Re: 高句麗の竹島(鬱陵島)
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/12/14 07:33 投稿番号: [12358 / 18519]
半月城さん
ご返答ありがとうございます。
●1.朱印船が行くような場所について
> 単に「異国」とだけ書いたのでは、斉藤豊仙が
>えがいたイメージにそぐわないと思います。かれの
>脳裏には朱印船のイメージがあったのではないかと
>思い、竹島、松島を「朱印船がいくような異国」と
>表現しました。
ご説明を伺って、半月城さんは「斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)を朱印船が行くような異国と考えていた」という表現で以下の二つを主張しているものと理解しました。
a. 斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)を朱印船が行くような場所と考えていた
b. 斉藤豊仙は「朱印船が行くような場所」は異国であると考えていた
私の主張(隠州視聴合紀では竹島と松島は日本でも朝鮮でもないとみなされている)との関係上、bについてさらに明確にしておきたいのですが、半月城さんは以下のようにお考えだということでよろしいでしょうか。
b'. 斉藤豊仙は「朱印船が行くような場所」は単なる国外ではなく、異国であると考えていた。つまり、仮に竹島が日本の領土でも朝鮮の領土でもないとしたら、それは斉藤豊仙にとって「朱印船が行くような場所」ではない。
もし、b'のようにお考えだとした場合、斉藤豊仙が単なる国外を「朱印船が行くような場所」ではないと考えた理由についてもう少し詳しくご説明いただけませんか。というのは、斉藤豊仙の知っている朱印船というのは、全て「国外に行く船」であった筈で、単純に「朱印船とは国外に行く船である」と考えたとしても別に不思議はないように私には思えるからです。
●2.渡海許可書と竹島帰属の判断について
> 斉藤豊仙は、出雲松江藩の郡代として隠岐に
>赴任したので、他藩である鳥取藩の舟が竹島(鬱陵島)へ
>行くという、海禁政策にふれかねない重大事には統治者と
>して注意をはらい、一応のチェックをしたことでしょう。
> そのプロセスで郡代は老中の連署のある渡海許可書を
>実際に目にしたのだろうと思います。村川船が許可書を
>携帯していたことは、村川船が朝鮮へ漂流したときに
>対馬藩がおこなった検査によって明らかになっています。
> そのうえで斉藤豊仙は、そのような許可書が必要な
>竹島(鬱陵島)は異国であると考え、日本の領土ではないと
>結論づけたのではないかと思われます。
以下の二点には同意します。
ア.斉藤豊仙が竹島渡海許可書(の写し)を目にしたであろうこと
イ.斉藤豊仙が竹島を日本の領土ではないと考えたこと
しかし、アとイの因果関係については判断を保留します。その判断のためには渡海許可書の文面を検討することが必要ですが、私はそれを知らないからです。
●3.「朱印」という文言の発生源について
さて、ここまでに書いたことは、とにかくも「朱印を賜り」の記述が竹島の帰属を考える根拠になるという話でしたが、私はそもそも、そのことを疑っています。
>朱印船のイメージが相対的に強ければ、朱印状の他の用途など
>眼中になかったことでしょう。それに他の用途などは「一介の
>地方藩士にすぎない」斉藤豊仙には思い浮かばなかったのでは
>ないかと思います。
#12355で触れたように、焼火山縁起の竹島渡航のエピソードには斎藤豊仙が取材したオリジナル情報があった筈です。したがって「朱印を賜り」の文言の発生源には二つの可能性があります。
(I) オリジナル情報には存在しておらず、斉藤豊仙が作文した
(II)オリジナル情報に存在していたのを、斉藤豊仙がそのまま記録した
(I)の場合は、上の半月城さんの議論がある程度妥当性を持つと思います。しかし、(II)の場合は、#12355で書いた通り、斉藤豊仙の持つ「朱印」という言葉のイメージとは関係無く記録された可能性があります。
半月城さんは(II)の可能性についてどうお考えですか。
●4.竹島と高句麗の関係について
> 「伯耆の国の大賈・村川氏、官より朱印を賜り、大船を
>磯竹島に致す。颶風に遇い高句麗に落つ。日が暮れるも
>津を知らず。舟の翁が焼火山を念ずるに、たちまち漁火あり。
>その津に入るを得る」
> この文章によると、村川の舟がつむじ風に翻弄され、
>漂着した所は隠岐の知夫郡だったのですが、その時に
>村川の舟がさまよった所は「高句麗」だったとされました。
>つまり、隠岐島の住人の間では竹島(鬱陵島)のあたりは
>高句麗という漠然とした認識であり、斉藤豊仙もそれに
>さして違和感がなかったと思われます。
この見解には全く同意でき
ご返答ありがとうございます。
●1.朱印船が行くような場所について
> 単に「異国」とだけ書いたのでは、斉藤豊仙が
>えがいたイメージにそぐわないと思います。かれの
>脳裏には朱印船のイメージがあったのではないかと
>思い、竹島、松島を「朱印船がいくような異国」と
>表現しました。
ご説明を伺って、半月城さんは「斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)を朱印船が行くような異国と考えていた」という表現で以下の二つを主張しているものと理解しました。
a. 斉藤豊仙は竹島(鬱陵島)を朱印船が行くような場所と考えていた
b. 斉藤豊仙は「朱印船が行くような場所」は異国であると考えていた
私の主張(隠州視聴合紀では竹島と松島は日本でも朝鮮でもないとみなされている)との関係上、bについてさらに明確にしておきたいのですが、半月城さんは以下のようにお考えだということでよろしいでしょうか。
b'. 斉藤豊仙は「朱印船が行くような場所」は単なる国外ではなく、異国であると考えていた。つまり、仮に竹島が日本の領土でも朝鮮の領土でもないとしたら、それは斉藤豊仙にとって「朱印船が行くような場所」ではない。
もし、b'のようにお考えだとした場合、斉藤豊仙が単なる国外を「朱印船が行くような場所」ではないと考えた理由についてもう少し詳しくご説明いただけませんか。というのは、斉藤豊仙の知っている朱印船というのは、全て「国外に行く船」であった筈で、単純に「朱印船とは国外に行く船である」と考えたとしても別に不思議はないように私には思えるからです。
●2.渡海許可書と竹島帰属の判断について
> 斉藤豊仙は、出雲松江藩の郡代として隠岐に
>赴任したので、他藩である鳥取藩の舟が竹島(鬱陵島)へ
>行くという、海禁政策にふれかねない重大事には統治者と
>して注意をはらい、一応のチェックをしたことでしょう。
> そのプロセスで郡代は老中の連署のある渡海許可書を
>実際に目にしたのだろうと思います。村川船が許可書を
>携帯していたことは、村川船が朝鮮へ漂流したときに
>対馬藩がおこなった検査によって明らかになっています。
> そのうえで斉藤豊仙は、そのような許可書が必要な
>竹島(鬱陵島)は異国であると考え、日本の領土ではないと
>結論づけたのではないかと思われます。
以下の二点には同意します。
ア.斉藤豊仙が竹島渡海許可書(の写し)を目にしたであろうこと
イ.斉藤豊仙が竹島を日本の領土ではないと考えたこと
しかし、アとイの因果関係については判断を保留します。その判断のためには渡海許可書の文面を検討することが必要ですが、私はそれを知らないからです。
●3.「朱印」という文言の発生源について
さて、ここまでに書いたことは、とにかくも「朱印を賜り」の記述が竹島の帰属を考える根拠になるという話でしたが、私はそもそも、そのことを疑っています。
>朱印船のイメージが相対的に強ければ、朱印状の他の用途など
>眼中になかったことでしょう。それに他の用途などは「一介の
>地方藩士にすぎない」斉藤豊仙には思い浮かばなかったのでは
>ないかと思います。
#12355で触れたように、焼火山縁起の竹島渡航のエピソードには斎藤豊仙が取材したオリジナル情報があった筈です。したがって「朱印を賜り」の文言の発生源には二つの可能性があります。
(I) オリジナル情報には存在しておらず、斉藤豊仙が作文した
(II)オリジナル情報に存在していたのを、斉藤豊仙がそのまま記録した
(I)の場合は、上の半月城さんの議論がある程度妥当性を持つと思います。しかし、(II)の場合は、#12355で書いた通り、斉藤豊仙の持つ「朱印」という言葉のイメージとは関係無く記録された可能性があります。
半月城さんは(II)の可能性についてどうお考えですか。
●4.竹島と高句麗の関係について
> 「伯耆の国の大賈・村川氏、官より朱印を賜り、大船を
>磯竹島に致す。颶風に遇い高句麗に落つ。日が暮れるも
>津を知らず。舟の翁が焼火山を念ずるに、たちまち漁火あり。
>その津に入るを得る」
> この文章によると、村川の舟がつむじ風に翻弄され、
>漂着した所は隠岐の知夫郡だったのですが、その時に
>村川の舟がさまよった所は「高句麗」だったとされました。
>つまり、隠岐島の住人の間では竹島(鬱陵島)のあたりは
>高句麗という漠然とした認識であり、斉藤豊仙もそれに
>さして違和感がなかったと思われます。
この見解には全く同意でき
これは メッセージ 12357 (hangetsujoh さん)への返信です.
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