自然の恵み利用の持続可能な社会実現

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Re: エコロジーとエントロピー

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/06/07 12:53 投稿番号: [67 / 67]
sustainabilitianさん   ご返事をいただき、ありがとうございます。

>結論の導き出し方がどこか間違っているというか、思い込みや先入観から抜け出せずにいるんじゃないでしょうか。

>また環境問題と景気問題とがごっちゃになっちゃったみたいですね。

>同じように、石油からプラスチックを作るとすぐれた材料ができますが、材料としてはどんどん劣化していく、エントロピーが拡大した果てには焼却してエネルギーを取り出すのが合理的で、それに比べるとガソリンとして直接燃焼させているのはいかにももったいない使い方なので、これを景気対策をからめて推進したのが麻生内閣の政策であって、その辺を峻別できないうちは、池上さんあたりの言説に何度も何度も騙されてしまうんじゃないかと思いますよ。

●自分では気がつかないのですが、どこに原因があるのか・・・
原因は、文章作成力の不足か?   それともエントロピーの理解不足か?   環境問題と景気問題の切り分けができていないか?   自分の原因探しをしてみます。
池上さんの話に私は違和感が無いのですが・・・それでいつも脱線するしれません。
自分の先入観や思い込みから、抜け出すよう努力してみます。

ご指摘ありがとうございました。

アメリカがエコロジー?

投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/06/06 12:07 投稿番号: [66 / 67]
結論の導き出し方がどこか間違っているというか、思い込みや先入観から抜け出せずにいるんじゃないでしょうか。

>私が思うに、日本とアメリカの住宅状況を比較してみると;
>①日本の住宅では、短期間で建て替えるのですが、これは中古住宅の価値が無いので建て替えた方が良いと判断されるのでしょうね。しかし、住宅の短命建て替えは、廃棄物の増大となり、エントロピーを増大させるだけ。

日本人が中古住宅を好まないのは確かですが、日本の場合は地震や火災に対する安全対策が大きく変わってきていて、古い家の修繕にも技術がいるので、よほど作りの良い住宅以外は建て替えた方が合理的な場合が多いと思います。

>②アメリカでは、家は使い捨てではなく資産価値である。アメリカのように素人でも中古住宅の標準部材が容易に入手できて自分の好みに改装をできるなど、長く使い続けるのがエントロピー増大を防ぐエコロジーな生活となるのでしょうね。

アメリカの郊外の日本で言うと建売住宅のような規格のひどく簡単な作りの平屋の住宅は、それ自体の資産価値はあまり高くないと思います。
ただ、自分で家をメンテしながら住むのが伝統で、素人でも補修できるように作ってあるんじゃなくて、素人でも自分で家を建てて修理しないと生きていけない時代があったからだと思います。

>このトピックでも、[ No.19]で述べましたが、Userが壊れた製品を使い捨ててリサイクルする場合と、壊れた部分を修理して使い続ける場合を比較したら、修理しながら使い続ける方がBetterと思う。
>エコカー・エコ家電など新製品の宣伝が多く、市民は新製品を購入してエコに協力している気分になりますが、旧品を廃棄すればゴミを増やして、エントロピーが増大させるだけ。

また環境問題と景気問題とがごっちゃになっちゃったみたいですね。

アメリカでは自動車も自分でメンテするのが普通ですが、これもT型フォードの時代から女性でも自動車を運転していた時代からの伝統で、少なくとも現代の日本人はそういう文化をあまり持たないと思います。

古い自動車を大事に使うためには、自動車税や重量税、自賠責や車検費用を安く上げるようにして、その分をガソリン税を引き上げて賄えば、全体的には資源が有効に使われるはずで、それが欧州の現状ですが、日本ではガソリン税引き下げを強行した民主党が政権を取ったほど、間違った観念が流布されていると言ってよいでしょうね。

前にも触れたと思いますが、使用済みの新聞氏からインクを抜いてきれいなパルプを取り出すにはエネルギーが必要であるため石油資源が無駄に使われますが、これを燃やしてしまえばバイオマスエネルギーとして取り出すことが可能で、エントロピーが拡大した先にはそういう形でエネルギーを取り出すのが有効な方法で、重金属を回収する方法も確立していると言われます。

同じように、石油からプラスチックを作るとすぐれた材料ができますが、材料としてはどんどん劣化していく、エントロピーが拡大した果てには焼却してエネルギーを取り出すのが合理的で、それに比べるとガソリンとして直接燃焼させているのはいかにももったいない使い方なので、これを景気対策をからめて推進したのが麻生内閣の政策であって、その辺を峻別できないうちは、池上さんあたりの言説に何度も何度も騙されてしまうんじゃないかと思いますよ。

Re: エコロジーとエントロピー

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/05/26 18:58 投稿番号: [65 / 67]
Sustainabilitianさん   情報をいただき、ありがとうございます。

多数のリンクがあり、南雄三さんの住楽考は、日本の家改造論などエコロジー意識の高まりで無駄のない循環型社会が、高断熱高気密・健康・環境共生住宅へと発展している様子が分か易く記述されていました。リンクのなかで、日米の住宅産業の違い(長命)によると;

以下引用です。
「アメリカの特徴であるオープン工法、オープン部材の原則が存在します。つまり、メーカーが違っても寸法形態は共通、取り付け用のネジなどの部品類も共通品を用いることにより、誰でもDIY(日曜大工)でメンテが可能になるのです。」
ここまで引用です。

私が思うに、日本とアメリカの住宅状況を比較してみると;
①日本の住宅では、短期間で建て替えるのですが、これは中古住宅の価値が無いので建て替えた方が良いと判断されるのでしょうね。しかし、住宅の短命建て替えは、廃棄物の増大となり、エントロピーを増大させるだけ。
②アメリカでは、家は使い捨てではなく資産価値である。アメリカのように素人でも中古住宅の標準部材が容易に入手できて自分の好みに改装をできるなど、長く使い続けるのがエントロピー増大を防ぐエコロジーな生活となるのでしょうね。

このトピックでも、[ No.19]で述べましたが、Userが壊れた製品を使い捨ててリサイクルする場合と、壊れた部分を修理して使い続ける場合を比較したら、修理しながら使い続ける方がBetterと思う。エコカー・エコ家電など新製品の宣伝が多く、市民は新製品を購入してエコに協力している気分になりますが、旧品を廃棄すればゴミを増やして、エントロピーが増大させるだけ。
使用者が、修理して徹底的に使う気構えが必要であり、その修理体制作りが必要と改めて考えさせられました。

お蔭さまで私のエコロジーとエントロピーの理解が深まったようです。

エコロジーとエントロピー

投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/05/25 22:39 投稿番号: [64 / 67]
似たようなことを考える人もいて、分かりやすく説明してくれています。

http://www.t3.rim.or.jp/~u-minami/class/mokuji.html

エントロピー経済学なる分野もあるそうです。

Re: 先進国での農業経営の難しさ

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/05/22 20:17 投稿番号: [63 / 67]
sustainabilitian さん   ご意見ありがとうございます。

>休耕田で藻を育てる場合、藻が作った油をどうやって回収するか、自動化は可能なのか、その油が排水路に流れた場合の問題はないのか、土壌の汚染は心配ないのか、自身が作った油によって藻の活動が低下しないかなど、応用的な段階での問題は山積しているように思われますし、なにしろ石油並みの火力を持つ油を田んぼで作るのですから、よほどうまく管理しないと田んぼが燃え上がるんじゃないかという心配も出てきます。

●ビーカ実験から小規模でも実用化研究の段階になると種々の問題がでてくるのでしょうね。

>最近のNHKは特定の学者と結びついて、NHKに対する信頼を逆手にとって社会の意識をミスリードすることが多く、この件に関しても海のものとも山のものともつかないレベルの研究を、田んぼで油が作れる夢のような社会が実現する、という印象ばかりを与える方向で報道しているように思われます。

●私が思うのは、未知の課題に挑戦するには、まず小規模での実証実験により、種々の課題を洗い出すこと先と思います。その課題を解決させる手段があるのか、そこらあたりの見極めが大事だと思うのですが、いかがでしょうか?

バイオ燃料藻類から 日経夕刊に掲載

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/05/22 17:00 投稿番号: [62 / 67]
本日(2010年5月22日)の夕刊のトップ記事として掲載されています。

以下は、日経紙の引用です。

・・・「農水省、トヨタ、中大などと共同研究   10年後の実用化めざす」
政府は6月にも閣議決定するバイオマス活用推進基本計画に「藻類を活用した資源創出を図る」との方針を明記する。産学との連携を財政面からも支援する。
コストや技術面の課題をどう克服するかがバイオ燃料の実用化のカギを握る。

以上のように報じています。

私の感想:米国が藻類を使ったバイオ燃料の開発で先行しており、軍用機の燃料を想定した実験を開始しているので、日本政府もあわてて打ち上げた様子です。

先進国での農業経営の難しさ

投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/05/22 13:30 投稿番号: [61 / 67]
先進国での農業が衰退しやすいのは、農産物の集荷に人件費がかかり、国際的に比較して人件費が高い先進国はどうしても不利であるからであり、高い付加価値の生鮮食品を大消費地に速やかに届けるという形に特化するか、国による保護政策によって自給率を高めるようにするか、どちらかの選択が必要になると思います。
集荷のための人件費が削減できる、工場でできるシメジやマイタケ、モヤシや、LEDで育てるレタスなどは、かなり割安で手に入るのに比べると、露地物の農産品はどうしても高くなりますね。

休耕田で藻を育てる場合、藻が作った油をどうやって回収するか、自動化は可能なのか、その油が排水路に流れた場合の問題はないのか、土壌の汚染は心配ないのか、自身が作った油によって藻の活動が低下しないかなど、応用的な段階での問題は山積しているように思われますし、なにしろ石油並みの火力を持つ油を田んぼで作るのですから、よほどうまく管理しないと田んぼが燃え上がるんじゃないかという心配も出てきます。

その学者さんにそこまで考える力があれば、それこそNHKなどに頼らずとも、大手商社あたりを説得して大規模な応用研究を進めることも可能だと思いますが、少なくとも今の段階ではビーカーの中で油を抽出できるようになることが必要なのではないかと思われます。

最近のNHKは特定の学者と結びついて、NHKに対する信頼を逆手にとって社会の意識をミスリードすることが多く、この件に関しても海のものとも山のものともつかないレベルの研究を、田んぼで油が作れる夢のような社会が実現する、という印象ばかりを与える方向で報道しているように思われます。

Re: キーワードはエントロピー

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/05/21 21:19 投稿番号: [60 / 67]
sustainabilitianさん   早速のご意見ありがとうございました。


>・・・人間の知恵を結集して、再生が可能なレベルでの自然の恵みを効率よく活用して、これを豊かな人間の営みを実現するのに利用するのが、このトピックのテーマではないかと解釈しています。

●おっしゃる通りです。


>太陽電池や風力発電は、太陽光やそれに起因するエネルギーを直接取り込んで、エントロピーが低い状態のエネルギー源である電力として取り込んで・・・
・・・コンプレッサーを回し、反エントロピー的な機関によって使用したエネルギーの数倍の熱を外気から取り込んで、家の中の生活を豊かにするのがヒートポンプによるエアコンやエコキュートですから、この流れは自然の恵みをうまく利用していると言えます。

●私もそう思います。


>あとは、同じ面積で太陽光を受けた場合、藻で油を作るのが良いのか、太陽電池で電力を作るのが良いのか、田んぼで米を作るのが良いのか、杉やヒノキを育てるのが良いのか、人間の営みとの関係で適切なものを選択していくことが、自然の恵みで成り立つ社会へとつながるはずです。

●私は、この農林業が、再生が可能なレベルでの自然の恵みを効率よく活用する注目点になるのかと思います。
米余りで、休耕田がありますが、この休耕田の面積を活用していくのが、良いと思います。


>ただ、その藻は、腐った水の中から栄養素を取り込みながら光合成をおこなうようですから、その意味では反エントロピー的な活動の度合いが高い植物であるとは言えると思います。

●「ボトリオコッカス」という緑藻は、水中で太陽光を受けて空気中の炭酸ガスを取り込み、油を作り体外へ放出するそうです(NHKのクローズアップ現代で放送された動画による)。
休耕田などが、「ボトリオコッカス」という緑藻の生産に使われたら有効利用になるかも。
私は、もっと開発費を注ぎ込み、ビーカ実験の研究開発から一歩進めて、フィールドでの実証テストなど、事業化に向けて種々の課題に取り組めばいいと思います。

キーワードはエントロピー

投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/05/20 23:20 投稿番号: [59 / 67]
自然の恵みの清泉も、下水が混じり合ってからでは、これを分離するには莫大なエネルギーが必要になるので、人が少しだけ山を登る労と、これを混じらないように保存する労とで、清らかな水として利用することが可能になるのと同じで、人間の知恵を結集して、再生が可能なレベルでの自然の恵みを効率よく活用して、これを豊かな人間の営みを実現するのに利用するのが、このトピックのテーマではないかと解釈しています。

たとえば、太陽光のエネルギーは、ほとんどは利用されることがないまま宇宙に再放射されますが、一部が植物によって取り込まれて、その反エントロピー的な活動によって炭素固定がなされ、それを摂取する動物のエネルギー源となったり、加工されて木材になったり燃料になったりして、その頂点に人間の活動があるという形になります。

太陽電池や風力発電は、太陽光やそれに起因するエネルギーを直接取り込んで、エントロピーが低い状態のエネルギー源である電力として取り込んでいることが特徴です。

この電気を使ってコンプレッサーを回し、反エントロピー的な機関によって使用したエネルギーの数倍の熱を外気から取り込んで、家の中の生活を豊かにするのがヒートポンプによるエアコンやエコキュートですから、この流れは自然の恵みをうまく利用していると言えます。

燃料を動力にするのは効率が悪く、蒸気機関車の効率は5%程度、自動車のエンジンは最大で30%もの効率でエネルギーを動力に変換できますが、自動車のエアコンはその変換した後の動力の一部を使ってコンプレッサーを回すので、その意味では効率が良いのですが、元の効率が最大でも30%ですし、そもそもそうまでして涼しい環境が必要かという考え方もあります。

電車の場合は加速して運動エネルギーに変換された電気エネルギーは、減速の際に発電して架線に戻しているのに対して、自動車の動力変換に無駄が多く、変換された運動エネルギーも最終的には熱に変換されて捨てられます。

電車の場合はそういう効率の良いシステムが構築できても、自動車や船や飛行機は持ち運び可能なエネルギー源として、油やウランが必要になりますが、その必要がない限りは、効率の悪いシステムで油やそれに代わるものを生産する必要はありませんね。

あとは、同じ面積で太陽光を受けた場合、藻で油を作るのが良いのか、太陽電池で電力を作るのが良いのか、田んぼで米を作るのが良いのか、杉やヒノキを育てるのが良いのか、人間の営みとの関係で適切なものを選択していくことが、自然の恵みで成り立つ社会へとつながるはずです。

ただ、その藻は、腐った水の中から栄養素を取り込みながら光合成をおこなうようですから、その意味では反エントロピー的な活動の度合いが高い植物であるとは言えると思います。

藻類で石油を作るバイオ燃料

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/05/19 12:29 投稿番号: [58 / 67]
穀物のバイオ燃料は、環境に優しい一方で、食料と競合して穀物価格の上昇を引き起こした
そこで注目されているのが、藻類バイオ燃料とのこと。
筑波大大学院教授・渡邉信教授は、光合成で重油とほぼ同じ性質の炭化水素をつくる「ボトリオコッカス」という緑藻に着目し、燃料量産技術の実用化を目指している。トウモロコシと「ボトリオコッカス」を同じ面積で栽培した場合、40倍の収量があるとのこと。渡邉信教授は、「計算上将来、日本が産油国になることも可能だ」という(4月20日にNHKのクローズアップ現代で放送された)。

私は、日本が石油の自給自足できるようになれば、良いと思います(^o^)
このような藻類バイオ燃料の研究開発は、民主党の事業仕分けなどで取り上げ、資金を投入すべきと思うのですが、いかがでしょうか?
ご意見をお願い致します。

Re: 都市の効率、農村の冗長

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/05/09 00:32 投稿番号: [57 / 67]
sustainabilitianさん ご意見ありがとうございます。

>周囲に田園を控えて災害などのトラブルにもタフな都市を考えると、欧州の都市はその条件を維持しているのに対して、東京などは明らかに過密で、投資効率が非常に悪い都市になっています。

関東大震災クラスが起これば、東京と近郊都市は人口が多く大規模集積なので、住宅や上下水道・ガス管などの破損が、激しいでしょうね。神戸地震の時は、電気が早く復旧したようですが、水道・ガスはかなり遅れたように記憶しています。各家庭で井戸を掘れないでしょうから、上下水道・ガスなどインッフラを二重系にするのは難しいですね。大都市大地震の時は、対策の良案がないのかも?
地震が起こるか起こらないか分からないかも、そんなことは承知だ、だけど引っ越す人はいないでしょうね。


>都市と農村のどちらが良いか、あるいは鉄道と道路のどちらが良いかということはなく、両方の長所を兼ね備えたような暮らし方を模索したら面白いんじゃないかと考えています。

私も同感です。


>・・・バスがありますが、最近は結構注目されているんじゃないかと思います。

TVニュースで見たのですが、地方では路線バスが不採算で撤退した所では、自治体がデマンド交通を運営しているようです。


>・・・自然の恵みで暮らせるような社会の構造を考えるためには、その辺から考え直さないと、・・・

大都市が、大地震など災害対策として、冗長度をもつ分散システム(井戸・個別排水処理槽やプロパンガスなど)独立の二重系を持てば少しはいいのでしょうが、コストがかかるでしょうね。
大都市で冗長性を確保するのが大変と思いますので、自然の恵みで暮らせるような社会は、相当難しいものだと思えるようになりました。
自然の恵みで暮らす社会は、農山漁村に住むことが有利かも?

Re: 都市の効率、農村の冗長

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/05/08 20:32 投稿番号: [56 / 67]
sustainabilitian ご意見ありがとうございます。

>周囲に田園を控えて災害などのトラブルにもタフな都市を考えると、欧州の都市はその条件を維持しているのに対して、東京などは明らかに過密で、投資効率が非常に悪い都市になっています。

関東大震災クラスが起これば、東京と近郊都市は人口が多く大規模集積なので、住宅や上下水道・ガス管などの破損が、激しいでしょうね。神戸地震の時は、電気が早く復旧したようですが、水道・ガスはかなり遅れたように記憶しています。各家庭で井戸を掘れないでしょうから、上下水道・ガスなどインッフラを二重系にするのは難しいですね。大都市大地震の時は、対策の良案がないのかも?
地震が起こるか起こらないか分からないかも、そんなことは承知だ、だけど引っ越す人はいないでしょうね。


>都市と農村のどちらが良いか、あるいは鉄道と道路のどちらが良いかということはなく、両方の長所を兼ね備えたような暮らし方を模索したら面白いんじゃないかと考えています。

私も同感です。


>・・・バスがありますが、最近は結構注目されているんじゃないかと思います。

TVニュースで見たのですが、地方では路線バスが不採算で撤退した所では、自治体がデマンド交通を運営しているようです。


>・・・自然の恵みで暮らせるような社会の構造を考えるためには、その辺から考え直さないと、・・・

大都市が、大地震など災害対策として、冗長度をもつ分散システム(井戸・個別排水処理槽やプロパンガスなど)独立の二重系を持てば少しはいいのでしょうが、コストがかかるでしょうね。
大都市で冗長性を確保するのが大変と思いますので、自然の恵みで暮らせるような社会は、相当難しいものだと思えるようになりました。
自然の恵みで暮らす社会は、農山漁村に住むことが有利かも?

都市の効率、農村の冗長

投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/05/08 09:45 投稿番号: [55 / 67]
結論へ導こうとする方向に水を差すようで恐縮ですが、生活にかかるエネルギーや、経済効率の点で、人が集まることによって効率が良くなるという効果が都市の利点であり、集まることによって生活を合理化して、効率の良い活動ができるのに対して、農村は消費財も交通も冷暖房も自前で一通りを確保する必要があるので、どうしても冗長性が高くなります。

ただ、災害などのトラブルの際にはこの立場が逆転することがあり、神戸と小千谷の地震は同程度であったと思いますが、小千谷の方はわずかな支援で、ほとんど自前の力で立ち直ることが出来たわけです。

これは、鉄道と自動車との関係にも似ていて、普段の通勤などでは電車の効率の良さが重要だけれども、トラブルの際には自動車が力を発揮するケースが多く、かつては戦争の際の物資も鉄道で運ぶのが常識だったのを、有事の際の鉄道の脆弱さと自動車の機動力に着目したヒトラーが整備させたのがアウトバーンであると言われます。

ですから、都市と農村のどちらが良いか、あるいは鉄道と道路のどちらが良いかということはなく、両方の長所を兼ね備えたような暮らし方を模索したら面白いんじゃないかと考えています。

たとえば、都市生活の効率の良さを持ちながら、周囲に田園を控えて災害などのトラブルにもタフな都市を考えると、欧州の都市はその条件を維持しているのに対して、東京などは明らかに過密で、投資効率が非常に悪い都市になっています。
同様に、鉄道の効率を持ちながら、自動車の機動性を維持する乗り物としてはバスがありますが、最近は結構注目されているんじゃないかと思います。

東京を水害から守り、東京の水需要を満たす為に山の中にダムをつくる、その是非自体も、東京の人々がそれぞれの都合や立場で議論する、東京に巨大な投資がなされた結果、東京の人々が儲かるようになれば、それは自分たちの才覚で成した金で、田舎ものは東京の人間が喜ぶような奉仕をして見せたら、金を恵んでやる、という構造が現代日本の都市と農村の関係ですが、自然の恵みで暮らせるような社会の構造を考えるためには、その辺から考え直さないと、議論は必ずおかしな方向に進むんじゃないかと思います。

Re: 山の水と川の水

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/04/30 00:17 投稿番号: [54 / 67]
sustainabilitianさん、水について色々なことを教えていただき、ありがとうございます。

>・・・山の水が豊富で水道水の水質が良い日本・・・

日本に寄港した外国船は、大量の水を積み込むとのことです。


>・・・肥大化した東京が水系の異なる上州の水に頼らざるを得ないのが問題なのであって、自然の恵みで暮らしたければ、そうい都市問題も密接にかかわってくるんじゃないかと思います。

水道・下水やその他公共施設も整備されて便利で生活し易いですが、これら施設は石油・石炭など化石エネルギーを使用しているお陰です。
私も都市では、各家庭や自治体で自然エネルギーを利用する上で制約が多いと感じています。エネルギーや食料など自然エネルギー利用の生活は、農林業地域になるのでしょうか?

山の水と川の水

投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/04/29 01:12 投稿番号: [53 / 67]
子供のころは全く理解できなかったことに、水が山からくるということがあり、自然の恵みを現代生活に効率よく利用するには考える必要があります。

富士山は巨大な水瓶であり、山頂に降った雨は五十年とも百年とも言われる歳月を経て裾野から溢れ出す、その水を利用しやすい所に人々が集まるけれども、富士山は恵みが巨大すぎるので、人間によって利用されないまま海へ流れる量が多い。
そのため、これを水資源利用のフロンティアと見て工場が進出して、日本一の富士山の麓は工場だらけになる。

山の懐が小さい博多などはどうしても水不足になり易く、山の懐が深い越後では、稲作や清酒醸造が盛んになる。

かつての江戸の町は、人口百万の当時世界最大の都市でしたが、山の手では井戸が深くて大変で、下町は人口が集中しすぎて井戸だけではどのみち足りない。

そこで、太宰治が入水した玉川上水をはじめとする「上水道」が発達したのですが、要は山の水が得られないため、川の水を飲んでいたのであって、江戸っ子は水道の水で産湯をつかったと倒錯したプライドを持っていたそうですが、当時は江戸で出た大小便は多摩の百姓に買われて肥料にされていたわけですから、なかなかきわどいリサイクルであったと思われます。

実は、江戸以上の都市が存在しなかったのは、もっぱらこの水の問題があり、古代の最大都市ローマでは、山の水を水道橋で引いてきて市民を養ったわけですし、現代の大都市、たとえばミュンヘンなどでも山の水を数十キロ引いてきて市民に供給しています。

戦後の日本ではGHQの指令で水道を塩素で殺菌することになり、晒し粉が入った水を飲んで育つことは都会人の象徴のように考えられていますが、同じアメリカ軍の支配下にあったドイツでは、のらりくらりとアメリカの要求をかわして、塩素を入れない天然水を飲むことにこだわったそうですから、お上の体質の違いが表れていますね。

つまり、われわれのこれまでの認識とは逆で、山の水が豊富で水道水の水質が良い日本に対して、水が少ないためにとても水道など飲めたものではないのが欧州だと思いきや、欧州ほど水道水でも山の天然水にこだわり、それでも飲み水にはさらに良い水を求める傾向があるのに対して、山の水を利用するのを古い技術と短絡し、川の水に薬品を入れて飲まされながら、さらにその水を確保するために川の水をダムにためようとするのが日本人ということになります。

ちなみに、山のないオランダでも天然水への志向は強いそうで、オランダの水道水は川の水を田んぼのような浅い池に溜めて、浸透させて地下水を増やした後で地下水を汲み上げて水道に供給しているそうですから、山の水にこだわる欧州人の執念が感じられます。

群馬県の八ツ場ダムの賛否は分かれるそうですが、そもそもは肥大化した東京が水系の異なる上州の水に頼らざるを得ないのが問題なのであって、自然の恵みで暮らしたければ、そうい都市問題も密接にかかわってくるんじゃないかと思います。

ちなみに、利根川は元は東京と千葉との間に流れていたそうですが、家康が江戸を水害から守るために川筋を変えて銚子の方に流したことが知られています。

それでいて、現代の東京では荒川水系だけでは足りないので、利根川の水を武蔵水路を通して荒川に足して都民に供給していることになります。

この辺は、京都府立医専の鯖田豊之さんの「水道の思想」からの受け売りが中心ですが。

Re: いいと思います

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/04/16 12:49 投稿番号: [52 / 67]
earththebeautyさん   こんにちは(^^)

私は、日本の多雨が草木には、いいと思います。
雨水は只なのでいいですね(^^)
私たち個人レベルの省資源が積み重なり、日本全体の効果になると思います。

いいと思います

投稿者: earththebeauty 投稿日時: 2010/04/15 19:59 投稿番号: [51 / 67]
こういうトピックが
関心持たれるって
嬉しいです。

私の家では 雨水利用
で お手洗いとか洗濯
してますよ〜。

Re: したたかな欧州社会

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/04/02 20:03 投稿番号: [50 / 67]
>「風土」・・・まじめに読むと難解で、・・・

sustainabilitianさんのおっしゃる通りです。
私には、難解ところがあります。「風土」の哲学部分は、理解せずに文字列を目で追っているだけです。著者が旅先で見た記述のところは、モンスーン風土と、アラビアなど砂漠風土や欧州の牧場風土の違いが分かりました。

「風土」が書かれたのは、戦前の昭和初期の約80年前ですが、モンスーン風土の日本が大東亜戦争の敗戦後アメリカ合衆国の影響を受けて社会が変わったと、私は感じています。しかし変わっていないものもあります。著者が述べているように、「日本の珍しさ」に関し、「家」のあり方で、玄関で履物を脱いぐ生活風習や考え方です。同じモンスーン風土の中国では、その当時と現在の国家体制が異なる部分もありますが、生活風習など変わっていない部分もあるように感じます。
砂漠では乾燥気候と戦わなければ生きていけない厳しさの風土。闘争的な自己主張をしなければ生きていけない。砂漠風土のもとに生まれたキリスト教やイスラム教が広まり、そして種々の問題で行き詰まっているのが現在であると、私は感じました。環境問題など世界的に協調しなければ効果が少ない問題で、世界の首脳が集まって会議を開いても自己主張を繰り返すだけです。環境問題は、解決の困難さが分かりました。


>今すぐに石油の輸入が止まれば、日本の社会はパニックに陥りますが、欧州では少しだけ以前の暮らしに戻るだけ・・・

私も、日本の社会はパニックになると、感じています。
戦後、アメリカ合衆国の援助から出発して、食料自給低下や使い捨て消費など、危機意識が抜け落ちています。


>日本も数年前まではそういう路線に近づいていたのですが、最近では世界の流れに完全に逆行していて、環境問題を考えたときにどう見ても辻褄が合わない事象は、そうした日本の特殊な事情を反映していると言ってよいでしょう。

どのようにすればよいと、お考えでしょうか?

したたかな欧州社会

投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/04/01 22:54 投稿番号: [49 / 67]
「風土」をお読みになっているとのこと、まじめに読むと難解で、およそ家族旅行でお父さんが読むには不似合いだと思いますが、気候風土と社会制度との関係は分かりやすいというか、少し安直な感じもするほどだったと思います。

ここで紹介したのは、先進国日本にとって重要な仲間であるはずの欧州に関して、最近はメディアの都合で、そのしたたかで現実的な環境問題への取り組みが歪曲して伝わるのが一般的なので、欧州の現実を理解する上での偏見を減らすのには役立つと思います。

その欧州の中でも、特別環境問題に熱心な北欧諸国は、北国なので今のところは暖房に費やされるエネルギーが非常に高いのですが、イタリア並みの南国である日本も徐々に北欧並みに近づいているそうですから、工業技術で優位に立つことに自惚れて、社会全体での効率化という基本性能の涵養に怠惰になっているという日本の現実を考えると、欧州の政策例は参考になります。

ゴミの処理、揮発油税、暖房システム、公共交通、リサイクル、リユースなど、恵まれた環境で使い捨て文化が成熟した日本とは少し異なる形で、欧州には、近代化を常に疑いながら進化した社会のしたたかさを感じられるような例で溢れています。

今すぐに石油の輸入が止まれば、日本の社会はパニックに陥りますが、欧州では少しだけ以前の暮らしに戻るだけでなんとか過ごせる準備が出来ていて、欧州連合はその水準を新たな参加国に求めるため、無理のない形でシステムが拡大していっています。

日本も数年前まではそういう路線に近づいていたのですが、最近では世界の流れに完全に逆行していて、環境問題を考えたときにどう見ても辻褄が合わない事象は、そうした日本の特殊な事情を反映していると言ってよいでしょう。

Re: 「バックキャスト」がなんだか知りませ

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/17 20:53 投稿番号: [46 / 67]
sustainabilitian さん   ご意見ありがとうございます。

私が、脱線していましたか。すみません。
今後、横揺れ程度の揺らぎにしたいと思います。

>古い技術でのエコ社会の実現は難しいものですね。

はい。私もそう思います。
化石資源をバイオマスで代替するのは、至難の技と思うようになりました。
チョコレートやせんべいの個別包装は、その化石資源を使って浪費しているんですねぇ〜
未来の人は、どうおもうのでしょうか?
家族と、気をつけて遺産の消費を少なくしたいと個装品を買わないなど話し合いました。


sustainabilitian さんからご紹介いただいた、風土の本が入手できました。
私は、今週家族と公共交通で小旅行をする予定です。旅路に本を持参して読もうと思っています。

Re: 「バックキャスト」がなんだか知りませ

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/17 20:40 投稿番号: [45 / 67]
kagaku_to_gijutsuさん   ご意見ありがとうございます。

>   よく言われますが、米1石で人口1人です。

大名の加賀百万石と聞きますが、百万人がたべていける石高でしたか。
情報ありがとうございます。

Re: 「バックキャスト」がなんだか知りませ

投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/03/16 23:46 投稿番号: [44 / 67]
トピ主さんにとって、気持ちの良い方向への脱線には言いたいことは多いのですが、とりあえず最近の脱線について。

最近は安直に江戸時代を礼賛する気風が、割合歴史に無知な理科系の学者の思いつきによって流布されているようなので、注意が必要だと思います。

たとえば、井原西鶴や近松門左衛門なんかを読むと、当時は、庶民に対する身分的倫理的な締め付けが異常なほど厳しい、管理社会であったこと、そのため、一般の町民が鳩山首相のような不義密通を行えば、二つに重ねて四つにするといわれるように文句なしに死罪、手紙を届けただけでついでに死罪になった気の毒な下女の話も西鶴にはあります。
もし鳩山さんが大名ならば良くて左遷、悪くて切腹改易で、下々ほど厳しく、命が軽んじられていた時代でした。

また、江戸時代を通じて人口が三千万人で変わらなかったことが知られますが、実際には農村でも長者さんは子だくさん、貧乏な家は子供を育てる余裕はなく、農村の余剰人口は近隣の都市へ流れ込み、さらには江戸へと流れ込みますが、基本的には庶民にも武士階級にも移動の自由が認められていなかったため、江戸へ出ても出稼ぎ身分で市民権を持つわけでもなく、当然所帯を持てるわけでもないので、都市というアリ地獄に人口が流れ込んで消滅するような形だったそうで、その意味では現代社会に似ています。

また、江戸時代の飢饉の犠牲者は、地方の農業生産地に発生し、反対に都市には発生していません。
上杉鷹山の時代の米沢藩は武士が庶民と一体となって改革に取り組んだために餓死者を出さなかったものの、隣の仙台藩では仙台以外では多くの餓死者を出しているそうですが、都市民は暴動を起こすのに対して、農村の人々は大人しく運命を受け入れて死んでくれるので、為政者の政策意識のしわ寄せを庶民に押し付けることで生きてこられたというか、生きてこられた人は生きてこられたというのが現実のようです。

つまり、厳しすぎる掟の下で、農村に居ても都市に移っても、身分が高くても低くても、銘々に厳しい現実の中でかろうじて生き延びてきたのが江戸時代の日本人であったと言えます。

それゆえ、外圧が黒船という実体を伴って眼前に出現しただけで、制度疲労が自ずから露呈せざるを得なかったのであって、最近になって、有名な「上喜撰」の狂歌も、後知恵で作られたものではないことが分かったそうですが、その後の戦時中や現代のように安直にマスコミの論調に庶民が乗せられるようなのどかなものではなく、国民の多くが本気でヤバいと感じるほどの状況が、江戸末期の現実だったんじゃないかとおもいます。

ちなみに、木材資源の利用は、2割ほどが先進国の工業利用で、半分以上が途上国の薪炭としての利用だそうですが、先進国の側の森林は管理され拡大しているのに対して、途上国の薪炭利用は森林減少の大きな原因だそうですから、江戸時代礼賛の落とし穴はその辺にもありそうですね。

それから、今は砂漠の中のメソポタミアも、元はレバノン杉におおわれる豊かな森林地帯だったのが、当時の技術での文明の発達で砂漠化したそうですね。
ギリシアの灌木と岩肌の山々も、日本の中国地方の花崗岩質の痩せた山々も、同様に人間の稚拙な技術のなせる業で、中国地方は山陰の製鉄と山陽の製塩に使われて、表土が流されて岡山平野を拡大させ、山をハゲ山にしたと言われます。

古い技術でのエコ社会の実現は難しいものですね。

「バックキャスト」がなんだか知りませんが

投稿者: kagaku_to_gijutsu 投稿日時: 2010/03/16 22:21 投稿番号: [43 / 67]
> 日本列島の再生資源生産量は限定される。すると、利用できる人口が限られる。あるべき姿の人口と、現在の人口を比較してみる。

  難しいことはわかりませんが、江戸時代を考えます。
  なぜなら、
①   江戸時代の日本は、化石燃料をほとんど使用しなかった。
②   生活に必要な食料・燃料・衣住の材料のほとんどが国内生産であった。
③   国内生産で得られる範囲の食・住等の生活水準としている。
   もちろん蛋白質も山野の動物や近海漁業の範囲です。
   灯油をぼんぼん焚くハウス園芸は一切無しです。
   煮炊きや暖房のための燃料と、肥料とで、低山は疲弊気味。
   二次林どころか、草原と化しています。
   砂防ダムを造ろうにもセメント製造の燃料がありません。

  こんな社会で、北海道を除いた国土で3千万人が養えます。
  よく言われますが、米1石で人口1人です。
  江戸時代の総生産は3千万石。

  LCCで電力生産が1以下となる太陽光や風力発電は使用できませんよ。
  原子力だけ使用可能とすると、ずいぶん生産が向上するでしょう。8〜9千万人に増えるでしょうね。

「バックキャスト」で考えたい

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/16 19:39 投稿番号: [42 / 67]
kagaku_to_gijutsuさんご意見ありがとうございます。

>未来に向けての改善を頭で考えても・・・

私の文章を読み返して、表現が自分でも分かりにくくて、ヘタです。そこで、インターネットで「将来を考える手法」について調べてみました。
すると、小澤徳太郎さんのホームページに「スウェーデンの転換戦略」(環境経済・政策学会(2005年大会)座長・討論者用報告論文)がありました。将来の考え方は、フォアキャスト(forecast)」と「バックキャスト(backcast)」の2つがある。
①フォアキャストは、これまでのように 「資源は無限」という前提で、現状を延長・拡大していく考え方。
②バックキャストは、「資源は有限」の前提で、長期の時点で社会・経済・生態的条件で生活できるか、現在の時点で想定する。長期ビジョンに向かっていつまでに何をするか政策を決めて社会を変えていく考え方。



私が言いたかったのは、掲題のように「バックキャスト」で考えたい、ということです。

1.未来時点で、遺産資源がもう無い。
未来のその時点で、人々はどのような生活をしているだろうか?
石炭・石油・天然ガス等は、もう無い。それらは、利用したくても21〜?世紀人が消費してしまっている。これが未来の姿である。
利用できるのは、再生可能資源だけでである。再生資源生産量以内で消費することが、究極の持続可能な社会である。これが未来の、あるべき姿である。

2.未来の、あるべき姿を考えてみる。
例えば:日本列島の再生資源生産量は限定される。すると、利用できる人口が限られる。あるべき姿の人口と、現在の人口を比較してみる。現在よりもあるべき姿の人口が多ければ、人口増加計画を立てればいい。反対にあるべき姿の人口が、現在よりも少なければ、人口減少計画が必要だ。そのあるべき姿を目標に計画を立てる。これを実行すれば、目標地点に到達できる。

3.未来の仮説を立ててみる。
◎例題1:日本の食料自給率
現在日本の食料自給率は、4割前後である。再生可能資源で生活物資一切を自給すると、更に自給率が下がる。
◎例題2:輸送
再生可能資源だけでは、エネルギー消費の大きい航空・船舶・自動車・鉄道等物資の大量輸送が困難となる。
◎例題3:日本国の植物資源生産量は限定である。
エネルギー消費の多い工業化製品は、遺産の石油・石炭・天然ガスが豊富にあるから成立するもの。
このエネルギーを植物生産量だけで賄うのは不可能だ。海外からの調達も難しい。
◎例題4:新興国・発展途上国の自国内工業化推進
どの国も自国内での付加価値を高めたい。必然の傾向だ(日本にとっては、厳しい方向)。貿易縮小傾向だ。
仮説の結論:日本国での自給自足生活が主体となるだろう。

4.仮説(例題1〜4)に基づく私の勝手な想像
未来における日本列島の自給自足で賄える人口は、現在よりも1桁以上の大幅に少いか?

5.少子化(仮説を前提として)
未来において、日本列島で再生資源生産量以内の人口数に減少するまで少子化を進める。適正人口に到達後、人口維持化に転換すれば良い、となる。

6.最重要方針は、長期的観点からたてる。
未来のあるべき姿を描いて、長期的観点を最重要の基本方針たてる。
基本方針を基に、マイルストーンに向かって、それぞれ具体的に実行可能な計画を立案する。

以上のように、私は考えています。単純過ぎる仮説だし、仮説の検証もしていないが、荒っぽいですが「バックキャスト」手法にならって書いてみました。
いかがでしょうか?

未来に向けての改善を頭で考えても・・・

投稿者: kagaku_to_gijutsu 投稿日時: 2010/03/15 23:38 投稿番号: [41 / 67]
  oomoriyan66さん、こんばんわ。
  「楽天的に行動する」ことは大切です。でも、その前に「懐疑的に考え」た上でのこと。

  「島の人達は皆知り合い。民家では、鍵をかけずに外出している所」があるが、oomoriyan66さんも認めるように「東京のような都会では無理」だと、私は思います。
  暖かい島国とはいえ、ハイチの略奪は首都近郊で生起した事件です。
  お互いが顔見知りの狭い社会で起こったことではありません。
  それを引き写す日本社会も人口の8割は都市居住者です。
  いや、顔見知りであっても単一価値観の都市社会では、暴動は起こりうるかもしれません。(関東大震災後の自警団による朝鮮人虐殺の例があります。)

  欧米と日本の社会風土の違いについてのご指摘もありました。
  しかし、私は、欧米近代社会と日本の近世ムラ社会の比較よりも、近世農民・近代市民がとうとうと流れ込む現代大衆社会の本質把握が必要だと思います。

  詳しいコメントはいずれまた。

Re: それが人間です

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/15 20:01 投稿番号: [40 / 67]
sustainabilitianさん   ご意見ありがとうございました。

>反応しづらいのは分かりますが、実は意外なほど重要な部分なんですね、

ずばりです。私は知識見解不足で、反応できませんでした。


>要は、欧米の文明や文化に対する無理解は、今に始まったものではないんですね。
>続きは次回。

期待しています。

Re: 人間①と人間②、違いますか?

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/15 19:54 投稿番号: [39 / 67]
kagaku_to_gijutsuさんご意見ありがとうございます。

>だからまたかつての相互扶助社会をつくろう、というのは無理ではないか、というのも雰囲気に込めたつもりです。

kagaku_to_gijutsuさんは、「相互扶助社会を作るのは無理」とのご意見でしたか。私は、雰囲気が読み取れなかったです。


>1)   そのような社会は現在の消費文化とは相容れないし、また息の詰まるようなムラ社会である。(今の人に耐えられますか?)

kagaku_to_gijutsuさんは、「相互扶助社会は現在の消費文化とは相容れない」、その理由が「息の詰まるようなムラ社会である。」というご意見ですか。
そして、「(今の人に耐えられますか?)」について、kagaku_to_gijutsuさんは、「耐えられそうもない」ということですね。
私が、見た「TV東京系の、田舎に泊まろう、という番組を観ての感想。島の人達は皆知り合い。民家では、鍵をかけずに外出している所があるんですね。」これは、現在時点での事実です。
そして、「相互信頼関係が出来上がっている。こういう島で、地震が来た場合でも、略奪などないと」このように私は「感じました。」と書くべきでした。従って、私は「相互扶助社会」が、交通量の少ない地域で、できると思います(東京のような都会では無理と思います)。その「相互扶助社会」が、「息の詰まるようなムラ社会」では、困りますけど。また、感じ方は人により異なると思います。


>ゆえに今の世界の社会情勢に置かれた人は、すべからく②として振舞うことになる。(剥き出しにそうであるか、上品に振舞うかの違いはあるとして)

私は、現在時点の上記が良いと思わないので、未来に向けて改善案が大事と思います(改善できなければ、現状の延長です)。どのように改善していくか?
これが現在の課題と思います。

Re: それが人間です

投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/03/14 22:30 投稿番号: [38 / 67]
まずは、

>>吉村仁さんという人が、一般の市民の知性をどの程度だと考えているのか分かりませんが、先進国人というのは、合理的なルールの下に正しい知識を与えられれば、一人ひとりが非常に合理的な行動をするものです。
それぞれの家から満員電車を介してそれぞれの職場に到達することや、混雑した高速道路でめいめいが時速100kmで走りながら、人命や器物を損なうこともなくそれぞれの目的地へ向かうのも、人間の理性が反エントロピー的な行動をするからであり、たとえ未開の社会であっても獣的な欲望が無軌道に拡大するようなことはありません。
>>吉村さんのような立場の人々は、一般の人々に正しい知識を与え、合理的なルールを考えるのが仕事のはずですが、少なくとも吉村さんにはその能力も意志もなく、どうせ一般ピーポーはバカだからどうにもならないんだ、という理屈をつけて、役割をサボっていることになりますね。

反応しづらいのは分かりますが、実は意外なほど重要な部分なんですね、

というのも、

>>日本でも、昭和30年台の農村では鍵なんてかけていませんでした。鍵をかけられる戸でもなかった。夜にしんばり棒かませるくらい。
>>貧しく現金もあまり持たない、ムラに不審な人が入ってきたらそれだけで緊張した人が集まってくる、
>>かつての日本は、貧しくともムラ社会があり互助がまだありました。それを知る人々がまだおり社会に対する信頼が残っているので、阪神大震災の時は整然と行動しました。
>>つぎはそれができるか・・・
>私は、鍵をかけなくても生活できる地域社会がいいと考えます。
>生活する上で、ムラ人どうしの信頼と互助が基礎としてあるので、最も大事とされる安全・安心が、保ち易い。
>ムラで日々の生活ができる、地産地消ということが、交通需要を減らせる。
>ムラ社会で、後継者を育てることで、維持しやすい。
>このような地域社会の断片が、多々集まって全体を構成する。全体は、地域社会の断片と相似となり、信頼と互助を基礎とした安全・安心社会が建設できるのではないか?
>私は、今後再生可能資源の生活を目指す観点から、地球が蓄えた遺産資源消費を節約するヒントになると思います。

この辺は、現代の中年学者連中が、自分の育った時代を理想として、今の社会を論じる際に多用される思い付きですが、実際には日本の学歴エリートが最も嫌い、無知蒙昧たる村社会として軽蔑し続け、グローバル化を称賛して潰してきた過去があるからです。

実際には、「欧米」と一口にいっても「欧」と「米」とでは大きく異なる方向に向かっていて、アメリカでは古くから大量消費社会が成立しながらも、田舎の暮らしは、ピューリタンの理想を求めた時代の名残を感じさせる、小ぢんまりとしたコミュニティの社会が今も続いています。
欧州の方は古くから、アメリカからの圧力にまとまって抵抗しながら、コミュニティの維持には相当の腐心をしてきていますが、それは鍵をかけないようなベタベタなものではなく、欧州らしい伝統に従った規律あるコミュニティになります。
ヨーロピアン・コミュニティ(つまりEC)を土台に作られたEUがトルコを除外したのも、ヨーロッパにはキリスト教的な価値観を基礎とした社会制度づくりが重要で、東欧諸国が加入の目標とする場合でも、社会自体に大きな無理がかからず、バランスのとれた発展が望めるところに特徴があります。

その辺の認識の違いに関しては、半世紀以上前の和辻哲郎の「風土」という本が参考になりますが、この本の面白いところは、文系のまともな学生ならほとんどが呼んでいるのに、理系の学生が読むことはほとんどないというところで、環境問題などを扱う際には結構重要かもしれませんよ。

要は、欧米の文明や文化に対する無理解は、今に始まったものではないんですね。

続きは次回。

人間①と人間②、違いますか?

投稿者: kagaku_to_gijutsu 投稿日時: 2010/03/14 22:15 投稿番号: [37 / 67]
  oomoriyan66さん、こんばんわ。

  早速ですが、私の書いたことと、oomoriyan66さんが書かれたことにはすこし差がでているような気がします。

  かつての日本では鍵のない相互扶助頼の社会があった。
  このたびのハイチ地震の現地にはもうそのような社会もないし、搾取される貧困社会である。

  だからまたかつての相互扶助社会をつくろう、というのは無理ではないか、というのも雰囲気に込めたつもりです。
  なぜなら、
1)   そのような社会は現在の消費文化とは相容れないし、また息の詰まるようなムラ社会である。(今の人に耐えられますか?)
2)   過去のムラ社会にはもう戻ることはできない。そのような合意形成は今の社会では無理である。(理念的にOKな人も、実生活でOK?)

  ゆえに今の世界の社会情勢に置かれた人は、すべからく②として振舞うことになる。(剥き出しにそうであるか、上品に振舞うかの違いはあるとして)
  残念ながら、私はこのように思っています。

Re: やっぱりキーワードはエントロピー

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/14 17:07 投稿番号: [36 / 67]
sustainabilitianさん   ご意見ありがとうございます。

>・・・不合理なリサイクルを強制して市民に無駄な労力を要求し、結果的にも無駄にエネルギーを消費し、一部の人々を利するだけのものになっているからだと考えられます。

人々が生活上必要な、衣料、食料・消費・消耗品、住宅・車・家電製品など耐久製品、情報機器など多々ある。
これら製品販売から使用後拡散した廃棄品(エントロピー増大)を、いかに少ない費用で再使用可能な再資源化(エントロピー減少)できるか?
事例ですが、私の住んでいる自治体のリサイクル推進パンフレットに、分ければ資源、混ぜればゴミ   とのキャッチフレーズがある。住民は、リサイクル拠点に回収用並んでいる、鉄・アルミ缶・透明びんなど各々のかごへ、容器類を分けて入れる。自治体の回収車がきて、拠点まで搬入する。その後は、知りません。

あらゆる製造物は、製品として販売されて拡散するが、これをエネルギー最小で集めて、利用できる形に再資源化するか?
再資源化まで、エネルギーがかなり、かかるんでしょうね。
例えば、飲料メーカの販売では、製品配達業者が販売店に製品を搬入し、その販売店に消費者が空き缶・瓶を持ち込んでおけば、その空き缶・瓶を帰りの車に積み込んで回収する。自治体が回収する場合に比べて、配送エネルギーが節減できるのでは?
う〜ん、今の生活を前提にして、中々これは良いという案が浮かばないですねぇ〜

私は、今後再生可能資源の生活を目指す観点から、地球が蓄えた遺産資源消費を節約するには、今の生活を犠牲にしても、こうすべきである、とエントロピーを増大させない、根本的考え方が必要と思いますが、いかがでしょうか?

Re: それが人間です

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/14 16:40 投稿番号: [35 / 67]
kagaku_to_gijutsuさんご意見ありがとうございます。
私も、同じ考えです。

■人間の本性①
>日本でも、昭和30年台の農村では鍵なんてかけていませんでした。鍵をかけられる戸でもなかった。夜にしんばり棒かませるくらい。
>貧しく現金もあまり持たない、ムラに不審な人が入ってきたらそれだけで緊張した人が集まってくる、
>かつての日本は、貧しくともムラ社会があり互助がまだありました。それを知る人々がまだおり社会に対する信頼が残っているので、阪神大震災の時は整然と行動しました。
>つぎはそれができるか・・・

私は、鍵をかけなくても生活できる地域社会がいいと考えます。
生活する上で、ムラ人どうしの信頼と互助が基礎としてあるので、最も大事とされる安全・安心が、保ち易い。
ムラで日々の生活ができる、地産地消ということが、交通需要を減らせる。
ムラ社会で、後継者を育てることで、維持しやすい。
このような地域社会の断片が、多々集まって全体を構成する。全体は、地域社会の断片と相似となり、信頼と互助を基礎とした安全・安心社会が建設できるのではないか?
私は、今後再生可能資源の生活を目指す観点から、地球が蓄えた遺産資源消費を節約するヒントになると思います。


■人間の本性②
>現地は日本とは全く違う階級社会、それに半世紀前と違ってグローバリゼーションがすすみ情報と資本主義が世界を駆け回っています。地域社会は崩壊し一旦何かがあれば人々はばらばら。
>そういうところ暮らせば、人は自分のためだけに行動するようになります。
>約めて言えば、貧困ゆえです。

私は、欧米文化・文明を展開した地域に見られる社会現象の行き詰まりと限界を感じます。
治安力の空白ができると、暴動・腕力の社会。
世界の最強国で最富力を誇るアメリカも、白人特権階級社会がある。自由を唱えながら、不自由がある。力に頼る治安維持は、非統治者の不平不満を強めることとなる。その結果が、争いとなる。
治安統治は最重要課題であるが、統治にかける資金・資源が莫大となる。最終的に資源の大量浪費。
このような社会は、今後再生可能資源の生活を目指す観点から、よくないと考えます。

やっぱりキーワードはエントロピー

投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/03/14 10:31 投稿番号: [34 / 67]
ゴミは資源だと言いますが、資源と言っても分散し混濁してしまった資源を分離するにはエネルギーが必要ですから、採掘して有効利用できる資源は限られてきます。
たとえば、鉄はどこにでも存在し、東京の地下水には鉄分が多量に含まれてコーヒーのような色をした水脈もあるそうですが、そこから鉄を分離して自動車を作ろうとしたら、石油などの他の資源が大量に無駄に費やされます。
つまり、生物による反エントロピー的な活動の結果一か所に純度の高い鉄鉱石が生成されるから、採掘して利用することが合理的なものになるわけですね。
加えて、オーストラリアで大量に採掘した鉄鉱石を船で千葉の製鉄所に運ぶコストは、釜石や秩父で採れた鉄鉱石を千葉まで運ぶよりも安いそうですから、その辺にも難しさがあります。
反対に、物質が混濁した材料も、焼却することによってエネルギーを分離しつつ無害で安定した物質に変化させ、不純物も酸化や気化を通じて回収しやすくなる場合が多いため、分別回収されたペットボトルも最終的には焼却されるのが合理的です。
鉱山からの分離学を専門とする武田さんが、リサイクル問題に関心を持つようになったのは、おそらくは、その辺を理解しない連中が不合理なリサイクルを強制して市民に無駄な労力を要求し、結果的にも無駄にエネルギーを消費し、一部の人々を利するだけのものになっているからだと考えられます。

吉村仁さんという人が、一般の市民の知性をどの程度だと考えているのか分かりませんが、先進国人というのは、合理的なルールの下に正しい知識を与えられれば、一人ひとりが非常に合理的な行動をするものです。
それぞれの家から満員電車を介してそれぞれの職場に到達することや、混雑した高速道路でめいめいが時速100kmで走りながら、人命や器物を損なうこともなくそれぞれの目的地へ向かうのも、人間の理性が反エントロピー的な行動をするからであり、たとえ未開の社会であっても獣的な欲望が無軌道に拡大するようなことはありません。
吉村さんのような立場の人々は、一般の人々に正しい知識を与え、合理的なルールを考えるのが仕事のはずですが、少なくとも吉村さんにはその能力も意志もなく、どうせ一般ピーポーはバカだからどうにもならないんだ、という理屈をつけて、役割をサボっていることになりますね。

それが人間です

投稿者: kagaku_to_gijutsu 投稿日時: 2010/03/13 21:38 投稿番号: [33 / 67]
  それが人間の本性と考えるべきでしょう。

  日本でも、昭和30年台の農村では鍵なんてかけていませんでした。鍵をかけられる戸でもなかった。夜にしんばり棒かませるくらい。

  貧しく現金もあまり持たない、ムラに不審な人が入ってきたらそれだけで緊張した人が集まってくる、商売人はあこぎな商売でムラ人は慢性的に不満を持っている。
  現地は日本とは全く違う階級社会、それに半世紀前と違ってグローバリゼーションがすすみ情報と資本主義が世界を駆け回っています。地域社会は崩壊し一旦何かがあれば人々はばらばら。

  そういうところ暮らせば、人は自分のためだけに行動するようになります。
  約めて言えば、貧困ゆえです。
  かつての日本は、貧しくともムラ社会があり互助がまだありました。それを知る人々がまだおり社会に対する信頼が残っているので、阪神大震災の時は整然と行動しました。
  つぎはそれができるか・・・

Re: 協調が必要分って・・欲望を抑えきれな

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/13 21:07 投稿番号: [32 / 67]
>この話は、ロイヤル島へオオカミを移殖してオオシカの数をコントロールすることで、食草生産以下のオオシカとそれに見合うオオカミの生態系ができた、と続きましたね。

はい。本の記載は、「・・・冬に餌に飢えた狼16頭が、氷の上を渡って、ロイヤル島にやってきた。」とあります。


>いずれにしろ、一部の人々や人を超える存在へ調整をゆだねることはできません。絶対に反発がでますから、うまくいくはずがありません。

私は、最近のハイチやチリ地震で現地TV映像の感想。商店の略奪や、救援物資の奪い合い、強いもののやりたい放題の、救いようがない姿を観ました。

一方、TV東京系の、田舎に泊まろう、という番組を観ての感想。島の人達は皆知り合い。民家では、鍵をかけずに外出している所があるんですね。相互信頼関係が出来上がっている。こういう島で、地震が来た場合でも、略奪などないと感じました。

統治武力とモラルの関係でしょうか?
それとも、民族・宗教・思想の違いでしょうか?
私は、統治武力だけに頼らず、モラルを構築するように展開していくことで、解決の糸口があるかもと感じました。

Re: 協調が必要分って・・欲望を抑えきれな

投稿者: kagaku_to_gijutsu 投稿日時: 2010/03/13 13:03 投稿番号: [31 / 67]
> このトピック[ No.12]で私が記述した件について:
> 20頭の大鹿が無人のロイヤル島に渡り、茂っている植物を食べて12年後に3千頭まで増えたが、その後大鹿が島の植物を食べ尽くして、800頭までに減り、痩せこけていた。
>
> 人間が欲望を抑えきれないと、未来において大鹿のようになる?

  なかなか意味深い例えです。
  この話は、ロイヤル島へオオカミを移殖してオオシカの数をコントロールすることで、食草生産以下のオオシカとそれに見合うオオカミの生態系ができた、と続きましたね。

  これを人間社会の暗喩ととらえるとしたら、どう対比されますか?
  オオシカ=人
  食草=資源
  でしょうか?人なら(オオカミを放す代わりに)人智で欲望をコントロールできる?
  でも人口を減らしても再生しない資源もあります。

  オオシカ=人
  オオカミ=先進国の人
  食草=資源
  こうなると怖いですね。

  オオシカ=牛や羊(家畜)それと肉を食べられない人
  オオカミ=人
  食草=穀物(人と家畜用食料)
  どんなコントロールするんでしょうか。
  オオカミを減らし、食料食いつなげるだけ一杯オオシカ(人)を増やす?
  それとも、オオカミを最大にするようオオシカ(家畜)を飼育する?


  いずれにしろ、一部の人々や人を超える存在へ調整をゆだねることはできません。絶対に反発がでますから、うまくいくはずがありません。

協調が必要分って・・欲望を抑えきれない

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/10 12:37 投稿番号: [30 / 67]
日経新聞2010年3月8日5ページのオピニオン欄に、吉村仁   静岡大学教授のインタビュー記事が掲載されていました。そして、聞き手の   滝順一編集委員は、「協調が必要とわかっても人間は・・・欲望を抑えきれない。」と記述していました。

このトピック[ No.12]で私が記述した件について:
20頭の大鹿が無人のロイヤル島に渡り、茂っている植物を食べて12年後に3千頭まで増えたが、その後大鹿が島の植物を食べ尽くして、800頭までに減り、痩せこけていた。

人間が欲望を抑えきれないと、未来において大鹿のようになる?

Re: 経済問題と環境問題2

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/08 20:00 投稿番号: [29 / 67]
sustainabilitianさん   詳しいご説明をいただき   ありがとうございます。

>京都会議の頃のアメリカでは、いろんな意味で自国に不利益な条約には批准できなかったのに対して、オバマ政権では大恐慌以来の不況が襲う中、同じ民主党のルーズベルト政権でのニューディール政策の二番煎じを、環境問題と絡めて行っているのですから、その程度の振幅がアメリカの選択であると見てよいと思います。<

私は、次の国連気候変動枠組み条約締約国会議を開催しても、京都議定書に参加していないアメリカが自国の主張をして、各国も自国の主張を行うだけで、合意できないのでは?   超大国自認のアメリカが、最強者としての自制をもつことによって、参加各国の譲歩を引き出せると思います。
超大国アメリカの自制無きは、イラク・アフガンなどイスラム圏や南米など、多分野で混迷を深めるのではないか?   と考えます。


日本は、掲げた25%削減目標を必達すると、欧州並みかそれ以上となり、各国から信用してくれる。
私は、目標を掲げる段階から一歩前進して、具体的に改善の計画を立て、実行するよう、協力すべきと思う(目標達成に向けて、我慢や譲歩が必要)。

現時点:自動車の経済問題と環境問題の難題:
sustainabilitianさんから、ご説明をいただき、私はやっと難しさが分かりました。
自動車の便利さを手に入れた現在は、自動車を容易に手放せない。車は原油使用比率が多いので、使い方を工夫し、無駄を省くことで、削減効果が大きい。
■環境によいことの達成を図る。■当面の環境対策は、輸送需要をいかに減らせるかが注目点。
①物資輸送距離短縮を図る⇒地産地消(小規模分散化)。物流の少量多頻度配送の自制と適正化、他社品混載等。
②人的輸送需要の減少を図る⇒インターネット利用のTV会議、観光地紹介など、人の移動需要の減少。
③難題:各論になるが、トヨタ車のリコール問題にみられるように、車の電子制御に伴う複雑化の解明を図る。
不具合公表とノウハウ流出防止の関係、情報の透明性など設計・製造・販売・修理など製品出荷後の対応。
メーカ・販売・修理側の体制と、ユーザ要求のミスマッチなど、種々の課題・難題が、山積している。
■供給側が、修理体制の整備やその他の難題に取り組み、解決する。
■ユーザは、車の故障を修理して長く使うべき。カーシェアリングなど必要最低限の使用、など。
私は、これらが環境によいと、思います。

Re: 規模の憂鬱

投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/08 12:59 投稿番号: [28 / 67]
kagaku_to_gijutsuさん   私の下手な表現の文章に対して、ご意見をいただき   ありがとうございます。
自分で読み返してみて、分かりにくかったです(ごめん)。

3.未来の非現実生活=「あるべき姿」
>   さしあたり枯渇がやや先の核分裂エネルギー、そのつぎはより困難な核融合エネルギーというところでしょうか?
>   もちろん、遠い将来のダイソン殻の検討も範疇の内です。<

私は、今後、安全に利用できる核融合エネルギーの研究開発が完成すれば、持続可能エネルギーに加わると考えます。核融合エネルギーの研究開発ができなければ、地球が蓄えてきた「遺産」エネルギーが枯渇した後に利用できるのが、再生可能なエネルギーの利用が持続可能な社会と思っています。
私は、kagaku_to_gijutsuさんの記述から、ダイソン殻を初めて知りました。私の知識不足で、コメントできません。


>ほんとうに有効なリサイクル再資源化のみ行うべきでしょう。

私も、そう思います。使用した後にごみとして出すことの限界を感じます。
対策は、捨てる神あれば、拾う神あり方式が良いのでしょうか?
購入時に飲料なら、容器に金銭価値を持たせ、飲料中身+容器価値を含めた売値、にするしかないのでしょうか?
TVなどは、購入時に廃棄拠点まで持参すつ価格を含めた売値に設定する。不要になり、捨てるときは、廃棄拠点まで持ち込めば、返金してもらえる。
ごみとして捨てられた容器やTVを廃棄拠点まで持ち込めば、返金してもらえる。これなら、ごみ減量になります。


>高速道路無料化政策・・・廃棄と消費誘引するエコポイント・エコカー減税制度・・・<

私は、エネルギーの浪費と思います。

経済問題と環境問題2

投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/03/07 22:20 投稿番号: [27 / 67]
環境問題の難しいところは、各々が利己的な内政と、各々が利己的な国際関係とのはざまで、あるべき方向の選択が難しいケースが多いことで、それでも大国ほど技術的に合理的な範囲に収まらざるを得なくなるとも言われますから、そうした文脈で見るとブッシュもオバマもあまり変わりないことをやっています。

つまり、京都会議の頃のアメリカでは、いろんな意味で自国に不利益な条約には批准できなかったのに対して、オバマ政権では大恐慌以来の不況が襲う中、同じ民主党のルーズベルト政権でのニューディール政策の二番煎じを、環境問題と絡めて行っているのですから、その程度の振幅がアメリカの選択であると見てよいと思います。

それに対して、鳩山政権は25%の排出削減と言いながらも具体的な方策は全く出てきませんが、それもそのはずで、日本の産業は霞が関の指導のもと環境問題への対応が非常に進んでいて、自動車産業自体も世界最高水準で、残る分野は暫定税率でようやく欧州の半分のレベルになっている自動車燃料の分野くらいなのですから、さすがに公約の暫定税率廃止はあきらめたとしても、もともと反環境的な公約で人気を集めた政権には、これ以上は期待できないと言ってよいでしょう。

>「・・・自動車の生産自体で消費するエネルギーも小さいのですが、反対にガソリンなどで自動車に消費される割合は、輸入原油の半分近くまで膨らんでいるそうですから、・・・」によると:
>①現行車を未来に使い続けたガソリン使用量。
>②エコカー生産自体で消費するエネルギー+を未来に使い続けたガソリン使用量。
>この①と②を比較して判断するべき。
>この比較をして、判断する方がよいのでしょうか?

ここは、経済問題と環境問題とをうまく切り分ける努力が必要になります。
まず、自動車産業は国内でもパチンコをもしのぐ巨大市場で、パチンコとは異なり輸出産業としても重要で、裾野も広くあらゆる産業分野に及んでいるため、今回のような大不況の際にはどうしても優先される分野になります。

ただ、不況時以外はもう少し資源の消費を抑えるような政策が必要で、その具体的な方策を考えることが肝要ですね。

そこで、自動車の生産とガソリンの使用量との関係を考えると、今の税制での消費行動からエネルギー消費の最小値を探るのも一つの考え方ですが、下手をすると日本車の開発が遅れて国際的な競争力を低下させるだけの結果になるので、税制も含めて、直接的なエネルギー消費の抑制、その他の資源の消費の抑制、移動需要に対する供給の確保、競争力のある効率の良い自動車の開発、国内景気の維持という複数の課題を同時に満たす政策が求められることになります。

オバマさんは、グリーンニューディール政策により、国内の景気対策と、環境問題に取り組んでいる姿勢のアピールを同時に満たそうとしていますが、日本のエコカー減税やエコポイントも同じようなものになると思います。

ただ、もっと積極的に各項目を満たそうとすれば、最も手近な方法は、逆インセンティブとしてのガソリン税の引き上げで、それにより、無駄な燃料消費の抑制、効率の良い車への買い替え、効率の良い車の開発の推進などが、消費者の判断の中で進むことになり、その上税収が増せば、公共交通への補助などを通じて移動需要の確保の原資にもなり、さらにそうした要素が相乗的に進んで大きなイノベーションにつながる可能性も秘めています。

実際に、ガソリン税が日本の二倍以上の欧州では、その分だけ自動車税などの維持税が低く、そのためか中古車の価格が比較的高いため、日本に比べて長く大切に乗ることが一般的です。

日本の税制は自動車産業を日本の基幹産業として育成しようとしていた時代の名残ですが、その恩恵を受けた自動車会社が、当時の政権政党である自民党による税制の改革に抵抗していて、それが今回の政権交代の一因にもなっているのですから、この辺は国民の冷静な判断力が必要になりますね。

Re: 規模の憂鬱

投稿者: kagaku_to_gijutsu 投稿日時: 2010/03/07 21:28 投稿番号: [26 / 67]
  さっそくお返事を頂き、ありがとうございます。

  oomoriyan66さんのご意見に、各項ごとにコメントします。

>1.過去時点の現実生活をアレンジすれば、ヒントが得られるかもしれない。

  何事からも学ぶ点はあるでしょう。しかし、生産規模、生産効率いずれをとっても、その懸隔が大きすぎます。個人として学ぶヒントは得られても、社会としてはいかがなものか・・・

>3.私は、ここが大事と思う。■例えば:
>①どのようにエネルギー資源を得るのか?

  さしあたり枯渇がやや先の核分裂エネルギー、そのつぎはより困難な核融合エネルギーというところでしょうか?
  もちろん、遠い将来のダイソン殻の検討も範疇の内です。

>②掘り出して使用してしまって地上に分散した資源を、いかに再資源化するのか?

  エントロピーの話もありましたが、分散した資源を再資源化するのは非常に困難です。局部的にエントロピーを減少させてるように見えて、その実その濃縮サイクルを回すためより多くのエネルギーを消費している。エントロピーは増大していきます。
  ほんとうに有効なリサイクル再資源化のみ行うべきでしょう。

>③その他にも多々の課題と解決アイデア出し。

  これは常に必要ですね。

>2.結論は(1と3を並べた上で):2「今ある姿」の現実内容と、3「あるべき姿」非現実の内容を比べて、「あるべき姿」を基準にとって「今ある姿」を批判することができる。

  「あるべき姿」へ向けて技術開発・財政支援を集中するということでしょうか。
  残念ながら「あるべき姿」像が貧弱な気がしますけれど。

  「今ある姿」を批判、と言う点では、近視眼的ですが、
1) 石油多消費となる高速道路無料化政策(無駄な建設投資にもなります)
2) 短期的な廃棄と消費誘引するエコポイント・エコカー減税制度
  は批判されるべきと思います。いかがでしょうか?
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