日本の公的な官撰地図、舩杉批判1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/07/29 17:13 投稿番号: [15696 / 18519]
半月城です。
前に書いたように、舩杉氏は最終報告書に雑多な地図を掲載しても、領有権問題の核心になる日本の「地理担当部署」による日本地図を一枚も掲載しませんでした。
このように恣意的に資料を取捨選択したのでは、我田引水的な結果しか出ないのは火を見るより明らかです。これでは、最終報告書の読者が日本政府の竹島=独島に対する領有意識の経緯を確認するのは困難です。
そのように最終報告書でスッポリ抜けおちている日本の「地理担当部署」の公式見解、とりもなおさず日本政府の公的な領有意識の推移を追跡したいと思います。その手始めとして、日本の「地理担当部署」とはどこかをはっきりさせたいと思います。
戦前の地理担当部署
1869(明治2)年 民部官に庶務司 戸籍地図掛を設置
1870(明治3)年 民部省に地理司を設置
1871(明治4)年 民部省の廃止にともない、太政官 正院(せいいん)地誌課となる
1874(明治7)年 内務省の地理寮となる
1877(明治10)年 内務省の地理局となる
1884(明治17)年 内務省の大三角測量事業を参謀本部の測量局に統合
1888(明治21)年 測量局が参謀本部の陸地測量部になる。
戦後
1945(昭和20)年 内務省に地理調査所が発足
1948(昭和23)年 地理調査所は建設省の付属機関となる
1960(昭和35)年 地理調査所の名称を国土地理院と改称
舩杉氏は上記部署の地図を一枚も掲載しなかったのですが、若干のコメントはつけました。まず、内務省の『大日本府縣分轄圖』について最終報告書でこう述べました。
<「大日本府県分轄図」では松島を山陰道と彩色している(P155)>
舩杉力修(ふなすぎ りきのぶ)氏は、あたかも松島が山陰道に属しているかのように記しましたが、この記述は非常に疑問です。国会図書館に貴重書として所蔵されている『大日本府縣分轄圖』(1881)中の「大日本全國略圖」において、隠岐島は山陰道として彩色されていても、竹島・松島は彩色されませんでした。ただし、隠岐周辺などの小さな島も彩色されませんでした(注1)。
元来「大日本全國略圖」は朝鮮半島や「魯西亜領満州(ママ)」などを含む極東図であるだけに、松島が彩色されていなければ、同図から松島は日本領として認識されたかどうかは不明です。それを知るためには、他のページに竹島・松島がどう扱われているのかを見る必要があります。
他のページを丹念に見ても、竹島・松島はどのページにも描かれませんでした。もちろん「島根 岡山二縣圖」にも記載がありません。ちなみに、当時の島根県は鳥取県を含みました。このように松島は詳細な地方図に描かれていないので、これを日本領とみることは無理です。
(つづく)
前に書いたように、舩杉氏は最終報告書に雑多な地図を掲載しても、領有権問題の核心になる日本の「地理担当部署」による日本地図を一枚も掲載しませんでした。
このように恣意的に資料を取捨選択したのでは、我田引水的な結果しか出ないのは火を見るより明らかです。これでは、最終報告書の読者が日本政府の竹島=独島に対する領有意識の経緯を確認するのは困難です。
そのように最終報告書でスッポリ抜けおちている日本の「地理担当部署」の公式見解、とりもなおさず日本政府の公的な領有意識の推移を追跡したいと思います。その手始めとして、日本の「地理担当部署」とはどこかをはっきりさせたいと思います。
戦前の地理担当部署
1869(明治2)年 民部官に庶務司 戸籍地図掛を設置
1870(明治3)年 民部省に地理司を設置
1871(明治4)年 民部省の廃止にともない、太政官 正院(せいいん)地誌課となる
1874(明治7)年 内務省の地理寮となる
1877(明治10)年 内務省の地理局となる
1884(明治17)年 内務省の大三角測量事業を参謀本部の測量局に統合
1888(明治21)年 測量局が参謀本部の陸地測量部になる。
戦後
1945(昭和20)年 内務省に地理調査所が発足
1948(昭和23)年 地理調査所は建設省の付属機関となる
1960(昭和35)年 地理調査所の名称を国土地理院と改称
舩杉氏は上記部署の地図を一枚も掲載しなかったのですが、若干のコメントはつけました。まず、内務省の『大日本府縣分轄圖』について最終報告書でこう述べました。
<「大日本府県分轄図」では松島を山陰道と彩色している(P155)>
舩杉力修(ふなすぎ りきのぶ)氏は、あたかも松島が山陰道に属しているかのように記しましたが、この記述は非常に疑問です。国会図書館に貴重書として所蔵されている『大日本府縣分轄圖』(1881)中の「大日本全國略圖」において、隠岐島は山陰道として彩色されていても、竹島・松島は彩色されませんでした。ただし、隠岐周辺などの小さな島も彩色されませんでした(注1)。
元来「大日本全國略圖」は朝鮮半島や「魯西亜領満州(ママ)」などを含む極東図であるだけに、松島が彩色されていなければ、同図から松島は日本領として認識されたかどうかは不明です。それを知るためには、他のページに竹島・松島がどう扱われているのかを見る必要があります。
他のページを丹念に見ても、竹島・松島はどのページにも描かれませんでした。もちろん「島根 岡山二縣圖」にも記載がありません。ちなみに、当時の島根県は鳥取県を含みました。このように松島は詳細な地方図に描かれていないので、これを日本領とみることは無理です。
(つづく)
これは メッセージ 15687 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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