韓カテ資料室

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

新しい歴史教科書の構想(5)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/01/11 10:40 投稿番号: [799 / 1474]
(翻訳続き)

  要するに、現行の『近・現代史』教科書は、実証的根拠においてあまりにも多くの虚点を示している。私は、教科書が植民地期に関する記述の基本方針を抑圧と抵抗のパラダイムとして設定したことについてはそれなりの不可避性を理解するが、それを口実にして教科書の執筆があまりにも感性的に流れたと思う。改めて言うまでもないことだが、近代科学の本質は厳格な実証に基づいた経験主義にある。言い換えれば、現行教科書は帝国主義批判に片寄ったあげく、そのような近代科学に要求される理性的要件の確保におろそかだという傷と欠陥を示している。

  歴史の叙述理性よりも感性に片寄ったらどんな問題が発生するだろうか。その問題を現行『近・現代史』教科書に対する二番目の批判点として申し立てたい。特定の時代に関する歴史叙述が理性より感性にかたよれば、その社会の全体的構造とその前後の時代との関係という客観的な意義が見逃されやすい。実際、日帝下植民地期の歴史は抑圧と抵抗という枠組みだけではその全体像が把握できない。実際にその時代に生きながら日帝に積極的に抵抗した人々は、その数はいくばくもない。絶対多数の人々は、消極的な抵抗と消極的な協力の間を行ったり来たりしながらその時代を生き抜いた。

  しかし、日帝の支配が始まった1905年と日帝が敗亡した1945年の間に、彼らの日常生活と社会意識において重大な変化があった。1945年日帝がこの地から撤収した時にこの地に残った人々は、もはや19世紀までの伝統的な朝鮮人ではなかった。彼らは20世紀の現代韓国人に変わっていた。誰もが全てそうだったわけではないが、相当程度の多数の人々が、特に社会経済的に上層を占めた指導的階層がそうだった。そして、まさに彼らが大韓民国を立て、彼らによって大韓民国が発展した。

  植民地期を眺める視覚をこのように複線で維持するようになれば、抑圧と抵抗の戦線だけではなく 開発と学習というまた他の次元の戦線を見い出すことができる。現行教科書は、日帝が構築した各行政機関と警察機構と裁判所を「抑圧機構」と規定し、また各種経済機構としての銀行と鉄道局と専売局を「収奪機構」と規定しているが、そういうことだけではなかった。
  これら各種の行政・経済機構は、外来の近代文明が朝鮮の伝統文明に移植されて相互に接合する経路でもあった。そういう近代文明の移植として最も重要だったものを一つ挙げよと言われれば、私は1912年にあった朝鮮民事令の公布を挙げたい。これによって植民地朝鮮において近代的民法が施行された。それを指して、一人の人間が近代的私権の主体として、言い換えれば一人の人間がその社会的人格権と財産権に関して誰からも自由な近代的人間として自立する文明史の大事件であったと、その歴史的意義を要約することができる。植民地期の朝鮮人は、例えば日帝から政治的に差別されはしたが、社会的にまた経済的にはこのような近代人間として法定されたのだ。その意味で、植民地期の人間たちは、もはや身分で差別されて収奪された伝統朝鮮人ではなかった。

  要するに、現行の『近・現代史』は、1876年の開港以後今日までの130年間、韓国の伝統文明が外来文明との相互作用と接合の過程において個性的に展開して来た近代化の歴史の中で、短いと言えば短かった1905〜1945年間の植民地期が占める歴史的な位相、言い換えれば、その時代に生じた文明史的転換とその歴史的意義に関して、客観的に教えていない。もう少し極端的に言うなら、現行の教科書は、植民地期の歴史を野蛮の時代と想定している。抑圧と抵抗それ自体だけならそれは野蛮だからだ。そこには、必死のあがきで近代を学習して近代人へと変身して行く朝鮮の人々の姿が見えない。そういう文明の空白、まさにその点を現行教科書が抱えている深刻な矛盾として指摘することができる。

(Ⅲに続く)
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)