李朝朝鮮

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茶母3

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/05/21 23:51 投稿番号: [188 / 1329]
最後です。

・・・・・・・

宮廷史劇でたくさん登場したが、いざ日常に対してはほとんどスポットライトの当たることの無かった宮女や妓生も、重要な朝鮮時代の女性の職業だった.

宮女について記録が比較的多く残っているのは、1960〜70年代まで生存していた宮女たちの口述があったからだ。宮女たちは幼くして宮廷に入って技術を体系的に習ったから、自分の分野の専門家たちであったし、現在まで伝わった宮廷料理は尚宮たちから伝授を受けたのである。
宮女は五品から従九品までの品階を持った尚宮、私人であるこの下で働く雑仕女、各心が、恣意などで分けられる。尚宮も役目によって地位が非常に違ったが、王の寝室を担当する至密は王に近づけることができたので一番地位が高かったし、次に衣生活に係わる寝房と繍房(東亜註:漢字に自信なし)だったし、食事を担当する蔬酒房、飲み物及びお菓子などを作る生果房、洗濯と服の手入れを引き受けた洗踏房はそれより地位が低かった。宮女たちは、新人ならひと月に白米四斗が給料であったし、毎年絹・木綿・麻布をそれぞれ一枚一頭ずつ支給され、節日(重陽などの節句)や宮廷の慶事の後には下賜もあった。

妓生・妓女は医薬・歌舞を習った技能職女性

妓生・妓女と言えばよく「花柳界」の女性たちを思い浮かべるが、本来は医薬や裁縫技術または歌舞を習って、国で必要な時に働いた技能職女性を示した言葉だった。しかし妓女は賤人の身分のうえ、合法的に男性たちの接近が許容された若くて美貌を取り揃えた女性だったので、徐々に男性たちの宴で興をあおる役目をするようになった。妓女は奨学院などに属して徹底的な教育を受けて特技を磨き、伝統音楽と踊りを今日まで伝える重要な役目をした。

崔垠成研究員は「これらの社会的地位が低く、自分の選択ではない国家の必要によって働いたのだが、女性の活動が制約を受けた時期に我が国の最上層文化である宮廷の食べ物と服飾を開発して発展させた宮女、我が国の伝統音楽と踊りの保存者としての妓女、女医または看護婦として医女たちの役目は新しく評価しなければならない」と言う。テレビ史劇の中、新しい女性たちの肩の荷は重いようだ。

参照資料
「我が国の女性たちはどうやって暮しただろうか」リ・ベヨン   青年社   1999
「私は堂々と暮す」金健優   文字郷   2003
「韓国生活史博物館」韓国生活史博物館編纂委員会   四季   2003

バックミンフィ記者 minggu@hani.co.kr
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