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新しい歴史教科書の構想(6)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/01/12 06:49 投稿番号: [800 / 1474]
1905〜1945年時期の教科書執筆の方向と内容
[李栄薫(イ・ヨンフン)/ソウル大学教授]

(翻訳)


Ⅲ   代案

  批判だけなら無責任だ。しかし、建設的な代案を立てることは易しいことではない。理由の一つとして、今日の多数の韓国人たちが日本に対して持っているいささか過激な集団感情を挙げることができる。その点を鋭敏に意識して気を付けなければならない。去る何年かの間、親日派問題や慰安婦問題や 独島問題が提起されるたびにそうだったように、一般の韓国人たちはこれらに関して少しも他の立場を受け入れようとしない。植民地期の歴史に対して韓国人たちは硬直している。日帝の植民地支配が民族の自尊心に与えた傷はまだ深い。それに加えて過去40年間の誤った国史教育が傷をもっと深くした。

  農地の4割を奪った、米の半分を収奪した、650万の人々を強制連行した、動員された慰安婦が数十万に達した等々、一様に荒唐無稽極まる話が国史の教室を通じて若い世代に注入された。大学で私の講義を聞く学生たちは、上のような話が皆事実ではないという私の主張に一様に戸惑っている。ある学生の告白では、中・高等学校でそんな話が出る度に先生も泣いて学生も泣いたというのだ。そのようにして育った今日の20〜40代の韓国人たちを相手にして国史教科書の誤りを批判するのは、容易ではないのだ。下手をすれば現代版親日派として責め立てられるのがおちだ。だから一度に多くの変化を過激になそうとしてはいけない。そうかといって、非常に控え目に遠慮することも能がない。歴史の真実は結局勝利するものだという信念を堅固にし、勇敢に国民に向かって進まなければならない。真実は人間たちが負っている歴史の傷を治癒する。真実は人間の精神を過去の桎梏から解放する。高度な文明の先進的人間においては、歴史は怒りの清算ではなく静かな内面の省察だ。


  このような姿勢で新しい代案教科書が植民地期の歴史を書き直すに当たって堅持しなければならないいくつかの原則と言おうか、基礎的視覚は次のようなものだと思う。第一は、「抑圧とそれに対する抵抗」という既存のパラダイムを修正して発展させる必要があるという点だ。既存の教科書のように日帝が土地と食糧と労働力と女性を無茶苦茶に収奪したという式の記述は、これ以上困難だ。それに代えて、抑圧と収奪が政治・社会・経済・文化の多くの面で、明示的な制度や暗黙の規範としてどのように構造化されて行ったのかを教える必要がある。このために、まず、帝国主義の歴史として日帝の朝鮮支配が持った類型的特質を明確にする必要がある。

  周知のとおり、帝国主義の植民地支配はイギリスのインド支配に代表される自治主義と、フランスのアルジェ支配に代表される同化主義の二つの類型がある。日帝の朝鮮支配は同化主義の類型に属している。いや、同化主義の典型と言えるほど日帝は韓半島を日本領土の一環として永久に編入しようと努力した。いわゆる永久併合がそれだ。支配の基本立場がそういうものだったから、日帝は政治と経済と文化の多くの方面で朝鮮の相対的自律性を認めなかった。始めから終わりまで、日帝の朝鮮支配は憲兵と警察が大規模に動員される強圧性を特徴とした。

  そんな中、日帝の同化主義はまず経済分野で徹底的に追求された。朝鮮と日本は一つの市場に統合され、資本と商品が自由に移動した。しかし、日帝は朝鮮を政治的に差別した。朝鮮人は政治に参加する権利がなかった。税金は取りながら政治的権利は否定する矛盾が、日帝が推進した同化主義の矛盾だった。ひいては、朝鮮人は教育・賃金・就業・昇進などの社会的機会でも差別された。朝鮮の歴史と言語は否定された。新しい教科書は、以上のような日帝の抑圧的な同化政策の矛盾と限界を指摘しながら、結局、日帝の朝鮮支配は、世界資本主義の構造変化に従って早いうちに破局が不可避であったことを強調する必要がある。


(続く)

新しい歴史教科書の構想(5)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/01/11 10:40 投稿番号: [799 / 1474]
(翻訳続き)

  要するに、現行の『近・現代史』教科書は、実証的根拠においてあまりにも多くの虚点を示している。私は、教科書が植民地期に関する記述の基本方針を抑圧と抵抗のパラダイムとして設定したことについてはそれなりの不可避性を理解するが、それを口実にして教科書の執筆があまりにも感性的に流れたと思う。改めて言うまでもないことだが、近代科学の本質は厳格な実証に基づいた経験主義にある。言い換えれば、現行教科書は帝国主義批判に片寄ったあげく、そのような近代科学に要求される理性的要件の確保におろそかだという傷と欠陥を示している。

  歴史の叙述理性よりも感性に片寄ったらどんな問題が発生するだろうか。その問題を現行『近・現代史』教科書に対する二番目の批判点として申し立てたい。特定の時代に関する歴史叙述が理性より感性にかたよれば、その社会の全体的構造とその前後の時代との関係という客観的な意義が見逃されやすい。実際、日帝下植民地期の歴史は抑圧と抵抗という枠組みだけではその全体像が把握できない。実際にその時代に生きながら日帝に積極的に抵抗した人々は、その数はいくばくもない。絶対多数の人々は、消極的な抵抗と消極的な協力の間を行ったり来たりしながらその時代を生き抜いた。

  しかし、日帝の支配が始まった1905年と日帝が敗亡した1945年の間に、彼らの日常生活と社会意識において重大な変化があった。1945年日帝がこの地から撤収した時にこの地に残った人々は、もはや19世紀までの伝統的な朝鮮人ではなかった。彼らは20世紀の現代韓国人に変わっていた。誰もが全てそうだったわけではないが、相当程度の多数の人々が、特に社会経済的に上層を占めた指導的階層がそうだった。そして、まさに彼らが大韓民国を立て、彼らによって大韓民国が発展した。

  植民地期を眺める視覚をこのように複線で維持するようになれば、抑圧と抵抗の戦線だけではなく 開発と学習というまた他の次元の戦線を見い出すことができる。現行教科書は、日帝が構築した各行政機関と警察機構と裁判所を「抑圧機構」と規定し、また各種経済機構としての銀行と鉄道局と専売局を「収奪機構」と規定しているが、そういうことだけではなかった。
  これら各種の行政・経済機構は、外来の近代文明が朝鮮の伝統文明に移植されて相互に接合する経路でもあった。そういう近代文明の移植として最も重要だったものを一つ挙げよと言われれば、私は1912年にあった朝鮮民事令の公布を挙げたい。これによって植民地朝鮮において近代的民法が施行された。それを指して、一人の人間が近代的私権の主体として、言い換えれば一人の人間がその社会的人格権と財産権に関して誰からも自由な近代的人間として自立する文明史の大事件であったと、その歴史的意義を要約することができる。植民地期の朝鮮人は、例えば日帝から政治的に差別されはしたが、社会的にまた経済的にはこのような近代人間として法定されたのだ。その意味で、植民地期の人間たちは、もはや身分で差別されて収奪された伝統朝鮮人ではなかった。

  要するに、現行の『近・現代史』は、1876年の開港以後今日までの130年間、韓国の伝統文明が外来文明との相互作用と接合の過程において個性的に展開して来た近代化の歴史の中で、短いと言えば短かった1905〜1945年間の植民地期が占める歴史的な位相、言い換えれば、その時代に生じた文明史的転換とその歴史的意義に関して、客観的に教えていない。もう少し極端的に言うなら、現行の教科書は、植民地期の歴史を野蛮の時代と想定している。抑圧と抵抗それ自体だけならそれは野蛮だからだ。そこには、必死のあがきで近代を学習して近代人へと変身して行く朝鮮の人々の姿が見えない。そういう文明の空白、まさにその点を現行教科書が抱えている深刻な矛盾として指摘することができる。

(Ⅲに続く)

新しい歴史教科書の構想(4)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/01/11 05:04 投稿番号: [798 / 1474]
(翻訳続き)

  実はこの問題に関して、1960年代までの教科書では、米が日本に渡ったメカニズムを経済的な「輸出」と明確に記述していた。米を「持ち去った」と言うふうな曖昧な表現で日帝の収奪を意図的に浮かび上がらせようとする敍述は、教科書編纂が国定に変わった1974年から登場して今まで続いて来た。そういう前後の事情を考慮すれば、過去30年間の教科書の質的水準は、むしろ後退して来たと言っても良いわけだ。

  多くの教科書が共通に強調している日本軍慰安婦の動員に関する記述でも、多くの問題点が発見される。これに関して、ある教科書は次のように書いている。「初めは任意に朝鮮の女性たちを動員した日帝は、戦争の長期化に至り、女子挺身隊勤務令を作ってこれを法制化した(1944)。挺身隊という名前で動員された女性たちの中一部は日本と朝鮮の軍需工場に送られるという強制労役にあい、また他の女性たちは戦地に送られて軍隊慰安婦として利用された。」

  まず法令の元々の名前は「女子挺身勤労令」なのだが、「女子挺身隊勤務令」と過って表記している問題を指摘しておく。この記述で最大の問題は、1944年8月23日に公布された同法令によって挺身隊の名前で動員された女性の一部が戦地の慰安所に送られたとなっているが、その実証的根拠がないという事実だ。その点を立証する文献史料がないことは勿論、最近まで生存して証言を残した慰安婦175人からもそういう事例は確認されていない。ただ日本の軍需工場に送られてから何か特殊な事情で隊伍から離脱した何人かの女性が慰安婦生活を経験した事例はあるが、それを上の記述の実証的根拠とすることはできない。だから、上の教科書の記述は、今まで明らかになった慰安婦の歴史とは無関係に、教科書の執筆者たちが頭の中で作り出した話に過ぎないのだ。

  このように日帝に対する批判の根幹を成す土地、食糧及び女性に対する収奪が多方面に不正確に記述されているのが、現行『近・現代史』教科書が抱えている最大の弱点だと言える。もし、これに対して日本の右翼勢力たちが項目別に分析し始めれば、韓国政府はまことに困った立場に置かれると私は危惧している。それなら日帝の収奪像をどのように正確に、科学的に記述しようか。日帝は何をどのように収奪したのか。これに関しては、少し後にまた話すようにしよう。

  教科書の敍述が正確ではないとか厳密ではないことは、そのほかにも一々列挙することができない位の数多い例がある。あまりにもよく知られた3.1運動に関する次のような記述も、良く見れば問題だ。「宣言式を終えたタプゴル公園の群衆は、胸に大事にしまって来た太極旗を力強く振って朝鮮独立万歳を叫んでソウル市街を歩き回った」。 しかし、この記述の下に提示された写真資料を見れば、ソウルの鐘路を歩き回ったデモ群衆の写真だが、一人も太極旗を持っていない。いつか私は天安の独立記念館を訪ね、3.1運動に関する写真資料を注意深く観察したことがあるが、ソウルでも地方でも太極旗を手に持つ朝鮮人を見ることができなかった。奇妙に思ってその分野の専門家に聞いたところ、まだ当時までは旧韓国時代に創製された太極旗は一般民衆にまで広く知られることがなく、デモ群衆の手に太極旗が無いのは当たり前だという返事だった。要するに、3.1運動に関する上の教科書記述は、自分が提示した写真資料によって反駁されているという皮肉を見せ付けているわけだ。

  独立戦争の歴史で一番輝く勝利と言える1920年の青山里大捷についても、申し訳ないが指摘しておく点がある。6種の『近・現代史』のうち、(株)斗山、大韓教科書(株)、法門社、中央教育振興研究所から出た4種は、独立軍が数の上で何倍も優越な日本軍に対立して大きい勝利を収めたと無難に記述している。一方、(株)金星出版社の教科書は、日本軍を1,200名も射殺したが、独立軍の被害は戦死60人と負傷90人に過ぎなかったと書いている。(株)天才教育の教科書は、三回の戦闘で日本軍に1,600人余りの戦死者と負傷者の被害を与え、独立軍の被害は六部隊中の一つである北路軍政署だけに百余名の戦死者と負傷者が出たと書いている。
  どちらがより正確なのかは分からないが、どちらか一方が不実なことは事実だ。実際に独立軍が収めた大きな戦果を数字として挙げて具体的に紹介するつもりなら、独立軍側の主張だけではなく日本軍側の戦争史資料まで細密に立ち入る必要があることを指摘しておく。

(続く)

新しい歴史教科書の構想(3)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/01/10 21:16 投稿番号: [797 / 1474]
Ⅱ   批判

  以上から明確なように、植民地期に関する教科書の敍述は、日帝の抑圧と収奪に対立して我が民族がなした抵抗と戦争の歴史を基本軸にしている。帝国主義の植民地支配にはさまざまな類型があり、その歴史的意義に関しても単一には語り難い。だからと言って、帝国主義の植民地支配が道徳的に正当化されることができないことは勿論だ。その形態と方式がどうであれ、帝国主義の支配は植民地民族の自尊心に深い傷を残した。多くの場合、帝国主義の収奪は植民地の社会と経済の正常な発展経路を歪めた。日帝の朝鮮支配も、大きく見ればこのような批判を兔れ難い。その点で、教科書の植民地期に関する記述が帝国主義批判の視覚から抑圧と抵抗のパラダイムを採用することは、当然であるだけでなく必要なことでもあったのだ。

  このことを前提としながら、教科書の質的改善を望む心から、何種類かの批判を提起する。まずは、日帝の収奪に対する告発が、あれこれと事実ではなかったり不正確だったり誇張されているという点だ。たとえば土地の収奪に関して、『近・現代史』は「1918年土地調査事業が終わった時、事実上農民の所有だった多くの農土と、公共機関に属していた土地、村または家の共有地であって名義上の所有者を立てにくい土地の相当部分が朝鮮総督府の所有になった。」と書いている。実は2006年度版 『近・現代史』は、この問題に関して2005年までの教科書に比べて多くの改善を見せている。以前の教科書は、日帝が土地調査事業の当時、土地所有権の申告が何のことなのか分からない農民たちに短い期限の申告を強要して大量の無申告地の発生を誘導し、その結果、全農地の4割を総督府の所有地として収奪したと教えて来たが、これはまさに小説のような話だった。

  こんな荒唐無稽説が過去40年間教科書に堂々と掲載されて来たことから、私たちは、韓国の歴史学者たちが植民地期の歴史敍述においてどれほど感情的になっていたかを察することができる。何年か前から、私は教科書のこのようなずさんな敍述に対して何回も批判を言って来た。そのためか、2006年度版『近・現代史』は、国定中・高等学校『国史』も同じだが、欺満的な申告方式によって土地の4割もが収奪されたという粗雑な記述を排除している。これは歓迎するに値することだ。

  しかし、土地調査事業に関する2006年度版『近・現代史』の上のような記述も正確でないのは同じだ。日帝は、一次国有地に編入された土地のうち「事実上農民の所有だった多くの農土」を調査して農民の所有地として返した。また日帝は、村または家の共有地に対して共同名義の申告を許容することで申告に支障がないようにした。実は、上のような記述は1930年代に出た土地調査事業に関する最初の論文からあったのだが、厳密に言って今まで実証されたことがない仮説に過ぎないのだ。要するに、土地調査事業を施行した日帝の目的は土地の収奪にはなかった。他人の土地を横取りしようとする謀利輩の恙動は日帝によって厳に取り締まられた。

  日帝は、なぜそうしたのだろうか。以前にも何回か強調したことがあるが、韓半島全体を永久に日本の領土に編入する計画で、日本と同じ土地制度を新たに作るためだ。日帝はそんな雄大な水準の政治的目的のために土地調査事業を実施したのであって、農民たちの土地を盗み取るために多くの費用を掛けてまで土地を測量したのではない。

  日帝が朝鮮の米を収奪したという教科書の記述も不正確なのは同じだ。これに関して、2006年度版 『近・現代史』は、日帝が産米増殖計画を実施して、米を「収奪した」とか「持ち去った」とか「搬出した」などの多様な修辞を動員している。実際に朝鮮から日本に米が移ったのは、輸出という経済的メカニズムを通じてだった。
  しかし、この事実を明確に記述している教科書は一つもない。収奪と輸出は決して混同することができない相異なる経済的意味を持っている。何らの対価なしに奪う収奪なら、朝鮮内で財貨と所得の循環過程は縮まるしかないし、それによって人々はますます貧乏になる。一方、より高い価格を得るために輸出したのなら、朝鮮内の経済循環は拡大再生産の過程を踏むようになり、その結果、人々はますます豊かになる。したがって、「輸出」を指して「持ち去った」と書いている2006年度版 『近・現代史』は、学生たちに、米が日本に移ることによって朝鮮で発生した経済効果を正反対に教えているわけだ。

(続く)

新しい歴史教科書の構想(2)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/01/10 18:39 投稿番号: [796 / 1474]
  だから6種の『近・現代史』は、例え執筆陣を異にしていても企画と編集でほとんど完璧な統一性を見せている。検認定教科書体制のはずなのに、教育部(教育省)から章と節の題目と順序まであらかじめ付与されたようだが、そのせいだけでもないような気がする。節以下の敍述内容でもほとんど完璧な統一性を見せているからだ。何のために敢えて検認定制度が採用されているのか分からないほどに、6種の教科書は千篇一律の敍述を見せている。教科書の執筆に参加した多数の歴史家たちは、検認定と言う体制を活用して、植民地期に関する自分の歴史認識を個性的に広げて見ようという試みを行っていない。それは、章と節の題目と順序があらかじめ付与されたからだというよりも、植民地期に関する執筆者たちの歴史認識自体が、すでに千編一律の固定的なフレームに縛られているためかも知れない。6種の『近・現代史』に接した私の第一印象は以上のようなものだ。

   その固定的なフレームとは何なのかに関しては、上のような目次構成で自然に現われているから詳しく紹介する必要がなさそうだ。6種の教科書は、第1章において1905〜1910年にわたって大韓帝国の国権が日帝に奪取されて、結局日帝に併合される政治外交史を紹介した後、日帝の植民地統治が1910年代の強圧的な憲兵・警察統治から20年代の欺満的な文化統治へ、ひいては30〜40年代戦時期の民族抹殺統治として展開される過程を敍述している。

   そういう民族の受難の過程は、土地、食糧と労働力が収奪される過程だった。日帝は土地調査事業を実施して、朝鮮の土地を収奪した。また日帝は、産米増殖計画を推進して大量の米を日本へ積み出した。日帝の収奪は、戦時期の徴兵・徴用による労働力収奪で最高潮に達した。特に、女性を慰安婦として動員した犯罪行為がすべての教科書で共通に重視されているのは、先立って紹介したとおりだ。

   続いて第2章から第5章までは、このような日帝の抑圧、収奪と抹殺政策に対立して、我が民族がどのように組織的に粘り強く抵抗したかに関する敍述だ。組織的な抵抗の出発は3.1運動と、それを引き継いだ大韓民国臨時政府の樹立だった(第2章)。国外での抵抗は、20年代と30年代にわたって満洲と中国を舞台として、大「武装独立戦争」として発展した。各系統の独立運動は、遂に1944年臨時政府傘下の光復軍に結集した。光復軍は、連合軍の一員として対日戦争に参戦して各種作戦を遂行したが、惜しくも国内への進攻作戦が開かれる前に日帝は敗亡してしまった(以上第3章)。

   日帝に対する抵抗は、国内でも多くの形態の社会・経済的民族運動として展開された。その中で特に重要だったのは、民族実力養成運動と自治論者に対立して非妥協的な民族主義と左派の連合として展開された民族唯一党運動、すなわち新幹会の活動だった。その他に、教科書は、階級運動として農民運動と労働運動の役割についても特別に強調している(以上第4章)。

   最後は、日帝の抹殺政策に対立して民族文化を守護するための運動が紹介されるが、特別に民族のアイデンティティを確保するための国学運動としてのハングル運動と、教育運動として夜学運動などの先進的な意義が強調されている(以上第5章)。




(Ⅱに続く)

新しい歴史教科書の構想(1)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/01/10 18:37 投稿番号: [795 / 1474]
[特集] 日帝の朝鮮支配と朝鮮社会の構造的変化
1905〜1945年時期の教科書執筆の方向と内容

[李栄薫(イ・ヨンフン)/ソウル大学教授、経済学]

季刊『時代精神』再創刊号(2006年5月)
http://www.sdjs.co.kr/read.php?quarterId=SD200601&num=6


(翻訳)

Ⅰ   紹介

   2006年度版 『高等学校韓国近・現代史』教科書 (以下『近現代史』と略する)では、植民地期(1905−1945)に関する敍述は「民族独立運動の展開」という題目の下に次のような構成となっている。

1   日帝の侵略と民族の受難
(1)20世紀全般の世界 (2)日帝の侵略と国権の被奪 (3)民族の受難 (4)経済収奪の深化

2   3.1運動と大韓民国臨時政府
(1)3.1運動以前の民族運動 (2)3.1運動の展開 (3)大韓民国臨時政府の樹立

3    武装独立戦争の展開
(1)国内の抗日民族運動 (2)義烈団と韓人愛国団の活動 (3)1920年代の武装独立戦争 (4)1930年代の武装独立戦争 (5)大韓民国臨時政府と韓国光復軍の活動

4   社会・経済的民族運動
(1)社会的民族運動の展開 (2)民族実力養成運動の推進 (3)農民運動と労働運動の展開 (4)国外移住同胞の活動

5   民族文化守護運動
(1)日帝の植民地文化政治 (2)国学運動の展開 (3)教育と宗教活動 (4)文学と芸術活動


  『近・現代史』は皆で6種だ。その中で(株)斗山、法門社、(株)天才教育、中央教育振興研究所から出刊された4種が、上のような目次を正確に共有している。残り2種は(株)金星出版社と大韓教科書(株)の教科書だ。この二つの教科書の目次は上とまったく同じではないが、節の題目と順序に少しの差を見せるだけで、何か意味ある差異は確認できない。

   いささか顕著な差があるとすれば、二つの教科書が、第1章で日本軍慰安婦に関する独自の節を設定しているという点だ。(株)金星出版社は「主題5 戦争動員と軍隊慰安婦徴用」で、大韓教科書(株)は「5   まだ進行中の軍隊慰安婦論争」の題目で慰安婦に関して敍述している。ところで、他の4種の教科書も慰安婦問題を扱っていることは同じだ。ただ独自の節ではなく、第1章4節「経済収奪の深化」に添付された「学習の助け」の形で記述している。


(続く)

SCAPIN677

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2008/01/04 18:14 投稿番号: [794 / 1474]
GHQ統治下に於ける日本政府の行政権停止についての指令です。これを誤読(わざとか?)して「独島は日本から外されて韓国のものとされましたね」なんて主張する人はかつて多く存在したのです。

▲もののついでに【SCAPIN677】
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=4&nid=1904358&st=writer_id&sw=xiaoke

ポイントはここ。

6.Nothing in this directive shall be construed as an indication of Allied policy relating to the ultimate determination of the minor islands referred to in Article 8 of the Potsdam Declaration.

6.この指令中の条項はいずれもポツダム宣言の第8条に言及された小島嶼の最終的な決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈されない

領土の帰属についての最終決定じゃないですよと念を押していますね。

「世界」臨時増刊:沖縄戦と「集団自決」

投稿者: non_dire_sciocchezze 投稿日時: 2008/01/02 13:59 投稿番号: [793 / 1474]
まだ「11万人」とか書いてるし。

往生際が悪いぞ!>嘘吐きの岩波書店

ホントに11万人集まったなら、11万人集まってる写真を出せよ。

Re: 送還を希望しない在日朝鮮人の取扱

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2007/12/29 07:27 投稿番号: [792 / 1474]
>案の定ひっかかったアポがいると。

でも、レスがつくだけ彼にとっては幸せかと。
普段はこんな↓感じですから。


http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1925525

Re: 送還を希望しない在日朝鮮人の取扱

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/12/29 07:08 投稿番号: [791 / 1474]
>>環境劣悪な収容所

>昭和21年の夏から秋にかけてのことですねえ。収容所では三食支給していたんだ。巷では食料配給が遅配につぐ遅配で国民総欠食児童状態。空腹のあまり畑の芋を盗んで殺された親子とか闇米を口にすることをこばんで餓死した判事さんがいたというのに。

はい。ちょうどそのころの話です。東京では1週間程度の遅配もしくは欠配は当たり前のようにあったころです。そういった世相を考慮に入れずにこの史料を論じれば、いくらでも悪辣非道な日本政府像は描けますよね。
ゆえに「環境劣悪な収容所『♪』」とスレタイをつけたわけです。案の定ひっかかったアポがいると。(苦笑)

Re: 送還を希望しない在日朝鮮人の取扱

投稿者: nanairokamen03 投稿日時: 2007/12/29 04:49 投稿番号: [790 / 1474]
>環境劣悪な収容所

昭和21年の夏から秋にかけてのことですねえ。収容所では三食支給していたんだ。巷では食料配給が遅配につぐ遅配で国民総欠食児童状態。空腹のあまり畑の芋を盗んで殺された親子とか闇米を口にすることをこばんで餓死した判事さんがいたというのに。

戦後、日本への密航

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/12/28 00:55 投稿番号: [789 / 1474]
1946年7月といえば、朝鮮半島が日帝の魔の手から解放されてちょうど1年経っているじゃないですか。
どうして日本に密航してくるんでしょうね♪(先に言っておきますが弊サイトからです)

・・・・・・・

SCAPIN1015 日本への不法入国の阻止

1.Cholera has broken out in Korea and is rapidly reaching epidemic proportions. In view of the grave danger of the introduction of this disease into Japan by carriers transported from Korea to Japan on unauthorized shipping, positive steps must be taken to detect and apprehend ships illegally entering Japanese ports.

2.The Imperial Japanese Government will:

  a.Place into effect measures to detect ships illegally entering Japanese ports.

  b.Seize all such ships and sail them together with their crews, passengers and cargo to Senzaki, Sasebo or Maizuru, and deliver them to US military authorities at that port.

  c.Insure that no crew member or passenger of such vessels is allowed ashore while in Japanese custody.

3.The Imperial Japanese Government will submit to General Headquarters not later than 20 June 1946 a report setting forth the steps taken to implement the provisions of this directive.

1.コレラが朝鮮で発生し、速やかに流行するだろう。朝鮮から日本へ未許可の船舶で輸送される保菌者によって、日本にもたらされる重大な危険性から見て、不法に日本の港に入ってくる船を探知して逮捕する積極的な措置が執られなくてはならない

2.日本政府は、
  a.不法入国船の探知を実施すること
  b.そのような船を押収して、船員・乗客・貨物と共に仙崎、佐世保または舞鶴に回航し、米軍当局に届けること
  c.拘留中、そのような船の船員・乗客の上陸を許可しないよう確実に処置すること

3.日本政府は、この指示の条項の実行のために執られる処置を述べたレポートを遅くとも9月20日までにGHQに提出すること

http://www.geocities.jp/toaniuniu/shiryou/scapin.html/#1015

Re: 送還を希望しない在日朝鮮人の取扱

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/12/25 19:53 投稿番号: [788 / 1474]
>何を考えているんでしょうか?
日本語が読めないんでしょうか?

それはですね。アポは、私が日本側に不利な史料を出して自爆した、と思いこんで、スレ削除で逃げられないように魚拓をとったつもりになっているんですよ(苦笑)

以前にも同じことをやっているんですけどね。

▲環境劣悪な収容所♪
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=10&nid=1863889&st=writer_id&sw=xiaoke

Re: 送還を希望しない在日朝鮮人の取扱

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2007/12/25 17:59 投稿番号: [787 / 1474]
>▲敗戦国の国籍なんて要らない?【拾い物】

これの次のスレです。
何を考えているんでしょうか?
日本語が読めないんでしょうか?

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1922892&st=writer_id&sw=xiaoke

送還を希望しない在日朝鮮人の取扱

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/12/22 12:22 投稿番号: [785 / 1474]
GHQと日本政府による送還計画に従うことを拒否する在日朝鮮人の取扱いについてのGHQ発表ですが、朝鮮に正式に政府が発足して、彼らに朝鮮国籍を付与するまでの間は、日本国籍保有者と同じく、日本の法律に服すべき存在だと。

結局、送還を希望せず日本に留まった朝鮮人は、大日本帝国の支配から解き放たれた解放民族であっても、占領統治下に於いて治外法権的な扱いを受けることのできる「連合国軍の構成員及び市民」ではない以上、通常の場合に於ける在日外国人と同じく、滞在先の国家である日本の法律に服すべき義務があるっていうことなんだろうなぁ。

▲敗戦国の国籍なんて要らない?【拾い物】
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1922888&st=writer_id&sw=xiaoke

で、1951年、対日講和条約の交渉と並行して行なわれた日韓会談において、講和条約発効と同時に在日朝鮮人の日本国籍喪失・大韓民国籍付与が合意されました。それに先立って韓国政府も彼等への大韓民国籍付与を閣議決定しています。

▲国籍の強制付与【追加】
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=3&nid=1911189&st=writer_id&sw=xiaoke

一部の言説がいうように、日本政府がかってに彼等の日本国籍を奪ったとか国籍選択の自由を与えなかったというわけじゃないんですよねぇ。

これが真実、南京入場だ!

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/12/17 20:13 投稿番号: [784 / 1474]
これが真実、南京入場だ!
http://video.google.com/videoplay?docid=7454292433677160704&q=%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%85%A5%E5%A0%B4%E3%80%80%E7%9C%9F%E5%AE%9F&total=1&start=0&num=10&so=0&type=search&plindex=0

「ジュウグンイアンフ」売国ベストイレブン

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/12/15 00:02 投稿番号: [783 / 1474]
「ジュウグンイアンフ」関連   売国ベストイレブン


「従軍慰安婦」という言葉を「創造」したのは元毎日新聞記者で作家の        「千田夏光」(故人)

反韓から朝鮮統一工作の一環として、「初・親韓」捏造記事を出した          「朝日新聞」 (コレ以降韓国は朝日を「良心勢力」と呼ぶ)

書いた記者は「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」理事の娘と結婚していた      「植村   隆」(義母の朝鮮女が「自称・イアンフ」)

朝日の捏造「慰安婦」記事に検証なしで韓国に謝罪したのは              「宮沢喜一」   ←   先日死亡

「強制連行の証拠はないが、慰安所には軍が関与した」とした             「加藤紘一」

その捏造を強化する「偽証」を法廷で行ったのが                      「吉田清治」

証人として吉田清治にその「偽証」をさせた弁護士が                   「高木健一」
 
政府の「証拠なし」という調査結果を無視して「事実だ」と談話を発表したのは     「河野洋平」

証言のたびに内容が変わることで有名な金学順をはじめて引っ張りだしてきた    「青柳敦子」(昨年本を出して復活)

金学順の証言を鵜呑みし法廷で「女性に対する性暴力、性差別であった」とした   「吉見義明」

吉見の口頭弁論を担当して印象操作を行ったのは、当時(1997年)弁護士だった 「福島瑞穂」

韓国側資料に見る朝鮮領域

投稿者: licky_etozero 投稿日時: 2007/12/12 10:09 投稿番号: [782 / 1474]
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=3300233&tab=five

韓国側に不利益な資料ですので削除される可能性があります

なお   青組反論になってません(いつものことか…)

Re: オーストラリアで日本人?女子高生売春

投稿者: non_dire_sciocchezze 投稿日時: 2007/12/10 11:08 投稿番号: [781 / 1474]
> 胸は整形していないけど、36インチのDカップだよ!

36 inc = 91.44 cm

↑このサイズでDカップは怪しい。



で、Dカップは巨乳とは言わないでしょう。

オーストラリアで日本人?女子高生売春逮捕

投稿者: coconut_flavor_kiss 投稿日時: 2007/12/08 01:47 投稿番号: [780 / 1474]
オーストラリアの自称日本人女子学生売春婦
逮捕してみれば・・・・
韓国人おばさんだったwwwwww
巨乳日本人女性のふりをした韓国人おばさん
朴さん(31歳)金さん(32歳)逮捕w


(1)韓国人が以下の,以下の広告を出す。
「uni party girl, just 18, Japanese, natural 36D, perfect backside」
訳]「18歳の日本人留学生だよ☆
胸は整形していないけど、36インチのDカップだよ!
お尻もいいよ☆(*´∇`*)ノ」


(2)おとり操作で捕まる
おとり捜査で逮捕された巨乳日本人売春少女の正体とは・・・
「Xu Jin, 25, Hwo Kim-Rye, 32, and Park Ann-Soon, 31」
       25歳          金      32歳     朴          31歳

http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&nid=347940

〜歴史小説(11)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/06 21:23 投稿番号: [779 / 1474]
[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論
大河小説『アリラン』を中心として
[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号

                (翻訳11)

5   怒りと憎悪の狂気(続き)

  このような小説家の直接的な解説に接して、私はしばらく呆然とした。日帝による虐殺被害者が300万〜400万人だから、それを証明するために小説を書いたとは。あきれかえることだ。そんなことはなかった。1910年当時、朝鮮の全体人口はおよそ1600万人、330万世帯くらいだ。だからチョ・ジョンレによれば、平均して家ごとに1人の犠牲者が出たわけだ。それを証明することは難しくない。その時代の戸籍がほとんど残っているからそれを見れば良い。では言おう。断じてそんなことは無かった。

   私は、一小説家が、こんなおびただしい虚構の事実をかくも堂々と歴史的事実として叫ぶことができるという事実が不思議でならない。彼はその事実を幼い頃から分かって来たと言う。ああ、世の中をいくら侮るならばそのようにまで大きい声を吐くことができるのか。東洋の儒家では、生まれついて物事を知る者を「生而知之」と言う。孔子のような聖賢を指して言うことばだ。趙廷来氏よ、あなたは生知なのか。

   彼の告白のとおり、彼は怒りと憎悪で『アリラン』を書き続けた。その終わり無き怒りと憎悪には、それに相当する事実の根拠がない。だから、一種の狂気なのだ。虐殺の狂気とは逆に通じる狂気だ。その狂気で、小説の主要人物たちが、日帝に抵抗した善良で美しい朝鮮の人々が、小説の進行に連れ、一人、二人と皆死んでしまった。小説家は、日帝の残酷な弾圧にも遂に勝利した朝鮮人の歴史を苦いと言ったが、実際の小説ではその反対だ。ようやく解放になった。そこで、満洲では中国人たちが朝鮮人を攻撃し始める。日本の手先だったという理由である。小説はこの部分で急に終わっている。怒りと憎悪の狂気で左衝右突の小説を導いて来たが、これ以上進める気力が尽きたのだ。

   日帝下植民地時期は、収奪と虐殺に満ちた、怒りと憎悪だけで説明することができる時代ではなかった。受難と侮蔑の時代ではあったが、新しい学習と成就の時代でもあった。植民地期の民族史的または世界史的意義を全体的に理解するためには、このような均衡の取れた視覚が必要だ。私は、これから誰か新しい歴史小説家が出て、植民地期の収奪と開発を象徴する金堤と群山の歴史を省察の歴史小説として再び書いてくれることを待ちこがれてやまない。

(終)

〜歴史小説(10)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/06 20:05 投稿番号: [778 / 1474]
monju_jz さん、関連資料の提示ありがとう(^o^)/




[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論

大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号

                (翻訳10)


5   怒りと憎悪の狂気

   『アリラン』が描き出している幾多の話が、それに相応する年代記上の事件との関連でどんなに食い違ってどれほど拗じれているかをいちいち検討するには、許された誌面があまりにも少ない。だから、最後に、第4巻の冒頭にある「作家の言葉」と、第12巻の末尾にある執筆後記「文字の監獄から仮出獄」を中心に、『アリラン』を導いている小説家の精神世界について簡単に考察する。

  「作家の言葉」において、小説家は、日帝下36年の間に日帝の銃刀に虐殺された我が同胞たちの数は果してどれくらいなのかという質問を投げた後、「私は、それを300万人から400万人ではないかと見ている。」と明らかにしている。そして彼が『アリラン』を書くようになったのも、その見当数字を具体的に明らかにするためだと述べている。300万〜400万人と言えば、ヒトラーのユダヤ人虐殺の規模のようだ。ただ、ユダヤ人はわずか3年の間に虐殺された。それに比べて、朝鮮人は36年間にわたり少しずつ虐殺された。死の苦痛はどちらが大きかったのか。小説家は、断然、朝鮮の方だと言う。「先に罵倒される奴がましだ」と言う論理である。しかし韓国人たちはヒトラーのユダヤ人虐殺は知りながら、何の理由で日帝の朝鮮人虐殺に対しては数字の見当さえもつかない蒙昧な国民になってしまったのか、と小説家は慨嘆を繰り返している。

   「文字の監獄から仮出獄」では、原稿用紙2万枚に達する『アリラン』を4年8ヶ月にわたって書くことになった動機がもう少し具体的に提示されている。彼は、小学校時代から日帝下36年の間、我が同胞たちが日本の人々に数えきれないほど殺されたが、学校ではどうしてそんなことを教えないのか疑問を抱き、そのこと対して怒って来たと言う。そういう疑問は大学の時まで続いたが誰も教えてくれなかった。自ら覚醒して悟って見れば、日帝下の親日派たちが解放後にも社会と国家のすべての分野を完璧に掌握したからだった。彼らによって日帝のおびただしい虐殺犯罪が意図的に忘却された。一言で言えば、解放後の韓国は「無策と嘘とまやかしが横行して、政府さえ総体的不正と定義せざるを得なくなった社会」だった。

   このような事実を自ら覚醒して知る過程で、小説家は絶えず苦しんだ。いよいよ「反逆の歴史に対する怒りが理性化され、憎悪は論理化されて行った」。 その「理性的怒り」と「論理的憎悪」に即して、植民地時代の歴史を具体的かつ総体的に知らせるために書いたのが『アリラン』だった。原稿紙2万枚400万字は、36年の間に虐殺された民族の数を象徴する。

  
(続く)

Re: 〜歴史小説(8)

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/12/06 11:36 投稿番号: [777 / 1474]
>元々そうだった地域が今日のような豊かな農業地帯に変わり始めたのは、植民地時期に行った水利事業のためだった。荒れ地を捨値で買受けた日本人農場主たちが、その水利事業の主役だった。

その主役の一人藤井寛太郎氏の記事が京城日報にあります。
「郡山」、「水利組合」、「貯水池」、「不二興業」などのキーワードが合致します。イ・ヨンフンの論文を裏付ける資料として以下に紹介しておきます。

京城日報 1935.9.10(昭和10)
--------------------------------------------------------------------------------
南に水利・西に干潟   今や美田の謳歌
二十八の青年に燃えた意気!   藤井寛太郎氏
--------------------------------------------------------------------------------
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474882&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00474882

>例をあげれば限りがないから、この一例にとどめて次に朝鮮につくしたもののうち地方開発の主なるところを拾ってみよう
藤井さんは前記の如く来鮮以来、農事改良や水利開墾に力を尽して群山地方の土地を買収し農業経営に着手すると共に南鮮地方に水利事業を、西鮮地方に干潟地開拓事業等を起し朝鮮産業の開発に貢献してきたが、水利組合では大正四年に着工した大正水利組合がある同七年に完成、
更に拡張工事を進め一大貯水地の築造計画をたて百万円を投じ同十一年に着工し、同十三年に完成、現在では一万一千余町歩の灌漑面積を有するに至った、

また益沃水利組合及臨沃水利組合の灌漑事業改善を計画して、大正九年に両者を合併、自ら組合長に任じて工事を進捗させ同十一年四月に水路大幹線の延長十八里にわたる大工事とその付帯工事を完了、
併せて外人技師を招いて三年の日月と、二百三十万円の巨費を投じ朝鮮最初の鉄筋コンクリートのダムを使用する大貯水池をつくりあげた

この威力は、大正十三年の大旱魃に際して他の耕地はあわれにも枯死したが、同地だけは青々と生育して凱歌をあげた、
更に大正九年足を汀原道にのばして鉄原郡および平康郡の土地を不二興業会社に譲り受けこの高原地帯の不毛の地を開拓して美田と化した、

次に同氏にとって忘れられぬことは移民計画であろう
西鮮農場の四千五百町歩鉄原農場の同じく四千五百町歩および沃溝農場の一千町歩に朝鮮人を移住させ、また沃溝農場には理想的内地人農村を建設し大正十三年の第一回移民の如きは当時干潟地を耕作し戸当り四十五石を収穫したものである、
爾来引きつづき移民を募集して現在三百五十戸となり全北農場には二百二十三戸の内地人を移住させて不二農村を完成させた

以上土地改良をなした総面積は四万七十余町歩これに投じた総事業費は三千三百四十二万円に達している、
なお大正十五年本府の産米増殖計画の実行に当り その代行機関として朝鮮土地改良株式会社を創立し専務取締役となったが、この会社は周知の如く国の方針により目的を達して解散してしまい、今は不二興業の王城に采配を振って、益々巨歩を進めている

〜歴史小説(9)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/05 23:47 投稿番号: [776 / 1474]
[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論

大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号

                (翻訳9)

4   金堤平野と東津水利組合(3)

  このような、地域の破天荒とも言える歴史を小説家は知っているのか知らないのか。『アリラン』全巻にかけて、東津水利組合に関する言及は一言も見えない。この水利組合を象徴する朝鮮第一の雲岩堤についても同じだ。小説家が、植民地時代の水利組合とそれに対する反対運動を知らなかったのではないようだ。小説の中の仮想の事件は次のとおりだ。

  「1929年ごろ、金堤東拓農場で小作争議が発生した。共産主義系列の青年会が介入して、小作争議を水利組合反対運動へ誘導している。」(9巻52p,61p,65〜66p)  

   ところが、小説家は、その水利組合がどの水利組合なのか名前を明らかにしていない。その地域なら当然「東津(トンジン)」という名前が考えられる水利組合だ。このように、小説家は事件の空間設定に真剣ではない。ただ水利組合反対運動をお決まりのように持ち出しただけだ。

   同じく小説の中の話だ。

   「1920年代初頭、日本の農業会社不二興業が干拓工事をした。3年間にわたった工事の結果、2500町歩の新しい農地が造成された。その農地の用水源は干拓地の真ん中の広さ97万坪の貯水池だった」(7巻14p,232p)。

  ここでも不二興業の干拓地が金堤郡のどの村なのか、その巨大な貯水池の名前が何なのかを小説家は指摘していない。実際、不二興業の農場は金堤郡成徳面一帯に分布していた。小説家が書いたその貯水池は、たぶん成徳面の菱堤なのだろう。私は小説家が実際そこを訪問したと推定する。97万坪と言う貯水面積も、その時得た数値なのだろう。

   それにも拘わらず彼が貯水池の名前を言わない理由をよく納得できない。現地の郷土史家の案内を受けてそこに立ち寄ったが、ただ慣性で大まかに目を通しただけだったのだろう。しかし、その平坦な野の真ん中にそのように広い貯水池があるということを、奇妙に感じなかったのだろうか。菱堤は東津川を水源とする揚水貯水池であり、1930年に完工した。揚水貯水池だから平野の真ん中にそんなに大きい貯水池が築造できた。言い換えれば、東津水利を排除しては説明ができない干拓事業であり、その用水源だった。それでも小説家はそのことに関して沈黙している。いや、真剣ではなかったからその歴史の中に入らなかったのだ。

   雲岩堤と東津川に象徴される金堤平野の水利事業は、植民地時代の農村開発の代表的な象徴だ。小説家はその歴史の現場を小説の主舞台として設定した。それなのに、小説家は、その地域の住民なら誰でも慣れ親しんでいる、今も村々に固有の記憶として残っている、その地域のそういう歴史に無関心だった。小説家が関心を持ったのは、始めから、日本人地主と親日派の収奪、それだけだった。荒れ地から何を収奪するのか。実際、この地域に関する経済史研究を見れば、最初の荒れてさびしい未墾地が肥えた農業地帯に開発されると人口が集まって来た。湖南線の向こう側、昔の全羅左道の山間農業地帯、まさに水利組合が設置されない地帯の人口が、植民地期にかけて西海岸方向に移動した。小説のように奪われ追い出されて満洲へ追い出されたのではなく、その反対だった。

   もし小説家がその広い平野に存在する村々に入って行き、平野と村の歴史について真剣に聞き取りをする時間を持ったなら、彼は、開発と収奪の間に暮らした時代の人間たちが生身でぶつかった喜びと悲しみの歴史を、まさに省察的な歴史小説として復旧することができたはずだ。惜しくも、彼はそういう準備作業に忠実ではなかった。それで結局、その地域の真の歴史とは無関係な異邦人としてその外をぐるぐる回わっただけだ。


(4終わり、5に続く)

〜歴史小説(8)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/05 22:38 投稿番号: [775 / 1474]
toapanlangさん、石落の御教示ありがとう(^^)/



[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論

大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号

                (翻訳8)

4   金堤平野と東津水利組合(2)

   元々そうだった地域が今日のような豊かな農業地帯に変わり始めたのは、植民地時期に行った水利事業のためだった。荒れ地を捨値で買受けた日本人農場主たちが、その水利事業の主役だった。1906年に大韓帝国水利組合条例が発布されると最初に組織された水利組合が、群山に本部を置く沃溝西部水利組合だ。まもなく臨益水利組合、臨陂中部水利組合、臨益南部水利組合、全益水利組合が1909年までに順次設立された。1910年まで全国で計7つの水利組合が生まれたが、その中にあって、群山金堤一帯だけで上のように5つの組合が生じたのだ。金堤平野一帯は韓国近代水利事業のメッカだ。そこでは、創始期の水利事業は、既存の水利施設である堤堰と「&#27921;」を拡張したり、海水の侵入を阻むための防潮堤の築造を主要内容とした。

   李完用が土地を買い入れたという西海岸の進鳳面に防潮堤が築造されるのは、1924年のことだ。それ以前に、東津川河口の低湿地一帯を李完用が地位を利用して3000〜5000石落(およそ3000〜5000町歩)も用意したとは、いくら小説だとしてもまことに荒唐な発想だ。ところで、既存の水利施設と防潮堤だけでは根本的な問題は解決されなかった。その広い平野を潤す水が極端に不足していたからだ。3.1運動が起きた1919年に大干ばつが生じた。その年、進鳳面と竹山面の4千余町歩は収獲が全然ないという惨状を呈した。

   水利の抜本的な対策は、1925年に設立認可された東津(トンジン)水利組合が立てた。遠く全羅北道鎭安と淳昌に源を発し南へ流れて麗水湾へ出る纎津江の豊かな水を利用する発想が、その出発だった。1910年代に発達した航空地図法が、このような発想に科学的な根拠を提供した。工事は纎津江をダムでせき止めた後、金堤方面の山奥でトンネルをくぐって東津川へ水を逆流させる、いわゆる河川流域変更方式だった。そして東津川のあちこちに取水口を設置して、金堤、井邑、テイン、扶安など湖南平野の隅々まで農業用水を豊かに供給するという事業計画だった。
   1928年12月、いよいよ高さ33mの雲岩堤が完成した。このダムは1940年に着手され、1961年に完工された纎津江多目的ダムによって水没するまで、南韓地域に存在した最大のダムであり貯水池だった。

   工事計画が発表されると、一帯で騷乱が発生した。ダムに水没することになる地区の住民たちが一番激しく反対したのはもちろんだ。1919年、測量技術者たちが最初に水没予定地区に入って行き、住民たちから暴行を受けた。その他多様な衝突や請願を含めて、1920年代に展開された東津水利組合反対運動は、その規模や強さで全国的な注目の対象になった。水利組合が設立された以後にも、既存の水利体系の変動による複雑な利害関係でいろいろな悶着が絶えなかった。例えば、『東亜日報』1931年8月8日付けを見ると、益山金堤の軍民数百人が水利組合の万頃江堤防を破壊する騷動を起こすと武装警官が出動するまでになったが、その堤防で彼らの田の排水が不可能になったという理由であった。ともかく、これら幾多の紆余曲折を経ながら、1910年代まではあちこちに葦が繁茂する荒れてさびしい野原であったのが、朝鮮第一の穀倉地帯に変わったのだ。

(続く)

Re: 〜歴史小説(7)

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/12/05 21:06 投稿番号: [774 / 1474]
>小説家は、その当時、李完用が金堤郡進鳳面に3000ソクラク(?)ないし5000ソクラクの大規模な土地を持っていたと言う。

「ソクラク」は「石落」と表記しまして、耕地面積の単位です。『時代精神』の原文を読みますと、おそらく貴兄が次回で紹介されるであろう部分に「3000〜5000石落(大略3000〜5000町歩)」と書いていますね。

〜歴史小説(7)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/05 20:18 投稿番号: [773 / 1474]
[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論

大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号

                (翻訳7)

4   金堤平野と東津水利組合

   『アリラン』の主な舞台は、全羅北道の金堤(キムジェ)と群山(クンサン)だ。小説は金堤晩境平野を歩きながら群山に行く三人の話で始まる。以後、小説の舞台は朝鮮、アメリカ、満洲、中国、日本へと千変万化のように移動し、朝鮮内でもソウル、元山、木浦などに慌ただしく移動して回るが、常にまた金堤と群山に帰って来る。その金堤と群山、そしてその間に広がる金堤晩境平野に対して、その地域の地理環境と社会文化、政治経済について小説家はどれくらい分かっているか。その地域の歴史を内面化する現場滞在と実地調査の経験は、どのくらい濃密であったのか。史学が職業である私は、史学のテキストに接する時にはいつもこんなことから考える癖がある。

   『アリラン』では、金堤・晩境平野は「韓半島において唯一、地平線を成している」(第1巻11p)広い平野であり、「実った稲たちの質量感から柔らかくふくよかで厚ぼったくて重たい質感の緑色」であり、「そういう色感に加え、それが皆食糧なのだということまで思いをめぐらせれば、その緑の野原は誰にとってもも限りなく豊かな」(第1巻143p) 平原だ。そしてその場所は、「半島のやせた地に、幸いにも湖南平野が開かれていて、そこで採れる穀食でこの地の命の七割が暮らす」(第1巻12p)穀倉地帯だった。その朝鮮の穀倉が、露日戦争以後、日本人地主の手に落ちて行った。小説家が金堤晩境平野の豊かな緑色を何回も描いたのも、実はそこの土地が少しずつ日本人の手中に渡って行ったことに対する切なさの表現だ。

   小説家は、たまに年代記上の重要人物を小説に登場させる。そこの土地を日本人に最も大規模に売ってしまった人がいる。売国奴李完用だ。年代記上の李完用は、1898年3月からその年末まで全羅北道観察使として在職した。小説家は、その当時、李完用が金堤郡進鳳面に3000ソクラク(?)ないし5000ソクラクの大規模な土地を持っていたと言う。もちろん小説の中の仮想の話だ。露日戦争以後、日本人たちが入って来て土地を買い込み始めた。その時、李完用がその広大な土地を皆日本人に差し出したというのだ。小説のとおりなら、李完用は1905年に国を売る前に金堤晩境平野にある土地から先に売り込んだわけだ。

   私は、金堤晩境平野に関する小説家のこのような空間描写に相対しながら、この人は、水は平地を流れることができないというとても簡単な原理が分からないのだという考えを持つようになった。水は高い所から低い所へ流れるから、稲作は元々渓間農業といって山間地帯から始まった。19世紀末まで、朝鮮の農業は、大きく言えば渓間農業の段階を脱しなかった。平坦な平野地帯が肥沃な稲作地帯に変わるためには、豊かな水源を安定的に確保した上で、水を送って配る工学に基礎した水利施設が精巧に設置されなければならない。障害物がある場所では下をくぐらせ、流れが止まる場所では汲み上げる必要もある。19世紀の金堤晩境平野にはこのような水利施設はなかった。

   さらに、朝鮮王朝の公共機能が脆弱になるに従って、いくらかあった施設さえ崩れて行った。それによって、少し雨が降らなくても大旱魃となり、少し雨が降れば大洪水になるという災難の連続だった。あちこちにうち捨てられた土地が広がる中に葦が繁茂して森を成した。夜になれば随所に出没するオオカミの鳴き声がさびしさを際立たせる荒れ野だった。小説家がいう「重たい質感の緑色」とは距離が遠過ぎる話だ。関連する『東津農組70年史』は次のように記している。

  「この地域は地盤が低く…(中略)…西海の満潮面より90㎝未満で…(中略)…ここが豪雨に遭えば 4〜5日間は水に漬かり、広い平野は茫々大海を成す実情だった。地帯が広くて(碧骨堤が完全だった:筆者追加) 昔は沃土だったから平野であって、雨が少なかったりいつまでも降らなかったりすると、田は田でなくなり、そうかといって畑にもならず無用の物になってしまい、雨が多ければ人命や財産さえ危険を感じる湖に変わるため、人工的な措置なしには天を恨むしかなかった。」

  

(続く)

〜歴史小説(6)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/04 21:20 投稿番号: [772 / 1474]
[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論

大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号

                (翻訳6)

3 千島の大量虐殺(続き)

  この場面は、『アリラン』全編の中でも最も血生ぐさい場面だ。読者たちは、非常に残酷な日本軍の蛮行に身震いをするだろう。しかし、この悽惨な虐殺は果して事実なのか。私は、趙廷来が千島列島や隣近サハリン(樺太)の踏査を敢行してこのような事件を直接聞き取りした可能性を念頭に置きながら、関連の記録を検討して見た。

   結論は、そんなことは無かったというものだ。多くの記録は、その工事現場で朝鮮人労務者が多数犠牲になったことを共通して語っている。シュムシュ島の片岡飛行場には1943年8月以後500〜600人の軍属が一つの大隊に編成されていたが、朝鮮人の割合が圧倒的だった。工事を担当した菅原組の宿舍には何十人が倒れているのか分からない状態で、毎日死亡者が続出したと言う。

  1944年9月、エトロフ島の土木工事には朝鮮人650人と日本人350人が雇用されていたが、1945年5月まで百数十人が死亡し、2百数十人が精神に異常をきたしたり病気のために送還されたと言う。労務者たちを一番苦しめたのは、伝染病だった。劣悪な作業条件と不潔な衛生状態がその原因だった。この点については、チョ・ジョンレも小説でかなりリアルにその悲惨な状況を描いている。ただ、伝染病をコレラと書く過ちを犯しているが、実際は発疹チフスだった。この北方地域はコレラの発生する環境ではない。

  ところが、上記のような虐殺は無かった。そういう記録や証言を捜すことができない。まず、日本軍の虐殺動機について、小説家は何らの説明も付していない。地表に露出している飛行場滑走路と格納庫施設は何か重大な軍事機密なのか。それが虐殺の理由とするなら、初めから話にならない。前述したように、シュムシュ島とエトロフ島では1944年末まで工事が進行中だった。そうだとすれば、その年の初夏に、多くの費用をかけて朝鮮から連れて来た労務者たちを虐殺するには早過ぎないか。

  記録をもう少し検討すれば、日本軍が米軍に押されて列島から北海道へ撤収するのは、1945年の春だ。その時、相当数の労務者も一緒に撤収して北海道の他の工事現場に投入された。サハリンの三井炭鉱に撤収したおよそ2000人の朝鮮の労務者もあった。彼らは栄養失調で足もまとも動かせないほどだった。そういうふうに最後まで引き連れて酷使する方がずっと合理的なのに、何の理由で4000名ももったいない労働力を虐殺したという話か。

  私は、この部分で、ふと、小説家自身が虐殺の狂気に捕らわれているのではないかという思いを抱くようになった。その狂気に関しては、後でまた言及する。小説家が小説の中で作り出した事件に対して問い詰め過ぎではないかと言う批判が予想される。それに対して答えよう。

  1943〜1944年に千島列島において飛行場滑走路工事はあったし、そこに数千人の朝鮮人労務者たちが引かれて行ったのは間違いのない歴史的事件だ。そういう年代記的な事件を背景にした集団虐殺は、そのものが年代記水準の事件として読ませることになる。そして、小説家も隠していないように、小説の意図もそういうものだ。だから問題なのだ。もう一度言うが、チョ・ジョンレの創作世界において、史学と歴史小説の境界は存在しない。両者は混同の中で統合されている。もう一度、文学をする方々に聞きたい。歴史小説家の職業倫理はそれで良いものなのかと…。


(3終わり、4に続く)

〜歴史小説(5)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/04 20:18 投稿番号: [771 / 1474]
[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論

大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号

                (翻訳5)

3 千島の大量虐殺

  『アリラン』に登場する日本人たちは皆が悪人だ。悪魔の化身だ。彼らは限りもなく朝鮮人を殴って奪って劫奪して殺す。一方、朝鮮の人々は終りもなしに殴られ、奪われ、劫奪されて殺される。『アリラン』には、前述した土地調査事業当時の即決事例を別にすれば、日本人による朝鮮人のホロコーストが三回にわたって演出されている。義兵運動(1906〜1909)、3.1運動(1919)、千島飛行場工事(1944年)がその舞台だ。

  このうち、義兵運動と3.1運動の被害についてはこれまで歴史学者たちが取り上げて来た数字があって、小説家もそれから大きく脱していないからここでは取り上げない。ただ、小説家が、義兵運動の当時、日本軍が「一掃作戦」を展開して、義兵に係わる村に対して「家ごとに人々を追い出して男たちは射殺して」(2巻134p)、また「三光作戦」といって「全部殺して、全部燃やして、全部奪う」(5巻342p) 焦土作戦を展開して数万人の民間人が死んだと言う記述だけは、歴史的事実から大きく離れたひどい誇張であることを指摘しておく。

  ここでは、1944年に千島列島であったという虐殺について検討して見る。千島列島はクリル列島とも言って、今はロシア領だが1945年まで日本領だった。その択捉島の単冠(ヒトカップ)湾から、1941年12月、アメリカ真珠湾を攻撃した日本艦隊が出撃した。それほどの軍事的要衝だった。1943年になると太平洋戦争の情勢が傾き、米軍が北から千島列島を攻略し始めた。日本軍は急いで千島列島を軍事基地化するために大規模土木工事を行った。その時幾多の朝鮮人たちが徴発されてその工事現場に連行されて行った。『アリラン』第12巻45章「あなたは知るか」はその悲劇的な工事現場を背景にしている。

  小説によれば、工事は飛行場滑走路を整備し、周辺の山すそに飛行機の格納庫を作ることだった。小説家は、工事が行われた島と飛行場の名前を具体的に記していない。このように事件の空間背景を明確にしていない点は、小説の中の多くの他の事件でもよく確認される。私は、そういうことでは歴史小説として欠格だと思う。千島列島は、北のカムチャッカ半島から南の北海道までを連結する約30の島で成り立っている。記録によれば、そこで1943年夏から行われた大規模軍事土木工事としては、シュムシュ島(占守島)の片岡航空基地防空トンネル工事と択捉島の天寧航空基地工事が代表的なものだ。前者は菅原組という土木会社が、後者は瀬崎組という土木会社が、日本海軍の請負を引き受けて工事を進行した。労務者の徴発もこの二つの会社が担当したが、その点は小説の説明と違う。ともかく、この二つの工事のどちらかが小説の素材になったようだ。

  小説を紹介する。

  「いよいよ工事が仕上がった。1944年初夏の頃だ。日本軍は偽りの空襲警報を鳴らして1千人の朝鮮人労務者たちを防空壕に閉じこめた。そうしておいて、30分間手榴弾を投げこんで機関銃射撃を加えて彼らを皆殺しにした。防空壕の入口はコンクリートで封鎖された。防空壕の入口から何かがひたひたと流れ出始めた。それは真っ赤に咲いた。機関銃は30分以上乱射された。時間が経つに連れて血は小川のように流れ出ていた。……中略……そこへ徴用で連れられて来た1千余人は、結局一人も生き残ることができなかったのだ。千島列島の多くの島では、そんなふうに4千余人が死んだのだ。」
(第12巻158p)

(続く)

日本への憎悪をつのらせる歴史小説(4)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/03 22:37 投稿番号: [770 / 1474]
[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論

大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号

                (翻訳4)

  ところが、上のような即決銃殺刑は土地調査事業の当時には無かった。いや、有り得ないことだった。これまで、事業に関する論文や研究書でそんな事件が紹介されたことはない。当時の新聞や雑誌がそういう事件を報道したこともなかった。実際にあったなら、言論が報道をしないわけはない大事件だ。それなのに、小説家は、当然あった年代記水準の事件のように語っている。先に見たとおり、「警察令」に言及しながら即決銃殺の法的根拠を提示しているからだ。小説の他の部分で、小説家は、それの正式名称が「朝鮮警察令」であり、「事業を推進するに当たって妨害するとか反対をする勢力のある時はびびし取り締まって一掃するため」(3巻173p)、 「人を裁判無しに即決処刑することができる権限を警察に付与した」(3巻180p) としている。しかし、「朝鮮警察令」などという法令は存在しなかった。

  国家権力が人を殺す時は所定の手続きによる裁判を通さなければならないことは、あの当時も今も同じだ。事業進行中の1913年の一年間に、53人が殺人や強盗の罪状で死刑宣告を受けた。皆、覆審裁判であった。第一線の警察が裁判を経ずに人を留置場に拘留したり罰金を科することができる即決処分は、それをできる場合というものが法で厳格に規制されるが、その点も、あの当時でも今でも同じだ。植民地期について言えば、1910年12月に発布された「犯罪即決令」がその母法であり、それに根拠して1912年3月に「警察犯処罰規則」が公布された。そこには警察が即決に処することができる軽犯罪87種が列挙されている。例えば第1項は、「理由なく他人の住居や建築物や船舶に侵入した者」だ。

  趙廷来は、当時このように警察の権限を細密に規定した法令と規則があったことを知っていた。植民地初期に発布された多くの法令に言及する小説の部分で「警察犯処罰規則」に言及しているからだ(3巻68p)。この事実は、彼が「朝鮮警察令」と言う法令が実際には無かったことをよく知っていたことを示す。それなのに、彼は、平然とそういう法令を作り出して、一警察が人を即決銃殺する場面を小説で二回も演出した。そして、土地調査事業の全期間にわたってそういう即決事例が4000余件にもなったとまで言っている。

  彼が存在しなかった法令を引用しながら年代記のような事実を創作し出す腕前は、小説の書き起こしから確認される。彼は、露日戦争中の1904年7月に、ある日本人の口を借りて、「今月から朝鮮の治安は皆私たち日本軍が引き受けることになった。それがまさにお前たちの王様が決めたことだ」と言いながら「軍事警察訓令」をその根拠として提示している(1巻30p、32p)。ところがそんな訓令など存在しなかった。

  先ほど、私は、歴史小説は年代記水準の事実を忠実に配した後、その空いた空間を小説家の想像力で補って行くものと言った。史学と歴史小説の境界がそこにあると言った。ところが趙廷来は、年代記水準の事実を自分が直接創作している。言い換えれば、史学と歴史小説の境界が彼には無い。不本意ながら境界を混同するのではなく、初めから境界を開いてしまうことで史学と歴史小説を一つに統合してしまった。歴史小説をそのようにも書ける可能性を見せてくれたという点に、歴史小説家趙廷来の偉大な業績があるようだ。だが、文学をする方々に問いたい。そのように歴史小説を書いても良いものなのかと……。


(続く)

Re: 日本への憎悪をつのらせる歴史小説(2

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/03 22:31 投稿番号: [769 / 1474]
そして、その影響(悪影響)は大きいです。今紹介している話も同じです。

Re: 日本への憎悪をつのらせる歴史小説(2

投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2007/12/02 21:30 投稿番号: [768 / 1474]
>我々の時代の進歩的知識人

進歩的知識人というのは日本でも韓国でも史実を捻じ曲げる嘘つきということで処理しましょう。

日本への憎悪をつのらせる歴史小説(3)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/02 19:33 投稿番号: [767 / 1474]
[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論

大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号

                (翻訳3)


2 一介の警察官による即決銃殺

  「今から重大事項を公布するから、みんな良く聞け。あそこに縛られているチャ・ガプスは、昨日、地主総代に暴行を加え、致命傷を与えた。その蛮行は、まさに総督府が推進している重大事業である土地調査事業を悪意によって妨害して撹乱する、許すことができない犯罪行為だ。したがって、罪人チャ・ガプスは警察令によって銃殺刑に処する!」  

日本刀を抜いて立つ駐在所長の渇いたような叫びだった。<中略>

「射ち方用意!」

駐在所長が日本刀を持ち上げながら叫んだ。四人の巡査が一斉に銃の狙いをつけた。

「撃てぇ」

銃声が轟いた。チャの身体が突然跳ね上がったかと思うとたちまちくず折れた。そして、左胸から真っ赤な血が滴り落ち始めた。」

(第4巻81〜82p)




  日帝が朝鮮を植民地として掌握した後直ちに実施した土地調査事業(1910〜1918。 以下「事業」と略する。)を背景とした小説の一場面だ。具体的には、全羅北道の金堤郡竹山面ウェリがその舞台だ。チャ・ガプスという農民が土地を申告したところ、地主総代が申告書に印鑑を押してくれなかった。生きるための命綱のような土地を奪われることになったチャ・ガプスが、たまりかねて地主総代の胸を押した。後ろに倒れた地主総代は脊椎が折れる重傷を負った。すると、金堤警察署竹山駐在所の所長がチャ・ガプスをウェリ村の鎮守の森の木に縛り付け、即決で銃殺刑に処した、まさにその場面だ。

  このように、第一線の駐在所の一介の警察官が即決で人を銃殺する場面は、小説において、郡内の他の町内を舞台としてもう一度繰り返されている(4巻279〜280p)。 全羅北道の益山でも同じ事件があったといううわさだ。ある農民が地主総代を鍬で殴って殺し、その日に銃殺となった(4巻65p)。 そして、土地調査事業の全期間を通じて、このような即決事例が全国的に4000件余に上ったと小説家は語っている(5巻343p)。

  趙廷来によれば、総督府が事業を施行した目的は土地の収奪にあった(4巻51p)。この機会に尻馬に乗って土地の収奪に狂奔する日本人地主と朝鮮の親日派たちのあくどい陰謀と露骨な悪事を、小説家は豊かな想像力で生き生きと描写している。後で土地を奪われるようになったことに気づいた農民たちが身をもって抵抗すると、上のように現場の警察官が即決で銃殺するという弾圧をほしいままにした。

   上の銃殺の場面は、『アリラン』を読んだ数十万の読者たちの胸に深い傷を残したはずだ。評論家たちも、この場面を指して、「土地調査事業を扱ったこの部分は、歴史的意味の浮上だけではなく、小説的現象化においても最もずば抜けた成功をしている部分だ。」と褒め称えてやまない。

(続く)

日本への憎悪をつのらせる歴史小説(2)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/02 10:30 投稿番号: [766 / 1474]
[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論
狂気を帯びた憎悪の歴史小説家、趙廷来   大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授]

季刊『時代精神』   2007年夏号

                (翻訳2)

  歴史小説についてよくは分からないのにむやみに話すのは怖いが、歴史小説と史学との関係に対して簡単に説明しておく。歴史小説は、歴史的に発生した実際の事件や人物を素材にした小説だ。そこには二つの種類があるようだ。第一は、素材として選択された歴史的事件や人物に関して残り伝えられる史料が非常に少なく、小説がほとんど小説家の想像力に頼って壮大な虚構として作成される場合だ。黄翛暎(ファン・ソギョン)の 『張吉山』がその良い例ではないかと思う。実は、麗水・スンチョンの反乱事件を扱った趙廷来の『太白山脈』もその種類に属すると言える。『太白山脈』では、史学側から批判すべき年代記水準の事実歪曲は見えない。

  二番目は、小説の素材になった事件や人物が近い過去に属していて、関連史料が豊富にある場合だ。そんな種類の小説として私が読んだものを一つ紹介すると、ソ・ギウォンの『光化門』を挙げることができる。19世紀後半の開港期に、興宣大院君を主人公にして、当時の朝鮮王朝が面した危機的状況を描いた小説だ。ここでは、実際に起きた事件と実際に活動した人物たちで小説のストーリーが編まれているから、読者たちは年代記形式の歴史書という感じで小説を読む。小説家は、まず残り伝えられている史料を渉猟して、実際に起きた年代記的事実を忠実に配置する必要がある。史料がどれほど多いと言っても、歴史的事件の全貌を再現するには法外に不足だ。残り伝えられる史料は、本質的に偶然に過ぎない。史学が直面するこのような制約が、歴史小説の出発点ではないかと思う。資料からは見えない部分で実際は何が起きたのか、小説家は自分の歴史的想像力を動員して事実と事実の間の空間を埋めていく。

  韓国にも広い読者層を持つという日本の「国民作家」司馬遼太郎(1923〜1996)は、そんな作業を立派に遂行した代表的な歴史小説家として数えることができる。彼は、代表作『竜馬が行く』を執筆するとき、「トラック一台分の資料が必要だ」と言った。彼の歴史小説は、まず事実の緻密な考証で読者たちの賛嘆を誘う。司馬は、小説の主人公の人柄を通じて、または主人公の言葉を借りた歴史的事件の解釈を通じて、自分の創作精神が人間の自由平等と合理実用主義にあることを示す。小説の中の歴史的事件は、このような小説家の創作精神を濾過しながら、当代の人間たちが志向する時代精神として蘇る。露日戦争を素材にした司馬の『坂の上の雲』について、日本人たちが「小説形式を借りた明治日本の最高の歴史書」と賛辞を送る理由は、まさにこういうものだ。

  趙廷来の『アリラン』は、二番目の類型の歴史小説に属する。小説の背景は、1904〜1945年の植民地時代だ。小説は、1904年の露日戦争から始まり、乙巳条約、義兵運動、韓日併合、土地調査事業、3.1独立運動、独立軍の青山里大勝、関東大地震、農民労働運動、産米増殖計画、光州学生事件、赤色労組運動、東北抗日連軍、戦時期の徴用、解放に至るまでの時代の年代記を主要素材にしている。小説の舞台も、年代記によって朝鮮、ハワイ、満洲、中国、日本など縦横無尽に変わる。小説家は、各地域にあらかじめ配置しておいた自分の代理人を通じて主要な歴史的事件に関する自分の立場を遠慮なく表現して見せる。そんな理由で、一般読者には、『アリラン』は小説の形式を借りてはいるが植民地時代に関する通史的歴史書として読まれることになる。作家もその点を隠していない。小説を終わらせた後、作家は、「植民地時代の歴史を具体的、総体的に知らせるために小説を書いた。」と述懐している(『アリラン』第12巻323ページ以下)。

  これで、史学を職業とする私がチョ・ジョンレの『アリラン』を批評の標的にする根拠は充分に提示された。趙廷来は『アリラン』の執筆において、司馬遼太郎がしたように「トラック一台分の資料」を見たのか。彼の小説で取り扱われている年代記水準の諸事実は正確なのか。それほどに、彼は、歴史学と歴史小説の境界を明確にしているか。それほどに、彼は、歴史小説家として職業倫理に忠実な作家か。こんなふうな問いを発することができるのは、彼が扱った年代記水準の歴史的事実に関しては、官報、新聞、雑誌など読まなければならない史料がトラック数十台分も伝えられているからだ。


(続く)

日本への憎悪をつのらせる歴史小説(1)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/02 08:01 投稿番号: [765 / 1474]
  「射ち方用意!」   駐在所長が日本刀を持ち上げながら叫んだ。四人の巡査が一斉に銃の狙いをつけた。
  「撃てぇ」   銃声が轟いた。チャの身体が突然跳ね上がったかと思うとたちまちくず折れた。そして、左胸から真っ赤な血が滴り落ち始めた。




   日本軍は偽りの空襲警報を鳴らして1千人の朝鮮人労務者たちを防空壕に閉じこめた。そうしておいて、30分間手榴弾を投げこんで機関銃射撃を加えて彼らを皆殺しにした。防空壕の入口はコンクリートで封鎖された。防空壕の入口から何かがひたひたと流れ出始めた。それは真っ赤に咲いた。機関銃は30分以上乱射された。時間が経つに連れて血は小川のように流れ出ていた。





   韓国ではこんなふうに、日帝は土地調査事業に反抗した農民を警察署長の即決によって4000人も銃殺に処したとか、千島列島の飛行場整備に朝鮮人を駆り出して、用がすんだら手りゅう弾と機関銃で虐殺したとかいう話が、おそらく相当広く信じられているようです。こんなことが実際にあったと信じる者たちが、強い反日感情を抱き、日本を憎悪するのもある意味当然かも知れません。



 
   ご存知、ソウル大学のイ・ヨンフン教授が、気合の入った文章で、このような虚構を流布する歴史小説を強く批判しています。








[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論
狂気を帯びた憎悪の歴史小説家、趙廷来   大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授]

李栄薫(イ・ヨンフン)
ソウル大学韓国経済史博士、タサン学術文化財団理事、落星垈経済研究所所長、経済史学会研究理事、『時代精神』編集委員。著書として『数量経済史で見直す朝鮮後期』、『解放前後史の再認識(共著)』、『国史の神話を越えて(共著)』 などがある。


季刊『時代精神』   2007年夏号  
http://www.sdjs.co.kr/read.php?quarterId=SD200702&num=108


                       (翻訳1)

1 序論   : 歴史学と歴史小説

   趙廷来氏は、今日、韓国社会で一番広く知られた小説家の一人だ。(以下、敬称省略。) 私は小説を熱心に読む方ではないが、当代の小説家と言えば、李文烈(イ・ムニョル)、黄翛暎(ファン・ソギョン)、そして趙廷来(チョ・ジョンレ)は知っている。趙廷来は経済的に成功した小説家だ。彼の大河小説『アリラン』12巻はおおよそ350万部も売れたと言う。ある人物の社会的名声と経済的成功には、すべてそれだけの理由があるものだ。彼は20世紀末の韓国の時代精神を鋭敏に捉えて、それを小説家の創作精神で吸引して歴史小説に具体化させた。その作業において彼は熱心であったし、また勇敢であった。彼の成功にそういう賛辞を惜しむ理由はない。

   趙廷来の創作精神を一言で要約すれば、左派民族主義ではないかと思う。彼に歴史小説家としての名声を与えた『太白山脈』(1986〜1989)は、広く知られたとおり、解放空間において大韓民国の建国に抵抗した左派政治勢力に道徳的に高い点を与えた。そのため、彼は韓国の公安政府から政治的弾圧を受けたこともある。続いて出た植民地時代を舞台とする『アリラン』(1990〜1994)の基本精神は民族主義だ。ここでは左派理念のにおいはあまり強く漂わない。小説家の理念的志向は、むしろ無政府主義に似ている。

   ともかく、この二つの歴史小説を通じて、趙廷来は、自分の政治的理念が左派民族主義を志向していることを明確にした。周知のように、1997年の金大中政府の成立をきっかけとして、左派民族主義が韓国政治において支配的な理念として位置を占めた。趙廷来は、そういう変化が起きる10年前から左派民族主義を彼の創作精神で昇華させ、小説という形態で普及することにつくした。そして、市場は、彼の先駆的努力に対して社会的名声と経済的成功で報いた。

   私は、この文で趙廷来の左派民族主義に対して批判するつもりは全くない。彼の歴史小説が文学的にどんな価値を持っているかは私の職業能力の範囲外だ。私は、この文で、趙廷来の『アリラン』を対象にしてその史学テキストとしての価値を評価しようと思う。歴史小説と史学テキストとは無関係ではない。そして、私は、職業が史家だからそんな事をしても良いという多少の資格を保有していると思う。

   (続く)

Re: 済州島の抗日運動

投稿者: hisatukai 投稿日時: 2007/11/29 16:18 投稿番号: [764 / 1474]
併合時代には満蒙で「日本人」として虎の威を借る振る舞いをし、戦後は日本が感知し得ないところで、大枚はたいて馬鹿げた抗日イベントを繰り広げている。
国家精神として、これ程迄歪みを引き摺っている国家も珍しい。
永遠に引き摺っていろ、朝鮮人。

Re: 済州島の抗日運動

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/11/27 01:21 投稿番号: [763 / 1474]
>『要するに利権争い』
>『要するに労働争議』

ええ。まさにただそれだけの話です。むしろ労働争議を起こせるほど日帝の支配とやらは甘いものだったんですかねぇ。
ま、「匪賊も烈士」のお国ですからネェと言えばそれまでか(哄笑)

済州島の抗日運動

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/11/27 01:05 投稿番号: [762 / 1474]
>しかし実際の独占価格は適正価格に対して大体どのくらいの比率だったかと聞くと、「そ   も   そ   も   そ   の   資   料   が   か   な   い   」、というような事を言っていた。

お約束ですな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
済州島の抗日運動

つぎは97年に建てられた済州抗日記念館に行く。天安にある抗日記念館と違って拷問のジオラマはない。しかしここには1919年3.1独立運動に先立って1918年法正寺の坊さんが管理商人が海産物を独占したのに怒り、400人で官吏たちを襲った。韓国内では最初の大きな抗日運動らしい。その後、1919年朝天万歳運動、海女に対して入海料や独占価格を押し付けて反対運動を起こした1932年海女抗日運動に続く。ここにも日本語が出来るガイドがいたが、さすがに日本人の私が来るとびっくりしたようだ。しかし実際の独占価格は適正価格に対して大体どのくらいの比率だったかと聞くと、そもそもその資料がかない、というような事を言っていた。それでは日本人を納得させることは出来ないと思った。『官吏役人商人が日本軍人と結託して悪いことをした』『勇敢にも何人かが立ち上がった』それだけで17721坪、60億Wかけて建物を建ててしまうこの人たちの民族精神には頭が下がるばかりだ。

http://plaza.rakuten.co.jp/KUMA050422/diary/?ctgy=2

1918年 『法正寺(ポプジョンサ)抗日運動』 の実態

  1918年に済州島の管理商人(朝鮮人)が海産物を独占したことに怒り、法正寺の僧侶が400人で官吏たちを襲った。
  どうやらそれまでは寺に管轄権があった模様、『要するに利権争い』

1932年『海女抗日運動』   の実態

  海女に対して入海料を課したことや、公定価格を設定したことに対する反対運動
  『要するに労働争議』

韓国人による煽りネタ

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/11/25 01:43 投稿番号: [761 / 1474]
よく韓国人が使う、日本に対する煽りネタ。捏造や歪曲、事実誤認が多く含まれるために、自爆も多い。

http://naver.uwakina-honeypie.com/index.php?%B4%DA%B9%F1%BF%CD%A4%CB%A4%E8%A4%EB%C0%FA%A4%EA%A5%CD%A5%BF

韓国の姓の人口と順位

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/11/23 22:34 投稿番号: [760 / 1474]
韓国の姓の人口と順位

001 (金) 9,925,949

002 (李) 6,794,637

003 (朴) 3,895,121

004 (崔) 2,169,704

005 (鄭) 2,010,117

006 (姜) 1,044,386

007 (趙) 984,913

008 (尹) 948,600

009 (張) 919,339

010 (林) 762,767

011 (呉) 706,908

012 (韓) 704,365

013 (申) 698,171

014 (徐) 693,954

015 (權) 652,495

016 (黄) 644,294

017 (安) 637,786

018 (宋) 634,345

019 (柳) 603,084

020 (洪) 518,635

韓国の姓の一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%A7%93%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
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