Re:古代の任那支配と文化伝播
投稿者: lib1964_1982 投稿日時: 2005/06/25 18:40 投稿番号: [9997 / 18519]
「任那の日本府」懐かしい言葉です。おじさんは、ミマナと読みます。ニンナなんて読まないぞ。若い人は、何のことだか知らない人が多いですよね。
竹島問題とは直接関係ないけれど、「任那の日本府」が懐かしい言葉だったので、一言。
「任那の日本府」は日本書紀の記述に唐突に現われるので、どのように解釈したらよいのか理解に苦しむものだったにもかかわらず、南朝鮮を大和朝廷が支配していた政治組織と信じられていました。最近は、日本でも、この説には否定的な考えが多く、中学校・高等学校の教科書には掲載されていないことが多いでしょう。
山川出版の日本史B(2005年版)では、このような説明になっています。
『倭国は、4世紀には朝鮮半島南部の弁韓地域にあった伽耶と密接な関係を持ち、鉄資源を確保した。そこは生産技術を輸入する半島の窓口であり、倭人も集団的に移住していたらしい。』
また、広辞苑第5版の任那の解説は、古い版の記述とはだいぶ異なります。
『4〜6世紀頃、朝鮮半島の南部にあった伽耶諸国の日本での呼称。実際には同諸国のうちの金官国(現、慶尚南道金海)の別称だったが、日本書紀では4世紀後半に大和朝廷の支配下に入り、日本府という軍政府を置いたとされる。この任那日本政府については定説がないが、伽耶諸国と同盟を結んだ倭・大和朝廷の使節団を指すものと考えられる。にんな。』
歴史研究には文献調査と遺跡・遺物などの調査の両方が有ります。韓国には、文献が乏しい時代があって、その時代の文献による調査は、日本や中国の文献に依存しなくてはなりません。しかし、文献調査の結果と遺跡・遺物などの調査の結果に矛盾が生じたときは、文献の記述を鵜呑みにすることは出来ないでしょう。
>韓国は日本文献の中から,韓国に都合のいい部分を切り取って
韓国に限らず、また日本の文献に限らず、遺跡・遺物などの調査と照らし合わせて、あるいは複数の文献を照合して、都合よく解釈できなければ、そのまま鵜呑みにすることはないでしょう。歴史も科学なのだから、当たり前ではないですか。
「任那の日本府」説は、皇国史観に基づく、歴史捏造の一環として現われた、誤った説で、長い間、皇国史観強制の中で、捏造をタブーとされていました。 と言う人もあるだろうけれど、あまり、そんなことを言ってもねー。学説に誤りはつき物だし、歴史が政治に翻弄されることがあるのはある程度仕方ないことだし。人それぞれ、いろいろな気持ちあるだろうけれど、また、汚らしい言葉で、相手をののしることに生きがいを感じている人がいることも承知してるけれど、あんまりそういうの好きじゃないです。日韓ともに。
「任那の日本府」を「南朝鮮を大和朝廷が支配していた政治組織」とする説は、一部のいかれ右翼以外では完全に決着がついたのでしょうか、それとも、学会の中でも論争中なのでしょうか。歴史学者の方、よろしければ教えてください。
ごめんなさい、ずいぶん長い一言になってしまいました。
竹島問題とは直接関係ないけれど、「任那の日本府」が懐かしい言葉だったので、一言。
「任那の日本府」は日本書紀の記述に唐突に現われるので、どのように解釈したらよいのか理解に苦しむものだったにもかかわらず、南朝鮮を大和朝廷が支配していた政治組織と信じられていました。最近は、日本でも、この説には否定的な考えが多く、中学校・高等学校の教科書には掲載されていないことが多いでしょう。
山川出版の日本史B(2005年版)では、このような説明になっています。
『倭国は、4世紀には朝鮮半島南部の弁韓地域にあった伽耶と密接な関係を持ち、鉄資源を確保した。そこは生産技術を輸入する半島の窓口であり、倭人も集団的に移住していたらしい。』
また、広辞苑第5版の任那の解説は、古い版の記述とはだいぶ異なります。
『4〜6世紀頃、朝鮮半島の南部にあった伽耶諸国の日本での呼称。実際には同諸国のうちの金官国(現、慶尚南道金海)の別称だったが、日本書紀では4世紀後半に大和朝廷の支配下に入り、日本府という軍政府を置いたとされる。この任那日本政府については定説がないが、伽耶諸国と同盟を結んだ倭・大和朝廷の使節団を指すものと考えられる。にんな。』
歴史研究には文献調査と遺跡・遺物などの調査の両方が有ります。韓国には、文献が乏しい時代があって、その時代の文献による調査は、日本や中国の文献に依存しなくてはなりません。しかし、文献調査の結果と遺跡・遺物などの調査の結果に矛盾が生じたときは、文献の記述を鵜呑みにすることは出来ないでしょう。
>韓国は日本文献の中から,韓国に都合のいい部分を切り取って
韓国に限らず、また日本の文献に限らず、遺跡・遺物などの調査と照らし合わせて、あるいは複数の文献を照合して、都合よく解釈できなければ、そのまま鵜呑みにすることはないでしょう。歴史も科学なのだから、当たり前ではないですか。
「任那の日本府」説は、皇国史観に基づく、歴史捏造の一環として現われた、誤った説で、長い間、皇国史観強制の中で、捏造をタブーとされていました。 と言う人もあるだろうけれど、あまり、そんなことを言ってもねー。学説に誤りはつき物だし、歴史が政治に翻弄されることがあるのはある程度仕方ないことだし。人それぞれ、いろいろな気持ちあるだろうけれど、また、汚らしい言葉で、相手をののしることに生きがいを感じている人がいることも承知してるけれど、あんまりそういうの好きじゃないです。日韓ともに。
「任那の日本府」を「南朝鮮を大和朝廷が支配していた政治組織」とする説は、一部のいかれ右翼以外では完全に決着がついたのでしょうか、それとも、学会の中でも論争中なのでしょうか。歴史学者の方、よろしければ教えてください。
ごめんなさい、ずいぶん長い一言になってしまいました。
これは メッセージ 9960 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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