竹島

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朝鮮王国の認識

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/23 21:46 投稿番号: [9528 / 18519]
朝鮮王国が安龍福の供述を無批判に受け入れたわけではないのです。
安龍福は1696年に再来日し、隠岐で供述し、帰国後に備辺司でも供述しましたが、朝鮮王国はその2年前である1694年に鬱陵島の調査を実施しており、鬱陵島より辰の方角三百余里(朝鮮里)に一島を確認しています。

松島と云う和名については、朝鮮王国がこの一島を明瞭に松島と認識するのは、安龍福が備辺司で「松島即子山島此亦我國地」なる供述した後のことです。
その後の公文書が安の供述とほぼ同様の記述を採用したことからも、朝鮮王国が独自の調査に基づいて鬱陵島東方三百余里の一島を「子山島」と認識していたことを裏付けるものでしょう。
また最近隠岐島で発掘された『覚書』から、安が地図で示し説明したと云われる「子山島」の説明が、距離に若干の相異があるものの、粛宗二十年(1694年)の調査結果と概ね符合すると判断しました。

事実関係を要約すると、次のようになります。
1.朝鮮王国は安龍福が再渡日する以前から独自の調査で「子山島」の存在を確認していた。
2.安龍福は再渡日するにあたって、当時の地図を隠岐島に持参している。
3.安龍福は松島は子山島であり朝鮮の地と認識し、隠岐島でその様に主張していた。
4.朝鮮王国に於ける和名の知見は安龍福から得られた。

安龍福は、再渡日する前にも隠岐島に連行されたことがあり、そのときには隠岐島到着の前日に島を目撃している。
その目撃した島を、「子山島」であると確認した後に、再渡日したのであろう。
無論、朝鮮王国は正確に「子山島」の方角を鬱陵島から辰の方角(十二方位で概ね東南東)と認識しており、現在の獨島と一致する。
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