南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: Re2: スマイス調査 疫病の蔓延

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/11/29 06:59 投稿番号: [7733 / 41162]
>> そうすると、「洞富雄の訳文は信用できませんから。」というのは言い捨てたきりで、
>> 「洞富雄の訳文が信用できるかどうか」は検証しなかったということですね。

>信頼できないからわざわざ原文を当たったんですよ。

検証した結果信頼できないという結論に達したのではなく、
信頼できないに決まっているから参考にしなかったと言うわけですか
そりゃまた、まことに実証的なお話ですね。


>他のデータと照合しなくてもこの程度のことは言えます。
  きちんと読んで、判断すればね。

合理性の物差しをどこに置くかの問題なのです。


>> 想像で実際の観察者の報告を否定してもしょうがないでしょ。
>つまり紙に書かれたものは鵜呑みにする、と。
>まあ、そんなものでしょうね。

いえ、データの信頼度を検証するのに対立データがないのに想像で否定してもしょうがないと言ってるのです。
科学的、論理的な検証の結果であれば問題ないのですが、想像で資料を否定するのはどうかと思います。


>> 他の人の記録でも
>> 疫病の蔓延に言及したものはありません。
>そもそも「他の人」なんていないでしょ。

中国人数十万人と日本人十万人以上、外国人数十人が存在しましたが、
「疫病の蔓延」を記録した人を今のところ知りません。
日本軍の報告書「華中宣撫工作資料」にも記載はないですね。


>分かりましたか?
>雨が少なかったから病死を考慮する必要が無い、という論述には合理性が無いのですよ。

ああなるほど、あなたはスマイスが想像で病死が少ないと言っていると思っているのですね。

そうじゃありませんよ。
調査データで病死が少なかったから、少ない理由の説明として考察を行っているのです。
ルワンダで疫病による死者が多かったのは観察された   事   実   であり、
何も「水不足だから疫病が多かったに違いない」という   想   像   で言われて
いるわけではないのです。

これが   想   像   によるあなたの主張との大きな違いなのです。


スマイス調査の場合、病死の数字が少ないというデータに対して、
平時でももっと病死が多いことがあるのに少なすぎるのではないか
と疑ったスマイスが、データに合う説明を考察しているだけです。

【参考】
病気による死亡

  病死者の数は回答のなかできわめて少なく、全部で四〇八〇人、すなわち百日間で一〇〇〇人当り3.8人になる。
  これは報告数がきわめて少ないように見える。たとえば、五歳以下のものについては一人も病死者として回答されていない。同様な傾向が平時においても認められ、しかも、以前には冬になれば必ず多数の変死者が出ることが目立っていた。
  また、当初の質問では病死と殺害されたものの二者択一であったけれども、病死者のうち若干のものが殺されたものと混同されたこともありうる。そして、この混同による限界は、平時の死亡率と比較して検べてみれば、殺害されたものとして回答のあった数にいちじるしく影響するほど大きくはありえない。
  この一〇〇日聞は二年続きの豊作に続く例になく温和で天候のよい季節であった。疫病や変った病気が全然なかったことは明らかである。

時間が足りなくなったので、人口論は後日。

Re: Re2: スマイス調査 人的被害 2)

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/11/28 21:51 投稿番号: [7732 / 41162]
  人口調査及び被害者調査についての反論は2点だけで事足ります。

(1)一次抽出率X二次抽出率
  が正しい解釈と言うなら、一次抽出率は何パーセントですか?

(2)原データが不足しているサンプル調査に留保つきの資料として以上の価値があるんですか?
  つまり

> >the Agricultural Surveyは暫定的な調査結果であり、the City Surveyと同じ推計方法を採用した場合、調査された範囲で死者の数は4千人弱と見られる、としておくのが誠実な科学者としての態度だと思われます。
>
> 推計方法自体は妥当と考えられます。

  これ以上のことが言えるんですか、という意味ですが。
  【参考】の部分もちゃんと読んだ上ですから何度も引用する必要はありませんよ。

Re: Re2: スマイス調査 疫病の蔓延

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/11/28 21:49 投稿番号: [7731 / 41162]
> そうすると、「洞富雄の訳文は信用できませんから。」というのは言い捨てたきりで、
> 「洞富雄の訳文が信用できるかどうか」は検証しなかったということですね。
> 結構です。

  信頼できないからわざわざ原文を当たったんですよ。
  最初からそう言っているでしょう?

> つまりスマイス報告の結論の妥当性は検証していない、と。
> 検証していないから結論の妥当性に異を差し挟むものではないとおっしゃるなら
> それでもいいんですけど、そうは見えんかったけどなあ   (^◇^

  合理性に欠けている、と言っているんです。
  他のデータと照合しなくてもこの程度のことは言えます。
  きちんと読んで、判断すればね。
  つまらない言いがかりは程々にしたらどうですか?

> 想像で実際の観察者の報告を否定してもしょうがないでしょ。

  つまり紙に書かれたものは鵜呑みにする、と。
  まあ、そんなものでしょうね。
  書かれた内容よりも誰が書いたかを優先すると常々公言している人らしい。

> 他の人の記録でも
> 疫病の蔓延に言及したものはありません。
> だからこれは事実でしょう。

  そもそも「他の人」なんていないでしょ。
  それとも誰か、農村地帯の死因について他に調査した人がいるんですか?

> 乾燥状態の方が人は病気にかかりにくいと言う常識はここにおいても有効だと思います。

  疫病蔓延の決定的ファクターは衛生状態と食糧事情ですよ。
  水不足による衛生状態の悪化は疫病流行の原因となります。
  少し極端な例ですが、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の出している機関紙「難民」誌から1994年ルワンダの例を引用してみましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  恐怖に震え国境に押し寄せた数十万人のルワンダ人が目にしたのは、残酷な現実だった。広大なキブ湖は、アフリカの太陽の下でキラキラ輝きながら、はるか地平線にむかって伸びている。汚れ、疲れ果てた避難民たちは、“命の水”がすぐにでも、無制限に手に入ると希望で胸を膨ふくらませた。
  だが、避難民の数が容よう赦しゃなく増えるにつれて、彼らは湖からどんどん遠くへと押しやられ、とうとう何十キロも離れた黒と灰色の火山岩でできた乾燥地で暮らすことを余儀なくされた。
  1994年の夏、ジェノサイド(民族大虐殺)を逃れようとわずか数日で100万人をこえるルワンダ人が隣国、ザイール(現コンゴ民主共和国)になだれ込んだ。数週間のうちに数十億ドルにのぼる国際的な援助努力が払われたが、6万人が水不足から疫病にかかり、コレラにいたる悪循環に陥って死亡した。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
http://unhcr.or.jp/news/pdf/refugees27/ref27_p12.pdf

  分かりましたか?
  雨が少なかったから病死を考慮する必要が無い、という論述には合理性が無いのですよ。
  これは知識と、因果関係を思考する能力の問題です。ただ、小学校程度では教えていないかもしれませんね。

ってか、南京大橋の売店で

投稿者: hyougarapanntsu 投稿日時: 2005/11/28 14:04 投稿番号: [7730 / 41162]
たくさんの、南京大虐殺に関する本、写真集みたいなのが日本語、英語、etc・・・売られてます。   その売り場をゾロゾロ通り抜ける日本人観光客。お客さんは美しい橋をバックに写真を撮ることに夢中、売店の中国人はというと、そんな日本人には一切関心なし!・・・添乗員としてそこを訪れていた私は一人、緊張してました。    そぉ〜っと売店で本を立ち読み。日本語版だからよくわかるんですよねぇ〜内容が。涙でそうになりました。慌てて読むのを止め、周りをチラと気にしてみましたが、やっぱり無関心な中国人販売員達。今の生活を生き抜くのが大切で、この本を売って生計たてる事に一番の興味を示す、中国人を見た!!   暴動起こしてた中国人たちはこの販売員たちの態度には暴動起こさないのかなぁ〜   同志として。

Re2: スマイス調査 人的被害 2)

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/11/28 06:37 投稿番号: [7729 / 41162]
>それにも関わらず、スマイスは妥当性を欠く推計方法で農村地帯の被害総数を推計し、日本非難の材料としている訳です。

統計調査というのは採用された手法の中で妥当な処理が行われていれば、妥当性を
欠いていることにはなりません。
全体をくまなく調査すれば、より正確度の高いデータが得られるのは当然ですが、
大規模な会戦後の、調査対象域を日本軍が占領していたり中国軍が占領したりしている中で
行われた調査です。
統計調査というのは全数調査の代替物として行われることはあたりまえのことですので、
取りうる手法として採用されたものは、その手法の中において適切に処理されているなら、
データはデータとして尊重するべきでしょうね。




【参考】

”EFFECTS OF WAR;FARMS AND CITY COMPARED”
戦前には、調査した四・五県の農業人口は南京の人口よりも大して多くはなかったけれども、三月の調査期間には四倍以上も多くなっていた。
  残留した農家の場合、移動によりおよそ11パーセントだけ人口を減じており、30パーセントほどのものは一家ぐるみ離村して遠くに行っていた。
  市部では移動によって残留家族の人口の14パーセントが減じ、当初の全居住家族のおよそ75パーセントであった。
  調査によれば、南京の人口は二二万一〇〇〇人で、農村では一〇七万八〇〇〇人であった。


“APPENDIX   A    FURTHER NOTES ON ORGANIZATION AND METHOD”
1   実地調査の手順
  J ・ L ・パック教授がその調査のなかで行なっているように、「平均的な村」を設定する代りに、任意抽出のやり方に従って調査が進められた。現状のもとでの諸困難によって、調査員が現地に二度行くことが不可能となっていたからである。
  その上、一九三二年の上海周辺の農村地区で戦時調査をおこなった時のように、訓練された観察者の大集団を実地調査に向けることもできなかった。
  こうした機会もなく、一九三二年の戦争の被害がいかに部分的なものであったかを知っていたために、一定の間隔をおいて選ばれた任意抽出の方が、「平均的な村」をあわてて選定するよりも、誤りが少なくなると考えられた。
  さらに、このように一定の間隔ごとに間をおいて任意抽出を行なうことは、「代表的な事例」を選ぼうとするよりも、原則としては通常、より客観的なものであるといわるべき点がある。
  この方法でうまくゆかなかったように思われる一例は、江浦県の耕地調査の場合で、農家平均耕地面積と、それによる耕地面積の総計が多すぎるという結果になった。 ( 第十七表を見よ)
この手続きは当初の予想以上に成功をおさめた。しかしながら、六合県では調査員が県の北部を掌握している中国人当局に身元を疑われ、委員会が手紙を出すまでスパイとして留置された。同じ困難が現地調査のはじまったときに高淳県でも起った。

(以下、   2.集計上の手続き、   3.正確度の点検、と続きますので確認下さい)
 

Re2: スマイス調査 人的被害 

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/11/28 06:35 投稿番号: [7728 / 41162]
>「調査員が道筋で発見した村」の総数が、南京地区農村部の村総ての数の何パーセントに当たるのかが分かっていればこれも正しい結論です。

統計というものの考え方を基本で共有できていることまでは確認しました。


>しかし、貴方の云うところの「一次抽出率」が分からないから、スマイスは
サンプル数/母集団に対するサンプルの比率(貴方と云うところの抽出率)
という都市調査で採用した推計方法を使えなかったのです。

これは、因果関係が逆です。
地域が広大で、都市調査と同じ手法が使えないから、サンプリングで全体を推定せざるを
得ないのです。
地域全体の農家の数については、1932年のバック調査に基礎を置いているわけで、
ここからサンプリングで得た情報を元に、母集団全体を推定しているのです。
統計というものは、サンプルから母集団を推定するものであって、これ自体は別に不思議でも
何でもありません。
1932年と1938年との間に、「戦争被害」以外の大きな擾乱が入っていない限り、
統計の手法上は何も問題ないことです。


>問題は被害率の差だけでなく、不在率の差、つまり村落単位で集団疎開したようなケースが全く考慮されていないことと、そもそも1932年調査時点の人口分布と1938年調査時点の人口分布が同一であるという仮定自体が不自然であるという要因がありますが、「そのために使えるデータがない」という指摘はその通りですよ。

統計調査ですから、「村落単位で集団疎開したようなケース」が統計上無視し得ないような
頻度で発生していれば、それはサンプルの中に入ってくることで、全体の結果に反映されます。
南京地区全体でごくまれに発生したケースが統計上反映されないことはあり得ます。
私はむしろ、「街道沿いにサンプリングする」という調査手法から見て、
「村落単位で集団疎開したようなケース」があるとすれば、平均以上の頻度で調査対象に
なっている可能性が高いと思います。



Re2: スマイス調査 疫病の蔓延

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/11/28 06:34 投稿番号: [7727 / 41162]
>英文の資料を検証しようとしているところに何故日本語訳との比較検証を行わなければならないのか意味不明。

そうすると、「洞富雄の訳文は信用できませんから。」というのは言い捨てたきりで、
「洞富雄の訳文が信用できるかどうか」は検証しなかったということですね。
結構です。


>また、スマイス報告の結論の妥当性を検証するならともかく、スマイス報告自体の合理性を検証するために何故他の独立したデータとの比較が行われなければならないのか、これも意味不明。

つまりスマイス報告の結論の妥当性は検証していない、と。
検証していないから結論の妥当性に異を差し挟むものではないとおっしゃるなら
それでもいいんですけど、そうは見えんかったけどなあ   (^◇^


>大量の死体が放置されていたであろう戦場跡で、腐敗物を押し流す水量が不足すればどういうことになるか、想像できませんか?

想像で実際の観察者の報告を否定してもしょうがないでしょ。
実際に疫病の蔓延があったり、著しい病死率の上昇があったりしたら、実地調査の
結果に反映されるはずですが、それが表に現れなかったということです。


>なお私は「温暖小雨だから病死を考慮する必要がない」というスマイスの論理破綻を指摘しているのであって、疫病発生の実例を挙げている訳ではありませんからこれもお間違えなく。

疫病の蔓延がなかったというのはスマイスの観察した事実であり、他の人の記録でも
疫病の蔓延に言及したものはありません。
だからこれは事実でしょう。
疫病の蔓延がなければ、病死率は通常時に対してそう高くならないだろうと言うのも
おかしな推測ではありません。
冬季にしては気温が高く、降水が少なかったことも事実でしょう。
これも、他の人の記録から見て、(たとえばヴォートリン日記12月23日、
1月17日)裏付けられます。
二つの事実を結びつけること、因果関係を認めることは不思議な思考ではないし、
乾燥状態の方が人は病気にかかりにくいと言う常識はここにおいても有効だと思います。


Re: スマイス調査 人的被害 2)

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/11/27 21:18 投稿番号: [7726 / 41162]
> 「調査員が道筋で発見した村」の総数が、南京地区農村部の村総てではないことは
> 理解いただけると思います。    解りますね?
> だから、この記述の段階で、抽出がすでに行われているのです。

  ここまでは正しい。

> つまり、サンプリングは二段階に分けて行われたのですから、
> サンプルの抽出率全体は
>   一次抽出率X二次抽出率     になります。

  「調査員が道筋で発見した村」の総数が、南京地区農村部の村総ての数の何パーセントに当たるのかが分かっていればこれも正しい結論です。
  しかし、貴方の云うところの「一次抽出率」が分からないから、スマイスは
  サンプル数/母集団に対するサンプルの比率(貴方と云うところの抽出率)
  という都市調査で採用した推計方法を使えなかったのです。
  ここが全く理解できていないようですね。

> したがって、スマイスの計算方法は基本的に正しいのです。

  もう一度考え直してみることをお勧めします。

> この疑問が当たっているかどうかを検証するためには、地域による被害率の差と、
> スマイスの調査対象とした村落の分布を比較してみなくてはならないのですが、
> そのために使えるデータがない以上、不可能なわけです。

  問題は被害率の差だけでなく、不在率の差、つまり村落単位で集団疎開したようなケースが全く考慮されていないことと、そもそも1932年調査時点の人口分布と1938年調査時点の人口分布が同一であるという仮定自体が不自然であるという要因がありますが、「そのために使えるデータがない」という指摘はその通りですよ。
  その為に使えるデータがあったなら、都市調査と同じように
  サンプル数/母集団に対するサンプルの比率
  で被害総数を推定していたでしょうから。
  それにも関わらず、スマイスは妥当性を欠く推計方法で農村地帯の被害総数を推計し、日本非難の材料としている訳です。
  農村調査の被害者総数は、都市調査の被害者総数よりも著しく妥当性を欠くという点については合意を得られたものと理解します。

Re: スマイス調査 疫病の蔓延

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/11/27 21:16 投稿番号: [7725 / 41162]
> とのことですが、拝見したところでは、日本語訳と英文との比較検証を行ったわけでもなく、

  英文の資料を検証しようとしているところに何故日本語訳との比較検証を行わなければならないのか意味不明。
  また、スマイス報告の結論の妥当性を検証するならともかく、スマイス報告自体の合理性を検証するために何故他の独立したデータとの比較が行われなければならないのか、これも意味不明。
  下らない中傷ですな。

> まさしくこれは「感情的な反論」にしかなりません   (^^;

  感情的な反論とはスマイスのデータ処理方法について検証も行わず「都市調査の犠牲者数は過小だが、農村調査の犠牲者数は信頼できる」などと頭から決めつけるような論法を云います。

> 湿度が高い方が病原体となる細菌や小動物の繁殖には好条件であることは、日本人なら
> 小学校でも習うと思います。
> 乾燥状態の方が疫病は蔓延しにくいのです。
> だから、これも問題ありません。

この部分を読まなかったんですか?

>> 農業用水にも事欠く状態で戦場となった地域の衛生が保たれるものでしょうか?

  北アフリカの砂漠地帯じゃあるまいし、揚子江下流域地帯が微生物の繁殖も出来ないほど乾燥するものですかw
  確かにケースとしては水害と疫病のセットが多数派でしょうけど、旱魃と疫病のセットがレアケースというわけではありませんよ。
  水が不足すると云うことは、下水処理能力が大幅に低下すると云うことです。
  大量の死体が放置されていたであろう戦場跡で、腐敗物を押し流す水量が不足すればどういうことになるか、想像できませんか?
  まさか、温和な気候が続いていたと認めたにもかかわらず、腐敗が進行しないほど寒冷だった等という恥知らずな主張はしないでしょうね?
  小学校が何ですって?
  ああそれから、前回指摘し損なっていましたが、飢餓による体力低下も疫病流行の原因となります。

> だから、これも問題ありません。

  もう少し論理的に思考することをお勧めします。
  なお私は「温暖小雨だから病死を考慮する必要がない」というスマイスの論理破綻を指摘しているのであって、疫病発生の実例を挙げている訳ではありませんからこれもお間違えなく。

スマイス調査 人的被害 2)

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/11/27 07:04 投稿番号: [7724 / 41162]
>具体的な手順は本文から、
(1)サンプル調査で不在率を算定
(2)1932年Buck調査の総数に不在率を掛けて人口を推定
(3)更に、推定人口に死亡率を掛けて死亡者数を推定
というロジックを採用しているものと読み取れますが、

「不在率」というのが残留家族の11%にすぎないこと、一家全体での移動は30%で
あったことが、“MIGRATION FROM FARMS”と”FFECTS OF WAR;FARMS AND CITY COMPARED”
の部分から読みとれますね。

>しかし果たして、中国軍の清野作戦で大打撃を受けた進軍ルートの農村地帯が、

ここでまたしても事実と違う前提で推理が行われているのです。
中国軍が焼き払ったのは、城壁外の10マイルですから(ニューヨークタイムズ12月8日記事)、
行政区としてはほぼ南京市の範囲、街道沿いのみであることを考慮すれば江寧県の半分にも
達しません。
農村調査の行われた範囲は南京市を中心に半径でその数倍、50キロぐらいの範囲であり、
調査範囲の村落全体が中国軍によって焼き払われたわけではありません。


ただし、次のような疑問は残ります。
「主要街道を中心にして、その後背地の村落を調査したのなら、日本軍の進撃路沿いの、
日本軍が実際に通過した地域を中心に調査が行われたのであって、
日本軍が到達し得なかった村落はサンプリングから洩れているのではないか?」
つまり、被害の激しい地域の被害率から全体の被害を算出しているのではないか、
と言うことです。

この疑問が当たっているかどうかを検証するためには、地域による被害率の差と、
スマイスの調査対象とした村落の分布を比較してみなくてはならないのですが、
そのために使えるデータがない以上、不可能なわけです。

なお、スマイス自身はこの点の問題には気付いており、一応の考察を加えています。
“APPENDIX   A    FURTHER NOTES ON ORGANIZATION AND METHOD”を
確認して下さい。
平均的モデルの設定について言及するとともに、不在家族の死亡率により、
死者数の推定は変化することが述べられています。



スマイス調査 人的被害

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/11/27 07:03 投稿番号: [7723 / 41162]
>ところで、北村教授の『「南京事件」の探求』(文春文庫)にも指摘されていますが、スマイス調査の内、the Agricultural Surveyについては奇妙な推計方法が採用されています。
>the Agricultural Surveyは暫定的な調査結果であり、the City Surveyと同じ推計方法を採用した場合、調査された範囲で死者の数は4千人弱と見られる、としておくのが誠実な科学者としての態度だと思われます。

推計方法自体は妥当と考えられます。


>しかし、3集落ごとに、10軒に1軒の割合で調査をしたのだから、サンプルを30倍するのが普通の推計方法です。現にthe City Surveyではこちらの推計方法が採用されています。

なるほど、ここが間違っているのですね。

「調査員は主要道路にそって進み、それから8の字を描きながらその道路をジグザグに横断して戻り、道路の後背地にある地域をカバーするように指示された。この一巡のさいに道筋にある村三つから」

というのは、この段階で第一段階のサンプリングが行われていることなのです。
「調査員が道筋で発見した村」の総数が、南京地区農村部の村総てではないことは
理解いただけると思います。    解りますね?
だから、この記述の段階で、抽出がすでに行われているのです。

こうして一次抽出された村から
「村三つから一つをえらんで村落調査表を作製し、それらの村で帰村している農家のうち一〇家族に一家族を選んで農家調査表に記入することにした。」
わけです。   ここでもサンプリングが行われ、これが第二次の抽出になります。
つまり、サンプリングは二段階に分けて行われたのですから、
サンプルの抽出率全体は
  一次抽出率X二次抽出率     になります。

したがって、スマイスの計算方法は基本的に正しいのです。


スマイス調査 疫病の蔓延

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/11/27 07:01 投稿番号: [7722 / 41162]
「この一〇〇日聞は二年続きの豊作に続く例になく温和で天候のよい季節であった。疫病や変った病気が全然なかったことは明らかである。」

「さらに天候が異常乾燥であったことも作付けをおくらせ、農民のうちには十二月初旬までおくらせたものもあったが、そうするうちに、戦禍がおそいかかり、畑仕事は不可能になったのである。」

>つまり、この時期は異常に乾燥した気候が続いていたと述べられています。確かに、言い換えればunusually mild and fair weatherでしょうけど、農業用水にも事欠く状態で戦場となった地域の衛生が保たれるものでしょうか?

はいはい、「温和である」とは気温があまり下がらなかったと言うこと、「天候がよい」とは、
雨や雪の日が少なく晴れた日が多かったということです。
「天候が異常乾燥であった」とは、降水量が少なく、湿度が低かったということですから、
「天候がよい」とは全く矛盾しませんね。
だからこれは問題ありません。


>異常な少雨によって疫病が発生し難かったというロジックには、不自然な感を禁じえません。

梅雨時から初夏にかけて食中毒が多くなることは常識であり、これが不自然と感じるのは
奇妙なことです。
湿度が高い方が病原体となる細菌や小動物の繁殖には好条件であることは、日本人なら
小学校でも習うと思います。
乾燥状態の方が疫病は蔓延しにくいのです。
だから、これも問題ありません。

超遅レスへの遅レス

投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/11/27 07:00 投稿番号: [7721 / 41162]
msg6530で
>まっ、私もスマイス報告の英語原文を当たり直してみることにしますよ。
  洞富雄の訳文は信用できませんから。
  暫くご無沙汰になると思いますが、悪しからず。

と宣言された、スマイス調査の読み取りご苦労様でした。

少しコメントさせてもらいます。


>以上は"WAR DAMAGE IN THE NANKING AREA"を論理的に検証した結果です。
従って、感情的あるいは教条的な反論は受け付けませんので悪しからず。

とのことですが、拝見したところでは、日本語訳と英文との比較検証を行ったわけでもなく、
独立したデータとの比較が行われたわけでもないので、大部分はnmwgipさんの印象を
述べたものになっています。

それは次のような表現からも明らかなことですね。   いわく、
「という印象を持ちました」、「ように見えます」、「根拠にはならないはずです。」、「根拠とはならない、
と論じることも十分可能であり」、「姿が垣間見られるようでなりません」、「姑息な印象を覚えます」、

これに対して   「私はそういう印象を持ちません」、「私にはそのように見えません」
「根拠になるはずです」、「姑息な印象は覚えません」と言ってみても、
まさしくこれは「感情的な反論」にしかなりません   (^^;


というわけで、看板通りに「論理的検証」が行われていると認められる部分についてだけ
少しく「論理的、科学的な事実」を指摘しておこうと思います。

なお、nmwgipさんが英文で引用された文については、理解しやすさを考慮して、日本文で引用します。


Re: 戦争責任――ソ連編

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/11/26 03:41 投稿番号: [7720 / 41162]
>『・・・GHQが東京裁判の準備を進めつつあった1945年12月、アメリカのプライス陸軍法務官は「ニューヨーク・タイムズ」紙で、
「東京裁判は、日本が侵略戦争をやったことを、懲罰する裁判だが、無意味に帰するからやめたらよかろう。なぜならそれを訴追する原告アメリカが、明らかに責任があるからである。ソ連は日ソ不可侵条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任ではなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、これはやはり侵略者であるから、日本を侵略者呼ばわりして懲罰しても精神的効果は無い」』
>(『世界がさばく東京裁判』佐藤和男監修   明成社)

なるほど。
これも言うまでもなく、(米国と)ソ連による侵略でしたね。

最近、プーチンが来ましたが、ふざけたことしか言ってませんね。
領土は、軍事・経済・交渉の全ての面において、強力・強硬・強圧的・具体的に推し進めていかないと、まず奪い返すのは無理でしょう。

Re: 戦争責任――オランダ編

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/11/26 03:27 投稿番号: [7719 / 41162]
>つまり時間的な前後関係に関係なく、挑発を受けない攻撃であり、領土の占拠を目的とする攻撃は侵略戦争であるという理屈です。
>   しかしここで採り上げられた裁判所側の意見だけでも、日本が挑発を受けない攻撃をした事実は無いことが分かります。日本のオランダ領への攻撃は、オランダから日本が宣戦布告を受けた後の出来事なのですから。

なるほど。
対オランダ戦争に関しては、日本の侵略戦争でなかったことが決定的ですね。

Re: アメリカ編 経済封鎖は戦争行為

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/11/26 03:18 投稿番号: [7718 / 41162]
>1928年、不戦条約について批准の是非を審議したアメリカ連邦議会の議事録の中にこの様な一説があります。
>『・・・その審議の進行中、ケロッグ長官は「国家が攻撃されるのではなくて――経済封鎖を受けるとしたら――?」という質問を受けました。ケロッグ長官は「戦争しないで封鎖などということはありません」と答えました。その時一上院議員が「そういう事は戦争行為です」と云いますと、ケロッグ長官は「断然戦争行為です」と云ってこれに同意しました』
>(『東京裁判   日本の弁明』小堀桂一郎編   講談社学術文庫   ローガン弁護人最終弁論)
>   ほかならぬアメリカ自身が示したこの解釈によれば、ABCD包囲網と呼ばれる経済封鎖によって、アメリカは日本に対し先制して戦争状態に突入したのです。
>   1941年12月6日以前のアメリカの定義では、真珠湾攻撃は奇襲ではあっても、「挑発されざる先制攻撃」ではなかったのです。


「経済封鎖」は、「戦争行為」と云っていますね。
まさに、そのとおりでしょう。
たまに「経済制裁」と「経済封鎖」を混同して誤解してしまう人がいますが、「経済封鎖」は紛れもなく戦争行為です。
米英蘭が日本に対して石油の輸出を禁止したのは、日本に対して「死ね」と言ったのと同じです。

その前にも、ソ連や英国は支那に武器を支援していたし、ヨーロッパで戦争が始まってからは米国が1941年3月に武器貸与法を成立させて、英国などに大量に武器供給を行なっていました。
しかも、英国などへの武器の輸送船には米海軍が護衛に当たったわけであり、これは米国内でも「戦争行為」と指摘されていました。

Re: 支那が無理やり戦争をした

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/11/26 02:46 投稿番号: [7717 / 41162]
>対象を中華人民共和国相手に移せば、原因時点は1935年8月1日まで遡ります。
>   八・一宣言は日本に対する武力闘争を宣言するものでした。
>   これは実質的な宣戦に当たります。
>   中華人民共和国は中華民国から主権を継承したものではなく、中国共産党によって組織された延安政府が中国本土を征服してその主権を国際社会から承認されたものです。(中華民国が国家として存続しているのがその証拠。)中華人民共和国が直接権利義務を継承しているのは延安政府であり、延安政府を樹立した中国共産党は1935年8月1日の時点で日本に対して開戦の挑発を行っています。ここでも侵攻戦争の開始責任が中国側にあることが明らかです。

なるほど。
これは、なかなか思い付かない視点ですね。
支那共産党が八・一救国宣言を発し、国共合作して対日戦争の遂行を呼びかけていたのだから、これは宣戦布告ともとれますね。

戦争責任――そもそもの責任の所在

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/11/25 22:29 投稿番号: [7716 / 41162]
  最後に、『世界がさばく東京裁判』の中から当時の人々の認識をいくつか拾い出してみます。

アメリカ合衆国前大統領   ハーバート・フーバー
「もし我々が日本人を挑発しなかったならば決して日本人から攻撃を受ける様なことは無かったであろう」

アメリカの黒人ジャーナリスト   J・A・ロジャース
「そもそもヨーロッパやアメリカがこれらの地域(インド、東南アジア、ハワイ)を植民地支配しなければ、日本との戦争は起こり得なかった。真珠湾はなかったはずだ。」

イギリス軍需生産大臣オリバー・リットルトン
「日本がアメリカを戦争に追い込んだというのは歴史の狂言である。真実はその逆である。アメリカが日本を真珠湾に誘い込んだと見るのが正しいのだ。」

  特にリットルトンの発言は1944年6月20日、まだ戦争の最中にロンドン商工会議所という公的な場所で行われたものです。
  日本の戦争責任なるものが如何に欺瞞に満ちているか、よく表れている例だと思います。

戦争責任――ソ連編

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/11/25 22:28 投稿番号: [7715 / 41162]
  ソ連の対日開戦が違法なものであることは、改めて説明するまでも無いことです。
  ソ連の参戦は不可侵条約の明らかな違反であり、日本にソ連を攻撃する余力の無いことをソ連は十分に知っていました。
  どんな屁理屈をこねようと、ソ連の対日参戦の違法性は隠せません。
  そしてこの参戦は、アメリカとの共同謀議で行われました。
  東京裁判の訴因の一つ、共同謀議による侵略戦争遂行が本当に戦争犯罪を構成するなら、その被告はトルーマンとスターリンになります。
  そのことを他ならぬアメリカ軍の高官が証言しています。
『・・・GHQが東京裁判の準備を進めつつあった1945年12月、アメリカのプライス陸軍法務官は「ニューヨーク・タイムズ」紙で、
「東京裁判は、日本が侵略戦争をやったことを、懲罰する裁判だが、無意味に帰するからやめたらよかろう。なぜならそれを訴追する原告アメリカが、明らかに責任があるからである。ソ連は日ソ不可侵条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任ではなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、これはやはり侵略者であるから、日本を侵略者呼ばわりして懲罰しても精神的効果は無い」』
(『世界がさばく東京裁判』佐藤和男監修   明成社)

  この通り、はっきりとソ連の参戦は「侵略者」としての振る舞いであるという認識が示されています。
  ソ連の対日参戦が違法であるという認識は決して、日本人だけの思い込みではありません。

戦争責任――オランダ編

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/11/25 22:26 投稿番号: [7714 / 41162]
『東京裁判   勝者の裁き」のなかでマイニア教授は、東京裁判の検察側=裁判所側争点が先制攻撃としての性質ではなく侵略戦争としての性質にあったことをオランダのケースを採り上げて次のように論じています。

『このように判決は、戦争の開始方法の故ではなく、真珠湾に始まる戦争が日本の侵略戦争であったが故に、日本の戦争指導者たちを対米戦争について有罪と認定したのであった。また日本が最初に攻撃を仕掛けたことも、裁判所はさほど問題としなかった。考えてみれば、オランダが日本に宣戦布告したのは、日本軍がオランダを攻撃したよりも早かった。それにもかかわらず、オランダでは無くて日本が侵略者と認定されたのであった。判決はこの点を次のように説明している。「オランダは、攻撃が差し迫っていることを十分に知っていて、自衛のために、12月8日に、日本に対して宣戦を布告し、このようにして、既に日本によって始められていた戦争状態が存在することを、公式に認めるに至ったのであるが、この事実によって、この戦争を日本の側からする侵略戦争で無くし、何かそれと違ったものとすると言うことは出来ない。」日本がオランダに宣戦布告したのは、これより1ヶ月あまり遅れて1942年1月11日、日本がオランダ領東インド諸島を攻撃した日であった。ロバート・H・ジャクソン(投稿者註:ニュルンベルク裁判及び東京裁判の提唱者)が侵略戦争の唯一の基準として強調した、宣戦ないし攻撃の時間的先後関係については、判決はこの程度にとどめたのであった。
  決定的な基準は、戦争の開始方法ではなくて、戦争の性格であった。つまり、戦争の性格が侵略的なことであった。「さらに、本裁判所の意見では、日本が1941年12月7日に開始したイギリス、アメリカ合衆国及びオランダに対する攻撃は、侵略戦争であった。これらは挑発を受けない攻撃であり、その動機はこれらの諸国の領土を占拠しようとする欲望であった。『侵略戦争』の完全な定義を述べることが如何に難しいものであるにせよ、右の動機で行われた攻撃は侵略戦争と名づけないわけにはいかない」』
(『東京裁判   勝者の裁き』リチャード・H・マイニア   安藤仁介訳   福村出版)

  実に身勝手でいい加減な理屈付けです。
  つまり時間的な前後関係に関係なく、挑発を受けない攻撃であり、領土の占拠を目的とする攻撃は侵略戦争であるという理屈です。
  しかしここで採り上げられた裁判所側の意見だけでも、日本が挑発を受けない攻撃をした事実は無いことが分かります。日本のオランダ領への攻撃は、オランダから日本が宣戦布告を受けた後の出来事なのですから。
  それに「これらの諸国の領土を占拠しようとする欲望」と述べられていますが、日本がアメリカ本国、イギリス本国、オランダ本国に攻撃を仕掛けた事実はありませんし、ましてこれらの領土を占拠しようとした事実など全くありません。
  日本が攻撃したのはアメリカ、イギリス、オランダが領土的欲望をもって占拠していた東南アジア諸地域です。しかもそれは、ABCD包囲網という、アメリカ自身の定義に従えば戦争行為による挑発を受けてのことです。
  敵国の拠点となっている地域を攻撃し占領することは、領土的野心と直結しません。戦争の、純粋に技術的な手段です。
  日本は資源貿易が回復されればそれで良かったのであり、経済封鎖がなければイギリス・オランダとの戦争もありませんでした。

戦争責任――アメリカ編

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/11/25 22:11 投稿番号: [7713 / 41162]
  次に対アメリカの侵攻戦争開戦責任です。
  まず中華民国行政院僑務委員会顧問・国際汎太平洋私学教育連合会副会長・許國雄東方工商専科大学学長(当時)の1995年の発言を採り上げます。

「国際戦争は個人の喧嘩と同じく、誰が先に手を出したのかを問うのではなく、誰が喧嘩を売りつけたのかを問わなければならない。この様な意味で、米国を主とするABCD諸国は、日本を生き埋めにしようとハル・ノートで喧嘩を売りつけたのである。
  戦後、米駐日大使グルーは「戦争のボタンが押されたのは、日本がハル・ノートを受け取った時点だというのが私の確信である」と証言し、英駐日大使クレーギーも同様の証言をしている。日本は喉元に刺された匕首を払うために、つまり生き抜くために戦ったのである。」
(『世界がさばく東京裁判』佐藤和男監修   明成社)

  この発言の趣旨は実のところ目新しい物ではありません。ハル・ノートが最後通牒の性格を持っていたという認識は、東京裁判におけるローガン弁護人最終弁論にも

「昭和16年11月26日のハル・ノートが最後通牒として企図されたものであったということは昭和16年11月27日のジェロー将軍の覚書から推して充分に理解されます。」
(『東京裁判   日本の弁明』小堀桂一郎編   講談社学術文庫)

このように述べられています。
  しかしアメリカの日本に対する戦争行為は、ハル・ノートよりずっと以前に始まっていたのです。
  1928年、不戦条約について批准の是非を審議したアメリカ連邦議会の議事録の中にこの様な一説があります。
『・・・その審議の進行中、ケロッグ長官は「国家が攻撃されるのではなくて――経済封鎖を受けるとしたら――?」という質問を受けました。ケロッグ長官は「戦争しないで封鎖などということはありません」と答えました。その時一上院議員が「そういう事は戦争行為です」と云いますと、ケロッグ長官は「断然戦争行為です」と云ってこれに同意しました』
(『東京裁判   日本の弁明』小堀桂一郎編   講談社学術文庫   ローガン弁護人最終弁論)

  ほかならぬアメリカ自身が示したこの解釈によれば、ABCD包囲網と呼ばれる経済封鎖によって、アメリカは日本に対し先制して戦争状態に突入したのです。
  1941年12月6日以前のアメリカの定義では、真珠湾攻撃は奇襲ではあっても、「挑発されざる先制攻撃」ではなかったのです。

Re: 支那が無理やり戦争をした

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/11/25 22:06 投稿番号: [7712 / 41162]
  いつもながら明快なデータ、感服しました。
  特に補足すべき点も無いと思いますが、日中戦争から大東亜戦争に至る一連の戦争責任について明確化する意味で便乗させて頂きます。

  日本が戦争責任を問われたのは「侵略戦争」ではなく War of Aggression (本来は挑発されざる先制攻撃による戦争、というような意味。以下、佐藤和男博士の訳語である「侵攻戦争」と記述)でした。東京裁判の起訴状にも
「最初に挑発せられずして行える攻撃乃至戦闘行為、又侵略戦争の場合の如き攻撃乃至侵略の実施」
と定義されていて、侵略戦争とイコールでないことは明らかです。
  盧溝橋事件の犯人が中国共産党であることはもはや明らかであると思いますが、中共の走狗は未だに認めようとしません。しかし仮に、盧溝橋事件が完全に偶発的な軍事衝突だったとしても、

> 7月11日、現地で停戦協定が成立。
> 7月13日、支那兵が移動中の日本軍トラック2台に手榴弾を投げ込み全員を爆殺

  一旦停戦協定が成立しながらこれを破った中国側に、以後の戦争について「挑発されざる先制攻撃による戦争」を引き起こした責任があるのは明確です。
  日本が「北支派兵」を声明したことなど何の関係もありません。派兵された部隊が戦闘行為を開始して始めて停戦協定違反の責任問題が生じるのであり、「北支派兵」自体は北京議定書に定められた駐留権の範囲内です。ましてや声明しただけで実際に派兵していない段階で、停戦協定を破る理由にはなりません。
  そして7月13日以降停戦は成立せず、第二次上海事変の中国軍の先制攻撃により、局地戦であった戦闘が日中間の全面戦争に発展しました。
  日中戦争の開始日は1937年7月7日ではなく、同年7月13日とするべきだと私は考えています。
「挑発されざる先制攻撃による戦争」の定義に従えば、侵攻戦争を起こしたのは中国側です。

  対象を中華人民共和国相手に移せば、原因時点は1935年8月1日まで遡ります。
  八・一宣言は日本に対する武力闘争を宣言するものでした。
  これは実質的な宣戦に当たります。
  中華人民共和国は中華民国から主権を継承したものではなく、中国共産党によって組織された延安政府が中国本土を征服してその主権を国際社会から承認されたものです。(中華民国が国家として存続しているのがその証拠。)中華人民共和国が直接権利義務を継承しているのは延安政府であり、延安政府を樹立した中国共産党は1935年8月1日の時点で日本に対して開戦の挑発を行っています。ここでも侵攻戦争の開始責任が中国側にあることが明らかです。

奥様だったの?

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2005/11/24 22:12 投稿番号: [7711 / 41162]
おば様ってのもいたし、ドラってのも居たようだし、

ま、南京大虐殺はシナ人の創作。

Re: deliciousicecoffee さんへ

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2005/11/23 22:33 投稿番号: [7710 / 41162]
貴方は日本人を騙っているのかい。

当初は外国人と言っていたようだが。

Re: deliciousicecoffee さんへ

投稿者: asianrobo 投稿日時: 2005/11/23 07:47 投稿番号: [7709 / 41162]
>南京大虐殺否定論が明快に論破されていますよ。

以下のサイトで、『南京大虐殺否定論   13のウソ』がどういう本か、明快に論破されていますよ。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page023.html

>貴方にもぜひ読んでみてほしいです。

肯定論だけじゃなく否定論にも目を通してみたら?
「いままでの自分はなんだったんだー」と思うかもよ?

Re: deliciousicecoffee さんへ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/11/23 01:50 投稿番号: [7708 / 41162]
>本屋で素晴らしい本を見つけました。
>『南京大虐殺否定論   13のウソ』

そうですか。
良かったですね。
『南京大虐殺否定論   13のウソ』が、「ウソ」ではないことを祈ります。
*\(^O^)/*

支那が無理やり戦争をした(南京戦)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/11/23 01:44 投稿番号: [7707 / 41162]
多大の犠牲者を出した上海戦がようやく終わった11月にも、日本は支那に対して穏当な和平案を提出したが、それを無視して戦線を南京に拡大したのも支那だった。

11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、提示した日本側の条件は、
――――――――――――――――――
・内蒙古民族は自治政府を樹立する。その国際的地位は外蒙に同じ。
・満州国国境に非武装地帯を設定し、中国警察が治安維持にあたる。北支の全権は南京政府の手に存する。事変前から交渉中の鉱物採掘権については日本に満足のいく結果を求める。
・上海は非武装地帯を拡大し国際警察を設けて管理する。
・抗日政策の停止。
・共同して防共に努める。
・関税の引き下げ。
・外国の諸権利を尊重する。
・日本側は、この条件に従って7月7日以前の状況にまで軍を退く。
――――――――――――――――――
というものだった。
この内容を、ディルクセン駐日独大使は「穏当なもの、これなら支那側の面子も潰れないだろう」と述べた。
後に、支那の白崇禧将軍も「たったこれだけの条件なら、なんのための戦争か」と言ったくらいの条件だった。

11月6日、トラウトマン駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴った。
蒋介石は、国連に「日本が侵略している」と訴え、これが9カ国会議に付託され審議されていたので、いい結果が出るのを期待していた★5。
支那は自分の方から戦争を仕掛けておきながら、「悪いのは日本だ」と国際社会に訴えた訳だ。

2005年春、反日デモをさせておいて、「悪いのは日本だ」と言ったり、呉儀副首相が小泉首相との会談をドタキャンして、「悪いのは日本だ」と言い放つ支那は、昔も今もまったく変わっていないのだ。
これぞ、支那4千年の歴史なのだ。

日本は、戦争をやめたくても支那がやめない限りやめられない。
一方的に停戦したとしても、支那が態勢を建て直して襲撃してくるのは経験済みだからだ。

蒋介石は、「敵が南京に至れば我々は南京を防衛する。敵が四川を攻撃すれば我々は四川を防衛する。敵の侵略が続く限り我々は永久に戦い続けるであろう」と世界に向かって公言した。
これではまるで日本が侵略しているかのようだ。

そして11月20日の「遷都宣言」でも次の様に言った。
「盧溝橋事件発生以来…日本の侵略は止まる事を知らず…各地の将士は奮って国難に赴き…死すとも退かず…日本は更に暴威を揮い…わが首都に迫る…およそ血気ある者で瓦全より玉砕を欲せざる者はない。…」

日本は「戦争を止めよう」と言ってるのに対し、蒋介石はそれを拒否しながら、こんな事を言ってた訳だ。


11月20日、第10軍から参謀本部に、「集団は19日朝、全力をもって南京に向かってする迫撃を命令」という報告が届けられた(11.19日発電)。対する蒋介石は重慶への「遷都宣言」
12月1日、「大本営」は、南京攻略を正式に発令。
12月8日、南京防衛軍司令官の唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し「すべての非戦闘員は国際管理下の安全地帯に集結しなければならない」と布告
12月10日、唐生智は、日本軍の降伏勧告を拒否し、「本軍は…、南京固守最後の戦闘に突入した。各部隊は陣地と存亡をともにする決心で死守せよ」と下命
12月12日、唐生智が夕方南京を脱出・逃亡。その夜に戦闘が始まる
12月13日、日本軍が南京を占領

南京占領後、日本はまたもや和平を持ちかけた。
和平案は、以前日本が提出した異常なまでに譲歩した条件と比べれば、日本国民が納得するようにと多少戦勝国らしい体裁を繕ったが、領土などの要求はしなかった。

●1938年
1月2日、ドイツ大使トラウトマンが日本の和平案の返事を聞くために蒋介石を訪問しようとしたが、蒋介石は会わず
1月15日、日本の和平案を蒋介石が蹴る
1月16日、日本政府が「国民政府(蒋介石)を相手とせず」と声明

6月12日、蒋介石軍が黄河の堤防を決壊させる。 日本軍による救出活動も虚しく住民60万人が罹災し12万人が行方不明。支那軍はこの黄河と揚子江の堤防決壊を日本軍の仕業と世界中に宣伝


★5
【9カ国条約、9カ国会議】の詳細については、【#5783】

支那が無理やり戦争をした(上海戦)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/11/23 01:35 投稿番号: [7706 / 41162]
日本は、通州で日本人居留民約260人が大虐殺されてから10日も経っていないのに、支那へ和平の話を持ちかけた。
しかも、その条件は信じられないほど大幅に譲歩したものだった。

この時の日本側の和平案は以下のとおり。
―――――――――――――――――
(日本の和平案)
・塘沽協定の解消
・梅津−何應欽協定の解消
・土肥原−秦徳純協定の解消
・冀察政権の解消
・冀東特殊貿易の廃止
・非武装地帯海面の中国側密輸取締りの恢復
・華北における自由飛行の廃止
・支那側が要求すれば上海停戦協定をも解消
――――――――――――――――
日本が如何に戦争をやめたがっていたかは、この大幅に譲歩した和平案を見れば明白である。

ところが、8月9日に予定されていた和平会談は、当日、支那が海軍陸戦隊の大山中尉を上海の虹橋飛行場近くで惨殺してぶち壊した。
日本側は支那に抗議したが、日本に責任をなすりつけて取り合わなかった。
大山中尉と運転手の斉藤水兵の車は機関銃で蜂の巣にされ、中尉は車から引きずり出され、銃剣で胸を刺され、かつ大刀で頭を割られていた。

大山中尉惨殺事件と、その後の支那側の態度に危険を感じた海軍は、警備のために陸軍の応援を要請したが、参謀本部の石原完爾少将は「上海に陸軍を出すと戦火が拡大するので出せない」と断った★3。

仕方がないので海軍は、陸戦隊を1,200名程増派したが、追加の陸戦隊が上海に着いた8月11日には、既に日本人居留区は保安隊に包囲されており、その夜のうちに支那軍は上海付近の鉄道の民間使用を禁じて軍用に切り換えて上海に12万の大軍を送り込んだ。
当時、上海にいたのは海軍陸戦隊4,000名のみで、とても支那の大軍を相手に出来なかったため、海軍は改めて陸軍の派遣を要請した。
緊迫した情勢の中、13日、政府はやっと陸軍の派遣を決めたが、これから準備するために到着するのに約20日は掛かる。
したがって、海軍陸戦隊には、「絶対に先に手を出すな」と指令したが、この日に支那軍は上海への攻撃を開始した。
翌14日には支那軍が上海市街を爆撃し、キャセイホテルやパレスホテルにも落ち、支那人や外国人に大量の死傷者を出した。
あまりの暴虐さに日本政府は「暴支膺懲」を宣言し、海軍は台風の中、日本から直接爆撃機を飛ばして支那軍の飛行場や前線基地を叩き、日本人の命を永らえさせた。
これが世に言う『渡洋爆撃』。


8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
8月12日、蒋介石軍が上海の国際租界の日本人居留地区を包囲
8月13日、蒋介石軍が攻撃開始
8月14日、支那軍が上海市街のホテルなどを爆撃。この爆撃を日本軍の仕業と世界中に宣伝★4。
8月23日、支那軍が上海のデパートを爆撃。この爆撃も日本軍の仕業と世界中に宣伝★4。

8月〜11月、【上海戦】(支那事変最大の激戦)。


★3
【日本の不拡大方針】の詳細は、【#5787】

★4
【支那軍による上海のホテルとデパート爆撃】については、【#5396】と【#5397】に『シナ大陸の真相』を引用

支那が無理やり戦争をした(盧溝橋事件)

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/11/23 01:26 投稿番号: [7705 / 41162]
「盧溝橋事件」は、支那共産党が計画的に行なった事件。
支那共産党が仕掛けたという一つの根拠は、「七・七事変」という名称。
彼らが日本軍に発砲したのは7月7日だが、日本軍が反撃したのは7月8日だ。
日本軍を犯人に仕立てたければ、支那共産党は「七・八事変」としなければならない。


日本軍が7月7日に盧溝橋で行なっていたのは空砲演習であり、しかも、空砲演習にも拘わらずに異例の事前通告をしていた。

―――――――――――――――――
  日本側に、冀察政務外交専員の林耕宇から「空砲で演習する場合でも、あらかじめ中国側に通告して欲しい」との要請があり、特務の方で検討する事になりました。
  北清議定書では、実弾射撃の場合は通報する事になっていますが、空砲の場合は規定されていません。
  「日本だけ勝手に規定を変える事はできない、ここは他の列強と協議してからでなければ」
  「しかし、今、不穏なこの時期、間違いがあれば大変な事になる」
  「ここは一時的に彼らの要求を通したら」
という事で、『7月6日、7日、9日、10日の4日間、日本軍が盧溝橋の原で昼夜空砲を使って演習する』という通告が、その日の晩に、中国側に通達されました。
  1937年7月7日、日本軍は盧溝橋の原で、鉄帽もかぶらず空砲を使って演習していました。
『盧溝橋事件』寺平忠輔著
―――――――――――――――――

これでは、近くに居た支那軍も、日本軍と同じように銃撃を受けたとされるが、「日本軍からの銃撃」とは認識しなかっただろう。


ところが、支那共産党は事件発生後、早くも7月8日に延安から全国へ次の電報を打った。

「7月7日夜10時、日本は盧溝橋でおいて中国の駐屯軍馮治安部隊に対し攻撃を開始し、(以下略)」
『中国共産党資料集・第8巻』日本国際問題研究所


日本軍が応戦したのは翌日8日の朝なのに、夜10時と特定されている。
しかも日支両軍の司令部すら事態の真相をつかんでいない時点でこうした電報を打ったことは、最初の一発から共産党のシナリオができていたことを推測させるに十分な証拠である。


コミンテルンは、次のような秘密司令を発していた。

①あくまで局地解決を避け、日支の全面衝突に導かねばならない
②右目的の貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって支那の解放運動を裏切る要人は抹殺してもよい
③下層民衆階級に工作し、彼らに行動を起こさせ、国民政府として戦争の開始のやむなきに立ち至らしめねばならない
(以下略)
『コミュンテルン並びに蘇聯邦の対支政策に関する基本資料』興亜院政務部発行

その後の事態は、まさにこのコミンテルンの司令文書どおりに進行した。


●1936年
12月12日、西安事件。蒋介石が張学良に騙されて監禁されるも、共産党の周恩来が蒋介石に抗日戦線の統一を約束させ釈放
●1937年
7月7日、盧溝橋事件。夜10時30分頃、演習中の日本軍が2度にわたって銃撃を受ける
7月8日、午前3時25分に支那側から3度目の射撃、4時20分に牟田口連隊長が反撃を命令、5時30分の4度目の銃撃をきっかけに反撃開始
7月9日、午前4時に現地で停戦の約束がされるまで日本側戦死11人・負傷36人、支那側(推定)戦死30人・負傷約100人。蒋介石は4個師団と戦闘機を北支に派遣
7月10日、支那側が攻撃を再開★1、日本側も応戦、日本側に戦死6人、負傷10人。参謀本部第三課と陸軍軍事課は、支那側が「対日武力戦争を準備」しており、北京地区1万2千人の居留民保護に不安があり、支那第29軍7万5千人に対抗するため10万人規模の「北支出兵」を主張。石原部長も承認して陸軍の決定となる
7月11日、現地で停戦協定が成立。支那の何応欽部長が、7月末までに戦争準備を整える全兵力動員の「戦争計画」を指示。14時、日本の閣議で5個師団の「北支派兵」が決定し声明
7月13日、支那兵が移動中の日本軍トラック2台に手榴弾を投げ込み全員を爆殺
7月14日、支那兵が日本の騎馬兵を惨殺
7月16日、事件を収集させようとする宋哲元に対し、蒋介石は「日本の策謀に乗じるな、戦備を整えよ」と打電
7月17日、蒋介石が『生死関頭』演説を行い戦争の決意を表明
7月25日、郎坊事件、日本軍が攻撃を受ける
7月26日、広安門事件、日本軍が攻撃を受ける
7月28日、日本軍が北支への攻撃を開始
7月29日、通州事件。日本人居留民約260名が虐殺される★2


★1
【支那の再三に亘る停戦協定破り】は、【#3252】に『シナ大陸の真相』を引用

★2
【通州大虐殺事件】の詳細は、【#5363】

Re: deliciousicecoffee さんへ

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2005/11/22 23:41 投稿番号: [7704 / 41162]
一冊の本読んだだけで全てを知った気になるとはおめでたいやつだな。
それだけ無知と言う事か。
だから自分に都合の良い書物を読んで自らに刷り込んでいるのだな。

Re: deliciousicecoffee さんへ

投稿者: laughing_at_you_much 投稿日時: 2005/11/22 21:53 投稿番号: [7703 / 41162]
でその中で、いわゆる虐殺での犠牲者は何人で
内戦での犠牲者は何人てなっているの?

どうやって見分けたの?

johm_lenon さんへ

投稿者: iillliiiililll 投稿日時: 2005/11/22 21:53 投稿番号: [7702 / 41162]
「johm_lenonのウソつき」

こんな本があれば面白いかも

johm_lenon = okussama_des

ネカマやってた奴だからな、こんな人の言うことは信用ゼロ。


俺は無視リストにいれたかな?

deliciousicecoffee さんへ

投稿者: johm_lenon 投稿日時: 2005/11/22 21:43 投稿番号: [7701 / 41162]
本屋で素晴らしい本を見つけました。

『南京大虐殺否定論   13のウソ』

南京大虐殺否定論が明快に論破されていますよ。

貴方にもぜひ読んでみてほしいです。

きっと、「いままでの自分はなんだったんだー」と思うでしょう。

でも気にすることないです。

誰だった間違った思い込みはありますから。

Re: 日本国民の一人として謝罪します

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2005/11/22 20:35 投稿番号: [7700 / 41162]
ん〜

日本人を止めて、シナ人かチョン人に頭下げて一生暮らせば良いんじゃないの。

俺は、とてもじゃないが、そこまでシナ人やチョン人に申し訳有りませんでしたなんぞ言いたくもありませんが。

貴方一人で、シナ大陸に渡って、リョウチ処刑と言う民度の国と仲良くやれば宜しかろう。

日本に関係しないで欲しい、チミは。

↓訂正死ね外道>anthoniey_williams

投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/11/22 00:32 投稿番号: [7699 / 41162]
お前だ

死ね外道>the_super_aikokusya

投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/11/22 00:29 投稿番号: [7698 / 41162]
論外

お願い

投稿者: toyotomi_iejasu 投稿日時: 2005/11/21 23:26 投稿番号: [7697 / 41162]
deliciousicecoffeeさま

>大東亜戦争は、日本の防衛戦争でした。
>そして、支那事変は、支那が始めて、支那が継続・拡大して、支那軍が支那人民の大半を殺した戦争です。

このご見解に同意します。釈迦に説法になりますが、
スターリンの指令が背後にあったわけですネ。

しかし、このような見方は、依然少数意見に属するでしょう。
南京虐殺を否定する人でも、支那事変は日本が始めた、
と思い込んでいる人は、多いのではないでしょうか。

そこでお願いです。「支那事変は支那が始めた」事実を
改めて、詳しく教えていただけませんか。

Re: 被害者のみなさんへ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/11/21 22:56 投稿番号: [7696 / 41162]
>日本人の一人として   謝罪しかできなくて   すいません

オマエは死んで謝るべき。

Re: APEC閉幕後の記者会見で、…

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/11/21 22:52 投稿番号: [7695 / 41162]
>小泉首相とBBC記者のやり取りは、次のようだったようです。

どうも、ご親切にありがとうございます。
なるほど。
首相官邸のHPに掲示されるわけですね。

記者会見の時、私は車の運転をしながらカーテレビの音声を聴いていました。
質問は同時通訳の音声が放送され、それに対して小泉首相が回答したのですが、概ね官邸のHPにあるおりだったと思います。

私は何度も靖国神社に詣でているのですが、どこにそのような「侵略」と「南京大虐殺」に関する靖国神社の見解が書かれているのか正直言って知りません。
どなたかご存知の方がいらっしゃったら教えてください。

さて、靖国神社の見解について。

>アジアにおける戦争について、はっきりとした主張を示している。戦争が日本による防衛戦争であったということ、そして、中国において日本は何も悪いことをしていない、中国は侵略者だった、南京大虐殺はなかったと書かれている。

これは正しい主張ですね。
大東亜戦争は、日本の防衛戦争でした。
そして、支那事変は、支那が始めて、支那が継続・拡大して、支那軍が支那人民の大半を殺した戦争です。
もちろん、南京大虐殺は嘘っぱちのでっち上げです。
その主張が靖国神社のどこに書いてあるかは知りませんが、内容に間違いはないと思います。

私はBBCの記者にも憤りを感じましたが、それと同時に、靖国神社の正しい見解を支持せず、南京大虐殺などをキッパリと否定しなかった小泉首相を情けなく思ったのです。

Re: 被害者のみなさんへ

投稿者: jamingwithed 投稿日時: 2005/11/21 22:18 投稿番号: [7694 / 41162]
在日君が日本人の変わりに謝罪してくれるのはよいことなので、これからも日本人になりすました在日君の口先だけの謝罪をよろしく頼む。
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