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〜歴史小説(6)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/04 21:20 投稿番号: [772 / 1474]
[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論

大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号

                (翻訳6)

3 千島の大量虐殺(続き)

  この場面は、『アリラン』全編の中でも最も血生ぐさい場面だ。読者たちは、非常に残酷な日本軍の蛮行に身震いをするだろう。しかし、この悽惨な虐殺は果して事実なのか。私は、趙廷来が千島列島や隣近サハリン(樺太)の踏査を敢行してこのような事件を直接聞き取りした可能性を念頭に置きながら、関連の記録を検討して見た。

   結論は、そんなことは無かったというものだ。多くの記録は、その工事現場で朝鮮人労務者が多数犠牲になったことを共通して語っている。シュムシュ島の片岡飛行場には1943年8月以後500〜600人の軍属が一つの大隊に編成されていたが、朝鮮人の割合が圧倒的だった。工事を担当した菅原組の宿舍には何十人が倒れているのか分からない状態で、毎日死亡者が続出したと言う。

  1944年9月、エトロフ島の土木工事には朝鮮人650人と日本人350人が雇用されていたが、1945年5月まで百数十人が死亡し、2百数十人が精神に異常をきたしたり病気のために送還されたと言う。労務者たちを一番苦しめたのは、伝染病だった。劣悪な作業条件と不潔な衛生状態がその原因だった。この点については、チョ・ジョンレも小説でかなりリアルにその悲惨な状況を描いている。ただ、伝染病をコレラと書く過ちを犯しているが、実際は発疹チフスだった。この北方地域はコレラの発生する環境ではない。

  ところが、上記のような虐殺は無かった。そういう記録や証言を捜すことができない。まず、日本軍の虐殺動機について、小説家は何らの説明も付していない。地表に露出している飛行場滑走路と格納庫施設は何か重大な軍事機密なのか。それが虐殺の理由とするなら、初めから話にならない。前述したように、シュムシュ島とエトロフ島では1944年末まで工事が進行中だった。そうだとすれば、その年の初夏に、多くの費用をかけて朝鮮から連れて来た労務者たちを虐殺するには早過ぎないか。

  記録をもう少し検討すれば、日本軍が米軍に押されて列島から北海道へ撤収するのは、1945年の春だ。その時、相当数の労務者も一緒に撤収して北海道の他の工事現場に投入された。サハリンの三井炭鉱に撤収したおよそ2000人の朝鮮の労務者もあった。彼らは栄養失調で足もまとも動かせないほどだった。そういうふうに最後まで引き連れて酷使する方がずっと合理的なのに、何の理由で4000名ももったいない労働力を虐殺したという話か。

  私は、この部分で、ふと、小説家自身が虐殺の狂気に捕らわれているのではないかという思いを抱くようになった。その狂気に関しては、後でまた言及する。小説家が小説の中で作り出した事件に対して問い詰め過ぎではないかと言う批判が予想される。それに対して答えよう。

  1943〜1944年に千島列島において飛行場滑走路工事はあったし、そこに数千人の朝鮮人労務者たちが引かれて行ったのは間違いのない歴史的事件だ。そういう年代記的な事件を背景にした集団虐殺は、そのものが年代記水準の事件として読ませることになる。そして、小説家も隠していないように、小説の意図もそういうものだ。だから問題なのだ。もう一度言うが、チョ・ジョンレの創作世界において、史学と歴史小説の境界は存在しない。両者は混同の中で統合されている。もう一度、文学をする方々に聞きたい。歴史小説家の職業倫理はそれで良いものなのかと…。


(3終わり、4に続く)
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