韓カテ資料室

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

〜歴史小説(9)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2007/12/05 23:47 投稿番号: [776 / 1474]
[企画] 我々の時代の進歩的知識人   ④   趙廷来(チョ・ジョンレ)論

大河小説『アリラン』を中心として

[イ・ヨンフン | ソウル大学教授] 季刊『時代精神』2007年夏号

                (翻訳9)

4   金堤平野と東津水利組合(3)

  このような、地域の破天荒とも言える歴史を小説家は知っているのか知らないのか。『アリラン』全巻にかけて、東津水利組合に関する言及は一言も見えない。この水利組合を象徴する朝鮮第一の雲岩堤についても同じだ。小説家が、植民地時代の水利組合とそれに対する反対運動を知らなかったのではないようだ。小説の中の仮想の事件は次のとおりだ。

  「1929年ごろ、金堤東拓農場で小作争議が発生した。共産主義系列の青年会が介入して、小作争議を水利組合反対運動へ誘導している。」(9巻52p,61p,65〜66p)  

   ところが、小説家は、その水利組合がどの水利組合なのか名前を明らかにしていない。その地域なら当然「東津(トンジン)」という名前が考えられる水利組合だ。このように、小説家は事件の空間設定に真剣ではない。ただ水利組合反対運動をお決まりのように持ち出しただけだ。

   同じく小説の中の話だ。

   「1920年代初頭、日本の農業会社不二興業が干拓工事をした。3年間にわたった工事の結果、2500町歩の新しい農地が造成された。その農地の用水源は干拓地の真ん中の広さ97万坪の貯水池だった」(7巻14p,232p)。

  ここでも不二興業の干拓地が金堤郡のどの村なのか、その巨大な貯水池の名前が何なのかを小説家は指摘していない。実際、不二興業の農場は金堤郡成徳面一帯に分布していた。小説家が書いたその貯水池は、たぶん成徳面の菱堤なのだろう。私は小説家が実際そこを訪問したと推定する。97万坪と言う貯水面積も、その時得た数値なのだろう。

   それにも拘わらず彼が貯水池の名前を言わない理由をよく納得できない。現地の郷土史家の案内を受けてそこに立ち寄ったが、ただ慣性で大まかに目を通しただけだったのだろう。しかし、その平坦な野の真ん中にそのように広い貯水池があるということを、奇妙に感じなかったのだろうか。菱堤は東津川を水源とする揚水貯水池であり、1930年に完工した。揚水貯水池だから平野の真ん中にそんなに大きい貯水池が築造できた。言い換えれば、東津水利を排除しては説明ができない干拓事業であり、その用水源だった。それでも小説家はそのことに関して沈黙している。いや、真剣ではなかったからその歴史の中に入らなかったのだ。

   雲岩堤と東津川に象徴される金堤平野の水利事業は、植民地時代の農村開発の代表的な象徴だ。小説家はその歴史の現場を小説の主舞台として設定した。それなのに、小説家は、その地域の住民なら誰でも慣れ親しんでいる、今も村々に固有の記憶として残っている、その地域のそういう歴史に無関心だった。小説家が関心を持ったのは、始めから、日本人地主と親日派の収奪、それだけだった。荒れ地から何を収奪するのか。実際、この地域に関する経済史研究を見れば、最初の荒れてさびしい未墾地が肥えた農業地帯に開発されると人口が集まって来た。湖南線の向こう側、昔の全羅左道の山間農業地帯、まさに水利組合が設置されない地帯の人口が、植民地期にかけて西海岸方向に移動した。小説のように奪われ追い出されて満洲へ追い出されたのではなく、その反対だった。

   もし小説家がその広い平野に存在する村々に入って行き、平野と村の歴史について真剣に聞き取りをする時間を持ったなら、彼は、開発と収奪の間に暮らした時代の人間たちが生身でぶつかった喜びと悲しみの歴史を、まさに省察的な歴史小説として復旧することができたはずだ。惜しくも、彼はそういう準備作業に忠実ではなかった。それで結局、その地域の真の歴史とは無関係な異邦人としてその外をぐるぐる回わっただけだ。


(4終わり、5に続く)
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)