Re: 「バックキャスト」がなんだか知りませ
投稿者: sustainabilitian 投稿日時: 2010/03/16 23:46 投稿番号: [44 / 67]
トピ主さんにとって、気持ちの良い方向への脱線には言いたいことは多いのですが、とりあえず最近の脱線について。
最近は安直に江戸時代を礼賛する気風が、割合歴史に無知な理科系の学者の思いつきによって流布されているようなので、注意が必要だと思います。
たとえば、井原西鶴や近松門左衛門なんかを読むと、当時は、庶民に対する身分的倫理的な締め付けが異常なほど厳しい、管理社会であったこと、そのため、一般の町民が鳩山首相のような不義密通を行えば、二つに重ねて四つにするといわれるように文句なしに死罪、手紙を届けただけでついでに死罪になった気の毒な下女の話も西鶴にはあります。
もし鳩山さんが大名ならば良くて左遷、悪くて切腹改易で、下々ほど厳しく、命が軽んじられていた時代でした。
また、江戸時代を通じて人口が三千万人で変わらなかったことが知られますが、実際には農村でも長者さんは子だくさん、貧乏な家は子供を育てる余裕はなく、農村の余剰人口は近隣の都市へ流れ込み、さらには江戸へと流れ込みますが、基本的には庶民にも武士階級にも移動の自由が認められていなかったため、江戸へ出ても出稼ぎ身分で市民権を持つわけでもなく、当然所帯を持てるわけでもないので、都市というアリ地獄に人口が流れ込んで消滅するような形だったそうで、その意味では現代社会に似ています。
また、江戸時代の飢饉の犠牲者は、地方の農業生産地に発生し、反対に都市には発生していません。
上杉鷹山の時代の米沢藩は武士が庶民と一体となって改革に取り組んだために餓死者を出さなかったものの、隣の仙台藩では仙台以外では多くの餓死者を出しているそうですが、都市民は暴動を起こすのに対して、農村の人々は大人しく運命を受け入れて死んでくれるので、為政者の政策意識のしわ寄せを庶民に押し付けることで生きてこられたというか、生きてこられた人は生きてこられたというのが現実のようです。
つまり、厳しすぎる掟の下で、農村に居ても都市に移っても、身分が高くても低くても、銘々に厳しい現実の中でかろうじて生き延びてきたのが江戸時代の日本人であったと言えます。
それゆえ、外圧が黒船という実体を伴って眼前に出現しただけで、制度疲労が自ずから露呈せざるを得なかったのであって、最近になって、有名な「上喜撰」の狂歌も、後知恵で作られたものではないことが分かったそうですが、その後の戦時中や現代のように安直にマスコミの論調に庶民が乗せられるようなのどかなものではなく、国民の多くが本気でヤバいと感じるほどの状況が、江戸末期の現実だったんじゃないかとおもいます。
ちなみに、木材資源の利用は、2割ほどが先進国の工業利用で、半分以上が途上国の薪炭としての利用だそうですが、先進国の側の森林は管理され拡大しているのに対して、途上国の薪炭利用は森林減少の大きな原因だそうですから、江戸時代礼賛の落とし穴はその辺にもありそうですね。
それから、今は砂漠の中のメソポタミアも、元はレバノン杉におおわれる豊かな森林地帯だったのが、当時の技術での文明の発達で砂漠化したそうですね。
ギリシアの灌木と岩肌の山々も、日本の中国地方の花崗岩質の痩せた山々も、同様に人間の稚拙な技術のなせる業で、中国地方は山陰の製鉄と山陽の製塩に使われて、表土が流されて岡山平野を拡大させ、山をハゲ山にしたと言われます。
古い技術でのエコ社会の実現は難しいものですね。
最近は安直に江戸時代を礼賛する気風が、割合歴史に無知な理科系の学者の思いつきによって流布されているようなので、注意が必要だと思います。
たとえば、井原西鶴や近松門左衛門なんかを読むと、当時は、庶民に対する身分的倫理的な締め付けが異常なほど厳しい、管理社会であったこと、そのため、一般の町民が鳩山首相のような不義密通を行えば、二つに重ねて四つにするといわれるように文句なしに死罪、手紙を届けただけでついでに死罪になった気の毒な下女の話も西鶴にはあります。
もし鳩山さんが大名ならば良くて左遷、悪くて切腹改易で、下々ほど厳しく、命が軽んじられていた時代でした。
また、江戸時代を通じて人口が三千万人で変わらなかったことが知られますが、実際には農村でも長者さんは子だくさん、貧乏な家は子供を育てる余裕はなく、農村の余剰人口は近隣の都市へ流れ込み、さらには江戸へと流れ込みますが、基本的には庶民にも武士階級にも移動の自由が認められていなかったため、江戸へ出ても出稼ぎ身分で市民権を持つわけでもなく、当然所帯を持てるわけでもないので、都市というアリ地獄に人口が流れ込んで消滅するような形だったそうで、その意味では現代社会に似ています。
また、江戸時代の飢饉の犠牲者は、地方の農業生産地に発生し、反対に都市には発生していません。
上杉鷹山の時代の米沢藩は武士が庶民と一体となって改革に取り組んだために餓死者を出さなかったものの、隣の仙台藩では仙台以外では多くの餓死者を出しているそうですが、都市民は暴動を起こすのに対して、農村の人々は大人しく運命を受け入れて死んでくれるので、為政者の政策意識のしわ寄せを庶民に押し付けることで生きてこられたというか、生きてこられた人は生きてこられたというのが現実のようです。
つまり、厳しすぎる掟の下で、農村に居ても都市に移っても、身分が高くても低くても、銘々に厳しい現実の中でかろうじて生き延びてきたのが江戸時代の日本人であったと言えます。
それゆえ、外圧が黒船という実体を伴って眼前に出現しただけで、制度疲労が自ずから露呈せざるを得なかったのであって、最近になって、有名な「上喜撰」の狂歌も、後知恵で作られたものではないことが分かったそうですが、その後の戦時中や現代のように安直にマスコミの論調に庶民が乗せられるようなのどかなものではなく、国民の多くが本気でヤバいと感じるほどの状況が、江戸末期の現実だったんじゃないかとおもいます。
ちなみに、木材資源の利用は、2割ほどが先進国の工業利用で、半分以上が途上国の薪炭としての利用だそうですが、先進国の側の森林は管理され拡大しているのに対して、途上国の薪炭利用は森林減少の大きな原因だそうですから、江戸時代礼賛の落とし穴はその辺にもありそうですね。
それから、今は砂漠の中のメソポタミアも、元はレバノン杉におおわれる豊かな森林地帯だったのが、当時の技術での文明の発達で砂漠化したそうですね。
ギリシアの灌木と岩肌の山々も、日本の中国地方の花崗岩質の痩せた山々も、同様に人間の稚拙な技術のなせる業で、中国地方は山陰の製鉄と山陽の製塩に使われて、表土が流されて岡山平野を拡大させ、山をハゲ山にしたと言われます。
古い技術でのエコ社会の実現は難しいものですね。
これは メッセージ 43 (kagaku_to_gijutsu さん)への返信です.