竹島

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「外一島」について整理します。①

投稿者: VIVA_VIVA_21 投稿日時: 2005/06/26 11:56 投稿番号: [10001 / 18519]
日本海における竹島を記した地図は日本側は江戸期から存在していますが、韓国側には存在すらしていません。自分たちが領土と主張する島の地図すら存在しないにもかかわらず、海驢を絶滅に追い込むほどの竹島経営実績と正確な地図を有する我が国の領土を不法占拠する大韓民国による海洋侵略は本当に許せませんが、外一島がどこかを検証するに当たって、日本側にも島名の混乱が見られたので整理する必要があると思います。韓国側の妄言、妄説を斬り捨てるためにも必要になる部分でもあります。
長久保赤水の地図を見ても明らかなように江戸期の日本側の地図を見ると、その位置や形状まで現在の地図と差異がないほど竹島が正確に描かれています。これほど正確に描かれているのを見ると日本の固有領土の主張ももっともだと頷くばかりです。
一部に地図の彩色などの珍説を持ち出す輩もおるようですが、これにはさすがに失笑を禁じ得ません。まず林子平の「三国通覧図説」(1785年)を見ても明らかなように、台湾も竹島と同じ色彩になっており、当時の地図の色彩が国を識別するものではないことが読み取れます。なお、大韓民国は台湾の領有権を主張したことは一度もありません。大韓帝国以前は調べていませんが、韓国の国家の歴史の大半が中国の属国であった事実を考えると恐らくないと思います。
この彩色については、幕府の度重なる出版統制で色数制限がされたことなどや、政治的な言論流布が禁止されたこと、また、出版そのものが許可制となったことなどの影響もあり、彩色による国の識別は難しかったものと思料されます。特に地図については扱いが厳しかったようです。また、出版統制(検閲)があるので世に出回る書籍はすべて「官許」となります。(逆に言えば官が認めないと出版できない。)

前述のように韓国側は竹島領有意識がなかったためか、まともな地図すら存在しません。また地図らしきものが存在していても「八道総図」のように韓国側が竹島であると不法占拠以来主張して止まない干山島が鬱稜島の半島寄りに描かれていたり、朝鮮半島付随の島々と比較しても圧倒的に小さい竹島が鬱稜島並に大きく描かれているなど矛盾だらけの欺瞞が浮き彫りになります。さらに韓国の古文献を見ると鬱稜島と干山島を同一視しているなど島名の混乱に拍車がかかります。
しかも航海術、造船技術において日本や中国に後れを取り遠洋渡航能力のない船しか造れなかった韓国に竹島の経営実態、経営能力が全くないことを考え合わせると韓国側は古来、竹島の領有意識がなかったことの証明になりそうです。それどころかその存在も知らなかったと言えそうです。あるのは独立後の海洋資源確保のために竹島を不法と知りつつ確信犯的に歴史カードを絡めて不法占拠する汚い野望だけです。
思うに干山島という島を鬱稜島と混同するなど地理的知識の欠如が見られることなどから、竹島はおろか鬱稜島の存在まであやふやだったことがお分かりいただけると思います。

10000

投稿者: cutupx 投稿日時: 2005/06/26 09:46 投稿番号: [10000 / 18519]
竹島は日本の領土です。

>Re:古代の任那支配と文化伝播

投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2005/06/26 09:11 投稿番号: [9999 / 18519]
歴史学者ではありませんが。

まず高句麗の記録

高句麗広開土王碑

百殘・新羅舊是屬民、由来朝貢。
  而倭、以辛卯年[391]來、渡毎破百殘、更□新羅、以爲臣民。

中国の記録

  隋書

新羅、百濟、皆以倭爲大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。

  宋書

興死、弟武立。自稱使持節、都督、倭、百濟、新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓七國諸軍事、安東大將軍、倭國王。

  百済の記録

百済本紀より

397 倭国と国交を結び王子の腆支を人質とする                 (応神)
399 高句麗攻撃のための徴発により人々が新羅に逃げる
400 日食
402 倭国に使者を送り大珠を求む(大珠の意不明)
403 倭国の使者を特に手厚くねぎらう

405 腆支王即位テンシ(直支、映、枕流王の子)
人質となっていたとき枕流王が死去、弟を殺した末弟が王となったために乞うて
倭国の護衛により海中の島にて待機してのち王となる

新羅の記録

     新羅本紀

402 実聖王即位(閼智の後裔とのみあり、身長7尺五寸とある)
倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣ミシキンを人質に送る
百済が侵入
405 倭兵が侵入
407 倭人が東部と南部へ侵入                         仁徳406-437
408 倭人が対馬に軍備を増強するを知って対抗策を案ずる

  日本書紀の記述     

『日本書紀』雄略紀より

廿三年夏四月、百済文斤王薨。天王、以昆支王五子中、第二末多王、幼年聡明、勅喚内裏。親撫頭面、誡勅慇懃、使王其国。仍賜兵器、并遣筑紫国軍士五百人、衛送於国。是為東城王。是歳、百済調賦、益於常例。筑紫安致臣・馬飼臣等、率船師以撃高麗。
(百済の文斤王がなくなり、天皇は昆支王の五人の子の中で、二番目の末多王が、幼くとも聡明なので、内裏へ呼んだ。親しく頭を撫でねんごろに戒めて、その国の王とし、武器を与え、筑紫国の兵五百人を遣わして国に送り届けた。これが東城王である。・・・・)


韓国の前方後円墳について

本固有の墓制と考えられている前方後円墳が韓国にも存在し、これが日本の前方後円墳の源流であると韓国の研究者が主張し、話題になったことがある。その後の調査でこの古墳は3基の古墳が連接したもので、前方後円墳でないことが分った。しかしその後、確実に前方後円墳であると考えられるものが11基も確認され、新たな議論を呼んでいるという。

これらの前方後円墳は、1つを除いて全羅南道にあり、5世紀後半から6世紀中葉までの限られた期間に造営されたという。また、日本固有ともいえる円筒埴輪(韓国では円筒型土器という)も出土している。現在では前方後円墳日本起源説が定説となっているようである。では、なぜある時期ある地域で前方後円墳が造営されたのだろうか。

http://www.nishida-s.com/main/categ2/korea-1/korea-1.htm

武寧王陵について

この主嶋(ニリムセマ)のニリムは古代朝鮮語で国主のことだそうです。
  斯麻王のネーミングについて海中の主嶋で生まれたので、「斯麻」と名づけられたと言うわけです。
  つまり武寧王は、倭で生まれたことになります。
  この「主嶋」ですが、佐賀県玄海海中公園の加唐島を当てるのが、わが国では有力な説らしいですが、となると、なんとなく親近感が増してきます。

  また、武寧王陵の木棺の材質が、日本にしかないコウヤマキ製だとする分析があるのですが、これにはどのようなわけがあるのでしょう。

   http://homepage1.nifty.com/sawarabi/04.04.26kannkoku/4.27.4.HTM

トピを間違えていませんか♪

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/06/25 21:29 投稿番号: [9998 / 18519]
♪今日の女子バレー
良かったわね。3:0のストレート勝ち♪

Re:古代の任那支配と文化伝播

投稿者: lib1964_1982 投稿日時: 2005/06/25 18:40 投稿番号: [9997 / 18519]
  「任那の日本府」懐かしい言葉です。おじさんは、ミマナと読みます。ニンナなんて読まないぞ。若い人は、何のことだか知らない人が多いですよね。
  竹島問題とは直接関係ないけれど、「任那の日本府」が懐かしい言葉だったので、一言。

  「任那の日本府」は日本書紀の記述に唐突に現われるので、どのように解釈したらよいのか理解に苦しむものだったにもかかわらず、南朝鮮を大和朝廷が支配していた政治組織と信じられていました。最近は、日本でも、この説には否定的な考えが多く、中学校・高等学校の教科書には掲載されていないことが多いでしょう。

山川出版の日本史B(2005年版)では、このような説明になっています。
『倭国は、4世紀には朝鮮半島南部の弁韓地域にあった伽耶と密接な関係を持ち、鉄資源を確保した。そこは生産技術を輸入する半島の窓口であり、倭人も集団的に移住していたらしい。』

また、広辞苑第5版の任那の解説は、古い版の記述とはだいぶ異なります。
『4〜6世紀頃、朝鮮半島の南部にあった伽耶諸国の日本での呼称。実際には同諸国のうちの金官国(現、慶尚南道金海)の別称だったが、日本書紀では4世紀後半に大和朝廷の支配下に入り、日本府という軍政府を置いたとされる。この任那日本政府については定説がないが、伽耶諸国と同盟を結んだ倭・大和朝廷の使節団を指すものと考えられる。にんな。』


  歴史研究には文献調査と遺跡・遺物などの調査の両方が有ります。韓国には、文献が乏しい時代があって、その時代の文献による調査は、日本や中国の文献に依存しなくてはなりません。しかし、文献調査の結果と遺跡・遺物などの調査の結果に矛盾が生じたときは、文献の記述を鵜呑みにすることは出来ないでしょう。

>韓国は日本文献の中から,韓国に都合のいい部分を切り取って
  韓国に限らず、また日本の文献に限らず、遺跡・遺物などの調査と照らし合わせて、あるいは複数の文献を照合して、都合よく解釈できなければ、そのまま鵜呑みにすることはないでしょう。歴史も科学なのだから、当たり前ではないですか。

「任那の日本府」説は、皇国史観に基づく、歴史捏造の一環として現われた、誤った説で、長い間、皇国史観強制の中で、捏造をタブーとされていました。   と言う人もあるだろうけれど、あまり、そんなことを言ってもねー。学説に誤りはつき物だし、歴史が政治に翻弄されることがあるのはある程度仕方ないことだし。人それぞれ、いろいろな気持ちあるだろうけれど、また、汚らしい言葉で、相手をののしることに生きがいを感じている人がいることも承知してるけれど、あんまりそういうの好きじゃないです。日韓ともに。

  「任那の日本府」を「南朝鮮を大和朝廷が支配していた政治組織」とする説は、一部のいかれ右翼以外では完全に決着がついたのでしょうか、それとも、学会の中でも論争中なのでしょうか。歴史学者の方、よろしければ教えてください。

  ごめんなさい、ずいぶん長い一言になってしまいました。

okinotorisima2004さん

投稿者: mattouya 投稿日時: 2005/06/25 17:25 投稿番号: [9996 / 18519]
トピを間違えていませんか?

回天一艇,敵一艦を轟沈しうる特攻兵器ー2

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/25 14:56 投稿番号: [9995 / 18519]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/album.htm

回天の搭乗員たちの出撃前の写真は笑顔のものが多いが、「金剛隊」の出撃搭乗員を中心に隊員たち二七人が集まった写真がこのほど発見された。一同は普段どおりの明るい微笑みを浮かべている。回天隊の第一陣であった菊水隊の潜水艦が帰還したあと、次の金剛隊が出撃する前の昭和十九年十二月中旬の撮影である。写真に入った顔触れの大部分は出撃搭乗員であり、一月十一日の夜明けに、何処で、自分の身が艇とともに爆発、飛散することを既に承知している。その上での笑顔であった。
  この写真に入った搭乗員たちは略全員が出撃し、終戦時生き残った者も一名が自決した。あとも戦後死去して、生存者は私ひとりだけである。   特攻の論議は、「行かせられた」側に立っての苦情、また「特攻を命じた」側の擁護に終始すれば、卑小であろう。当時の若者たちは、自分が今ある日本の状況はどうかを考え、自分はどうあるべきかを判断し、行動を決断した。特攻を自ら志願して突撃した人たちの心情を洞察し、後の世に長く伝えてこそ、真の特攻論議であると考える。   「自分から戦争を仕掛けさえしなければ、いつまでも平和」と思い込んでいる識者?が多い。しかし人類の歴史に見るとおり、多くの善良な国家、民族が滅びた。「勝ったほうが正義」である実例が、今の世にも目の前にある。「戦争は見ない。聞かない。考えない」では、裏目に出ることがある。
  「日本には平和憲法がある」というが、侵略者、恫喝者を排除できる十分な機能を持たないで、国家、国民の安全を自力で保つことが出来るのであろうか。「一頁目にお祈りの言葉が書いてあるから、憲法が平和を護ってくれる。平和憲法を死守しよう」というような御仁を、健全な頭脳の持ち主とは誰にも思えない筈である。「国があっての憲法」である。
  平和憲法とは「平和な時期にしか通用しない憲法」という意味であろう。   自尊自衛、自ら護る力と気概のない国は、何か事があれば消えてゆくであろう。将来若し、この国に生存の危機が追ったとき、国民は如何に対処するであろうか。少なくとも「自ら護る気概を持たぬ国民を、護ってくれる他人はいない」ことは確かである。
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回天一艇,敵一艦を轟沈しうる特攻兵器ー1

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/25 14:48 投稿番号: [9994 / 18519]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/album.htm
全国回天会会長 小灘利春 (元第二回天隊隊長)
  六十年前の戦争末期、およそ七千人におよぶ日本の若人たちが、空に海に、特攻隊員となって散華していった。彼らは、ただ命令されるままに前進した、魂を持たぬロボットではない。自分自身の判断によって志願し、少なくとも自らの死の意義を納得した上で、それぞれに一つしかない生命を捧げた。これは日本人の歴史の上で無視できない出来事である。
  今では、特攻に参加した彼らに、共感どころか理解さえできない日本人が多い。占領軍の指令と統制、また東京裁判による捏造史観に今なお盲従をつづけ、真実を歪曲し、正しく伝えないマスコミ、教育者などがこれまで多すぎた。「強制された」の、「騙された」などと言い出す欠陥・元特攻隊員さえ、後になると現れてきた。
それらの影響もあって、戦後久しい今でも特攻を顧みることなく、戦没者を無視、軽蔑する向きさえいる。
  行動が正しかったか、間違っていたか、是非はその当時の状況に身を置いて判断するのでなければ、正当な評価はできない。   大戦の後段、昭和十九年六月のマリアナ沖海戦で日本海軍の機動部隊が敗北して以来、米軍との質、量ともに隔絶した戦力の差が、目の前に大きく広がってきた。日本の将来は、もはや絶望的であった。
  このまま推移すれば我々の国は、国民はどうなるか。連合国軍がやがては日本の本土に上陸し、望みのない悲惨な陸上戦闘に入るであろう。そうなっては、我が陸海軍が如何に勇戦奮闘しようとも、この国土と国民は甚大な損害を蒙むり、国体はもとより民衆の生命、財産も、また歴史も、文化も、伝統も、すべてが破壊し尽くされるであろう。後に現実のものとなった沖縄の惨憺たる陸上戦闘が、間もなく日本の各地で起ころうとしていた。終戦の一年あまり前、われわれはその事態を予測した。
  現実の戦場は、日本の艦艇、飛行機は通常の方法では敵に近づくことさえ困難になっていた。戦う手段は、我が身を弾丸に代える特攻しかない。日本本土への上陸を防ぎ止める手段は、もはや「若人一人の命によって敵艦一隻を撃沈する特攻」しか残っていなかった。   そしてこの戦法は、少ない人命の代償で、大きな戦果を挙げることが出来るのである。在来の戦闘方法よりも効果的、かつ効率的でさえあった。ことに、人間魚雷「回天」は一艇で敵の有力艦一隻を轟沈し、戦局を一挙に転換する能力を秘めていた。   やがて父母、家族へ訪れようとする運命は、日本人全体の運命と共通であった。陸上戦闘を目前に控えたこの絶望的な状況にあって、我々の両親、兄弟、姉妹や友人、ひいては国民、国家を護る手段は、われわれ若い者たちが自分の一身を捨てて戦うほかない。これが当時、日本の国が直面していた現実なのである。
  軍人である以上、責務として最善を尽くして戦わなければならない。戦争が続くかぎり、国民を護り通さねばならないのである。
  特攻は、我々が最も愛するもの、さらには国民全体を救おうとする我々の決意のあらわれであった。それは「大いなるものに命を捧げる愛」の行動である。多くの人々の生命を救う至上の博愛なのである。
  特攻は人命の軽視どころか、比類のないほど他に尽くす「人命の尊重」である。   「死にたくて死んだ特攻隊員はいない」のである。「十死零生」というように、特攻隊員にとって死は、使命を遂行した直後に続く不可避な事態であった。自らの死に直面したとき、理性は納得しても、若く健康な青年の肉体は、本能的な烈しい死への拒絶惑、嫌悪感を覚えて当然である。それを意識するか、別の抑圧として感じるか、強烈な使命感が圧殺するか、人により様々であろうが、回天の搭乗員たちの場合、困難な専門的技術を体得するまでの長い期間、死に直面しながらも爽やかな日々を過ごし、潜水艦に搭載した回天に乗り込むときも、平常心を保っていた。生死のこのような感情さえも超越し、自分の死を平然と受け入れた。
  それは諦観ではない。「われわれが最も大切に思うものに尽くすことの満足感」からであった。

  

当時の日本の状況 (戦争末期)

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/25 14:17 投稿番号: [9993 / 18519]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/album.htm

*昭和19年2月17日*
568機を搭載する三群九隻の空母群、三群十隻の巡洋艦戦隊、三群六隻の戦艦戦隊、約40隻の駆逐艦、9隻の潜水艦からなる大機動部隊が、日本軍の絶対防衛圏であるトラック島を攻撃。これにより日本軍の飛行機325機、巡洋艦3隻、駆逐艦4隻、油槽船6隻、運送船約20隻、沈没。前進根拠地としての機能完全停止。

*昭和19年6月15日*
米軍サイパン島に上陸開始。(B29による日本本土爆撃可能地点)


扇内がサイパン島からB29が爆撃可能な地域。東京、名古屋、大阪などの都市がその中に含まれている。

6月16日空襲:九州八幡製鉄所(B29成都発進−75機、死者行方不明257人、家屋破壊318戸)

*昭和19年7月7日*
サイパン島玉砕。これにより本格的な本土空爆がいよいよ現実問題となる。

太平洋戦争末期・概況

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/25 14:03 投稿番号: [9992 / 18519]
太平洋戦争末期・概況

ミッドウェー海戦を制し比島方面を北進する米戦艦群  
ミッドウェー海戦の大敗北を転機に、圧倒的物量を誇るアメリカ軍の本格的な反攻が開始されると、日本軍は後退を余儀なくされ、遂にアメリカ軍は、日本本土の目の前にまで迫ってくる勢いとなりました。

敵が上陸すれば(制海権を奪われれば)、主要都市はことごとく爆撃され、未曾うの死傷者を出すのは必至でした。

東亜に残された最後の独立国(欧米列強の植民地となっていない国)として、軍上層部が徹底抗戦へと作戦を推移させていく一方で、若い軍人たちも国、国民の命を護るために、なんとしても敵の本土上陸だけは阻止しようと考えましたが、もはや日本の戦力は兵器も燃料も底をつき、完全に戦闘能力をなくす状態となっていました。

神風特攻隊、米軍空母(フランクリン)に突入
特攻は、そのような状況下で日本軍上層部、そして若者たちがとった、まさに最後に残された、ただ一つの、国、国民を護る防御手段であった、と云えるのではないでしょうか。
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>隠岐は本邦北西の果てか

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/06/25 06:25 投稿番号: [9991 / 18519]
tuutuu32さん

> (1) 隠岐は日本の北西の果てと言えるのでしょうか。

隠州視聴合紀の解釈に関連して質問されているのでしたら、#9699で紹介したように隠州視聴合紀自体の中に「隱州戌亥之極地」という記述があるので、北西の果てと言ってよいのではないでしょうか。

ただし、「隱州戌亥之極地」を「隠州は北西の果ての地」とした私の解釈が正しいものとしてですが。実はこれについては90%程度の自信しか持てない理由があり、それは別記事として書くことにします。

なお、池内敏氏は「前近代竹島の歴史学的研究序説   ―隠州視聴合紀の解釈をめぐって―」の註19で、下条正男氏への反論として次のように書いています。

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江戸時代の感覚でいえば、江戸(ないし京都)から西方向へ伯耆国米子へゆき(ないしは播磨国姫路まで西方向に進み、そこから北西方向に伯耆国米子へ行く)、そこから北に向かって三保関を経て隠岐島へ進むのだから、「西北」と感じるのが妥当なのである。また、ふつう江戸から見て西方向といえば長崎を言う。長崎との対比からしても隠岐島は西北とならざるをえない。
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私の貧弱な知識では、この説明が妥当なものかどうか判断できないのですが、ひとまず紹介しておきます。

> (2) 江戸時代の人が認識する「北」は、どの方向を
> 指すのでしょう。北極星方向でしょうか。(現代の
> 私の認識は、そうです。)

残念ながらこちらは全く分かりません。

 神 風, かえらざる翼

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/24 14:34 投稿番号: [9990 / 18519]
http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/07itoo/index.html

十有七春秋

遺   書

十有七春秋 逝くものは將又何  
  幼時濃藍の空に浮かぶ三日月を眺め   何を願ひしや  
  悠久三千年   皇国の歴史は今日何をか語る
  噫々時遂に来たる   粉骨以って皇国に報ゆる時は来たれり   
既に右田戦死し真島又沖縄に散る
  われら貴様等の後をしたひて今日特攻の一員に加はる事を得
喜ぶべし   武人の本懐これに過ぐるものなし      
  夫れ報恩の道   今日をおきて又何れの日にか求めむ

     三千とせの歴史守りて捨つる身と
          思へば軽きわが命かな

     いざ勇み我は出て征く琉球の
          空に散りにし友をしたひて

  寸骨を埋むる豈青山を待たんや  
  吾身北山頭一片の煙とならむとも 英霊とこしへに祖国を守らん
  皇天后土   願はくば吾が機を守らしめ給へ  
  古より曰く 一念石に立つ矢の験ありと 何ぞ一撃沈まざる敵艦やある
  快なる哉壮なる哉この一挙   桜花の下いざ若桜勇躍征かん  
  天皇陛下萬歳   帝国海軍萬歳  
最後に皇恩の萬分の一にも報ゆる事の出来ざるを詫び
  又吾人をして今日まであらしめ給ひし   両親教官教員恩師に対し  
  衷心より感謝申し上ぐ次第なり
     百里原空 特攻隊
              海軍二等飛行兵曹    伊 東 宣 夫 遺

      辞   世
  
   行く春に逢はで散りゆくますらおの
        心は常に楽しくありけり

   煙ふく桜が島に生ひたちて
          煙ふく日に桜散り行く

神 風, ホタルになった特攻隊員

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/24 13:07 投稿番号: [9989 / 18519]
ホタルになった特攻隊員(宮川三郎軍曹)
(2000/11/5up)
  宮川軍曹は新潟県出身。長岡工業学校卒業後、一旦は民間会社に就職したが大空への夢絶ちがたく、仙台航空機乗員養成所に入り、パイロットになった。その後、特攻に志願した。5月に一度出撃して、飛行機の不調で帰還。戦友と共に散華できなかったことに悩み、とめさんにその気持ちを打ち明ける手紙を書いていた。
  「先輩、同期生がつぎつぎと散華し、自分たちばかり残るというのは、心苦しいことです。この心は、わかっていただけると思います。だが、決して死を早まらんつもりです。任務を完遂するまでは、断じてやります。ご安心ください。」
  その後、6月6日に再度出撃し、還らぬ人となった。とめさんが宮川軍曹についてかたっているので引用する。

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  宮川さんが知覧に来られたのは20年5月の終わりごろと思います。雪国の人らしく色白でハンサムな方でした。前に、万世飛行場から一度、出撃したのですが、機体の故障で引き返して、一人だけ残ったのを大変気にしておられましてね。ようやく代わりの飛行機がもらえ、出撃する前夜の6月5日一緒に隊を組む仲よしの滝本恵之助曹長と二人で私の食堂に来られました。宮川さんは[あした出撃だ]とごきげんでした。帰りがけに「おばさん、あしたも帰ってくるよ。ホタルになって滝本と二匹でね。追っ払ったらだめだよ」と冗談のようにいわれました。食堂にくるとき、どこかでホタルでも見かけたのだろうと、そのときは気にもとめていませんでした。
  翌6日はどんより曇った日でした。この日は総攻撃の日で、朝から特攻機がどんどん飛び立ちました。夜になって、出撃したはずの滝本さんが一人でひょっこり食堂にやってきました。「宮川は開聞岳の向こうに飛んで行ったよ」といってぽろぽろ涙をこぼしました。視界が悪いため、宮川機に何度も引き返そうと翼で合図を送ったが、「お前だけ帰れ」といってそのまま飛んで行かれたそうです。
  夜の九時ごろでした。食堂には娘二人と滝本さんの三人。奥の広間には私と遺書を書いている隊員が七、八人おりました。すると食堂の方で、娘が「あっ宮川さんよ。ホタルになって帰ってきた」と叫びました。一匹のホタルが開けていた食堂の玄関から、すーっと入ってきたそうです。もう大騒ぎ。滝本さんはびっくりされた様子でした。私は「みなさん。宮川さんが帰っていらっしゃいましたよ」といい、全員で「同期の桜」を歌いました。ホタルは長い間、天井のはりに止まっていましたが、すっといなくなりました。
(以下略)
(「空のかなたに」葦書房より引用)

 神 風

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/23 23:22 投稿番号: [9988 / 18519]
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/index.html

・上原良司少尉   遺書/所感   (書式更新/10/8)
    長野県出身   慶応大学卒   22歳   特操二期   第五六振武隊
    昭和20年5月11日出撃戦死
  上原少尉は自らのことを「自由主義者」と呼んでいた。出撃前に帰省した際、「おれが戦争で死ぬのは国のためでなく、大切な人のため。おれは天国に行くから靖国神社にはいない」と家族に話していたという。これらの遺書、所感をご覧になっていただければなぜそれでも特攻出撃されたのかがおわかりいただけると思う。
  なお、遺書は熊谷飛行学校から知覧へ向かう途中、自宅に立ち寄り書き残したもの。所感は出撃前夜に報道班員に手渡されたもの。
(参考、引用:群青)

・松尾勲一等飛行兵曹   遺書「ああ玉と砕けん」 (書式変更/10/1)
丙種飛行予科練6期  
第二神風特別攻撃隊義烈隊
昭和19年10月29日ルソン島東方にて戦死   23歳
  両親に宛てた遺書。心優しく、純粋な若者の心情が伝わってくる。あまりにも純粋で心打たれる。また、資料によっては27日戦死となっているが、引用文献を優先とした。
(引用:神風特別攻撃隊)

・相花信夫少尉   「母上   お許し下さい」(2000/8/6UP) (書式変更/10/1)
宮城県出身   少年飛行兵14期
陸軍特攻第七十七振武隊
昭和20年5月4日沖縄周辺洋上にて特攻戦死   18歳
  少年飛行兵出身の純真な若者の父、母に捧げた遺書。継母であったらしく、自分の幼いときからの無礼をわびている。ご遺族の事を考えると胸が痛むが、愛情溢れる手紙である。
(引用:英霊の言乃葉(6))

・古谷眞二少佐   「遺書」(2000/8/21up)(書式変更/9/30)
東京都出身   慶応大学卒   海軍第十三期飛行科予備学生
第八神風桜花特別攻撃隊神雷部隊攻撃隊
昭和20年5月11日南西諸島洋上にて戦死   23歳
  特攻隊員の中には大変な才能を持った方もおられた。作家三島由紀夫が自殺の一ヶ月前に江田島の海上自衛隊第一術科学校教育参考館でその遺書を読み、「すごい名文だ。命がかかっているのだからかなわない。俺は命をかけて書いていない」と言って、声をあげて泣き出したそうである。
  この遺書は古谷中尉が繰り上げ卒業式の前に書いたものである。
(引用:「いざさらば我はみくにの山桜」)

・佐藤新平曹長   「お母さん江」/「父上様へ」/「遺書」「辞世」 (2001/3/11up)
岩手県出身   仙台乗員養成所7期
陸軍第79振武隊
昭和20年4月16日沖縄西方洋上にて戦死   23歳
  佐藤曹長は「留魂録」という日記を残しておられる。その中には「昨年より特別攻撃隊の熱望三度にして、漸く希望入れらる。神我を見捨て給わず。」という文章もある。このように特攻志願をしてはおられるがご両親への想い、愛情は大変強く、思いやりのあるお人柄が偲ばれる。
(引用:「特攻隊員の日記」特攻隊戦没者慰霊平和祈念

・小川清中尉   「最後の便り」   (2001/5/27up)
群馬県出身   早稲田大学卒   海軍第十四期飛行科予備学生
神風特別攻撃隊第七昭和隊
昭和20年5月11日南西諸島方面にて特攻戦死(バンカーヒルへ突入)   24歳
  2001年3月27日様々な人々の協力ににより、小川中尉の遺品が遺族に返還された。特攻隊員の突入時の遺品が返還されるというニュースはアメリカ、日本で新聞でも紹介され、テレビでも放映された。詳細はエピソードを参照。→こちら
(引用:「英霊の言乃葉」小川清御遺族)

・永尾   博中尉   「靖國の社頭で」   (2001/7/22up)
佐賀県出身   西南学院卒   海軍第十三期飛行科予備学生
神風特別攻撃隊第三草薙隊
昭和20年4月28日沖縄近海にて戦死   22歳
  両親を思う心、妹を思う心が熱く伝わってくる。そして最後には我慢できずに両親に呼びかけている。このようなご遺書を残されて散華された方がおられるやも知れない靖國神社なのだとあらためて考えさせられる。
(引用:「英霊の言乃葉(1

・富澤   幸光中尉   「絶筆   靖國神社で待つてゐます」   (2001/8/19up)
北海道出身   北海道第二師範学校卒   海軍第十三期飛行科予備学生
神風特別攻撃隊第十九金剛隊
昭和20年1月6日比島にて戦死   23歳
  富澤中尉は「私がやらなければ父様母様が死んでしまふ。」と書き残して出撃されている。そして靖國神社に「来て下さるでせうね。」とも書き残している。この思いを戦後人々はきちっと受け止めてきたであろうか。
(引用:「英霊の言乃葉(2)」)

・富田   修中尉   「父ちゃん!母ちゃん!」   (2001/9/8up)

日本の歪曲歴史教科書について。

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2005/06/23 21:41 投稿番号: [9987 / 18519]
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/
「日本の実効支配」の「竹島の島根県編入   in 1905」に書いてある
「我が国を侵略しながら日本は獨島を強奪し、間島を清に与えた」の
「間島」に地図をリンクする予定です。


次に日本の歪曲歴史教科書について。

中国の皆様へ。私は、先日の反日行動を懸念している一日本人です。
中国の歴代王朝の一つである「元」はモンゴル人ですが、中国の歴史であります。
高麗は朝鮮人が打ち立てた政権でありますが、その領土は中国国内にも入って
いましたので、中国の地方政権であります。今で言うと、中国領土内にある
内モンゴル自治区や広西チワン族自治区と同じレベルです。それを日本の教科書は
一つの自治区である高麗を「朝鮮の歴史」として教えております。

日本の教科書にも問題ある旨、ここに指摘しておきます。

昭和12年作成『大満洲帝國』と間島

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2005/06/23 21:19 投稿番号: [9986 / 18519]
宣統帝溥儀を国務首班とする満洲帝国の省は現在の省とはだいぶ違っています。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/territories/manchuria.jpg

黒河省、三江省、龍江省、濱江省、興安東省、興安北省、興安南省、
興安西省、吉林省、間島省、安東省、奉天省、錦州小、熱河省

日本が昭和12年に発行した『大満洲帝國』の地図を見て、
満州国には14省あることを今回勉強しました。

で、問題の『間島省』ですが、拡大地図を用意しましたので、ご覧下さい。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/territories/kanto-enlarge.jpg

領土問題オールバージョン英語版。

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2005/06/23 20:11 投稿番号: [9985 / 18519]
Am_I_AHO氏へ。
先ずは、貴国の核保有宣言に対し、懸念の意をお伝えいたします。

話題を変えます。
現在の領土問題英語版は下記のURLで作成しています。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/territories/

「間島」は島ではなかったんですね。先般気付きました。後でUPロードします。

嘘を書いたの?・・それとも捏造したの?

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/06/23 18:18 投稿番号: [9984 / 18519]
>島と読むか州(くに)と読むか、両論とも、蓋然性の問題で、必ずしも池内氏のようには考えないという人がいたとしてもしようがないですわい。書いたご本人が島のつもりで書いたとも言えるし、そうでない州(くに)であったともいえるということですわな。電子文書化して、検索を掛け計数処理からの結論は一応は科学的に見えるが、最後のAを島と読めないと断定する”絶対的根拠”にはならないでしょうな。

>水掛け論を続けるほどの問題でもないように愚老は思えますけどもな。黒白付けたいとおしゃるのなら御勝手にと申し上げるよりありませぬわ。「これって勝手読みのこと?」あるいは「恣意的との謗りを免れえない」の応酬になりましょうぞ。

>何れにしろ、我が国に新島発見による未成熟の権原が生じることになりましょう。即ち先占による優先権をもたらすことにはなりますが、相当期間の、実効的占有が続かないと、領域領有権原までは成立しえないでしょうな。

>地誌としての隠州視聴合記は色々の角度から精緻に分析論じられれば宜しかろう。領土問題とは区別してあくまでも史料として正確な内容を掴まれるよう議論と討論を史料文献学的に論じられればよい。愚老どもの関与するところではない。このため①②③④に関し池内氏のご意見に異議を唱える気がないことは最初に断っておいた。

>長々書いたのは半月さんのご意見に関係ある部分に関してであって、池内氏の業績に異を唱える意志など毛頭無いことを、お断りしておく。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「地誌としての隠州視聴合記は色々の角度から精緻に分析論じられれば宜しかろう。領土問題とは区別してあくまでも史料として正確な内容を掴まれるよう議論と討論を史料文献学的に論じられればよい。愚老どもの関与するところではない。」の前提の上で「池内氏の業績に異を唱える意志など毛頭無いことを、お断りしておく。」が史料文献学者でないtorezojpさんの本意でしょう。「水掛け論を続けるほどの問題でもないように愚老は思えますけどもな」とエンドレス・ストーリーの神学論争になることを避けている。

「我が国に新島発見による未成熟の権原が生じることになりましょう。即ち先占による優先権をもたらすことにはなりますが、相当期間の、実効的占有が続かないと、領域領有権原までは成立しえないでしょうな。」

「松島(現・竹島)の領有権原については、1905年(明治38年)1月28日   閣議決定、1905年(明治38年)2月15日   日本政府から閣議決定の島根県知事への訓示、1905年(明治38年)2月22日、島根県告示第40号を公示、等々国家の領有意思の表明は、当該地域を国家の版図に編入する旨の宣言、立法上または行政上の措置等を伴っており充分すぎる。」

云いたいことだけは、さらりと言い切っている。torezojpさんって結構狸だわ。

韓国は反米に,日本をまきこむな

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/23 16:01 投稿番号: [9983 / 18519]
引用:
2005年4月15日(金)

崔慶禄氏   元大日本帝国陸軍少尉の在日韓国大使
http://www.tamanegiya.com/sai.html

なぜ?韓国は北朝鮮人にのせられて日本人を必要以上に批判するのか?
批判するなら   戦争責任者だけを批判すればいいのに。
例えば   今は無き東条と昭和天皇。その他の日本人は第二次世界大戦反対した軍人もたくさんいた。
今も昔も反米に熱心なようだがそれも第二次世界大戦の要因の一つだ。
本当は東条だけでなく   当時から朝鮮半島では反米を言いつづけてそれを真に受けた日本人も被害者なのかもしれない。
あの時   満州から動かなければ   中国とも敵対化することはなかったし
当然   アメリカとも事を構える事はなかったと思う。
今   反米を打ち出している韓国は日本でも反米を必死になって訴えているが   今度は是非   朝鮮だけでアメリカと対峙して欲しい。

意外と正直な朝鮮日報

投稿者: seeker_of_the_britania 投稿日時: 2005/06/23 07:18 投稿番号: [9981 / 18519]
「独島問題も明白な歴史的・国際法的根拠を見つけ、国際社会に提示する以外にはこれといった解決策がない。」

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/06/20/20050620000055.html


正直ですね。韓国では珍しく。

>『隠州視聴合記』の最新解釈批判

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/06/23 06:58 投稿番号: [9980 / 18519]
> 老愚も『隠州視聴合記』は「竹島/独島の帰属を示す歴史的
> 根拠として使用することは、余り適当でないと考えてかけて
> いたとこでしたわい。

torezojp さんは一見、池内敏氏の説に同意しているようですが、実際には池内氏と全く違うことをおっしゃっています。

上の点に関連するお二人の意見を要約すると、以下のようになります。

[池内氏]
----------------------------------------------
隠州視聴合紀における国境の認識は、明白に次のように解釈できる。

・隠州を日本の西北国境としており、松島と竹島は日本の版図外である
・かといって松島と竹島が朝鮮領だとも言っていない

この解釈から明らかなように、この史料は日本にとっても朝鮮にとっても竹島=独島の帰属を示す歴史的根拠にはならない。
----------------------------------------------

[torezojpさん]
----------------------------------------------
隠州視聴合紀における国境の認識は、次のどちらの解釈も可能である。

・隠州を日本の西北国境としており、松島と竹島は日本の版図外である
または
・竹島を日本の西北国境としており、松島と竹島も日本の版図である

解釈がどうであろうと、隠州視聴合紀に記載があるかどうかは領有権原の成立に関係しないので、日本にとっても朝鮮にとっても竹島=独島の帰属を示す歴史的根拠にはならない。
----------------------------------------------

結論の文言は一致していても、意見としては完全に異なっています。

念のため具体的な記述も指摘しておきます。
torezojp さんの記事 #9952 の引用③において、池内氏は次のように述べています。

> Aも、「そうであるならば則ち、日本の北西の地は隠岐州
> (隠岐国)をもって限りとす」としか読みようがない。

明らかに池内氏は、他の解釈が不可能であることを主張しています。

一方、torezojpさんは #9954 で

> 必ずしも池内氏のようには考えないという人がいたとしても
> しようがないですわい。

と述べ、他の解釈も可能であると主張しています。池内氏の主張とは相容れない見解です。

それにも関わらず、torezojpさんは、#9955 の最後であらためて次のように書き、自分は池内氏の意見を否定していないと主張します。

> ①②③④に関し池内氏のご意見に異議を唱える気がないことは
> 最初に断っておいた。

> 池内氏の業績に異を唱える意志など毛頭無いことを、お断りしておく。


池内氏に対する社交辞令とも考えられず、torezojp さんがなぜこのような嘘を書いたのか理解に苦しみますが、とりあえず読んでいる方が混乱しないよう、指摘だけしておきます。

「異国の地」とは

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/06/23 06:56 投稿番号: [9979 / 18519]
kaebulさん(#9671)、kikousidayoさん(#9713)にご紹介いただいて以来、池内敏氏の「前近代竹島の歴史学的 研究序説」を読んでみたいと思いながら入手できずにいたのですが、今回、半月城城さんがネット上で公開してくださったので助かりました。ありがとうございます。

さて、半月城さんは池内論文に基いて以下のように結論されました。

> 池内氏は、さらに内藤正中氏の説などもすべてを検討し、
> 結論として『隠州視聴合記』は「竹島/独島の帰属を示す
> 歴史的根拠として使用することは日韓いずれの側にとっても
> 適当ではなく、そうした議論の現場から退くべきものなので
> ある」と記しました。
>
> 結局『隠州視聴合記』の解釈は、日本の限界は隠州であり、
> 竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)は異国の地になると
> いう結論になるようです。

ここで池内論文からの引用個所には「日韓いずれの側にとっても」の文言があります。更に池内論文を参照すると、引用個所の直前には次のように書かれています。

--------------------------------------
一方、この史料をもって、竹島/独島が当時の日本の版図から外れたものと認識されていたとする( 先に整理した(II)'の見解 )のは妥当だとしても、それがすなわち朝鮮領だ( 同じく(II)" )ということにはならない。(II)"は、文意を逸脱した無理な解釈である。
--------------------------------------

文意はきわめて明快であり、半月城さんがここを読んでいない訳もなければ、その意味を誤解している筈もありません。また都合の悪い部分をあえて無視し、隠蔽しているとも思えません(でなければ、池内論文を公開したりしないでしょう)

なので私は、半月城さんが「異国の地」という言葉を「朝鮮の領土」という意味ではなく、単に「日本の領土でない土地」という意味で使ったものと判断しました。

その上で批判しますが、この「異国の地」という表現は極めて不適切です。

「日本の領土でない土地」には、(a)朝鮮領土、(b)朝鮮以外の国の領土、(c)どこの国にも属さない土地」など、いくつかの可能性がありますが、「異国の地」という表現は(c)を含みません。また、位置的に竹島と松島が日朝以外の国に属することは考えられず実質的に(b)もありえませんから、結局「異国の地」という表現は(a)と同じことになります。

現に「異国の地」を「朝鮮の領土」の意味に解釈して批判した方が複数いらっしゃいますが、その解釈自体は何の問題もない妥当なものであり、そのような誤解を招いた責任は、不適切な表現を用いた半月城さんが全面的に負うべきものだと思います。

隠岐は本邦北西の果てか

投稿者: tuutuu32 投稿日時: 2005/06/22 20:33 投稿番号: [9978 / 18519]
①隠岐は日本の北西の果てと言えるのでしょうか。
②江戸時代の人が認識する「北」は、どの方向を指すのでしょう。北極星方向でしょうか。(現代の私の認識は、そうです。)

takigawamasuujiさんという方

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/06/21 18:53 投稿番号: [9977 / 18519]
この人骨有るわよ。案外骨太かも・・・・・

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=4z9q7zbbkoc0a2ab4z9qbfma4nbb22ca1a2b g4bf7de&sid=1835396&mid=23659

そうか

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/06/21 17:56 投稿番号: [9976 / 18519]
じゃ、素直にありがたく承る。

わかっておる

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/21 17:55 投稿番号: [9975 / 18519]
韓国カテでサッカーに関して即座に教授してやれる者は殆ど居らん。
答えを得ることは難しいじゃろう。

慈悲の心じゃよ。

でもな

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/06/21 17:52 投稿番号: [9974 / 18519]
別にお前に教えてくれとは、一言もいっとらん。

素直で宜しい

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/21 17:48 投稿番号: [9973 / 18519]
やれば出来るではないか。

おうそうか

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/06/21 17:46 投稿番号: [9972 / 18519]
んじゃ、教えていただきまして、ありがとうございました!で、いいか?

タコ君に礼儀は期待して居らん

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/21 17:44 投稿番号: [9971 / 18519]
普通は、教えて頂いて有り難うございましたと言うものだが。

タコ君には無理だろう。

はははは

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/06/21 17:42 投稿番号: [9970 / 18519]
>日本がFIFAランク過去最高9位まで到達したことすらも知らないほどの無知と判って居る。


あのイタリア戦見ても、何も感じなかった奴にサッカーの何たるかが、わかるわけがねえわな?例え、どんな素人でも、サッカーのルールを知ってるなら、なんらかの疑問を抱くだろう。お前はそれすらないんだろ?単なる知識だけを持っててもサッカーを愛してるってことはねえんだろ?所詮、韓国人の一般と変わらぬ見かたしかできないんだろ?韓国戦以外にまったく観客が入らなかったようによ!さすがは、韓国人!言うことが違うぜ。

やはりタコ君は

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/21 17:41 投稿番号: [9969 / 18519]
わけもわからず書いてみたかっただけか。

可愛い奴よ。

おまえ馬鹿だろ?

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/06/21 17:34 投稿番号: [9968 / 18519]
別にこっちは、サッカーに興味があるわけでもない。いい加減、お前の愚かな自己満足はやめて、客観的に物事をみたらどうなんだ?事実無根の非難?それにも関わらず剥奪か?わらわせんなよ!

>可能性だけで確定した証拠にしてしまう論法

だとよ!結果が全てだ。モレノは審判として無能だとレッテルを貼られた。これが全て!お前みたいにみんなは妄想で物事を判断したりしない。馬鹿者。

タコ君は

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/21 17:26 投稿番号: [9967 / 18519]
日本がFIFAランク過去最高9位まで到達したことすらも知らないほどの無知と判って居る。

モレノは事実無根の非難を浴びた。

可能性だけで確定した証拠にしてしまう論法にほとほと嫌気がさしています。 (by 不戦親父)

なあんだ

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2005/06/21 16:19 投稿番号: [9966 / 18519]
まだ、AHOは、己勝手な理論でこじつけしてるのか?
ちょっと、『アジアで唯一w4強ができる国、高麗!』カテの最初の方をちらちら見ていたが、このAHOってかなりの火病を振りまいてたな。モレノは事実無根の非難を浴びたとか。まあこの程度のことしか書けない奴が、竹島について、どうこう判断できるわけがねえわな。(大藁)

成立します。

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/06/21 09:12 投稿番号: [9965 / 18519]
>日本政府は、竹島は日本の固有の領土と説明しているので、歴史上わずかな期間でも、外国の領土になった可能性があるならば、日本の主張は成立しなくなります。

成立しますよ。
成立しないのは、「可能性」ではなく確たる証拠が出た場合です。

こういう、可能性だけで確定した証拠にしてしまう論法にほとほと嫌気がさしています。

梟の泣き声

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/20 21:19 投稿番号: [9964 / 18519]
ほー

ほー

正義は関係ない。本質は関係ない。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=9894

ほー

ほー

意味不明

投稿者: tinopure 投稿日時: 2005/06/20 18:46 投稿番号: [9963 / 18519]
>当初日本政府が主張した1905年閣議決定に基づく無主地先占は、日本側の敗北で決着済でしょう。

そういうからには   当然   論拠・一次資料があるんでしょうね。
ないのですから   説得力が全くないですね。いえばいいってもんじゃない。

1905年頃まで   島根県竹島は朝鮮人には知られておりませんでした。
朝鮮側の史料に記述がない以上、そう判断するしかありません。
帆船では、日本海を航海するのはものすごく困難なことなんですけどね。
当然、遭難するリスクはあがります。たとえば   漁なんか、できるレベルではありません。
島根県竹島が鬱綾島から見えたとしても、命を賭して   何もない小島に行こうとは思わないでしょう。
・・・見えてもなかったようですしね。

しかし、どうしてそういうことが   しゃあしゃあといえるのかな?

全く・・・AHOだな

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2005/06/20 18:28 投稿番号: [9962 / 18519]
AHOよ。黙って、llllowollllさんに指導碁でも打って貰えよ。
お前のヘボ碁では、通用しないよ。(爆笑)


【複写開始】
>当初日本政府が主張した1905年閣議決定に基づく無主地先占は、日本側の敗北で決着済でしょう。

君の脳内でですか?おめでたいねえ

>50年に及ぶ国際法議論としては日本政府が無主地先占の主張を取り下げた段階で終了しているものと理解していますし、現に外務省も言を翻して1905年に領域権原を取得したのではないと言い始めています。

関係ありませんなあ。無主地の先占でも、領有の再確認でも、それを否定する他国による実行支配の根拠でも無い限り、その行為が失効することはございません。
つまり日本の領有権原取得に何ら影響はございません。残念でした

あいも変わらず法理も何もないお粗末な書き込みご苦労さま。
【複写終わり】

もし仮に大韓国帝国の実行支配を云いたければ、立証責任は君らに有るんだからな。(激藁)

どうして,政治的に日本の敗北なんですか

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/20 18:19 投稿番号: [9961 / 18519]
引用:参考:
松島(現・竹島)の領有権原については、1905年(明治38年)1月28日   閣議決定、1905年(明治38年)2月15日   日本政府から閣議決定の島根県知事への訓示、1905年(明治38年)2月22日、島根県告示第40号を公示、等々国家の領有意思の表明は、当該地域を国家の版図に編入する旨の宣言、立法上または行政上の措置等を伴っており充分すぎる

>当初日本政府が主張した1905年閣議決定に基づく無主地先占は、日本側の敗北で決着済でしょう。
  私もそんな感じがしています。国際法的にはともかく、政治的には日本の敗北でしょう。

Okino:
1905年(明治38年)1月28日   明治政府による閣議決定は,日本国家による松島の領有意思の表明であり,松島を国家の版図に編入する旨の宣言ですから,この時点で,松島は改めて正式に日本領に成ったのですよ,それがなんで,政治的には日本の敗北なんでしょうか?1905年閣議決定を領有の根拠としたら、日韓歴史問題が中心議題になりますとは,これもまたどう理解したらいいのでしょうか?
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