鮮于輝1
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/10/19 23:31 投稿番号: [1260 / 3669]
まずは,小説家でもあり,「朝鮮日報」の主筆も歴任した鮮于輝(ソヌ・ヒ,1922年生まれ)の文章。
父は七十歳頃までも,米一俵位は,両手でもって軽くなげる位の体力をもった人であった。朝鮮人が中国人によって大量虐殺されたという,謀略的万宝山事件(1931年7月)の時は,激昂した人達に追い詰められて助けをもとめて来た山東出身の中国農民三十余名を家にかくまって,襲撃に来た人達と小川をはさんで渡り合い,遂に中国人農民を虐殺から救ったほどの父であったが,その父が生涯を通じて恐れたのは,実に日本人の警官であった。
一緒に歩いていたところ,急にかしこまった父が低く頭を下げるのを見てその相手が誰であるかを知っては,よく幻滅を感じたものである。ほとんどの場合それが若い日本人警官であったからである。
年頃になった私が「何も悪いことをしていないのに,そんなにまでへり下る必要がありますか」と問いただしたところ,父は泰然とした顔で,「人間というものは,巡査の恐ろしさを知らなくちゃ」と答えたのである。父の言葉に含まれた意味は「人間は法を守ることが大切だ」という遵法精神であったように思われるが,若い時分は,父のそういう態度が只只恥ずかしいだけであった。
そういう父の「善良性」がだんだん変わっていったのは,いわゆる満州事変,支那事変,大東亜戦争とますます戦争状態が甚だしくなったのと正比例する。
その原因は日常生活が実際におびやかされるようになったことと,韓国人としての伝統的生き方の基本がだんだんおかしくなって来たことによると思う。
太平洋戦争がすすむにつれて,父は,警官を恐れながらも,だんだん警官のいうことをきかなくなっていった。いわば法を守らなくなったのである。
これは メッセージ 1259 (bosintang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/1260.html