竹島

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所謂于山島

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2005/05/28 09:09 投稿番号: [9601 / 18519]
http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/haedong.jpg

鬱陵島の小六島の件ですが、皇城新聞の記者は1750年代の地図「海東地図」も参考にした可能性が大きいと思います。

この地図では、小島が六つ描かれていますし、その一つには「所謂于山島」とご丁寧に明記していますからね。

隠州視聴合紀の「五十猛」

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/28 06:49 投稿番号: [9600 / 18519]
隠州視聴合紀の「按神書所謂五十猛歟」の記述について思っていることを書きます。

まず、このテクストは史料によって存在したりしなかったりします。例えば、田中邦貴氏のホームページに引用されているテクストには書かれていません。

従って、「最初は存在しなかったが、筆写の過程で誰かの書いた注が紛れ込んだ」「最初は存在したが、筆写の過程で抜け落ちた」の二つの可能性が考えられます。

私が自信を持って言えるのはここまでで、後は素人の印象と空想になるので、まあ、そのつもりで読んでもらいたいのですが、私は最初は存在しなかった可能性が高いと思っています。

というのは、隠州視聴合紀全体を読んだ時に「按神書所謂五十猛歟」という記述は、どう斎藤豊仙らしくないというか、違和感を覚えるのですね。

どういうことかというと、隠州視聴合紀には「按ズルニ…」という書き方で神様に触れた記述がいくつも出てくるのですが、それは全て延喜格式神名帳に基いて、実際に存在を確認した神社がどれに相当するかを考察しているものです。そして、その考察の態度は非常に論理的、かつ実証的です。

例えば周吉郡西郷の奈伎良明神については「神明帳には奈伎良神社が海部郡にあると書いてある。だとすれば、郡名が間違って記されているか、後にここへ移ったか、あるいはそもそも別の神のことであるか」というように論理的に考えられる可能性を挙げた上で、断定を避ける書き方をしています。

また、知夫郡知夫湊の記述では、「渡明神」という神社について「和太酒」の社だという説を唱える人がいることを紹介した上で「根拠がなく、単に言葉が似ているだけだ」と結論しています。

そのような斎藤豊仙の記述態度と、何の根拠も示さずに磯竹島を五十猛に引き当てる記述が私には結びつかないのです。

ついでに、五十猛神についても触れておきます。

この神様は日本書紀で、スサノオノミコトが高天原を追われてヤマタノオロチを退治するエピソードに対する異説として紹介されている中に登場します。

それによると五十猛神はスサノオノミコトの子供で、一緒に高天原を追われ、まず新羅国のソシモリのところに身を寄せた後、日本に渡りました。五十猛神は多くの樹の種子を持ってきたのですが、それを韓国には一切蒔かず、日本に来てから蒔きました。そのために有功(いさおし)の神と呼ばれます。最終的には紀伊の国に落ち着いたようです。

従って、五十猛神は朝鮮との因縁が深く、磯竹島を五十猛神になぞらえたとしてもそれが朝鮮領と考えていない証拠になるかどうかは断言できないと思います。

祝・竹島問題がINTERNET GUIDEに掲載

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2005/05/28 06:36 投稿番号: [9599 / 18519]
先週ヤフーからメールが着ました。それを下記に掲載します。

=============掲載開始=============

ご担当者様

お世話になっております。
YAHOO! INTERNET GUIDE編集部です。

実は弊誌7月号(5/28発売)にて、
「いまこそ竹島問題をまじめに考える」と題して、
竹島関係の情報を扱うWEBサイトを紹介する
記事を企画しております。そのなかで、
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/
をご紹介させていただきたいと思っています。
何か問題等ございましたら、
お手数ですがご返信いただけますと幸いです。

※以下弊誌の媒体概要です
媒体名 :Yahoo! Internet Guide
発行 :ソフトバンク パブリッシング株式会社
体裁 :A4 中綴じ 250ページ前後
主な内容:ホームページ紹介、インターネット関連の最新ニュース、
パソコン(とくにインターネット関連ソフト)の上手な使い方など
主な読者層:初級から中級レベルのインターネットユーザー
発売日等:月刊誌(毎月月末発売)、定価790円
全国の書店、コンビニエンスストア、駅売店にて販売

勝手なお願いで誠に恐縮ですが、
何卒よろしくお願い申し上げます。

▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
YAHOO! INTERNET GUIDE編集部
ソフトバンク パブリッシング株式会社
tel:03-5549-1181 / fax:03-5549-1182
http://www.sbpnet.jp/yig/
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼

=============掲載終り=============

素晴らしいです。今日早速買います。

隠州視聴合紀の「高麗」

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/28 06:10 投稿番号: [9598 / 18519]
半月城さんへ

最近、読んだ本に、半月城通信 No.89 の以下の記述に関連する史料を見つけたのでご紹介します。

>    おわりは「見高麗如自雲州望隠州」の解釈です。この読みくだしは「高麗
>を見るは、雲州より隠州を望むがごとし」でいいと思います。ただ、注意すべ
>きは、これが書かれた1667年には高麗という国はすでに存在しません。滅びて
>からすでに275年もの長い歳月がたっています。
>    そのため「高麗」はもちろん国の名前を意味しません。漠然とした地名と
>して用いられました。高麗とはいうまでもなく朝鮮半島です。

これに関して、山本博文「鎖国と解禁の時代」(校倉書房)の p.183 に以下の史料が載っていました。

----------------------------------------------
対馬守・柳川公事御穿鑿半様子ハ、高麗より之文も
将軍様より高麗へ之御書も、御代々対馬守書直、…
----------------------------------------------

これは、熊本藩主細川忠利が父親に宛てた手紙の一節で、江戸幕府が朝鮮との修好回復のために文書のやり取りをしていた際に、仲介した対馬が勝手に文書を書き直していた事件、いわゆる柳川一件について述べています。

ここでは明らかに「高麗」が「朝鮮国」の意味で使われています。あくまで「朝鮮国」の意味の用例を一つ見つけたというだけなので、上記の半月城さんの主張を否定することにはなりませんが、その論拠をかなり弱いものにする例であると思います。ご参考にしていただければ幸いです。


掲示板を見ている方へ

17世紀の「高麗」という言葉の用法について詳しい参考文献をご存知の方はご紹介いただけるとありがたく思います。

>>隠州視聴合紀の此州

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/27 23:23 投稿番号: [9597 / 18519]
転写:
http://toron.pepper.jp/jp/take/jpn/onsyu.html
斎藤豊仙 『隠州視聴合記』(1667年)
  隠州在北海中故云隠岐島 従是 南至雲州美穂関三十五里 辰巳至伯州赤碕浦
四十里 未申至石州温泉津五十八里 自子至卯 無可往地 戍亥間行二日一夜有松
島 又一日程有竹島(俗言磯竹島多竹魚海鹿按神書所謂五十猛歟)此二島無人
之地 見高麗如自雲州望隠州 然則日本之乾地 以此州為限矣

  隠州は北海の海中にあるので隠岐島という。これより南は雲州美穂関まで
は35里、東南は伯州赤碕浦まで40里、西南は石州温泉津まで58里、北か
ら東は往くべき地がない。西北に一泊二日行くと松島がある。また一日ほどで
竹島がある(俗に磯竹島という。竹や魚、アシカが多く、案ずるに神話・古事記にい
うところのイソタケルから来ている)。
   この二島は無人の地である。高麗を見るに雲州より隠州を望むごとくであ
る。然からば即ち、日本の乾(北西)の地、此の州を以て限りと為す。

  「高麗を見るに雲州より隠州を望むごとくであるところの竹島、「この州」が日本の
最北西にある領土で高麗と日本の境だよ。」

  1667年8月、出雲松江藩の藩主の命により齋藤豊仙が隠岐郡代として、約2ヶ
月を掛けて隠州(隠岐島)を巡察した際の、「視」「聴いた」ことを採録した近世隠岐
の地誌(調査報告書)である。

  巻一の『国代記』で齋藤豊仙は北海の中にある隠岐島が、これを基準として東西
南北、それぞれの方向にある日本の領地まで、どれだけの位置にあるかを記述して
いる。

  その中で「見高麗如自雲州望隠州」に適合するのは竹島だけ、しかも(俗言磯竹
島多竹魚海鹿按神書所謂五十猛歟)から斎藤豊仙 は竹島を日本の州と考えてい
たと言える。

  此州が竹島を指すのは無理があると考えることはない。長久保赤水、林子平など
も此州を竹島と読んでいる。鬱陵島一島だけの帰属が問題になった当時の記録をま
とめた『星湖塞説』でも「一州の土を覆す」と記している。

竹島こと鬱陵は小六島と岩石よりなっている。此州が竹島であることに異論はない
筈である。
http://toron.pepper.jp/jp/take/jpn/onsyu.html

領土問題を考える際、斎藤豊仙 『隠州視聴合記』(1667年)は日韓共に無視できな
い文書ですね。

>「竹嶼」(Boussele岩)とは「他一島」

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/05/27 22:27 投稿番号: [9596 / 18519]
>小六島括めて他一州とはいいませんわね。

allarefriends2000さん、te2222000さん、AHOさんだったら言うんじゃない。
彼らの州の定義がそうだもんね。w

念のため

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/27 22:08 投稿番号: [9595 / 18519]
念のために申し上げておきます。混乱される方もいらっしゃるかもしれませんので。

>確かなことは「略図」が島根県の提出資料だけで作成されたものでなく、また、その位置関係は大日本国沿海略図と同じく、アルゴノートとダジュレーにまったくもって一致するということです。

ここでいう「略図」は「大日本府県分割図」中の「大日本全国略図」を指しています。

>引き続き検証

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/27 20:36 投稿番号: [9594 / 18519]
>内務省地理局の発行した地図は、基準原点を東京に置き、三角法で描かれた測量の成果品としての地図です。

解説をどうもありがとうございます。

>ですから、測量データを集成して描かれた「大日本全図」が他の「大日本沿海略図」等測量データの不明な地図に影響されるなどと云うことは有り得ません。

私は竹島・松島に限って申し上げて来ました。測量データがあるところは仰るとおりでしょう。しかし、竹島・松島について言えば「大日本沿海略図」ほか、他の地図(西洋人の地図も含みます)の影響も受けていると思いますよ。

>実測量は行わず、島根県から内務省に提出された資料を元にした距離関係位置関係で描いたものと思われます。

さきに具体的に根拠を三つほどあげましたように(9583)、大日本府県分割図は島根県からの提出資料のみをもととしたものではありません。

なお、島の形状についてのご指摘がありましたが、これは大日本国沿海略図よりも小さく描かれましたが、私は当局がさまざまな資料の総合的な判断によって大日本府県分割図を作成したと考えており、したがって、それが必ず大日本国沿海略図と一致しなければならないことはありません。

確かなことは「略図」が島根県の提出資料だけで作成されたものでなく、また、その位置関係は大日本国沿海略図と同じく、アルゴノートとダジュレーにまったくもって一致するということです。

おそらく、明治10年に太政官判断で下された「外一島」も、ほかでもなくアルゴノートとダジュレーの地理的認識であり、それが明治13年の天城の調査による鬱陵島=松島への確定に結びついたのでしょう。

大日本府県分割はその傍証ともなる資料といえるでしょう。その意味で貴重な地図だと思います。

「小六島」と「他一島」

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/27 20:14 投稿番号: [9593 / 18519]
なるほど,他全部と云う事ですね,大きな鬱陵島に対して他6島全部,これはありえますね
1900年,韓国「皇城新聞」「付属する小六島の中で、最も顕著な島は、于山島と竹島」,ここで小六島の名が出てきますね   太政官指令は1877年です
この時には小六島はすでに知れていたんですかね,これがいくらか疑問のこります

>「竹嶼」(Boussele岩)とは「他一島」

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/27 19:07 投稿番号: [9592 / 18519]
転写:

>鬱陵島の小六島とは

>投稿者: seonsaeng (男性/慶尚南道晋州市)
http://www.ulleung.go.kr/Ullung_English/sub2_03.html

>この地図で見られるように、Gong Rock(孔岩)からJukdo(竹嶼)までの6つですね。

Okinomさん、他一島とは実際は六島だったんじゃありませんの。
小六島括めて他一州とはいいませんわね。

「竹嶼」(Boussele岩)とは, 「他一島」

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/27 16:41 投稿番号: [9591 / 18519]
転写:

>一方,大韓全図1899年の鬱陵島東南に、この「于山島」と同じ位置・大きさに、「竹嶼」(Boussele岩)と呼ばれる島があります。帝国海軍の「水路報告第33号」にそのように描かれています。

根拠として韓国が領有しているとする島は、現在係争中の竹島(独島)ではなく「竹嶼(Boussele岩)」であることが明瞭に判ります。
そうして、太政官指令で関係なしとされた「鬱陵島他一島」の「一島」は、竹島(独島)ではなく、「竹嶼(Boussele岩)」であることが判ります。

Okinom:
大韓全図1899年の鬱陵島東南にある無名島はチクドと思われるが,これが竹嶼
では無いか   「Boussele岩」の意味は何でしょうかね?

かも?

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/27 14:06 投稿番号: [9590 / 18519]
かも?を裏付ける資料が何もないのに?

むしろ疑うべきは太政官指令の布達範囲でしょう。
太政官指令に基づき、内務省では間違いなく松島・竹島を朝鮮領と判定していた。
国内行政的には島名の混乱は全く見られず、この面では所謂「島名の混乱説」は実証的検証を欠いていたと云わざるを得ません。

しかし、当時の軍部にまで太政官指令が布達されていたかは今のところ疑問です。
愚生は陸軍省の資料を渉猟しましたが、太政官布達を綴った明治10年の資料に該当資料を見つけられないで居ます。

「他一島」では,3島あった可能性もある

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/27 13:20 投稿番号: [9589 / 18519]
>「他一島」で松島・竹島については、太政官指令にて日本国とは関係無しと判定されており、
Okino:
だから,「ダジュレー」島,「アルゴノート」島は,もしかして,フランス,イギリス領になってるかもとの懸念が太政官にあったかも知れない,即ちダジュレー(松島),アルゴノート(竹島)で竹島は竹嶋(チクド)の可能性もあるでしょう,そしてリヤンコ島も別にあり.つまり3島あったという認識を太政官は持っていたかも

今日は何の日

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/05/27 13:11 投稿番号: [9588 / 18519]
日露戦争は、日本の存亡をかけた自衛の戦いであった。
日本海海戦において我が連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に大勝利し、
戦争は終局に向かい講和が成立した。

   日本海海戦大勝利100周年

島の形状の検証

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/27 10:46 投稿番号: [9587 / 18519]
『大日本府県分割図』冊子中の『大日本全国略図』
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40011003&VOL_NUM=00000 &KOMA=4&ITYPE=0&L=0

『大日本国沿海略図』
http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/maps/map028/image/index.html

家鴨と兎さんは、さしたる根拠もお示しにならずに、「勝海舟の地図と同じくアルゴノートとダジュレーです。」と発言されましたが、両図を比較して松島の形状を比較して下さい。

引き続き検証

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/27 10:31 投稿番号: [9586 / 18519]
基準についても若干触れましょうか。
内務省地理局の発行した地図は、基準原点を東京に置き、三角法で描かれた測量の成果品としての地図です。
明治九年制定の量地條例綱領なども参照して下さい。
ですから、測量データを集成して描かれた「大日本全図」が他の「大日本沿海略図」等測量データの不明な地図に影響されるなどと云うことは有り得ません。
たまたまパッと見に似たような所に描かれているように錯覚したとしても、全く似て非なるものです。

ただし松島・竹島については、太政官指令にて日本国とは関係無しと判定されており、外国領と認識していましたから、実測量は行わず、島根県から内務省に提出された資料を元にした距離関係位置関係で描いたものと思われます。

韓国良心派識者

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/05/26 23:09 投稿番号: [9584 / 18519]
「信頼できない韓国」を直視せよ
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/05/25/20050525000078.html

我々は改竄なぞはしない!これは韓国良心派識者の生の声だ。

ついでにいうと

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/26 22:56 投稿番号: [9583 / 18519]
1.隠岐から松島までの距離が、松島から竹島までの距離の二倍をわずかですが越えていること。
2.さらにご丁寧に松島の位置が航路上のわずか北に描かれていること。

これに加えて、

3.地図に記された北西の方角とは竹島・松島の位置が微妙にずれていること。

もあげられそうです。島根の資料だけで書いた資料ではないでしょう。(80里、40里の距離も調べたいのですが、これは私は算数が苦手で無理です。)

大日本全図略図は大日本沿海略図はじめ他の地図の影響を受けており、さらにそこに記された竹島・松島はアルゴノートとダジュレーの位置と一致することを確認できるわけです。

その前に

投稿者: heiyonjun 投稿日時: 2005/05/26 22:54 投稿番号: [9582 / 18519]
韓国は未納の国連負担金は払ったのかい?

明日が何の日か知らない奴はモグリ

投稿者: YahhoJapon 投稿日時: 2005/05/26 21:52 投稿番号: [9581 / 18519]

>>>なるほど

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/26 21:23 投稿番号: [9580 / 18519]
>内務省地理局は種々の地図を蝟集していましたが、それを基準に地理的把握などしていませんよ。

どうして「基準に」と置き換えるのでしょうか。私は「島根県の資料にあわせて当時発行されていた諸々の地図を含めて総合的に政府は地理的把握を行っていたものと考えていますよ」と書いたのです。

>状況判断したことを裏付ける資料は、お示し頂いてないのですが。

状況判断ですからそれを裏付ける資料を出せといわれても困りますよ。

>隠岐島からの位置関係距離関係が全く違います。

どう見ても私にはほぼ同じに見えますが。あまり主観が入ってもいけないのでどなたか第三者の方の判断を仰ぐ事にいたしましょう。どなたか判断していただけませんか。(ただし、緯度・経度が「略図」では2度ずつになっているのでご注意願います。)

>「大日本府県分割図」の経度緯度が東京基準になっているのは、東京を基準として測量データを積み上げて地図を描いたことを示しています。

経度は東京基準ですが、緯度はそのままの普通の緯度のようでしたよ。ともあれ、東京基準によりデータを積み上げたとは知りませんでした。本当ですか。単に東経を東京を基点においたのだと思っていました。

>竹島・松島については、実測量は行われず、島根県から提出した資料に基づいて行われた結果と考えるのが合理的ですが、より合理的な説明が可能ならば、その根拠を挙げて説明して下さい。

私は太政官は島根の提出書類はもちろんのこと当時入手できた諸々の地図なども含めて総合的に地理的な理解を行ったものと考える次第です。それが合理的であり、周辺の地図や天城の調査、その他とも整合的であると考えますよ。

アホさんの「島根県が提出した資料に基づいて作成された結果であることは、簡便に印字して定規で測っても分かることです。竹島諸島の位置関係距離関係が一致します」というのもどうでしょうか。

政府や地理局には島根県の提出書類以外になにもなかったのでしょうか。なぜ「島根県が提出した資料に基づいて作成された結果」とばかり断言できるのでしょうか。

また、アホさんの言うように「印字して定規で測ると」「竹島諸島の位置関係距離関係が一致」というのは事実でしょうか。私も念のために定規で測ってみましたが、隠岐から松島までの距離が、松島から竹島までの距離の二倍をわずかですが越えていましたよ。

さらにご丁寧に松島の位置が航路上のわずか北に描かれていました。これは島根の資料ではなく、他の地図をも参照した証左でしょう。見事に大日本沿海略図に一致しています。竹島・松島について言えば、この地図は島根県の提出資料ではなく、大日本沿海略図に一致しているのです。

>隠州視聴合紀の此州

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/05/26 19:48 投稿番号: [9579 / 18519]
>■独島(竹島)
鬱陵島に付属する島で、早くから我が国の領土として受け継がれてきた。朝鮮(李氏朝鮮時代)初期に流民を防ぐため鬱陵島民を本土に移住させ、政府の管理がおろそかになったが、我が方の漁民は魚をとる拠点として絶えず活用してきた。特に、朝鮮の粛宗の治世下では東莱に住んでいた安竜福が、この地に往来する日本の漁民を追い払い、日本に渡って我が国の領土であることを確認させたこともあった。
  その後も日本の漁民はしばしば鬱陵島付近で不法に魚をとっていった。これに対し、政府は鬱陵島に役所を置いて住民の移住を奨励し、独島を管轄した。しかし、日本は露日戦争中に一方的に独島を自分たちの領土に編入し・てしまった。(注)独島の強奪1905年2月、日本は独島を「竹島」と名付け、いわゆる島根県告示第40号なるものを通じて一方的に日本に編入した。(中学校「国史」)   (読売新聞5月26日)
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>トンデモ解釈には笑わせてもらいました。なるほどの「州」の三つの点は竹島、松島、隠岐島でしたか!

捏造朝鮮は教科書だけではありませんね。
これには笑わせてもらいました。(爆笑)

下條教授、韓国の学者招いて研究会発足

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/26 13:47 投稿番号: [9578 / 18519]
途中で韓国人学者が「妄言だ」とかってファビョッて帰る方に、100ウォン。

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大学教授らメンバー 韓国の学者招く
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下條正男・拓殖大教授
県、来月「研究会」発足へ

  「竹島の日」条例制定を受けて、県民らに竹島(韓国名・独島)問題を広く知ってもらうため、県が設立を進めていた竹島の歴史研究などをする「竹島問題研究会」が、6月に発足することが明らかになった。大学教授らをメンバーに韓国の研究者を招いたシンポジウムなども予定。同条例などをきっかけに、こじれた日韓の友好にも結びつけたい考えだ。

  県によると、研究会のメンバーは10人を予定。これまで、県などの竹島解説書の製作に携わるなど、竹島問題に詳しい下條正男・拓殖大教授のほか、歴史地理学の舩杉力修・島根大助教授、史料収集が専門で松江工業高校司書の内田文恵さん、升田優・県総務課長ら。竹島は鳥取藩との関係が深いことから、谷口博繁・鳥取県立博物館長にも加わってもらう。

  研究会の活動は、竹島の歴史の客観的な研究、考察、整理▽領有権を巡る日韓両国の主張の体系的整理や比較研究▽関係資料の整理▽研究成果のとりまとめなどを挙げている。

  必要に応じて研究会に韓国の研究者や国際法の専門家らを招いて意見を聴く。シンポジウムについては、日本側から韓国に出向いて議論する可能性もあるという。

  初会合は6月下旬で、2カ月に1回程度の会合を開く方針。研究成果は、今年度末に中間とりまとめをし、最終的な結果は06年度に発表する見通し。

  澄田信義知事は「日韓の主張を分かりやすく整理し、冷静に議論する土台づくりが必要」として、同研究会の意義を強調、成果を期待している。

http://mytown.asahi.com/shimane/news01.asp?kiji=5395

>>なるほど

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/26 11:46 投稿番号: [9577 / 18519]
>私は今までずっと書いてきたように、こうした島根県の資料にあわせて当時発行されていた諸々の地図を含めて総合的に政府は地理的把握を行っていたものと考えていますよ。大日本府県分割図も同様です。

何を根拠にその様なことを仰るのでしょう。
内務省地理局は種々の地図を蝟集していましたが、それを基準に地理的把握などしていませんよ。

>大日本国沿海略図もそうですし、大日本府県分割図もそうですね。そうした状況判断です。明治13年の調査で鬱陵島が「松島」に確定したこともその傍証になるでしょう。

状況判断したことを裏付ける資料は、お示し頂いてないのですが。

>私にはほぼ一致しているように見えますが、どこが全く違うのでしょうか。もしかして北緯・東経の線を見間違っていらっしゃるのでしょうか。あるいは私が何かかん違いしていますか?

隠岐島からの位置関係距離関係が全く違います。

>大日本府県分割図の方は、はっきりとは見えませんが、東京を中心に東に二度ずつ、西に二度ずつを基準として東経が記されているようです。また北緯は一度ずつのものではなく、二度ずつのものです。

そのことの意味するところをご存じないのですか。
内務省地理局の地図は現在の国土地理院と同じで、他の地図を基準にして地図を描いたりしませんよ。自ら描いた地図が他の地図の基準になるのです。
「大日本府県分割図」の経度緯度が東京基準になっているのは、東京を基準として測量データを積み上げて地図を描いたことを示しています。
竹島・松島については、実測量は行われず、島根県から提出した資料に基づいて行われた結果と考えるのが合理的ですが、より合理的な説明が可能ならば、その根拠を挙げて説明して下さい。

>なるほど

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/26 10:06 投稿番号: [9576 / 18519]
>島根県が提出した資料に基づいて作成された結果であることは、簡便に印字して定規で測っても分かることです。竹島諸島の位置関係距離関係が一致します。

「由来の概略」(9509)の記述をもとにして仰っていらっしゃるようですが、私はそれだけでこの地図における竹島・松島の位置を規定するのはちょっとどうかと思いますよ。

なお、私は算数が苦手なのでいちいち計ってはいませんが、かりにアホさんがいうように隠岐から120里(竹島)と80里(松島)の認識がこの地図に合っているのだとすると、政府が竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーと考えたことはさらに整合性を帯びてきます。

私は今までずっと書いてきたように、こうした島根県の資料にあわせて当時発行されていた諸々の地図を含めて総合的に政府は地理的把握を行っていたものと考えていますよ。大日本府県分割図も同様です。

>それとも明治政府が「アルゴノート=竹島、ダジュレー=松島」と認識していたことを客観的に裏付ける資料でもあるのでしょうか。

大日本国沿海略図もそうですし、大日本府県分割図もそうですね。そうした状況判断です。明治13年の調査で鬱陵島が「松島」に確定したこともその傍証になるでしょう。

>地図に記された位置関係距離関係が二つの図では全く違いますけど?

私にはほぼ一致しているように見えますが、どこが全く違うのでしょうか。もしかして北緯・東経の線を見間違っていらっしゃるのでしょうか。あるいは私が何かかん違いしていますか?

大日本府県分割図の方は、はっきりとは見えませんが、東京を中心に東に二度ずつ、西に二度ずつを基準として東経が記されているようです。また北緯は一度ずつのものではなく、二度ずつのものです。

確認なさってみてください。

>隠州視聴合紀の此州

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/26 06:42 投稿番号: [9575 / 18519]
allarefriends2000さん
ご教示ありがとうございます。

隠州視聴合紀については現在私も調べており、近いうちに報告ができると思いますが、お教えいただいた内容とは一致していたので安心しました。

トンデモ解釈には笑わせてもらいました。なるほどの「州」の三つの点は竹島、松島、隠岐島でしたか!

『大日本全国図』について

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/25 23:56 投稿番号: [9574 / 18519]
『大日本府県分割図』の綴じ込まれた『大日本全国略図』は、内務省地理局の『大日本全国図』の略図です。

どちら様でも『大日本全国図』に「リエンコヲルトロック」が描かれているか否か、確認できましたならば発言して下さい。
愚生も継続して資料を渉猟します。

なるほど

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/25 23:40 投稿番号: [9573 / 18519]
要するに、資料の検討は全くしていないと云うことですか。

島根県が提出した資料に基づいて作成された結果であることは、簡便に印字して定規で測っても分かることです。
竹島諸島の位置関係距離関係が一致します。

>明治政府は「外一島」との表現にもうかがえるように二島を記したに過ぎないのでしょう。しかし、二島であれ三島であれ、いずれにしても、この時期の政府の地理的認識はアルゴノート=竹島、ダジュレー=松島であった。

かつて川上健三氏が唱えた島名の混乱説は、現在の竹島が江戸時代の松島と云う島名から何故変遷したのかについて説明を試みた仮説と記憶していますが、明治政府がアルゴノート=竹島、ダジュレー=松島の認識であったと唱えられてはいなかったと思いましたが?
それとも明治政府が「アルゴノート=竹島、ダジュレー=松島」と認識していたことを客観的に裏付ける資料でもあるのでしょうか。
全く新しい説を唱えられるのでしたら、その根拠をお示し頂きたいですね。

>それは、地図に記された島の位置を見れば分かることです。そして、それがただされて鬱陵島=松島、竹嶼=竹島と把握されることになったのは明治13年、その調査はご提示の地図にはあいにく反映されなかったわけです。

地図に記された位置関係距離関係が二つの図では全く違いますけど?

隠州視聴合紀の此州

投稿者: allarefriends2000 投稿日時: 2005/05/25 22:27 投稿番号: [9572 / 18519]
te2222000さん

隠州視聴合紀を読んでみました。非常にinformativeで、当時の地誌の水準を越える出色のものと思いました。ご教示に感謝してレスさせて頂きます。

>私が重要だと考えることの一つは、視聴合紀における「州」という字の使われ方です。

隠州視聴合紀には「此州」という表現が、問題の箇所以外に、和文1箇所、漢文2箇所にあります。和文の例を挙げると、「巻二、周吉郡、蛸木浦   其沖に松島あり。上に松生ひて樹間に荒園あり。長さ二町ばかり。昔、好事者此州に雉の無き事を愁へて、誠に雲州より雌雄を渡して此に放つ。一年を經て終に亡ぶと云ふ。」この文の「此州」は明らかに隠州でしょう。漢文2箇所の用法も文脈からシマの意とは取れません。他に「雲州刺史尼子伊豫守・・鄰州之盟主」「一州人」とありますが、何れもシマとは読めません。「州」と「島」は明確に区別して使われているようです。

しかしこれでは面白くないのでトンデモ解釈を一つ。隠州視聴合紀の著者:出雲藩士齋藤豊仙(注)は、「長さ二町ばかり」の小島に関する短文中に、隠岐にはキジが生息していないこと、及び1667年以前に隠岐にキジの導入を図った物好きがいたことなど、博物学的に興味ある貴重な情報を盛り込んでいます。按、齋藤豊仙は、AHO氏の言を借りれば(#964)、出雲藩士には勿体ないくらい切れる男だったようです。しかも探究心旺盛な彼は、新版図の竹島松島の情報を出来る限り集めようとしました。しかし此島の情報は、近くの隠州では余りに乏しく、遠くの因州人に独占されていると感じたのでしょう。そこで隠州のため此二島を日本領として取り込もうとしました。彼はずばり「此島(竹島)」としたかったでしょう。しかし国境の限定は出雲藩士の権限を越えます。それで無難に「此州」としました。州という字は水の流れの中の三つの点で陸地を表しています。然則、竹島・松島・隠岐を以って日本西北の地の限りとするでは如何。

(注)隠州視聴合紀の著者は幕臣何某ともされるが(石塚尊俊, 1972: 日本庶民生活史料集成, 20, 隠州視聴合紀解題.三一書房)、一応、多数説の齋藤豊仙(勘介)とする。

「対馬の日」 六月十七日」宣布式典

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/25 20:04 投稿番号: [9571 / 18519]
来月「対馬の日」宣布式   韓国・馬山市   記念事業推進委も発足

  【ソウル24日原田正隆】韓国南部の馬山市と同市議会は二十四日、島根県の「竹島の日」条例に対抗して公布した「対馬の日」条例の記念事業推進委員会を発足させた。六月十七日には馬山市庁で各種団体の約五百人が出席し、「対馬の日」宣布式典と対馬学術シンポジウムを開く。

  馬山市議会が三月に成立させ、同市が四月に公布した条例は、朝鮮が和寇(わこう)討伐を目的として対馬に大軍を送った一四一九年六月十九日(日本で言う「応永の外寇」)を根拠に「六月十九日は対馬の日」としている。発足した記念事業推進委は、学識経験者や女性・文化団体の代表ら十三人で構成。委員会内に企画、学術、広報の三分会を設けた。

  馬山市は既に、宣布式前に同委メンバーら約二十人による対馬歴史文化探訪団の派遣、記念切手千枚の発行を決定。市民による探訪団の派遣、学術講演も進める。

  韓国政府は「対馬の日」について「道徳的に好ましくなく、韓国が領有権を主張する国際法的な根拠もない」(潘基文(バンキムン)外交通商相)との立場を既に表明。同省当局者は西日本新聞の取材に対し「条例公布は馬山市(地方自治体)の固有の権限なので、撤回要求はできないし、何らかの措置を取る考えもない」(同省)として放任する考えを示した。(西日本新聞) - 5月25日2時14分更新

1694年に鬱陵島の調査を実施(朝鮮王国)

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/25 19:16 投稿番号: [9570 / 18519]
>朝鮮王国はその2年前である1694年に鬱陵島の調査を実施しており、鬱陵島より辰の方角三百余里(朝鮮里)に一島を確認しています。朝鮮王国が独自の調査に基づいて鬱陵島東方三百余里の一島を「子山島」と認識していたことを裏付けるものでしょう。

Okino:
朝鮮王国が独自の調査に基づいて1694年に鬱陵島より辰の方角三百余里(朝鮮里)に一島を確認している,
それならば,1882年,1900年の2度に渡る大調査の時に方角と距離はすでに,わかっている事だから,たやすく発見出来るでしょうに,何か変ですねこれは

チクドと観音島(于山?)    

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/25 14:16 投稿番号: [9569 / 18519]
大韓地誌と大韓全図 (1899)

大韓地誌は玄菜(1886 - 1925)という歴史家兼書道家によって編纂された地理書で、大韓帝国の学校でも使われたことがある。本の中で、「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」としている。竹島はその行政区の外、131度55分に在る。またこの本には大韓全図という付属図がついている。韓国は、この図に書かれてある于山島こそ現在の獨島であるとしているが、緯度や経度を見れば、この于山島はチュクドであることが分かる。

http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/great-korea.jpg

Okino:この大韓全図 (1899)にある鬱陵島に島二個あるが東北に于山,東南にあるのはチクドと思われるが

>>>「石島」の件

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2005/05/25 13:19 投稿番号: [9568 / 18519]
>吏読説は戦後登場してます。

1906年の神西部長の通知後において、沈興沢も李明来もその後の新聞報道も「勅令41号」には一切触れてないんだよね。

>私自身は、勅令に解釈が必要である時点でNGですね。
国際法上もNGですよ。

>>「石島」の件

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/05/25 12:59 投稿番号: [9567 / 18519]
吏読説があってはじめて、勅令が根拠になるのですが、
吏読説は戦後登場してます。
それから、1905年当時に勅令を根拠に反対した
資料がまだ登場していません。
もっともこれがあれば吏読説がなくても石島=獨島だ
という読みがあった証拠になり吏読説はいらないのですが。

AHOさんの言われるとおり、併合まえの郡の役所
の書類をみてみたいですね。
その書類を日本が持ち去ったとしたら、大変問題ですね。
併合前の資料は絶対返さなきゃいけないし。
併合中も、総督府の正本は日本が保管しても、コピーは
残さなければなりませんね。
補償がどうのこうの以前の問題ですね。

私自身は、勅令に解釈が必要である時点でNGですね。
勅令なんだからさ、勘弁してよって感じです。

>AHO君に質問

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2005/05/25 12:55 投稿番号: [9566 / 18519]
>>愚生はただ、資料に書いてなければ書いてないと云い

>貴君の言う「鬱陵島事績」の原本・写本は何処にあるのか、ご存知かな。

まさか、存在しない資料に書いてあると言っていたのではないだろうね。

>>皇城新聞での于山島とは

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2005/05/25 12:50 投稿番号: [9565 / 18519]
>皇城新聞での「于山島」とは、この観音島の事ですね。

ただし、「于山島」は Jukdo であると考えられますから、観音島を「于山島」とした皇城新聞の記事は誤報として読むべきでしょう。

>>「石島」の件

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2005/05/25 12:24 投稿番号: [9564 / 18519]
結局、韓国側の主張は①、②?を根拠にして、③、④を「推定」してるだけなんですよね。
--------------------------------
<韓国の主張に必要な証明>
①石をトクと地方訛りで呼ぶこと。
②地方訛りにより、地名の漢字表記が石→獨と変化した事例が存在すること。
③漢字表記の変化が石島→獨島に適用されたこと。
④③の証明には、勅令41の石島が竹島であること。
--------------------------
表記が変化してない事例として鬱稜島の「亭石浦(チョンドロポ)」があるわけで。③、④を証明する当時の史料が存在しない以上、妄想のレベルですね。

仮に「石島」が「竹島」だったとしても国際法上の要件を満たしてるとも考えられないし。「石島」なんて言われても他国が知りうる名称ではないわけで、実効支配の要件が究極に緩和されたと評価されているクリッパートンにさえ該当しない。それこそ「秘密裏」に編入したことになるでしょう。

ところで、亭石浦の「チョンドロポ」って慶尚南道訛りなんですかね?

鬱陵島小六島

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/25 10:36 投稿番号: [9563 / 18519]
情報ありがとうございます
Ilseon Rock(一仙岩)と云う立派な名があるのに,なんで地図に記入を省いたのでしょうね,当然ツアー客からこの岩なんて云うのと質問あったろうに,そして于山島ですが,安の供述では鬱陵島の東北に于山島があると述べているから観音島が于山島ならピッタリですね,韓国では今日,松島こそ于山島だと主張しているが,小生としてはその根拠を知りたい思いです

>皇城新聞での于山島とは

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2005/05/25 09:16 投稿番号: [9562 / 18519]
>以上6島ですが3番の島名は何でしょうか?

Ilseon Rock(一仙岩)ですね。

観音島(Gwaneumdo)は、日本人が付けた名前だと考えられます。 皇城新聞での「于山島」とは、この観音島の事ですね。

皇城新聞での于山島とは

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/25 00:52 投稿番号: [9561 / 18519]
seonsaeng さん提供の鬱陵島地図を参考にしました

地図上部から右回りで記しますと,
1,Gong Rock
2,Tan Rock
3,島名無し
4,Samseon Rock
5,Gwaneumd(観音島の意味か?)
6,Jukdo(チクド)
  以上6島ですが3番の島名は何でしょ
  うか?

島項とは対岸の部分がこの様な名で,現在
も呼ばれているそうです,よって観音島
は島項の名で記されてもOKですね, 次ぎに石島は本来ならば 島項の名でもよかったのですが, 対岸に島項の名がある為にこの名を記するのをやめ,島にふさわしい石島とつけたのではないでしょうか,最後に于山島ですが, 鬱陵島の名が固定化されて本来の名である于山島が使えずにいたため観音島のかわりに于山島をもちいたのではないかと推測しています
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