竹島

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高句麗の竹島(鬱陵島)

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/12/11 21:29 投稿番号: [12357 / 18519]
   半月城です。te2222000さんの質問に答えたいと思います。

   Re:12354,
>「朱印船が行くような異国」とは、どういう意味でしょうか。
単に「異国」と書いた場合と何か意味の違いがあるのでしょうか。

   単に「異国」とだけ書いたのでは、斉藤豊仙がえがいたイメージにそぐわないと思います。かれの脳裏には朱印船のイメージがあったのではないかと思い、竹島、松島を「朱印船がいくような異国」と表現しました。

   斉藤豊仙は、出雲松江藩の郡代として隠岐に赴任したので、他藩である鳥取藩の舟が竹島(鬱陵島)へ行くという、海禁政策にふれかねない重大事には統治者として注意をはらい、一応のチェックをしたことでしょう。
   そのプロセスで郡代は老中の連署のある渡海許可書を実際に目にしたのだろうと思います。村川船が許可書を携帯していたことは、村川船が朝鮮へ漂流したときに対馬藩がおこなった検査によって明らかになっています。
   そのうえで斉藤豊仙は、そのような許可書が必要な竹島(鬱陵島)は異国であると考え、日本の領土ではないと結論づけたのではないかと思われます。

   また、渡海許可書には朱印がないにもかかわらず、朱印状のごとく考えたのは、一般によく知られた朱印船のイメージが脳裏にあったので、許可書から朱印状を連想したのではないかと思います。朱印船のイメージが相対的に強ければ、朱印状の他の用途など眼中になかったことでしょう。それに他の用途などは「一介の地方藩士にすぎない」斉藤豊仙には思い浮かばなかったのではないかと思います。
   こうしたことから、私は斉藤豊仙が竹島(鬱陵島)を「朱印船が行くような異国」と考えていたのではないかと書きました。これは、朝鮮へ行くのに朱印状は必要であったかどうかという議論とは無関係です。斉藤豊仙がそんな分析までしていたとは思われないからです。

   一方、斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)をどのような異国と理解していたのかですが、これには『隠州視聴合記』の「焼火山縁起」の記述が参考になります。それを読みくだすと、こうなります。

  「伯耆の国の大賈・村川氏、官より朱印を賜り、大船を磯竹島に致す。颶風に遇い高句麗に落つ。日が暮れるも津を知らず。舟の翁が焼火山を念ずるに、たちまち漁火あり。その津に入るを得る」

   この文章によると、村川の舟がつむじ風に翻弄され、漂着した所は隠岐の知夫郡だったのですが、その時に村川の舟がさまよった所は「高句麗」だったとされました。つまり、隠岐島の住人の間では竹島(鬱陵島)のあたりは高句麗という漠然とした認識であり、斉藤豊仙もそれにさして違和感がなかったと思われます。
   当時、高句麗という国名はなかったので、江戸時代の日本人が中国やインドを唐、天竺と称するのと同じような感覚で、隠岐島の住人は竹島(鬱陵島)のあたりをぼんやりと高句麗くらいに考えていたのではないかと思います。隠岐島の住人にとって、竹島、松島とはそのような感覚の異国だったのではないでしょうか。

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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