竹島

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

サンフランシスコ平和条約と戦時加算

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2005/12/14 09:28 投稿番号: [12360 / 18519]
ちょっとトピずれですが、音楽著作権のことについて調べていてサンフランシスコ条約にぶち当たりました。
このトピによく出てくる日本敗戦処理の条約、サンフランシスコ条約に関係した話です。

通常著作権(音楽に限らず)は作品を作った(発表した)時点から発生し、作者の死後50年(正確には作者死亡の年の翌年1月1日から50年)保護されることになっています。
ところが、日本は戦時中、連合国の作品の著作権保護を行っていなかったペナルティとして開戦中の約10年間(相手国によって多少違う)が加算されることになっている(これを戦時加算という)のです。

でもこれはよく考えてみると、文化交流のなかった時期、相手国の著作権を保護していなかったのはお互い様であろうし、ましてや戦時中、日本が連合国の作品をそんなに享受していたとは思われません。
日本だけがペナルティとして戦時加算されるのはどう考えても理不尽で不平等です。
この戦時加算というのはサンフランシスコ平和条約(第15条)の中で定められました。
日本は戦争に負け、降伏し、理不尽、不平等で一方的であろうとも、サンフランシスコ条約を受け入れて許してもらった。
これが戦争に負けたということなのでしょうね。

ちなみにドイツ、イタリア、スイス、スウェーデンなどの著作物には戦時加算は適用されないし、ロシア(旧ソ連)と中国は日本と平和条約を結んでいないので戦時加算は適用されないらしい。
アメリカに亡命後のラフマニノフの作品やプロコフィエフの一部の作品は戦時加算される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%82%B3%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E6%99%82%E5%8A%A0%E7%AE%97

Re: 高句麗の竹島(鬱陵島)

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/12/14 07:36 投稿番号: [12359 / 18519]
ごめんなさい、また最後が切れました。
この掲示板のシステムは、投稿した時に切れてしまう長い文章でも、投稿前の確認画面では全て表示されるのですね。

●4.竹島と高句麗の関係について

>   「伯耆の国の大賈・村川氏、官より朱印を賜り、大船を
>磯竹島に致す。颶風に遇い高句麗に落つ。日が暮れるも
>津を知らず。舟の翁が焼火山を念ずるに、たちまち漁火あり。
>その津に入るを得る」

>    この文章によると、村川の舟がつむじ風に翻弄され、
>漂着した所は隠岐の知夫郡だったのですが、その時に
>村川の舟がさまよった所は「高句麗」だったとされました。
>つまり、隠岐島の住人の間では竹島(鬱陵島)のあたりは
>高句麗という漠然とした認識であり、斉藤豊仙もそれに
>さして違和感がなかったと思われます。

この見解には全く同意できません。

上の引用文は「暴風のために目的地の磯竹島ではなく、高句麗に流されてしまった」ことを述べており、磯竹島と高句麗が別の場所であるという認識を示しています。

Re: 高句麗の竹島(鬱陵島)

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/12/14 07:33 投稿番号: [12358 / 18519]
半月城さん
ご返答ありがとうございます。

●1.朱印船が行くような場所について

>    単に「異国」とだけ書いたのでは、斉藤豊仙が
>えがいたイメージにそぐわないと思います。かれの
>脳裏には朱印船のイメージがあったのではないかと
>思い、竹島、松島を「朱印船がいくような異国」と
>表現しました。

ご説明を伺って、半月城さんは「斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)を朱印船が行くような異国と考えていた」という表現で以下の二つを主張しているものと理解しました。

a. 斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)を朱印船が行くような場所と考えていた
b. 斉藤豊仙は「朱印船が行くような場所」は異国であると考えていた

私の主張(隠州視聴合紀では竹島と松島は日本でも朝鮮でもないとみなされている)との関係上、bについてさらに明確にしておきたいのですが、半月城さんは以下のようにお考えだということでよろしいでしょうか。

b'. 斉藤豊仙は「朱印船が行くような場所」は単なる国外ではなく、異国であると考えていた。つまり、仮に竹島が日本の領土でも朝鮮の領土でもないとしたら、それは斉藤豊仙にとって「朱印船が行くような場所」ではない。

もし、b'のようにお考えだとした場合、斉藤豊仙が単なる国外を「朱印船が行くような場所」ではないと考えた理由についてもう少し詳しくご説明いただけませんか。というのは、斉藤豊仙の知っている朱印船というのは、全て「国外に行く船」であった筈で、単純に「朱印船とは国外に行く船である」と考えたとしても別に不思議はないように私には思えるからです。


●2.渡海許可書と竹島帰属の判断について

>    斉藤豊仙は、出雲松江藩の郡代として隠岐に
>赴任したので、他藩である鳥取藩の舟が竹島(鬱陵島)へ
>行くという、海禁政策にふれかねない重大事には統治者と
>して注意をはらい、一応のチェックをしたことでしょう。
>    そのプロセスで郡代は老中の連署のある渡海許可書を
>実際に目にしたのだろうと思います。村川船が許可書を
>携帯していたことは、村川船が朝鮮へ漂流したときに
>対馬藩がおこなった検査によって明らかになっています。
>    そのうえで斉藤豊仙は、そのような許可書が必要な
>竹島(鬱陵島)は異国であると考え、日本の領土ではないと
>結論づけたのではないかと思われます。

以下の二点には同意します。

ア.斉藤豊仙が竹島渡海許可書(の写し)を目にしたであろうこと
イ.斉藤豊仙が竹島を日本の領土ではないと考えたこと

しかし、アとイの因果関係については判断を保留します。その判断のためには渡海許可書の文面を検討することが必要ですが、私はそれを知らないからです。

●3.「朱印」という文言の発生源について

さて、ここまでに書いたことは、とにかくも「朱印を賜り」の記述が竹島の帰属を考える根拠になるという話でしたが、私はそもそも、そのことを疑っています。

>朱印船のイメージが相対的に強ければ、朱印状の他の用途など
>眼中になかったことでしょう。それに他の用途などは「一介の
>地方藩士にすぎない」斉藤豊仙には思い浮かばなかったのでは
>ないかと思います。

#12355で触れたように、焼火山縁起の竹島渡航のエピソードには斎藤豊仙が取材したオリジナル情報があった筈です。したがって「朱印を賜り」の文言の発生源には二つの可能性があります。

(I) オリジナル情報には存在しておらず、斉藤豊仙が作文した
(II)オリジナル情報に存在していたのを、斉藤豊仙がそのまま記録した

(I)の場合は、上の半月城さんの議論がある程度妥当性を持つと思います。しかし、(II)の場合は、#12355で書いた通り、斉藤豊仙の持つ「朱印」という言葉のイメージとは関係無く記録された可能性があります。

半月城さんは(II)の可能性についてどうお考えですか。

●4.竹島と高句麗の関係について

>   「伯耆の国の大賈・村川氏、官より朱印を賜り、大船を
>磯竹島に致す。颶風に遇い高句麗に落つ。日が暮れるも
>津を知らず。舟の翁が焼火山を念ずるに、たちまち漁火あり。
>その津に入るを得る」

>    この文章によると、村川の舟がつむじ風に翻弄され、
>漂着した所は隠岐の知夫郡だったのですが、その時に
>村川の舟がさまよった所は「高句麗」だったとされました。
>つまり、隠岐島の住人の間では竹島(鬱陵島)のあたりは
>高句麗という漠然とした認識であり、斉藤豊仙もそれに
>さして違和感がなかったと思われます。

この見解には全く同意でき

高句麗の竹島(鬱陵島)

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/12/11 21:29 投稿番号: [12357 / 18519]
   半月城です。te2222000さんの質問に答えたいと思います。

   Re:12354,
>「朱印船が行くような異国」とは、どういう意味でしょうか。
単に「異国」と書いた場合と何か意味の違いがあるのでしょうか。

   単に「異国」とだけ書いたのでは、斉藤豊仙がえがいたイメージにそぐわないと思います。かれの脳裏には朱印船のイメージがあったのではないかと思い、竹島、松島を「朱印船がいくような異国」と表現しました。

   斉藤豊仙は、出雲松江藩の郡代として隠岐に赴任したので、他藩である鳥取藩の舟が竹島(鬱陵島)へ行くという、海禁政策にふれかねない重大事には統治者として注意をはらい、一応のチェックをしたことでしょう。
   そのプロセスで郡代は老中の連署のある渡海許可書を実際に目にしたのだろうと思います。村川船が許可書を携帯していたことは、村川船が朝鮮へ漂流したときに対馬藩がおこなった検査によって明らかになっています。
   そのうえで斉藤豊仙は、そのような許可書が必要な竹島(鬱陵島)は異国であると考え、日本の領土ではないと結論づけたのではないかと思われます。

   また、渡海許可書には朱印がないにもかかわらず、朱印状のごとく考えたのは、一般によく知られた朱印船のイメージが脳裏にあったので、許可書から朱印状を連想したのではないかと思います。朱印船のイメージが相対的に強ければ、朱印状の他の用途など眼中になかったことでしょう。それに他の用途などは「一介の地方藩士にすぎない」斉藤豊仙には思い浮かばなかったのではないかと思います。
   こうしたことから、私は斉藤豊仙が竹島(鬱陵島)を「朱印船が行くような異国」と考えていたのではないかと書きました。これは、朝鮮へ行くのに朱印状は必要であったかどうかという議論とは無関係です。斉藤豊仙がそんな分析までしていたとは思われないからです。

   一方、斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)をどのような異国と理解していたのかですが、これには『隠州視聴合記』の「焼火山縁起」の記述が参考になります。それを読みくだすと、こうなります。

  「伯耆の国の大賈・村川氏、官より朱印を賜り、大船を磯竹島に致す。颶風に遇い高句麗に落つ。日が暮れるも津を知らず。舟の翁が焼火山を念ずるに、たちまち漁火あり。その津に入るを得る」

   この文章によると、村川の舟がつむじ風に翻弄され、漂着した所は隠岐の知夫郡だったのですが、その時に村川の舟がさまよった所は「高句麗」だったとされました。つまり、隠岐島の住人の間では竹島(鬱陵島)のあたりは高句麗という漠然とした認識であり、斉藤豊仙もそれにさして違和感がなかったと思われます。
   当時、高句麗という国名はなかったので、江戸時代の日本人が中国やインドを唐、天竺と称するのと同じような感覚で、隠岐島の住人は竹島(鬱陵島)のあたりをぼんやりと高句麗くらいに考えていたのではないかと思います。隠岐島の住人にとって、竹島、松島とはそのような感覚の異国だったのではないでしょうか。

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

Re: 朱印状のまとめ

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/12/10 00:24 投稿番号: [12356 / 18519]
すみません、字数が多過ぎて最後が切れたので、以下のように追加訂正します。

========================
それとも半月城さんは、「斉藤豊仙は、元和四年頃に国内や無主地への渡海事業に朱印状が発行されたことはあり得ないと判断できる程、朱印状の制度と歴史について詳しい知識を持っていた。したがって、斉藤豊仙が『朱印を賜り』と記録している以上、竹島を異国とみなしていることになる」と結論できる根拠をご存知なのでしょうか。

ご意見をお聞かせください。

Re: 朱印状のまとめ

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/12/09 23:01 投稿番号: [12355 / 18519]
半月城さん

#12354 へのご返答をまだいただいていませんが、とりあえず、「朱印船が行くような異国」という表現は単に「異国」と書いても同じであり、要するに「日本以外のどこかの国の領土」の意味だと解釈します。認識に誤りがあればご指摘ください。

この仮定のもとに #12353 にお返事いたします。ここ数日、私なりに考察したことがあるため、少しこれまでと違うことを言っている個所があるかもしれませんが、ご了解ください。

> 1.
> 江戸時代、『隠州視聴合記』が書かれた斉藤豊仙のころ、
> 朱印状は原則的に日本国内問題にあっては「10万石未満の
> 所領安概・社寺領寄進」などのやや重大な案件に対して発行され、
> 些細な案件に対しては黒印状が発行された。
>
> 2.
> 朱印状は、異国がらみでは異国への朱印船や朝鮮への国書、
> 異国である蝦夷地との交易許可などで発行された。

1,2については、ひとまず承認して話を進めることにします。

ただし、これらは、今日の歴史研究の結果として我々が知っていることであり、斉藤豊仙が同じ知識を持っていたかどうかについては、別途考察が必要であることを指摘しておきます。


> 3.
> 竹島(鬱陵島)渡海許可書には老中の連署があるのみで、
> 実際には朱印状は発行されなかった。

これまで特に掲示板で異論も出なかったようなので、問題無いと思います。


> 4.
> しかし『隠州視聴合記』の著者である斉藤豊仙は、渡海許可書を
> 朱印状のごとく考えていた。

以下の表現であれば同意できます。

−−−−−−−−−−−−−−−−−
4’.『隠州視聴合記』の著者である斉藤豊仙は、村川氏が元和四年の竹島渡海に際して受け取った許可書を朱印状のごとく考えていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−

しかし、その許可書を渡海許可書と考えていたかどうか、また、元和四年以外の竹島渡海に関してどう考えていたかについては、判断を保留します。

なお私は、ここでの「朱印状」は、将軍の名前で発行される朱印の押された文書のことであり、必ずしも貿易の許可証とは限らないと理解しております。


> 5.
> 斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)を日本領とは
> 考えていなかった。同時に朝鮮領であるかどうかについては何も
> 語っていない。

ほぼ同意しますが、以下のように「直接的には」という言葉を入れていただく方が正確だと思います。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)を日本領とは考えていなかった。同時に朝鮮領であるかどうかについては直接的には何も語っていない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

以前書きましたように、国代記の記述からは、竹島を朝鮮領とみなしていないことが間接的に読み取れると私は考えています。


> 6.
> 上記の状況から判断すると、斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)を
> 朱印船が行くような異国と考えていたと思われる。

「上記の状況から判断すると」の部分をもっと詳しくご説明いただけませんか。

私が気になっているのは、具体的には次のようなことです。

焼火山縁起の竹島渡航に関するエピソードが斉藤豊仙の創作である筈はなく、神社に伝わる古文書なり、宮司や古老の話なり、何らかのオリジナル情報があったに違いありません。そして「朱印を賜り」という文言もオリジナル情報の中に既に存在した可能性があります。ひょっとすると、村川氏の関係者が祖先の業績に箔を付けるため、奉書ではなく朱印を賜ったという話をこしらえて吹聴していたかもしれません。

また、斉藤豊仙は一介の地方藩士にすぎないので、半世紀も前の時代である元和四年頃に、朱印状がどのような目的で発行されたかについて、あらゆるケースを正確に把握していたことなどあり得ません。

ですから、たとえ斉藤豊仙が竹島を国内地または無主地と考えていたとしても、オリジナル情報に「朱印を賜り」の文言があったならば、「この『朱印』は、竹島の開発許可か、あるいは大船の建造許可か、詳しいことは分からないが、とにかく渡海事業に関連して幕府からもらった何らかの許可のことだろう」という程度に考え、そのまま隠州視聴合紀に記録することは、十分あり得ることです。


それとも半月城さんは、「斉藤豊仙は、元和四年頃に国内や無主地への渡海事業に朱印状が発行されたことはあり得ないと判断できる程、朱印状の制度と歴史について詳しい知識を持っていた。したがって、斉藤豊仙が『朱印を賜り』と記録してい

Re: 朱印状のまとめ

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/12/04 18:50 投稿番号: [12354 / 18519]
半月城さん

一点お伺いします。

> 6.上記の状況から判断すると、斉藤豊仙は
> 竹島(鬱陵島)を朱印船が行くような異国と
> 考えていたと思われる。

「朱印船が行くような異国」とは、どういう意味でしょうか。
単に「異国」と書いた場合と何か意味の違いがあるのでしょうか。

ひょっとして、朝鮮との交易には朱印状が発行されなかったことを踏まえて「日本でも朝鮮でもないどこかの国」という意味で、こう表現したのでしょうか。

よろしくお願いします。

朱印状のまとめ

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/12/04 13:31 投稿番号: [12353 / 18519]
   半月城です。

   te2222000さん、これまでの議論や『隠州視聴合記』特に焼火山縁起にある記述「官より朱印を賜いて磯竹島へ大船を致す」などをまとめると、下記のように確認できるでしょうか。

1.江戸時代、『隠州視聴合記』が書かれた斉藤豊仙のころ、朱印状は原則的に日本国内問題にあっては「10万石未満の所領安概・社寺領寄進」などのやや重大な案件に対して発行され、些細な案件に対しては黒印状が発行された。

2.朱印状は、異国がらみでは異国への朱印船や朝鮮への国書、異国である蝦夷地との交易許可などで発行された。

3.竹島(鬱陵島)渡海許可書には老中の連署があるのみで、実際には朱印状は発行されなかった。

4.しかし『隠州視聴合記』の著者である斉藤豊仙は、渡海許可書を朱印状のごとく考えていた。

5.斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)、松島(竹島=独島)を日本領とは考えていなかった。同時に朝鮮領であるかどうかについては何も語っていない。

6.上記の状況から判断すると、斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)を朱印船が行くような異国と考えていたと思われる。

Re: 内務省地理局『朝鮮全図』

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/12/02 22:27 投稿番号: [12352 / 18519]
  情報提供に感謝します。

>川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(古今書院, 1966)に「内務省地理局『朝鮮全図』明治15年」として、小さいですが図があります。同書では二分の一以上に縮小されているので地名はほとんど読めませんが、ほぼ現在の鬱陵島の位置に逆三角形の島が描かれ、松島と書かれているようです。

>これはmikenekonomanmaさんがNo.12349で示された蘆田文庫のものと同じと思われ、「此圖ハ朝鮮國出板圖及本邦海陸軍省出版地圖並ニ英國出板海圖等凡數十種ヲ参考シテ編撰セシモノナリ...」は左下に記されています。

  ええ、その当時では日本でも離島の測量成果を集積したものは存在しないと思われますので、断定は出来ませんが、測量図以外の各種の地図を写して交合した成果品でしょうね。
  「現在の鬱陵島の位置」付近に「松島と書かれている」ことについては、測量図の鬱陵島の位置と比較して、交合図に松島と記されたからと云っても、それが直ちに交合図で鬱陵島を松島と呼称したことを意味する物ではありませんし、海図で用いられる「疑位」(Position doubtful)に相当するかもしれませんが、現在の所不明です。

Re: 内務省地理局『朝鮮全図』

投稿者: allarefriends2000 投稿日時: 2005/12/01 08:38 投稿番号: [12351 / 18519]
Am_I_AHO_1st さん

>明治15年に日本政府は自ら『朝鮮全図』を作成したようですが、このときの『朝鮮全図』は逸失したのか確認できません。

川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(古今書院, 1966)に「内務省地理局『朝鮮全図』明治15年」として、小さいですが図があります。同書では二分の一以上に縮小されているので地名はほとんど読めませんが、ほぼ現在の鬱陵島の位置に逆三角形の島が描かれ、松島と書かれているようです。

これはmikenekonomanmaさんがNo.12349で示された蘆田文庫のものと同じと思われ、「此圖ハ朝鮮國出板圖及本邦海陸軍省出版地圖並ニ英國出板海圖等凡數十種ヲ参考シテ編撰セシモノナリ...」は左下に記されています。

Re: またしても へえ

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/11/30 21:54 投稿番号: [12350 / 18519]
笑わせてくれる!爆裂妄想解釈して、戦後の竹島の領有を主張する馬鹿はどこのどいつだ?前に聞いたこと、早く答えてくれんか?一体、どの国が韓国の主張を認めたんだ?はよ答えろっつーの。

Re: 資料求む

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2005/11/30 15:40 投稿番号: [12349 / 18519]
蘆田伊人氏(1877-1960)のコレクション(明治大学図書館)の中にありそう。

http://www.lib.meiji.ac.jp/ashida/index.html

http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_db?loc=6&from=loc
上記の6-7
朝鮮全圖;朝鮮全圖(地理局版)(書題簽) / 内務省地理局測量課
明治15年8月 -- -- 石版(彩色) -- 1舗 -- 117.0×65.4cm(33.0×20.0cm)
注記・解題
「此圖ハ朝鮮國出板圖及本邦海陸軍省出版地圖並ニ英國出板海圖等凡數十種ヲ参考シテ
編撰セシモノナリ...」。

残念ながら画像データはありませんでした。
行けば、見せてくれるようなものかな。師匠、どんなものでしょうか?

「蘆田文庫目録   古地図編」   明治大学人文科学研究所創設40周年記念
この書籍で確認できないだろうか?
この本は結構所蔵している図書施設がありそう。

Re: ああ、それから

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2005/11/30 12:14 投稿番号: [12348 / 18519]
オリジナルに忠実な改正?

正しく改められたと考えるのが自然なのでは?

Re: 資料求む 銅板朝鮮国全図

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2005/11/30 10:53 投稿番号: [12347 / 18519]
>   獨島博物館のサイトで閲覧できます。
http://www.dokdomuseum.go.kr/images/full01_072.jpg
ご提示ありがとうございます。ここでは天城の成果が反映していませんね。
独島博物館でも鬱陵島や独島が松島だったり、竹島だったりですね。

>   「学部」という機関は存在しません。「学務衙門」じゃないんですか。
大韓帝国学部編集局というのはグーグルで検索してもトップに朝鮮日報の日本語版が出てきます。
なんらかの翻訳の際の混乱でしょうか?
あるいは日本側の間違いをそのまま引用しているのでしょうか?

>   「大韓興地図」も誤りで「大韓輿地図」ですか?
最初何が間違いかわからなかった。
「輿」には大地(地球)という意味があるのですね。勉強になりました。

>>ダージュレー、アルゴノート、リアンクールの調査が終わって、日本海の地理が一段落したころの官製地図と言うことですね。
>   そうなんですか。
1880年に日本の軍艦天城が調査したとありますから、その後に政府が作製する地図には反映されるのでは?
と考えただけです。

>   それとは別なのかは未確認ですが「量地衙門」も1899年に「大韓全図」を出しているという話もあります。
>   まあ、島嶼部の測量まではしていないでしょうけどね。
では「全図」としての機能は持っていないですね。

ああ、それから

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/11/29 23:46 投稿番号: [12346 / 18519]
>長久保赤水の日本興地路程全図(1775年)に依拠している系列

  確認した範囲で、『新刻 日本輿地路程全圖』天保四年(1833)までは赤水のオリジナルに忠実ですが、『改正 日本輿地路程全圖』弘化三年(1846)は、松島竹島の表記方法が変わってしまって彩色も行われるなど、オリジナルから変質していますね。
  天保四年版までは、高麗が見えるという記述は、竹島から松島にかけてまたがるように書かれていますが、安永八年(1779)寛政三年(1791)文化八年(1811)も同様です。
  しかし、弘化三年版は何故かその記述が竹島だけに掛かるように記述されています。オリジナルから写す際に間違えたのでしょう。

Re: 資料求む 銅板朝鮮国全図

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/11/29 23:24 投稿番号: [12345 / 18519]
>この地図を私は見ていないのですが、長久保赤水の日本興地路程全図(1775年)に依拠している系列のようです。

  獨島博物館のサイトで閲覧できます。
http://www.dokdomuseum.go.kr/images/full01_072.jpg

>ダージュレー、アルゴノート、リアンクールの調査が終わって、日本海の地理が一段落したころの官製地図と言うことですね。

  そうなんですか。

>翻って韓国ではその15年以上後の1898年から99年にかけて大韓帝国学部編集局という韓国の公的機関が『大韓興地図』『大韓全図』という地図を刊行していますね。

  「学部」という機関は存在しません。「学務衙門」じゃないんですか。
  「大韓興地図」も誤りで「大韓輿地図」ですか?
  「学務衙門」が編集したのは「大韓全図」じゃないんですか。

  それとは別なのかは未確認ですが「量地衙門」も1899年に「大韓全図」を出しているという話もあります。
http://www.ngi.go.kr/japanese/sub01/sub01_02.htm
  まあ、島嶼部の測量まではしていないでしょうけどね。

Re: 資料求む

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2005/11/29 17:57 投稿番号: [12344 / 18519]
同年(明治15年:1883年)に木村文造なる人物が「銅板朝鮮国全図」なるものを発行しているようです。
これとは異なるものかどうかはご存じですか。
木村文造が民間の人間か、政府の人間か、政府作製の地図をみて、地図を作製したのかも不明です。
この地図を私は見ていないのですが、長久保赤水の日本興地路程全図(1775年)に依拠している系列
のようです。

http://toron.pepper.jp/jp/take/jpn/nagakubo.html

ダージュレー、アルゴノート、リアンクールの調査が終わって、日本海の地理が一段落したころの
官製地図と言うことですね。

翻って韓国ではその15年以上後の1898年から99年にかけて大韓帝国学部編集局という韓国の
公的機関が『大韓興地図』『大韓全図』という地図を刊行していますね。

Re: 『隠州視聴合記』と朱印状

投稿者: yukitanhanatan 投稿日時: 2005/11/29 01:29 投稿番号: [12343 / 18519]
そもそも、日本が竹島云々を言うまで
朝鮮人のだれも竹島を知らなかったのではないですか?

少なくとも、国としてかの島の領有を意識してたことを証明しないかぎり
議論することもできなでしょうに。。。

無意味な努力は、あなたにとっても不幸なことですね。進歩も何も
ないし、富士の樹海に自ら飛び込んでいくようなものですよ。

資料求む

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/11/28 23:01 投稿番号: [12342 / 18519]
  「公文録・明治十五年・第四十八巻・明治十五年八月・内務省四」国立公文書館レファレンスコード:A01100230200、地理局長 桜井勉より明治15年8月31日付にて発信文を確認しました。
  「外二二六号 一 朝鮮国全図 一葉 右ヲ当局於テ編製候ニ付差向一葉及御送致候条御査収有之度候也 図一枚別ニ収ム 右ヲ当局ニ於テ編製候ニ付及御送致候条御査収有之度候也 全図ハ別ニ収ム」

  明治15年に日本政府は自ら『朝鮮全図』を作成したようですが、このときの『朝鮮全図』は逸失したのか確認できません。
  所在をご存じの方は一報願います。

Re: またしても へえ

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/11/28 10:20 投稿番号: [12341 / 18519]
>本人に聞いてみなければ分からないじゃありませんか。

1,参照した地図に書いてなかった。
2.書いてあったが領有意識がなかった(于山島だと思わなかった)
3.領有意識はあったが、小さいので書かなかった。

のどれなのかは本人に聞かなければわかりません。
でもどれかであることはわかります。
そして、獨島を含んだ西欧の地図を参照した証拠にならないこともわかります。
獨島を含んだ地図を参照したことが確実であるなら、やばいっす。

わざわざ鬱陵島の近くに于山と書き込んじゃったので、たぶん2だろうと私は思います。1882年だったかな、探査の結論とも合致しますから。

Re: 【修正】隠州が北西限、二島は無人島(4

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/11/28 06:30 投稿番号: [12340 / 18519]
修正の修正になってしまいましたが…

「外国渡航以外」→「外国渡航」

再修正後は以下のようになります。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(反論)
ここの「朱印」が、外国渡航のために発行された朱印状であると断定するためには、もっと議論が必要です。

また、その点については認めたとしても、朝鮮との交易に朱印状は発行されなかったので、この記述を根拠に「竹島が朝鮮とみなされていた」と主張することはできません。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−

Re: 『隠州視聴合記』と朱印状

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/11/28 06:27 投稿番号: [12339 / 18519]
半月城さん

>(4)は国内の話であり、国内ではない竹島への
> 渡海がどう結びつくのか、te2222000さんの徹底的な
> 朱印研究を待ちます。

今後も気に掛けてはみますが、恐らく私の手に余る問題で、この掲示板に報告できるような結果は得られないだろうことは申し上げておきます。

一つ前の発言(#12338)に書きましたように、半月城さんが「朱印を賜り」の記述から「隠州視聴合紀において竹島が朝鮮とみなされている」とは主張していないのであれば、私の主張と特に衝突する訳ではないので反論の必要はないと感じています。

私が半月城さんの意図を誤解しているようならばご指摘ください。

【修正】隠州が北西限、二島は無人島(4/5)

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/11/28 06:25 投稿番号: [12338 / 18519]
#10268で私は次のように書きました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【4.2   此州は隠州で、竹島と松島が朝鮮領とする解釈の根拠について】

(1) 焼火山縁起の記述

焼火山縁起に「官より朱印を賜いて磯竹島へ大船を致す」の記述があり、磯竹島を朱印船の赴くような外国と認識していたと考えられる。

(反論)
朱印状には、外国への渡航許可だけでなく国内への渡航許可や開発許可などのために出されたものもあります
−−−−−−−−−−−−−−−−−−


これは当然、「官より朱印を賜いて」の記述を根拠に、隠州視聴合紀において竹島が朝鮮領とみなされていると主張する人がいることを前提にした議論で、具体的には半月城さんがそのように主張していると考えてのものだったのですが、改めて確認してみると私の勘違いだったようです。

例えば 半月城さんは #5595では、

> 斉藤が渡航先の松島、竹島を日本領ではなく、外国と考えていたことを暗示します。

と書き、また #9290では、

> そうなると、竹島(鬱陵島)は異国の地であり、

と書くなど、「外国」「異国」の表現を用い、「朝鮮」とは書いていません。

これは推測になりますが、江戸時代に朝鮮との貿易は対馬藩に一任され朱印状は発行されなかったので、「朱印を賜った」ことは朝鮮領とみなすことの根拠にならないばかりか、朝鮮領とみなさないない根拠にすらなり得るため、半月城さんは「朝鮮」という表記を避けたものと思います。

したがって、上記 4.2(1)は、そもそも誰も主張していないことに反論していたもので、削除してもいい位ですが、一旦書いたものを勝手に取り消すのもどうかと思うので項目としては残し、反論部分を以下のように修正します。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(反論)
ここの「朱印」が、外国渡航以外のために発行された朱印状であると断定するためには、もっと議論が必要です。

また、その点については認めたとしても、朝鮮との交易に朱印状は発行されなかったので、この記述を根拠に「竹島が朝鮮とみなされていた」と主張することはできません。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−

Re: またしても へえ

投稿者: jaway 投稿日時: 2005/11/27 22:35 投稿番号: [12337 / 18519]
>本人に聞いてみなければ分からないじゃありませんか。

作者に問い合わせないと解釈不能ってことは、
それ単体では資料的価値は無いって事ですね。

Re: 『隠州視聴合記』と朱印状

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/11/27 22:09 投稿番号: [12336 / 18519]
   半月城です。

   te2222000さん、No.12322
>   VIVA_VIVA_21さんのリストのうち、以下の場合が焼火山縁起の「朱印を賜り」に相当する可能性があります。
> (4) 国内規制地への渡航許可、通行許可(関所の通過許可、ご禁制地への立入許可etc)
> (7) 通商、開発権の付与(松前藩の蝦夷開発権、茶四郎治郎など商人の貿易権etc)

  (7)ですが、まず蝦夷は「異国」であることを指摘しておきます。次に「茶四郎治郎」とは茶屋四郎次郎のことだと思いますが、「貿易権」とVIVA_VIVA_21さんも認めているように、これも異国がらみのようです。
   こうした事例からすると、竹島渡海で斉藤豊仙が想定した架空の朱印についても、ますます「異国がらみ」の色彩が強くなるのではないでしょうか。

  (4)は国内の話であり、国内ではない竹島への渡海がどう結びつくのか、te2222000さんの徹底的な朱印研究を待ちます。

Re: またしても へえ

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2005/11/25 16:09 投稿番号: [12335 / 18519]
言い繕って逃げ回るつもり?
竹島の韓国領有派の一般論でもいいですよ。干山は独島なの?

Re: またしても へえ

投稿者: mikenekonomanma 投稿日時: 2005/11/25 14:39 投稿番号: [12334 / 18519]
その地図は師匠にとっては韓国の独島領有にとってあまり意味のない地図と言うことですね。

その地図から単なる妄想で爆笑物のトンデモ解釈が拡大再生産されています。
火元は以下の堀氏(おそらく京都大学の堀和生先生のこと。)   orz

---------------- -
   近代の資料として、鬱陵島を朝鮮の東端とし竹島(独島)を欠落させてい
た朝鮮側資料は、ご指摘のものを含めて次の3点くらいでしょうか。
  玄釆『大韓地誌』1899年
  張志淵『大韓新地志』1907年
  崔南善『朝鮮常識問答』1946年

   しかし、これらはいずれも民間人が出した書籍で、国家の領有意識とはな
んら関係がありません。それに、たかだか2,3の資料で竹島が欠落していた
からといって、朝鮮は竹島(独島)の領有意識をもっていなかったなどという
結論を導いたとしたら、あまりにも短絡的すぎるのではないでしょうか。
   結論をだすには、関連するすべての古文献や地図などを総合的に判断すべ
きではないでしょうか。

   地図に関していえば、于山島、すなわち竹島(独島)が記載された地図は、
堀氏によれば数百枚あるそうで、こうした実態こそ朝鮮側の竹島(独島)領有
意識を如実に示しているのではないかと思います。
   近代においても、大韓帝国学部の『大韓輿地図』(1898)、同『大韓全図』
(1899)などの官撰地図が于山島を記載しています。これは国家として
の竹島(独島)領有意識を示しているといえます。

---------------- -
引用:半月城通信068

Re: またしても へえ

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/11/25 13:34 投稿番号: [12333 / 18519]
  玄采の地図ですから、玄采がどう思ったかと云うことになるでしょう。
  本人に聞いてみなければ分からないじゃありませんか。

Re: またしても へえ

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/11/25 13:28 投稿番号: [12332 / 18519]
>数十キロメートルもずれていたとか

数字の問題じゃないんです。
鬱陵島の直近以外に島があるかないかなんです。
東西南北数十キロ間違っていてもいいんです。
当時の欧米の地図にはそこに島があるんですから。
参照したならその辺のなにかあることはわかるはず。

だから、古い地図を参照したためか、新しい地図をみてもその位置の
島は領土だと思わなかったかどちらかしかないんですよ。

Re: またしても へえ

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/11/25 13:21 投稿番号: [12331 / 18519]
  さあ、どうでしょうねえ。

  詳細に煮詰めた訳じゃありませんから良く分かりませんが、単なるP.D.
(ポジション・ダウトフル)なんじゃないですか。地図には良くある話でしょう。
  日本の外務省も21世紀に入るまで数十キロメートルもずれていたとか。
  現代ですらずれるのですから、19世紀の地図で多少のズレがあって当然でしょうね。
  いずれにしても正確に測量した結果でもないでしょうし、大した問題でもないでしょう。

Re: またしても へえ

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/11/25 13:12 投稿番号: [12330 / 18519]
了解了解。

で、外国地図を参照したのに獨島の位置に島がない理由は、
参照地図が古いからとお考えなんでしょうね?

Re: またしても へえ

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/11/25 13:07 投稿番号: [12329 / 18519]
>大韓地誌で鬱陵郡の経度緯度もしめされてますよね、その中にも獨島ははいりません。
そのへんが爆裂妄想なんですかね。

  鬱陵島を鬱島に改称して、郡制を敷いたのは1900年ですよ。
  「大韓地誌」出版当時の1899年には鬱陵郡なぞと云う代物は存在しませんし、大韓地誌で鬱陵郡の経度緯度なぞ書かれていません(家鴨と兎氏も確認済)。

  単なる妄想でしょうし、田中邦貴氏が全く原本を検討していない証拠でもあるのでしょう。
  そうして更に、その爆裂妄想を無批判に引用することで、爆笑物のトンデモ解釈が拡大再生産されているわけですね。

Re: またしても あはは

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/11/25 13:00 投稿番号: [12328 / 18519]
>ちなみにその期間中、韓國から日本へは九千名だったとか

トピずれでありますが、それはおもしろいですね。
海流と両国の面積比を考えると、ずいぶん多い数字ですね。
数と技術が比例するなら圧勝でしょ(くだらん争い、笑)

>「大韓全図」の事です

これは、外国地図を参照したものなんですか!!
そりゃやばいですよ。外国の地図には獨島の所在は確実にあるでしょ。
それが入ってないってことは、大韓にはいらんと認めてるようなもの。
鬱陵島のそばにある于山こそ于山島だと思っていたと言うことになりますよ。
そう言えば、欧米の古い地図を元にしたものだったような記憶があるな。
獨島が書いてなかったのかもしれない。
何にしてもあの時代に最新地図を見ないという意識のありようを
しめしていますね。

大韓地誌で鬱陵郡の経度緯度もしめされてますよね、その中にも獨島ははいりません。
そのへんが爆裂妄想なんですかね。
再説いただくとありがたいです。

タコ君流の解釈だと

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/11/25 12:58 投稿番号: [12327 / 18519]
  当時の日本(朝鮮への漂流九千人)の操船技術は、まことにみすぼらしく幼稚だったわけだな。

  操船技術がないから漂流したのか。ふむふむ

そんなの

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/11/25 12:45 投稿番号: [12326 / 18519]
あるわけないやん!こいつの言いたいことは確かな証拠がないけど、あると思いたいだけの願望なんだから!だから一万人もの人が漂流なんたらってことを操船技術があったからなどと言ってるだけ!こんなもん操船技術がないから漂流したとは絶対に考えられない大ばか者!

ぷっ!

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/11/25 12:26 投稿番号: [12325 / 18519]
確かな操船技術があったのに、竹島すら発見できなかったんだね?ぷっ!!!大笑い。

Re: またしても あはは

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/11/25 10:47 投稿番号: [12324 / 18519]
>そこまで書かれるなら、日本が本国へ送り届けたことも書いてくだされ。
日本列島がなければ1万人のうちほとんど死んでるでしょ。
迷惑かけてるばかりじゃないんだから。

  ええ、相互に漂着民を送り届けていましたね。
  ちなみにその期間中、韓國から日本へは九千名だったとか。

>日本列島がなければ1万人のうちほとんど死んでるでしょ。
>迷惑かけてるばかりじゃないんだから。

  日本列島がなければ!
  あはは

>難破した数が多いから技術もあったというのはあまり論理的でないと思いますが、たんなる感想なんでこれ以上はやめておきます。

  感想といえば感想でしょうね。
  ただ、日本もそうですが、外洋を航海できる船だから漂着できるわけでしょう。そうでなければ沈没して死ぬだけでしょうね。

>獨島はその中に無いのですか?
>存在を知っていた証拠があると無いとでは大違いですよ。

  玄采の「大韓地誌」並びに附属の「大韓全図」の事です。
  これについては再三の指摘にもかかわらず、田中邦貴氏の爆裂妄想解釈が未だに蔓延っているようですが、面白い現象ですね。

おや、伊藤さん

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/11/25 10:38 投稿番号: [12323 / 18519]
  アバターが現物に似てますな。

朱印状の発行目的

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/11/25 07:17 投稿番号: [12322 / 18519]
半月城さん

> 江戸時代、幕府の朱印状が発行される場合を
> 『世界大百科事典』は下記のように記しました(注3)。
>
>1.朱印船
>2.外交文書
>3.10万石未満の所領安概・社寺領寄進
>
>   徳川幕府初代の家康の時代はいざ知らず、幕藩体制が
> 固まったころから、これは徳川 第2代あるいは第3代
> あたりからでしょうか、将軍家は上記以外の軽微な
> 公文書には黒印状を発行したようです。

VIVA_VIVA_21 さんが#9203 で挙げている朱印状発行目的のうち、少なくとも以下のものは元禄時代にも行なわれていますね。

> (2) 法令などの政務の意思伝達(法令の公布:生類哀れみの令etc)

したがって、「世界大百科事典」は全ての場合を漏れなく挙げている訳ではないようです。

VIVA_VIVA_21さんのリストのうち、以下の場合が焼火山縁起の「朱印を賜り」に相当する可能性があります。

> (4) 国内規制地への渡航許可、通行許可(関所の通過許可、ご禁制地への立入許可etc)

> (7) 通商、開発権の付与(松前藩の蝦夷開発権、茶四郎治郎など商人の貿易権etc)

半月城さんは、これらを目的とした朱印状は江戸時代には発行されていないと主張しているように見えますが、もっと説得力のある根拠を出していただかないと私は肯定も否定もできません。

逆に江戸時代になってから、これらの目的で朱印状が発行されたことの確実な証拠をご存知の方がいれば教えていただきたいと思います(自分でも調べてみようと思います)。

Re: またしても そのとおおおおおおおり。

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/11/24 23:20 投稿番号: [12321 / 18519]
>一万名に上るとも記録されているそうですし

そこまで書かれるなら、日本が本国へ送り届けたことも書いてくだされ。
日本列島がなければ1万人のうちほとんど死んでるでしょ。
迷惑かけてるばかりじゃないんだから。

難破した数が多いから技術もあったというのはあまり論理的でないと思いますが、たんなる感想なんでこれ以上はやめておきます。

>1899年に出版された玄采の地図は翻訳でしょう。

獨島はその中に無いのですか?
存在を知っていた証拠があると無いとでは大違いですよ。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)