竹島

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1月9日の文章起し完成

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/08/06 19:53 投稿番号: [15710 / 18519]
民主党が躍進してロシアが喜んでいます。かの国も喜んでいる事でしょう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070802-00000917-san-int

さて、掲題の件ですが、『琉球群島における古賀の功績・其の七』(1月9
日)の文章起しが完成しましたので、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0109.html


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『琉球群島における古賀の功績・其一』
『琉球群島における古賀の功績・其六』
『琉球群島における古賀の功績・其七』(本日アップロード完了)
『琉球群島における古賀の功績・其八』
『南島探験』

八月上旬の尖閣掲示板エンディングテーマ「横須賀ストーリー」
http://www.youtube.com/watch?v=8Ex8o8Ar-u4&mode=related&search=

1月6日の文章起し完成

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/08/05 23:39 投稿番号: [15709 / 18519]
現在日本には400万世帯がワーキングプアだそうです。NHKスペシャルの再放送で言っていました。これは非常に問題です。

さて、掲題の件ですが、『琉球群島における古賀の功績・其の四』(1月6日)の文章起しが完成しましたので、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0106.html


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『琉球群島における古賀の功績・其一』
『琉球群島における古賀の功績・其四』(本日アップロード完了)
『琉球群島における古賀の功績・其六』
『琉球群島における古賀の功績・其七』
『琉球群島における古賀の功績・其八』

八月上旬の尖閣エンディングテーマ「横須賀ストーリー」
http://www.youtube.com/watch?v=8Ex8o8Ar-u4&mode=related&search=

1月5日の文章起し完成

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/08/05 22:03 投稿番号: [15708 / 18519]
竹島も尖閣諸島も、その帰属に関しては内務省は極めて慎重です。何故でしょう?

さて、掲題の件ですが、『琉球群島における古賀の功績・其の三』(1月5日)の文章起しが完成しましたので、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0105.html


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『琉球群島における古賀の功績・其一』
『琉球群島における古賀の功績・其三』(本日アップロード完了)
『琉球群島における古賀の功績・其四』
『琉球群島における古賀の功績・其六』
『琉球群島における古賀の功績・其七』
『琉球群島における古賀の功績・其八』

八月上旬の尖閣エンディングテーマ「横須賀ストーリー」
http://www.youtube.com/watch?v=8Ex8o8Ar-u4&mode=related&search=

1月3日の文章起し完成

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/08/05 21:36 投稿番号: [15707 / 18519]
今日の午後放送された田原総一朗スペシャルはご覧になりましたでしょうか?ジュネーブ協定を知らない末端の兵士に罪はありません。刑務所で日本に同情的だったインド人看守の話や、泰面鉄道の連合国捕虜の監視役として韓国から徴用され、敗戦後、連合国から死刑宣告を受けながらも、減刑で日本に帰ってきて住んでいる人の話など、考えさせられるものがありました。

さて、掲題の件ですが、『琉球群島における古賀の功績・其の二』(1月3日)の文章起しが完成しましたので、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0103.html
「大なるものは釣魚島一名和平山といい、小さきものを久場島一名黄尾島という」との記述があります。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E4%B8%80%E5%90%8D&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=01056100989500
やはり「一名」という意味は別名ということですね。「鬱陵島一名于山」は鬱陵島と独島とはなりません。

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『琉球群島における古賀の功績・其一』
『琉球群島における古賀の功績・其二』(本日アップロード完了)
『琉球群島における古賀の功績・其三』
『琉球群島における古賀の功績・其四』
『琉球群島における古賀の功績・其六』
『琉球群島における古賀の功績・其七』
『琉球群島における古賀の功績・其八』

八月上旬の尖閣エンディングテーマ「横須賀ストーリー」
http://www.youtube.com/watch?v=8Ex8o8Ar-u4&mode=related&search=

1月14日の文章起し完成

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/08/03 08:35 投稿番号: [15706 / 18519]
最近三角合併を勉強しているのですが、株式交換と株式譲渡の違いを理解することが出来ました。

さて、掲題の件ですが、『琉球群島における古賀の功績・其九』(1月14日)の文章起しが完成しましたので、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0114.html
文章起ししてみましたが、これは直接尖閣の記事ではありませんでした。

next, coming up
『琉球群島における古賀の功績・其一』
『琉球群島における古賀の功績・其二』
『琉球群島における古賀の功績・其三』
『琉球群島における古賀の功績・其四』
『琉球群島における古賀の功績・其六』
『琉球群島における古賀の功績・其七』
『琉球群島における古賀の功績・其八』
『琉球群島における古賀の功績・其九』(本日アップロード完了)

古賀の功績エンディングテーマ「横須賀ストーリー」
http://www.youtube.com/watch?v=8Ex8o8Ar-u4&mode=related&search=

1月7日の文章起し完成

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/08/02 23:27 投稿番号: [15705 / 18519]
以前やっていたように、今日から次回アップロード予定の資料リストを末尾に加えます。「もっと資料あったのに、あれ?これっきり?」とお思いになる方もいるかも知れませんが、もちろん"これっきり"ではありません。そこで今月上旬のエンディングテーマを決めました。

さて、掲題の件ですが、『琉球群島における古賀の功績・其五』(1月7日)の文章起しが完成しましたので、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0107.html
高校教師の黒岩さんが日本で初めて「尖閣列島」という名称を付けたのは存じていましたが、彼が古賀さんと面識があるとは知りませんでした。やはり文章起しはしてみるものですね。

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『琉球群島における古賀の功績・其一』
『琉球群島における古賀の功績・其二』
『琉球群島における古賀の功績・其三』
『琉球群島における古賀の功績・其四』
『琉球群島における古賀の功績・其五』(本日アップロード完了)
『琉球群島における古賀の功績・其六』
『琉球群島における古賀の功績・其七』
『琉球群島における古賀の功績・其八』
『琉球群島における古賀の功績・其九』

古賀の功績エンディングテーマ「横須賀ストーリー」
http://www.youtube.com/watch?v=8Ex8o8Ar-u4&mode=related&search=

『地学雑誌』 明治33年

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/08/01 03:44 投稿番号: [15704 / 18519]
安倍総理の目指している方向性は間違っていません。赤城農相は何で領収書ださないのでしょう?あれがなければ40台行けてたと思います。

さて、掲題の件ですが、下記に掲載します。

1900年『地学雑誌』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)

『沖縄毎日新聞』 1910年

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/07/31 21:19 投稿番号: [15703 / 18519]
安倍首相の続投に賛成します。

安倍さんが公務員改革をしようとしたら、改革に抵抗する社会保険庁が、年金記録を民主党の長妻氏に見せて、自民を攻撃させた。自分(社保庁)のミスを自ら公開し、非公務員化を阻止しようとした、自爆テロの類です。国民はそういう裏の事情なんて知らないから、「自民が悪い、民主が正しい」と思っていますが、民主党の案はそのまま公務員で歳入庁にするというのですから、非公務員化の自民党案の法が良いに決まっている。

社会保険庁職員へ
民主党支持者や無党派層の目は騙せても、自民党員の目は騙すことは出来ない。あなた方の陰謀によって安倍首相が辞任すると思ったら大間違いです。必ず非公務員化させ、民間と業務の競争(徴収率UP)をさせ、現在6割と言われている国民年金の加入率を上げてみせます。

さて、掲題の件ですが、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0101.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0103.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0105.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0106.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0107.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0108.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0109.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0111.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/okinawamainichi-1910/0114.html

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)

再度言います。安倍首相の続投に賛成します。

条約の附属地図? どれが?

投稿者: take_8591 投稿日時: 2007/07/30 17:36 投稿番号: [15702 / 18519]
   2005年8月にこんな記事がありました。

[ No.10313 ] 投稿者 : hangetsujoh
   半月城です。
   私の書き込みを高く評価していただき、ありがとうございました。
   最近は忙しく休んでいましたが、また書き込みを再開したいと思います。
   これは メッセージ 10292 wajin_bakabaka_wajin_baka さんに対する返信です

[ No.10314 ] 投稿者 : honkytonk_2002_x
   しっかりと(笑)   読んでおられますねえ。(笑)
   間違った内容でも、お互い同意し合えると仲良くなるという朝鮮でのふれあいを垣間見ました。

[ No.10321 ] 投稿者 : husenoyaji
   こんな投稿に謝辞をのべるのは、貴方の信用をいっそう落としますよ。
   正直言って、おどろきました。
   唖然としました。


   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     自分達で、きちんと処理してね   ・・・
   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

Re: 日本の公的な官撰地図、舩杉批判1

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2007/07/30 11:54 投稿番号: [15701 / 18519]
>戦前の地理担当部署
>   1869(明治2)年   民部官に庶務司 戸籍地図掛を設置
>   1870(明治3)年   民部省に地理司を設置
>   1871(明治4)年   民部省の廃止にともない、太政官 正院(せいいん)地誌課となる
>   1874(明治7)年   内務省の地理寮となる
>   1877(明治10)年   内務省の地理局となる
>   1884(明治17)年   内務省の大三角測量事業を参謀本部の測量局に統合
>   1888(明治21)年   測量局が参謀本部の陸地測量部になる。
戦後
>   1945(昭和20)年   内務省に地理調査所が発足
>   1948(昭和23)年   地理調査所は建設省の付属機関となる
>   1960(昭和35)年   地理調査所の名称を国土地理院と改称

  ええ、そのとおりです。
  特に戦後については、陸地測量部の貴重な原版を進駐軍の接収から免れるため命がけで守ったと聞いていますが、一部の論者はその貴重な成果品を「ただの軍管区に過ぎない」などととんでもない出鱈目を云う人もいますしね。
  自分の主張を言い張るためには、先人の苦労もゴミのように扱っても平気なんですかね。理解に苦しみますね。

Re: 日本の公的な官撰地図、舩杉批判3

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2007/07/30 11:42 投稿番号: [15700 / 18519]
>(注6)毎日新聞社編『対日平和条約』付属地図、毎日新聞社、1952
>   http://www.kr-jp.net/map/mainichi-1952.pdf

  条約の附属地図ですか。
  なるほど。

  動かぬ証拠のようですね。

『New York Times』 1971年

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/07/29 19:15 投稿番号: [15699 / 18519]
半月城氏のHPにはアサヒビール不買運動(?)を推奨しているような記述がありますね。良い事です。日本郵船、キリン、三菱地所、三菱電機情報ネットワーク、三菱鉛筆、東京三菱UFJ銀行など、保守系企業はこれからも伸びなければなりません。
http://quote.yahoo.co.jp/q?s=%BB%B0%C9%A9&d=v1&k=c3&h=on&z=m
ちなみにこの掲示板の皆さんは、能を楽しんだりする事はありますでしょうか?
http://www.hotism.com/ryosui/
「菱水会」は非常に上品でハイクラスな人の集まりです。

逆に岡田元民主党代表の兄弟が経営するイオンや、鳩山が経営するブリジストンなど、民主党系企業の商品は手を出さないように私はしています。近くにイオンが在っても絶対買いません。

半月城さん、これからもアサヒビールを徹底追求して下さい。

さて、掲題の件ですが、下記に記載いたします。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/newyorktimes/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(上記掲載済み)

日本の公的な官撰地図、舩杉批判3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/29 17:31 投稿番号: [15698 / 18519]
   時代は飛んで、1905年に竹島=独島を「領土編入」した後の状況はどうでしょうか。当然、同島は日本領として描かれるべきですが、なぜか島根県のホームページに掲載されている島根県の古地図は一枚として竹島=独島が記載されていないようです。
   中には島根県土木課作成の島根県地図もありますが、竹島=独島は抜けおちています(注5)。島根県ですら竹島=独島に対する領土意識は希薄だったようです。これは、政府レベルで竹島=独島をこっそり日本領へ編入したツケが回ったのでしょうか。

   つぎに、戦後はどうでしょうか?   舩杉氏は次のように記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   国土地理院に照会したところ、戦後の地図では、昭和33年(1958)の250万分の1地図「日本とその周辺(2)」、昭和46年(1971)以降の300万分の1地図「日本とその周辺」、昭和46年(1971)以降の5万分の1地図「西郷」(500万分の1位置図)、昭和46年(1971)以降の2.5万分の1地図「西村」(250万分の1位置図)などに、竹島が記載されていることが分かった(P159)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   舩杉氏の国土地理院への照会は不充分だったようです。私の調べでは 1958年以前にも国土地理院は竹島=独島を日本領と認識していました。「竹島」の記述自体は 1947年に内務省の地理調査所で編纂された「日本全圖」および 1948年に建設省の地理調査所で編纂された「日本全図」にも記載されました。ただし、これらは北方の「クナシリ」などと同様に日本の周辺として描かれたのであり、日本領とはされませんでした。
   1948年版の「日本全図」は1952年に修正されましたが、依然として竹島=独島やクナシリは外国領のままで描かれました。これは、毎日新聞社が出版した『対日平和条約』付属の「日本領域図」(注6)の認識にほぼ等しいようです。すなわち、サンフランシスコ条約でも竹島=独島は日本領にならなかったという認識を地図で表現したことになります。

   その「日本全図」は、さらに1955年に「一部増補」がおこなわれ、この時に竹島=独島やクナシリなどは初めて日本領として描かれました。「日本領」を明確に表現するため、竹島=独島と欝陵島との間には国境線が引かれました。竹島=独島における日韓間の銃撃事件をきっかけに世論に押されたのか、地理担当部署は同島を日本領に組み入れたようです。その後の国土地理院の地図は最終報告書に書かれたとおりです。
   以上の変遷を総合すると、日本政府の公的な地理担当部署の認識は、神代の昔から1954年にいたるまで、「領土編入」から終戦までの一時期を除いて、竹島=独島を日本領と認識したことは一度もなかったようです。

(注1)内務省地理局『大日本府縣分轄圖』1881
  http://www.kr-jp.net/map/naimu-map/naimu-map.html
(注2)内務省地理局「大日本國全圖」1880、岐阜県地図世界センター所蔵
  http://www.library.pref.gifu.jp/map/worlddis/mokuroku/kochizu/18-8-1.html
(注3)伊能忠敬「官板実測日本地図、山陰   山陽   南海   西海」
  http://www.lib.tokushima-u.ac.jp/~archive/005/z09/frame_b.html
(注4)同上、書誌事項
  http://www.lib.tokushima-u.ac.jp/~archive/005/z09/frame_a.html
(注5)島根県デジタルライブラリー「島根県地図」
  http://ltis.pref.shimane.jp/see_jpeg/ezu/ezu_shimane/shimane_p1.htm
(注6)毎日新聞社編『対日平和条約』付属地図、毎日新聞社、1952
  http://www.kr-jp.net/map/mainichi-1952.pdf

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

日本の公的な官撰地図、舩杉批判2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/29 17:14 投稿番号: [15697 / 18519]
   さらに、それを裏付ける資料があります。『大日本府縣分轄圖』中の「青森縣圖」に全体の序文が記されましたが、そこにヒントがあります。序文の読み下し文は下記のとおりです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   この図、もっぱら行政上 郡区管轄を周知するを要し、3府37縣および北海道を析って共に15幀とし、繁を省き、要をとり、設色して以て披覧に便にす。その精悉のごときは地誌課すでに銅鐫大日本國全圖あり。今、彼に譲り、またこれを贅せず。
   明治14年5月              内務省地理局
                         監修   塚本明毅
                      製図   吉田晋   高橋不二雄
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この序文を読むと、もともと『大日本府縣分轄圖』は簡略版であることがわかります。たしかに同書は、各地図の大きさが 40 x 20 cm くらいと小さく、一目でコンパクト版とわかります。したがって詳細を知るためには、序文に書かれたように銅版の「大日本國全圖」を見る必要があります。
   同図は前年の1880年に発刊されました。この地図の作成には『大日本府縣分轄圖』と同一部署の同一人物などがかかわりました。大きさは 161×151 cm で本格的な地図です(注2)。
   この地図にも竹島・松島は記載されませんでした。これは、内務省の「大日本府縣管轄圖」(1879)に竹島・松島が記載されなかったので、その流れから当然といえます。当時の内務省のすべての地図は、竹島・松島を本州に属さないとした同省の『日本地誌提要』(1878)を地図で表現したものといえます。両島が本州に属さなければ、もちろん九州や北海道にも属さないし、日本領ではありえません。

   ときに、地理担当部署が発足する前の官撰地図としては、江戸時代の伊能忠敬の地図を元にした「官板 実測日本地図」をあげることができます。これは 1867(慶応3)年に発刊され、1870(明治3)年にも東京大学の前身である開成学校(大学南校)から再版されました。この地図について徳島大学図書館はこう解説しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  本図は,江戸幕府が開港政策をとり,航海用の正確な沿海地図が必要となったことから,伊能忠敬が作製した全国初の実測日本図である「大日本沿海輿地全図」(文政4年,1821)の小図をもとに,開成所から発行されたものである.「官板   実測日本地図」は,間宮林蔵が測量した「北蝦夷(樺太)」図幅を含めて4鋪からなり,本図はそのうちの西南日本の沿海地図である.明治3年(1870)には同じ版木を使って,大学南校(東京大学)から再版されている.「輯製20万分の1地形図」(明治26年,1893)などにみるように,伊能図は明治以降も多くの地図の基本図となった(注4).
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  「官板   実測日本地図」は明治時代の地図の基本になった官撰地図ですが、その中の「山陰   山陽   南海   西海」版などにも竹島・松島は記載されませんでした(注3)。なお、伊能図以前の官撰地図としては江戸幕府により日本国の絵図が4回編纂されましたが、いずれにも竹島=独島は記述されませんでした。
(つづく)

日本の公的な官撰地図、舩杉批判1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/29 17:13 投稿番号: [15696 / 18519]
半月城です。

   前に書いたように、舩杉氏は最終報告書に雑多な地図を掲載しても、領有権問題の核心になる日本の「地理担当部署」による日本地図を一枚も掲載しませんでした。
   このように恣意的に資料を取捨選択したのでは、我田引水的な結果しか出ないのは火を見るより明らかです。これでは、最終報告書の読者が日本政府の竹島=独島に対する領有意識の経緯を確認するのは困難です。

   そのように最終報告書でスッポリ抜けおちている日本の「地理担当部署」の公式見解、とりもなおさず日本政府の公的な領有意識の推移を追跡したいと思います。その手始めとして、日本の「地理担当部署」とはどこかをはっきりさせたいと思います。

戦前の地理担当部署
  1869(明治2)年   民部官に庶務司 戸籍地図掛を設置
  1870(明治3)年   民部省に地理司を設置
  1871(明治4)年   民部省の廃止にともない、太政官 正院(せいいん)地誌課となる
  1874(明治7)年   内務省の地理寮となる
  1877(明治10)年   内務省の地理局となる
  1884(明治17)年   内務省の大三角測量事業を参謀本部の測量局に統合
  1888(明治21)年   測量局が参謀本部の陸地測量部になる。
戦後
  1945(昭和20)年   内務省に地理調査所が発足
  1948(昭和23)年   地理調査所は建設省の付属機関となる
  1960(昭和35)年   地理調査所の名称を国土地理院と改称

   舩杉氏は上記部署の地図を一枚も掲載しなかったのですが、若干のコメントはつけました。まず、内務省の『大日本府縣分轄圖』について最終報告書でこう述べました。

  <「大日本府県分轄図」では松島を山陰道と彩色している(P155)>

   舩杉力修(ふなすぎ りきのぶ)氏は、あたかも松島が山陰道に属しているかのように記しましたが、この記述は非常に疑問です。国会図書館に貴重書として所蔵されている『大日本府縣分轄圖』(1881)中の「大日本全國略圖」において、隠岐島は山陰道として彩色されていても、竹島・松島は彩色されませんでした。ただし、隠岐周辺などの小さな島も彩色されませんでした(注1)。
   元来「大日本全國略圖」は朝鮮半島や「魯西亜領満州(ママ)」などを含む極東図であるだけに、松島が彩色されていなければ、同図から松島は日本領として認識されたかどうかは不明です。それを知るためには、他のページに竹島・松島がどう扱われているのかを見る必要があります。
   他のページを丹念に見ても、竹島・松島はどのページにも描かれませんでした。もちろん「島根 岡山二縣圖」にも記載がありません。ちなみに、当時の島根県は鳥取県を含みました。このように松島は詳細な地方図に描かれていないので、これを日本領とみることは無理です。
(つづく)

Re: よく分かる 『マノ島』

投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2007/07/25 18:53 投稿番号: [15695 / 18519]
kana_ikeuchi さん江

知者不言、   言者不知。

Re: よく分かる 『マノ島』

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2007/07/25 18:32 投稿番号: [15694 / 18519]
quo_vadis256さん

>非人不伝のたぐい。


そんなこと書いても無駄よ。

Kunitaka さんが全部だしちゃった。



まいいでしょね。

よく分かる 『マノ島』

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/07/24 22:28 投稿番号: [15693 / 18519]
私はビールはキリンが一番好きです。キリンはコクがあり、長い間ビールシェアトップでした。逆にアサヒはコクが無く炭酸飲料のようです(苦笑)。またキリンは、皆さんもご存知の通り三菱財閥の一つです。自民党と三菱をはじめとする財閥の関係はここでは申しませんが、キリンは保守の味がします。
http://www.youtube.com/watch?v=B4sap_A9IJc
「時代は変わる。自民は変わるな」


さて、掲題の件ですが、私が『磯竹島略図』の拡大図を掲載したところ、
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/xtop-left.jpg

さまざまなサイトで外一島はマノ島であるとの見解が出ました。
http://mywiki.jp/seven/%8E%91%97%BF%83y%81%5B%83W/%92%7C%93%87%8AO%88%EA%93%87/
http://homepage2.nifty.com/oppekepe/takeshima/jpn/JPN_HIS/JPN_HISTORY.html

そのマノ島は江戸時代に書かれた下記の『小谷伊兵衛より差出候竹嶋之絵図』には、平仮名で「まの島」が出てきます。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/8443.JPG

で、本日気づいたのですが、『文鳳堂雑纂』の、
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/21736/
4行目の一番下に「マノ竹」の記述があります。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/21736/07.jpg

マノ島、まの島、マノ竹・・・なるほどね。

対馬は檀君朝鮮の領土だ

投稿者: kundaikun 投稿日時: 2007/07/24 22:09 投稿番号: [15692 / 18519]
反乱者であった伊藤博文と明治政権は
対馬で檀君朝鮮の領土だったという対馬の古文書と古地図の数百件を
強制に押収して宮内庁へ持って行った。

1890年まで対馬は朝鮮の領土であった

よく分かる 『桂島』

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/07/24 21:45 投稿番号: [15691 / 18519]
昨日のTVタックルは非常に良かったですね。金美齢さんが「参院の任期は6年だから、年金問題だけで投票してはいけない」と言っていました。私も同感です。猪瀬さんは中道右派と今まで認識していたのですが、昨日ハッキリと保守の立場であると理解しました。

この掲示板では、保守の論陣を張りながらも、実際の行動では革新の民主党に投票している方がおられます。これなら選挙権の無い半月城さんの方がまだましです。こうした似非(エセ)保守主義者への批判をかわす為に、半月城さんをエスケープゴートにしているのは、見え見えです。

竹島返還を声高に叫びながら、民主党に投票する人は、言ってることとやってることが全然違いますね。私の敵は半月城氏に非(あら)ず。敵は民主党支持者です。


さて、掲題の件ですが、
以前、「シリーズ何やってんだ!日本」で『島根県全図 明治41年』を見せたところ、
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15552

桂島は竹島の可能性があると言うことですが、
http://albatross.soc.shimane-u.ac.jp/src/news/scs40.htm

『亜細亜東部輿地図』にも桂島が在りますね。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/asiaeast-1875/
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/asiaeast-1875/05.jpg

桂島は竹島かなぁ〜?違う気もしますけど、どうでしょうか。

Re: 江戸時代の地図の取りあげ方、舩杉批判

投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2007/07/23 23:02 投稿番号: [15690 / 18519]
非人不伝のたぐい。

江戸時代の地図の取りあげ方、舩杉批判3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/22 21:54 投稿番号: [15689 / 18519]
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.同年1月26日、松平出羽守留守居役を召し寄せて質問をしたところ、書付をもって返答が来る。
     口上書                     松平出羽守
1.雲州、隠州の者が自分の為に働いて磯竹へ渡海した件は及ばずながら承っています。
  しかしながら、近年の様子は存じません。
1.伯州米子の町人、村川市兵衛 大屋九右衛門は雲州の雲津浦より直に磯竹へは渡海せず、
  隠岐国まで乗船し、そこから磯竹へ渡海したと聞いています。
1.竹島の件、雲州では磯竹と申しています。
1.雲州隠州より磯竹へは海路のため、右の両国の者が米子の者に同船して行く件で希望を
  申し出なくとも、(村川)市兵衛、(大谷)九右衛門の船子共が年々雇って出かけています。
1.右のとおりであるので、自分として磯竹へ渡海するのでは決してありません。
  しかしながら、隠州のことは近年 御代官下へ置かれたので、委細は存じません。
1.委細のことをお尋ねなされるなら、国元へ申しやり、吟味致します。
                               以上
  正月26日                        松平出羽守
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この文からわかるように、松江藩主の松平出羽守は、自藩に所属する出雲国(雲州)の者が米子の大谷・村川家の船に乗って竹島(欝陵島)へ渡海していることは知っているが、藩として渡海したのではないし、また、近年(1688)は隠岐国(隠州)の管理が松江藩から幕府直轄の代官のもとにおかれたので、くわしいことは知らないと回答したのでした。松島は論外でした。
   この資料からは、舩杉氏のいうように「わが国は松島(現在の竹島)を放棄したという解釈は再検討されるべき」という根拠は何もなさそうです。これはその後の歴史をみても明らかです。松島の放棄を補強するかのように、幕府は後世の今津屋八右衛門事件の後処理において松島(竹島=独島)への渡海を実質的に禁止したのでした(注3)。

   このように「竹島一件」以降の江戸時代における日本政府の竹島・松島に対する認識は自国領に非ずという政策で一貫していました。そうした認識を地図上で確認するなら、地図の対象は幕府が描いた官撰地図に限定すべきです。個人が自己の主観で描いた地図は、それがいかに優れていようとも日本政府の認識とは無縁です。
   そうした基本的なことを無視してか、舩杉氏は幕府の官撰地図にはまったくふれなかったなかったようでした。ま、伊能忠敬の地図にせよ、幕府の絵図にせよ、官撰地図はすべて竹島・松島を描いていないので、江戸時代の官撰地図に言及するのは竹島問題研究会としてはタブーなのかも知れません。
   ともかく、核心になる幕府の官撰地図に言及せず、雑多な古地図をあれこれ考察する手法は隔靴掻痒の観があります。

(注1)荒木教夫「領土・国境紛争における地図の機能」『早稲田法学』74巻3号、P1,1999
(注2)『磯竹島覚書』国立公文書館所蔵
一 同年正月二十六日 松平出羽守留守居召寄 相尋候趣、書付を以 返答申来
     口上書                     松平出羽守
一 雲州隠州之者 為自分働磯竹江渡海候之儀 不及承候 乍然隠州近年之様子不存候
一 伯州米子町人 村川市兵衛 大屋九右衛門 雲州雲津浦より直ニ磯竹江者不致渡海
   隠岐國迄乗舩 彼地より磯竹江渡海仕候由承候
一 竹嶋之儀 雲州ニ而者 磯竹と申候事
一 雲州隠州より磯竹江海路ニ而候故 右両國之者 米子之者ニ同舩仕参候儀望不申候得共
   市兵衛 九右衛門 舩子共年々雇申候付罷越候事
一 右之通候故 自分として磯竹江渡海之義 決而無之候 乍然隠州之儀者
   近年御代官所ニ成候故 委細不存候事
一 委細之儀 御尋被遊者 國元江申遣 吟味可仕候 已上
    正月二十六日                    松平出羽守
(注3)半月城通信<「竹島一件」以後の竹島(欝陵島)渡海>
http://www.han.org/a/half-moon/hm126.html#No.934

江戸時代の地図の取りあげ方、舩杉批判2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/22 21:53 投稿番号: [15688 / 18519]
   さらに時代をさかのぼって、江戸時代における「日本政府の竹島・松島に対する地理的認識」はどうだったのでしょうか?   私は、舩杉氏はこの「検討」のために古地図を考察したのだろうとみたのですが、どうやら違ったようです。下記のように曖昧な記述をするにとどまり、日本政府の認識には言明がないようです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   これまでの竹島研究では、元禄の竹島一件の際に、鳥取藩が幕府へ回答した文書のなかに、竹島(現在鬱陵島)・松島(現在竹島)が因幡・伯耆の附属ではないという記載をもって、松島(現在竹島)も日本領ではないということを示すとの指摘がある(内藤、2006)。
   しかしながら、当時の幕府関係者が元禄の竹島一件について編纂したとみられる「磯竹島事略」(別名「磯竹島覚書」、筑波大学附属図書館所蔵)によれば、同時期に幕府は、松江藩に対しても、両島について照会している。
   したがって、因幡、伯耆に付属しないという鳥取藩の回答のみをもって、わが国は松島(現在の竹島)を放棄したという解釈は再検討されるべきであり、今後文献や絵図などで隠岐国に所属していたかどうかを検討する必要があると考えられる。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この一節を読んだ感想ですが、一年前の『「竹島問題に関する調査研究」中間報告書』からほとんど進歩していないようです。同書ではこう記されました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   一方、日本側の主張、見解も究明が必要な課題を抱える。その一つが、鬱陵島と現在の竹島が鳥取藩に帰属した時期を問い合わせた江戸幕府に、両島が同藩に属さないとした1695年12月25日付の回答だ。
   現在の竹島が当時、同藩に属さないと考えられていたとしても、日本領との認識がなかったとは言えず、ましてや朝鮮領とする証明にはならないが、今後検証を深めたい。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   舩杉氏は、竹島・松島が「因幡、伯耆に属さないという回答のみ」を問題にしましたが、鳥取藩の回答はそれだけにとどまりません。先の中間報告書にも書かれているように、鳥取藩は「松島は、何れかの国に付属する島ではないと聞いています」という追加回答をしたのでした。
   その回答をさらに裏打ちするかのように、舩杉氏がふれた松江藩の回答書でも、竹島はほとんど松江藩に関係がないとしました。しかも、その回答書で注目されるのは、松島(竹島=独島)について一切ふれなかったことでした。
   ところが、舩杉氏はその回答書を元に「わが国は松島(現在の竹島)を放棄したという解釈は再検討されるべき」と記しましたが、なぜそのような発想が生まれたのか理解に苦しみます。
   念のために、その回答書をみておきます。1696(元禄9)年1月26日付で幕府へ送られた松江藩の回答書の翻刻文を(注2)に、口語訳を次に掲げます。
(つづく)

江戸時代の地図の取りあげ方、舩杉批判1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/22 21:51 投稿番号: [15687 / 18519]
   半月城です。

   島根大学の舩杉氏は専門が歴史地理学だけに、さすがに絵図や古地図にくわしく、最終報告書に数多くの古地図などを掲載しました。これまで絵図や古地図は、日本では舩杉氏が指摘するように「その記載の不正確さから、研究が重要視されていない」だけに、異例の取り組みといえます。
   元来、地図は視覚的に訴える力が大きいだけに、ややもすると数枚の古地図をとりあげて領土を論じがちですが、実のところ、不正確な古地図は国際裁判においてはせいぜい伝聞証拠くらいの価値しか持たず、特に測量にもとづかない地図は証拠能力に乏しいのが実状です(注1)。

   それにもかかわらず、舩杉氏がそうした古地図などをなぜ熱心に追求するのか、率直な疑問がわきます。それを同氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   不正確かどうかを重要視するのは、絵図を、現代の価値観をもって分析する視点であるといえる。検討の際には、現代の地図に比べて不正確かは重要ではない。絵図の作製過程や作製の背景を分析することは当然のこと、それだけでなく、絵図の分析を通して、絵図の作製された時代の空間認識、価値観を読み取ることが重要であるといえる(P105)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   舩杉力修氏は、最終報告書においてどのような「検討」を目的としているのか不明ですが、ともかく「絵図の作製された時代の空間認識、価値観を読み取ることが重要」と考えているようです。
   そう説くなら、舩杉氏はなぜ最も重要な『公文録』付属の「磯竹島略図」について「空間認識、価値観を読み取る」ことを避けたのか、また同図の写真をなぜ最終報告書に載せなかったのか疑問が残ります。同氏の弁はこうです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   この絵図(磯竹島略図)は江戸時代の絵図であるため、経緯度も記されていない。つまり、この絵図は江戸時代中期の空間認識を示したものである。史料を検討する際には、こうした江戸時代の添付資料ではなく、明治初期における日本政府の竹島・松島に対する地理的認識について考慮する必要がある(P155)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   経緯度も記されていない江戸時代の絵図は「史料を検討する際には」無用と言わんばかりの書きぶりですが、これは先の、絵図における空間認識の重要性を説いた前言とどう調和するのでしょうか?   ともあれ、舩杉氏は「磯竹島略図」に関する磯竹島や松島が現在の欝陵島や竹島=独島と読み取れるのかどうかについては言及を避けました。
   同図の解釈について最終報告書の責任者である下條氏は「『磯竹島略図』には、現在の竹島と磯竹島(現在の欝陵島)が描かれ」たと記しました。その一方で同会において地理・地図担当の舩杉氏がなぜ磯竹島と松島の比定を避けたのか理解に苦しみます。
   なお、舩杉氏が上記の口実に用いた「明治初期における日本政府の竹島・松島に対する地理的認識」ですが、これは前回書いたように、担当部署である内務省の地図や地誌から両島は日本領ではないことが読み取れます。
(つづく)

Re: 竹島

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2007/07/21 19:56 投稿番号: [15686 / 18519]
海溝は、竹島と鬱陵島の間にありますので、地学的には日本よりです。

どっちみちそんなの関係ないです。

Re: 竹島

投稿者: kikousidayo 投稿日時: 2007/07/21 15:50 投稿番号: [15685 / 18519]
>地理的には朝鮮でしょう。


プッ    証明されなければ無意味な文字列

Re: 竹島

投稿者: kim_jone_il_sun52 投稿日時: 2007/07/21 11:04 投稿番号: [15684 / 18519]
地理的には朝鮮でしょう。

『沖縄県統計書 大正8年版』

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/07/20 00:57 投稿番号: [15683 / 18519]
沖縄県は管内図にキチンと尖閣を記載しております。島根県と沖縄県の違って何なのでしょうか?
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/statistics-1919/

別掲示板で資料をアップロードしていましたが、名寄せして全ての尖閣資料はtanaka-kunitakaドメイン配下に置きました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
ただ、宙に浮いた資料があり、明らかに資料を取り寄せたのですが、どこかへ行ってしまったものがあります。やはり私は"自民党体質"なのでしょうか?(苦笑)

また、半月城さんが言っていた『大日本府県管轄図』は尖閣問題だけでなく竹島問題でも使えるので、後日竹島サイトにも記述しておきます。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/fukenmap-1879/

もう一つ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15630
半月城さんは『大日本府県分轄図』をまだ確認出来ていないということなので、これも尖閣サイトに掲載した後、竹島サイトにも掲載します。

最後に、
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15625
『朝鮮現勢便覧』も手元にデジタル資料ありますので、後日掲載しておきます。

Re: 邪悪な「竹島報告書」に対抗すべし

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/07/18 22:43 投稿番号: [15682 / 18519]
(続き)
3.韓国側が独島と言う 1900年の大韓帝国勅令 41号に記録された <石島>は当時の地図,地誌,現地調査結果現在の竹島(独島)である可能性がほとんどなくて鬱陵島の落島である観音島である可能性が高い.
(反論)東海で日本と韓国の間にある島は 3個である.鬱陵島と付属島,独島,隠岐島だ.鬱陵島の付属島である観音島は鬱陵島と事実上付いている状態でどんな理由でも石島と記録される島ではない.代わりに独島は今は一人きり毒(独)者を使うが本来ドルソムだと呼ばれた.そのドルソムが全羅道なまりで毒だ.朝鮮時代から独島と鬱陵島には慶尚道より全羅道人が圧倒的に多かったから全羅道なまりであるドックソムが使われたのだ.だから勅令でドックソムすなわちドルソムを直訳して石島と呼んだのだ.鬱陵島にブッオイッダシピした観音島が天気が晴れると見られる島であることはない.
残り項目たちもその歪曲の程度が少しも減らない.こんな虚偽工作次元の文書を研究結果引揚包装するために竹島研究会は労心焦思 2年の間労力して来た.私たちはその結果があまりでたらめだと相対する価値がないと無視して移る危険が高い.
しかし今日の独島危機を作り上げたことはまさにこれらの邪悪な悪巧みをくぐって見られずに緩くて怠惰な心理で無視して移った安逸な私たちの対応がもたらした結果なのを必ず憶えなければならないでしょう.事実なのかアニニャが重要ではない.ある主張がけんかを作り上げてどんな方式の主張が無関心な外国人たちにもっと球が良くて減らすのかというのだ.もうこれ以上安易な姿勢で独島を危機に追いこんではいけないだろう.

独島本部のホームページ
http://www.dokdocenter.org
独島本部のホームページの該当ページ
http://www.dokdocenter.org/new/know/operation_main_detail.htm?tb=openb_state ment&idx=85&mode=r
Yahoo!ウェブ翻訳
http://honyaku.yahoo.co.jp/url


それにしても、“日本国民と世界人がこれらが出した報告書の真偽可否を選り分ける専門性はない.日本国民は国民性向上これらの報告書をそのまま信じるはず”とあるのには唖然とさせられました。政府の主張をそのまま信じているのはむしろ韓国国民ではないかと。。。
“似以非学術行事やマスコミ報道研究報告書などの形式で各国で広く広がって世界人たちに誤った情報を提供するようになるでしょう.”これはノムヒョン大統領の肝入りで発足した北東アジア歴史財団のことかと。。。
   世界の碩学ら、学術大会で「韓国の独島領有権認定を主張」
   http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15577

Re: 邪悪な「竹島報告書」に対抗すべし

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/07/18 22:38 投稿番号: [15681 / 18519]
独島本部のホームページから元ネタを見つけてきました。機械翻訳をそれなりに修正して紹介します。

[論評] 竹島研究会の最終報告書提出意味
独島ガングタルウィした詭弁用意
日本島根県が作って建てた竹島研究会が 2007年 7月 12日日本外務省を尋ねてこの研究会が整理した最終報告書を提出したと言論は伝えている.竹島問題を所管する同県総務課の藤原孝行課長と、研究会の座長を務めた下條正男・拓殖大教授が同省北東アジア課を訪問‘竹島を自国領とする韓国側の主張に根拠は見いだせない’と言う研究会の結論を説明した後下條正男座長が“領土問題は国が解決すべきもの”と言って日本外務省の積極的な関与を要求した.
山田重夫日本外務省北東アジア課長は竹島報告書の内容を勉強し、活用できる部分は外務省のホームページに掲載したいと肯定的な姿勢を見せたと言論は伝える.
今度報告書を出した竹島研究会は日本島根県が 2年前に設立した研究会だ.関係分野専攻学者はなくて島根県周辺の極右侵略性向人物たちが研究者で参加している.その間竹島研究会は何回も研究集まりを持ったし竹島の日行事を含めて島根県の独島強奪雰囲気造成に先に立って来た.2006年 11月初下條正男を含めて研究会関係者たちが鬱陵島で現地調査を行った.
この日竹島研究会が日本外務省に報告した最終報告書の内容は正常な学問的論理としては到底説明することができない怪変の羅列に過ぎなかった.これらは結局こんな怪変を研究成果と言い張ってまるで学問的な成果が出たように各言論機関に知らせて言論報道を通じて日本国民と国際社会の中だから出たのだ.皆が犯罪心理の持ち主たちだ.話になろうがだめだか事実でも偽りでもこれらには重要ではない.まるで事実であるように日本国民と世界を欺く道具で使えばいいと思うのだ.
日本国民と世界人がこれらが出した報告書の真偽可否を選り分ける専門性はない.日本国民は国民性向上これらの報告書をそのまま信じるはずでしたがってその影響が世界へ広がって行くでしょう.そして満ちることと偽りの間の判別不可能な退屈な論争が付くでしょう.日本政府と外務省もこれらの主張を韓国との談判で使うでしょう.また全世界に送ったこれらのいわゆる研究結果というのが日本のお金と力を土台で似以非学術行事やマスコミ報道研究報告書などの形式で各国で広く広がって世界人たちに誤った情報を提供するようになるでしょう.結局独島が日本の領土だと思うようにするでしょう.
減らず口ならオトリャ.言い張る素材さえあればいいのだ.これらはそれを狙ったのだ.
もう竹島研究会が報告した内容をよく見てその内容がどうして詭弁なのかを一度計算して見る事にする.全部嘘だがあまり長くなるようになるのでぴったり 3街だが反論を書く事にする.
1.1667年の隠州視聴合記にある竹島,松島の記載解釈多くの説があるが少なくとも朝鮮領土とは記録されなかったと主張した.
(反論)この主張は形式論理では当たることもできるが内容を計算すれば完全に虚偽主張に過ぎない.隠州視聴合記にはこんなに書いている.日本之乾地以此州為限矣(日本の乾地は隠州としてその限界とする).乾は西北方向を言う.日本と韓国の間にはただ 3個の島しかない.鬱陵島,独島,隠州(オキ)だ.この本で隠州として日本西北の方の限界をすると明らかに記録している.それなら鬱陵島,独島は当然日本領土ではなくて韓国領土と認めたのだ.ところで独島が朝鮮領土という記録がないと言い張っている.それでは隠州(オキ)として限界をするという記録は一体何の言葉か.しかしこの本にはそれに対する明白な反論が積まれてもうある.<この二つの無人島で高麗を見ることが雲洲で隠州を眺めることとようだと >.この表現は正しく二つの無人島が高麗すなわち朝鮮の領土なのをもう認めた表現が明らかではないか.
しかし利子たちはこんなに主張したいだろう.独島は朝鮮が支配したことがないと.本当にそうなのか.
2.1877年(明治 10年)の大政官文書で <竹島外一島>は日本と関係ないと記載しているが朝鮮領土とは記載していない.(下の部分減らし)その主張している.
(反論)この問題も上の条項と違うことがない.日本中央政府が異聞制に答えなければならなかった理由は朝鮮との領土紛争を念頭に置いたからだ.ところで日本と関係ないと中央政府で明らかに,それも膨脹主義に浮き立っていた明治時代に日本と関係ないと返事をしたにも朝鮮領土と記録しなかったと言い張る審査は果してどんな心理現象だろう. (続く)

邪悪な「竹島報告書」に対抗すべし

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/07/17 17:40 投稿番号: [15680 / 18519]
「邪悪」かつ「詭弁」かつ「でたらめ」らしいですよ。

その一例が「隠州視聴合記の、少なくとも朝鮮領土とは記録されていない」という解釈らしいです。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=89367&servcode=200&sectcode=200
市民団体である独島(トクト、日本名竹島)本部は17日、声明を通じて「日本の島根県が作った竹島研究会が最近“最終報告書”を外務省に提出し、領土問題に対する積極的関与を要求した。これらの邪悪な行為に対し、これ以上安逸な対応はだめだ」と明らかにした。

独島本部は「竹島研究会は島根県の独島強奪の雰囲気づくりに先頭に立ってきた上、今回の報告書で正常な学問の論理として説明することができない詭弁を並べているが、国際社会で日本の金と力をもとに世界の人々に誤った情報を提供している」として韓国政府の力強い対応を促した。

また「詭弁の例とは、1667年『隠州視聴合記』を挙げて『竹島、松島の記載の解釈に多くの説があるが、少なくとも朝鮮領土とは記録されていない』と主張しているが、この本には『日本之乾地以此州為限矣』となっていて鬱陵島(ウルルンド)、独島が韓国領土であることを認めている」と指摘した。

独島本部は「残りの項目も歪曲の程度は同じようなものだが、我々はその結果がでたらめだとして相対する価値もないと無視し、すませてはいけない」とし「どんな主張が無関心な外国人によくわかってもらえるか悩み、安逸な姿勢で独島を危機に追いこんではいけない」と強調した。

一方、竹島研究会は2005年、島根県が独島領有権論理を開発するために設立し、右翼性向人物たちが研究者として参加、研究会を含め2006年11月、鬱陵島現地調査など活動をして整理した最終報告書を12日、日本の外務省に送った。

『唐土歴代州郡沿革地図』の松島竹島

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2007/07/16 22:33 投稿番号: [15679 / 18519]
江戸時代最高の地理学者である長久保赤水は、『唐土歴代州郡沿革地図』所収「亜細亜小東洋圖」で「松島竹島」を日本領と明示しました(No.15627)。その地図が早速、関心を引き、広く知られるようになったことを嬉しく思います(No.15633)。
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=407741006
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/06/1877-different-japanese-views-on.html

「亜細亜小東洋圖」は織田武雄・室賀信夫・海野一隆氏によって『日本古地図大成─世界図編』(講談社, 1975)で寛政元(1789)年の初版が紹介されています。初版図も「松シマ」「竹シマ」を含む「日本国」は際立つよう赤く彩色し、鮮明な画像が公開された神戸大学図書館の天保6 (1835)年版と全く同じです。ただし、永(永良部島)と琉球の島々が灰青色であることが異なります(タ子シマ・ヤクシマ・硫黄は赤)。上程記事に、国立国会図書館蔵の初版本では、日本領は薄茶色に塗られ、現在の竹島と鬱陵島にも薄茶色の彩色があり、と記されていますから、彩色は図によって違うかもしれません。

東洋で最初の着彩歴史地図帖である『唐土歴代州郡沿革地図』は何度も版を重ね、海野一隆氏は「明治に入ってもなお命脈を保っている」と述べました(『東洋地理学史研究日本篇』清文堂, 2005)。『國書總目録』(岩波書店, 1969)によると、これには寛政元年・同9年・文政2年・同12年・天保6年・嘉永7年・安政2年・同4年の版があります。今回、山陰中央日報で紹介された安政4(1857)年版は二宮惶軒補とされているものですが、「松島竹島」を明確に日本領として彩っていることに変りはないようです。このような地図が山陰地方の民家から発見されたことは極めて重要でしょう。

長久保光明氏は「この中国歴史地図帖(一三図)は評判がよく江戸後期に各藩の藩士教育や、私塾や家塾(藩の指示による)などの漢籍学習の必見書であった。その例に、長門国萩藩の志士吉田松陰も、松下村塾で使用(北条重直『水戸学と維新の風雲』修文館昭和七年)。- - 昭和五六年七月二六日松蔭神社参拝のときに遺品の中にあった。」と書いています(『地図学通論』暁印書館, 1992)。

松下村塾で『唐土歴代州郡沿革地図』を使っていたとは大変興味があります。吉田松陰は安政5(1858)年2月19日付の桂小五郎宛の書簡で竹島開墾論を唱えました。松蔭は後に、元禄期の交渉で竹島が朝鮮の帰属となったことを知りますが、松蔭の死後、桂小五郎・村田蔵六は、竹島を日本の属島として、「竹島開拓建言書草案」を老中久世広周宛に提出しています(岸本覚:幕末海防論と「境界」意識.『江戸の思想』9, ペリカン社, 1998)。

さらに岸本氏は、竹島開墾を計画していた坂本龍馬に、下関で竹島の情報を伝えたのは井上聞多であることを明らかにしました。龍馬は慶応3(1867)年3月6日付印藤肇宛書簡で次のように書いています。「彼竹島ハ地図を以て側算すレバ、九十里斗なるべし。先頃井上聞太、彼島ニ渡りし者ニ問しニ、百里ナリ、とおふかた同じ事ナリ。其島ニ渡る者の咄しニ楠木ニよく似てありしもの、広くハ新木在之、其外、壱里余より弐里もあらん平地ありしと也。島の流レハ十里斗なりと、」(『坂本龍馬全集』光風社出版, 1988)。

幕末維新の時期、日本海西部沿岸地方の人々は、「竹島」を日本領と信じて渡航していました。これには、「松島竹島」を隠岐と同様に彩色した弘化3(1846)年以降の『改正日本輿地路程全図』(No.14939)など、特に、二つの赤水図が重要な役割を果したかもしれません。そして、松蔭の薫陶を受けた木戸孝允や井上馨らは、極少数の旧幕臣を除く明治新政府の誰よりも、「竹島」について知悉していたことでしょう。

Re: 『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批

投稿者: yukitanhanatan 投稿日時: 2007/07/16 00:00 投稿番号: [15678 / 18519]
ahirutousagi2 さんへ。
まったく同意です。
こんばんは。横から失礼します。
久々にココを見ました。ざっと、斜め読みしましたが、相変わらず
突っ込みどころ満載のようで、いつまでやってるのかいなって感じでした。
ちょっとタチ悪い感じがしますが、涙ぐましい努力は何て申しましょうか、
ある意味、ほめてあげたい気持ちもあります。
自分の導きたい方向に行くまで、何が何でもって感じでしょうか?

Re: 『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2007/07/15 21:12 投稿番号: [15677 / 18519]
>又西北に方リテ松島竹島ノ二島アリ。土俗相傳テ云フ。穩地郡福浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町

この文章から、

>ここで注目すべきは、竹島・松島の一対が「本州の属島」とされなかったことです。両島は「本州の属島」でなければ、日本の領土外になります。

という結論を導き出すところが驚きです。『日本地誌提要』に記された島嶼であるにも拘わらず「○○の属島」と記してないから「日本の領土外」というのは、飛躍であるとすべきでしょう。

この資料では島嶼について○○郡に所属、○○村に所属、と提示しているのが見受けられますが、竹島・松島は「土俗相傳テ云フ」とあるようにそれは不詳であったという程度までしかここではいえないはずです。

また、この記述は、言うまでもなく「巻之五十、隠岐」に記されたものでもあり、日本の領土外としてのものであるよりは、むしろ、日本の領土としての認識を反映したものと考えたほうがむしろ妥当であると言えるくらいのものです。

あらかじめ、竹島=韓国領との結論を前提として資料分析に入れば、こういう読み方になるという驚くべきケースを、また、見せていただいたようです。

>ま、土俗の伝えにせよ、大谷家の伝えにせよ、竹島は現在の欝陵島、松島は現在の竹島=独島とされているので、内務省は公的な地誌においても竹島=独島が本州の属島でない、すなわち日本領でないと確認したことになります。

意味不明です。

>さらに特筆すべきは、内務省が架空のアルゴノート島を描いた地図に惑わされた形跡がみじんもないことです。

なぜにこう断言できるのか理解に苦しみます。文部省・海軍・陸軍の地図などからその形跡を確認できるにもかかわらず、内務省だけはそれに惑わされていない、しかも、牽強付会とも言うべき「磯竹島略圖」の位置関係を根拠とするというのは、明らかに客観性を喪失しています。

>内務省の認識、すなわち「日本政府の地理的認識」は、江戸時代に竹島・松島へ渡海し、漁業・商業活動をおこなっていた人たちに伝承された地理的認識や地図にもとづくものであり、誤った西洋の地図に書かれたアルゴノート島に惑わされた痕跡は皆無です。

二次資料として文部省らの一連の地図が確認される以上、これは、何の根拠もない、単なるご都合主義による解釈と言うべきものでしょう。こうした主張は二次資料が存在しない場合にのみ成立しうるものです。

百歩譲っても、内務省もダジュレー島の位置で松島を把握していたことに何ら変わりはありません。それがリアンクール岩をさすという根拠は何もないのです。

日本海に「島」は二つ認識されていた(リアンクール岩は不詳)。偶然か否かはともかく、それが存在しない島の位置と鬱陵島の位置でそれぞれが認識された。分かることはそこまでです。

それが、1878年以降、とりわけ1880年の天城の調査によって明確に島が規定(松島=鬱陵島)されるにいたり、のちにそれまで所有が明確でなかったリアンクール岩についてあらためて島根県によって編入されるにいたった、という理解が妥当かと。

繰り返しますが、半月城さんの資料解釈は、客観性を喪失していると言わざるをえないようです。単なる掲示板での書き込みならまだしも、書籍まで出している方が、こういうやり方で資料を扱うことは、私は誠実さに欠けると思いますよ。

Re: 『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批

投稿者: kkgwsthm 投稿日時: 2007/07/15 21:07 投稿番号: [15676 / 18519]
涙ぐましい努力(あがき?)を続けるね。
ここで何を主張しようとも、それは言論の自由だから良いけど
ここで論破された話を「無かったことにして」
書籍や講演でしゃべるのは良くないな。
君の人間性を疑うよ。

Re: 『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批

投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2007/07/15 18:00 投稿番号: [15675 / 18519]
>すなわち、1878(明治11)年1月に発刊された『日本地誌提要』の「巻之五十、隠岐」に竹島・松島はこう記されました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>島嶼
  島津島。・・・
  松島。一名島山。海士郡豐田村ニ屬ス。・・・・・・
  大森島。・・・
  ○本州ノ屬島。知夫郡四拾五。海士郡壹拾六。周吉郡七拾五。穩地郡四拾三。合計壹百七拾九。之ヲ総称シテ隠岐ノ小島ト云。
  ○又西北に方リテ松島竹島ノ二島アリ。土俗相傳テ云フ。穩地郡福浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町(注3)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(略)

>ここで注目すべきは、竹島・松島の一対が「本州の属島」とされなかったことです。両島は「本州の属島」でなければ、日本の領土外になります。これは、前年に太政官から内務省へ「竹島外一島」を版図外にするとの指令があったので、それに従ったようです。

『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批判1 No.15672
『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批判2 No.15673

**************************************************************


上の論述で半月城君が言いたかったのは、『日本地誌提要』のなかで竹島・松島は日本の版図外と記載されているということであろうが、残念ながらその逆の結論しか導き出せない。

『日本地誌提要』の「巻之五十、隠岐」には、半月城君の述べるとおり、竹島・松島は隠岐の地誌に明らかに記載されている。

このため、当然のことながら竹島・松島の一対が「本州の属島」とされることはない。彼の言うとおり「本州の属島」とされることはなかった。

ところで、”両島は「本州の属島」でなければ、日本の領土外になります。”という彼の論旨は、論理の飛躍であって、導かれるのは雲州、因州などの本州に帰属するのでなくて隠岐に属するということである。

したがって竹島・松島は日本の版図として隠岐の項に記載され、彼の言うように日本の領土外になることはありえない。

(   以上   )

『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批判3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/15 10:53 投稿番号: [15674 / 18519]
   話かわって、以前、話題になった『大日本史』ですが、そこに書かれた竹島・松島の位置を『日本地誌提要』とくらべると意外な類似や相違点が浮かびあがります。『大日本史』は両島の位置を口語訳でこう記しました。

「案ずるに隠地郡の福浦より松島に至るには海上69里、竹島に至るには100里4町である(注4)」

   これをみると、隠岐と竹島(欝陵島)間の距離 100里4町は『日本地誌提要』とピッタリ一致します。しかし、隠岐と松島(竹島=独島)間の距離は69里まで一致して、それ以下の35町が一致しません。また『日本地誌提要』は竹島・松島を日本領としなかったのですが、『大日本史』は「すでに竹島といい、松島といい、我が版図となした」と記しました。
   これから察するに、『大日本史』は竹島・松島の記述を『日本地誌提要』から引用したのではなさそうです。その一方、おそらく「竹島に至るには100里4町」という記述は、両者とも共通な資料から引用したものと思われますが、これは大西教保の『隠岐古記集』などにもなく、出所はまだ不明です。

(注1)半月城通信「明治政府、竹島=独島の版図外確認」
http://www.han.org/a/half-moon/hm113.html#No.846
(注2)『公文録』付属地図「磯竹島略圖」
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/map/koubunroku_map.pdf
(注3)『日本地誌提要』巻之五十、隠岐
http://www.kr-jp.net/meiji/meiji_msc/chishi-teiyou.pdf
  編纂は、巻之一〜巻之三十五は内務省地誌課、巻之三十六〜巻之七十七は元正院地誌課。
(注4)『大日本史』巻308,志3、隠岐国4郡
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/dainihonshi.pdf

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批判2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/15 10:22 投稿番号: [15673 / 18519]
   重要な最後の段落を口語訳にします。
  ○また、西北にあたり松島・竹島の2島がある。土俗が伝えている。穩地郡の福浦港から松島に至る。海路はおよそ69里35町(275km)。竹島に至る。海路およそ100里4町(393km)。朝鮮に至る海路およそ136里30町(537.3km)。

   ここで注目すべきは、竹島・松島の一対が「本州の属島」とされなかったことです。両島は「本州の属島」でなければ、日本の領土外になります。これは、前年に太政官から内務省へ「竹島外一島」を版図外にするとの指令があったので、それに従ったようです。
   この距離や位置関係はそのまま『大日本府縣分轄圖』中の「大日本全國略圖」(1881)に反映されました。同一の担当機関がその地図を作成したので当然の結果です。
   『日本地誌提要』に書かれた島相互の距離を「磯竹島略圖」と比較すると、「磯竹島略圖」のほうが全体的に少し長くなっています。それでも両者はほぼ似たような位置関係にあります。
   この時、『日本地誌提要』は「磯竹島略圖」が記述した数値を採用しなかったのですが、理由は「磯竹島略圖」の情報を古いと判断したのでしょうか。しかし、より確かだと信じた情報源が「土俗の伝え」とは頼りない話です。もともと「本州の属島」ではない話題なので真剣味が薄かったようです。

   ま、土俗の伝えにせよ、大谷家の伝えにせよ、竹島は現在の欝陵島、松島は現在の竹島=独島とされているので、内務省は公的な地誌においても竹島=独島が本州の属島でない、すなわち日本領でないと確認したことになります。同時に、内務省は隠岐の沖合にはその2島しかないと認識していたことも注目されます。
   さらに特筆すべきは、内務省が架空のアルゴノート島を描いた地図に惑わされた形跡がみじんもないことです。アルゴノートは、勝海舟の「大日本國沿海略圖」ですら偽存の島として点線で描かれていただけに、地図・地誌の専門機関がそれに惑わされなかったのは、さすがというか当然というべきか、とにかく順当な判断です。

   以上のような考察の結果からすると、舩杉氏の下記の指摘は的はずれではないでしょうか。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   明治初期における日本政府の地理的認識は、地図の分析から、竹島はアルゴノート島(実在しない島)、松島はダジュレー島(鬱陵島)にあったと考えるのが妥当であり、いわゆる「外一島」が現在の竹島を指していたかどうかは極めて疑わしいといえる(P155)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   内務省の認識、すなわち「日本政府の地理的認識」は、江戸時代に竹島・松島へ渡海し、漁業・商業活動をおこなっていた人たちに伝承された地理的認識や地図にもとづくものであり、誤った西洋の地図に書かれたアルゴノート島に惑わされた痕跡は皆無です。
   それにもかかわらず、あえて舩杉氏がアルゴノートをもちだしたのは、下條説の根拠を模索したからでしょうか?   下條正男氏は、島根県がいう「外一島」は現在の竹島=独島であるが、太政官のいう「外一島」は現在の欝陵島であると強弁しました。
   舩杉氏はその下條説を支持するつもりでしょうか?   また「外一島」を一体どこに比定するつもりでしょうか?   肝心なところが不明です。

   舩杉氏に対する疑問をさらにつづけます。前回書いた「里」と「浬(カイリ)」問題の続きですが、上記にみられるように『日本地誌提要』でも36町を1里としていることが明白です。したがって、同書に書かれた「里」は決して「浬」とは解されません。ところが、舩杉氏は、同書の里数と大差ない「磯竹島略圖」の「里」を「浬」と断言しましたが、これは明白な誤りではないでしょうか?
   舩杉氏がそのような解釈をするところをみると、同氏はそもそも地誌課の『日本地誌提要』を知らないように見えます。しかし、地理の専門家なら『日本地誌提要』を知らないはずはないので、同氏はその資料を意図的に排除したと見るべきかも知れません。いずれにせよ、核心になる資料にふれないで「日本政府の地理的認識」を大上段に説く舩杉氏の論説は、私には支離滅裂なようにみえます。
(つづく)

『日本地誌提要』の竹島・松島、舩杉批判1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/15 10:20 投稿番号: [15672 / 18519]
   半月城です。

   前回、舩杉氏に対し「磯竹島略圖」などの重要な地図をなぜ「最終報告書」で取りあげなかったのかと苦言を呈しましたが、同氏への疑問はこれだけではありません。
   舩杉氏は人文地理学(歴史地理学)の専門家であるとのふれこみですが、それなら『大日本府縣分轄圖』と同時期の資料である内務省の地誌をなぜ取りあげなかったのか、はなはだ疑問です。公的機関にて作成された地誌は地図以上に重要であるといっても過言ではありません。

   その公的な地誌に竹島・松島がどのように記述されたのか、どのように認識されていたのかを紹介しますが、その前にまず、地理・地誌を公的に担当した機関の変遷を簡単に次に示します。

  1869(明治2)年   民部省に地理司戸籍地図掛を設置
  1871(明治4)年   民部省の廃止にともない、太政官 正院(せいいん)の地誌課となる
  1874(明治7)年   内務省の地理寮となる
  1877(明治10)年   同省の地理局となる

   1877(明治10)年3月、太政官は「竹島外一島」を版図外にする指令をだしましたが、その時の地理担当機関の認識は、その前年の10月に地理寮から島根県へ提出された地籍編纂の伺い書から知ることができます。そこにおいて地理寮は竹島・松島をこう認識していました。

  「隠岐(おき)国のかなたに、従来、竹島と呼ばれる孤島があると聞いております。もとより旧鳥取藩の商船が往復した船路もあります(注1)」

   地理寮からの伺い書が島根県で処理される過程において、大谷家の「磯竹島略図」が島根県から内務省への伺い書に添えられました。したがって、地理寮はその知見も得ることになりました。その「磯竹島略圖」に竹島・松島の位置は次のように記載されました(注2)。

  隠岐と松島間;   隠岐 島後の福浦より松島を隔てる北西80里(314km)ばかり
  松島と竹島間;   松島より磯竹島を隔てる北西40里(157km)ばかり
  竹島と朝鮮間:   磯竹島より朝鮮国を遠望する西北西に当り、海上およそ50里(197km)ばかり

   竹島・松島の位置について、内務省は磯竹島略圖の記述と同じような認識をもっていたことが、明治時代の官撰地誌から知れます。すなわち、1878(明治11)年1月に発刊された『日本地誌提要』の「巻之五十、隠岐」に竹島・松島はこう記されました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
島嶼
  島津島。・・・
  松島。一名島山。海士郡豐田村ニ屬ス。・・・・・・
  大森島。・・・
  ○本州ノ屬島。知夫郡四拾五。海士郡壹拾六。周吉郡七拾五。穩地郡四拾三。合計壹百七拾九。之ヲ総称シテ隠岐ノ小島ト云。
  ○又西北に方リテ松島竹島ノ二島アリ。土俗相傳テ云フ。穩地郡福浦港ヨリ松島ニ至ル。海路凡六拾九里三拾五町。竹島ニ至ル。海路凡百里四町餘。朝鮮ニ至ル海路凡百三拾六里三拾町(注3)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)

Re: 島根県の最終報告書、舩杉氏への批判2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/15 10:17 投稿番号: [15671 / 18519]
   半月城です。
   私の書き込み No.15630の一部において方向を書き損じたり適切でない部分があったので、下記部分を削除します。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   このふたつの地図を並べると、竹島と松島の位置が似かよっていることに気づくはずです。それもその筈です。数ある地図の中で松島と竹島の位置情報が詳細に記されている地図は「磯竹島略図」くらいしかないので、内務省はそれを参考にしたようです。「磯竹島略図」に両島などの位置関係がこう記されました (注3)。

  隠岐と松島間;   隠岐 島後の福浦より松島を隔てる北東80里(320km)ばかり
  松島と竹島間;   松島より磯竹島を隔てる北東40里(160km)ばかり
  竹島と朝鮮間:   磯竹島より朝鮮国を遠望する西北西に当り、海上およそ50里(200km)ばかり

   この距離や方向にもとづいて「大日本府県分轄図」に竹島と松島が描かれたようです。その結果、両島の位置は朝鮮寄りになりました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   削除した代わりに、新材料を加味して、この書き込みに続けて書きます。
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