新しい歴史教科書の構想(3)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/01/10 21:16 投稿番号: [797 / 1474]
Ⅱ
批判
以上から明確なように、植民地期に関する教科書の敍述は、日帝の抑圧と収奪に対立して我が民族がなした抵抗と戦争の歴史を基本軸にしている。帝国主義の植民地支配にはさまざまな類型があり、その歴史的意義に関しても単一には語り難い。だからと言って、帝国主義の植民地支配が道徳的に正当化されることができないことは勿論だ。その形態と方式がどうであれ、帝国主義の支配は植民地民族の自尊心に深い傷を残した。多くの場合、帝国主義の収奪は植民地の社会と経済の正常な発展経路を歪めた。日帝の朝鮮支配も、大きく見ればこのような批判を兔れ難い。その点で、教科書の植民地期に関する記述が帝国主義批判の視覚から抑圧と抵抗のパラダイムを採用することは、当然であるだけでなく必要なことでもあったのだ。
このことを前提としながら、教科書の質的改善を望む心から、何種類かの批判を提起する。まずは、日帝の収奪に対する告発が、あれこれと事実ではなかったり不正確だったり誇張されているという点だ。たとえば土地の収奪に関して、『近・現代史』は「1918年土地調査事業が終わった時、事実上農民の所有だった多くの農土と、公共機関に属していた土地、村または家の共有地であって名義上の所有者を立てにくい土地の相当部分が朝鮮総督府の所有になった。」と書いている。実は2006年度版 『近・現代史』は、この問題に関して2005年までの教科書に比べて多くの改善を見せている。以前の教科書は、日帝が土地調査事業の当時、土地所有権の申告が何のことなのか分からない農民たちに短い期限の申告を強要して大量の無申告地の発生を誘導し、その結果、全農地の4割を総督府の所有地として収奪したと教えて来たが、これはまさに小説のような話だった。
こんな荒唐無稽説が過去40年間教科書に堂々と掲載されて来たことから、私たちは、韓国の歴史学者たちが植民地期の歴史敍述においてどれほど感情的になっていたかを察することができる。何年か前から、私は教科書のこのようなずさんな敍述に対して何回も批判を言って来た。そのためか、2006年度版『近・現代史』は、国定中・高等学校『国史』も同じだが、欺満的な申告方式によって土地の4割もが収奪されたという粗雑な記述を排除している。これは歓迎するに値することだ。
しかし、土地調査事業に関する2006年度版『近・現代史』の上のような記述も正確でないのは同じだ。日帝は、一次国有地に編入された土地のうち「事実上農民の所有だった多くの農土」を調査して農民の所有地として返した。また日帝は、村または家の共有地に対して共同名義の申告を許容することで申告に支障がないようにした。実は、上のような記述は1930年代に出た土地調査事業に関する最初の論文からあったのだが、厳密に言って今まで実証されたことがない仮説に過ぎないのだ。要するに、土地調査事業を施行した日帝の目的は土地の収奪にはなかった。他人の土地を横取りしようとする謀利輩の恙動は日帝によって厳に取り締まられた。
日帝は、なぜそうしたのだろうか。以前にも何回か強調したことがあるが、韓半島全体を永久に日本の領土に編入する計画で、日本と同じ土地制度を新たに作るためだ。日帝はそんな雄大な水準の政治的目的のために土地調査事業を実施したのであって、農民たちの土地を盗み取るために多くの費用を掛けてまで土地を測量したのではない。
日帝が朝鮮の米を収奪したという教科書の記述も不正確なのは同じだ。これに関して、2006年度版 『近・現代史』は、日帝が産米増殖計画を実施して、米を「収奪した」とか「持ち去った」とか「搬出した」などの多様な修辞を動員している。実際に朝鮮から日本に米が移ったのは、輸出という経済的メカニズムを通じてだった。
しかし、この事実を明確に記述している教科書は一つもない。収奪と輸出は決して混同することができない相異なる経済的意味を持っている。何らの対価なしに奪う収奪なら、朝鮮内で財貨と所得の循環過程は縮まるしかないし、それによって人々はますます貧乏になる。一方、より高い価格を得るために輸出したのなら、朝鮮内の経済循環は拡大再生産の過程を踏むようになり、その結果、人々はますます豊かになる。したがって、「輸出」を指して「持ち去った」と書いている2006年度版 『近・現代史』は、学生たちに、米が日本に移ることによって朝鮮で発生した経済効果を正反対に教えているわけだ。
(続く)
以上から明確なように、植民地期に関する教科書の敍述は、日帝の抑圧と収奪に対立して我が民族がなした抵抗と戦争の歴史を基本軸にしている。帝国主義の植民地支配にはさまざまな類型があり、その歴史的意義に関しても単一には語り難い。だからと言って、帝国主義の植民地支配が道徳的に正当化されることができないことは勿論だ。その形態と方式がどうであれ、帝国主義の支配は植民地民族の自尊心に深い傷を残した。多くの場合、帝国主義の収奪は植民地の社会と経済の正常な発展経路を歪めた。日帝の朝鮮支配も、大きく見ればこのような批判を兔れ難い。その点で、教科書の植民地期に関する記述が帝国主義批判の視覚から抑圧と抵抗のパラダイムを採用することは、当然であるだけでなく必要なことでもあったのだ。
このことを前提としながら、教科書の質的改善を望む心から、何種類かの批判を提起する。まずは、日帝の収奪に対する告発が、あれこれと事実ではなかったり不正確だったり誇張されているという点だ。たとえば土地の収奪に関して、『近・現代史』は「1918年土地調査事業が終わった時、事実上農民の所有だった多くの農土と、公共機関に属していた土地、村または家の共有地であって名義上の所有者を立てにくい土地の相当部分が朝鮮総督府の所有になった。」と書いている。実は2006年度版 『近・現代史』は、この問題に関して2005年までの教科書に比べて多くの改善を見せている。以前の教科書は、日帝が土地調査事業の当時、土地所有権の申告が何のことなのか分からない農民たちに短い期限の申告を強要して大量の無申告地の発生を誘導し、その結果、全農地の4割を総督府の所有地として収奪したと教えて来たが、これはまさに小説のような話だった。
こんな荒唐無稽説が過去40年間教科書に堂々と掲載されて来たことから、私たちは、韓国の歴史学者たちが植民地期の歴史敍述においてどれほど感情的になっていたかを察することができる。何年か前から、私は教科書のこのようなずさんな敍述に対して何回も批判を言って来た。そのためか、2006年度版『近・現代史』は、国定中・高等学校『国史』も同じだが、欺満的な申告方式によって土地の4割もが収奪されたという粗雑な記述を排除している。これは歓迎するに値することだ。
しかし、土地調査事業に関する2006年度版『近・現代史』の上のような記述も正確でないのは同じだ。日帝は、一次国有地に編入された土地のうち「事実上農民の所有だった多くの農土」を調査して農民の所有地として返した。また日帝は、村または家の共有地に対して共同名義の申告を許容することで申告に支障がないようにした。実は、上のような記述は1930年代に出た土地調査事業に関する最初の論文からあったのだが、厳密に言って今まで実証されたことがない仮説に過ぎないのだ。要するに、土地調査事業を施行した日帝の目的は土地の収奪にはなかった。他人の土地を横取りしようとする謀利輩の恙動は日帝によって厳に取り締まられた。
日帝は、なぜそうしたのだろうか。以前にも何回か強調したことがあるが、韓半島全体を永久に日本の領土に編入する計画で、日本と同じ土地制度を新たに作るためだ。日帝はそんな雄大な水準の政治的目的のために土地調査事業を実施したのであって、農民たちの土地を盗み取るために多くの費用を掛けてまで土地を測量したのではない。
日帝が朝鮮の米を収奪したという教科書の記述も不正確なのは同じだ。これに関して、2006年度版 『近・現代史』は、日帝が産米増殖計画を実施して、米を「収奪した」とか「持ち去った」とか「搬出した」などの多様な修辞を動員している。実際に朝鮮から日本に米が移ったのは、輸出という経済的メカニズムを通じてだった。
しかし、この事実を明確に記述している教科書は一つもない。収奪と輸出は決して混同することができない相異なる経済的意味を持っている。何らの対価なしに奪う収奪なら、朝鮮内で財貨と所得の循環過程は縮まるしかないし、それによって人々はますます貧乏になる。一方、より高い価格を得るために輸出したのなら、朝鮮内の経済循環は拡大再生産の過程を踏むようになり、その結果、人々はますます豊かになる。したがって、「輸出」を指して「持ち去った」と書いている2006年度版 『近・現代史』は、学生たちに、米が日本に移ることによって朝鮮で発生した経済効果を正反対に教えているわけだ。
(続く)
これは メッセージ 796 (chaamiey さん)への返信です.
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