだけの分量で、各1600円ですから、お買い得の部類に入るかもしれません。

知人の韓国人留学生に、この本の著者と同じく憲兵隊経験者がいるので、今度、詳しく訊いてみるつもりです。

そういえば、NHK教育TVの「大好きな韓国」の中で、この本の原版を紹介していた四方田犬彦が、同じタイトル「大好きな韓国」のままで、本を出してましたね。

韓国を好きになれる本、教えてください

投稿者: japa_ko_a 投稿日時: 2003/04/04 23:54 投稿番号: [1372 / 3669]
オマエラ軍隊シッテルカ   入門編   読んでいます。
ちょうど韓国の軍隊生活がどんなものか知りたかったので、ちょうどよい本です。
以前は図書館になかったけれど、最近になって入っていたので、借りています。

韓国について知りたいと思い、本を読めば読むほど、韓国について嫌悪感を抱いてしまいます。
日本人が書いた本で、自然と韓国を好きになれる本はありませんか。

オマエラ軍隊シッテルカ

投稿者: kitunetuki38 投稿日時: 2003/03/28 10:28 投稿番号: [1371 / 3669]
オマエラ軍隊シッテルカ イ・ソンチャン著
韓国陸軍はその創設期において旧帝国陸軍の将校であった者が中核を担っていたことは周知の事実ですが、旧帝国陸軍内務班での古兵による新兵いじめまで踏襲し、セミのような物からそれを凌駕する物まで存在しているらしいことが書評に書いてあります。どなたか読んだかたいますか。書評では南は帝国陸軍を、北は天皇制を引き継ついだが、北は本家のそれをすでに越えている、とあったので笑ってしまった。
セミ=新兵を柱に登らせ抱きついたままミーンミーンと鳴せるもの(決して敵性語のSound,soundではありません。念の為)。

ムルデカかぁ〜なつかしいですね。

投稿者: u26699 投稿日時: 2003/03/24 00:27 投稿番号: [1370 / 3669]
あっしも、赤城さんに教えてもらって、観に行きましたね。

もっとも、こっちではかの国の人が多いせいか、わざわざ防府のシネコンまで行ってみました。

確かに、日本映画だから、映画としてのスケールは、ハリウッドに及ぶべくもありませんが、ラストでえらい感動した記憶がありますな〜

「映画瓦版の・・」氏は、大日本帝国嫌いの所謂サヨク氏なんでっしゃろか??感受性が全く違えば、話がかみ合わんのでは??

確か、当時、ヤフーの興業ランキングでも上位3位くらいに入っていたと記憶してます。(少なくとも、ネットでの評価は高かった??)

惜しむらくは、上映期間が短かったのと、上映映画館が少なかった為に、興業収入的には、イマイチだったんですかねぇ、、

つづき

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/03/23 23:47 投稿番号: [1369 / 3669]
  この人が日本語ができるということを知るべきでなかった――そう私が思ったと言う意味は,そのことに甘えて日本語で話す機会が増え,二人ともドイツ語の勉強が乱されるからという理由などではなかった。かれにとっては,母語である朝鮮語を奪い,教育勅語を暗唱させ,宮城遥拝を強いた,その日本のことばが,ドイツ語よりも堪能で,感情の表現により適しているというその屈辱感をおしても,なお日本語を使わざるを得ないし,そのことを百も承知の上で,やはり彼の日本語を聞かねばならぬという私のたちばの気まずさである。

  ドイツ語での口頭発表がうまく行かなかったときなど,かれは,朝鮮が植民地になっていたとしても日本のではなく,いっそドイツのもとにあったら,こんな苦労は味わわずにすんだであろうと言った。こうした感慨には深い根がある。

  日本は,日本語を通じて朝鮮の人たちに何を与えたであろうか。この韓国の学者が言うように,押しつけられた日本語は,その財宝として教育勅語を与えた。一方で,押しつけられたかもしれないドイツ語はゲーテを与えただけでなく,マルクスやエンゲルスも与えたはずだった。



この韓国人学者が「教育勅語」の暗唱を強要されたとするなら,この人は日本で教育を受けたことになる。なぜなら,朝鮮半島で強要されたのは,1936年に植民地のために特別に制定された「皇国臣民の誓詞」だから。
著者は,本文でもこの問題に触れていて,朝鮮半島では教育勅語を暗唱させたうえに,それをもっとやさしくした「皇国臣民の誓詞」をも暗唱させた,というふうに書いているけれど,それは事実と違うはず。
日本に移住(または留学)しておいて,「言葉を奪われた」もないもんだ。

田中克彦『言語の思想』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/03/23 23:46 投稿番号: [1368 / 3669]
J_Fookerさん,あげてくれてありがとう。

田中克彦『言語の思想−国家と民族のことば』(1975,NHKブックス)

韓国とは直接関係のない本だけど,序章に次のような一節があったので紹介。

  いまから10年ほど前(1965年頃)のこと,私はドイツの中世の面かげを残した小さな町で,ドイツ語の集中的な訓練を受けていた。上達の早いアメリカの青年たちの間に混じって,私ともう一人の韓国人の経済学者とは,会話となると,まったく意気があがらなかったのである。私とこの韓国人学者とは,知り合ってかなり長い間たどたどしいドイツ語で,言いたいことの半分もおたがいに通じないままにもどかしくつきあっていた。私は朝鮮語は話せないし,この人も日本語は全く解さないふうだった。韓国にも,日本語の通じない若い世代が形成されたのだ,それは,歴史の当然のなりゆきだと私は思った。そして私たちは互いに,ドイツ語にあのやっかいな冠詞などという邪魔者さえなければ,東洋人にとってもずいぶん楽になるだろうにと,ドイツ語で嘆き合ったものである。

  ところが,あるきっかけから,二人の言語上の関係は破れた。晴れた秋の美しい日に,私たちは路ばたで梨をもいでいる農家のおばさんから梨をひとかかえもらって,とにかく,それをかれの下宿まで運んだのだった。かれの部屋に,数多くの日本語の専門書が並んでいるのを発見して,この人は,やはり日本語も読むだけは読むのだなあと思った。そんな話をしているうちに,この人はさも大切なことを告白するように,「じつは私は日本語がしゃべれるのです」とドイツ語で言ったのである。

私は聞いてはいけないことをこの人から聞いてしまったような,あるいは,言わせてはいけないことを言わせてしまったような気がした。この人はそのことあって以来,ドイツ語よりははるかにらくに話せる日本語を時に使うようになり,あとで別れてからは,かたかなだけの手紙を送ってくるようになった。ドイツ語の訓練期間を終えて,それぞれの大学の研究機関に移ってからも,私たちは同じ小さな村に住んで家族ぐるみのつきあいをするようになった。

とりあえず

投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2003/03/23 05:29 投稿番号: [1367 / 3669]
落ちそうなんで、上げときます。

杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/03/09 22:23 投稿番号: [1366 / 3669]
高崎宗司『植民地朝鮮の日本人』とは正反対の立場から書かれたのが,杉本幹夫『「植民地朝鮮」の研究−日本支配36年,謝罪するいわれは何もない』(展転社,2002)

「日本はよいこともした」論の集大成で,日帝時代の政策を細かに検討し,欧米の植民地,また日本の他の植民地(台湾,南洋)などとの比較を通して,日本統治がけっして暴虐でなかったことを論証しようとする。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a1yyahookoreaffckdca5aba5fa3ra3oa3mb ba3f0la1y&sid=1835396&mid=4247

欧米の植民地との比較は,
若槻泰夫『韓国・朝鮮と日本人』(原書房1989)

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&action=m&mid=615&mid=

日本の他の植民地との比較は,マーク・ピーティ『植民地−帝国50年の興亡』(読売新聞社、20世紀の日本4、1996)

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&action=m&mid=227&mid=

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&action=m&mid=235&mid=

を合わせ読むとよいかもしれない。

植民地経験者の証言としては,呉善花『生活者の日本統治時代』(日朝両方)

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&action=m&mid=194&mid=

鄭大均『韓国ナショナリズムの不幸−なぜ抑制が働かないのか』(小学館文庫,2002
年)がある。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&action=m&mid=1259&mid=

高崎宗司『植民地朝鮮の日本人』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/03/09 22:21 投稿番号: [1365 / 3669]
>瀬島龍三

瀬島龍三といえばシベリア抑留が思い浮かびますが、関連して最近読んだ本を一冊。

高崎宗司『植民地朝鮮の日本人』(岩波新書,2002)

敗戦時,朝鮮半島には38度線の南に約50万,北に約27万,このほか満州からの避難民が12万いたが,38度線の北にいた日本人の末路が悲惨を極めたことは,かつて別のところに書いたことがある。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=4z9qbadfbdbba4nffckdcbfmparta32&sid=1835396&action=m&mid=57&mid=

標題本には,犠牲者の数が淡々と述べられる。
「満州からの避難民を含め,46年春までに,咸興で6261人,平壌で6025人,興南で3042人,鎮南浦で1500人,富坪で1486人,元山で1303人など,約2万5000人にのぼった。」

本書の目的は,「はじめに」にあるように,朝鮮に渡った日本の庶民が侵略の先兵を務めたという日本の植民地支配の特色を実証的に明らかにし,在朝日本人の言動を描き,それらの振る舞いが朝鮮人の目にどう映ったかを考えること,平たくいえば,在朝日本人を「批判的に」検証することである。

ほとんどが,巻末の膨大な参考文献からの引用で構成され,実際に植民地時代を経験した人々の証言が多く引かれる。

特に,開港(1876)以後,併合にいたる期間に半分以上のページが費やされており,この時期について詳しく記述した本が少ない中,貴重である。

ただ,著者は「日本の朝鮮統治が侵略であり,圧政であった」という信念をもっているため,それに符合する証言が好んで取り上げられているうらみがある。

「在朝日本人」をテーマにした本だから,日本人とともに財をなした朝鮮人地主,資本家や,日本に協力的だったいわゆる親日派がほとんど触れられていないのはやむをえないが,意図的な感も免れない。

在日朝鮮人の起源については,金達寿の『朝鮮』(岩波新書)の一例
「24年ころ,5歳だった金達寿がはじめて見た日本人は高利貸しの徳田某だった。彼は「手に猟銃を持ち,猟犬を引き連れて集落にあらわれた」。そして,「祖母や母が泣き叫ぶ中,籾俵を積み出した。ついには,役人がやってきて,家の柱や,家財道具のタンスにまで赤い紙をベタベタ貼って行ったりした。[中略]それが郷里におけるわが家のおわりであった」。金の父は25年,達寿もその後に日本へ渡った。高利貸しの徳田が朝鮮へ渡ることによって,金達寿の一家は日本へ渡るようになったのである」
のみを引き,あたかも在日が日本へ渡ったのは日本人高利貸しのせい,と読者を誤導するかのようである。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=4z9qbadfbdbba4nffckdcbfmparta32&sid=1835396&action=m&mid=106&mid=
実際には,朝鮮人の日本への渡航は,基本的に人口増加のせいである。

このような性格の本だから,冒頭の日本人犠牲者の記述に際しても,犠牲者数を列挙するだけで,そのような犠牲を強いたソ連,北朝鮮への批判,犠牲者への同情はかけらも見られず,むしろ「自業自得」を示唆する書きぶりである。

朝鮮戦争

投稿者: kitunetuki38 投稿日時: 2003/03/02 09:26 投稿番号: [1364 / 3669]
児島襄の朝鮮戦争1、2、3を読みました。
これを読むと李承晩はああいう時期の国の指導者として適格であったかどうか全く疑問を覚えます。国の存亡がかかっているのに自分の権力を保持するため芝居がかったことをやったり政敵を排除するには法律を無視しアメリカ軍の足を引っ張っています。彼が大統領になったその時の状況を詳しく知らないのですが、アメリカは彼が米国に亡命していた事、クリスチャンであったこと、夫人が白人であったこと等で親米というので引っ張って来たのでしょうか。
それと全編にわたって韓国兵のヘタレが印象として残ります。相手が撤退しているときはやたらと強いのですが。北が侵入を開始する前までは米国から供与された戦略物資を北のメンタイコと交換して商売していた将軍がいたりして驚きます。米国も韓国政府の要求どうりに武器を供与しなてなかったのですが或る意味で正解だったのかもしれません。
これはという部分を暇があったら抜き書きします。

新・平成日本のよふけ

投稿者: mdsky74 投稿日時: 2003/02/23 06:22 投稿番号: [1363 / 3669]
に出演して番組で語られたものが本になりました。
よふけは見逃した回もあったのでぜひ買って読んでみます。

http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/yofuke/index.html

>新・平成のよふけスペシャル
「瀬島龍三   日本の証言」

大反響に応えて遂に実現!元大本営参謀・元伊藤忠商事会長の瀬島龍三氏が番組で全9回にわたり語った貴重な人生経験を一冊にまとめた「瀬島龍三日本の証言」が2月22日(土)に発売!!
大本営参謀・シベリア抑留・伊藤忠の企業参謀・行革の政治参謀と激動の時代の中枢で何を見、何を感じ、何を考えたのか。瀬島龍三氏本人の言葉を通して激動の昭和史が蘇る!!

発売日:2003年2月22日(土)
定価:1,400円(税込み)
発行:フジテレビ出版
発売:扶桑社

「愛と憎しみの韓国語」

投稿者: trebison 投稿日時: 2003/02/19 00:23 投稿番号: [1362 / 3669]
著者・辛淑玉(しん   すご)は在日3世の経営者、講演家で、女性問題についての著書が多い。
この本は女性問題の角度から韓国語を切ったというか、男女関係、悪口(ヨッソル)など韓国の人間関係について韓国語を通して語っている。呉善花「チマパラム」とはまた一味違った感じだ。「チマパラム」はもう古くなった感がある。
辛によると韓国人の悪口は相手を攻撃するのではなく、自分の感情の表出だという。だから言い方はきつくても後はカラッとしている。私は「きれいな韓国語」しか習わなかったので、この本を読んでショックを受けた。えげつない韓国語の悪口オンパレードだ。
韓国語を知らなくても現代韓国人論として気軽に読める。
辛淑玉「愛と憎しみの韓国語」文春新書、2002年5月刊、720円

>re>ムルデカみました

投稿者: kojo2050_99 投稿日時: 2003/02/18 08:31 投稿番号: [1361 / 3669]
この映画評論家さんは、極端な人なんですね

>あなたのおっしゃる「感動したという人」はいったいどこにいるの
でしょうか?

少なくとも、わたしは感動しましたけど

アメリカ初めとする戦争映画は自国を鼓舞する意図(ヒューマン・・・なんとかと銘打っても)は必ずあります

日本の戦争映画も日本を鼓舞する部分があっても当然と思います。

>ストーリーの安直さは、『パール・ハーバー』とどっこいですし、演出
のつたなさに至っては映画学校の生徒が作る卒業制作以下です。

確かに、『パール・ハーバー』は茶番でしたね

その茶番アメリカ映画をテレビナで大々的に宣伝して
「感動しました〜」なんて若い人のインタビューをたれ流す
「おいおい、映画の中での日本軍(日本人)の画かれ方に腹立てないの〜」と思いましたね。

>これは同じ東宝系で公
開された『クレヨンしんちゃん』の3分の1、『ドラえもん』の6
分の1、『ポケモン』の7分の1、『千と千尋の神隠し』の55分
の1です。これが現在の日本映画界の姿です。この中で『ムルデカ』
に感動した人が「多かった」と言えるでしょうか?

子供(多くはの目的は)向けのアニメと、大人向けの映画を比較するのは可笑しいと思いますね。

少なくとも私は、多数の旧日本軍人がインドネシアのオランダからの独立に尽力した事実を知っただけでも
「ムルデカ」は良い映画だと思いますし、息子にも見せてやりたいと思ってます。

これからも「ムルデカ」のような、この手の日本映画もめげないで作って欲しいと思います。。。どうしたら観客を呼べるかも研究してね。

Ж Kojo
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)