江戸時代の地図の取りあげ方、舩杉批判2
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/22 21:53 投稿番号: [15688 / 18519]
さらに時代をさかのぼって、江戸時代における「日本政府の竹島・松島に対する地理的認識」はどうだったのでしょうか?
私は、舩杉氏はこの「検討」のために古地図を考察したのだろうとみたのですが、どうやら違ったようです。下記のように曖昧な記述をするにとどまり、日本政府の認識には言明がないようです。
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これまでの竹島研究では、元禄の竹島一件の際に、鳥取藩が幕府へ回答した文書のなかに、竹島(現在鬱陵島)・松島(現在竹島)が因幡・伯耆の附属ではないという記載をもって、松島(現在竹島)も日本領ではないということを示すとの指摘がある(内藤、2006)。
しかしながら、当時の幕府関係者が元禄の竹島一件について編纂したとみられる「磯竹島事略」(別名「磯竹島覚書」、筑波大学附属図書館所蔵)によれば、同時期に幕府は、松江藩に対しても、両島について照会している。
したがって、因幡、伯耆に付属しないという鳥取藩の回答のみをもって、わが国は松島(現在の竹島)を放棄したという解釈は再検討されるべきであり、今後文献や絵図などで隠岐国に所属していたかどうかを検討する必要があると考えられる。
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この一節を読んだ感想ですが、一年前の『「竹島問題に関する調査研究」中間報告書』からほとんど進歩していないようです。同書ではこう記されました。
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一方、日本側の主張、見解も究明が必要な課題を抱える。その一つが、鬱陵島と現在の竹島が鳥取藩に帰属した時期を問い合わせた江戸幕府に、両島が同藩に属さないとした1695年12月25日付の回答だ。
現在の竹島が当時、同藩に属さないと考えられていたとしても、日本領との認識がなかったとは言えず、ましてや朝鮮領とする証明にはならないが、今後検証を深めたい。
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舩杉氏は、竹島・松島が「因幡、伯耆に属さないという回答のみ」を問題にしましたが、鳥取藩の回答はそれだけにとどまりません。先の中間報告書にも書かれているように、鳥取藩は「松島は、何れかの国に付属する島ではないと聞いています」という追加回答をしたのでした。
その回答をさらに裏打ちするかのように、舩杉氏がふれた松江藩の回答書でも、竹島はほとんど松江藩に関係がないとしました。しかも、その回答書で注目されるのは、松島(竹島=独島)について一切ふれなかったことでした。
ところが、舩杉氏はその回答書を元に「わが国は松島(現在の竹島)を放棄したという解釈は再検討されるべき」と記しましたが、なぜそのような発想が生まれたのか理解に苦しみます。
念のために、その回答書をみておきます。1696(元禄9)年1月26日付で幕府へ送られた松江藩の回答書の翻刻文を(注2)に、口語訳を次に掲げます。
(つづく)
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これまでの竹島研究では、元禄の竹島一件の際に、鳥取藩が幕府へ回答した文書のなかに、竹島(現在鬱陵島)・松島(現在竹島)が因幡・伯耆の附属ではないという記載をもって、松島(現在竹島)も日本領ではないということを示すとの指摘がある(内藤、2006)。
しかしながら、当時の幕府関係者が元禄の竹島一件について編纂したとみられる「磯竹島事略」(別名「磯竹島覚書」、筑波大学附属図書館所蔵)によれば、同時期に幕府は、松江藩に対しても、両島について照会している。
したがって、因幡、伯耆に付属しないという鳥取藩の回答のみをもって、わが国は松島(現在の竹島)を放棄したという解釈は再検討されるべきであり、今後文献や絵図などで隠岐国に所属していたかどうかを検討する必要があると考えられる。
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この一節を読んだ感想ですが、一年前の『「竹島問題に関する調査研究」中間報告書』からほとんど進歩していないようです。同書ではこう記されました。
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一方、日本側の主張、見解も究明が必要な課題を抱える。その一つが、鬱陵島と現在の竹島が鳥取藩に帰属した時期を問い合わせた江戸幕府に、両島が同藩に属さないとした1695年12月25日付の回答だ。
現在の竹島が当時、同藩に属さないと考えられていたとしても、日本領との認識がなかったとは言えず、ましてや朝鮮領とする証明にはならないが、今後検証を深めたい。
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舩杉氏は、竹島・松島が「因幡、伯耆に属さないという回答のみ」を問題にしましたが、鳥取藩の回答はそれだけにとどまりません。先の中間報告書にも書かれているように、鳥取藩は「松島は、何れかの国に付属する島ではないと聞いています」という追加回答をしたのでした。
その回答をさらに裏打ちするかのように、舩杉氏がふれた松江藩の回答書でも、竹島はほとんど松江藩に関係がないとしました。しかも、その回答書で注目されるのは、松島(竹島=独島)について一切ふれなかったことでした。
ところが、舩杉氏はその回答書を元に「わが国は松島(現在の竹島)を放棄したという解釈は再検討されるべき」と記しましたが、なぜそのような発想が生まれたのか理解に苦しみます。
念のために、その回答書をみておきます。1696(元禄9)年1月26日付で幕府へ送られた松江藩の回答書の翻刻文を(注2)に、口語訳を次に掲げます。
(つづく)
これは メッセージ 15687 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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