日本への憎悪をつのらせる歴史小説(4)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/03 22:37 投稿番号: [770 / 1474]
[企画] 我々の時代の進歩的知識人
④
趙廷来(チョ・ジョンレ)論
大河小説『アリラン』を中心として
[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号
(翻訳4)
ところが、上のような即決銃殺刑は土地調査事業の当時には無かった。いや、有り得ないことだった。これまで、事業に関する論文や研究書でそんな事件が紹介されたことはない。当時の新聞や雑誌がそういう事件を報道したこともなかった。実際にあったなら、言論が報道をしないわけはない大事件だ。それなのに、小説家は、当然あった年代記水準の事件のように語っている。先に見たとおり、「警察令」に言及しながら即決銃殺の法的根拠を提示しているからだ。小説の他の部分で、小説家は、それの正式名称が「朝鮮警察令」であり、「事業を推進するに当たって妨害するとか反対をする勢力のある時はびびし取り締まって一掃するため」(3巻173p)、 「人を裁判無しに即決処刑することができる権限を警察に付与した」(3巻180p) としている。しかし、「朝鮮警察令」などという法令は存在しなかった。
国家権力が人を殺す時は所定の手続きによる裁判を通さなければならないことは、あの当時も今も同じだ。事業進行中の1913年の一年間に、53人が殺人や強盗の罪状で死刑宣告を受けた。皆、覆審裁判であった。第一線の警察が裁判を経ずに人を留置場に拘留したり罰金を科することができる即決処分は、それをできる場合というものが法で厳格に規制されるが、その点も、あの当時でも今でも同じだ。植民地期について言えば、1910年12月に発布された「犯罪即決令」がその母法であり、それに根拠して1912年3月に「警察犯処罰規則」が公布された。そこには警察が即決に処することができる軽犯罪87種が列挙されている。例えば第1項は、「理由なく他人の住居や建築物や船舶に侵入した者」だ。
趙廷来は、当時このように警察の権限を細密に規定した法令と規則があったことを知っていた。植民地初期に発布された多くの法令に言及する小説の部分で「警察犯処罰規則」に言及しているからだ(3巻68p)。この事実は、彼が「朝鮮警察令」と言う法令が実際には無かったことをよく知っていたことを示す。それなのに、彼は、平然とそういう法令を作り出して、一警察が人を即決銃殺する場面を小説で二回も演出した。そして、土地調査事業の全期間にわたってそういう即決事例が4000余件にもなったとまで言っている。
彼が存在しなかった法令を引用しながら年代記のような事実を創作し出す腕前は、小説の書き起こしから確認される。彼は、露日戦争中の1904年7月に、ある日本人の口を借りて、「今月から朝鮮の治安は皆私たち日本軍が引き受けることになった。それがまさにお前たちの王様が決めたことだ」と言いながら「軍事警察訓令」をその根拠として提示している(1巻30p、32p)。ところがそんな訓令など存在しなかった。
先ほど、私は、歴史小説は年代記水準の事実を忠実に配した後、その空いた空間を小説家の想像力で補って行くものと言った。史学と歴史小説の境界がそこにあると言った。ところが趙廷来は、年代記水準の事実を自分が直接創作している。言い換えれば、史学と歴史小説の境界が彼には無い。不本意ながら境界を混同するのではなく、初めから境界を開いてしまうことで史学と歴史小説を一つに統合してしまった。歴史小説をそのようにも書ける可能性を見せてくれたという点に、歴史小説家趙廷来の偉大な業績があるようだ。だが、文学をする方々に問いたい。そのように歴史小説を書いても良いものなのかと……。
(続く)
大河小説『アリラン』を中心として
[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号
(翻訳4)
ところが、上のような即決銃殺刑は土地調査事業の当時には無かった。いや、有り得ないことだった。これまで、事業に関する論文や研究書でそんな事件が紹介されたことはない。当時の新聞や雑誌がそういう事件を報道したこともなかった。実際にあったなら、言論が報道をしないわけはない大事件だ。それなのに、小説家は、当然あった年代記水準の事件のように語っている。先に見たとおり、「警察令」に言及しながら即決銃殺の法的根拠を提示しているからだ。小説の他の部分で、小説家は、それの正式名称が「朝鮮警察令」であり、「事業を推進するに当たって妨害するとか反対をする勢力のある時はびびし取り締まって一掃するため」(3巻173p)、 「人を裁判無しに即決処刑することができる権限を警察に付与した」(3巻180p) としている。しかし、「朝鮮警察令」などという法令は存在しなかった。
国家権力が人を殺す時は所定の手続きによる裁判を通さなければならないことは、あの当時も今も同じだ。事業進行中の1913年の一年間に、53人が殺人や強盗の罪状で死刑宣告を受けた。皆、覆審裁判であった。第一線の警察が裁判を経ずに人を留置場に拘留したり罰金を科することができる即決処分は、それをできる場合というものが法で厳格に規制されるが、その点も、あの当時でも今でも同じだ。植民地期について言えば、1910年12月に発布された「犯罪即決令」がその母法であり、それに根拠して1912年3月に「警察犯処罰規則」が公布された。そこには警察が即決に処することができる軽犯罪87種が列挙されている。例えば第1項は、「理由なく他人の住居や建築物や船舶に侵入した者」だ。
趙廷来は、当時このように警察の権限を細密に規定した法令と規則があったことを知っていた。植民地初期に発布された多くの法令に言及する小説の部分で「警察犯処罰規則」に言及しているからだ(3巻68p)。この事実は、彼が「朝鮮警察令」と言う法令が実際には無かったことをよく知っていたことを示す。それなのに、彼は、平然とそういう法令を作り出して、一警察が人を即決銃殺する場面を小説で二回も演出した。そして、土地調査事業の全期間にわたってそういう即決事例が4000余件にもなったとまで言っている。
彼が存在しなかった法令を引用しながら年代記のような事実を創作し出す腕前は、小説の書き起こしから確認される。彼は、露日戦争中の1904年7月に、ある日本人の口を借りて、「今月から朝鮮の治安は皆私たち日本軍が引き受けることになった。それがまさにお前たちの王様が決めたことだ」と言いながら「軍事警察訓令」をその根拠として提示している(1巻30p、32p)。ところがそんな訓令など存在しなかった。
先ほど、私は、歴史小説は年代記水準の事実を忠実に配した後、その空いた空間を小説家の想像力で補って行くものと言った。史学と歴史小説の境界がそこにあると言った。ところが趙廷来は、年代記水準の事実を自分が直接創作している。言い換えれば、史学と歴史小説の境界が彼には無い。不本意ながら境界を混同するのではなく、初めから境界を開いてしまうことで史学と歴史小説を一つに統合してしまった。歴史小説をそのようにも書ける可能性を見せてくれたという点に、歴史小説家趙廷来の偉大な業績があるようだ。だが、文学をする方々に問いたい。そのように歴史小説を書いても良いものなのかと……。
(続く)
これは メッセージ 767 (chaamiey さん)への返信です.
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