初等教育?防衛庁資料?
投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2012/01/31 09:37 投稿番号: [38487 / 41162]
「井家又一日記はニセモノ」という私の意見に対し、反論がありました。
それに対する私の反論を、書いておきます。
***
<<おそらく初等教育しか受けていない市井の人間の公開を前提としない日記にまで、
文法のお手本のような記述を求めることには無理がある>>
元兵士手書き「井家又一日記」は、
捕虜335人を殺害したと証言する、異常な日の個人日記の一部です。長文です。
井家又一日記は、
「著名日本人の日常手書き手紙」に比べても、さらに非常に達筆流麗な文字です。
比べてみてください。日本の著名人では、誰ひとりとして、井家又一ほどの達筆はいません。
昭和10年平凡社『手紙講座』から、1890年から1893年までに生まれた人、1885年から1899年までに生まれた人、と、
年代別の手書き文字もUPしました。http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/nenndaibetutegakimoji.html
最終的には、昭和10年刊・平凡社『手紙講座』
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/tegamikouzazenn.html
の170人、全部の手書き文字例をUPする予定です。
(手書きの画像画面から戻るには、パソコン上段のタスクバー?の「←」で戻る必要あり)
それほど文字を書く人なのに、
「本日新聞記者に自分は支那売店に立っている時」、とか「眺めらされる」とか、
文法的に違和感があるのは奇妙だと思います。
日本人は普段は使わなかった、変体がなや画数の多い「大字」と呼ばれる漢数字を使い、
言葉の使い方も、おかしな点が目立ちます。
旧かな遣いでは「ゐる」のはずなのに、現代かな遣い「いる」が出てきます。
戦前の軍では使われなかった「捕獲」という新しい用語が使われています。
「おそらく初等教育しか受けていない市井の人間の、公開を予定していない日記」
という認識は、おかしいのではないでしょうか。
******
<<偕行社『南京戦史資料集』に収録されている史料も、日記だけではなく、
軍の作戦命令、通牒、訓示、作戦経過概要、戦時旬報、戦闘詳報など多岐にわたります
(これら軍関係の史料は防衛庁防衛研究所に所蔵されていたものが中心です)。
南京事件の歴史認識は、旧石器時代の捏造事件のように、ごく少数の限られた史料に依拠しているわけではありません。
数多の史料の中で、個々の史料が偽書であることが解明されたとしても、その史料を排除すればいいだけのことで、
歴史認識全体を左右するような性格の問題にはなりえないと >>
防衛庁防衛研究所のものは、戦後に米軍に押収されたものが、防衛庁に返還された、マイクロ化されて変換された、
という経緯だったと、歴史科学協議会編『歴史科学入門』三省堂の藤原彰氏の文p186にあります。
井家又一日記は、秦郁彦氏が元兵士だと名乗る人たちから手渡されたものだ、ということになっています。
参:秦郁彦『南京事件』経過レジュメ
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hata.nannkinnjikenn.tyuukousinnsyo10.htm l
秦氏は米国経験の長い中道穏健派、ということになっていますが、
私は、日記を手にして何とも思わなかった秦氏にも、疑問を感じています。
私は、米国は、原爆投下に際して、欧米では大量に出回っていたティンパーリーの南京大虐殺報道が、
参:http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hata.nannkinnjikenn.tyuukousinnsyo.html
免罪符になると考えた、そういう面もあると思っています。
つまり、米国にも、南京大虐殺宣伝報道に、加担する動機はあると考えています。
要するに、米国から返還された防衛庁史料も、必ずしも安心するわけにはいかない、という立場です。
***マイクロフィルムで返還されたのでは、紙質が確認できない。本当に当時のものかどうか、
確認のしようがないではありませんか。
防衛庁に米国の息のかかった人がいれば、策略は大成功、
という可能性も、ないわけではないでしょう。
スパイ大作戦や推理小説なみに、あらゆる可能性を考えれば、何でもあり得る。
おかしな部分が存在する以上は、その疑問を追及\xA4
それに対する私の反論を、書いておきます。
***
<<おそらく初等教育しか受けていない市井の人間の公開を前提としない日記にまで、
文法のお手本のような記述を求めることには無理がある>>
元兵士手書き「井家又一日記」は、
捕虜335人を殺害したと証言する、異常な日の個人日記の一部です。長文です。
井家又一日記は、
「著名日本人の日常手書き手紙」に比べても、さらに非常に達筆流麗な文字です。
比べてみてください。日本の著名人では、誰ひとりとして、井家又一ほどの達筆はいません。
昭和10年平凡社『手紙講座』から、1890年から1893年までに生まれた人、1885年から1899年までに生まれた人、と、
年代別の手書き文字もUPしました。http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/nenndaibetutegakimoji.html
最終的には、昭和10年刊・平凡社『手紙講座』
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/tegamikouzazenn.html
の170人、全部の手書き文字例をUPする予定です。
(手書きの画像画面から戻るには、パソコン上段のタスクバー?の「←」で戻る必要あり)
それほど文字を書く人なのに、
「本日新聞記者に自分は支那売店に立っている時」、とか「眺めらされる」とか、
文法的に違和感があるのは奇妙だと思います。
日本人は普段は使わなかった、変体がなや画数の多い「大字」と呼ばれる漢数字を使い、
言葉の使い方も、おかしな点が目立ちます。
旧かな遣いでは「ゐる」のはずなのに、現代かな遣い「いる」が出てきます。
戦前の軍では使われなかった「捕獲」という新しい用語が使われています。
「おそらく初等教育しか受けていない市井の人間の、公開を予定していない日記」
という認識は、おかしいのではないでしょうか。
******
<<偕行社『南京戦史資料集』に収録されている史料も、日記だけではなく、
軍の作戦命令、通牒、訓示、作戦経過概要、戦時旬報、戦闘詳報など多岐にわたります
(これら軍関係の史料は防衛庁防衛研究所に所蔵されていたものが中心です)。
南京事件の歴史認識は、旧石器時代の捏造事件のように、ごく少数の限られた史料に依拠しているわけではありません。
数多の史料の中で、個々の史料が偽書であることが解明されたとしても、その史料を排除すればいいだけのことで、
歴史認識全体を左右するような性格の問題にはなりえないと >>
防衛庁防衛研究所のものは、戦後に米軍に押収されたものが、防衛庁に返還された、マイクロ化されて変換された、
という経緯だったと、歴史科学協議会編『歴史科学入門』三省堂の藤原彰氏の文p186にあります。
井家又一日記は、秦郁彦氏が元兵士だと名乗る人たちから手渡されたものだ、ということになっています。
参:秦郁彦『南京事件』経過レジュメ
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hata.nannkinnjikenn.tyuukousinnsyo10.htm l
秦氏は米国経験の長い中道穏健派、ということになっていますが、
私は、日記を手にして何とも思わなかった秦氏にも、疑問を感じています。
私は、米国は、原爆投下に際して、欧米では大量に出回っていたティンパーリーの南京大虐殺報道が、
参:http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hata.nannkinnjikenn.tyuukousinnsyo.html
免罪符になると考えた、そういう面もあると思っています。
つまり、米国にも、南京大虐殺宣伝報道に、加担する動機はあると考えています。
要するに、米国から返還された防衛庁史料も、必ずしも安心するわけにはいかない、という立場です。
***マイクロフィルムで返還されたのでは、紙質が確認できない。本当に当時のものかどうか、
確認のしようがないではありませんか。
防衛庁に米国の息のかかった人がいれば、策略は大成功、
という可能性も、ないわけではないでしょう。
スパイ大作戦や推理小説なみに、あらゆる可能性を考えれば、何でもあり得る。
おかしな部分が存在する以上は、その疑問を追及\xA4