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田中克彦『言語の思想』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/03/23 23:46 投稿番号: [1368 / 3669]
J_Fookerさん,あげてくれてありがとう。

田中克彦『言語の思想−国家と民族のことば』(1975,NHKブックス)

韓国とは直接関係のない本だけど,序章に次のような一節があったので紹介。

  いまから10年ほど前(1965年頃)のこと,私はドイツの中世の面かげを残した小さな町で,ドイツ語の集中的な訓練を受けていた。上達の早いアメリカの青年たちの間に混じって,私ともう一人の韓国人の経済学者とは,会話となると,まったく意気があがらなかったのである。私とこの韓国人学者とは,知り合ってかなり長い間たどたどしいドイツ語で,言いたいことの半分もおたがいに通じないままにもどかしくつきあっていた。私は朝鮮語は話せないし,この人も日本語は全く解さないふうだった。韓国にも,日本語の通じない若い世代が形成されたのだ,それは,歴史の当然のなりゆきだと私は思った。そして私たちは互いに,ドイツ語にあのやっかいな冠詞などという邪魔者さえなければ,東洋人にとってもずいぶん楽になるだろうにと,ドイツ語で嘆き合ったものである。

  ところが,あるきっかけから,二人の言語上の関係は破れた。晴れた秋の美しい日に,私たちは路ばたで梨をもいでいる農家のおばさんから梨をひとかかえもらって,とにかく,それをかれの下宿まで運んだのだった。かれの部屋に,数多くの日本語の専門書が並んでいるのを発見して,この人は,やはり日本語も読むだけは読むのだなあと思った。そんな話をしているうちに,この人はさも大切なことを告白するように,「じつは私は日本語がしゃべれるのです」とドイツ語で言ったのである。

私は聞いてはいけないことをこの人から聞いてしまったような,あるいは,言わせてはいけないことを言わせてしまったような気がした。この人はそのことあって以来,ドイツ語よりははるかにらくに話せる日本語を時に使うようになり,あとで別れてからは,かたかなだけの手紙を送ってくるようになった。ドイツ語の訓練期間を終えて,それぞれの大学の研究機関に移ってからも,私たちは同じ小さな村に住んで家族ぐるみのつきあいをするようになった。
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