新しい歴史教科書の構想(4)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/01/11 05:04 投稿番号: [798 / 1474]
(翻訳続き)
実はこの問題に関して、1960年代までの教科書では、米が日本に渡ったメカニズムを経済的な「輸出」と明確に記述していた。米を「持ち去った」と言うふうな曖昧な表現で日帝の収奪を意図的に浮かび上がらせようとする敍述は、教科書編纂が国定に変わった1974年から登場して今まで続いて来た。そういう前後の事情を考慮すれば、過去30年間の教科書の質的水準は、むしろ後退して来たと言っても良いわけだ。
多くの教科書が共通に強調している日本軍慰安婦の動員に関する記述でも、多くの問題点が発見される。これに関して、ある教科書は次のように書いている。「初めは任意に朝鮮の女性たちを動員した日帝は、戦争の長期化に至り、女子挺身隊勤務令を作ってこれを法制化した(1944)。挺身隊という名前で動員された女性たちの中一部は日本と朝鮮の軍需工場に送られるという強制労役にあい、また他の女性たちは戦地に送られて軍隊慰安婦として利用された。」
まず法令の元々の名前は「女子挺身勤労令」なのだが、「女子挺身隊勤務令」と過って表記している問題を指摘しておく。この記述で最大の問題は、1944年8月23日に公布された同法令によって挺身隊の名前で動員された女性の一部が戦地の慰安所に送られたとなっているが、その実証的根拠がないという事実だ。その点を立証する文献史料がないことは勿論、最近まで生存して証言を残した慰安婦175人からもそういう事例は確認されていない。ただ日本の軍需工場に送られてから何か特殊な事情で隊伍から離脱した何人かの女性が慰安婦生活を経験した事例はあるが、それを上の記述の実証的根拠とすることはできない。だから、上の教科書の記述は、今まで明らかになった慰安婦の歴史とは無関係に、教科書の執筆者たちが頭の中で作り出した話に過ぎないのだ。
このように日帝に対する批判の根幹を成す土地、食糧及び女性に対する収奪が多方面に不正確に記述されているのが、現行『近・現代史』教科書が抱えている最大の弱点だと言える。もし、これに対して日本の右翼勢力たちが項目別に分析し始めれば、韓国政府はまことに困った立場に置かれると私は危惧している。それなら日帝の収奪像をどのように正確に、科学的に記述しようか。日帝は何をどのように収奪したのか。これに関しては、少し後にまた話すようにしよう。
教科書の敍述が正確ではないとか厳密ではないことは、そのほかにも一々列挙することができない位の数多い例がある。あまりにもよく知られた3.1運動に関する次のような記述も、良く見れば問題だ。「宣言式を終えたタプゴル公園の群衆は、胸に大事にしまって来た太極旗を力強く振って朝鮮独立万歳を叫んでソウル市街を歩き回った」。 しかし、この記述の下に提示された写真資料を見れば、ソウルの鐘路を歩き回ったデモ群衆の写真だが、一人も太極旗を持っていない。いつか私は天安の独立記念館を訪ね、3.1運動に関する写真資料を注意深く観察したことがあるが、ソウルでも地方でも太極旗を手に持つ朝鮮人を見ることができなかった。奇妙に思ってその分野の専門家に聞いたところ、まだ当時までは旧韓国時代に創製された太極旗は一般民衆にまで広く知られることがなく、デモ群衆の手に太極旗が無いのは当たり前だという返事だった。要するに、3.1運動に関する上の教科書記述は、自分が提示した写真資料によって反駁されているという皮肉を見せ付けているわけだ。
独立戦争の歴史で一番輝く勝利と言える1920年の青山里大捷についても、申し訳ないが指摘しておく点がある。6種の『近・現代史』のうち、(株)斗山、大韓教科書(株)、法門社、中央教育振興研究所から出た4種は、独立軍が数の上で何倍も優越な日本軍に対立して大きい勝利を収めたと無難に記述している。一方、(株)金星出版社の教科書は、日本軍を1,200名も射殺したが、独立軍の被害は戦死60人と負傷90人に過ぎなかったと書いている。(株)天才教育の教科書は、三回の戦闘で日本軍に1,600人余りの戦死者と負傷者の被害を与え、独立軍の被害は六部隊中の一つである北路軍政署だけに百余名の戦死者と負傷者が出たと書いている。
どちらがより正確なのかは分からないが、どちらか一方が不実なことは事実だ。実際に独立軍が収めた大きな戦果を数字として挙げて具体的に紹介するつもりなら、独立軍側の主張だけではなく日本軍側の戦争史資料まで細密に立ち入る必要があることを指摘しておく。
(続く)
実はこの問題に関して、1960年代までの教科書では、米が日本に渡ったメカニズムを経済的な「輸出」と明確に記述していた。米を「持ち去った」と言うふうな曖昧な表現で日帝の収奪を意図的に浮かび上がらせようとする敍述は、教科書編纂が国定に変わった1974年から登場して今まで続いて来た。そういう前後の事情を考慮すれば、過去30年間の教科書の質的水準は、むしろ後退して来たと言っても良いわけだ。
多くの教科書が共通に強調している日本軍慰安婦の動員に関する記述でも、多くの問題点が発見される。これに関して、ある教科書は次のように書いている。「初めは任意に朝鮮の女性たちを動員した日帝は、戦争の長期化に至り、女子挺身隊勤務令を作ってこれを法制化した(1944)。挺身隊という名前で動員された女性たちの中一部は日本と朝鮮の軍需工場に送られるという強制労役にあい、また他の女性たちは戦地に送られて軍隊慰安婦として利用された。」
まず法令の元々の名前は「女子挺身勤労令」なのだが、「女子挺身隊勤務令」と過って表記している問題を指摘しておく。この記述で最大の問題は、1944年8月23日に公布された同法令によって挺身隊の名前で動員された女性の一部が戦地の慰安所に送られたとなっているが、その実証的根拠がないという事実だ。その点を立証する文献史料がないことは勿論、最近まで生存して証言を残した慰安婦175人からもそういう事例は確認されていない。ただ日本の軍需工場に送られてから何か特殊な事情で隊伍から離脱した何人かの女性が慰安婦生活を経験した事例はあるが、それを上の記述の実証的根拠とすることはできない。だから、上の教科書の記述は、今まで明らかになった慰安婦の歴史とは無関係に、教科書の執筆者たちが頭の中で作り出した話に過ぎないのだ。
このように日帝に対する批判の根幹を成す土地、食糧及び女性に対する収奪が多方面に不正確に記述されているのが、現行『近・現代史』教科書が抱えている最大の弱点だと言える。もし、これに対して日本の右翼勢力たちが項目別に分析し始めれば、韓国政府はまことに困った立場に置かれると私は危惧している。それなら日帝の収奪像をどのように正確に、科学的に記述しようか。日帝は何をどのように収奪したのか。これに関しては、少し後にまた話すようにしよう。
教科書の敍述が正確ではないとか厳密ではないことは、そのほかにも一々列挙することができない位の数多い例がある。あまりにもよく知られた3.1運動に関する次のような記述も、良く見れば問題だ。「宣言式を終えたタプゴル公園の群衆は、胸に大事にしまって来た太極旗を力強く振って朝鮮独立万歳を叫んでソウル市街を歩き回った」。 しかし、この記述の下に提示された写真資料を見れば、ソウルの鐘路を歩き回ったデモ群衆の写真だが、一人も太極旗を持っていない。いつか私は天安の独立記念館を訪ね、3.1運動に関する写真資料を注意深く観察したことがあるが、ソウルでも地方でも太極旗を手に持つ朝鮮人を見ることができなかった。奇妙に思ってその分野の専門家に聞いたところ、まだ当時までは旧韓国時代に創製された太極旗は一般民衆にまで広く知られることがなく、デモ群衆の手に太極旗が無いのは当たり前だという返事だった。要するに、3.1運動に関する上の教科書記述は、自分が提示した写真資料によって反駁されているという皮肉を見せ付けているわけだ。
独立戦争の歴史で一番輝く勝利と言える1920年の青山里大捷についても、申し訳ないが指摘しておく点がある。6種の『近・現代史』のうち、(株)斗山、大韓教科書(株)、法門社、中央教育振興研究所から出た4種は、独立軍が数の上で何倍も優越な日本軍に対立して大きい勝利を収めたと無難に記述している。一方、(株)金星出版社の教科書は、日本軍を1,200名も射殺したが、独立軍の被害は戦死60人と負傷90人に過ぎなかったと書いている。(株)天才教育の教科書は、三回の戦闘で日本軍に1,600人余りの戦死者と負傷者の被害を与え、独立軍の被害は六部隊中の一つである北路軍政署だけに百余名の戦死者と負傷者が出たと書いている。
どちらがより正確なのかは分からないが、どちらか一方が不実なことは事実だ。実際に独立軍が収めた大きな戦果を数字として挙げて具体的に紹介するつもりなら、独立軍側の主張だけではなく日本軍側の戦争史資料まで細密に立ち入る必要があることを指摘しておく。
(続く)
これは メッセージ 797 (chaamiey さん)への返信です.
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