茶母2
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/21 23:21 投稿番号: [187 / 1329]
ようやく第2弾が訳せました。
>捜査権はあっても 逮捕権はないんですよね?
どうやら、宮廷や士大夫階級の女性に対しては逮捕できたようです。彼女らは奥に住んでおり男性が立ち入れないから、という理由らしいです。
それについての記述を含んだ第2弾行きます。
・・・・・・・
「許浚(東亜註:実在の天才医師を描いた大河ドラマ)」と「大長今」に登場する医女は女医とも呼ばれて、男性医員に診療を受けるのを忌避した女性たちの疾病を治療するために置いた女医員である。医女制度が初めて出現したのは太宗の時であった。太宗6年(1406年)3月済生院の許滔(漢字は東亜のカンで当てた)は「婦人が病気のとき男の医員が脈を取って診断して治療するようにすれば、もしかすると、恥ずかしさのために病状をすすんで見せなくなり、ついには死に至るようになります」と言って医女の必要性を主張した。
幼く賢い女婢の中から医女を選んで、医学書籍を読めるよう漢字を習わせるようにしたし、脈の取り方や鍼術などの医術を教えた。「経国大典」を見れば、成績が優秀な医女には3ヶ月分の給料を支給して、成績の悪い医女は茶母に降等するという賞罰規定がある。
四方に名を知られた医女たちも多く、医女が脈取りなどの補助的役目のみをしたのではなかった。男の医員が直接患部を触ることができなかった腫れ物や歯痛などを治療して、鍼も打ったし、出産も助けた。すぐれた実力で歴史書に名前を残した医女たちもある。
成宗(東亜註:中宗の父)の時の済州島の医女ザングドックは、歯痛と吹き出物をよく治療して名前をあげたと言い、宣祖(東亜註:中宗の孫)の時の医女エゾングは医術がすぐれたが、彼女の診た王妃が死亡すると責任を問われて内医名簿から削除したという記録も残っている。医女たちはまた宮廷や士大夫の家の女性に関する犯罪を捜査して罪人を逮捕するとか、女性が堕胎したのかを調査して女性罪人に毒薬を賜る時も派遣された。しかし学識があって薬をためすことができて(東亜註:私の実力では訳しきれません)、妓女のように宮廷の宴会に動員されたし、薬屋妓生とも呼ばれた。
>捜査権はあっても 逮捕権はないんですよね?
どうやら、宮廷や士大夫階級の女性に対しては逮捕できたようです。彼女らは奥に住んでおり男性が立ち入れないから、という理由らしいです。
それについての記述を含んだ第2弾行きます。
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「許浚(東亜註:実在の天才医師を描いた大河ドラマ)」と「大長今」に登場する医女は女医とも呼ばれて、男性医員に診療を受けるのを忌避した女性たちの疾病を治療するために置いた女医員である。医女制度が初めて出現したのは太宗の時であった。太宗6年(1406年)3月済生院の許滔(漢字は東亜のカンで当てた)は「婦人が病気のとき男の医員が脈を取って診断して治療するようにすれば、もしかすると、恥ずかしさのために病状をすすんで見せなくなり、ついには死に至るようになります」と言って医女の必要性を主張した。
幼く賢い女婢の中から医女を選んで、医学書籍を読めるよう漢字を習わせるようにしたし、脈の取り方や鍼術などの医術を教えた。「経国大典」を見れば、成績が優秀な医女には3ヶ月分の給料を支給して、成績の悪い医女は茶母に降等するという賞罰規定がある。
四方に名を知られた医女たちも多く、医女が脈取りなどの補助的役目のみをしたのではなかった。男の医員が直接患部を触ることができなかった腫れ物や歯痛などを治療して、鍼も打ったし、出産も助けた。すぐれた実力で歴史書に名前を残した医女たちもある。
成宗(東亜註:中宗の父)の時の済州島の医女ザングドックは、歯痛と吹き出物をよく治療して名前をあげたと言い、宣祖(東亜註:中宗の孫)の時の医女エゾングは医術がすぐれたが、彼女の診た王妃が死亡すると責任を問われて内医名簿から削除したという記録も残っている。医女たちはまた宮廷や士大夫の家の女性に関する犯罪を捜査して罪人を逮捕するとか、女性が堕胎したのかを調査して女性罪人に毒薬を賜る時も派遣された。しかし学識があって薬をためすことができて(東亜註:私の実力では訳しきれません)、妓女のように宮廷の宴会に動員されたし、薬屋妓生とも呼ばれた。
これは メッセージ 186 (ricky_eto さん)への返信です.
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