竹島

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『隠州視聴合記』の最新解釈批判 4.

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/06/20 05:48 投稿番号: [9955 / 18519]
我が国が、竹島一件で竹島への渡航を禁じたことで一件落着に至ったが、松島に関してはお構いなし、従って領有権原は保全されたことになる。

ちなみに、隠州視聴合記が松江藩士・斉藤豊仙により記されたのは、1667年で、竹島一件で領有問題が起きたのは、1696年1月のことだから、「此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣」の竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)は異国の地と斉藤豊仙が考えていたとは愚老には考えられなかったのである。

幕府自身が自国領として取り扱い、渡航許可が対馬藩を介し朝鮮国東莱府に対するものでなかったことから、有職故実に明るいはずの隠岐郡代斉藤豊仙が此二島を朝鮮領と考えることはあり得なかったのでないかとはこれまで度々述べてきた。

日本領と隠州視聴合記に書かれてないから、朝鮮領とは短絡的で少々牽強付会に過ぎる。朝鮮領と考えていたとすれば、そう明記されるはずでないだろうかとも考えた。

何れにしろ愚老は隠岐郡代斉藤豊仙が隠州視聴合記を記した後に、竹島(鬱陵島)領有問題が生じたことから、時系列で論じると、それ以前の記載に、元禄以降の認識で解釈することに無理があると信じていた。

しかし、いまは竹島(鬱陵島)の帰属は別として、いま領有権問題の対象になってる松島(現・竹島)については隠州視聴合記のみならず我が国では文書や記載が多く、地図の類も揃っている。問題になってるのは竹島(鬱陵島)でなくて松島(現・竹島)であるから、この島に関するもの以外は無用と愚老は考えている。

問題は朝鮮国の成書、地図の類で、松島(現・竹島)の記載が有るかどうかが問われているのであり、隠州視聴合記の記載だけから領有権原は出てこない。隠州視聴合記は、松島が登場する最初の我が国の文書であることのみに意議があると考えられる。従ってそれ以上の興味を失った。

松島(現・竹島)の領有権原については、1905年(明治38年)1月28日   閣議決定、1905年(明治38年)2月15日   日本政府から閣議決定の島根県知事への訓示、1905年(明治38年)2月22日、島根県告示第40号を公示、等々国家の領有意思の表明は、当該地域を国家の版図に編入する旨の宣言、立法上または行政上の措置等を伴っており充分すぎる。

>池内氏は、さらに内藤正中氏の説などもすべてを検討し、結論として『隠州視聴合記』は「竹島/独島の帰属を示す歴史的根拠として使用することは日韓いずれの側にとっても適当ではなく、そうした議論の現場から退くべきものなのである」と記しました。

上の池内氏の発言は至極当然の発言で、領有権原は隠州視聴合記に記載があるとかで成立するのでなくて、国際法に基づく領域権原の取得がなされるか、歴史的に実効支配を証明するに足る必要条件が満たされているかにある。

領有権問題で隠州視聴合記は、松島(現・竹島)の記載が初めて見られた点で重要であるが、それ以上でもそれ以下でもない。#9644、#9700で愚老が述べたことは、この立場からのことである。

地誌としての隠州視聴合記は色々の角度から精緻に分析論じられれば宜しかろう。領土問題とは区別してあくまでも史料として正確な内容を掴まれるよう議論と討論を史料文献学的に論じられればよい。愚老どもの関与するところではない。このため①②③④に関し池内氏のご意見に異議を唱える気がないことは最初に断っておいた。

長々書いたのは半月さんのご意見に関係ある部分に関してであって、池内氏の業績に異を唱える意志など毛頭無いことを、お断りしておく。
【終わり】
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