南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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稼ぎ手を殺し勲章でだますなり(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/30 00:00 投稿番号: [38462 / 41162]
表題は、鶴彬(つるあきら)という   戦前の川柳人の作だ。
日本が中国大陸への侵略戦争に突入していく時代にあって、
「川柳」という   五七五の短詩を武器に、反戦の志を貫き、
わずか29年の短い生涯を終えた文化人。
その鶴彬の生涯は、いま   戦争を美化しようとする勢力が
台頭する風潮のなかにあって、大きな示唆をあたえてくれる。

鶴彬が残した数多の句と自由詩などが   『鶴彬全集』として
発刊されており、その作品を   我々は目にすることができる。
『北国新聞』の「柳壇」に、はじめて彼の投句が載ったのは
1924年10月15日のことだった。

    静な夜口笛の消え去る淋しさ
    燐寸の棒の燃焼にも似た生命

本名は喜多一二(きたかつじ)、石川県河北郡高松村に住む
15歳の少年が、のちに反戦・反権力の川柳人として名をなす
鶴彬だった。   十代で大阪に出るが、そこで   社会の矛盾に
苦しむ底辺の人々を目にする。
自身も失業苦をあじわった彼は、次のように   記している。

   田舎の小ブルジョアの家庭に風あたらずで育った僕は、
   はじめて味わった   都会の生活の嵐に   吹きまわされ、
   工場の生活が   骨身にしみこませる資本主義の矛盾に
   痛めつけられ、もはや   この世に   超現実的なものは
   何程も実在しないことを体感した

全国的に   農民一揆や   労働者の闘いが   高揚した時代、
18歳で大阪から高松に帰ってのち、おそれを知らぬ若者は、
公然と   高松プロレタリア川柳研究会を   起ち上げた。
全日本無産者芸術連盟「ナップ」に参加し、高松支部を創設。
思想の自由も表現の自由も認められなくなっていた軍国時代に
それは   まさに   命がけの活動だった。

実際、治安維持法のもとで、三・一五事件などの弾圧があり、
川柳研究会のメンバーも   鶴彬を含めて   5名が検挙される。

    一滴の血を搾らせるなと腕を組み
    俺達の血にいろどった世界地図
    軍神の像の真下に失業者

この頃、鶴彬は、階級的な目を研ぎ澄ませて、川柳革新への
情熱をほとばしらせながら   力強い柳句を相次いで発表する。
治安維持法のもとで   天皇制政府による残虐な弾圧が続くが、
鶴彬は「文芸は究極の処、政治に奉仕する」   という立場を
鮮明にし、社会性のない詩や俳句と   決別していった。

1930年1月、徴兵年齢に達した鶴彬は金沢の第七連隊に
入隊するが、営内で「赤化運動」を行なった   という嫌疑で
逮捕され、懲役2年の判決で大阪衛戍刑務所に服役させられる。
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