竹島
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鬱陵島検察日記 -1882年ー李奎遠
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/04 23:08 投稿番号: [9761 / 18519]
引用:
1868年、日本は明治維新。そして鬱陵島が問題となるのは1881年5月22日、江原道監詞が鬱陵島捜討官(朝鮮は1696年以後、3年に一度巡察使を、当時無人島であった鬱陵島に派遣)からの報告を受け、日本人7名が鬱陵島で木材を伐採していると、報告した事から始まっている。この時朝鮮は日本の外務省に抗議し、併せて副護軍の李奎遠を鬱陵島検察使に任命して鬱陵島に派遣する事になった。
李奎遠が鬱陵島に赴くのが1882年4月。そこで李氏朝鮮の第26代国王・高宗(1863 - 1907在位)は、彼に対し、「松竹島、芋山島は鬱陵島の傍らに在り、しかしてその相距たる遠近いかん。また何れの物有りや否や」と下問している。この高宗の質問に対して李奎遠は「芋山島は即ち鬱陵島にて、芋山は古(いにしえ)の国都の名なり」とし、「松竹島は即ち一小島にて、相距たること十里(今の2Kmに相当)、その産するところは即ち檀香と簡竹」と、答えている。『世宗実録』1年8月条に記された「鬱陵島の傍らに小島あり」の小島と同じく、何れも鬱陵島より東に2Km程度離れた現在の鬱陵郡蔚陵邑道洞里竹島のことで、今の竹島とは全く関係が無いのである。『東国輿地勝覧』の于山島鬱陵島条には松島、竹島の文字は無く、松島、竹島、芋山島の三島を鬱陵島と称したのは『東国文献備考』からである。
その高宗の不確かな鬱陵島理解に対して李奎遠は、「或いは松島、竹島と称して鬱陵島の東に在りとす。而(しか)してこれ松竹島以外に別して松島、竹島あるに非ず」と答え、松竹島(現道洞里竹島)以外に松島や竹島と言う島は存在しないと、高宗の誤りを正している。この高宗と李奎遠の鬱陵島に対する認識の差は、『東国文献備考』の記述を通じてだけ鬱陵島周辺の地理を認識していた高宗と、実際の鬱陵島の様子を伝聞し、現実的な鬱陵島像を確立していた者との違いといえる。
そしてその違いは1882年6月5日、鬱陵島から戻った鬱陵島検察使・李奎遠の帰還によって一層明確となる。李奎遠はその啓文で、「晴明の日、高きに登りて遠眺すれば、即ち千里を窮(きわ)むべくして、更に一挙の石一撮の土なし」とし、鬱陵島検察日記には「四望して海中にうかぶに一点の島嶼(とうしょ)の見形無し」と記している。これは鬱陵島の最高峰である聖人峰(984m)の頂上に立ち、四方を望見した結果を述べた部分で、そこからは島影らしきものは何も発見できなかった。これは、李奎遠の地理的正確さを改めて実証しただけでなく、1880年代の朝鮮の人々には、現在の竹島がその視野の中に入っていなかった事実を証明するものである。
Okino:
李奎遠は鬱陵島を調査して、松島(トクト)なんて島は鬱陵島近海には無いと断言している、そして鬱陵島属島は、主として2島を上げている、一つは島頂(観音等)、一つは竹嶋である。1880年代、朝鮮半島人は松島(う山島)の認識は無く、存在場所もしらなかったのです。
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「世宗実録」の于山はチクト?
投稿者: lib1964_1982 投稿日時: 2005/06/04 15:02 投稿番号: [9760 / 18519]
okinotorisima2004さま、tuutuu32さま、皆様、ご教示ありがとうございます。
>世宗実録にいう于山島は、チクトでも独島でもなく、単に、鬱陵島二島イメージを表現しただけ
その可能性は十分に高く、私も、納得します。
そこで、最初から仕切りなおしでお尋ねします。
「世宗実録」の于山をチクトとする説があるようです。この説の根拠は何でしょうか。また、「世宗実録」の于山をチクトとする立場では、「則可望見」
はどのように解釈するのでしょうか。
これは メッセージ 9752 (tuutuu32 さん)への返信です.
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妄言
投稿者: seeker_of_the_britania 投稿日時: 2005/06/04 14:54 投稿番号: [9759 / 18519]
韓国でもマトモには取り上げられてない「方言説」のほうが
遥かに妄言だと思いますけど。
これは メッセージ 9747 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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世宗実録より東國輿地勝覧
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/06/04 12:38 投稿番号: [9758 / 18519]
後者は、三峯島探検の後に書かれ、世宗実録と同じ編集者(全体責任者?)だそうです。
そして、後者のほうが詳しいのです。
ですから、世宗実録より東國輿地勝覧のほうが結論であると考えるべきです。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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江戸時代の知識人による「此州」の解釈
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/06/04 08:04 投稿番号: [9757 / 18519]
ちょっと質問の書き方を変えます。
#9648〜9655 の私の小論『隠州視聴合紀「州」の用法と解釈』は、江戸時代の知識人は「此州」をどう解釈していたか、という考察が全く含まれていません。
別に隠したのではなく、そこまで私の勉強が及んでいないためです。この点について、識者の方のご批判、ご助言がいただけるとありがたく存じます。
よろしくお願いします。
これは メッセージ 9741 (te2222000 さん)への返信です.
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>>此州は竹島と松島を指す
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/06/04 07:27 投稿番号: [9756 / 18519]
Am_I_AHO_1st さん
> 「州」を「シマ」と読むのは、飽くまでも
> それが「釈読」であることが前提です。
> ですから、それを「音読」と錯覚して「島」と
> 読むことは元から検討対象外なのです。
前に #9451 で「釈読」という言葉が出てきた時には理解できなくてそのままにしてしまったのですが、今回もう一度よく考えてみて、 Am_I_AHO_1st さんは以下のように主張されているものと推測しました。お考えと一致していますでしょうか。
====================
漢文を読み下す際に、文脈を考慮し、敢えて文字の本来の意味と異なった読み方をすることがある。これを「釈読」という。漢文を読み下すことを中国語から日本語への翻訳と考えれば、意訳に相当するのが釈読である。
隠州視聴合紀の「此州」は「竹島+松島」を指している。これを「このシュウ」と読み下すと「州」が国のことで「此州」は「隠州」を指すものと誤解される。そこで「州」に本来「島」の意味は無いけれども、「竹島+松島」を指すことを明確にするために敢えて「このシマ」と読み下す、つまり釈読すべきである。
====================
ところで #9451 の田川先生とは田川孝三氏のことですよね。私は氏の著作を読んだことがないのですが、氏は「此州」が「竹島+松島」を指していると解釈されているのでしょうか。
これは メッセージ 9744 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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サッカー
投稿者: tuutuu32 投稿日時: 2005/06/04 02:47 投稿番号: [9755 / 18519]
ただ今観戦中です。北朝鮮、もっと頑張ってほしかった。北朝鮮や韓国という国は好きになれないが、スポーツ選手は応援します。高校野球と同じで、どうしても近くの国若しくは弱い方を応援してしまう私です。日本人の性、判官贔屓は抜けません。強力です。
これは メッセージ 9754 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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世宗実録で云う于山はトクトでは無い
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/04 01:54 投稿番号: [9754 / 18519]
>世宗実録にいう于山島は、チクトでも独島でもなく、単に、鬱陵島二島イメージを表現しただけだと考えています。
沖の:世宗実録にいう于山島はトクトであると云うのが韓国政府 の主張ですが、貴殿が言われる様に、鬱陵島二島イメージの表現であって、少なくともトクトでは無いということで、小生、満足しています。
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于山島と鬱陵島の二島とも見える
投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2005/06/04 00:34 投稿番号: [9753 / 18519]
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于山はチクトか
投稿者: tuutuu32 投稿日時: 2005/06/04 00:26 投稿番号: [9752 / 18519]
この場合の于山は、チクトでも独島でもないと思います。
八道総図は、16世紀の成立と聞いていますが、世宗実録の記述は、100年後の八道総図のような地理認識を著したものではないでしょうか。世宗実録の時代に八道総図のような地図があったかどうか不明ですが、もしなかったとしても、何らかのイメージをもって記述するはずですから。そのイメージが八道総図のようなものではなかったのでしょうか。妄想ですかね?
八道総図を言葉に直すとどうなるでしょうか。八道総図に描かれた于山島と鬱陵島の距離は、朝鮮半島から于山島までの距離より断然近いから、両島は遠くないと記述するのは妥当です。また、両島が互いに見えるとの解釈も、この意味では一概に間違いとは言えません。于山島が朝鮮半島から見えるのですから、それより短いイメージの両島間の距離であれば、当然互いに見えることになるからです(少々難ありですが)。
私は、「県の正東の海中にあり」と「二島の距離は遠くない」の間に長文がはさまっていれば、互いに見ることができるに軍配を上げるのですが、その解釈をするには、あまりに文が近いこと、遠い近いの感覚や規式からも、朝鮮半島から見えると解釈する方が正解だと思います。
でも、八道総図のイメージで記述したという推測が妥当なら、どちらかの解釈に軍配を上げる必要がないのかも知れません。
次に、私の妄想?の場合、両島が重なって見えるのかどうかは、関係がなくなってしまいます。というのは、実際に島を見たことがない人は、平面的にしかイメージできず、その上、現実とは違うイメージのままで記述しているのですから、于山島と鬱陵島が重なって見えるかどうかは、頭に浮かばず、記述するはずもありません。ですから、私は、実際に島が重なるかどうかを論ずる必要性はないのではないかと思っています。
「于山島と鬱陵島が近くにある。そして、朝鮮半島から島は見える。」という記述は、八道総図のような地理イメージを正確に伝えるうえでは、合理的で必要かつ十分な記述です。
以上のことから、世宗実録にいう于山島は、チクトでも独島でもなく、単に、鬱陵島二島イメージを表現しただけだと考えています。
これは メッセージ 9749 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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「釈読」と「音読」
投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/06/03 18:37 投稿番号: [9751 / 18519]
頼山陽の題不識庵撃機山図
鞭声粛粛夜渡河。
鞭声粛粛として夜る河を渡る
暁見千兵擁大牙。
暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨十年磨一剣。
遺恨十年
一剣を磨して
流星光底逸長蛇。
流星の光底に長蛇を逸するを
齋藤豊仙の隠州視聴合紀
此二島無人之地、
此二島無人の地
見高麗如自雲州望隠州、 高麗を見ること雲州より隠州を望むが如し
然則日本之乾地、
然らば則ち日本の乾地
以此州為限矣
此の州を以て限りと為す
これが「釈読」でしょうか?
これは メッセージ 9750 (kana_ikeuchi さん)への返信です.
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>>>此州は竹島と松島を指す
投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/06/03 18:25 投稿番号: [9750 / 18519]
頼山陽の題不識庵撃機山図
鞭声粛粛夜渡河。
鞭声粛粛として夜る河を渡る
暁見千兵擁大牙。
暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨十年磨一剣。
遺恨十年
一剣を磨して
流星光底逸長蛇。
流星の光底に長蛇を逸するを
齋藤豊仙の隠州視聴合紀
此二島無人之地、
此二島無人の地
見高麗如自雲州望隠州、 高麗を見ること雲州より隠州を望むが如し
然則日本之乾地、
然則日本之乾地
以此州為限矣
此の州を以て限りと為す
これは メッセージ 9744 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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于山はチクトか? 世宗実録検証
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/03 15:19 投稿番号: [9749 / 18519]
朝鮮の太宗は1417年から空島政策をとった為、1432年「世宗実録」の時には島には渡れず、半島からの測定に成った、
チクトは小さい故に確認出来ないと思うが、当時于山島と鬱陵島の二島が重なってかすかに見えたと信じていたのではないか、なにしろ150kmですよ、島はかすかにしか見えないので、二島は重なってる様にみえたのでしょう、
当時島には国禁を犯す事に成るので、渡れません、よって互いの島から島の望見は出来ません、半島からの目測が自然ではないでしょうか。
これは メッセージ 9748 (lib1964_1982 さん)への返信です.
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「世宗実録」の于山はチクト?
投稿者: lib1964_1982 投稿日時: 2005/06/03 14:08 投稿番号: [9748 / 18519]
okinotorisima2004様、早速のお答えありがとうございます。
ちょっと意外なお答えだったので、理解できない点が有ります。重ね重ね申し訳ありませんが、教えてください。
>②江原道から、于山島と鬱陵島の二島が見える。
チクトとは、鬱稜島の北東方向にある、隣の小さい島のことですよね。江原道とは150kmほど離れていると思います。江原道からチクトが見える可能性はありますか?
たとえ高山に登ったとしても、鬱稜島の陰になるか、ならないとしても、重なってしまい2つの島を見ることは、現実には不可能のように思います。(間違いかも知れません。鬱稜島の等高線図を持っていないので、計算できないのです。)いかがでしょうか。
次に、
「二島相去不遠」と、距離を問題にしている部分では、陸地からではなく、島と島の関係と解釈し、「則可望見」と、単に見える見えないの記述においては、陸地からのことであるとの解釈と思います。
okinotorisima2004様は、9721で以下の文章を引用されています。
>次に、地理誌での規式において、海島に関しては、陸地からの距離を記すことになっている。
この記述が正しいとすると、距離を問題にしている部分では陸地からの距離を書き、見える見えないについては島と島の関係でも良いと解釈できるように思います。逆になっていませんか。
以上、よろしくお願いします。
これは メッセージ 9746 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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襄陽縣?
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/03 12:23 投稿番号: [9747 / 18519]
これは メッセージ 9746 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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于山はチクトと思いますが・・・
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/03 12:08 投稿番号: [9746 / 18519]
小生は以下のごとく解釈します
①于山島と鬱陵島の間が、それほど離れていない。
②江原道から、于山島と鬱陵島の二島が見える。
見た感じが遠くないよ、と漫然と言い表しているに過ぎないと考えます。
これは江原道襄陽縣から見ているので、ここ襄陽縣から松島(于山)は100km以上はあるから鬱陵島はかすかに見えても松島(于山)は鬱陵島より遠いし、尚かつ小さいから見えないでしょう、
伊豆大島は大きな島ですから、まじかに見えるのではないか
よって、于山はチクトだと考えます。
これは メッセージ 9745 (lib1964_1982 さん)への返信です.
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「世宗実録」の于山はチクト?
投稿者: lib1964_1982 投稿日時: 2005/06/03 10:29 投稿番号: [9745 / 18519]
世宗実録の解釈について教えてください。
于山をチクトと考える立場では、「世宗実録」をどのように読むのでしょうか。
于山、武陵二島、在県正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見
まず、「二島相去不遠」は、どちらの解釈でしょうか。
①于山島と鬱陵島の間が、それほど離れていない
②二島は”江原道襄陽縣”からそれほど遠くない
また、「則可望見」は、どのような解釈でしょうか。
①于山島から鬱陵島、鬱陵島から于山島が見える
②江原道から、于山島と鬱陵島の二島が見える
③江原道から、于山島と鬱陵島のいずれか一島が見える
それから、「不遠」はこの時代、すでに実測距離のことを言い表していると考えるのでしょうか。それとも、単に、”見た感じが遠くないよ”と漫然と言い表しているに過ぎないと考えるのでしょうか。
前者であるなら、90km離れた鬱陵島・竹島を不遠とするには、違和感が有ります。
しかし、後者であるならば、全く目標のない大海の中の話なので、90kmを不遠としても、不思議はないと思います。実際、鎌倉育ちの知人は、鎌倉から伊豆大島は60km以上あるのに「結構近くに見える」と言っています。
以上、よろしくお願いします。
これは メッセージ 9740 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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>>此州は竹島と松島を指す
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/03 09:02 投稿番号: [9744 / 18519]
「州」を「シマ」と読むのは、飽くまでもそれが「釈読」であることが前提です。
ですから、それを「音読」と錯覚して「島」と読むことは元から検討対象外なのです。
これは メッセージ 9734 (te2222000 さん)への返信です.
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>江戸時代の知識人による「州」の解釈
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/06/03 08:53 投稿番号: [9743 / 18519]
>「江戸時代の知識人が隠州視聴合紀の州を嶋と読んでいた」と判断できる根拠をご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。
隠州視聴合紀は漢文なのだから、「隠州視聴合紀の州(シュウ)を嶋(トウ)と読んでいた」としなければ錯覚する人が出てきます。
これは メッセージ 9741 (te2222000 さん)への返信です.
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江戸時代の知識人による「州」の解釈
投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/06/03 07:13 投稿番号: [9742 / 18519]
「江戸時代の知識人が隠州視聴合紀の”国代記”「此州を以て限りと為す」の州を嶋と読んでいなかった」と判断できる江戸時代の他文献など実例をご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください.
よろしくお願いします。
これは メッセージ 9741 (te2222000 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9742.html
江戸時代の知識人による「州」の解釈
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/06/03 06:27 投稿番号: [9741 / 18519]
会議室を読まれている皆さんにお尋ねします。
「江戸時代の知識人が隠州視聴合紀の州を嶋と読んでいた」と判断できる根拠をご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。
よろしくお願いします。
これは メッセージ 9739 (kana_ikeuchi さん)への返信です.
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「世宗実録」 を、検証 ーその2ー
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/03 05:45 投稿番号: [9740 / 18519]
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi13.htm
1432年、「世宗実録」地理志での、う山島、武陵この二島「お互いの距離は近い」と云う意味にとれます、というのは、松島(トクト)は、う山島とであると云われはじめた安の事件1696年より260年程昔だからです、この頃、松島の名はどこにも出てきません、かすりもしないのです、つまり、う山島はチクトの事と推測します否チクトでしょうね。
尚「世宗実録」は他にいろんな事も書いてあるようです、
「世宗実録」28年の項によれば、倭寇の多くは倭人を騙る朝鮮半島住民であり、日本人の倭寇は全体の1〜2割に過ぎないと記されている。
これは メッセージ 9722 (tuutuu32 さん)への返信です.
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>>これって勝手読みのこと
投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/06/02 18:00 投稿番号: [9739 / 18519]
青丘学術論集2005年3月
「前近代竹島の歴史学的 研究序説」−「隠州視聴合記』の解釈をめぐって」
すぐ読んでみました。前に捏造でからかわれて腹が立ってたけど、面白い雑誌紹介して頂いて有り難うございます。前のこと許して上げてもいいわよ。
結構面白いけど、このトピとは離れているわ。何方がどんな考証をなさろうと、何を言おうと、torezoさんが仰有るように私も江戸時代の識者は州を嶋と読んでたのは確かだと思うから、アアでもないこうでもないと言ってるのが馬鹿みたい。
江戸時代、斉藤豊仙は普通に地誌として読んで貰えると思っていたのが、韓国人に、日本人が英語を読むように外国語として体系立ってて読まれようとは思っていなかったと思うわよ。あたしなんか英語を読む時、日本語にわざわざ訳さないで英語のままで読んだ方がわかりやすいのよ。アホらしくなってきたわ。
これは メッセージ 9713 (kikousidayo さん)への返信です.
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『東国文献備考』「輿地考」(1770) 4号
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/02 16:08 投稿番号: [9738 / 18519]
「于山島は日本の松島(現在の竹島(独島))である」とする言説は、
安龍福が「松島は即ち于山島、此れ亦我国の地」(1696年)と供述したのが最初である。
『東国文献備考』は1770年に成立している。
その「輿地考」で「輿地志云う」という史料の引用がある。
その「輿地志」は1656年に成立した地誌のことである。
『東国文献備考』の引用元の「輿地志」に、
「鬱陵、于山、皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂松島である」と書いてあれば、安龍福の証言以前から于山島は松島(=現在の竹島(独島))であったと言う事になり、朝鮮側では松島を朝鮮領と認識していた事になる。
その輿地志に、干山島=松島(現在の竹島(独島))という記述がなければ、安龍福の証言を元にして『東国文献備考』が書かれていたことになる。。
これは メッセージ 9737 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9738.html
『東国文献備考』「輿地考」(1770) 3号
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/02 14:14 投稿番号: [9737 / 18519]
訂正:
柳馨遠の『輿地考』の考は志のまちがいで正しくは柳馨遠の『輿地志』です
申景濬が『東国文献備考』第一篇輿地考を編纂する時に独断にて勝手に改ざんして、「于山島は松島」を書き加えたのです、韓国政府は、この『東国文献備考』輿地考をたてにとり、ほれ
ほれ
とくとご覧なさい、ここに「于山島は松島」と、ちゃんと、書いてあるでしょうと日本政府にせまったのです。
これは メッセージ 9736 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9737.html
『東国文献備考』「輿地考」(1770) 2号
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/02 13:29 投稿番号: [9736 / 18519]
http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/kaizan.html
承政院日記』の英祖四十六年(1770年)閏五月二日条には、
『東国文献備考』の上箋文を書いた金致仁は、その編纂過程をについて、
「(申)景濬草創して、(洪)啓禧
潤色す」と述べている。
「輿地考」は申景濬の『彊界考』を底本としているが、その編纂の過程では洪啓禧という人物の手が加わり、文章に潤色がなされたと言っているのである。
つまり、柳馨遠の『輿地考』の「一説に于山鬱陵本一島」という文章は、
まず、申景濬の『彊界考』の按記で、于山島と鬱陵島が別々の島であることを主張するための材料として引用された。
さらに、「輿地考」の分註で、洪啓禧の手が加わって、「輿地志に云う、鬱陵、于山、皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂松島なり」という形に改竄されていたのである。
結局、于山島が松島(=現在の竹島(独島))だったということも、于山島が鬱陵島の属島であったと言う事も、柳馨遠の「輿地志」に書かれていたのではなく、申景濬から始まっていたのである。
では、申景濬は何に依拠して、「于山島は松島である」と臆断したのか?
申景濬は按記の中で「諸図志を考えるに」としているように、当時存在していた文献を勘案しているが、それらは安龍福の「松島即ち于山島」という証言を無批判に取り入れていたわけである。
これは メッセージ 9735 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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『東国文献備考』「輿地考」(1770)
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/02 12:45 投稿番号: [9735 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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>此州は竹島と松島を指す
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/06/02 05:45 投稿番号: [9734 / 18519]
Am_I_AHO_1st さん
ご返答ありがとうございます。
> 「此」の用法としては、その字が用いられた
> 直前までの文章の流れの中で、主題となって
> いるものを指すと思われますので、
以下のように修正した方が正確だと思いますがいかがでしょうか。
−−−−−−−−−−−−
「此○」の用法としては、その字が用いられた直前までの文章の流れの中で主題となっており、かつ「○」と呼べるものを指す
−−−−−−−−−−−−
したがって、無人島である「此二島」のことを「州」と呼べるかどうかについて疑問を提出した訳です。
まあ、#9708 で shuku_remus さんが書かれているような理由で、無人島の群島にあえて「州」を使うことはあっても良いかなと思いつつありますが。
> 国代記中の問題の文章は隠州から他州への
> 里程表的な文章の流れになっており、一連の
> 文章を読み下す場合には誤解される虞はないと
> 考えたのでは。
一つ目の疑問に関連するのですが、「州」を無人島の群島に使うことが特別のことだとすると、誤解の恐れは高いと思います。
これは メッセージ 9717 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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>これって
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/06/02 04:57 投稿番号: [9733 / 18519]
kikousidayo さん
> 財団法人韓国文化研究振興財団-青丘学術論集2005年3月
> 「前近代竹島の歴史学的 研究序説」−「隠州視聴合記』の解釈をめぐって」
ご紹介ありがとうございます。
ひょっとしてソウル大写本の件もこの雑誌に出ていたのでしょうか。よろしかったら #9634 についてもコメントを下さい。
これは メッセージ 9713 (kikousidayo さん)への返信です.
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「ソーリー・ステート」と小ばかにする韓国
投稿者: sinakirai_rinjitaishi 投稿日時: 2005/06/02 02:51 投稿番号: [9732 / 18519]
さっきリンク張ったやつだけど、その文章読んだらわかるけど、韓国のメディアってこうやって日本を「小ばか」にしてマスかいてやんのw
英FTが「日本はソーリーステート(謝罪国家)だ」って日本を揶揄したらしい(知らないけど)けど、それは、何度も謝罪するなよって意味だろう、たぶん。
それを、当事者の韓国人が「小ばか」にしてるわけ。ってことは、「謝罪」には何の意味もないってことだよ。
相手は悪意のかたまりだって、これでよくわかるじゃんか!
韓国なんて、力でやっつけるしかないんだって!
これは メッセージ 9731 (sinakirai_rinjitaishi さん)への返信です.
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こういう新聞記事自体が捏造でしょ
投稿者: sinakirai_rinjitaishi 投稿日時: 2005/06/02 02:37 投稿番号: [9731 / 18519]
このなかに、名指しされてる
元?京都大学経済学部教授
堀和生氏
島根大学名誉教授
内藤正中氏
津田塾大学
高崎宗司
三人とも、そんなこと言ってねぇって否定するんじゃないのかな?
なぜって、ちょっとは「専門家」なら、「鬱陵島(ウルルンド)、独島に渡航を禁止させる時」とか、でたらめなこと言うわけない。17世紀に日本が渡航禁止にしたのは鬱陵島だけだ。
「日本の記録も第2次世界大戦前のものには韓国の土地であることを裏付ける資料が多い」??とか、「江戸時代の島根県の漁民も渡航禁止令が出されてからは朝鮮の土地だと認識していた」??とか、島根県の1905年の告示前は、1回も日本が独島の領有権を主張したことがない??とか、こんなこと言う「専門家」は日本にはいないよ。もしいたら、モグリか嘘吐きかヤラセか。。。まあそんなのもいないだろw
とにかく、韓国人って、平気で嘘をつくんだから。。。
[オピニオン]日本の独島良心
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2005060133038
これは メッセージ 9730 (sinakirai_rinjitaishi さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9731.html
韓国人、逃げるなよ
投稿者: sinakirai_rinjitaishi 投稿日時: 2005/06/02 02:28 投稿番号: [9730 / 18519]
これは メッセージ 9703 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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民主党の連中
投稿者: sinakirai_rinjitaishi 投稿日時: 2005/06/02 02:09 投稿番号: [9729 / 18519]
これは メッセージ 9728 (sinakirai_rinjitaishi さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9729.html
竹島から不法占拠者を追い出す時
投稿者: sinakirai_rinjitaishi 投稿日時: 2005/06/02 02:02 投稿番号: [9728 / 18519]
北朝鮮への経済制裁が発動されて、北が色々と軍事挑発してきたときだな。
竹島の周辺を韓国が支配してたんじゃ、日本の安全は守れない。
北朝鮮のことで、韓国との協力なんか絶対期待しちゃ駄目だ。あいつらは後先考えずに北朝鮮に味方するよ。。
今(6月2日、1:55現在)、対馬沖で日本の海保と韓国の警備艇がにらみ合いをつづけている!
韓国が、日本で犯罪をおかして逃げた犯罪者をかばって、操作妨害をしているためだ。
これをみても、韓国が敵みたいなもんだって、もうはっきりした。
あとはタイミングだけだな。
北朝鮮が核実験したら当然だけど、しなくても、このままゴネたら日本はアメリカと一緒に国連安保理で制裁決議にもっていって、制裁に踏み切る。そしたら当然、北は日本を威嚇しに色々とやってくるだろう。
竹島は、日本の安全保障のために絶対、日本に取り戻しておかないといけない。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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竹島(独島)問題Webアンケート
投稿者: asiarekisi 投稿日時: 2005/06/02 00:42 投稿番号: [9727 / 18519]
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9727.html
たぶん「石島」は、朝鮮政府の将来戦略
投稿者: exorcist_lll 投稿日時: 2005/06/02 00:40 投稿番号: [9726 / 18519]
一応、何でも良いから適当な名前を書いておけば、
将来の領土拡張の手がかりになるかも知れないと、
そう考えたのであろうと思う。
何しろ、「波浪島」の領有権を主張するような民族ですから、
あり得る可能性ではないでしょうか?
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9726.html
遠いか近いか
投稿者: tuutuu32 投稿日時: 2005/06/01 23:06 投稿番号: [9725 / 18519]
早速のご返答、有難うございます。
東國輿地勝覧の記述を見てみたいと思います。ところで、金漢京が処刑されたとは知りませんでした。非常に気になります。三峯島という島はないと断定したことで、処刑されるとは驚きです。
遠い近いの感覚は人によって違いはあるとは思いますが、常識的な範囲はあると思うので、記述に疑問を持っている次第です。
さて、上陸しなかった理由は風のためというのは理解できますが、3キロも距離をとる理由としては、風が理由になるのでしょうか。結局は、金漢京が島に行かなかったからですかね。そういえば、19世紀末に探検を命じられた朝鮮の方は、昔、探険を命じられた者は実際に行ったことがないと言上していた記述があったような記憶があります。
以上のような素朴な疑問しか持てない私ですが、史料を見るとき、一つひとつの文字の解釈に加えて、人間は常識的にどういう行動をするのかということも考え合わせると、真実が見えてくるのではないかと思っています。
これは メッセージ 9724 (husenoyaji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9725.html
遠いか近いか、
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/06/01 22:33 投稿番号: [9724 / 18519]
少なくとも、獨島だとすると領土の中でもっとも遠い島ですからね。
領土と領土の間でも鬱陵島と本土の次に離れたものを遠くないとは不思議な表現です。
世宗実録に関しては、その後の東國輿地勝覧の記述を見るのが一番だと思います。
東國輿地勝覧がいわば結論の資料ですから。
島に上陸しなかった理由は、第一は風のために危険で接岸できない。
私の妄想では、住人と話が通じていて、見逃すための方便。
で、この探査のあと、三峯島という島はないと断定して、三峯島に行ったと証言した金漢京は処刑されています。
金漢京自身は、鬱陵島に行った記述がありません。
つまり、はじめから金漢京は違う名前で呼んでただけのことかもしれません。
これは メッセージ 9722 (tuutuu32 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9724.html
>>>>「竹島外一島」について
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/06/01 22:02 投稿番号: [9723 / 18519]
全くもってその通りです。
ただし、内務省・太政官は竹島・松島をここで「本邦関係無」としましたが、位置的には内務省・太政官ともにリアンクールを想定せず、アルゴノート・ダジュレーの位置に両島を考えたと私は見ています。
これは メッセージ 9714 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9723.html
「世宗実録」 を、検証する
投稿者: tuutuu32 投稿日時: 2005/06/01 21:36 投稿番号: [9722 / 18519]
初参加です。よろしくお願いします。
いろいろな論客の方のバトルを拝見し、大変勉強になっています。
さて、風日清明、則可望見の解釈ですが、okinotorisimaさんのご意見が正しいのではないでしょうか。遠くないというのは、近いということです。地球儀でも眺めていて、東京はソウルから遠くないとする表現は、それが例え1000キロ離れていようとも適当な表現です。しかし、鬱陵島付近の狭い範囲の視点では、100キロ近くも離れた「風日清明なら見える島」は遠いと表現するのが適当です。
正史であればなおさら、そのような矛盾する表現を、しかも続けて記述するはずがないと思います。このような距離に関する感覚が、普遍のものかどうかは分かりませんが、特に、動力もなく危険な航海を強いられる時代の100キロというのは、遠くないものでしょうか。海と陸とで多少感覚は変わるかも知れないと考えたのですが、陸で生活をしている私は、海の100キロも陸の100キロも同じく遠いという感覚にしかなりません。
私なら、遠くないとは表現せず、はるかに見える距離にあるとしか書きません。距離に関して、別の感覚を持たれる方はいらっしゃいますか。教えて頂きたいのですが。
次に、今、私が抱いている疑問なのですが、鬱陵島(若しくは現在の竹島)を探険した朝鮮の方が、島の様子を望見したときに、2回とも島の7里〜8里から眺め、1回目は風が強かったとの記述がありました。2回ともなぜ、同じ距離から望見したのか良く分からないのですが、何か近づけない理由があったのでしょうか。探険を命じられたら、もっと近寄って見るのが義務だと思うのですが。2回とも風のせいでしょうか。それとも、別の理由があるのでしょうか。暗礁が多くて近づけないとか。それとも、近づきすぎると島の全体像が分からないので、あえて遠くから見たとか。皆さんなら、どうされますか。
もう一つ、昔、帆船というのは、夜間も帆を揚げて航行したのでしょうか。というのは、鬱陵島から隠岐まで、どのようなルートを辿ったのか知りたいのです。つまり、隠岐へは直線ではなく、大きく西方向に迂回して進み、夜は潮に任せて、いわばジグザグに航路をとるのではないかと考えているからです。
以上、まだ、史料批判をする知識能力が不足しているので、しばらく、人間の合理的行動という視点や、当時の状況から、この問題を眺めてみたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。
これは メッセージ 9721 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/9722.html
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