>>なるほど
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/26 11:46 投稿番号: [9577 / 18519]
>私は今までずっと書いてきたように、こうした島根県の資料にあわせて当時発行されていた諸々の地図を含めて総合的に政府は地理的把握を行っていたものと考えていますよ。大日本府県分割図も同様です。
何を根拠にその様なことを仰るのでしょう。
内務省地理局は種々の地図を蝟集していましたが、それを基準に地理的把握などしていませんよ。
>大日本国沿海略図もそうですし、大日本府県分割図もそうですね。そうした状況判断です。明治13年の調査で鬱陵島が「松島」に確定したこともその傍証になるでしょう。
状況判断したことを裏付ける資料は、お示し頂いてないのですが。
>私にはほぼ一致しているように見えますが、どこが全く違うのでしょうか。もしかして北緯・東経の線を見間違っていらっしゃるのでしょうか。あるいは私が何かかん違いしていますか?
隠岐島からの位置関係距離関係が全く違います。
>大日本府県分割図の方は、はっきりとは見えませんが、東京を中心に東に二度ずつ、西に二度ずつを基準として東経が記されているようです。また北緯は一度ずつのものではなく、二度ずつのものです。
そのことの意味するところをご存じないのですか。
内務省地理局の地図は現在の国土地理院と同じで、他の地図を基準にして地図を描いたりしませんよ。自ら描いた地図が他の地図の基準になるのです。
「大日本府県分割図」の経度緯度が東京基準になっているのは、東京を基準として測量データを積み上げて地図を描いたことを示しています。
竹島・松島については、実測量は行われず、島根県から提出した資料に基づいて行われた結果と考えるのが合理的ですが、より合理的な説明が可能ならば、その根拠を挙げて説明して下さい。
これは メッセージ 9576 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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