日本の公的な官撰地図、舩杉批判3
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/29 17:31 投稿番号: [15698 / 18519]
時代は飛んで、1905年に竹島=独島を「領土編入」した後の状況はどうでしょうか。当然、同島は日本領として描かれるべきですが、なぜか島根県のホームページに掲載されている島根県の古地図は一枚として竹島=独島が記載されていないようです。
中には島根県土木課作成の島根県地図もありますが、竹島=独島は抜けおちています(注5)。島根県ですら竹島=独島に対する領土意識は希薄だったようです。これは、政府レベルで竹島=独島をこっそり日本領へ編入したツケが回ったのでしょうか。
つぎに、戦後はどうでしょうか? 舩杉氏は次のように記しました。
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国土地理院に照会したところ、戦後の地図では、昭和33年(1958)の250万分の1地図「日本とその周辺(2)」、昭和46年(1971)以降の300万分の1地図「日本とその周辺」、昭和46年(1971)以降の5万分の1地図「西郷」(500万分の1位置図)、昭和46年(1971)以降の2.5万分の1地図「西村」(250万分の1位置図)などに、竹島が記載されていることが分かった(P159)。
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舩杉氏の国土地理院への照会は不充分だったようです。私の調べでは 1958年以前にも国土地理院は竹島=独島を日本領と認識していました。「竹島」の記述自体は 1947年に内務省の地理調査所で編纂された「日本全圖」および 1948年に建設省の地理調査所で編纂された「日本全図」にも記載されました。ただし、これらは北方の「クナシリ」などと同様に日本の周辺として描かれたのであり、日本領とはされませんでした。
1948年版の「日本全図」は1952年に修正されましたが、依然として竹島=独島やクナシリは外国領のままで描かれました。これは、毎日新聞社が出版した『対日平和条約』付属の「日本領域図」(注6)の認識にほぼ等しいようです。すなわち、サンフランシスコ条約でも竹島=独島は日本領にならなかったという認識を地図で表現したことになります。
その「日本全図」は、さらに1955年に「一部増補」がおこなわれ、この時に竹島=独島やクナシリなどは初めて日本領として描かれました。「日本領」を明確に表現するため、竹島=独島と欝陵島との間には国境線が引かれました。竹島=独島における日韓間の銃撃事件をきっかけに世論に押されたのか、地理担当部署は同島を日本領に組み入れたようです。その後の国土地理院の地図は最終報告書に書かれたとおりです。
以上の変遷を総合すると、日本政府の公的な地理担当部署の認識は、神代の昔から1954年にいたるまで、「領土編入」から終戦までの一時期を除いて、竹島=独島を日本領と認識したことは一度もなかったようです。
(注1)内務省地理局『大日本府縣分轄圖』1881
http://www.kr-jp.net/map/naimu-map/naimu-map.html
(注2)内務省地理局「大日本國全圖」1880、岐阜県地図世界センター所蔵
http://www.library.pref.gifu.jp/map/worlddis/mokuroku/kochizu/18-8-1.html
(注3)伊能忠敬「官板実測日本地図、山陰 山陽 南海 西海」
http://www.lib.tokushima-u.ac.jp/~archive/005/z09/frame_b.html
(注4)同上、書誌事項
http://www.lib.tokushima-u.ac.jp/~archive/005/z09/frame_a.html
(注5)島根県デジタルライブラリー「島根県地図」
http://ltis.pref.shimane.jp/see_jpeg/ezu/ezu_shimane/shimane_p1.htm
(注6)毎日新聞社編『対日平和条約』付属地図、毎日新聞社、1952
http://www.kr-jp.net/map/mainichi-1952.pdf
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
中には島根県土木課作成の島根県地図もありますが、竹島=独島は抜けおちています(注5)。島根県ですら竹島=独島に対する領土意識は希薄だったようです。これは、政府レベルで竹島=独島をこっそり日本領へ編入したツケが回ったのでしょうか。
つぎに、戦後はどうでしょうか? 舩杉氏は次のように記しました。
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国土地理院に照会したところ、戦後の地図では、昭和33年(1958)の250万分の1地図「日本とその周辺(2)」、昭和46年(1971)以降の300万分の1地図「日本とその周辺」、昭和46年(1971)以降の5万分の1地図「西郷」(500万分の1位置図)、昭和46年(1971)以降の2.5万分の1地図「西村」(250万分の1位置図)などに、竹島が記載されていることが分かった(P159)。
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舩杉氏の国土地理院への照会は不充分だったようです。私の調べでは 1958年以前にも国土地理院は竹島=独島を日本領と認識していました。「竹島」の記述自体は 1947年に内務省の地理調査所で編纂された「日本全圖」および 1948年に建設省の地理調査所で編纂された「日本全図」にも記載されました。ただし、これらは北方の「クナシリ」などと同様に日本の周辺として描かれたのであり、日本領とはされませんでした。
1948年版の「日本全図」は1952年に修正されましたが、依然として竹島=独島やクナシリは外国領のままで描かれました。これは、毎日新聞社が出版した『対日平和条約』付属の「日本領域図」(注6)の認識にほぼ等しいようです。すなわち、サンフランシスコ条約でも竹島=独島は日本領にならなかったという認識を地図で表現したことになります。
その「日本全図」は、さらに1955年に「一部増補」がおこなわれ、この時に竹島=独島やクナシリなどは初めて日本領として描かれました。「日本領」を明確に表現するため、竹島=独島と欝陵島との間には国境線が引かれました。竹島=独島における日韓間の銃撃事件をきっかけに世論に押されたのか、地理担当部署は同島を日本領に組み入れたようです。その後の国土地理院の地図は最終報告書に書かれたとおりです。
以上の変遷を総合すると、日本政府の公的な地理担当部署の認識は、神代の昔から1954年にいたるまで、「領土編入」から終戦までの一時期を除いて、竹島=独島を日本領と認識したことは一度もなかったようです。
(注1)内務省地理局『大日本府縣分轄圖』1881
http://www.kr-jp.net/map/naimu-map/naimu-map.html
(注2)内務省地理局「大日本國全圖」1880、岐阜県地図世界センター所蔵
http://www.library.pref.gifu.jp/map/worlddis/mokuroku/kochizu/18-8-1.html
(注3)伊能忠敬「官板実測日本地図、山陰 山陽 南海 西海」
http://www.lib.tokushima-u.ac.jp/~archive/005/z09/frame_b.html
(注4)同上、書誌事項
http://www.lib.tokushima-u.ac.jp/~archive/005/z09/frame_a.html
(注5)島根県デジタルライブラリー「島根県地図」
http://ltis.pref.shimane.jp/see_jpeg/ezu/ezu_shimane/shimane_p1.htm
(注6)毎日新聞社編『対日平和条約』付属地図、毎日新聞社、1952
http://www.kr-jp.net/map/mainichi-1952.pdf
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 15697 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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