茶母1
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/21 22:40 投稿番号: [185 / 1329]
少し前話題になった「茶母」についてこんなものを拾いました。
http://mbbs.imbc.com/cwb/cwb-bin/CrazyWWWBoard.asp?mode=read&num=1295&db=daejanggum_history&page=54&backdepth=1
朝鮮語を訳しなおして、何回かに分けてアップします。
>その中で茶母は元々官衙に属して湯を沸かす役目をした身分が非常に低い官婢である。儒教国家である朝鮮は男女の別をいう原則が厳格で、女性の住まう家屋の奥を捜索するとか女性容疑者及び罪囚を扱う時茶母や医女を利用した。特に捕盗庁の茶母は男たちができない捜査を引き受けるとか捜査補助要員で活躍した。
茶母=女刑事、というのはまったくのウソというわけではないようですね。
>崔研究員はまた、「彼女らは特殊な技能を持った女性だったが社会的地位が非常に低かった。技術職に対する賤視の風潮のためでもあるが、大部分は賤しい身分出身だったし、男女の別を強調した社会で男たちと会う機会が多く、本来の任務から脱して「性的慰み物」として扱われる場合もあった」と説明した。
どうやらエトさんがおっしゃった、
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=mfbdabdabaaf&sid=1835396&mid=109
>>「茶母」
>江戸期の出会い茶屋の「茶汲み女」や 旅籠の「飯盛り女」の様な職業であったのかも知れん稀ガス
単純に「茶碗の母」鴨…
は当たっていたばかりか、もっと酷い状態であったということです。
・・・・・・・
朝鮮経済史を研究して<我が国の女性たちはどうやって暮しただろうか>に 「専門職女性たちの希望と挫折」という文を書いたりした崔垠成(漢字は東亜のカンで当てた)ソウル大奎章閣(李朝の図書館・文書保管所が前身。現在はソウル大附設の李朝文書研究所)研究員は「高麗末期から朝鮮初期までは女性たちが積極的に商業活動など経済活動に参加したが、朝鮮中期以後には医女・宮女・茶母・妓女など少数の職業だけが残った。その中には自分の領域ですぐれた活躍をした女性たちがいたが、男性中心の歴史叙述だから記録がほとんど残っていない」と言う。
崔研究員はまた、「彼女らは特殊な技能を持った女性だったが社会的地位が非常に低かった。技術職に対する賤視の風潮のためでもあるが、大部分は賤しい身分出身だったし、男女の別を強調した社会で男たちと会う機会が多く、本来の任務から脱して「性的慰み物」として扱われる場合もあった」と説明した。
その中で茶母は元々官衙に属して湯を沸かす役目をした身分が非常に低い官婢である。儒教国家である朝鮮は男女の別をいう原則が厳格で、女性の住まう家屋の奥を捜索するとか女性容疑者及び罪囚を扱う時茶母や医女を利用した。特に捕盗庁の茶母は男たちができない捜査を引き受けるとか捜査補助要員で活躍した。
「朗山文稿」の「茶母伝」には、朝鮮英祖時代漢城府の茶母金ジョイ(金召史)の話が出る。金ジョイは1832年(東亜註:英祖の時代なら1732年であるべき。1832年なら純祖の時代であり、先述の英祖が誤記となる。原文のハングル表記は英祖(ヨンソ)だったが)飢饉で禁酒令が出されたとき、密造酒事件を調査する中で、危険を冒して、生活が貧しいお婆さんの罪を見逃してやって仁政を施した。また、褒賞金をもらうために兄嫁が酒を密造したことを告発した両班の男にビンタをはりながら「両班ともあろう者が、酒を密造したと兄嫁を密告して褒賞金を受け取ろうと思うのか」とどなりつけて、自分がいただいた褒賞金をかわいそうなお婆さんに持っていったという堂々とした面貌を見せてくれる。
http://mbbs.imbc.com/cwb/cwb-bin/CrazyWWWBoard.asp?mode=read&num=1295&db=daejanggum_history&page=54&backdepth=1
朝鮮語を訳しなおして、何回かに分けてアップします。
>その中で茶母は元々官衙に属して湯を沸かす役目をした身分が非常に低い官婢である。儒教国家である朝鮮は男女の別をいう原則が厳格で、女性の住まう家屋の奥を捜索するとか女性容疑者及び罪囚を扱う時茶母や医女を利用した。特に捕盗庁の茶母は男たちができない捜査を引き受けるとか捜査補助要員で活躍した。
茶母=女刑事、というのはまったくのウソというわけではないようですね。
>崔研究員はまた、「彼女らは特殊な技能を持った女性だったが社会的地位が非常に低かった。技術職に対する賤視の風潮のためでもあるが、大部分は賤しい身分出身だったし、男女の別を強調した社会で男たちと会う機会が多く、本来の任務から脱して「性的慰み物」として扱われる場合もあった」と説明した。
どうやらエトさんがおっしゃった、
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=mfbdabdabaaf&sid=1835396&mid=109
>>「茶母」
>江戸期の出会い茶屋の「茶汲み女」や 旅籠の「飯盛り女」の様な職業であったのかも知れん稀ガス
単純に「茶碗の母」鴨…
は当たっていたばかりか、もっと酷い状態であったということです。
・・・・・・・
朝鮮経済史を研究して<我が国の女性たちはどうやって暮しただろうか>に 「専門職女性たちの希望と挫折」という文を書いたりした崔垠成(漢字は東亜のカンで当てた)ソウル大奎章閣(李朝の図書館・文書保管所が前身。現在はソウル大附設の李朝文書研究所)研究員は「高麗末期から朝鮮初期までは女性たちが積極的に商業活動など経済活動に参加したが、朝鮮中期以後には医女・宮女・茶母・妓女など少数の職業だけが残った。その中には自分の領域ですぐれた活躍をした女性たちがいたが、男性中心の歴史叙述だから記録がほとんど残っていない」と言う。
崔研究員はまた、「彼女らは特殊な技能を持った女性だったが社会的地位が非常に低かった。技術職に対する賤視の風潮のためでもあるが、大部分は賤しい身分出身だったし、男女の別を強調した社会で男たちと会う機会が多く、本来の任務から脱して「性的慰み物」として扱われる場合もあった」と説明した。
その中で茶母は元々官衙に属して湯を沸かす役目をした身分が非常に低い官婢である。儒教国家である朝鮮は男女の別をいう原則が厳格で、女性の住まう家屋の奥を捜索するとか女性容疑者及び罪囚を扱う時茶母や医女を利用した。特に捕盗庁の茶母は男たちができない捜査を引き受けるとか捜査補助要員で活躍した。
「朗山文稿」の「茶母伝」には、朝鮮英祖時代漢城府の茶母金ジョイ(金召史)の話が出る。金ジョイは1832年(東亜註:英祖の時代なら1732年であるべき。1832年なら純祖の時代であり、先述の英祖が誤記となる。原文のハングル表記は英祖(ヨンソ)だったが)飢饉で禁酒令が出されたとき、密造酒事件を調査する中で、危険を冒して、生活が貧しいお婆さんの罪を見逃してやって仁政を施した。また、褒賞金をもらうために兄嫁が酒を密造したことを告発した両班の男にビンタをはりながら「両班ともあろう者が、酒を密造したと兄嫁を密告して褒賞金を受け取ろうと思うのか」とどなりつけて、自分がいただいた褒賞金をかわいそうなお婆さんに持っていったという堂々とした面貌を見せてくれる。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/185.html