天江喜七郎『息子への手紙』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/04/17 23:42 投稿番号: [99 / 3669]
天江喜七郎『息子への手紙』(学生社1991)
これも在韓国日本大使館に勤務した外交官の手になる書。
勤務中、日本で寮生活を送る高校生の息子へ宛てた書簡形式をとっていることが特色。
以下は、著者が韓国で出会った韓国人に聞いた話の中で、最も印象に残り、心の琴線にふれたものとして紹介された話の内容です。
「1910年の併合以来、最大の反日デモが3・1運動だった。しかし日本官憲の弾圧を受け、1930年以降は「デモや闘争で独立をかちとるのは無理だ」というあきらめムードが広がった。その中で愛国者たちは「日本に協力することで韓国人の地位を上げよう、日本政府に韓国の自治、さらに独立を認めさせよう」との方針転換を行った。もちろん、金九先生のもとでの武力闘争を選ぶ人もいたが、大半の人々は対日協力による独立達成の道を選んだ。戦時には多くの韓国人が率先して志願兵になり、女子挺身隊の召集がかかれば、女学校の先生たちは日本のため、ひいては韓国の独立のためと、家柄のしっかりした人を選抜した。
しかし、結局、そのような努力は実を結ばなかった。日本の敗戦のためだ。敗戦と同時に、韓国では対日協力者の摘発が始まった。対日協力者は、もとを正せば韓国の独立を達成する方便として日本に協力したのだ。主流をなしたのはむしろこんな者たちだった。日本の敗戦は、一夜にして愛国者を裏切り者にした。
終戦後、刑務所から出所した者のなかには本物の反日運動家もいたが、強盗であれだれであれ、みなが反日運動家を称した。
こうして日本に協力した多くの韓国人が「親日派」のレッテルを貼られ、世間から厳しく糾弾された。
そして、それまで韓国人社会の中で指導的立場にあったこのような人達が、戦後は反日の中核になった。要するに、日本に裏切られたという気持ちが非常に強いのだ。韓国人の反日感情とは、このように非常に複雑で屈折しているのだということを理解してほしい」
著者はそれまで、韓国人の反日感情が、植民地支配への反感と李承晩時代の反日教育によるその増幅にあると考えていたが、そのような認識の浅さを思い知らされたそうです。
これは メッセージ 88 (bosintang さん)への返信です.
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