南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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Re: 戦中の言論弾圧
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/02 10:42 投稿番号: [38504 / 41162]
日本軍将校及び兵士が購読していても処罰されない書籍
改造
持論及び思想
思想と教育
教育と新思潮
枚挙に遑なし共産主義
デモクラシー講和
現代社会問題と思想
これは メッセージ 38501 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 南京大虐殺日本政府の見解
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/02 10:37 投稿番号: [38503 / 41162]
ホロコーストは特定出来ないけど、資料が無い南京虐殺は特定出来るとする、脳死君と同じでね、嘘吐くな。
これは メッセージ 38500 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 戦中の言論弾圧
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/02 10:36 投稿番号: [38502 / 41162]
言論弾圧じゃないよ其れは、治安維持法を知らない君の無知から来るものだね、脳死君と同じか、嘘吐くな。
これは メッセージ 38501 (fukagawatohei さん)への返信です.
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戦中の言論弾圧
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/02 10:30 投稿番号: [38501 / 41162]
>戦前、戦中、戦後のどの時代に於いても言論の自由は保たれていた
ニャンコチャンってなんでいつもウソばかりつくのかなぁ〜、
まあ〜、一種の病気だろ〜ね。
- QUOTE -
2005年03月10日
戦中の言論弾圧「横浜事件」
東京高裁も再審開始を決定
60人以上とも、80余名ともされる多数の雑誌編集者たちが、戦時下、治安維持法違反の罪に問われ、検挙・投獄され拷問をうけた最大の言論弾圧事件「横浜事件」が、一歩前進した。
10日東京高裁は、有罪判決を受けた元被告5人の遺族が裁判のやり直しを申し立てた第3次再審請求に対し、横浜地裁は再審開始を認める決定を下していたが、それを不服とする検察側の即時抗告を棄却、再審開始決定を是認できるとする決定をした。
東京高裁・中川武隆裁判長は、「元被告らは取り調べ中、拷問を受け、やむなく虚偽の疑いのある自白をした」と認定、当時の有罪判決には事実誤認があると判断した。地裁に続いて再審開始決定が維持されたことで、元被告らの名誉回復にむけて大きな一歩を踏み出した。
検察側は高裁の決定に不服がある場合、最高裁に特別抗告できる。その場合判断は最高裁にゆだねられるが、高裁決定が確定すれば横浜地裁で再審公判が開始されることになる。
「横浜事件」とは戦時下最大の言論弾圧である。研究者やジャーナリスト・編集者など、戦争遂行に非協力的な良心的知識人が、当時の権力の中枢から激しう攻撃にさらされた言論・思想弾圧事件である。
特別高等警察(特高)は、当時非合法とされた共産党「再建の謀議」をしたとして、彼らを治安維持法「目的遂行罪」違反に問い、逮捕しては激しい拷問を加えた。拷問は凄惨を極め、逮捕された人々のうち4名が獄死、1人は出獄直後に亡くなった。
- UNQUOTE -
これは メッセージ 38499 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 南京大虐殺日本政府の見解
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/02 10:19 投稿番号: [38500 / 41162]
>被害を特定出来ないと言うことだよ
ほんじゃ〜、ホロコーストの被害を特定できるのか、バカにゃんこちゃんは?
これは メッセージ 38498 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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Re: 言論後進国日本
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/02 10:00 投稿番号: [38499 / 41162]
日本に於ける言論は世界で一番自由なんだよ、嘘吐くな。
戦前、戦中、戦後のどの時代に於いても言論の自由は保たれていた、嘘吐く脳無し唐変木。
但し、国家転覆の策謀に関する言論は許されていない、戦後は良いようだね、嘘吐く脳無し唐変木。
これは メッセージ 38497 (fukagawatohei さん)への返信です.
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Re: 南京大虐殺日本政府の見解
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/02/02 09:57 投稿番号: [38498 / 41162]
被害を特定出来ないと言うことだよ、ね、嘘吐く君。
其れを特定する根拠を示せないのが君等の主張なんだよ、嘘吐く君。
これは メッセージ 38496 (fukagawatohei さん)への返信です.
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言論後進国日本
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/02 09:52 投稿番号: [38497 / 41162]
2009-03-31
中国、ドイツ、日本で上映を予定していた中国、ドイツ、フランス合作の「ジョン・ラーベ」が、日本での公開を断念したことが明らかになった。
この中国版「シンドラーのリスト」は、国際的視点で南京大虐殺という歴史的事件を正面から描いていることから、日本での上映は全面的に禁止され、日本の映画配給会社も映画を見ることさえ断ったという。
日本国内で批判の声を浴びているのが、「ジョン・ラーベ」で朝香宮鳩彦親王役を演じた香川照之さんだ。「この役は多くの人の批判を招くと思うが、自分がこの役を演じて経験したことはとても意義がある」と香川さん。
また日本国内で上映されないことについては、「日本で南京をテーマとした映画は普通上映できないし、日本人も撮影しない。しかしこの映画が少しでも中国の人たちの苦しみを取り除いてくれるよう望んでいます」と話す。
映画に出てくる朝香宮鳩彦親王は裕仁天皇の叔父にあたる。南京大虐殺で重大な責任を負っていたが、戦後は皇族の身分で軍事法廷に出なくて済んだ。このような非常に敏感な役を、香川さんという日本でもよく知られている俳優が演じたことで、不快感を示す日本の右翼の人も多い。
「ジョン・ラーベ」は4月2日からドイツ、4月28日からは中国、11月にはベルギー、フランス、イタリア、スペインでも上映されることになっている。しかし日本はこの映画に対して沈黙あるいは拒絶の態度をとっていたため、「ジョン・ラーベ」は日本での上映をあきらめざるを得なかった。
これは メッセージ 38496 (fukagawatohei さん)への返信です.
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南京大虐殺日本政府の見解
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/02 09:27 投稿番号: [38496 / 41162]
1.日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
2.しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。
3.日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家としての道を歩んでいく決意です。
(日本国外務省ホームページより引用)
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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大阪のバカウヨ芸人自業自得
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/02/02 08:39 投稿番号: [38495 / 41162]
歌手、タレントのT(62)が初期の食道がんで休養に入ることを31日深夜、公式HP上で発表した。関係者によると、昨年末に体調不良を感じて今年に入ってから検査を受けたところ、30日にがんであることが判明。テレビ各局には病状を伝え、休養に向けた調整に入っている。冠番組を複数かかえる“なにわの視聴率男”の休養だけに、波紋が大きく広がることは必至。このまま電撃引退の可能性もある。
(さんざん社会に害毒を流していた南京確信犯キチガイ芸人の
末路は哀れだなぁ〜、因果応報とはこのことだ。)
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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歴史修正主義を犯罪としている国などない
投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/02/02 00:24 投稿番号: [38494 / 41162]
●>歴史修正主義は、国際社会、特に先進的民主主義国家においてはそれ自体が罰すべき犯罪であると位置づけられている。
またまた論文気取りで、でたらめをおっしゃるのはやめましょうね。
中国や北朝鮮のような左翼全体主義、あるいは韓国のような右翼セミ全体主義国家ならばいざ知らず、先進的民主主義国家においてはそのような国などひとつも存在しません。
こう申しあげると、サヨさんたちはすぐドイツをはじめとする欧州の数か国におけるホロコースト否定禁止法をお挙げになると思いますけれども、ホロコースト否定禁止法で処罰の対象となっているのは「ナチスによるユダヤ人等絶滅政策」という、動かしがたい国家犯罪事実の否定であって、「歴史修正主義【それ自体】を【犯罪として】罰する」などというものでは絶対にないのですよ。
結論先にありきの自分勝手な妄想に陶酔なさるまえに、少しは謙虚な目でお勉強なさってみてください。
●>歴史は、新たな史料の発見などによって「修正」されるのは当然のこと
でしたら、なぜ「南京虐殺マボロシ論などを声高に唱える輩を野放しにしている」などと、ご自分の気に入らない相手の言論や学問研究の自由を封殺するようなことをおっしゃるのでしょうか?
現に一時期あれほどヒートアップした、いわゆる“従軍慰安婦”問題などは、結果的にすべての訴訟で原告敗訴が確定し、今ではその記述がほぼすべての歴史教科書から姿を消すなど、私たち否定派ですら拍子抜けするほどの勢いで決着を見ました。
その原動力となったのは、まさにあなたのおっしゃる「新たな史料の発見」や、在野の学者たちを中心とした地道な研究の進展です。
そのことは、いわゆる南京事件についてもあてはまることです。
日本軍の南京進攻戦において、中国や国内の“捏造派”が喧伝するような、意図的かつ組織的な虐殺など存在しなかったと主張している人々は、いずれもそれなりに信憑性のある史料を用い、科学的かつ公正な検証を積み重ねてそれぞれの結論を導いているのです。
もちろん、それらをどう評価するかは別問題です。
であればなおのこと、それらについては開かれた学術的な議論の場において正々堂々と論を戦わせて決着を図るべきであって、相手の研究そのものを「歴史修正主義」だとか、「純然たる歴史学ではな」いだとか、「特定の政治思想を基底に」しているなどといった感情論で頭ごなしに封殺することは民主主義からもっとも遠いところにある醜悪な行為です。
現にあなたも“南京大虐殺”とやらについては、いまだにその全容が解明されていない、つまり今後もまだまだ検証を続ける余地があるということをお認めになっていらっしゃるわけですよね?
でしたら、なぜ「歴史修正主義者」という罵倒で、否定派・懐疑派との議論を忌避されるのでしょうか?
“虐殺”が間違いなく存在したというご主張に自信がおありなら、相手の言論を入り口で封殺する必要など、これっぽっちもないはずです。
your Steffi
これは メッセージ 38459 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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フランスが他国間の歴史的真実を追究??
投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/02/02 00:16 投稿番号: [38493 / 41162]
●>フランスの上院が「アルメニア人虐殺」を否定することを禁止する法案を
賛成多数で可決したのだ。(中略)南京虐殺マボロシ論などを声高に唱える輩を野放しにしている何処かの国の現状とは、あまりにも大きな格差だと言える。
ではあなたは、もし日本の国会において、「朝鮮戦争は北朝鮮が韓国に対して仕掛けた侵略戦争である」という“歴史認識”を、日本人が否定することを禁ずる法律が成立したとしても、そういう立法行為自体は否定なさらないわけですね?
対象となった個別の事件についての理非を問題にしているのではありません。
どのような事案であれ、歴史認識をめぐる他の主権国家同士の論争に、当事国でも利害関係国でもない第三国が介入して、自国民に、いっぽうの側に立った歴史認識を刑事罰で強制するということが果たして民主主義国家として健全な姿だとお思いになるのですか、ということをお訊きしているのです。
もちろん、どのような法律であろうとも、立法府における正当な手続きを経て成立した以上、従うのが民主主義という考え方もあるでしょう。
けれども、有権者がみなそんなことを言い始めて、議会の多数派を恃んで自分たちの気に入らない主張を封殺する法律を次々と生み出していったら、民主主義の基本理念である言論・出版・思想・信条・学問・研究の自由はいったいどうなりますか?
それこそ「民主主義のパラドックス」に陥って、とんでもないファシズム社会になってしまうことは明らかでしょう。
だからこそ、民主主義の限界も欠陥も正しく認識している健全な国家は、少なくとも法律で特定の歴史観を国民に拘束するようなことはしていないのですよ。
●>他の先進諸国では歴史認識に対し、いかに厳格に対峙しているのかを物語っている。
いっぱしの評論家顔をなさって、あまりにコミカルなことをおっしゃらないでいただけますか?(笑)
すでにどなたかがご指摘になっていらしたとおり、今回のフランス議会の立法措置は、現在の政権与党を含む同国の複数の政党が次の総選挙に向けて、国内のアルメニア系住民の支持基盤を固めるために行なったきわめて政治的なデモンストレーションであるということは、すでに世界各国のメディアが公然と報道しているとおりです。
つまりフランスは、1世紀近くも前に自国とは縁もゆかりもない地で起こった事件をめぐる他国間の歴史認識論争のみならず、それに関する自国民の言論の自由すらをも国内の政争の具としたわけです。
間違ってもフランス議会がアルメニアとトルコとの間に立って公正中立な審判役を買って出たとか、他国間の歴史的真実の追究をボランティアで行なったとかというお話ではぜんぜんないのですよ。
それを、「歴史認識に対し、いかに厳格に対峙しているのかを物語っている」だの、「『アルメニア人虐殺』否定論は、歴史修正主義と認識される」だのと真顔でおっしゃったのは、私の知るかぎりwadatumi_voice21さん、あなただけです。
(つづく)
これは メッセージ 38459 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 初等教育?防衛庁資料?
投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/02/01 14:46 投稿番号: [38492 / 41162]
【山本武利『日本兵捕虜は何をしゃべったか』文藝春秋】
アメリカ国立公文書館で原資料を読破した著者が、独自の史観に基づいて開設した著書なんだよね。
原資料の方は重要だが、この人のキャプションは私的な史観でしかないですね。
事実と憶測の境界は、どの程度明確なのでしょう。
これは メッセージ 38491 (mokneybrain123 さん)への返信です.
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Re: 初等教育?防衛庁資料?
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/02/01 09:10 投稿番号: [38491 / 41162]
>秦氏は、このように、検閲は厳重だった、とは書くのですが、
では、南京事件を証言する元兵士の日記は、
「その検閲体制を、どのようにくぐりぬけたのか」、
という点になると、全く説明していないと思います。
南京大虐殺に関しては、内容が内容です。
普通の日記ならまだしも、虐殺証言が「たくさん出てくる」
ことには、首をかしげざるを得ません。
これはいい点(ポイント)ですね。もちろん検閲をくぐりぬけた日記もあるでしょうが。
><<旧日本軍は下級兵士にまで日記をつけることを奨励したらしい>>
というのは、どこでわかるのですか?
たとえば以下で。
>日本兵捕虜の言のよれば、軍隊でも日記付けは強制された。軍曹がその付け方を一週間に一度教えていた。戦地のブーゲンビルに着いても、やめてよいとは言われなかった。書く内容の制限や検閲もとりたてて受けなかったらしい。ただ出陣の際に、下士官が日記の回収を行なったケースもあるが、多くの兵士は提出せず、ひそかに所持していた。(山本武利『日本兵捕虜は何をしゃべったか』文藝春秋、35ページ)
これは メッセージ 38490 (nannkainosima さん)への返信です.
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Re: 初等教育?防衛庁資料?
投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/01/31 19:04 投稿番号: [38490 / 41162]
秦郁彦『南京事件』中公新書には、検閲についての記事もあります。
私ホームページのレジュメでは、以下のページの最後の方に書いてあります。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hata.nannkinnjikenn.tyuukousinnsyo.html*****
検閲
従軍記者のレポートは、出先陸軍報道部の検閲を受け、本社のデスクでチェックされ、
紙面に載っても、内務省図書課(憲兵が常駐)の検閲にひっかかれば、報道禁止、責任者処分。
検閲行政の総本山は内務省。
安寧秩序を乱し、または風俗を害する」出版物の発行や販売を差し止める権限を持つ。
日中戦争突入後は、外務省、陸海軍、税関と連携して、水も漏らさぬ警戒網がしかれた。
海外からの輸入刊行物で輸入禁止処分を受けたもの。
我軍が無辜の民に残虐なる行為を為せる如く曲説するもの」
「我軍が国際法違反の戦闘手段を行使セルせる如く曲説するもの」
昭和13年1月、25件。2月109件。3月79件。(「出版警察法」内務省警保局図書課)(p22)
南京事件関連の報道は輸入禁止。
海外特派員による、欧米新聞の報道を転載紹介する記事もカットされた。
出征兵士たちの家郷への通信は、所属部隊と野戦郵便局の厳重なチェック網にひっかかった。
帰還兵たちの略奪品の持ち帰りを防ぐために、憲兵が乗船場で荷物検査。
******
秦氏は、このように、検閲は厳重だった、とは書くのですが、
では、南京事件を証言する元兵士の日記は、
「その検閲体制を、どのようにくぐりぬけたのか」、
という点になると、全く説明していないと思います。
南京大虐殺に関しては、内容が内容です。
普通の日記ならまだしも、虐殺証言が「たくさん出てくる」
ことには、首をかしげざるを得ません。
<<旧日本軍は下級兵士にまで日記をつけることを奨励したらしい>>
というのは、どこでわかるのですか?
これは メッセージ 38489 (mokneybrain123 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38490.html
Re: 初等教育?防衛庁資料?
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/01/31 17:30 投稿番号: [38489 / 41162]
井家又一なる人物の教育程度はどうなんでしょうか。教育程度と軍隊での階級は必ずしも相関しないのではないでしょうか。つまり階級が低くても教育程度が低いとは限らない。
しかし、初等教育程度であれだけの達筆(変体仮名等の使用も含め)なら、よほどの理由がないかぎりちょっとおかしいですね。
それから、あの達筆と文法的に変則な表現はそぐわないですね。そして「ている」と「てゐる」の問題。
余談ですが、旧日本軍は下級兵士にまで日記をつけることを奨励したらしいから、旧日本軍兵士の日記なるものがたくさん出てきてもそのこと自体はおかしくないでしょうね。
これは メッセージ 38487 (nannkainosima さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38489.html
Re: 初等教育?防衛庁資料?
投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/31 14:44 投稿番号: [38488 / 41162]
その方に言ってあげてください。
「南京事件の歴史認識は、旧石器時代の捏造事件のように、ごく少数の限られた史料に依拠しているわけではありません。
数多の史料の中で、個々の史料が偽書であることが解明されたとしても、その史料を排除すればいいだけのことで、歴史認識全体を左右するような性格の問題にはなりえないと」
この言い草自体が、ニュートラルに事実を探求する姿勢ではなく、結論ありきの史料探しを意味しますよってね。
「ごく少数の限られた史料に依拠しているわけではありません。」というのであれば、その根拠と共に依拠する多くの史料を裏付けと共に提示して、その方の肯定する歴史認識を結論付けていなければ、「歴史認識全体を左右するような性格の問題にはなりえない」などとは論理的に帰結しないということですね。
論理的弁証が出来ない部分を憶測や推測で埋めるというのは、証明に値しません。
論理的弁証を補足するものが確証となる物証や裏付けの取れた証言です。
逆に、確証となる物証や裏付けの取れた証言から事実を導き出すのに必要なものが論理的な弁証なわけです。
nannkainosima さんの取り組んでいることは史料の裏取りなわけですから、その取り組みで疑義を持たれた史料を「排除すればいいだけ」とし、「他に幾らでも歴史認識を裏付ける史料がある」と言ってのけるのでしたら、nannkainosima さんの取り組み以上の裏付けをとった確定的な多くの史料を提示して弁証する必要があるわけです。
それが出来なければ、「それらしき史料は多くあるけれど、真贋不明で事実の特定にい至らない、故にそれらの史料で導き出した歴史認識は不確かなものでしかない。」という結論にしかなりません。
あなたの意見に物申した人のそれは、反論いも値しない観念的な言い訳のしか過ぎません。
これは メッセージ 38487 (nannkainosima さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/38488.html
初等教育?防衛庁資料?
投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/01/31 09:37 投稿番号: [38487 / 41162]
「井家又一日記はニセモノ」という私の意見に対し、反論がありました。
それに対する私の反論を、書いておきます。
***
<<おそらく初等教育しか受けていない市井の人間の公開を前提としない日記にまで、
文法のお手本のような記述を求めることには無理がある>>
元兵士手書き「井家又一日記」は、
捕虜335人を殺害したと証言する、異常な日の個人日記の一部です。長文です。
井家又一日記は、
「著名日本人の日常手書き手紙」に比べても、さらに非常に達筆流麗な文字です。
比べてみてください。日本の著名人では、誰ひとりとして、井家又一ほどの達筆はいません。
昭和10年平凡社『手紙講座』から、1890年から1893年までに生まれた人、1885年から1899年までに生まれた人、と、
年代別の手書き文字もUPしました。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/nenndaibetutegakimoji.html
最終的には、昭和10年刊・平凡社『手紙講座』
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/tegamikouzazenn.html
の170人、全部の手書き文字例をUPする予定です。
(手書きの画像画面から戻るには、パソコン上段のタスクバー?の「←」で戻る必要あり)
それほど文字を書く人なのに、
「本日新聞記者に自分は支那売店に立っている時」、とか「眺めらされる」とか、
文法的に違和感があるのは奇妙だと思います。
日本人は普段は使わなかった、変体がなや画数の多い「大字」と呼ばれる漢数字を使い、
言葉の使い方も、おかしな点が目立ちます。
旧かな遣いでは「ゐる」のはずなのに、現代かな遣い「いる」が出てきます。
戦前の軍では使われなかった「捕獲」という新しい用語が使われています。
「おそらく初等教育しか受けていない市井の人間の、公開を予定していない日記」
という認識は、おかしいのではないでしょうか。
******
<<偕行社『南京戦史資料集』に収録されている史料も、日記だけではなく、
軍の作戦命令、通牒、訓示、作戦経過概要、戦時旬報、戦闘詳報など多岐にわたります
(これら軍関係の史料は防衛庁防衛研究所に所蔵されていたものが中心です)。
南京事件の歴史認識は、旧石器時代の捏造事件のように、ごく少数の限られた史料に依拠しているわけではありません。
数多の史料の中で、個々の史料が偽書であることが解明されたとしても、その史料を排除すればいいだけのことで、
歴史認識全体を左右するような性格の問題にはなりえないと
>>
防衛庁防衛研究所のものは、戦後に米軍に押収されたものが、防衛庁に返還された、マイクロ化されて変換された、
という経緯だったと、歴史科学協議会編『歴史科学入門』三省堂の藤原彰氏の文p186にあります。
井家又一日記は、秦郁彦氏が元兵士だと名乗る人たちから手渡されたものだ、ということになっています。
参:秦郁彦『南京事件』経過レジュメ
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hata.nannkinnjikenn.tyuukousinnsyo10.htm
l秦氏は米国経験の長い中道穏健派、ということになっていますが、
私は、日記を手にして何とも思わなかった秦氏にも、疑問を感じています。
私は、米国は、原爆投下に際して、欧米では大量に出回っていたティンパーリーの南京大虐殺報道が、
参:
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hata.nannkinnjikenn.tyuukousinnsyo.html免罪符になると考えた、そういう面もあると思っています。
つまり、米国にも、南京大虐殺宣伝報道に、加担する動機はあると考えています。
要するに、米国から返還された防衛庁史料も、必ずしも安心するわけにはいかない、という立場です。
***マイクロフィルムで返還されたのでは、紙質が確認できない。本当に当時のものかどうか、
確認のしようがないではありませんか。
防衛庁に米国の息のかかった人がいれば、策略は大成功、
という可能性も、ないわけではないでしょう。
スパイ大作戦や推理小説なみに、あらゆる可能性を考えれば、何でもあり得る。
おかしな部分が存在する以上は、その疑問を追及\xA4
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◆検証 南京大虐殺捏造の背景⑤
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/31 00:41 投稿番号: [38486 / 41162]
●「南京大虐殺」はなかった(当たり前であるが)
今まで見てきたように、日本軍の進出は内戦の終結、平和の確立、共栄圏の建設を目的としたものであって、決して破壊や虐殺を目的としたものではありませんでした。これは、国土の焦土化や、民衆の殺戮を平気で行なっていた中国軍とは、きわめて対照的です。
日本には、もともとサムライの時代から、民衆の虐殺や焦土化の思想はなかったのです。日中戦争は北京の近くで始まりましたが、北京は無傷でした。武漢三鎮も無傷のまま。他の都市も全部無傷です。日本軍は、都市を破壊する気も、住民を虐殺する気もさらさらなかったのです。
日本軍は、都市に近づくときには必ず自由都市(オープン・シティ)宣言をしました。降伏するなら、都市を破壊することもしないし、住民の安全を保証するということです。歴史ある都市を戦場にし破壊していけないからです。
日本軍は圧倒的に強かったので、たいていの都市では、中国軍はたいした抵抗をすることもないまま逃げ去り、都市は明け渡されました。しかし南京で、中国軍は珍しく若干の抵抗をみせました。
南京防衛軍司令官の唐生智が「俺に頑張らせてくれ」と言ったので、蒋介石も「頑張れ」と言ったのです。彼が最後まで頑張れば、ある程度、中国軍の統制もとれたでしょうが、この司令官は情けないことに、途中で逃げ出してしまいました。
司令官を失なった中国兵たちは、自分たちも逃げようとしました。けれども彼らの多くは、逃げる味方の兵隊を後ろから撃つ「督戦隊」に殺されました。また中国兵の中には、逃げれば督戦隊に殺されるし、残れば日本軍に捕まるということで、民間人を殺し、その着物をはぎ取って着る者たちもいました。
こうした民間人に化けた中国兵は、それがばれたときに日本兵によって殺されることもありました。そのようなことはありましたが、南京で、日本軍による住民の大量虐殺というようなことは決してなかったのです。
中国は、かつて日本軍は南京で三〇万人の住民を虐殺したと、宣伝しています。しかし、これは中国共産党が流したでっち上げです。なぜなら、もし南京大虐殺があったなら、南京の安全地区にいた外国人は必ず、そのことを世界に発信したはずです。けれどもそのようなことはありませんでした。
また、日本が南京に入る前にいた南京の人口は約二〇万人でした。これはいろいろな調査で一致している数字です。二〇万人の都市で、三〇万人を虐殺するのは不可能です。
また、日本が南京を占領したあと、逃げていた市民たちが戻ってきて、一ヶ月後には人口二五万人になっています。これは南京学会が緻密に調査して出した、信頼できる数字です。また大虐殺が行なわれた都市に、住民が戻ってくるわけがありません。
また南京大虐殺の「証拠写真」と言われるものも、今日ではすべて全く関係のない写真か、捏造によるものであることが、明らかになっています。東中野修道著『南京事件「証拠写真」を検証する』などに、詳しく書かれています。
何年か前、中国系アメリカ人のアイリス・チャンが、英語で『ザ・レイプ・オブ・南京』という本を出し、アメリカでハードカバーで約五〇万部も売りました。これは日本軍が南京で三〇万人虐殺という蛮行を行なったと宣伝する本で、アメリカ人にウソをばらまいたものです。
しかしそののち、彼女が書いたことや、そこに使った写真があまりにインチキであることが、多くの批判書によって明らかになりました。そうした中、彼女は二〇〇四年の暮れに、ピストル自殺しています。
その理由として、『ロンドン・エコノミスト』はその記事の中で、彼女は自分が書いたことがあまりにインチキと批判されたため、それが「南京虐殺はなかった」と主張している人たちに有利に働いて、それを気に病んだのではないだろうかと推定しています。
以上『日中戦争の真実』より引用
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◆検証 南京大虐殺捏造の背景④
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/31 00:40 投稿番号: [38485 / 41162]
共栄圏をつくろうとした日本
一九三七年から始まった日中戦争でしたが、日本はすでに一九四〇年には、すでに中国の華北と、華中の一部を支配下におき、その統治を親日政権である汪兆銘(おうちょうめい)の南京政府にゆだねていました。
日中戦争は八年間続いたと一般にいわれますが、実際には日中の戦闘は一年半あまりで終結し、あとは日本軍はそれ以上領地を広げようとせず、占領地域でのインフラ建設や、経済建設に集中したのです。
その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、民衆の生活は他と比べると天国と地獄ほどの差がありました。鉄道もつくられ、人々や物資の移動が容易になりました。よく「日本軍は一方的に略奪と破壊をした」かのように語られることがありますが、実際は全く逆だったのです。
だからこそ、汪兆銘の南京政府や、そのもとにいる多くの中国人は日本を支持し、日本と共同して、その地域の発展のために働いたのでした。
汪兆銘の南京政府が支配する地域では、戦前にも増して平和と繁栄を謳歌していました。その象徴が上海です。日中戦争中ですら、そのダンスホールや映画館はどこも満員という活況を呈していました。
ロシアから逃げてきたユダヤ人たちの居住区も、この上海に設けられ、彼らはそこで安全に暮らしていました。
一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は、悲惨でした。ただでさえ彼らの軍隊が入ってきたので食糧が不足したばかりか、略奪、搾取が横行したため、たちまち住民は地獄の生活へと転落したのです。
もっとも蒋介石は、日本人のような規律ある生活習慣を目指した「新生活運動」を実施し、中国兵の乱れた規律を正そうと努力はしましたが、それでもなかなか実を結ぶことはできませんでした。
日中戦争中、アメリカがいわゆる「援蒋ルート」を通して、重慶にいる蒋介石軍に様々な物資を送り届けていたことは、よく知られています。兵器、弾薬、医薬品、食糧などですが、しかし山を越え、川を越えているうちに、重慶まで届いた物資は多くても当初の何分の一かに減っていました。
それらの地域を支配する匪賊や、他の武装勢力に、通行料として一部物資を渡していたからです。当時、日本の支配地域以外の中国大陸には、匪賊が約二〇〇〇万人もいたといいます。それは中国軍の約一〇倍に相当します。彼らは略奪で生計をたてていたのです。
また無事に重慶に届いた物資も、国民党幹部のポケットに入ってしまい、他の者には行き渡りませんでした。このように当時の蒋介石の政府が、米国の支援を食い物にしていたことは有名です。
このように、日本の支配地域と、そうでない地域とでは中国民衆の生活に格段の差があったのです。日本はすでに日中戦争のさなかから、中国を近代的民主国家として自立させ、アジアの同胞として共に相携えて共栄圏をつくるために、非常な努力を積んでいたからです。
しかしその望みも、やがて日本が日米戦争で敗戦を迎えたことにより、挫折しました。
そのとき、日本は中国につくった工場や施設、インフラなどを破壊することなく、すべて正確な資産リストを添えて、中国の未来のためにそのまま置いてきました。それらは戦後の中国経済の発展の基礎となったものです。
日本が去ったとき、中国では再び「国共内戦」、すなわち国民党軍と共産軍の内戦が勃発しました。これは実質的に、日本が残した遺産の奪い合いでした。そしてこの内戦での死者は、日中戦争中の死者よりも多かったのです。
またこの国共内戦に共産軍が勝利し、中国を統一したとき、共産党はかつて自分たちがなした中国民衆への殺戮、略奪、搾取などを、すべて日本軍の悪行と宣伝して若者たちに教える教育を始めました。
以前、私がこれら中国の歴史を「レムナント誌」に掲載したとき、ある日本人は「こんなことがあったなんて知りませんでした。一般に世間で言われていることと何と違うでしょう」と言いました。しかし、日本に留学しているある中国人クリスチャンが手紙をくれたのですが、こう書いていました。
「先生は中国に関し真実を書いています。がんばってください」
中国人も、知っている人は知っているのです。
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◆検証 南京大虐殺捏造の背景③
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/31 00:39 投稿番号: [38484 / 41162]
もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に足を踏み入れた日本軍でした。しかし踏み入れた以上、日本は、そこが共産主義国家になってしまうのを防ぐため、多大な尽力をなしました。またそこに、欧米の侵略や搾取の餌食とならない自立した民主的国家が誕生するよう、手を差し伸べたのです。
日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのではありません。日本は中国の「領土保全」をかかげ、誰からも侵略されない、中国人による中国人のための安定した国家がそこに誕生することを目指したのです。そして日本と手をたずさえて、アジアを共産主義から守る防波堤になること、そこに一大経済圏が生まれることを目指しました。
ですから、日中戦争(支那事変)が始まった年である一九三七年、一〇月に、当時のローマ法王、平和主義者として知られるピオ一一世(在位1922-39)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけました。法王は、
「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」
といった内容の声明を出しています。
この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞」夕刊、昭和一二年一〇月一六日および一七日)。新聞は、
「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解(りょうかい)するものであり、知己(ちき。事情をよく理解している人)の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」
と歓迎の意を表しています。ローマ法王がこのように日本の行動に賛意を表してくれたことは、欧米の誤解や反日主義に悩まされてきた日本にとって、非常にうれしいことでした。
けれども、そのピオ一一世も、やがて一九三九年には世を去ってしまいます。そのため欧米の反日主義や、日米戦争勃発を防ぐまでには至らなかったのです。
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◆検証 南京大虐殺捏造の背景②
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/31 00:39 投稿番号: [38483 / 41162]
本当の人民解放軍は日本軍だった
また中国軍と日本軍の性格を大ざっぱにみるなら、次のように言うことができます。
中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように略奪されました。さらに彼らは占領地域を去るとき、日本軍に何も残さないようにするため、「焦土(しょうど)作戦」を取りました。
つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の施設を次々に破壊したのです。そのため中国軍が通るところすべてが荒廃していきました。彼らの行動の特徴は、略奪と破壊だったのです。
それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害を受け、人民は苦しむばかりとなっていました。とくに悲惨だったのは、民衆の大半を占める農民たちでした。
一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの救済と、中国経済の再建に取り組んだのです。日本軍が占領した地域は、中国本土の人口の約四〇%、また耕地面積の五四%に及びましたが、日本はすぐにその地域での農業再建、道路や潅漑施設の復興、工場の再建などに取り組みました。
日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、日本軍を熱烈に歓迎しました。統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、彼らは生まれて初めて見たからです。
本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったのです。
日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。日本政府はすでに一九三八年に中国での農業復興の計画を発表し、実行に移しています。それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的としたものでした。
それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しました。日本人技術者が中国農民に、日本の農業技術を提供していったからです。もちろん戦時下のため、悪戦苦闘はありましたが、それでも日本の努力は多くのところで実を結んでいました。
農業だけでなく、軽工業、重工業などの再建にも取り組みました。日本はまた中国に鉄道を敷き、病院を建てました。疫病の多かった中国の衛生事情の改善にも努めました。さらに、絶望視されていた中国の製糸業を復興させたのも、日本の対中国投資によるものです。
日本は、満州や、朝鮮、台湾などで行なっていた近代化建設事業を、中国でも、すでに日中戦争のさなかから始めていたのです。それによって占領地域のインフラ整備、産業の復興が行なわれました。
日本政府の推計によると、一九三八年から終戦の四五年までの日本の対中国投資の累計は、約四七億円にも達していました。当時の日本の国家予算は約二〇億円ですから、どれだけ巨額かわかるでしょう。
これは戦争に使ったお金ではありません。中国の国土と経済の復興に使ったお金なのです。このように、中国軍が各地を焦土化し、同胞を虫けらのように殺していたときに、日本は中国民衆の救済と、中国の近代化のために働き続けていました。
中国人民の本当の敵は、日本軍ではなく、中国軍だったのです。中国軍は、蒋介石の国民党軍も、毛沢東の共産軍も、その頭の中にあったのは中国人民のことではなく、権力奪取のみでした。しかし日本は、なんとか中国を救おうと奔走していたのです。
ですから、中国の老人でこの時代のことを体験した人々の中には、親日的な人々が大勢います。ふだんは中国政府の叫ぶ反日イデオロギーの中で大きな声では発言できませんが、彼らは当時の日本人が中国人にしてくれたことを知っているのです。戦後、日本人が中国大陸から引き揚げてくるとき、多くの日本人が帰りそこなって、そこに取り残されました(いわゆる中国残留孤児)。しかしそのとき、残留日本人を助けてくれた中国人たちがかなりいました。そうした中国人の多くは、戦時中の中国兵がいかに残虐非道であったかよく知っています。
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◆検証 南京大虐殺捏造の背景①
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/31 00:38 投稿番号: [38482 / 41162]
中国民衆を虫けらのように殺した中国軍
中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。それは、中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、また大量殺害したのに対し、日本軍は行く先々で彼らを救済しようとしたことです。
中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺される存在であり、少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていませんでした。梁啓超は、中国の民衆を「戮民」(りくみん
殺戮される民)と呼んでいます。
たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦いを始めた蒋介石の軍隊は、一九三八年、日本軍の進撃の道をはばもうと、黄河の堤防を爆破しました。このとき、大雨が降ったこともあって一一の都市と、四千の村が水没し、水死者一〇〇万人、その他の被害者六〇〇万人という大惨事となりました。
しかも、それだけでは終わりませんでした。この人為的水害の結果、黄河の水路が変わり、周辺に大飢饉が広がったのです。そして、被災地で食糧不足に悩んだ中国軍部隊は、民衆から食糧の強奪を始めたため、飢饉はさらに深刻化しました。その惨状をみた当時のアメリカ人記者は、
「道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は屍肉を食べていた」
と報じています。中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を日本軍のしわざとして宣伝もしていました。しかし中国側のこの自作自演は、のちに外国人記者に見破られています。
この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした。それはただ、中国人を大量殺戮しただけで終わったのです。
堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけでなく、被災した民衆の救助と、防疫作業を行ないました。日本軍は、中国軍から虫けらのように扱われた中国民衆を、必死になって救済したのです。
こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく、毛沢東の共産軍でも同様でした。いや、共産軍はもっとひどいものでした。共産軍は、民衆から「共匪」(きょうひ)すなわち共産主義の匪賊と呼ばれていました。それは彼らが行く先々で、民衆に略奪、殺人、強姦を働いたからです。
中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊というより、ルンペンを寄せ集めたような集団にすぎなかったのです。彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来るため、食いっぱぐれがなかったからです。
ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週間は兵士たちの好きなように略奪や強姦をさせました。また、そうしないと司令官が殺されてしまったからです。
日中戦争における戦闘は、たいていの場合、日本軍が攻めると中国軍が撤退し敗走する、という形で進みました。ですから、激戦地を除けば、中国側が宣伝するほど日本軍に殺された中国兵の死者は多くはありませんでした。
むしろ中国兵の死者の多くは、中国人が中国人を殺したものでした。中国の軍隊というのは、兵士たちの後ろに「督戦隊」(とくせんたい)がいたのです。督戦隊とは、後ろで「敵を殺せ、殺せ」と叫びながら兵士たちを戦わせ、逃げる兵士がいると、その兵士を撃ち殺す中国兵です。
つまり中国兵が中国兵を殺したのです。中国史家・黄文雄氏によれば、日中戦争時の死傷者は、日本軍によって殺された中国兵よりも、そうやって督戦隊に殺された中国兵たちのほうが多かったくらいだといいます。
また、中国兵は負傷すると、置き去りにされました。ある戦場で、中国兵の一団が塹壕(ざんごう)の中で戦死していました。それを発見した日本兵たちは、思わず涙を流したといいます。なぜなら彼らの足には、逃亡防止のための鉄の鎖がつけられていたからです。
日本軍と中国軍とでは、質の上でそれほどの差があったのです。
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Re: 歴史修正主義への日本と世界の認識(3
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/01/30 11:13 投稿番号: [38481 / 41162]
>「日本が
過去の歴史に正直に取り組んでいない
ことは、日本自身にとって大きな危害となっている」
そういうこと言うアメリカの御仁にはインディアンとか日独に対する無差別爆撃とか原爆とかベトナム戦争とでいってやればいいのでは?顔を真っ赤にしてくれるでしょうよ。
ちなみにアメリカの外交官や軍人は日本に赴任なりしたときは靖国神社には参拝しておりますけど。
>、「戦争犯罪人に敬意を表することは道徳的に
破綻している。
この習わしをやめなければならない」
ですから先に上記のお話をしてやればいいのでは?
>「ドイツのヒムラー、ゲーリングらの墓に花輪を置くに等しい」
とうのドイツ人曰く「戦争犯罪人と言う言葉を使うな!彼らは無実の罪で罰せられた人々だからだ!!」といっておりますけどね。
連中の言う反省は「ヒトラーとのその極少数が間違っただけで俺らは一切合財悪くない」ですし。
>「戦後ドイツは正しい選択をした。一方、日本は歴史の健忘症を
積極的に
促進させている――」
だからインディアンとか以下略のお話をしてやればよろしかろう。
まぁ、連中は歴史の健忘症しているからキューバなどに侵攻しているのだろうけど。
ちなみに当時のアメリカのアジア担当の外交官曰く「日本の中国大陸でやっていることは南米におけるアメリカのやっていることと同じ=国益や安全保障のためです」とし「そういうダブルスタンダードしていると日本はわれわれを信用しなくなるどころか最悪戦争になりますよ」と何度も何度も言われているのだが。
>ドイツと
日本とでは
大きく
隔たっていることを
実感せずにはいられない。
つまり日本もドイツのように「国家補償とか難癖つけて踏み倒せ、個人賠償それっておいしいの?」とかすればよかったと。
これは メッセージ 38461 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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Re: 歴史修正主義への日本と世界の認識(2
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/01/30 10:50 投稿番号: [38480 / 41162]
>1931年に始まった
中国東北部への
武力侵攻開始以後
残念ながら国際社会は「日本さんはやりすぎだがそもそもの原因は約束を守ろうともしない中国が悪い」であり満州事変自体は「中国は痛い目を見て反省しろ」ですけど。
>“歴史修正主義”
の典型だといえる
つまり教会に対して「地球は丸い」とか「地球は回っている」といわれるとそういうレッテルが貼られるらしいね。
>主張も、これに
該当する。
ガタガタぬかす前に命令書の一枚でも提示しろと言う話だが。
>欧米では
ほとんどない
そりゃ政府などがいまさら「自分達、連合国は正義の戦争をしてきたといっていましたがその実はナチスや日本よりも悪逆非道なことやっていました。が、勝った事をいい事に責任を枢軸国に押し付けて誤魔化しております」とかいえませんしね。
ちなみに言えば欧米”以外”では平気で言われておりますけどね「それを数百年単位でしかも現在進行形で実行してきたお前らが言うか」と
>つい先日
逆に言えばつい先日前までは「知らぬ、存ぜず」を決め込んでいたわけだが。
これは メッセージ 38460 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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新聞をよめ、と言うお話
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/01/30 10:35 投稿番号: [38479 / 41162]
>歴史修正主義と認識されるのだ
新資料の発見や見直し比較検討により今まで正しいと思っていたことを修正することはどこだってあるがな。
例えばこれとか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Takedashingen.jpgそれが何か問題でも?
>あまりにも
大きな格差だ
と言える。
この場合はアルメニア虐殺どうこうは認めようと認めないと別にフランスにとってはよその国の歴史ですのでどうでもいいことです。
で、それをわざわざ法律どうこうで規制し始めたのはトルコのEU加盟阻止の大義名分と国内に多くいるアルメニア人の選挙での支持が得られる話である以上それを法律で規制したのはフランスの国益や選挙対策=政治のためであり歴史的事実とは無縁のお話ですが。
>国際社会、特に先進的民主主義国家においては
それ自体が
罰すべき犯罪であると
位置づけられている。
そうですね。例えばフランスでは大革命時代に革命政府に対して市民のために立ち上がりその地域の半数以上が虐殺されたヴァンデ戦争はいまだタヴー扱いですしね。
後、現在進行形で世界史史上屈指の大虐殺である十字軍も万歳とかも当たり前ですしね。
答え:単に都合の悪いことを法律や社会的圧力で捻じ曲げているだけ
>もともとは
歴史に限らず事実の修正はどのような分野でもやっておりますが。
教科書の内容がコロコロ変わっているのがそのいい例ですけど。
と言うか学問とか研究と言うのはそういうものですけど。
>純然たる歴史学ではなく、特定の政治思想を基底にするからだ。
法律とかで規制して喜んでいる輩に言われるとは正に誉め言葉ですな。
>
これは メッセージ 38459 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑨
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/30 01:24 投稿番号: [38476 / 41162]
都新聞の小池秋羊記者は、こう述べています。「食糧がなく飢餓状態で、食糧をくれ、とわれわれにすがりつく人もいました。私たちの宿舎には発見された米が何俵もありましたので、難民区のリーダーを宿舎に連れていき、米や副食品などを大八車二台分やりました」
南京の病院で勤務していたアメリカ人、ジェームズ・マッカラム医師は1937年12月29日の日記にこう書いています。「(安全区に入ってきた日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれました。若干のたいへん愉快な日本兵がいました。私は時々日本兵が若干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました」(東京裁判
速記録210)
さらに、こう書いています。「12月31日、今日私は民衆の群が該地帯から中山路を横断して集まるのを目撃しました。あとで彼らは、行政院調査部から日本軍の手によって配分された米を携帯して帰って来ました」。「日本人の善行を一つ報告しなければならない。とても気持ちのよい日本人が最近病院にやってきた。彼らに患者の食料の不足を告げたところ、きょう、百斤の豆と牛肉を持ってきてくれた。この一ヵ月というもの肉は食べられなかったので、この贈り物は大歓迎だ。他に欲しいものはないかと言ってくれた」(『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』p263)
また南京戦により、12月13日の南京陥落からしばらくは、南京市街は水道も電気もとまり、夜は真っ暗といった状態でした。しかし翌年1月元旦から南京全市に、電燈がともり、水道がよみがえりました。1938年1月3日付の朝日新聞によると、電気については日本人技術将校以下80名と中国人電工70名の協力、また水道も同様に150名の編成で、不眠不休で取り組んだ結果であるといいます。また1月3日には、多くの南京市民が日の丸と中国の五色旗を振り、市街で「南京自治政府」(リーダーは中国人)の発足を祝っています。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑧
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/30 01:23 投稿番号: [38475 / 41162]
市民・捕虜と日本兵の交流・温情
南京を占領した日本兵たちの、市民や捕虜に対する態度は実際はどのようなものだったのでしょうか。以下は彼らの証言です。
「敵の大軍は、わが軍のために完全に撃破されました。見れば、幾十となく敵の死体がころがっております。中にはまだ虫の息でうねっておる者さえおります。これを見られた隊長が、『苦しいか、今、薬をやるぞ』と何かやられますと、一兵士は目を開けて、『水、水』と、かすれた声で哀願しました。誰かが水を飲ませてやりますと、両手を合わせ涙をたたえ、『謝、謝』(シェーシェー)と伏し拝みました。……今までにわが中隊では幾十人となく、敵兵を救い、郷里に帰してやりました。その中には中隊のために骨身を惜しまず、弾丸下もものともせず、じつに勇敢によく働いた者もたくさんあります。そして彼らが郷里に送り帰される時は、別れを惜しんで泣いて別れるのでした」(歩兵第47連隊:大分
第2中隊
伍長S・S)(『1937南京攻略戦の真実p.165)
「(南京への途上)露営のとき、私は道路の警戒を命ぜられました。特に監視すべき方向はこの方向と道路上をさすと、指したところに忽然と姑娘が現われて、窈窕(ようちょう)たる姿態が楚々(そそ)として、この方に来るじゃありませんか。誰だって面食らいます。……『日本の兵隊さんね』、流暢な日本語なんです。年の頃27、8、聞いてみると、上海から逃げてきたけれど、皆殺されたり、はぐれたりして、これは支那軍のほうにいると危ないと思い、やってきたという。
『日本語はどこで覚えた』と聞くと、『長崎に4年、活水女学校を卒業して、上海の日本人書店に雇われていた』と言います。……いろいろ調べられるけれども、くさいところは無いらしい。ちょうど中隊に通訳がいなくて何かと不自由していたこととて、通訳代わりに使うことにしましたが、炊事をさせると日本人の味の好みを心得て、乙なところをみせる。所帯慣れしているから、兵隊に程良く愛嬌を振りまく。皆で大切にしたものです。
ときには宵待草(よいまちぐさ)や、荒城の月を聞かせてくれました。毎日の行軍も宿営も楽しみでした。……しかし、南京へ南京への猛追撃に、我々に伍して行けるはずがない。中隊長殿が見かねて上海の方へ帰されたが、その日の行軍のけだるいこと、道の遠いこと、足の重いこと、皆考え込んでしまっていました。
『おい、きついなあ』『うん』。返事も上っすべり。誰かが思い出し風に、『変なこと言いっこなしよ、皆兄弟じゃないか』と彼女の口真似をすれば、とたんに爆笑がわいたものです」(歩兵第13連隊:熊本
第11中隊
歩兵曹長K・S)(同p.190-192)
「私が洗面していると、前にきて頭をぴょこんと下げ、『兵隊さん、おやよう』とはっきりした日本語で、支那人から挨拶されました。不審に思ってよく聞くと、『大阪に18年間いました』という。……(彼の相談に乗ってあげると)彼は一時間ばかりして喜んで戻ってきました。そして言うことには、『家族も安心しました。長男が27歳になっていますが、長男も日本語が上手に話せます。皆の者に「日本軍が来たからもう安心しておれ」と、言ってきました』と、いかにも落ち着いたものです。齢は50歳くらいでしたが、達者な男で、南京攻撃、安慶上陸から漢口攻略まで、1年3ヶ月の間、日本軍のため忠実につとめ、大きな功績を残して行きました」(第2野戦病院
T・Y)(同)
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑦
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/30 01:22 投稿番号: [38474 / 41162]
日本兵による悪事の証言の信憑性
ところで、日本兵たちの犯した犯罪について、虐殺肯定派がしばしば引用するのが、松岡 環著『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて』です。この本には、日本兵が中国で犯してきたという数々の非道な行ないが、102名の元・兵士の証言の形で書かれています。しかしこの本に関し、亜細亜大学の東中野修道教授はこう批判しています。
「百二名の兵士はみな『匿名』『仮名』なのである。……誰が証言内容に責任を持つのか。証言内容が真実かどうか第三者的に検証できないようでは、客観的報道、客観的記録とは言いがたい。……百歩譲って『証言』が事実だとしても、彼らの多くは憲兵の目を逃れて軍紀違反の違法行為を繰り返しながら処罰を免れてきた悪運強き戦争犯罪人でしかなかったことを明らかにしただけなのである」(『諸君』平成十四年十一月号)。
また歩兵第33連隊第5中隊の第1小隊長だった市川治平氏は、この本をこう評しています。
「本当にばかばかしい本です。私のところに聞き取りには来ませんでしたが、元気な2人の戦友に尋ねたら、2人にも来なかったと言っています。まともな話をする人には行かないようです。確かに予備役には悪い事をする人もいましたが、この本をざっと読んだところ、強姦などの話は、創作8割、本当2割でしょう」(「正論」平成14(2002)年11月号
阿羅健一著「南京戦・元兵士102人の証言」のデタラメさ)
また、アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』にも引用されている田所耕三という人物は、南京陥落後約10日間にわたって、殺人と強姦を行ったと述べています(『アサヒ芸能』昭和四十六年一月二十八日号)。ところが、竹本忠雄教授(筑波大学)、大原康男教授(国学院大学)によれば、彼の所属する部隊は陥落2日後の12月15日には南京から転進していて、この人物が10日間も南京に残留したはずがありません。実際彼自身、のちに取材に応じて「記者が何かおもしろいことはないかと聞いてきたので、あることないことを喋ったんだ」と、この発言自体の信憑性を否定しています。
また曽根一夫という人物は「手記」を出版し、そのなかで南京戦と南京陥落後の虐殺事件の実行と、目撃談を書いている(『続・私記南京虐殺』など)。しかし、この人物は手記のなかで自らを歩兵の分隊長と称しているが、実際は砲兵の初年兵でした。また、入城式には彼の属する部隊の一部が参加しただけで、部隊そのものは南京城内に入ってもいません。従って、彼が書いているような虐殺を南京やその近郊で見ることも実行することも不可能であったのです。南京戦中、行動をともにした戦友もそうした虐殺行為を目撃・実行することはあり得ないと証言しています。つまり、曽根の「手記」そのものがまったくの創作だったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑥
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/30 01:21 投稿番号: [38473 / 41162]
虐殺はなかったとする証言
当時の南京を実際に知る多くの人々は、南京で「虐殺はなかった」と証言しています。
たとえば、南京の日本大使館で働いていた外交官補の福田篤泰(ふくだ・とくやす)氏は、日本軍による南京占領の当時を振り返って、こう語っています。「日本軍に悪いところがあったことも事実である。しかし20万、30万の虐殺はおろか千単位の虐殺も絶対にない。……いわば衆人環視の中である。そんなこと(虐殺)などしたら、それこそ大問題だ。絶対にウソである。宣伝謀略である」(田中正明『南京虐殺の虚構』35-37頁)
日本軍と共に南京に入った東京日日新聞の金沢喜雄カメラマンは、こう語っています。「私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たことがなければ、兵隊から聞いたこともありません。虐殺があったなんて、あり得ないことです。死体はたくさん見ています。敗残兵がたくさんいましたし、戦争だから撃ち殺したり、殺して川に流したことはあるでしょう。しかしそれは、南京へ行く途中、クリークで何度も見ている死体と同じですよ」(阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』p.42)
東京日日新聞の佐藤振寿カメラマンも、こう語っています。「虐殺は見ていません。12月16、7日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。また多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集ってましたから、とても残虐行為があったとは信じられません」(同p.53)
福岡日日新聞の三苫(みとま)幹之介記者には、お嬢さんが一人おり、南京には家族で赴任していたので、お嬢さんは1年生から5年生まで南京の日本人小学校に通っていました。彼女に南京大虐殺のことを来てみると、こういう答えでした。「そんな話は全然聞いたことがありません。あちらでは近所の支那人の子供ともよく遊びましたが、彼らからもそのような噂すら聞きませんでした」(同p.138-141)
歩兵第13連隊(熊本)第4中隊のU中尉はこう語っています。「抗州湾上陸以来、私は(中国の)女たちが、墨や油や泥を顔や手足に塗り、ことさらに臭気を放つようなボロをまとって、わが軍の入城を迎えるのを知っております。彼女らは、なるべく醜悪に見えるように努めていました。……日本の兵隊は支那の軍閥の兵隊とは全然素質が違うのだ、ということが了解できると、それから徐々に生地を出し始める。黒い顔が白くなり、汚い服がきれいな服に変わるのであります。南京の難民地区でも、私はやはりそうした女の移り変わる姿を見ることができました」(東中野修道『1937南京攻略戦の真実』p.124)
南京攻略戦に参加した野砲兵第22連隊長・三国直福大佐は、こう証言しています。「昭和13年8月にまた南京に戻ってきました。この時も虐殺があったという話は聞いていません。もう日本人の商人もたくさん来ていました。南京の街は朗らかでした。町の人とも親しく話しましたが、その時も、中国人からそんな話(虐殺)を聞いた記憶はありませんでした」
第十軍参謀・谷田勇(たにだ・いさむ)大佐は、こう証言しています。「(昭和13年11月以降、私が担当していた課は、支那復興のため)南京での経済指導を行なうので、寸暇もないほど多忙であった。したがって課長以下、日中官民と接触して、これを理解し、かつ中支那の風物に親炙(しんしゃ)する機会がはななだ多くなっていった。この時、中国官民と親交を重ねたが、たとえ酒食の席においても南京虐殺に関する話を聞くことはなかった」
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知らざあ書いて読ませてね(wadatumiさん)
投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/30 01:06 投稿番号: [38472 / 41162]
さて、順番が後先になりましたけれども、以上の点を踏まえたうえで、今回のあなたの最初のご投稿文(38438)に戻ります。
●>全容解明ができなくとも、事件が発生したという事実は消えない。
ですから、いまだにその全容解明ができないという事実それ自体が、あなたのおっしゃる「事件が発生したという事実」なるものがきわめて疑わしい、つまり「客観的資料」に乏しいものだという何よりの証拠であると申しあげているのですよ。
日本軍による南京進攻は、歴史上の事件とはいっても、時の権力者による一方的な文書しか残っていない記紀の時代の出来事ではありません。
記録や通信媒体もそれなりに発達し、不完全ながらも国際社会で情報戦が繰り広げられていた高々75年前の、それも総面積35平方kmという、きわめて限定されたエリアで、世界各国の報道機関注視の中で展開された局地的な攻防戦です。
ましてやいわゆる“大虐殺”とやらは、さらにその10分の1ほどの広さに過ぎない安全区で発生したとされる事件です。
もしここでほんとうに30万人はおろか、数千人〜数百人レベルの違法な虐殺事件が起こったとしたら、その全容が複数の媒体によって記録に残されないなどということはあり得ませんし、当然当時の敵国(潜在的敵国を含めて)側による情報戦に利用されないなどということもあり得ないのですよ。
にも拘わらず、それらの一次史料もお示しになれないまま「事件が発生したという事実は消えない」と決めつけ、その一方で“軍や政府による証拠隠滅のため、記録や証言が断片的で全容解明が困難”などとおっしゃるのは、矛盾以外の何ものでもないということ、おわかりでいらっしゃいますか?
あなたがそれをご理解できないのは、何度も申しあげますように他人の資料を切り貼りしているだけで、ご自分の言葉で語っていらっしゃらないからです。
最後に、私のさしあげたレスにご反論をいただけるのであれば、このような独白の形ではなく、発信者である私あてにきちんと返信していただけますでしょうか?
立場の相違はともかくとして、あなたがご自分なりに“南京大虐殺”に関する論争を理解し、それについてのご定見をしっかりお持ちでいらっしゃるのなら、私との正面からの議論を忌避される理由は何もないはず。
ましてや「彼らの展開する主観論が、いかに論拠に乏しく、また虚誕に満ちたものであるかを世間に知らしめる必要はある」と本心からお思いならば、むしろ私の投稿こそ積極的にその対象としていただきたいものです。
このトピックスに参加されている否定派・懐疑派の方々はおしなべて良識的な方が多いと見えて、内容に乏しいあなたの使いまわしの長文をいちいち相手にするような非生産的なことをなさる方はほとんどいらっしゃらなかったようですけれども、あいにく私はそれほど人間ができておりませんので、今後もあなたがあまり突っ込んでほしくないと思われる箇所を中心に随時レスをさせていただき、ぐっと細部にまで踏み込んだご見解を質したいと思っております。
(ただ、現在公私ともにきわめて多忙なため、投稿はせいぜい週1回ペースとなることをあらかじめご了承くださいませ。)
あなたとしても、それでこそ「知らざあ書いて読ませやしょう」のご口上がさまになることでしょうから。(笑)
your Steffi
これは メッセージ 38438 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造⑤
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/30 01:06 投稿番号: [38471 / 41162]
捕虜は虐殺されなかった
一方、虐殺肯定派がよく引用するものに、第16師団長・中島今朝吾(なかじま・けさご)の日記があります。とくに12月13日に捕虜にした7000〜8000人の中国兵についての次の記述です。
「この7000〜8000人、これを片づけるには相当大きな壕がいるが、なかなか見当たらない。一案として100人、200人などに分割してのち、適当な箇所に誘って処理する予定だ」(現代文に修正)
つまり、この大量の捕虜を殺害して壕に埋めてしまおう、という処理予定を考えたともとれる内容です。当時はたしかに、ただでさえ食糧の調達など大変でしたから、このような大量の捕虜を一体どうしたらいいのか、ということは確かに大問題でした。それで、中にはこうした考えを持つ者もいたようです。
けれども、中島日記をみても、彼ら捕虜を実際に殺害したという記述はありません。また当時の日本軍の記録をみると、この7000〜8000人の捕虜は結局殺害されず、捕虜収容所に送られたことがわかるのです。当時の膨大な資料の集大成である『南京戦史』(偕行社)は、様々な資料を引用し、こう結論しています。
「これらを総合すると、堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容したことは明らかである」(P324)
また資料によれば、当時南京の捕虜収容所は、これら7200人の捕虜を含む、計1万人ほどの捕虜を受け入れたとなっています。彼らの多くは、そののち釈放され、故郷に帰されました。あるいは苦力(クーリー)として労役に雇われた者も多く、また後に上海の捕虜収容所に移送された者もいました。
さらに、そのうち約2000名は、のちに汪兆銘の親日政権の南京政府軍に編入されました。その中に、劉啓雄(りゅう・けいゆう)少将もいました。彼は南京安全区に潜んでいたところを摘発され、しばらく苦力として使われていましたが、1940年に南京に成立した汪兆銘政府において和平救国軍の軍長となった人です。
また中島今朝吾・師団長の言葉の中に「大体捕虜はせぬ方針なれば」というのがあったことが、よく指摘されます。実際、大量の捕虜をかかえこむことは大変なだけですから、捕虜は少ないほうがいいわけですが、「捕虜はせぬ方針」について、大西 一 参謀はこう述べています。
「それは、銃器を取りあげ釈放せい、ということです。中国兵は全国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」 (「正論」61.5 阿羅健一著「日本人の見た南京陥落」)
さらに大西参謀は軍命令、師団命令で捕虜殺害命令など絶対に出ていない、と断言しています。資料をみても、捕虜殺害の記録はありません。また支那事変当時の日本の新聞にも、釈放されて故郷に帰る中国兵たちが荷物を持ち、ニコニコ顔で写真におさまっている姿などが載っています。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造④
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/30 01:06 投稿番号: [38470 / 41162]
日本軍が南京に達する以前に、蒋介石は、すでに早々と南京から脱出していました。また南京防衛をまかされた唐生智将軍も、敗北色濃くなったとき、敵前逃亡して南京から出てしまいました。残された中国兵らには混乱が走りましたが、敗戦が決定的となったとき、中国兵らには3つの選択肢がありました。
一つは、降伏することです。降伏すれば「捕虜」として扱われることになります。
二つ目は、南京から逃げ出すことです。そのとき、日本軍に殺されるかもしれません。また中国には、「督戦隊」というものがありました。これは戦いを督促する中国人部隊で、背後にいて、戦場から逃げ出す中国兵を見つけると撃ち殺す兵士たちなのです。逃げる中国兵を撃ち殺す中国兵です。そんな非人間的な部隊が、中国にはありました。ですから、南京から逃げ出そうものなら、彼らに撃ち殺されるかもしれません。
実際に、中国督戦隊に撃ち殺された中国兵たちが多くいました。ダーディン記者は、南京城壁の北側の門において、高さ1メートル半にも積み重なって小山を形成していた中国兵の死体を目撃しています。これは日本軍が殺した中国兵ではなく、中国督戦隊に殺された中国兵だったのです。なぜならダーディン記者は戦後、こう語っています。
「これは、この門から脱出しようとした中国兵の死骸です。中国兵はあちらこちらで城壁によじのぼり、脱出を試みました。これらの死体の山は、日本軍がここを占領する前にできたように思うのです。この地域で(日本軍の)戦闘はありませんでした」(1987年8月14日のインタビュー、質問者は笠原十九司、伊原陽子。『南京事件資料集
アメリカ関係資料編』P571
青木書店)
つまり、それは中国督戦隊によって殺された中国兵らの死骸だったのです。
そして中国兵に残された三つ目の道は、軍服を脱ぎ捨て、民間人に扮して、安全区の中に身を隠すことでした。少なからぬ兵士たちがこの道を選びました。
そのため日本軍は、南京占領後、この民間人に扮した中国兵たちの掃討作戦を行ないました。そして次々に摘発しましたが、武器を隠し持っているなど危険な中国兵たちは、発見されると、処刑されました。市街戦の準備とみなされたのです。その数は数千人に達しました。
問題は、これが国際法上、合法か否かです。しかし、こうした不法な戦闘員の処刑はどこの国でも慣習的に行なわれていたことであり、また「ハーグ陸戦法規」(1907年)にも定められていたことで、明らかに合法的でした。つまり、兵士は明確に兵士とわかるよう軍服を着用しなければならず、また武器は隠さず公然と携帯しなければならないのです。
その法規を守らなければ、捕らえられても「捕虜」としての保護は受けられません。法を守らない者は、法の保護を受けられないのです。彼らは「不法戦闘員」として扱われ、処刑されても仕方ないというのが国際法上の理解でした。こうした点で、数千人の「不法戦闘員」の処刑は、「捕虜の処刑」でも「捕虜の虐殺」でもなく、合法的なものだったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造③
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/30 01:05 投稿番号: [38469 / 41162]
軍服を脱ぎ捨て民間人に化けた中国兵たち
捕虜の虐殺はあったか、という問題について見てみましょう。
この問題をみるために、まず、中国兵とはどんな兵士たちだったか、についてみてみたいと思います。中国兵は、じつは国際法感覚のほとんどない兵士たちでした。
多くの日本兵たちが「軍服を着ていない中国兵」たちを目撃しています。
たとえば橋本以行(はしもと・もちつら)氏は、南京攻略戦の最中、揚子江岸で見た中国兵たちについて、「小銃や機銃を大事に携行していても、正規兵の服装をした者は一人も見当たらない」(証言による『南京戦史』10、130頁)と語っています。また彼ら揚子江岸の中国兵らは、降伏勧告にも応えず、戦闘を続けたので、日本軍は攻撃を続行。中国兵はジャンク舟に乗って逃げようともしましたが、多くは溺死し、遺体は下流の揚子江岸にうち上げられました。
その写真が残っていますが、この写真がのちに虐殺肯定派の人々によって「南京大虐殺の証拠写真」として使われました。しかしそれは戦死体だったのです。
また南京の城壁内で、ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者は、「軍服を一斉に脱ぎ捨てる中国兵たち」に出くわしています。
「私は一部隊全員が軍服を脱ぐのを目撃したが、それは滑稽といってよいほどの光景であった。多くの兵士は下関へ向かって進む途中で軍服を脱いだ。小路に走りこんで便衣(民間人の普通の服)に着替えてくる者もあった。中には素っ裸になって一般市民の衣服をはぎ取っている兵士もいた」(ニューヨーク・タイムズ
1937年12月22日付)
また南京陥落後、南京城壁内へ入った日本兵たちもみな、この「脱ぎ捨てられた中国兵の軍服」が街路の至るところに散乱しているのを目撃しています。彼ら中国兵は、民間人になりすますために、軍服を脱ぎ捨て、民間人の服に着替えたのです。民間人の服を盗む者もいれば、民間人を撃ち殺して衣服をはぎ取る者も多くいました(南京のジェームズ・エスピー副領事の報告)。
このように軍服を脱ぎ捨てて民間人に扮した中国兵が死んだとき、その死体は、死体だけを見た者には「民間人の虐殺死体」に見えたでしょう。ですから、こうした中国兵の行動は、日本軍の側に多くの誤解を生じさせる元となったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造②
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/30 01:05 投稿番号: [38468 / 41162]
南京入城に際し、新聞記者たちも同行
南京が日本軍によって陥落したとき、日本軍兵士たちとともに、多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入りました。その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、その中の誰一人として「30万人の大虐殺」を報じていません。
アメリカのパラマウント・ニュースも、南京占領の記録映画をつくっていますが、その中に「30万人大虐殺」は報じられていません。また当時、中国で「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」というイギリス系の英字新聞が発行されていましたが、たとえば1937年12月24日(南京陥落の11日後)の紙面をみると、日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されています。これが一体「大虐殺」のあったという都市の光景でしょうか。
また南京で実際にどのようなことがあったか、日本の当時の新聞を閲覧してみても、よくわかります。そこには、日本兵が武器も携帯せずに南京市民から買い物をする姿、南京市民と歓談する光景、日の丸の腕章をつけて微笑む南京市民の姿などが、写真入りで解説されています。また、平和回復を知って南京に戻ってくる住民、中国の負傷兵を手当する日本の衛生兵たち、再び農地を耕し始めた農民たち、そのほか多くの写真が記事と共に掲載されています。
それは平和が戻り、再び以前の生活を取り戻し始めた南京市民と、日本兵たちの心と心の交流の姿なのです。当時、報道は「検閲」の下に置かれていたとはいっても、これらは到底「大虐殺」があったという都市の光景ではありません。
蒋介石は一度も「南京大虐殺」に言及せず
中国国民党の総統・蒋介石は、もともと南京にいた人です。しかし彼は、日本軍が攻めてきたことを知ると、南京の防衛はさっさと部下にまかせて、南京を出てしまいました。そののち終戦に至るまで、蒋介石は中国人民向けに何百回ものラジオ演説を行なっています。ところが、その中で彼はただの一度も、「南京で大虐殺があった」等のことは言っていません。もし大虐殺があったのなら、これは非常に不自然なことです。蒋介石の認識の中にも「南京大虐殺」はなかったのです。
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◆「南京大虐殺」という史上最大の捏造①
投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2012/01/30 01:04 投稿番号: [38467 / 41162]
1937年12月、日本軍は支那事変を終結させるため、南京へ侵攻。12月13日にそこを占領しました。いわゆる「南京大虐殺」とは、その占領から約6週間の間に数十万人単位の人間(市民や捕虜)が日本軍によって南京で虐殺されたとする説です。中国共産党が公式に述べてきたものとしては、その数30万人。中国にある南京大虐殺記念館の外壁には、大きな文字で「300,000」の数が、犠牲者数として掲げられています。
この「南京大虐殺」は、日本でも戦後、共産党員や共産主義シンパなどを中心に広められ、そののち多くの人々を巻き込み、教科書にまで書かれ、日本人の「自虐史観」の根底に置かれてきました。しかし今日では、このような30万人もの大虐殺は実際にはなかったことが、多くの証拠によって明らかになっています。
日本兵たちによるある程度の犯罪はありました。しかし、それはどこの国の軍隊にもある程度のものであり、むしろ南京での日本軍の活動をみてみると、非常に人道的なもののほうが多く目につきます。
日本軍が南京を占領したとき、中国兵の多くは軍服を脱ぎ捨て、民間人に化けて南京の安全区に逃げ込みました。そのため日本軍は、掃討作戦を行なわなければなりませんでした。日本軍は彼らを見つけだしたとき、武器を隠し持っているなど特に反抗的な不法戦闘員数千名を処刑しました。国際法では、こうした不法戦闘員は「捕虜」としての扱いを受けることができず、処刑されても致し方ないとされているからです。こうした不法戦闘員の処刑が、誤って「捕虜の虐殺」と伝えられた面があります。
また安全区に逃げ込んだ中国兵の中には、日本軍になかなか捕まらず、民間人に化けて安全区内で強姦や、略奪、殺人などを行ない、それを日本兵のしわざに見せかけたり、あるいは被害者を脅迫して「日本兵が犯人」と言わせるなど、反日工作を繰り返していた者たちがいました。こうした反日工作により、あたかも日本兵が残虐の数々を繰り返していたかのように伝えられた面があります。
そうした事情はありますが、いわゆる「南京大虐殺」はなかったのです。以下、その証拠をみてみましょう。
南京に戻ってきた住民
南京市の人口は、日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした。20万人しかいない所で、どうやって30万人を殺せるでしょう。しかも日本軍の南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻ってきて、1ヶ月後に人口は約25万人に増えているのです。もし「虐殺」があったのなら、人々が戻ってきたりするでしょうか。
日本軍の南京への攻撃開始の約1週間前の1937年11月28日に、警察庁長官・王固磐は、南京で開かれた記者会見において、「ここ南京には今なお20万人が住んでいる」と発表しています。そののち日本軍は12月13日に南京を占領しました。それから5日後、12月18日には、南京国際委員会(南京の住民が集まっていた安全区を管轄する委員会)が人口「20万人」と発表しています。また12月21日には、南京外国人会が「南京の20万市民」に言及、さらに南京陥落から1ヶ月後の1月14日には、国際委員会が人口「25万人」に増えたと公表しているのです。
住民が戻ってきました。上智大学の渡部昇一教授によると、南京陥落から1ヶ月後に日本軍が約「25万人」の住民に食糧を配ったとの記録も残っています。
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「証拠能力のない憶測」(wadatumiさん)
投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/30 01:03 投稿番号: [38466 / 41162]
●>はじめから南京虐殺とは関係ない写真ばかりを引き合いに出し、「証拠とならない」
と言ってみせることで、事件の証拠はないと思わせるトリックにすぎなかった。
では、いわゆる“虐殺捏造派”は、事実と関係のない写真を“証拠”と偽って主張したことはいちどもないとおっしゃるのでしょうか?
そもそも総面積4平方km足らずの安全区における“虐殺”が事実ならば、当時その場にはカメラマンを含む100名超の各国ジャーナリストがいたわけですから、当然正真正銘の記録写真が大量に残されているはずであり、1枚たりといえども偽造する必要はなかったはずですよね?
どうご説明なさいます?
●>あるいは、村瀬氏が見たのは兵士の死体であり、民間人というのは間違いだと主張するものも出てくるに違いない。
ですから、こういう反論の余地が存在すること自体、村瀬氏の写真における情報だけでは、その被写体が違法に殺害された中国人かどうかは判然としないという何よりの証拠でしょう。
それともあなたはそれらの写真をごらんになって、ここに写っている遺体がすべて、いわゆる“虐殺”の被害者であるということを、いっさいの疑問の余地なく断定することがおできになるのですか?
撮影者である村瀬氏ご本人にしたところで、これらの遺体が遺体として存在した「時期」に、その「現場」にいてシャッターを切ったことは確かだとしても、それらの犠牲者がどのような経緯で命を絶たれたかというその「時期」と「現場」からは「遠く離れた」ところでしかカメラを構えていなかったわけですから、「ほとんどが平服の民間人でした」という彼の言にしたところで、しょせんあなたのおっしゃる「証拠能力のない憶測」に過ぎず、事件の本質的解明に何ら資するものではないのですよ。
そうでないとおっしゃるのならば、村瀬氏の言葉が正しいということを、ここで完璧に立証していただけます?
●>しかし、当時の軍隊経験と戦場体験を有する氏の記述を現場にいたことのない者が、妄想や間違だいと断じるのは、相当の根拠がなければ、無理な話だ。(ママ)
自分勝手なこじつけはおやめいただけませんでしょうか?
すでに申しあげましたとおり、いわゆる“南京大虐殺”があったとおっしゃるのならば、その立証責任は当然“あった”とおっしゃる側に存在します。
そして、当時の日本国および日本軍将兵(私たち良識ある日本国民の父祖)の犯罪行為を云々される以上、それはいっさいの疑問を差し挟む余地のない、完璧な証拠によって立証されなければなりません。
そのことは、この村瀬氏の写真についても同様です。
これがいわゆる“虐殺”の証拠だとおっしゃるのならば、その立証義務はそう主張される側にあるのであって、私たちにはこれらがすべて“虐殺”死体ではないということを証明しなければならない義務はありません。
単に“虐殺”捏造派のロジックの矛盾や不整合や破綻を指摘して、それを論破すればよいだけのことです。
(つづく)
これは メッセージ 38441 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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その時その場にいた者の証言(wadatumiさん)
投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/30 00:55 投稿番号: [38464 / 41162]
●>犯罪捜査でも裁判の場でも、実際に犯行現場に居合わせた人間の叙述は、ひじょうに重要な証拠として位置づけられる。南京事件の真相を知るうえでも、同様のことが言える。
>その時、その場にいた者の証言は、その場に居なかった者の憶測などとは比べ物にならず、はるかに証拠能力は高い。
いつものことながら、あなたのご投稿文は同じ主旨のことを表現を変えてくどくどと何度も繰り返し、文字数を無意味に拡大していらっしゃいますね。
それによって投稿件数を水増しして、他の投稿者へ心理的威圧感を与えようというご意図なのでしょうけれども、それはあなたの文章下手ぶり、論理薄弱ぶりを露呈するだけであって、あなたのご主張に何の説得力ももたらさないのですよ。
それはさて措き、上のあなたのご指摘は私もそのとおりだと思いますので、それを前提としておたずね申しあげましょう。
日本軍による南京進攻直後、当地のいわゆる「安全区国際委員会」(以下「国際委員会」)は、日本軍による犯罪行為として、昭和12年12月13日から翌13年 2月 9日までの間に、49件の殺人事件、44件の暴行傷害事件、361件の婦女暴行事件が発生したという内容の文書を計61通、日本を含む数か国の大使館に送付していますね。
あなたのお言葉をお借りするならば、これらの文書はまさに「実際に犯行現場に居合わせた」「その時、その場にいた」複数の人間、しかも非公式組織とはいえ、現地においては日本とは明らかに利害を異にする立場の国の人間によって占められていた団体が関連各国の大使館に送付した正式なもの、ということになります。
仮にこれらの内容がすべて事実だとしても、この叙述のどこから、30万人はおろか、千人、百人レベルの“大虐殺”とやらがあったという「重要な証拠」になるのでしょうか?
しかも、あなたもよくご承知のとおり、これらの事件のうち、国際委員会のメンバーが直接目撃したものは2件の殺人事件のみであり、あとはすべて中国人からの伝聞に基づくものであること(スマイスが証言)、そしてその2件の殺人事件についても、1件は日本軍による便衣兵摘出の際、逃亡を図った不審者を射殺したものであることは、目撃者であるマギー本人の証言によって明らかになっています。
この文書は、あなたのおっしゃる「その場にいた者の証言は、その場に居なかった者の憶測などとは比べ物にならず、はるかに証拠能力は高い」とのご発言との関連において、どのように解釈されるべきか、ご高説を承りたく存じます。
(井出純二氏の証言)
●>私の南京入りは十三日の首都陥落から二週間以上遅れた十二月二十九日だから、それ以前のことは全く知らない。
つまり、これはあなたのおっしゃる「その場にいた者の証言」ではなく、「その場に居なかった者の憶測」に過ぎないということですね。
●>治安の確立を焦った日本軍が、市民の間に逃げこんだ便衣兵を、大量に狩り立てて殺したのが主体ではないかと推測する。
つまり、彼の目撃した“虐殺”とは、安全区に逃げ込んだ便衣兵の掃討であったということですから、法的には何の問題もなかったということですね。
もっとも、これもご本人がはっきり「推測」と表記しているのですから、これはあなたのおっしゃる「その時期と現場から遠く離れた、証拠能力のない憶測」ということになるのかしら?(笑)
●>それから十数日経った後、南京埠頭で私が見た光景
戦闘から十数日後の処刑現場を目撃しただけで、その処刑が違法か合法か、一新聞記者にどうして判断できるのですか?
この場合、あなたのおっしゃる「時期と現場」とは、あくまでも南京進攻時のそれであって、その結果としての処刑現場など、実際にその場に居合わせたとしても、事実の究明とは何ら関係のないものでしょう。
●>私が見た限りでは、大量、組織的、軍命令による白昼堂々の“公的処刑”としか見えなかった
「私が見た限りでは」ですとか、「としか見えなかった」では、思いっきりあなたのおっしゃる「証拠能力のない憶測」でしかないのではございません?(笑)
●>便衣兵かなあと眺めていた。
はい、便衣兵だったのでしょうね。
この方の「憶測」では。(笑)
あなたは私がここまでパラフレーズしてさしあげないと、ご自分で引用なさったこの井出氏の記事が「その場にいた者の」「証拠能力」の高い証言とはおよそかけ離れたものであることにお気づきにならないのでしょうか?
(つづく)
これは メッセージ 38439 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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稼ぎ手を殺し勲章でだますなり(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/30 00:01 投稿番号: [38463 / 41162]
鶴彬は、除隊後も地方新聞社勤務などをして生活を支えながら、
痛烈な世相批判の川柳、評論を
相次いで発表する。
風刺を独自の生命とする川柳を、時流に妥協せず、反戦の志を
つらぬく
最高の手段であり、同時に高い芸術性をもつことが
可能であると確信した鶴彬は、この時期、凶作農家や娘の身売り、
製糸女工や反戦を題材にした柳句を
数多く
発表している。
凶作を救えぬ仏を売り残している
塹壕で読む妹を売る手紙
もう綿くずも吸えない肺でクビになる
手と足をもいだ丸太にしてかへし
これらは、1937年頃に
活字になっている。
軍は大陸派兵を続々と増大し、ついには全面戦争へと突入し、
国民は
好戦的な風潮に
押し流されている
世相のなかで、
鶴彬の作品も川柳観も
より尖鋭に、反戦色を強めていった。
おんどりみんな骨壺となり無精卵ばかり生むめんどり
稼ぎ手を殺し勲章でだますなり
胎内の動きを知るころ骨がつき
殴られる鞭を軍馬は背負わされ
1937年12月、治安維持法違反で東京・野方署に逮捕され、
拷問を受け続けたうえ
留置場で赤痢にかかり、重態となって
病院に移されるが釈放はなく、極度の衰弱ののち翌年9月14日、
鶴彬は
“病死”
した。
29歳だった。
鶴彬の本名の喜多一二と
小林多喜二の名前は、よく似ている。
特高警察に検挙され、拷問を受け、治安維持法の犠牲者として
29歳で絶命した点においても、2人は
共通している。
こうした
戦前の命をかけた文化人たちの活動を思うとき
ただ安穏と時流に
流されるばかりの自分を
恥じるほかない。
帝國憲法下でも、逮捕者への
拷問や虐殺は
違法行為だった。
作家の小林多喜二を
拷問で虐殺した特高担当者は、殺人罪で
罰せられて
当然だったはずだが、しかし、警察も
検察も
グルになって
隠蔽し、逆に、政府は、虐殺の主犯格である
警視庁の特高部長、その配下で直接の殺人者である特高課長、
さらには
警部らに叙勲を与え、「赤禍撲滅の勇士」と讃えた。
そのような暗黒時代に、反戦・平和を訴える文学、芸術作品を
発表することは、まさに
命を賭ける行為にほかならなかった。
「暁を抱いて闇にゐる蕾」
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
鋭い反戦川柳を詠んだ
鶴彬もまた、社会運動の高まりのなかで
不屈の精神で戦い、最後まで
戦争反対を貫いて
死んでいった。
戦前の世代が少数となり、戦争の記憶が薄れたことを契機として
軍国時代の暴挙を正当化し、戦争を賛美する愚かな勢力が台頭し、
ふたたび
亡国への道に
人々を誘おうと
躍起になっている。
しかし、日本国憲法第9条には、命をかけて
戦争に反対した
治安維持法犠牲者たちの
「志」
が、深く
刻まれている。
あらためて
小林多喜二や
鶴彬の作品を
読み直すとき、
二度と再び
戦争と暗黒政治を
断じて
許してはならない
という思いを、より強くする。
これは メッセージ 38462 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
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