西江雅之『プログレッソ』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/06/08 00:29 投稿番号: [1397 / 3669]
東京郊外のK町には,どこか国籍不明の雰囲気が漂っている。
その町の雑踏の中で,一人の少女が,汗ばんだ浅黒い腕に小型の犬をしっかりと抱いていた。
しなやかそうな少女の腕と,簡素な袖無しシャツでおおわれた胸と,肩の下までゆったりと下がっていく豊かな黒い髪の間で,明るい茶色の長い毛に全身をおおわれたその犬の腹が,大きく波打っていた。
酷暑である。外側からは見えないが,胸にうずまった犬の顔の先では,尖った口がなかば開き,赤い舌が熱気を帯びた息を小刻みにハッハッと送り出しているのが手にとるようによくわかった。
と,突然,その犬が,少女の胸のあたりをひと蹴りするような動作をしたかと思うと,身軽に地面の上に飛び下りて,わたしの足元をまるで蝶々のように軽やかに飛び跳ねたり,じゃれついたりしはじめたのだった。
その時になってはじめて見えた十四,五歳のその少女の顔は,程よく陽に焼けていた。健康な美しさが,顔の表情のみではなく,からだのすみずみにまであふれていた。少女は明らかにアジア人だった。しかし,どこかヨーロッパ人の血が入っているようにも思えた。
その顔は,瞬間的に,わたしがメキシコの南のはずれ,ユカタン半島のプログレッソで出会った一人の少女を思い出させた。そしてその犬は,メキシコの少女との出会いが縁で「ナビ」と名付け,東京の自宅で飼っていたわたしの犬を思い出させた。「ナビ」とは韓国語で,「蝶々」を意味する単語なのである。
――うちにもこれとそっくりな犬がいたんですよ,
と,わたしは思わずその少女に言った。それに答えるかのように,少女は澄んだ黒い瞳に,はにかみの表情を見せて,無言のまま微笑んだ。それはプログレッソの少女,マリアそのものだった。
プログレッソの海岸には,カリブの海の波が打ち寄せている。暑い陽ざしの中の重い空の青と,重い海の青が,浜辺で遊ぶ陽焼けした人々をおしつぶしそうに見える。
海岸を少し離れると,気が抜けたような陸地の景色が見えてくる。何もかもが乾燥していて,まばらに生えている細い灌木も,暑さの中で活気がない。気だるそうに走る車が,路傍の野草に,白い土ぼこりをふりかけて通り過ぎていく。
行く手に小さなパン屋があり,そこを覗き込んでいると,「同郷の人!」と,軽くはずんだ声をかけられて,わたしはマリアと知り合った。
――母があなたと同じ国の人なんです。会えばきっと母は喜びますよ。父はノルウェー人の船員だったけど,わたしの半分は韓国人なのよ,
と,マリアは言う。
わたしは韓国人でもないし,韓国の言葉も話せない。そのことをマリアに説明したのだが,それは彼女には意味がなかった。しかし,わたしはヨーロッパ人でもないし,マヤ族でもない。それに考えてみれば,彼女とほぼ同じ身体特徴を持つ人間だ。それだけでも同郷の人と言えるではないか。この土地で育ったマリアは,わたしのような人種を見たことがないのだろう。
その町の雑踏の中で,一人の少女が,汗ばんだ浅黒い腕に小型の犬をしっかりと抱いていた。
しなやかそうな少女の腕と,簡素な袖無しシャツでおおわれた胸と,肩の下までゆったりと下がっていく豊かな黒い髪の間で,明るい茶色の長い毛に全身をおおわれたその犬の腹が,大きく波打っていた。
酷暑である。外側からは見えないが,胸にうずまった犬の顔の先では,尖った口がなかば開き,赤い舌が熱気を帯びた息を小刻みにハッハッと送り出しているのが手にとるようによくわかった。
と,突然,その犬が,少女の胸のあたりをひと蹴りするような動作をしたかと思うと,身軽に地面の上に飛び下りて,わたしの足元をまるで蝶々のように軽やかに飛び跳ねたり,じゃれついたりしはじめたのだった。
その時になってはじめて見えた十四,五歳のその少女の顔は,程よく陽に焼けていた。健康な美しさが,顔の表情のみではなく,からだのすみずみにまであふれていた。少女は明らかにアジア人だった。しかし,どこかヨーロッパ人の血が入っているようにも思えた。
その顔は,瞬間的に,わたしがメキシコの南のはずれ,ユカタン半島のプログレッソで出会った一人の少女を思い出させた。そしてその犬は,メキシコの少女との出会いが縁で「ナビ」と名付け,東京の自宅で飼っていたわたしの犬を思い出させた。「ナビ」とは韓国語で,「蝶々」を意味する単語なのである。
――うちにもこれとそっくりな犬がいたんですよ,
と,わたしは思わずその少女に言った。それに答えるかのように,少女は澄んだ黒い瞳に,はにかみの表情を見せて,無言のまま微笑んだ。それはプログレッソの少女,マリアそのものだった。
プログレッソの海岸には,カリブの海の波が打ち寄せている。暑い陽ざしの中の重い空の青と,重い海の青が,浜辺で遊ぶ陽焼けした人々をおしつぶしそうに見える。
海岸を少し離れると,気が抜けたような陸地の景色が見えてくる。何もかもが乾燥していて,まばらに生えている細い灌木も,暑さの中で活気がない。気だるそうに走る車が,路傍の野草に,白い土ぼこりをふりかけて通り過ぎていく。
行く手に小さなパン屋があり,そこを覗き込んでいると,「同郷の人!」と,軽くはずんだ声をかけられて,わたしはマリアと知り合った。
――母があなたと同じ国の人なんです。会えばきっと母は喜びますよ。父はノルウェー人の船員だったけど,わたしの半分は韓国人なのよ,
と,マリアは言う。
わたしは韓国人でもないし,韓国の言葉も話せない。そのことをマリアに説明したのだが,それは彼女には意味がなかった。しかし,わたしはヨーロッパ人でもないし,マヤ族でもない。それに考えてみれば,彼女とほぼ同じ身体特徴を持つ人間だ。それだけでも同郷の人と言えるではないか。この土地で育ったマリアは,わたしのような人種を見たことがないのだろう。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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