李朝朝鮮
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: 李朝時代では無いですが・・・
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/24 22:47 投稿番号: [200 / 1329]
いつも応援ありがとうございます。
しかし、内容的なものから見て「百済トピ」がふさわしいかも。
最近元気が無いようなので、燃料になると思います。
>現存する朝鮮半島最古の写経とされる韓国の国宝「新羅白紙墨書大方広仏華厳経」(755年)とほぼ同時期。筆跡の特徴から、さらに古い可能性もあるという。
しかし、これが本当なら素晴らしいですね。
韓国にはどれだけの仏教関係の遺物が残ってるんでしょう。
頭がない仏像がごろごろしてましたから、かなり経典も失ったと思いますが。
これは メッセージ 194 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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Re: 茶母3
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/24 22:40 投稿番号: [199 / 1329]
これを読むと、やっぱチャングムって、
結局のところ王様の愛人だったんじゃなかな〜。
周囲からは一応医女として尊敬され、王が寵愛する優れた女性だけのことはあると思われてたストーリーも
それはそれで十分素晴らしいと思いますけど。
>食事を担当する蔬酒房、飲み物及びお菓子などを作る生果房、洗濯と服の手入れを引き受けた洗踏房はそれより地位が低かった。
なるほど、だから両班出身のチャングム母等は子供時代貧乏だったんですね。
裕福な両班の女性なら宮廷女官にはならなかったのでしょう。
これは メッセージ 188 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: あら秋風さん
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/24 22:33 投稿番号: [198 / 1329]
あら、mattkanakeroyon(待ったかなケロヨン)さん
お久しぶりじゃないの〜(o^∇^o)ノ
・・・と言いたいところですけど、
誰?どなた?どこのカテでお会いしましたかしら?
今年になっての新HNで別HNでお会いしたとか。
>なかなか論客揃いのトピですなあ。
トピ主に実力が無いので、みなさんに盛り上げていただいております。
よろしかったら、ケロヨンさんも今後ご贔屓に♪
これは メッセージ 195 (mattkanakeroyon さん)への返信です.
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Re: 花札
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/24 22:28 投稿番号: [197 / 1329]
え〜ん、ハングルでわかりませ〜ん。
翻訳機械通すしかないか。
>アッというまに広まった
娯楽が少なかったと解釈すべきか、花札にそれだけの魅力があったと解すべきか・・・(-ω-)
これは メッセージ 196 (red_mangou さん)への返信です.
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花札
投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/05/24 03:02 投稿番号: [196 / 1329]
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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あら秋風さん
投稿者: mattkanakeroyon 投稿日時: 2006/05/24 00:14 投稿番号: [195 / 1329]
此処でご活躍のようですね。
なかなか論客揃いのトピですなあ。
これは メッセージ 181 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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李朝時代では無いですが・・・
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/05/23 22:06 投稿番号: [194 / 1329]
>朝鮮半島で写経した可能性が高いことが分かり、宮内庁正倉院事務所が23日、発表した。
>韓国の国宝「新羅白紙墨書大方広仏華厳経」(755年)とほぼ同時期。筆跡の特徴から、さらに古い可能性もあるという。
何が言いたいのかなこのニュースは・・・
>さらに古い可能性もあるという。
>さらに古い可能性もあるという。
>さらに古い可能性もあるという。
じゃあ、違うんじゃないの?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
統一新羅の写経伝来か
正倉院の華厳経
奈良・正倉院の宝物「大方広仏華厳経」は、これまで日本で未確認だった統一新羅時代(677−826年)の朝鮮半島で写経した可能性が高いことが分かり、宮内庁正倉院事務所が23日、発表した。
調査した山本信吉・元国立奈良博物館長(古代史)によると、現存する朝鮮半島最古の写経とされる韓国の国宝「新羅白紙墨書大方広仏華厳経」(755年)とほぼ同時期。筆跡の特徴から、さらに古い可能性もあるという。
計55枚の紙をつなぎ合わせており、幅26センチ、長さ30・8メートル。当時の日本に使用例がないコウゾでつくった白い紙に、日本の官立写経所の写経には見られない力強い楷書(かいしょ)で書いていた。
http://www.iwate-np.co.jp/newspack/cgi-bin/newspack.cgi?culture+CN2006052301002366_
1
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茶母:日東壮遊歌
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/23 00:49 投稿番号: [193 / 1329]
>なお、通信使の中に、朝鮮国内の宿場に着くたびに美人の茶母を探させるハァハァ軍官がいて、それに著者金仁謙がいたずらを仕掛ける、という場面がありました。原文等詳しくは近日中にアップします。
これが本文です。
・・・・・・・
八月十一日
日程:幽谷駅→竜宮→水月楼→醴泉
翌日、雨も上がったので
永順川を渡り
竜宮で昼休み
支供に訪れていた比安県監と
水月楼で対面
大歓迎してくれる
従事官の兵房軍官は
色事に目のない男
ソウルを出て以来
各駅に着くたびに
その地の戸長に命じて
美人の茶母を捜させていたが
それでも飽き足らず
私の許に来て頼み込む
「醴泉は色里というではないか
私のために先に行き
一番の美人を選んで
おいてくれないか」
聞くにその言い草が憎く
一度騙してやろうと
うわべは快く返事をし
堅い約束を交わした
東亭子を通り過ぎ
急ぎ醴泉の町に入ると
すべての妓生を呼び集め
中でも容色最も劣り
年老いたあばた女を
選び出し
吏房に言いつけて
兵房付きの茶母に決めた
帳幕で待っていると
先導役として先に来て
使臣方の部屋に顔を出した後
私の許に小走りに駆け寄り
にたにたしながら言う
「頼んだ件はどうなったか」
仕草がお笑い草だが
こみ上げる笑いをこらえ
おもむろに答えた
「他ならぬ御同行のたっての頼み
どうして私がおろそかにしようか
この醴泉第一の美女を
やっとのことで捜し出し
貴殿の茶母に決めてある
急ぎ宿所に行き
呼んでみれば分かるだろう
西施、玉真といえども
あの女に及ぶまい
今宵をともにできるのは
私のお陰と思ってくれ」
それを聞いて笑う口許が
くり鉢ほどにも見える
(中略)
任キツ(山へんに乞)(兵房軍官の名前)の様子はと見れば
三つ重ねの敷物にどっかと坐り
両眼を穴の開くほど見開いて
じれったそうに待っていたが
女を一目見てがっかり
膝を浮かせて背を向ける
その落胆振りは
まさに竜大旗(王の外出時に先導が持った旗)が雨に打たれた有様
一座は手を打ち大爆笑
あちらこちらでからかわれ
・・・・・・・
なお、八月十五日に泊まった新寧では、騙した分の埋め合わせとして、官婢15人から美人を選んで任キツのもとに行かせております。
茶母・妓生の手配を要求してくるのは、往きはこの軍官くらいなんですが、帰りは、いろんな人が要求してきています。
詳細はまたあらためてアップします。
これは メッセージ 192 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 茶母2
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/22 10:34 投稿番号: [192 / 1329]
>ある時は捕盗庁の官吏の茶汲み飯盛りから体の要求まで
ある時は女性の魅力を生かしての捜査
またある時は女性犯罪者への捜査・逮捕と
実に忙しい職業と言えそうです
>鬼平の密偵以上ですか!
『日東壮遊歌』でも茶母は出てきます。なかなか忙しいようです。
なお、通信使の中に、朝鮮国内の宿場に着くたびに美人の茶母を探させるハァハァ軍官がいて、それに著者金仁謙がいたずらを仕掛ける、という場面がありました。原文等詳しくは近日中にアップします。
これは メッセージ 190 (ricky_eto さん)への返信です.
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Re: れ: 茶母1
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/22 10:28 投稿番号: [191 / 1329]
>原文は不思議ですよね。昔の人名とかの漢字(特にソウル大の「奎章閣」は、このまんま漢字で看板が出てる。よく知ってましたね)は残っているはずなのに、全部は表記してない。なんででしょ。
そのあたりの基準がよくわからないんですよ。
「奎章閣」は、ネットや書物で見覚えのある建物名でしたので。
原文ハングルの「カッk」を見て「閣」と見当がついたのでおそらくそうだろうとおもい、念のために漢字字典をひいて確認しました。
これは メッセージ 189 (red_mangou さん)への返信です.
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Re: 茶母2
投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2006/05/22 09:19 投稿番号: [190 / 1329]
そうやって考えてみると
「茶母」はなかなかに過酷な労働者と言うそうですね
ある時は捕盗庁の官吏の茶汲み飯盛りから体の要求まで
ある時は女性の魅力を生かしての捜査
またある時は女性犯罪者への捜査・逮捕と
実に忙しい職業と言えそうです
鬼平の密偵以上ですか!
映画「デュエリスト」の原題「茶母」は
犯人とは関係なく
ハ・ジウォンの役所
と言うことのようですね
これは メッセージ 187 (toapanlang さん)への返信です.
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れ: 茶母1
投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/05/22 00:24 投稿番号: [189 / 1329]
ウリも読みました。
原文は不思議ですよね。昔の人名とかの漢字(特にソウル大の「奎章閣」は、このまんま漢字で看板が出てる。
よく知ってましたね)は残っているはずなのに、全部は表記してない。なんででしょ。
これは メッセージ 185 (toapanlang さん)への返信です.
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茶母3
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/21 23:51 投稿番号: [188 / 1329]
最後です。
・・・・・・・
宮廷史劇でたくさん登場したが、いざ日常に対してはほとんどスポットライトの当たることの無かった宮女や妓生も、重要な朝鮮時代の女性の職業だった.
宮女について記録が比較的多く残っているのは、1960〜70年代まで生存していた宮女たちの口述があったからだ。宮女たちは幼くして宮廷に入って技術を体系的に習ったから、自分の分野の専門家たちであったし、現在まで伝わった宮廷料理は尚宮たちから伝授を受けたのである。
宮女は五品から従九品までの品階を持った尚宮、私人であるこの下で働く雑仕女、各心が、恣意などで分けられる。尚宮も役目によって地位が非常に違ったが、王の寝室を担当する至密は王に近づけることができたので一番地位が高かったし、次に衣生活に係わる寝房と繍房(東亜註:漢字に自信なし)だったし、食事を担当する蔬酒房、飲み物及びお菓子などを作る生果房、洗濯と服の手入れを引き受けた洗踏房はそれより地位が低かった。宮女たちは、新人ならひと月に白米四斗が給料であったし、毎年絹・木綿・麻布をそれぞれ一枚一頭ずつ支給され、節日(重陽などの節句)や宮廷の慶事の後には下賜もあった。
妓生・妓女は医薬・歌舞を習った技能職女性
妓生・妓女と言えばよく「花柳界」の女性たちを思い浮かべるが、本来は医薬や裁縫技術または歌舞を習って、国で必要な時に働いた技能職女性を示した言葉だった。しかし妓女は賤人の身分のうえ、合法的に男性たちの接近が許容された若くて美貌を取り揃えた女性だったので、徐々に男性たちの宴で興をあおる役目をするようになった。妓女は奨学院などに属して徹底的な教育を受けて特技を磨き、伝統音楽と踊りを今日まで伝える重要な役目をした。
崔垠成研究員は「これらの社会的地位が低く、自分の選択ではない国家の必要によって働いたのだが、女性の活動が制約を受けた時期に我が国の最上層文化である宮廷の食べ物と服飾を開発して発展させた宮女、我が国の伝統音楽と踊りの保存者としての妓女、女医または看護婦として医女たちの役目は新しく評価しなければならない」と言う。テレビ史劇の中、新しい女性たちの肩の荷は重いようだ。
参照資料
「我が国の女性たちはどうやって暮しただろうか」リ・ベヨン
青年社
1999
「私は堂々と暮す」金健優
文字郷
2003
「韓国生活史博物館」韓国生活史博物館編纂委員会
四季
2003
バックミンフィ記者 minggu@hani.co.kr
これは メッセージ 187 (toapanlang さん)への返信です.
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茶母2
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/21 23:21 投稿番号: [187 / 1329]
ようやく第2弾が訳せました。
>捜査権はあっても
逮捕権はないんですよね?
どうやら、宮廷や士大夫階級の女性に対しては逮捕できたようです。彼女らは奥に住んでおり男性が立ち入れないから、という理由らしいです。
それについての記述を含んだ第2弾行きます。
・・・・・・・
「許浚(東亜註:実在の天才医師を描いた大河ドラマ)」と「大長今」に登場する医女は女医とも呼ばれて、男性医員に診療を受けるのを忌避した女性たちの疾病を治療するために置いた女医員である。医女制度が初めて出現したのは太宗の時であった。太宗6年(1406年)3月済生院の許滔(漢字は東亜のカンで当てた)は「婦人が病気のとき男の医員が脈を取って診断して治療するようにすれば、もしかすると、恥ずかしさのために病状をすすんで見せなくなり、ついには死に至るようになります」と言って医女の必要性を主張した。
幼く賢い女婢の中から医女を選んで、医学書籍を読めるよう漢字を習わせるようにしたし、脈の取り方や鍼術などの医術を教えた。「経国大典」を見れば、成績が優秀な医女には3ヶ月分の給料を支給して、成績の悪い医女は茶母に降等するという賞罰規定がある。
四方に名を知られた医女たちも多く、医女が脈取りなどの補助的役目のみをしたのではなかった。男の医員が直接患部を触ることができなかった腫れ物や歯痛などを治療して、鍼も打ったし、出産も助けた。すぐれた実力で歴史書に名前を残した医女たちもある。
成宗(東亜註:中宗の父)の時の済州島の医女ザングドックは、歯痛と吹き出物をよく治療して名前をあげたと言い、宣祖(東亜註:中宗の孫)の時の医女エゾングは医術がすぐれたが、彼女の診た王妃が死亡すると責任を問われて内医名簿から削除したという記録も残っている。医女たちはまた宮廷や士大夫の家の女性に関する犯罪を捜査して罪人を逮捕するとか、女性が堕胎したのかを調査して女性罪人に毒薬を賜る時も派遣された。しかし学識があって薬をためすことができて(東亜註:私の実力では訳しきれません)、妓女のように宮廷の宴会に動員されたし、薬屋妓生とも呼ばれた。
これは メッセージ 186 (ricky_eto さん)への返信です.
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Re: 茶母1
投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2006/05/21 22:57 投稿番号: [186 / 1329]
って事は?
キーセンも兼ねた
梶○□子って事っすか?
捜査権はあっても
逮捕権はないんですよね?
これは メッセージ 185 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/186.html
茶母1
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/21 22:40 投稿番号: [185 / 1329]
少し前話題になった「茶母」についてこんなものを拾いました。
http://mbbs.imbc.com/cwb/cwb-bin/CrazyWWWBoard.asp?mode=read&num=1295&db=daejanggum_history&page=54&backdepth=1朝鮮語を訳しなおして、何回かに分けてアップします。
>その中で茶母は元々官衙に属して湯を沸かす役目をした身分が非常に低い官婢である。儒教国家である朝鮮は男女の別をいう原則が厳格で、女性の住まう家屋の奥を捜索するとか女性容疑者及び罪囚を扱う時茶母や医女を利用した。特に捕盗庁の茶母は男たちができない捜査を引き受けるとか捜査補助要員で活躍した。
茶母=女刑事、というのはまったくのウソというわけではないようですね。
>崔研究員はまた、「彼女らは特殊な技能を持った女性だったが社会的地位が非常に低かった。技術職に対する賤視の風潮のためでもあるが、大部分は賤しい身分出身だったし、男女の別を強調した社会で男たちと会う機会が多く、本来の任務から脱して「性的慰み物」として扱われる場合もあった」と説明した。
どうやらエトさんがおっしゃった、
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=mfbdabdabaaf&sid=1835396&mid=109>>「茶母」
>江戸期の出会い茶屋の「茶汲み女」や
旅籠の「飯盛り女」の様な職業であったのかも知れん稀ガス
単純に「茶碗の母」鴨…
は当たっていたばかりか、もっと酷い状態であったということです。
・・・・・・・
朝鮮経済史を研究して<我が国の女性たちはどうやって暮しただろうか>に 「専門職女性たちの希望と挫折」という文を書いたりした崔垠成(漢字は東亜のカンで当てた)ソウル大奎章閣(李朝の図書館・文書保管所が前身。現在はソウル大附設の李朝文書研究所)研究員は「高麗末期から朝鮮初期までは女性たちが積極的に商業活動など経済活動に参加したが、朝鮮中期以後には医女・宮女・茶母・妓女など少数の職業だけが残った。その中には自分の領域ですぐれた活躍をした女性たちがいたが、男性中心の歴史叙述だから記録がほとんど残っていない」と言う。
崔研究員はまた、「彼女らは特殊な技能を持った女性だったが社会的地位が非常に低かった。技術職に対する賤視の風潮のためでもあるが、大部分は賤しい身分出身だったし、男女の別を強調した社会で男たちと会う機会が多く、本来の任務から脱して「性的慰み物」として扱われる場合もあった」と説明した。
その中で茶母は元々官衙に属して湯を沸かす役目をした身分が非常に低い官婢である。儒教国家である朝鮮は男女の別をいう原則が厳格で、女性の住まう家屋の奥を捜索するとか女性容疑者及び罪囚を扱う時茶母や医女を利用した。特に捕盗庁の茶母は男たちができない捜査を引き受けるとか捜査補助要員で活躍した。
「朗山文稿」の「茶母伝」には、朝鮮英祖時代漢城府の茶母金ジョイ(金召史)の話が出る。金ジョイは1832年(東亜註:英祖の時代なら1732年であるべき。1832年なら純祖の時代であり、先述の英祖が誤記となる。原文のハングル表記は英祖(ヨンソ)だったが)飢饉で禁酒令が出されたとき、密造酒事件を調査する中で、危険を冒して、生活が貧しいお婆さんの罪を見逃してやって仁政を施した。また、褒賞金をもらうために兄嫁が酒を密造したことを告発した両班の男にビンタをはりながら「両班ともあろう者が、酒を密造したと兄嫁を密告して褒賞金を受け取ろうと思うのか」とどなりつけて、自分がいただいた褒賞金をかわいそうなお婆さんに持っていったという堂々とした面貌を見せてくれる。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/185.html
>日本橋三越のチャングム展
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/19 15:45 投稿番号: [184 / 1329]
>入場者全員に韓国地図を配布。
「竹島はどうなってる?」と渡された韓国政府観光局発行の地図を
チェックしたらしっかり《独島》となってたとか。
寒流をいいことに日本国内でこんな工作活動をしてますね。
こんな結果をまねいたそうです。
題名の「抜けた」は「はまった」「おぼれた」の誤訳です。
>しかし一部日本ネチズンが “大長今展示会で受けた指導には竹島ではない ‘独島’(独島)が鮮やかに書かれていた”と指摘しながら問題がはみでた. あるネチズンは自分のブルログで “日本内でこのような工作活動を承諾しても良いが? テロ行為だ”とまで糾弾した.
>これらは直ちにミツコシデパートとNHK側に電子メールと電話などを通じて強力に抗議した. デパート側は “韓国観光公社コーナー設置をNHKから依頼された”と責任を押し付けるのに忙しかった. しかしデパート関係者が “配布物内容に対しては担当者が前もって確認した”と言って日本ネチズンたちをもっと刺激させた.
>これに対して NHK関係者は “デパート側から連絡を受けてから指導内容を確認した”と “最初に担当者が確認できなかった”と謝った. それとともに “勿論 ‘独島は日本の領土’と思う”と事態進化に出た.
>NHK側は今度 ‘独島指導’ 問題と関係なく横浜など他の地域で開かれる ‘大長今企画展’は予定通り推進するという方針だ.
>これに対してネチズンたちは “(日本人が出す) NHK受信料で韓国の反日キャンペーンを支援すると一つ”と言いながら “売国奴責任者は今すぐ退きなさい”と声を高めた.
・・・・・・・
大長今に抜けた日本人たち “独島は韓国の地?”
[京郷新聞 2006-05-19 11:48]
http://www.excite.co.jp/world/korean/web/?wb_lp=KOJA&wb_url=http%3A%2F%2Fwww.naver.com%2F&wb_dis=2
これは メッセージ 170 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: 李朝朝鮮と本貫と勢道政治への疑問
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/19 15:14 投稿番号: [183 / 1329]
>ひょっとして、「養女」を迎えて「娘分」として嫁がせたのかな?と。
(10等親以上離れた)安東金氏の「娘」を養女にした上で、嫁がせれば、儒教にそむくことなく、影響力を行使できそうですし。
そういう手がありましたか。
日本では、政略結婚のさい、年頃の娘がいなければ、一族や腹心の娘を形式上養女としてから嫁がせることがありましたね。
織田信長は姪を養女として武田勝頼に嫁がせていますし、徳川家康も股肱の臣である本多忠勝の娘を養女にしてから真田信幸に嫁がせています。
摂関家では藤原頼通が姪にあたる敦康親王の娘を養女として後朱雀天皇の中宮に立てたことがありました。
>ただ、↑の方法の最大の問題点(仮定)。
養女が、養父の影響力より、実父を選んだら……同じ安東金氏内部で、すさまじい権力闘争が起こっていそうです。
摂関政治、藤原道長の最大のライバルが、甥の伊周(兄の息子)であったように。
養女を選ぶ際に、できるだけ力のない筋から選ぶか、実父筋を完全に支配下に置かなくてはいけませんね。一族のリーダー(摂関家でいう氏長者)ならたやすいことかもしれません。
>閔致禄(ミンチロク)の養子=閔升鎬。
閔妃は、閔致禄(ミンチロク)の実の娘。
大院君の妻は閔升鎬とは兄弟の間柄。
大院君は、閔妃の夫、高宗の実父。
閔升鎬と大院君の妻は実の兄弟ではないでしょうか。
閔升鎬が養子に行ったため、形式上は大院君の妻との兄弟関係が切れて、養子先で閔妃と兄弟ということになるんじゃないですかね。
これは メッセージ 179 (hyugeru29 さん)への返信です.
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Re: >チャングム話
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/05/19 01:10 投稿番号: [182 / 1329]
チャールズ「皇太子」もマズいですからね、本来は。
王太子と呼ぶか、または王世子と呼ぶか…。
前者でしょうね、支那の戦国時代でも各国の世継ぎを「太子」と記載しているし。
「世子」は諸侯の世継ぎだしなあ。
チャングムでも、王の服の色がなぜ赤なのか、説明は無いだろうなあ。(笑)
あれは支那の諸侯を意味するし。
>「皇后」は韓国側のあからさまな希望的改ざんのような気がしてしまいます。
李氏朝鮮では「皇后」は3人だけ。
太祖李成桂(太祖高皇帝と追尊された)、高宗、純宗の各皇后。
李方子女史は、「皇太子妃」。
いわば、「まあ『皇帝』もいたことだし、いいってことヨ」ってな感じなのかな。
これは メッセージ 181 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: >チャングム話
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/19 00:54 投稿番号: [181 / 1329]
これはお久しぶりです。
博学なホンキーさんに来ていただいて大変うれしいです。
これからもこちらにいらしてくださいまし。
>英国女王エリザベス2世の母で、国王ジョージ6世の王妃は、「エリザベス皇太后」と呼ばれていましたよね、日本では。)
たぶん、これは王の母親を「王太后」と言っても何のことか日本人がしっくりこないからかなと思ってましたが、どうなのでしょうね。
しかし、王の正妻は素直に「王妃」と呼べばいいのに。
「皇后」は韓国側のあからさまな希望的改ざんのような気がしてしまいます。
これは メッセージ 180 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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Re: >チャングム話
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/05/19 00:05 投稿番号: [180 / 1329]
>王后
李氏朝鮮では「○○王后」と諡号で公称していましたけど、確かに「后」の字は、よく考えたらマズいとは言えますよね。
国王の廟号(高祖、太祖、世祖、など)は、高麗では元朝に服属する際に廃止していますね、元朝皇帝に対する遠慮で。
新羅でも、「太宗武烈王」の「太宗」という廟号が、『三国史記』によれば唐朝からケチをつけられていますけど、うやむやにして通してしまったようですね。
>>欧州の映画の王妃を皇后なんて絶対訳することもないのに。
>そのあたりに妙な嫌らしさというかひっかかるものを感じますね。
恐らく、明治時代に、独立国の君主・妃の称号を、全て「皇帝」「皇后」にしてしまったからじゃないでしょうか。(無理にでも相手を「皇帝」にしておかないと、「天皇」が対等に付き合うに際して、マズくなってしまうから。)
その流れできてしまっているのじゃないかな、と。
イギリスなんて、「王」という称号に拘っていてもです。(しかしその後、やはり「キング」は「王」と呼ぶ事にしたんでしょうかね。しかし、英国女王エリザベス2世の母で、国王ジョージ6世の王妃は、「エリザベス皇太后」と呼ばれていましたよね、日本では。)
その辺りは、ワタシもスッキリしないんですよ。
これは メッセージ 175 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 李朝朝鮮と本貫と勢道政治への疑問
投稿者: hyugeru29 投稿日時: 2006/05/18 23:53 投稿番号: [179 / 1329]
秋風さん。
東亜さん、レス、ありがとうございましたv
(お返事が一緒になってます)
>なるほど、蘇我や藤原氏のように一族の娘を代々の統治者と婚姻関係を結び、
>外戚となって権勢を振るう状態は韓国も同じだったのですね。
私も、最初、「勢道政治」=「摂関政治」と理解しました。
でも「本貫」があり、親戚同士での結婚が不可能(現在でも8親等=いとこの子供の孫同士)な韓国で、どうやって、「一族の娘」を次々李王家に嫁がせることができたのか、疑問が膨らむばかりでした。
悩んだ挙句に。
「女性(母方)の本貫は無関係?」と思い、それならば、「従兄妹でも結婚OK?」と考え、
しかし、それにしては、韓国人一同の「近親相姦(従兄妹婚について)」が納得できず……堂々巡り(汗)
>下記のサイトでは、姻戚関係のある他の氏族でも、十寸(10等親)以内は近親とみなして通婚は>避けると書いてあります。
東亜さんご紹介のサイトを見て、近親での通婚を避けつつ、娘を李王家に送り込む方法を考えてみました。ひょっとして、「養女」を迎えて「娘分」として嫁がせたのかな?と。
(10等親以上離れた)安東金氏の「娘」を養女にした上で、嫁がせれば、儒教にそむくことなく、影響力を行使できそうですし。
ただ、↑の方法の最大の問題点(仮定)。
養女が、養父の影響力より、実父を選んだら……同じ安東金氏内部で、すさまじい権力闘争が起こっていそうです。
摂関政治、藤原道長の最大のライバルが、甥の伊周(兄の息子)であったように。
追記:閔妃についていろいろ検索していたら……。
閔致禄(ミンチロク)の養子=閔升鎬。
閔妃は、閔致禄(ミンチロク)の実の娘。
大院君の妻は閔升鎬とは兄弟の間柄。
大院君は、閔妃の夫、高宗の実父。
……やっぱり、養女なのでしょうか????
これは メッセージ 178 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 李朝朝鮮と本貫と勢道政治への疑問
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/18 01:18 投稿番号: [178 / 1329]
東亜と申します。
かなり以前に、どこかのトピでそういう話題があったような気がします(多分もう消えたトピだとおもいます)。
同姓不婚とは、本貫を同じくする姓氏の男女が結婚しないことでありますが、姓氏一族とは父系を柱としたものなので、女性の方の婚姻関係はさほど問われないのではないのでしょうか。
いとこ結婚もタブーですよね。父方のいとこなら完全に同じ一族、つまり同姓なのでアウトですが、違う氏族、つまり異姓である母方のいとこはよかったような・・・
支那では母方のいとこ婚はありえると聞いたことはありますが(陳舜臣の本だったかな)。
>代々「安東金氏が王后」
……李氏朝鮮では、「母方の本貫」血統というのは、全く無関係だったのでしょうか?
下記のサイトでは、姻戚関係のある他の氏族でも、十寸(10等親)以内は近親とみなして通婚は避けると書いてあります。
http://sound.jp/maborosi/Concealment/newpage1.htmとはいうものの、純祖の妃と哲宗の妃(安東金氏)は近親であったようですし(『韓国通史』韓ユウ(さんずいに右)欣によります)・・・、わかりませんねぇ。
お役に立てなくて申し訳ないです。
これは メッセージ 176 (hyugeru29 さん)への返信です.
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Re: 李朝朝鮮と本貫と勢道政治への疑問
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/18 01:00 投稿番号: [177 / 1329]
こんばんわ、
Yahoo!ニュース > 海外 > 韓国、北朝鮮 でご活躍のひゅーげるさんですね。
(なんで地域カテ、ニュースカテ、外交カテで韓国カテゴリがそれぞれあって分散してるのだろう。
結局お話してることは似たりよったりなんですけどね。)
なるほど、蘇我や藤原氏のように一族の娘を代々の統治者と婚姻関係を結び、
外戚となって権勢を振るう状態は韓国も同じだったのですね。
>どなたか、ご存知であれば教えてください。
どなたかお判りの方がいらっしゃればいいですね。
私も今後この件について気にしながら韓国の資料を見ていこうと思います。
これは メッセージ 176 (hyugeru29 さん)への返信です.
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李朝朝鮮と本貫と勢道政治への疑問
投稿者: hyugeru29 投稿日時: 2006/05/18 00:10 投稿番号: [176 / 1329]
どなたか、ご存知であれば教えてください。
李氏朝鮮の時代も、現在の韓国と同じように、本貫が同じであれば結婚できない…と思っていました。でも、この本貫というのは、「父方の血統」が問題なのであって、「母方の血統」、つまり、母親の本貫は、全く関係ないのでしょうか?
例えば、閔妃の息子(純宗)は、「閔一族の高官閔台鎬の娘が世子嬪(皇太子妃)と決まる(後の純明孝皇后閔氏)」、母親と同じ閔氏と結婚しています。
さらに、
安東金氏の勢道政治 - 純祖から哲宗まで
1802年、金祖淳の娘が王妃になる。1804年、14歳になった純祖による親政が始まった。金祖淳は時派に属していたが、党派色を表に出さない事で貞純王后の士禍から逃れることが出来た。1805年貞純王后が亡くなると、金祖淳は王の外戚として政治の補佐を行うようになり、貞純王后によって登用された僻派の要人を大量追放する。その一方で、王の政治を補佐するとの名目で、自分の本貫である安東金氏の一族から大量に人材を登用する。このことで士林派による政治は終焉を迎え、金祖淳を筆頭にした安東金氏が政治を壟断する勢道政治の時代が始まる。
安東金氏は次代、わずか7歳で即位して22歳で崩御した憲宗、次々代王哲宗にも王后を送り込み、外戚として権勢を振るった。哲宗の時代に絶頂を迎え、59年にわたって李氏朝鮮の政治を牛耳っていた。
代々「安東金氏が王后」
……李氏朝鮮では、「母方の本貫」血統というのは、全く無関係だったのでしょうか?
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: >チャングム話
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/17 02:11 投稿番号: [175 / 1329]
>「媽」って日本ではあまり使わない漢字ですね。
中国語でお母さんを意味する媽媽(マーマー)から来ているんでしょう。
支那王朝でも内廷では皇帝を老爺(ラオイェ)とに呼んだのと同じようなものでしょうか。
>たしか、「皇」の字だけではなく、「后」の字も朝鮮王朝が使用するのは不可だったとどこかで読んだような気がします。
としたら、王后は後から韓国が作った言葉ですね。
そうなんですか。それは知りませんでした。
>しかし、日本語訳ってなんでこんなに韓国を持ち上げるんでしょう。
>欧州の映画の王妃を皇后なんて絶対訳することもないのに。
そのあたりに妙な嫌らしさというかひっかかるものを感じますね。
これは メッセージ 173 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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著書「日韓併合の真実」
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/17 01:50 投稿番号: [174 / 1329]
の前書き
ありがとうございます。
>仏教を禁じる事によって棄てて、儒教の中でも最も原理主義的と言われる朱子学を、国教として採用した事である。今日、韓国を訪れた外国人は、仏教の寺院が山奥に眠っている様に存在するのを見るだろう。僧侶達は、様々な迫害を受けて、市内に存在する事が出来なかったからである。
首をとられた仏像がごろごろしてました。
あんなの数百年も晒して眺めてたら、心が荒まないのかなと
ちょっと思ったり。
これは メッセージ 172 (misako_311 さん)への返信です.
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Re: >チャングム話
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/17 01:46 投稿番号: [173 / 1329]
HPありがとうございます。
チャングムの医女になるきっかけをつくったチャンドクは済州判官のめかけだったんですか、
ここではじめて知りました。
>大妃媽媽
「媽」って日本ではあまり使わない漢字ですね。
>韓国版の「チャンギョンワンフー(王后)」が、日本語版では「皇后」となっています。
たしか、「皇」の字だけではなく、「后」の字も朝鮮王朝が使用するのは不可だったとどこかで読んだような気がします。
としたら、王后は後から韓国が作った言葉ですね。
しかし、日本語訳ってなんでこんなに韓国を持ち上げるんでしょう。
欧州の映画の王妃を皇后なんて絶対訳することもないのに。
これは メッセージ 171 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 李朝朝鮮
投稿者: misako_311 投稿日時: 2006/05/15 09:18 投稿番号: [172 / 1329]
崔基鎬著:韓国史家の証言「日韓併合の真実」(ビジネス社刊、\1600.-)
まえがき
李氏朝鮮はその創建から終焉まで、518年に及ぶという長寿王朝であった。日本の歴史でみれば、室町時代から明治時代まで続いた、東アジアでは稀有の王朝といえよう。
前王朝の高麗を倒して、李氏朝鮮の始祖となったのは、李成桂であった。
この新王朝が成立するや、李成桂は深刻なボタンのかけ違えを、いくつか犯した。その結果は「李氏朝鮮症候群」と言える様な、癒し難い宿痾に襲われる事になる。ついに李朝末期に至って、あたかも癌が体の隅々に転移する様な状態に陥った。腐朽した老木は、倒れる外無かったのである。
その症候群の第一は、仏教を禁じる事によって棄てて、儒教の中でも最も原理主義的と言われる朱子学を、国教として採用した事である。今日、韓国を訪れた外国人は、仏教の寺院が山奥に眠っている様に存在するのを見るだろう。僧侶達は、様々な迫害を受けて、市内に存在する事が出来なかったからである。
更に悪い事に、「事大主義」を掲げ、中国の属国に成り下がった事だった。自らを「小中華」と称し、中国に大いに事えようと言う考え方である。
その二は、両班制度と科挙の存在である。両班は高麗時代から存在した。東班(文官)と西班(武官)より成り、官僚層を形成した。科挙を受けて官僚となったが、次第に特権化、世襲化して行く。常民と言われる農民や、商人、手工業者にも、科挙の門戸が形の上だけは開かれてはいたが、実際には閉ざされているのと同じだった。
この結果として、階層の流動化が全く乏しく、社会が停滞して、活力が失われた。更に李朝半ば過ぎになると、官職の売買が公然と行なわれる様になり、賄賂が横行した。貪官汚吏が蔓延り、国家は朽ち果てて行った。
国王と支配階級であった両班は、絶え間ない権力闘争に血道を上げる傍ら、農民を中心とした常民を徹底的に搾取し、国の財政が疲弊するのに、些かも顧慮する事無く、浪費と贅沢三昧に耽った。
その三は、上は国王から、下は地方官に至るまで、血縁、地縁による閉鎖的なグループを形成した事である。わけても、李朝末期に見られる大院君と閔妃の対立は、その典型的なものであろう。両派は親露派、親清派に分かれて、血で血を洗う抗争を続けた。時には、大院君や、閔妃は、親日派にもなった。末期症状を更に悪化させたのは、国王の高宗が愚昧で酒色に溺れ、国政を一向に顧みなかった事である。
その上、欧米列強の圧力に対しても、何等の打つ手が無かった。逸早く近代化の必要性を感じて動き始めた開化派(金玉均、朴泳孝等)は、守旧派に抹殺されて、近代産業国家への芽は摘まれてしまうのである。
李氏朝鮮は「出口無し」の状態に陥っていた。既に国の形を失っていた。
李氏朝鮮は中国の属国であった為に、武を軽んじたから、独立国として体裁を欠いていた。そこで国王や、両班はそれぞれ、清、露、日の強大な隣国に取り入る事しか考えなかった。自主の邦としての気概を持つ事が、全く無かった。
日清、日露の両戦争に勝利を収めた日本が大韓帝国を支配下に収めたのは、歴史の必然であった。
わが国の人々の多くは、日本統治が犯罪行為であった如く力説するが、それは事実を知らぬ妄説に過ぎないと、私は信ずる。あの時代を理性的に振り返って見れば、いかに日本統治が我国にとってプラスになったか、日本が真摯に朝鮮半島の近代化に努力したかを、読み取る事が出来るだろう。
韓国には「七奪」という表現がある。日本統治のマイナスの面を手短に言うものだが、私は本書の中でその一々に就いて、反論を述べておいた。
日韓併合の収支決算は韓民族にとって、大いなる善であった。他力本願ながら、日韓併合が韓国民を救済し、韓国に今日の繁栄を齎した。もし、韓民族が中国の属国であり続けたとしたら、或はロシアの支配下に置かれたとしたら、今日の韓国の繁栄は有り得なかった。今こそ、歴史を再検討すべき時が訪れたのだ。
北朝鮮は、李氏朝鮮の完全なクローンである。本書が北朝鮮に就いて、理解を深める助けになる事を願っている。
本書の出版を機に、その機会がやって来る事を、私は切に望んでいる。
2003年6月
ソウルにて
著者
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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>チャングム話
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/15 00:48 投稿番号: [171 / 1329]
これは メッセージ 168 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/171.html
チャングム話
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/14 23:42 投稿番号: [170 / 1329]
>どうもそういう辺りに
恣意的な臭いを感じます
ほんと、そう思います。
そういえば、日本橋三越のチャングム展
入場者全員に韓国地図を配布。
「竹島はどうなってる?」と渡された韓国政府観光局発行の地図を
チェックしたらしっかり《独島》となってたとか。
寒流をいいことに日本国内でこんな工作活動をしてますね。
これは メッセージ 169 (licky_eto さん)への返信です.
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Re: 李朝朝鮮
投稿者: licky_eto 投稿日時: 2006/05/14 01:02 投稿番号: [169 / 1329]
単語に関しては
韓国語のわかる方にお願いするとして…
確かに
王太后や王妃では日本人に馴染みがないから「皇太后・皇后」に置き換えたいとする
そういう考え方も
百歩も千歩も譲れば理解出来ます
出来ますが…
じゃあ「サングン(尚宮)」はどーすんだ?
なぜ「尚侍」と置き換えないんだ?
と
なりますね
どうもそういう辺りに
恣意的な臭いを感じます
これは メッセージ 168 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/169.html
Re: 李朝朝鮮
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/14 00:32 投稿番号: [168 / 1329]
ソースが2chですみませんが。
違ってる証拠があるソースがあれば投稿お願いします。
_______________________________
> 「王様の御膳が〜」とか言ってるし、明らかに「王様」なのに、なんで「皇太后」「皇后」なの?
> 「王太后」「王妃」じゃないのかな?
「皇太后」「皇后」はNHKの訳であって韓国語では違うそうですよ。
以前からあちこちの板でたびたびこの疑問と回答があったので、不思議に思うのはおかしくないと思います。
以下ハングル板の前のチャングムスレからの抜粋
534 名前:マンセー名無しさん[sage] 投稿日:2006/03/16(木) 00:30:08 ID:we2TBRVf
(略)
皇后とか皇太后ってのは日本で放送する時に、日本人にわかりやすくする為に、わざとそういう訳を使っただけで、
言語だと違ってるよ。テビママ(NHKだと皇太后)とか、チュンビママ(NHKだと皇后)って呼ばれてた。
545 名前:マンセー名無しさん[sage] 投稿日:2006/03/16(木) 15:25:07 ID:Ni20OI6G
(略)
それと、534の訂正。
テビママは「大妃媽媽」チュンビママはチュンジョンママ「中殿媽媽」だった。
※名称以外の部分は略しました。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: 日本の服飾史サイトありがとうございま
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/12 23:44 投稿番号: [167 / 1329]
いえいえ、トピあげを兼ねて気をつかっていただいてるようで。
ありがとうございます。
これは メッセージ 165 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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Re: れ: >中国では滅びた音楽が
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/11 22:11 投稿番号: [166 / 1329]
篳篥は難しいらしいです。
よほど上手くないとソロで素敵な演奏って無理な感じだし。
東儀さんのソロのTVでのタイタニック演奏素晴らしかったな〜。
>現在の雅楽は「唐楽」と「高麗楽」とどっちが主だって成立しているのか
え〜聞いたのですが、
どちらかが主だってる訳ではないらしいです。
imp_mania_jk さんがリンクされたサイト
http://www.iz2.or.jp/fukusyoku/wayou/index.htm>曲目を中国伝来の左舞(唐楽)と朝鮮半島伝来の右舞(高麗楽)の左右に分けて、一定の組合せで演奏することが行われた(番舞)。
>たとえば韓国に「蘭陵王入陣曲(?)」とか「催馬楽」とかあるんでしょうかね
「あるんじゃないの〜?韓国も国立の楽団があるんだし(韓国国立国楽院)」とちょっと適当な返事。
でも、韓国>雅楽で検索してみると、
http://www.jkcf.or.jp/friendship2005/japanese/events/details.php?event_id=7782005年の日韓友情年に交流なんかあって、こんなことが書かれていました。
>雅楽の中には「高麗楽」というジャンルがある。これは古代朝鮮半島から輸入され、日本では今も伝承されている一方、朝鮮半島では既に消滅してしまった音楽芸術群を指す。
高麗楽シンポジウム「日韓宮廷舞踊の世界」は、千年の時を超え「高麗楽」を再び韓国の人々の手へ「里帰り」させるための事業である。
>これは真の意味で高麗楽を朝鮮半島の人々に取り戻す、画期的な催事である。
もうちょっと高麗楽が朝鮮半島で消滅してしまった詳細なソースが欲しいところですが、今はこれぐらいでご勘弁を。
これは メッセージ 153 (licky_eto さん)への返信です.
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Re: 日本の服飾史サイトありがとうございま
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/05/11 21:59 投稿番号: [165 / 1329]
すみません、トピズレばかりで(汗)
喜んで頂いて光栄です。
これは メッセージ 164 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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日本の服飾史サイトありがとうございます
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/05/11 21:41 投稿番号: [164 / 1329]
これは メッセージ 163 (imp_mania_jk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/164.html
トピずれ:日本の服飾史
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/05/11 00:27 投稿番号: [163 / 1329]
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/163.html
Re: 自己レス 2(トピズレ
投稿者: justina_eto 投稿日時: 2006/05/09 10:04 投稿番号: [162 / 1329]
>恥ずかしい二段間違いです。(汗)
師父サマ
大丈夫です
ダディの元ネタも
陳舜臣先生の「中国の歴史」と
同「小説
十八史略」ですから(爆)
三段も四段も間違っているはずです(笑)
(1.ダディ
一応平凡社の後漢書にも当たってるわい>ジャス)
これは メッセージ 161 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/162.html
Re: 自己レス 2(トピズレ
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/09 09:48 投稿番号: [161 / 1329]
>改めて
後漢書梁冀伝を調べて
「跋扈将軍」梁冀夫人が
西暦130年代にこの髪型をしていたという記録が
残ってました
そうでしたか。梁冀の時代なら納得です。
今朝になってから気づいたのですが、私の思い込みの元ネタは陳舜臣の『秘本三国志』でした。そこに堕馬髻が出てました。
って、これも後漢時代なのですが、その記述が『中国の歴史4
古代の中国(講談社)』か、田中芳樹の『纐纈城奇譚』にあるとさらに間違って思い込んでおりました。唐代の絵画に堕馬髻姿の官女が描かれていたのを見た記憶があったせいかもしれません。
恥ずかしい二段間違いです。(汗)
これは メッセージ 159 (licky_eto さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/161.html
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