竹島

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隠州視聴合紀の此州

投稿者: allarefriends2000 投稿日時: 2005/05/25 22:27 投稿番号: [9572 / 18519]
te2222000さん

隠州視聴合紀を読んでみました。非常にinformativeで、当時の地誌の水準を越える出色のものと思いました。ご教示に感謝してレスさせて頂きます。

>私が重要だと考えることの一つは、視聴合紀における「州」という字の使われ方です。

隠州視聴合紀には「此州」という表現が、問題の箇所以外に、和文1箇所、漢文2箇所にあります。和文の例を挙げると、「巻二、周吉郡、蛸木浦   其沖に松島あり。上に松生ひて樹間に荒園あり。長さ二町ばかり。昔、好事者此州に雉の無き事を愁へて、誠に雲州より雌雄を渡して此に放つ。一年を經て終に亡ぶと云ふ。」この文の「此州」は明らかに隠州でしょう。漢文2箇所の用法も文脈からシマの意とは取れません。他に「雲州刺史尼子伊豫守・・鄰州之盟主」「一州人」とありますが、何れもシマとは読めません。「州」と「島」は明確に区別して使われているようです。

しかしこれでは面白くないのでトンデモ解釈を一つ。隠州視聴合紀の著者:出雲藩士齋藤豊仙(注)は、「長さ二町ばかり」の小島に関する短文中に、隠岐にはキジが生息していないこと、及び1667年以前に隠岐にキジの導入を図った物好きがいたことなど、博物学的に興味ある貴重な情報を盛り込んでいます。按、齋藤豊仙は、AHO氏の言を借りれば(#964)、出雲藩士には勿体ないくらい切れる男だったようです。しかも探究心旺盛な彼は、新版図の竹島松島の情報を出来る限り集めようとしました。しかし此島の情報は、近くの隠州では余りに乏しく、遠くの因州人に独占されていると感じたのでしょう。そこで隠州のため此二島を日本領として取り込もうとしました。彼はずばり「此島(竹島)」としたかったでしょう。しかし国境の限定は出雲藩士の権限を越えます。それで無難に「此州」としました。州という字は水の流れの中の三つの点で陸地を表しています。然則、竹島・松島・隠岐を以って日本西北の地の限りとするでは如何。

(注)隠州視聴合紀の著者は幕臣何某ともされるが(石塚尊俊, 1972: 日本庶民生活史料集成, 20, 隠州視聴合紀解題.三一書房)、一応、多数説の齋藤豊仙(勘介)とする。
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