伊藤亜人『アジア読本 韓国』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/05/18 10:35 投稿番号: [1389 / 3669]
地理学者J・ブズー・マサビュオーによれば、1938年の朝鮮半島の畜産状況は、
牛類180万頭
豚150万頭
山羊45000頭
羊25000頭
馬45000頭
この数字は、日本の牧畜奨励策によって達成されたもののようで、「日本は牧畜をさらに発展させようと試みたが、農民の伝統に反することであったので、失敗に終わった」とのこと。
また、世界的に見て非常に高い人口密度をとりあげ、
「山岳地では、伐採の後に荒地が残り、雨に曝された不毛の傾斜面はヨーロッパの温暖な牧草地とは程遠い状況なので,牧畜には不向きである。だからといって平野部で牧畜を行うことは、(農産物のかわりに肉や乳製品を生産すると)1ヘクタール当たりのカロリー生産量が5分の1に減少する点から考えても適当とは言えないのである。言葉をかえていえば、朝鮮では家畜を計画的に飼育しないおかげで人口密度の高い国民がその国土で生存できるのである。」
(J・ブズー・マサビュオー『新朝鮮事情』白水社1985)
文化人類学者の伊藤亜人によれば、朴大統領がセマウル運動の指針として打ち出したもののなかに、儀礼(祭祀=法事)の簡素化があったが、それは、儀礼のたびに行われる「飲福」(親族や近所の人々への飲食のふるまい)を浪費とみなして、それを抑制するためのものであった。
「儀礼のあとの飲食が、村人にとっては動物性タンパク質を摂取する貴重な機会となっており、また休息と娯楽、情報交換と信頼の維持にとっても欠かせないものとなっていたことを忘れてはならない。結婚式、葬式、還暦の祝いなども回数こそ少ないが、同様の機会となっていた。
もともと豚はどの家庭でも主婦の手によって野菜屑やご飯の残り物とフスマなどで育てられており、市場に出して数少ない現金収入となっていたもので、こうした儀礼の機会以外には村で消費することはなかったのである。つまり、村における豚の消費を意味づけ秩序づけていたのが、実はこうした儀礼だったのである。」
(伊藤亜人『アジア読本 韓国』河出書房新社1996)
先に
>だから豚食は盛んではなかったのでは?
と書いたのは、トンデモでした。
排物崇儒の朝鮮時代には、肉食に対するタブーはなかったものの、諸々の理由から牧畜はあまり盛んではなかったが、そのなかでは、農村家庭で手軽に飼える豚、鶏、家鴨、犬の飼育が多かった。牛は、主に農耕用であった。馬は食べなかった。
葬式や祭祀(チェサ=儒式の法要)のあとの宴はそのような希少な肉食の数少ない機会であった。
豚は、もっとも一般的な肉食対象だったようです。
ただ、今回も「葬式や法要で、豚の頭を供物として捧げる」という点は、確認できませんでした。
牛類180万頭
豚150万頭
山羊45000頭
羊25000頭
馬45000頭
この数字は、日本の牧畜奨励策によって達成されたもののようで、「日本は牧畜をさらに発展させようと試みたが、農民の伝統に反することであったので、失敗に終わった」とのこと。
また、世界的に見て非常に高い人口密度をとりあげ、
「山岳地では、伐採の後に荒地が残り、雨に曝された不毛の傾斜面はヨーロッパの温暖な牧草地とは程遠い状況なので,牧畜には不向きである。だからといって平野部で牧畜を行うことは、(農産物のかわりに肉や乳製品を生産すると)1ヘクタール当たりのカロリー生産量が5分の1に減少する点から考えても適当とは言えないのである。言葉をかえていえば、朝鮮では家畜を計画的に飼育しないおかげで人口密度の高い国民がその国土で生存できるのである。」
(J・ブズー・マサビュオー『新朝鮮事情』白水社1985)
文化人類学者の伊藤亜人によれば、朴大統領がセマウル運動の指針として打ち出したもののなかに、儀礼(祭祀=法事)の簡素化があったが、それは、儀礼のたびに行われる「飲福」(親族や近所の人々への飲食のふるまい)を浪費とみなして、それを抑制するためのものであった。
「儀礼のあとの飲食が、村人にとっては動物性タンパク質を摂取する貴重な機会となっており、また休息と娯楽、情報交換と信頼の維持にとっても欠かせないものとなっていたことを忘れてはならない。結婚式、葬式、還暦の祝いなども回数こそ少ないが、同様の機会となっていた。
もともと豚はどの家庭でも主婦の手によって野菜屑やご飯の残り物とフスマなどで育てられており、市場に出して数少ない現金収入となっていたもので、こうした儀礼の機会以外には村で消費することはなかったのである。つまり、村における豚の消費を意味づけ秩序づけていたのが、実はこうした儀礼だったのである。」
(伊藤亜人『アジア読本 韓国』河出書房新社1996)
先に
>だから豚食は盛んではなかったのでは?
と書いたのは、トンデモでした。
排物崇儒の朝鮮時代には、肉食に対するタブーはなかったものの、諸々の理由から牧畜はあまり盛んではなかったが、そのなかでは、農村家庭で手軽に飼える豚、鶏、家鴨、犬の飼育が多かった。牛は、主に農耕用であった。馬は食べなかった。
葬式や祭祀(チェサ=儒式の法要)のあとの宴はそのような希少な肉食の数少ない機会であった。
豚は、もっとも一般的な肉食対象だったようです。
ただ、今回も「葬式や法要で、豚の頭を供物として捧げる」という点は、確認できませんでした。
これは メッセージ 1388 (bosintang さん)への返信です.
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