鮮于輝2
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/19 23:33 投稿番号: [1261 / 3669]
ある冬の休暇に家に帰ったところが,父は真夜中にひそかに私を起こした。できれば家族にも見られたくない素振りであった。
星空の庭におりたった父は,納屋からツルハシとシャベルをもってこさせて,私を裏の栗林までつれていった。そして栗の大木の地面を指さしながら一緒に穴を掘ろうといった。
私はすぐそれが何を意味するのかを察して,
「お父さんもこういうことをするんですか」
となじった。答えない父に私はおっかぶせた。
「お父さん,こういうことをしていいんですか」
すると父はいった。
「いいも悪いもない。今はそういっている場合じゃない」
それでも私はひるまなかった。学校で教わった通り行うのが善であり,その時の現実をあまり疑わなかった私である。
「お父さん,これは法にたがうことなんですよ」
その時,父の激しい言葉がかえって来た。
「法を守れば飢えて死ぬんだ。死んでまで守る法などあってたまるか」
そうまで激しい言葉を聞くとは露ほども思わなかった私は,さすがに驚いて二の句がつげなかった。
その時の父の脳裏には,骨身に沁むほど経験した李朝末の無法と,日本の戦争遂行のための無法が重なったに違いない。
その後,面書記とか警官が米供出の督促にくると父は普段の「善良な農民」にもどって見るも哀れな表現と卑屈な態度で,
「ナリニム(官吏に対する敬語),私には,他に米一粒残っていません。私は生涯一度も嘘をいったことのない人間です」
と九十度以上に頭を下げたのである。
私が,その父を見て戦慄すると同時に感じたのは,おしひしがれた人間の卑屈さの強度は,不敬さの強度と同じだということであった。
鮮于輝/司馬遼太郎他『日韓ソウルの友情』(中公文庫1988年)
息子と父の葛藤は,以前紹介した在日作家,金時鐘の文章を思い出させます。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&action=m&mid=968&mid=
これは メッセージ 1260 (bosintang さん)への返信です.
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