竹島

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隠州視聴合紀の「五十猛」

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/28 06:49 投稿番号: [9600 / 18519]
隠州視聴合紀の「按神書所謂五十猛歟」の記述について思っていることを書きます。

まず、このテクストは史料によって存在したりしなかったりします。例えば、田中邦貴氏のホームページに引用されているテクストには書かれていません。

従って、「最初は存在しなかったが、筆写の過程で誰かの書いた注が紛れ込んだ」「最初は存在したが、筆写の過程で抜け落ちた」の二つの可能性が考えられます。

私が自信を持って言えるのはここまでで、後は素人の印象と空想になるので、まあ、そのつもりで読んでもらいたいのですが、私は最初は存在しなかった可能性が高いと思っています。

というのは、隠州視聴合紀全体を読んだ時に「按神書所謂五十猛歟」という記述は、どう斎藤豊仙らしくないというか、違和感を覚えるのですね。

どういうことかというと、隠州視聴合紀には「按ズルニ…」という書き方で神様に触れた記述がいくつも出てくるのですが、それは全て延喜格式神名帳に基いて、実際に存在を確認した神社がどれに相当するかを考察しているものです。そして、その考察の態度は非常に論理的、かつ実証的です。

例えば周吉郡西郷の奈伎良明神については「神明帳には奈伎良神社が海部郡にあると書いてある。だとすれば、郡名が間違って記されているか、後にここへ移ったか、あるいはそもそも別の神のことであるか」というように論理的に考えられる可能性を挙げた上で、断定を避ける書き方をしています。

また、知夫郡知夫湊の記述では、「渡明神」という神社について「和太酒」の社だという説を唱える人がいることを紹介した上で「根拠がなく、単に言葉が似ているだけだ」と結論しています。

そのような斎藤豊仙の記述態度と、何の根拠も示さずに磯竹島を五十猛に引き当てる記述が私には結びつかないのです。

ついでに、五十猛神についても触れておきます。

この神様は日本書紀で、スサノオノミコトが高天原を追われてヤマタノオロチを退治するエピソードに対する異説として紹介されている中に登場します。

それによると五十猛神はスサノオノミコトの子供で、一緒に高天原を追われ、まず新羅国のソシモリのところに身を寄せた後、日本に渡りました。五十猛神は多くの樹の種子を持ってきたのですが、それを韓国には一切蒔かず、日本に来てから蒔きました。そのために有功(いさおし)の神と呼ばれます。最終的には紀伊の国に落ち着いたようです。

従って、五十猛神は朝鮮との因縁が深く、磯竹島を五十猛神になぞらえたとしてもそれが朝鮮領と考えていない証拠になるかどうかは断言できないと思います。
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