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任文桓4

投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/20 21:54 投稿番号: [1273 / 3669]
  その後,任文桓は新聞配達夫,人力車夫,牛乳配達夫と職を転々としながら予備校に通い,同志社中学への編入学試験に合格。ところが一学期の授業料が納められない。名前が掲示板に貼り出され,恥ずかしくて学校に行けずにいると,数日後,同胞学生が救いの手を差し伸べてくれた。バウトクの人生は,危機が訪れるたびに不思議と誰かが助けてくれる。二学期からは特待生となり授業料を免除され,また良い友や師にもめぐまれた。3年時の担任,原忠雄は特に彼に目をかけ,仕事の世話までしてくれる。医大教授の自宅の庭園と室内掃除夫である。これで,バウトクの生活は一息つく。高校入試のための時間的余裕を得ただけでなく,家の主人の紹介で後にバウトクを幾度も危機から救ってくれることになるさまざまな名士の知遇を得る。
  その後,バウトクは東京帝国大学に進み,高等文官試験合格という,日本人も羨むエリートコースをひたはしり,1935年には故国朝鮮に赴任,38年には京畿道の郡守に着任する。

「一視同仁の新付日本人というのが,日本国における彼の身分であったが,これは体制上の言い分であって,その実は鮮人(賤人に通ず)と呼ばれるのが一般に通用するものであった。鮮人の中にも金持ちはいたので,その息子達の大勢が,文明開化を慕って日本に留学した。しかし鮮人の中にはもちろん,日本人の中にも,彼のような職業に従事しながら,彼のようなエリートコースを突き抜けた若者は,彼の周囲には一人も見当たらなかった。
  新付日本人である朝鮮人のくせにこれができたのは,彼の努力もさることながら,日本人の援助によるものであった。体制にしいたげられながら,その体制に属する人達から恩顧をこうむった。こうした客観に取りまかれて,小骨を太らせた人間の日本に対する思い出と意識は,複雑にならざるを得ない。つまり愛憎がこんがらがって並存するのだ。(略)
  日本の植民地となり,大日本帝国主義の大陸前進基地の役目を果たしていた故国朝鮮に帰り,日本体制の役人になった彼は,1935年から45年までのまる10年間を,深淵の上でのブランコ乗りとして,曲芸の世界で生き抜いた。というのは,日本体制は,その限りなき膨張のために,彼の同胞である植民地人に限りない犠牲と奉仕を追求した。この追求機関に属していた彼としては,同胞と自分に対する情愛から,その政治的自由を回復するために,彼にできる限りの曲芸を演じて,追求の手をゆるめる工夫をしなければならなかったのである。
  ところが,1945年8月15日,彼の年齢が38歳に達した日から,事態はがらりと変わった。日本の無条件降伏を知って町にあふれ出た彼の同胞達が,到る所に群をなして,独立の歓喜に酔いしれている中で,彼は,親日民族反逆者の群の中の一人として,脱日本の世に圧され,罪を待つ身となった。日本体制の中にあって,生命がけの曲芸に挺身し,小さいものではあったが,同胞の利益を心がけた,と言ってみたところで,聴き入れられるご時勢ではなかったし,その事実を知っている人々の中からも,これを証言してくれるほどの勇気ある人間は,一人も出て来なかった。
  挑戦に対する彼の生涯の応戦は,いつも一人ぼっちであった。やっとのことでそこを切り抜けはしたものの,日本体制の番犬であった人間としての,汚れた履歴書と,無節操漢としての烙印だけは,ついに切り捨てることができず,今日に至るまで彼の一生をますます苦しいものにした」
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