都市の効率、農村の冗長
投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/05/08 09:45 投稿番号: [55 / 67]
結論へ導こうとする方向に水を差すようで恐縮ですが、生活にかかるエネルギーや、経済効率の点で、人が集まることによって効率が良くなるという効果が都市の利点であり、集まることによって生活を合理化して、効率の良い活動ができるのに対して、農村は消費財も交通も冷暖房も自前で一通りを確保する必要があるので、どうしても冗長性が高くなります。
ただ、災害などのトラブルの際にはこの立場が逆転することがあり、神戸と小千谷の地震は同程度であったと思いますが、小千谷の方はわずかな支援で、ほとんど自前の力で立ち直ることが出来たわけです。
これは、鉄道と自動車との関係にも似ていて、普段の通勤などでは電車の効率の良さが重要だけれども、トラブルの際には自動車が力を発揮するケースが多く、かつては戦争の際の物資も鉄道で運ぶのが常識だったのを、有事の際の鉄道の脆弱さと自動車の機動力に着目したヒトラーが整備させたのがアウトバーンであると言われます。
ですから、都市と農村のどちらが良いか、あるいは鉄道と道路のどちらが良いかということはなく、両方の長所を兼ね備えたような暮らし方を模索したら面白いんじゃないかと考えています。
たとえば、都市生活の効率の良さを持ちながら、周囲に田園を控えて災害などのトラブルにもタフな都市を考えると、欧州の都市はその条件を維持しているのに対して、東京などは明らかに過密で、投資効率が非常に悪い都市になっています。
同様に、鉄道の効率を持ちながら、自動車の機動性を維持する乗り物としてはバスがありますが、最近は結構注目されているんじゃないかと思います。
東京を水害から守り、東京の水需要を満たす為に山の中にダムをつくる、その是非自体も、東京の人々がそれぞれの都合や立場で議論する、東京に巨大な投資がなされた結果、東京の人々が儲かるようになれば、それは自分たちの才覚で成した金で、田舎ものは東京の人間が喜ぶような奉仕をして見せたら、金を恵んでやる、という構造が現代日本の都市と農村の関係ですが、自然の恵みで暮らせるような社会の構造を考えるためには、その辺から考え直さないと、議論は必ずおかしな方向に進むんじゃないかと思います。
これは メッセージ 54 (oomoriyan66 さん)への返信です.
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