なるほど
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/25 23:40 投稿番号: [9573 / 18519]
要するに、資料の検討は全くしていないと云うことですか。
島根県が提出した資料に基づいて作成された結果であることは、簡便に印字して定規で測っても分かることです。
竹島諸島の位置関係距離関係が一致します。
>明治政府は「外一島」との表現にもうかがえるように二島を記したに過ぎないのでしょう。しかし、二島であれ三島であれ、いずれにしても、この時期の政府の地理的認識はアルゴノート=竹島、ダジュレー=松島であった。
かつて川上健三氏が唱えた島名の混乱説は、現在の竹島が江戸時代の松島と云う島名から何故変遷したのかについて説明を試みた仮説と記憶していますが、明治政府がアルゴノート=竹島、ダジュレー=松島の認識であったと唱えられてはいなかったと思いましたが?
それとも明治政府が「アルゴノート=竹島、ダジュレー=松島」と認識していたことを客観的に裏付ける資料でもあるのでしょうか。
全く新しい説を唱えられるのでしたら、その根拠をお示し頂きたいですね。
>それは、地図に記された島の位置を見れば分かることです。そして、それがただされて鬱陵島=松島、竹嶼=竹島と把握されることになったのは明治13年、その調査はご提示の地図にはあいにく反映されなかったわけです。
地図に記された位置関係距離関係が二つの図では全く違いますけど?
これは メッセージ 9558 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9573.html