竹島

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Re: Re:江戸時代の地図の彩色3

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2007/06/13 13:45 投稿番号: [15605 / 18519]
>   独島韓国領派の論者は、竹島編入以前の明治時代には日本人は竹島松島は韓国領と認識していたと主張しているわけで、『大日本史』の隠岐の記述が成立当時の認識を反映しているとなると困ったことになりますね。

  『獨島韓国領派』、『竹島日本領派』、〜派といったものに興味はありませんので、悪しからず。
  かつて崔書勉先生も功名に走らず真摯な態度で研究せよと述べておられますが、誰が困るとか、へちまとか、そう云う下らないことには係わるつもりはありませんので、そちらさまで勝手になさって下さいね。
  よろしく。

Re:下條正男批判、江戸時代の地図の彩色

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/06/12 20:30 投稿番号: [15604 / 18519]
  いくつか質問させていただきます。半月城さんのhpには以下の記述がありますね。

   『大日本史』は、1823年以前の「竹島渡海事業」がたけなわのころ、つまり松島、竹島が日本領と思われていたころの古記や紀行を元にしたのかもしれません。そうでなければ、あるいは『大日本史』は水戸藩の歴史書にしかすぎず、幕府史料を入手できず、事情を知悉できなかったためかもしれません。そうであれば「不待智者而知也」は当然です。

    于山国の歴史、『大日本史』1
    http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.650

これは竹島一件以前の領有意識が『大日本史』の記述に反映しているとしか読めないわけですが、今回の投稿には、

    無人島の竹島(欝陵島)は宝の島だったようで、日本と朝鮮の漁民が朝鮮政府の捜討官の目をかいくぐって竹島(欝陵島)へ密航し、両者がせめぎあっていたようです。そうした密航者の竹島・松島紀行が伝わり、水戸藩による『大日本史』で両島は隠岐国の所属と認識されるようになったようです。

とあります。これは竹島一件以後の領有意識が『大日本史』の記述に反映している、という主張ですよね。どうも半月城さん自らの論説を修正されたようですが、どういう事情があって修正されたのか教えてください。

  あと、ちょっと前の投稿には、
  
    なお、池内氏自身 2005年まで著者を斉藤豊仙としていましたが、それを修正した形になりました。このように、学者は自らの論説を修正するときはその理由を明らかにするのが学者なりの「作法」といえます。下條正男氏も見習ってほしいものです。

とありますが、半月城さんが自らの論説を修正するときにその理由を明らかにしなかったのはなぜでしょうか?

  ついでに「松島、竹島が日本領と思われていたころの古記や紀行」、「そうした密航者の竹島・松島紀行」とは具体的にどのような文献を指しているのか教えてください。

  最後に私は『隠岐古記集』を改めて読み直してみましたが、「今は朝鮮人来て住すと言ふ」の記述があります。ここから考えると、例えば「『隠岐古記(集?)』は竹島松島は日本領と認識していたが、これは竹島一件以後の日本人の活動が反映されたものである」といったような主張をするのは難しいような気がします。この私の推論について半月城さんはどのようにお考えでしょうか?

『大日本史』は領有権論争にはあまり影響がなさそうな資料ですが、半月城さんがどのような姿勢で竹島=独島論争に臨んでいらっしゃるのか理解することは大変有意義なことだと思います。よろしくお願いします。

Re: Re:江戸時代の地図の彩色3

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/06/12 19:08 投稿番号: [15603 / 18519]
>   『大日本史』の国郡誌は長久保赤水の膨大な原稿は不採用になり、明治時代になって栗田寛によって編集され大日本史に集録されたと赤水の子孫が述べていましたよね。お忘れですか。

  独島韓国領派の論者は、竹島編入以前の明治時代には日本人は竹島松島は韓国領と認識していたと主張しているわけで、『大日本史』の隠岐の記述が成立当時の認識を反映しているとなると困ったことになりますね。

>   確証はありませんが、隣国を積極的に侵略しようとする明治の雰囲気もあったでしょうし、知りつつ隠蔽した可能性もゼロではありません。

  「可能性もゼロではありません」とはいろんな意味で的確な表現です。まあ歴史を歪曲しようとする人間が「すでに竹島といい、松島といい、我が版図となした。智者を待つが知れない。ついては、以て考えに備える」などと真っ正直なことを書くとは到底思えません。

Re: 下條正男批判、江戸時代の地図の彩色3

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2007/06/11 13:54 投稿番号: [15602 / 18519]
  『大日本史』の国郡誌は長久保赤水の膨大な原稿は不採用になり、明治時代になって栗田寛によって編集され大日本史に集録されたと赤水の子孫が述べていましたよね。お忘れですか。
  ですから、天保8年以前に完成された原稿による可能性は薄いと思いますし、当時の日本国内に広く蔓延っていた鬱陵島・獨島(竹島・松島)を一括して隠岐の範囲に含むとする俗信を、19世紀に表された紀行文などを引く形で記したと考えたわけです。
  天保6年生まれの栗田が浜田藩の密貿易事件を知らなかったとしても不思議はないですが、一方で、確証はありませんが、隣国を積極的に侵略しようとする明治の雰囲気もあったでしょうし、知りつつ隠蔽した可能性もゼロではありません。

下條正男批判、江戸時代の地図の彩色3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/06/10 22:01 投稿番号: [15601 / 18519]
   分類Bの無彩色の地図には赤水の「日本輿地路程全図」が含まれるのですが、池内説によれば、竹島・松島を記載しても無彩色に彩色したのは18世紀前半とのことなので、すでに長久保赤水以前にそのような地図が存在していたことになります。赤水はみずから実地検証をしたわけではないので、それは当然のことです。
   つぎに、分類Cの彩色された地図には、AM_I_AHOさんの言う「日本輿地路程全図」の劣化コピーなどが含まれるのですが、これは長久保赤水の晩年にはすでに始まっていたようです。それは竹島(欝陵島)へ密航して密漁などをする輩が後を絶たなかった史実を反映したようです。そうした密航の事情を内藤正中氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   日本からも、幕府の渡航禁止令が出されたにもかかわらず、渡航する者が跡を絶たなかった如くで、『朝鮮王朝実録』のなかに「倭船がしばしば漁採することは真に嘆かわしい」という1710年(宝永7)の関係記事を見ることができる。日本側の資料のなかでも幕府の『通航一覧』に次のような記事が出ている。
  「むかし隠岐の辺より渡て、大竹を切来て諸方へ売、甚た大にしてよき竹也と云ふ、近来その島へ渡す時は、朝鮮人多く来て、此方の船を見れば鳥銃を打て船を近づけずと云ふ、この島果して日本の島なれとも、遂に朝鮮に取られたり」(注8)
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   無人島の竹島(欝陵島)は宝の島だったようで、日本と朝鮮の漁民が朝鮮政府の捜討官の目をかいくぐって竹島(欝陵島)へ密航し、両者がせめぎあっていたようです。そうした密航者の竹島・松島紀行が伝わり、水戸藩による『大日本史』で両島は隠岐国の所属と認識されるようになったようです。したがって、同書が公式記録でそれが確認できないのは当然です。

   しかも、『大日本史』は天保8年の幕府による竹島(欝陵島)渡海禁止令すら知らなかったようです。幕府は、浜田藩の今津屋(俗称、会津屋)八右衛門が竹島(欝陵島)で行なっていた密貿易を摘発し、改めて「異国航海之儀は重き御制禁に候条」を全国に布達しました。
   その中で竹島(欝陵島)については「元禄之度、朝鮮国へ御渡しに相成候以来、航海停止被仰出候場所に有之」と渡海禁止を述べたのでした。この事件は江戸市中でも話題になるほど有名だったのですが、『大日本史』がその事実を知らないとなると、同書の竹島・松島関連の「隠岐國四郡」条は天保8年以前に原稿が完成していたのかも知れません。
   ま、『大日本史』は幕府や竹島・松島関連の国家機構に無関係な史料であるだけに、その内容がどうあれ、領有権論争にはあまり影響がなさそうです。

  『大日本史』が事情をよく知らないまま、竹島・松島を隠岐国に含めても、江戸時代の隠岐国図に竹島・松島が実際に描かれることはなかったようで、池内敏氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   江戸時代に描かれた四点の隠岐国図に竹島(鬱陵島)・松島(竹島/独島)が描かれることはないが、いずれにも島後・福浦に竹島(鬱陵島)にかかわるほぼ同一の記述【此湊船懸吉、竹島江之渡海此湊ニ而 天気見合候】が見える(注7)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   これらの隠岐国図は、竹島・松島をよく知る人によって描かれたようですが、竹島・松島を含めなかったのは妥当な見識と思われます。

(注1)堀和生「一九〇五年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/hori1987.pdf
(注2)長久保光明「長久保赤水の日本地図編集のあらまし」『歴史地理学』127号,1984,P33
(注3)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春文庫,2004,P174
(注4)神戸市博物館『古地図セレクション』(第2版)神戸市体育協会,2000,P37
(注5)http://www2.library.tohoku.ac.jp/kano/kochizu/CJA08342001/CJA08342001-6.html
(注6)池内敏「前近代竹島の歴史学的研究序説」『青丘学術論集』2005,P164
(注7)池内敏「竹島考ー近世日本の西北境界」講演レジメ(2007.2.24)
(注8)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版,2000,P123

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

下條正男批判、江戸時代の地図の彩色2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/06/10 21:42 投稿番号: [15600 / 18519]
   下條氏が見たという「日本輿地路程全図」は引用先が不明なので、彩色に関して下條氏の反論が有効かどうか、さらなる検証が必要です。初版本でも多少の異同があるので、それらを総合的に検証する必要があります。たまに、私的な一枚の地図だけをとりあげて、領有権の決定的資料と喧伝する人が日韓両国にいますが、それに踊らされないよう心がけたいものです。
   ともかく、下條氏は神戸図書館の初版本を見ていないようですが、先行研究に反論するからには文献批判を綿密に行ない、慎重な態度で臨むべきでした。そうした彼は、堀氏へのさらなる反論をこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   また、もう一つ重要な事実がある。それは長久保赤水の『日本輿地路程全図』に描かれた鬱陵島(図では竹島と表記)の右上に、「高麗を見ること、猶雲州より隠州を望むがごとし」という付記があることである。この付記は齊藤豊仙(ママ)の『隠州視聴合記』からの引用である。この事実から見ても、長久保赤水が鬱陵島を日本領と認識していたことは明らかである(注2)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   下條氏は『隠州視聴合記』において斉藤豊宣が竹島・松島を日本領に解釈していると断定していますが、これは我田引水のようです。池内敏氏の詳細な研究によれば「この史料(『隠州視聴合記』)をもって、竹島/独島が当時の日本の版図から外れたものと認識されていたとするのは妥当(注6)」とされるからです。この池内氏の論文に対し、下條氏からの反論はまだないようです。
   長久保赤水は下條氏も認めるように『隠州視聴合記』を踏襲しているので、当然、赤水も斉藤豊宣同様に竹島・松島を日本の版図外と認識していたということになり、下條説は成り立ちません。
   下條氏の我田引水はこれだけにとどまらないようです。堀説への反論をこう書き加えました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  この例から言えるのは、長久保赤水が鬱陵島や竹島を日本の領土として認識していたかどうかは、彩色の有無だけでは判断ができない、ということである。
  そのことは、一八五二(嘉永五)年、鈴木驥園が長久保赤水の『日本輿地路程全図』を改訂して刊行した『増訂 大日本国郡 輿地路程全図』からも裏づけられる。そこでは竹島、松島、沖永良部島、青ヶ島にも日本本土と同じく黄色い彩色がほどこされているからである(注2)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この文に下條氏特有の論法を見る気がします。長久保赤水の竹島・松島認識を問題にしているのに、なぜ長久保赤水が亡くなって 50年後の、しかも他人の地図をわざわざ持ちだすのでしょうか?   私には単なる論点ずらしにしか受け取れません。しかも、鈴木驥園の地図は私的なものなので、資料価値に乏しいことはいうまでもありません。
   下條氏は今年3月まで竹島問題研究会の座長を務めましたが、そのような人だからこそ島根県によって選ばれたのかも知れません。最初から「竹島は日本領」という結論ありきの会では、島根大学の内藤先生のような方が選ばれないのは当然と思われます。

   余談はさておいて本論にもどりますが、下條氏が例示した地図のように、竹島・松島を一対にして隠岐と同色に彩色される地図が出現するようになったのはいつごろからでしょうか?   この変遷を池内敏氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   江戸時代の日本図における竹島(鬱陵島)・松島(竹島/独島)記載や彩色の有無に関する年代的な特徴とは、「A.記載無し -- -> B.記載あり無彩色 -- -> C.記載あり彩色」とする変化。AからBへの変化は概ね18世紀前半に、BからCへの変化は18世紀末(注7)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

下條正男批判、江戸時代の地図の彩色1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/06/10 21:38 投稿番号: [15599 / 18519]
半月城です。

   Re:15592
>   それでも『大日本史』なぞは二島は隠岐の一部と書きながらも、慎重を期して、どういう経緯でそうなったか分からないと注記したわけですよ。
>   つまり、当時の人も、なぜ急に二島が隠岐の一部とされるようになったのか、その原因が分かっていないわけですから、「日本輿地路程全圖」の変質も原因不明のミスプリントであると結論せざるを得ないでしょう。

   まず、江戸時代の地図において竹島=独島がどのように彩色されているのか、先人の研究を確認したいと思います。この問題の草分けである堀和生氏は崔書勉説を踏襲してこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  「竹島一件」以後の幕府の領土意識を示す資料として、その官撰地図があげられる。日本の官撰地図のなかで、松島=独島を最初に画いたのは、長久保赤水の「日本輿地路程全図」(1773年)である。この地図は経緯線を使用した最初の地図でもあった。長久保は、更に木版彩色刷りの「日本輿地路程全図」(1778年)を刊行した。
   この地図で特に注目されるのは、日本本土とその付属地にはすべて彩色をほどこしているが、竹島と松島は、朝鮮半島とともに彩色していないことである。つまり、「竹島一件」を踏まえた後の官撰地図は、竹島、松島をともに日本領として取扱っていないのである。
   また、古地図の段階を完全に脱皮したといわれる官撰地図、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」(1821年)には、竹島、松島ともに含まれていないのである。つまり、一七世紀半ばにはやや曖昧であったが、元禄期の朝鮮政府との交渉を経た後には、幕府は松島=独島の存在を認知していながら、それを日本領だとは見ていなかったのである(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   堀和生氏は「日本輿地路程全図」の初版を1778年としていますが、長久保赤水の子孫によれば1779年とのことです(注2)。それはさておき、この堀説に異議を唱えたのが下條正男氏であり、こう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ところが、実際に『日本輿地路程全図』を見ると、崔書勉氏の主張には根拠がないことが分かる。日本の付属地で彩色がほどこされていないのは、鬱陵島や竹島に限らないからである。鬱陵島や竹島と同様、沖永良部島、青ヶ島、沖ノ島などにも彩色がほどこされていない。しかも沖永良部島には、「是より南百二十里、琉球国」とする付記があり、長久保赤水が沖永良部島を日本領として認識していることが分かる(注3)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   下條氏は「日本輿地路程全図」において竹島=独島が朝鮮と同様に無彩色とされたことを認めたうえで、沖永良部島は日本領にもかかわらず無彩色なので、崔書勉・堀説は成り立たないと主張しました。
   しかし、沖永良部島が初版本で本当に無彩色なのかどうかは検証を要します。「日本輿地路程全図」初版本の写真が神戸市立図書館から出版されましたが、そこでは沖永良部島は大隅半島と同色に彩色されているようです(注4)。
   ただ、東北大学の狩野文庫にある「日本輿地路程全図」(初版)ですが、これは傷みや変色がはげしく、インターネットで見た限りでは、九州南部の竹島、黒シマ、永良部が薩摩半島と同色かどうか断定は微妙です(注5)。ちなみに、それらの島は後世の「日本輿地路程全図」では航路が大隅半島ではなく、薩摩半島と結ばれました。
(つづく)

画像加工をして下さい 山陰新聞記事

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/06/09 23:00 投稿番号: [15598 / 18519]
先日は画像を加工して頂き、ありがとう御座います。今日は第二段です。

下記はpdf形式の資料ですが、これをjpgがgifにして下さい。資料の大きさはpdf形式で150%の状態でお願いします。文字が読めるように150%です。

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/03.pdf

よろしくお願いします。

Re: Re×4: 最近の『隠州視聴合紀』研究

投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2007/06/09 22:47 投稿番号: [15597 / 18519]
自分からAHOだとか
愚生だとか   言ってるものは
構わないほうが   いいのジャマイカ

Re×4: 最近の『隠州視聴合紀』研究

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/06/08 22:25 投稿番号: [15596 / 18519]
>   仰りたいことは解りますが、厳密にそこだけを見てしまうと、『大日本史』の著者は「竹島一件」を知らなかったとも云えてしまうわけです。

  AHOさんが 『大日本史』の著者は「竹島一件」を知らなかった、つまりもし「竹島一件」を知っていたら竹島松島を日本領にはしなかったであろうが、知らなかったので竹島松島を日本領にしたのであって、『大日本史』の記述は「竹島一件」以後の認識を表したものではない、と主張しても私は一向に構いません。私はもともと「竹島一件」以後に日本人が竹島松島を日本領と認識していたことを主張したかったわけではなく、半月城氏の記述がいわゆるダブルバインド(相矛盾する二つのメッセージ受け取った者が   行動不能に追い込まれた状態・二重拘束)の状態であることを指摘したかったわけですから。
  「竹島記載の日本図屏風見つかる」の記事で、同じ作者の物なのに 日本図の竹島松島は無彩色で世界図のほうは鬱陵島とみられる島が日本と同じ色であるということは、無彩色であることが日本領ではないことを意味しているわけではない、と解釈できます。
  まあ「屏風」の記事が唐突に出てきたのは、AHOさんにとって運が悪かったとしか言いようがありませんね。

Re:Re: Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2007/06/08 19:50 投稿番号: [15595 / 18519]
>   これは『大日本史』が底本にした『隠岐古記』や『隠岐紀行』から竹島松島が隠岐の所属であることは読み取れたけれども、隠岐の所属になった経緯までは読み取れなかったのでこのような注記をつけたものと考えます。

  仰りたいことは解りますが、厳密にそこだけを見てしまうと、『大日本史』の著者は「竹島一件」を知らなかったとも云えてしまうわけです。
  勿論「日本輿地路程全圖」が唯一の原因でなかったことは"その原因の一つが「日本輿地路程全圖」の変質であった"と書いたとおり、解っていますが、当時の日本地図の定番と云うべき「日本輿地路程全圖」の影響力(それを参考にしたものも含めて)は『大日本史』の著者にも影響したと考えます。
  藪太郎さんも御指摘のように、19世紀以降の日本には鬱陵島・獨島(竹島・松島)の二島を一括して隠岐の一部とみる認識が確かに存在していたのです。
  「日本輿地路程全圖」については、いつか、順を追って見直してみましょう。
  或いは単なるミスプリントではなく、何らかの根拠のあることなのかもしれませんが、当面は、オリジナルが書き換わってしまったことを重視して、原因不明のミスプリントと考えても差し支えないと考えます。

  大分以前に書きましたが、民間の関与があったのならば、たとえ現在の領有権に影響しないとしても一定の考慮はされて然るべきとするのが愚生の一貫した考えです。
  多分、この考えは変わらないでしょう。

Re:Re: Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/06/07 22:05 投稿番号: [15594 / 18519]
>   それでも『大日本史』なぞは二島は隠岐の一部と書きながらも、慎重を期して、どういう経緯でそうなったか分からないと注記したわけですよ。

  これは『大日本史』が底本にした『隠岐古記』や『隠岐紀行』から竹島松島が隠岐の所属であることは読み取れたけれども、隠岐の所属になった経緯までは読み取れなかったのでこのような注記をつけたものと考えます。
  『大日本史』はテレビの水戸黄門でイメージするように日本全国を行脚して情報を収集したわけではなく、薄暗い屋敷の中で膨大な資料と格闘しつつせこせこと書かれていたものであるので、資料に載っていないことまでは分からなかったんじゃあないでしょうか。決してお天道様の日の光の下で日がな一日働いている一般世間の人たちの認識が反映しているとは思えません。

  昨日投稿した 竹島問題研究会の舩杉氏の記述にも、

  (5)海運関係の絵図により、わが国では江戸時代中後期でも、松島は蝦夷地へ向かう北前船の目印として利用され、地理的に認識されていた。
  (多分下の地図だと思われる   大御国環海私図?)
  http://kago-ai-chan.net/uploader/img/naver6641.jpg

  とあります。竹島一件以後も竹島松島は日本人の経済活動のために積極的に活用されていたわけで、認識があやふやだったわけではありません。

  そもそもAHO さんが変質した=ミスプリントである(これまでの地図と異なり竹島松島が日本領として彩色された)と主張している地図は1846年に成立したものであるので、1823年に成立した『隠岐古記』にその認識が反映されているはずがありません。さっき投稿した「竹島記載の日本図屏風見つかる」の記事にある「鬱陵島とみられる島が日本領として彩色された世界図を模写した屏風 」の成立が1836−41年なのも変ですよね。

竹島記載の日本図屏風見つかる

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/06/07 20:00 投稿番号: [15593 / 18519]
   竹島記載の日本図屏風見つかる

  江戸時代の竹島(韓国名・独島)を表す「松島」と現在の韓国・鬱陵島を示す「竹嶋」を描いた日本図、鬱陵島を日本領と同じ赤色で表記した世界図の二架の屏風(びょうぶ)が、松江市内で見つかった。当時は両島を日本領と認識していたことを示す資料とみられる。

  屏風は、同市天神町の仏壇店・荒木文之助商店の蔵に保管されていた。大きさはともに高さ1・7メートル、幅3・8メートル。筆遣いが似ており、江戸時代後期の1836−41年に日本図と世界図を模写して作製されたとみられる。

  日本図は表題の記載はないが、緯度の表記から水戸藩の地理学者・長久保赤水が1779年に製作した「改正日本輿地路程全図」を基に加筆・修正したとみられ、隠岐島の北西に「松島」「竹嶋」が描かれている。作製者は不明。

  世界図は、イエズス会の宣教師マテオ・リッチが1602年に刊行した「坤輿(こんよ)万国全図」の記載がある。原本には「松島」「竹嶋」の記載はないが、屏風には隠岐島の北西に鬱陵島とみられる島が日本と同じ赤色で彩色されていた。

  島根県の杉原隆・竹島研究顧問は「坤輿万国全図を模写した屏風は全国的に貴重」と評価した上で、「当時の松江では、現在の竹島と鬱陵島を地図で知っており、日本領と認識していたことがうかがえる」と分析した。
  
   http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=406738006&from=top

ねらっていたかのごとくタイミングのよい記事だ。

Re:Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2007/06/07 13:30 投稿番号: [15592 / 18519]
>まず始めにAHOさんに訴えたいのは私自身は『隠岐古記』や『大日本史』が「幕府による竹島(鬱陵島)の版図外確認を知らなかった 」とも「竹島一件以前の領土認識に基づいているはず 」だとも思っていないということです。

  了解しました。

>   AHOさんが竹島一件に結びつけるまでもなく 竹島・松島が日本領という認識があったと認めていらしゃるのであればつっこみをいれる必要はないわけですが、あえて問えば、竹島一件以前の領土認識ではないのに、「19世紀以降の日本で竹島・松島を一括して日本領ではないかとする認識が広く蔓延していた 」理由について、「日本輿地路程全圖」の変質なるものが竹島・松島が日本領という認識の反映ではなくミスプリントが原因であるというのは単なるAHOさんの希望的観測にすぎないのではないでしょうか?

  正確には「竹島一件」以降、具体的には19世紀以降、世間一般にはそういう認識も存在していたわけで、当時の書物が二島を隠岐の中に含めても不思議はなく、むしろ当然なんですね。
  それでも『大日本史』なぞは二島は隠岐の一部と書きながらも、慎重を期して、どういう経緯でそうなったか分からないと注記したわけですよ。
  つまり、当時の人も、なぜ急に二島が隠岐の一部とされるようになったのか、その原因が分かっていないわけですから、「日本輿地路程全圖」の変質も原因不明のミスプリントであると結論せざるを得ないでしょう。

竹島問題研究会が最終報告

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/06/07 02:27 投稿番号: [15591 / 18519]
談論風発 : 竹島問題研究会が最終報告   韓国側の主張には多くの誤り

島根大法文学部准教授   舩杉力修

  島根県の竹島問題研究会が先日、最終報告書を知事へ提出した。二年前、県から研究会委員の就任依頼があった際、当初は断るつもりでいた。しかし委員の一人に相談したところ「県の最重要課題について、島根大が協力しないこととなるが、その覚悟はあるのか」と説得され、専門外であったが引き受けることにした。
竹島問題で活躍された外務省の川上健三氏は京都大で歴史地理学を学ばれ、一九六六年に『竹島の歴史地理学的研究』を刊行した。川上氏は文献資料だけでなく、日本、韓国、欧米の地図を歴史地理学の視点で分析されたことから、「日本海」呼称問題のように、地理学の視点から地図をすべて分析すれば、竹島問題の解決の一助になるのではと思い、引き受けることとした。
二年間はまさに悪戦苦闘の連続であった。特に、内外から全く根拠もないひぼう中傷を受けたことが精神的にこたえた。その結果体調を崩し、昨年秋から大学を休むこととなってしまい、現在も休養中である。同僚や学生に迷惑をかけているなかではあるが、研究者として二年間の取り組みを直接お伝えする必要があると思い、筆をとることとした。
委員就任後に求められたことは、これまでの竹島問題研究についての論点整理であった。しかし人文社会科学分野では、従来の研究のみでは、問題の本質を理解することは難しい。竹島問題に関する原史料にあたり、調査、整理、分析し、ひいては竹島に関する資料集を刊行することによって、問題の本質を理解でき、日韓両国で冷静な議論が初めて可能となる。そのためには二年間では難しく、最低でも五年から十年はかかると私を含めた複数の委員は指摘した。その結果、史料調査が認められ、県民の皆さまからも多くの貴重な史料の提供を受けた。以下、昨年秋までの時点であるが、二年間の成果について簡単に述べたい。これは一委員の個人的見解であり、研究会としての見解ではない。

    以下リンク先を参照してください。

    http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=406702035


内外から全く根拠もないひぼう中傷を受けたことが精神的にこたえた。その結果体調を崩し、昨年秋から大学を休むこととなってしまい、現在も休養中である。

ひどすぎ。。。

竹島は・・・

投稿者: hanasakababaa7 投稿日時: 2007/06/06 22:59 投稿番号: [15590 / 18519]
日本の島根県であります。
それ以外の事実はありません。
防衛省がどのようにするかが気にかかります。
外務省は機能していませんので・・いつもの事ながら

Re:Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/06/06 22:43 投稿番号: [15589 / 18519]
まず始めにAHOさんに訴えたいのは私自身は『隠岐古記』や『大日本史』が「幕府による竹島(鬱陵島)の版図外確認を知らなかった 」とも「竹島一件以前の領土認識に基づいているはず 」だとも思っていないということです。はっきりいって文面からそこまではわからないと思います。   半月城さんの著書「竹島=独島論争」の該当部分をもっと長く引用しみましょう。

   日本政府の解釈が無理であることは『隠州視聴合紀』を定本にして増補した『隠岐国古記』の記述をみても明らかです。同書は「日本の乾地 此国を以て限りとする」と書き、竹島・松島でなく、隠岐国を日本の乾の限りとしました。同様の指摘は名古屋大学の池内敏教授により『隠州視聴合紀』の徹底的な分析をつうじて綿密に論証されました。
   ところで『隠岐古記』や『大日本史』は竹島、松島を日本の領土と考えましたが、これは幕府による竹島(鬱陵島)の版図外確認を知らなかったとみられます。後に詳述しますが、幕府は対馬藩をつうじて朝鮮政府との間で「竹島一件 」とよばれる竹島の領有権交渉を行った結果、一六九八年に竹島を領土外であると確認したのでした。このとき、幕府は松島(竹島=独島)も暗に領土外と判断したとみられるだけに「竹島一件」は今日にもつながる重大事です。(引用終わり)

  『隠岐国古記』が竹島・松島でなく、隠岐国を日本の乾の限りとしたのに、「日本の乾地 此国を以て限りとする」と書いてある『隠岐古記(集?)』が竹島、松島を日本の領土と考えた理由はよくわかりませんが、それはともかくとして私は半月城さんの文章を読んで、彼は「竹島一件 」によって日本人には竹島・松島が日本領であるという認識が無くなったという物語をでっち上げるために、竹島一件以後に成立してなおかつ竹島、松島を日本の領土と考えた『隠岐古記』や『大日本史』については「幕府による竹島(鬱陵島)の版図外確認を知らなかった」と書いて竹島一件以前の認識であり竹島一件以後の認識ではないとごまかそうとしているのではないかと考えました。「日本輿地路程全圖」の竹島、松島に彩色が云々という引用もようするにそういうことでしょう。『隠岐古記』や『大日本史』の領土認識が竹島一件以前のものでも以後のものないならばいったいいつの認識なのかという話になるわけで、そのあたりを突いてみたわけです。まあこれは彼の弁を待ちましょう。
   AHOさんが竹島一件に結びつけるまでもなく 竹島・松島が日本領という認識があったと認めていらしゃるのであればつっこみをいれる必要はないわけですが、あえて問えば、竹島一件以前の領土認識ではないのに、「19世紀以降の日本で竹島・松島を一括して日本領ではないかとする認識が広く蔓延していた 」理由について、「日本輿地路程全圖」の変質なるものが竹島・松島が日本領という認識の反映ではなくミスプリントが原因であるというのは単なるAHOさんの希望的観測にすぎないのではないでしょうか?

Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2007/06/06 12:45 投稿番号: [15587 / 18519]
>   ところで『隠岐古記』や『大日本史』は竹島、松島を日本の領土と考えましたが、これは幕府による竹島(鬱陵島)の版図外確認を知らなかったとみられます。
>
>   とお書きになっています。『隠岐古記』も『大日本史』も竹島一件の後に成立した文書ですが、どちらの著者も竹島一件のことを知らなかったとすれば竹島、松島の領土認識は竹島一件以前のものであるはずですね。

  ここで挙げられた両書とも19世紀のものですね。
  何を根拠にこれらの図書が竹島一件以前の領土認識に基づいているはずだと結論づけられるのか、もう少し慎重な評価が必要でしょう。
  現に、19世紀以降の日本では、鬱陵島・獨島(竹島・松島)を一括して日本領ではないかとする認識が広く蔓延していました。
  その原因の一つが「日本輿地路程全圖」の変質であったことが知られています。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=14969

  太政官指令以前の明治の初め頃には、文部省の地理教科書にさえも松島・竹島を一括して隠岐の領域に含めたものもあったくらいですから、民間の書籍である『大日本史』が同様の間違いを犯したとしても何ら不思議なことではありませんね。
  竹島一件に結びつけるまでもなく、当時の世情として、よくある話の類でしょうね。

Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/06/05 02:16 投稿番号: [15586 / 18519]
  私も「此州」は竹島、松島ではなく隠岐国だと考えます。実は私は始めて半月城さんのhpを見たときに「此州」を竹島、松島と解釈することがどうしてもできなくて、竹島問題について詳しく調べ始めるまでの約二年間、日本政府の主張はでっちあげで、竹島は韓国領ではないかと考えていました。

  半月城さんは自らの著書「竹島=独島論争」の31ぺージに、

   ところで『隠岐古記』や『大日本史』は竹島、松島を日本の領土と考えましたが、これは幕府による竹島(鬱陵島)の版図外確認を知らなかったとみられます。

  とお書きになっています。『隠岐古記』も『大日本史』も竹島一件の後に成立した文書ですが、どちらの著者も竹島一件のことを知らなかったとすれば竹島、松島の領土認識は竹島一件以前のものであるはずですね。
これは半月城さんが「竹島一件以前にも日本人は竹島、松島を日本の領土とみなしていた」ことを認めたと受け取ってもよろしいでしょうか?
そもそも日本政府が隠州視聴合記を持ち出したのは「竹島一件以前にも日本人は竹島、松島を日本の領土とみなしていた」ことを主張するためだったと思いますが。

  もうひとつ、「此州」について、

   この問題は、池内敏氏の研究がきっかけになり、内藤正中氏が自説を変更するにいたり、下條正男氏以外の存命中の学者は、日本の西北の限界を隠岐島とすることで意見が一致したようです。

  とありますが、「西北の限界を隠岐島とする」の部分は「西北の限界を隠岐国とする」の間違いではないでしょうか?「隠岐島」だと竹島、松島が日本の領土ではないことになりますが、内藤氏の主張は隠州視聴合記の著者が竹島、松島が隠岐国の一部であり日本の領土であると考えていた可能性を排除しているようには思えません。
半月城さんは池内氏が「竹島、松島は日本の領土ではない」と語っているのを直接耳にしたことがあるのでしょうか?池内氏から「そんなことは言ってない」などとクレームが来る心配はないのでしょうか?

  ついでに内藤正中氏が「日本輿地路程全図」について、「松島・竹島を外国領として彩色しているのである」「竹島(鬱陵島)の存在を認知していたことにはなっても、外国領と彩色されているものをもって、日本の領有権を確立していたとする根拠にならないことは明らかである。」
などと騙っているのもひどい話です。私の目には「日本輿地路程全図」の松島・竹島はいかなる色にも彩色しているようには見えません。韓国政府は于山島が竹島=独島であると主張していますが、張漢相の『蔚陵島事蹟』と朴昌錫の『鬱陵島圖形』とを考慮すれば、李朝の朝鮮人は竹島=独島と竹嶼とを別々の存在として認識した上で、竹嶼を于山島と呼んでいたことは明らかです。

Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/06/03 21:12 投稿番号: [15585 / 18519]
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   この(『隠州視聴合紀』の)記述は隠岐国についての位置関係を記したものであり、関連するかたちで西北にある竹島・松島に言及しているのである。というわけで末尾の「日本の乾地 以此州為限矣」の文言については、「此州」を隠岐国とみるか、鬱陵島(竹島一)みるかで意見が対立している。
   私は、幕府の特別許可を得て竹島領海事業を行なっていた時期であること、一八二三年の『隠岐古記集』で「今は朝鮮人来て住すと言ふ」の記述があることから、日本の西北境は竹島と考えると、二〇〇〇年刊行の拙著『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』のなかで記していた。
   しかし、最近の池内敏による詳細な検証(『大君外交と「武威」』参照)から、「此州」は隠岐国とみるべきであるとするのが正しいと思うに至った。ただし、隠岐国を日本の西北の限界であるとしても、竹島・松島が朝鮮国の島だということにはならない。この史料は、そのことについては何らの言及もしていないのであるから、領有権をめぐる論争に利用するのは誤っている。

   なお、一七七八(安永七)年に作成された長久保赤水の官許「日本輿地路程全図」のなかでは、竹島(鬱陵島)のところに「見高麗猶望雲州隠州」と記してある。これは明らかに『隠州視聴合紀』にある「見高麗如自雲州望隠岐」の記述を参照して記したものと思われる。しかもこの地図では、松島・竹島を外国領として彩色しているのである。この時期は幕府の竹島渡海禁止令によって、竹島が外国領であることが周知されていたためである。
   ところが外務省のホームページは、「日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた」といって、その例証として長久保赤水の『改正日本輿地路程全図』をあげているが、その意図するところがわからない。竹島(鬱陵島)の存在を認知していたことにはなっても、外国領と彩色されているものをもって、日本の領有権を確立していたとする根拠にならないことは明らかである。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   半世紀前、日本の限界とされた「此州」が、此島すなわち竹島(欝陵島)なのか、それとも隠州すなわち隠岐なのか、日韓間で外交論争になりました。この問題は、池内敏氏の研究がきっかけになり、内藤正中氏が自説を変更するにいたり、下條正男氏以外の存命中の学者は、日本の西北の限界を隠岐島とすることで意見が一致したようです。
   この問題に関する日韓論争は半世紀ぶりに決着がついたといえます。

(注1)池内敏『大君外交と「武威」』名古屋大学出版会,2006,P398
(注2)内藤正中他『史的検証 竹島・独島』岩波書店,2007,P21

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

最近の『隠州視聴合紀』研究1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/06/03 21:10 投稿番号: [15584 / 18519]
   半月城です。
   『隠州視聴合紀』の著者を多くの人は斉藤豊仙としてきましたが、これは誤りのようです。実は、その親である斉藤豊宣が書いたとするのが正しいようで、池内敏氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   はじめ「斉藤豊宣」とされていたものが、川上健三以後は「斉藤豊仙」と表記するのが一般化していることがうかがえる。その一方で松浦康麿[1988]を受けてであろうか、島根県では「斉藤豊宣」とするのが一般的であった。斉藤豊宣と斉藤豊仙が親子であることは松浦康麿[1988]が初めて指摘したが、そのことと『隠州視聴合記』の著者との関係については、これまできちんと解明されてこなかった(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   なお、池内氏自身 2005年まで著者を斉藤豊仙としていましたが、それを修正した形になりました。このように、学者は自らの論説を修正するときはその理由を明らかにするのが学者なりの「作法」といえます。下條正男氏も見習ってほしいものです。
   この作法にしたがって、内藤正中氏も『隠州視聴合記』の解釈を変更しました。対象になったのは、国代記における日本の限界をめぐる解釈です。まずは、国代記の口語訳を記します。

国代記
   隠州は北海の海中にあるので隠岐島という。これより南は雲州美保関までは35里、東南は伯州赤崎浦まで40里、西南は石州温泉津まで58里、北から東は住むべき地がない。西北に一泊二日行くと松島がある。また一日ほどで竹島がある・・・
   この二島は無人の地である。高麗をみるに雲州より隠州を望むごとくである。しからば即ち日本の西北(乾地)は此州をもって限りとなす(注2)。

   内藤氏は、この文の最後に書かれた「此州」を「この島」と解釈する田川孝三説に賛成して、日本の西北の限界を竹島(欝陵島)としましたが、今回その説を改めてこう記しました。
(つづく)

Re: 実測日清韓軍用精図

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/06/02 23:45 投稿番号: [15583 / 18519]
詳細な地図データないかな。
検証シリーズに加えたい。
http://homepage2.nifty.com/oppekepe/takeshima/eng/japan/map.html

Re: 実測日清韓軍用精図

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2007/06/02 12:34 投稿番号: [15582 / 18519]
こんにちは、
みなさん、いつも貴重な資料をありがとうございます。

実測っつうからには緯度経度の認識があるわけで、
地図を見比べてみれば、松島だろうが竹島だろうが、
そこある島はいま鬱陵島と呼ばれる島以外にないですね。

こういうのを見るたびに私は暗くなります。
自爆になるかもしれないと思わないところで、事実認識以前に認識方法そのものが異なってるとしか思えないからです。
白い物を見ても黒くしか見えない人と対話は成立しません。
この場合は灰色ぐらいに譲歩するとしても。

実測日清韓軍用精図

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/06/02 11:18 投稿番号: [15581 / 18519]
  驚くべき地図を発見しましたので紹介します。
  以下は東亜日報の2006年10月25日の記事です。

   1895年日本軍地図にも独島を韓国の地で表記

  鬱陵島と独島が韓国の国境線の中に含まれた 19世紀末日本軍用実測地図が公開された.世宗大保坂祐二教養学部教授が最近見つけた ‘実測日清韓軍用精図’は日本軍部が 10余年の間調査した内容を土台で民間である吉倉清次郎が1895年編集した地図.この地図は横約 105cm,縦約 75cmで緯度経度とともに朝鮮,清,日本とロシア一部が出ているし鬱陵島(竹島で表記)と独島(松島で表記)が朝鮮領海に位置している.保坂教授は “明らかに引かれた朝鮮国境線の中に独島の含まれた地図は今度初めて公開されたこと”と言いながら “日本が独島を島根県に編入させた 1905年以前の正確な地図が公開されて現在日本政府の主張が偽りなのを見せてくれている”と付け加えた.

   http://www.donga.com/fbin/output?n=200610250117

  保坂教授はこの地図の松島を現在の竹島=独島であると主張しています。しかしもしこれが事実なら地図の‘松島’と隠岐の島の中間に国境線がないとおかしいはずですが、私の目には鬱陵島と竹島=独島の中間の位置に国境線があるようにしか見えません。どう考えても地図の竹島は架空の島であるアルゴノート島であり松島は鬱陵島です。1905年の島根県編入以前にも竹島が日本領と見なされることがあったようです 。

Re: 画像加工をして下さい 竹島之書附

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/06/01 13:34 投稿番号: [15580 / 18519]
  画像加工の加工は大変手間のかかる作業なので、自分でやっていただきたいと思います。
pdf形式の資料をjpg画像にするには、pdfの資料をpcの画面に表示して、画面キャプチャーソフトを使って画面ごとjpg画像に変換して、不要な部分をトリミングするとよいでしょう。

  画面キャプチャーソフト
http://www.vector.co.jp/vpack/filearea/win/art/graphics/saver/
pcの画面より大きな資料は分割して画像にしてレイヤー合成機能のある グラフィックエディタソフトを使ってレイヤー合成するとよいでしょう。

  グラフィックエディタソフト
http://www.vector.co.jp/vpack/filearea/win/art/graphics/edit/
  PictBearがおすすめです。

ほかにも下のような方法があるようです。
http://q.hatena.ne.jp/1159202502

  ただ、pdf形式の資料は大変読みやすいので、わざわざ画像に変換せずにpdf形式のままアップロードしたほうがよいと思います。

画像加工をして下さい 竹島之書附

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/05/31 03:34 投稿番号: [15579 / 18519]
下記はpdf形式の資料ですが、これをjpgがgifにして下さい。資料の大きさはpdf形式で100%の状態でお願いします。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/04.pdf

Van Dykeの論文

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/05/29 12:43 投稿番号: [15578 / 18519]
http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo1-cms1530.pdf
恐らくこれと、同じ主張であると思われる。
読めば、わかると思うが歴史史料の検証は、韓国側学者の寄せ集めが主体。
于山島が竹嶼である可能性は最初から切り捨て、于山島に人が済んでいる
という記録も切り捨て、安の証言を真実としている。
それより、国際法学者としてイタイのは判例において相手にもされていない
「歴史的権原」を主張していることです。

ちなみに、このVan Dykeは韓国が大恥をかいた2001年の日韓併合条約の合法
性に関する自称国際会議にも参加しており、「国際法はどうでもいい。償い
が必要だ」と主張された方です。

世界の碩学ら、韓国の独島領有権を主張

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/05/28 23:23 投稿番号: [15577 / 18519]
■世界の碩学ら、学術大会で「韓国の独島領有権認定を主張」

世界的な碩学たちが国際学術大会を通じて、韓国の独島領有権認定を主張する見解を表明するものと
見られ、注目を集めている。

仁荷大と北東アジア歴史財団は28日、ソウルのグランドヒルトンホテルで、世界の碩学たちを招待して
「独島問題の解法の模索」をテーマに国際学術大会を開催する。

学術大会には、米議会図書館のアジア専門家であるラリー・ニクシュ(Larry Niksch)氏と、米ハワイ大学
法学部のジョン・ヴァン・ダイク(Jon Van Dyke)教授、日本の愛知学院大学法学部の芹田健太郎(せりた・
けんたろう)教授が、それぞれ3セッションに分かれて主題発表を行なう。

第1セッションの発表者であるニクシュ氏は、「韓日関係の不和の原因としての韓日領土紛争」という論
文を通じて、韓国の独島政策の問題点を指摘し、その政策的な代案を提示する予定だ。<中略>

第2セッションではジョン・ヴァン・ダイク教授が発表者となり、「独島の主権に関する法的争点について
の研究」という論文を通じて、独島領有権問題の解決なくして周辺海洋境界区画設定の問題は解決で
きず、明確な海洋境界区画設定がなければ多様な紛争が持続的に発生する、との見通しを述べる。

ヴァン・ダイク教授は、韓国は独島に対する主権行使に関する歴史的証拠の面で日本より強いと評価し
たうえで、そうした歴史的評価に基づく韓国の主張が国際司法機関によって受け入れられるためには国
際法的な諸原則を説明する一層の努力が必要だ、と主張する。

ヴァン・ダイク教授はまた、現在韓国は独島紛争を国際司法裁判所に提訴することに対して非常に消極
的だが、国際司法裁判所は独島の韓国の領有権を認める可能性が非常に高い、と評価する。

こうした評価が今後の研究によって補完されれば、日本が独島の領有権主張を放棄する可能性もある、
と説明する。結論としてヴァン・ダイク教授は、独島の韓国領有権確保を強調して、日本のこれに対する
認識を促す。

最後の第3セッションの発表者である芹田健太郎教授は、「海の使用における歴史的変化と島嶼」という
論文を通じて、本人が中央公論2006年11月号に掲載した「日韓間領土問題の大胆な打開策」での立場
を再確認する。

芹田教授は独島紛争の解決について、「日本による過去の植民地支配に対する反省と省察」→「独島
の韓国領認定」→「鬱陵島・隠岐中間線画定」→「12海里漁業禁止水域設定/世界の科学者への開
放」→「韓日独島条約の締結」という解法を提示している。

すなわち、独島が韓国人にとって日本による植民地支配開始の象徴ならば、独島を成熟した韓日協力
関係の象徴へ切り替えなければならない、と主張する。韓日間の独特の歴史的背景と独島問題との関
係に対して戦略的にアプローチすることで、韓日関係定立のアイデンティティである独島領有権問題の
解法を試みるわけだ。

結局、独島問題の解決のためには、日本の過去の植民地支配に対する真の反省と省察が先行せねば
ならないことを強調する一方、日本の真の反省と省察に対する韓国の前向きな態度と対応も同じく求め
られることを韓国国民が認識せねばならない、と主張する。

今度の国際学術大会の発表者3人は、韓日間の独島問題の解法を模索するにあたり相異なる認識を
しているものの、「日本による韓国の独島領有権認定」という結論を等しく導出しているという点で、非常
に重要な学術大会として注目される。

仁荷大学の洪承湧(ホン・スンヨン)総長は、「結論に到る過程や認識に違いはあるものの、世界の碩学が皆
韓国の独島領有権認定を主張するという点に、この学術大会の重要性がある」と語った。

▽ソース:Yahoo!Koreaニュース(Newsis配信記事)(韓国語)(2007/05/27 13:29)
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=12&articleid=2007052713294634880&newssetid=470

干山国

投稿者: bojinyo 投稿日時: 2007/05/26 13:59 投稿番号: [15576 / 18519]
>朝鮮人民は他国の人より先に東海上の鬱陵島と独島を発見して開拓した時から全歴史的期間、一貫して独島に対する領有権を行使してきたと述べた。

干山国って倭人の国だったって説はないのかしら?

独島・東海表記に関する討論会

投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/05/25 23:23 投稿番号: [15575 / 18519]
  独島および朝鮮東海表記に関する社会科学部門討論会が16日に行われた。

  討論会では、朝鮮民族による独島の発見と領有、朝鮮東海の開拓過程と伝統的な名称を科学的に論証し、日本の「独島(竹島)領有権」と「日本海」表記の不当性を明らかにした8件の論文が発表された。

  社会科学院の者希勝所長(教授、博士)は、「独島はわが民族が真っ先に発見し、領有してきた朝鮮固有の領土」と題する討論で、朝鮮人民は他国の人より先に東海上の鬱陵島と独島を発見して開拓した時から全歴史的期間、一貫して独島に対する領有権を行使してきたと述べた。

  金日成総合大学の金恩沢講座長(博士、副教授)は、「安竜福事件に見る独島の朝鮮領有権」と題する討論で、安竜福事件の資料は独島の領有権が朝鮮にあるということを証明する明白な歴史的根拠の一つになると述べた。

  社会科学院のファン・ミョンチョル研究士(修士)は「1905年の日本の独島『編入』は不法・非道なねつ造劇」、金亨稷師範大学のキム・ドクソン講座長(副教授、修士)は「日本の『独島領有権』主張は軍国主義的領土野望の表れ」と題する討論をそれぞれ行った。

  討論会では、「『東海』は高句麗−李朝時代の歴史文献資料によって考証されるわが国の海名」「大陸と半島を基準にして海名を表記するのはもっとも一般的な国際慣例」「中世以後の欧米学者の地図資料を通じて見た『朝鮮(高麗)海』の世界的公認」「『日本海』表記は日帝の朝鮮侵略と植民地支配の犯罪的所産」と題する討論も行われた。(朝鮮通信)

[朝鮮新報 2007.5.24]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/04/0704j0524-00008.htm

ウィキペディア

投稿者: na_175 投稿日時: 2007/05/25 13:10 投稿番号: [15574 / 18519]
http://www.chosunonline.com/article/20070525000035

そうなんですか?
日本で「Liancourt Rocks」を公式名称にしようという主張をする人なんて
いますかね?

なんだか、「Dokdo」と決まらないと、正しく投票が行われた事に
ならないみたいですね。

画像加工をして下さい 元禄図と天保国図

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/05/22 08:15 投稿番号: [15573 / 18519]
天保9年に作成された『天保国絵図 琉球国八重山島』ですが、
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyukokuyaeyama-1838/
上記サイトでバラバラになっている画像を1つにくっ付けて下さい。縮尺はそのままでお願いします。

元禄15年に作成された『元禄国絵図 琉球国八重山島』ですが、
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyukokuyaeyama-1702/
上記サイトでバラバラになっている画像を1つにくっ付けて下さい。縮尺はそのままでお願いします。

図の合成が完成しましたら、私宛にメール下さい。
資料確認後、書き込みを再開します。

Re: ここのトピは健全ですね

投稿者: flute_ne 投稿日時: 2007/05/20 01:39 投稿番号: [15572 / 18519]
そうですね。あげます。

李源益の東史約

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/05/15 18:24 投稿番号: [15570 / 18519]
訂正。いつか不明だが、もっと古い史料のようだ。

ここのトピは健全ですね

投稿者: kusaka_jirou 投稿日時: 2007/05/14 19:58 投稿番号: [15569 / 18519]
同じ反韓国でも、常軌を逸した書き込みは糾弾され、きちんと削除されていますね。
がんばってください。
私も韓国嫌いですが、妄想吹き荒れる狂った書き込みをする連中はもっと嫌いです。

1735年の于山島

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2007/05/14 12:00 投稿番号: [15568 / 18519]
http://www.history.go.kr/front/srchservice/srcFrameSet.jsp?pSearchWord=4E8E5C715CF6 &pSearchWordList=4E8E5C715CF6&pSetID =- 1&pTotalCount=0&pSearchType=1&pMainSearchType=1&pQuery=0028004200490020003A00204E8E5 C715CF60029&pSearchClassName=
の上から2つ目の記事
「其西又有于山島,而亦且廣闊云矣」

1735年においても古い情報(鬱稜島の西にある架空の鬱稜島)に基づいた于山島の認識が存在していたということですな。

更に「而使張漢相往見此島」とあるが、張漢相の報告にある「辰方にある名前のない島」には全く触れていない。必然的に張漢相の報告にある「辰方にある名前のない島」は于山島ではなく、朝鮮が領有の意識を持ってないことにもなりますな。

また、上記URLの1つめにある李源益の東史約(1988に國史編纂委員會が編纂?)では、「又有于山島, 亦廣闊, 遂定三年一搜之法矣, 遂命搜討如例」となっており「其西」が削除されている。

都合が悪いんだろうなw   このように韓国の歴史は「創られる」のであった。

李ライン翌年竹島にニホンアシカ多数生息

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/05/13 19:22 投稿番号: [15567 / 18519]
李ライン翌年竹島にニホンアシカ多数生息

  韓国が一方的に李承晩ラインを設定して竹島(韓国名・独島)を自国領に含めた翌年の一九五三年、
竹島に渡航した隠岐高校水産科(現・隠岐水産高)の元指導教官、岩滝克己さん(82)=島根県隠岐の
島町加茂=が九日、同県の杉原隆・竹島研究顧問に当時の様子を証言した。日本側の乱獲で絶滅したとされる
ニホンアシカが、多数生息していた状況を説明。韓国側の主張を覆す証言として注目される。
  ニホンアシカは竹島周辺に繁殖し、戦前は隠岐島の漁師らが漁をしていたが、現在は絶滅状態。韓国側は
戦前の日本による乱獲が原因と主張している。
  岩滝さんは、ライン設定後の竹島に韓国漁民らしい者がいたという県の試験船からの情報を受け、事実確認のため
五三年六月二十四日、学校の実習船に乗り込み、同僚ら十三人で渡航した。
  聞き取りに対し、岩滝さんは、島へ接岸すると、竹島の北西九十二キロにある韓国・鬱陵島からワカメや
アワビ採取のため渡航し、夏から秋にかけて滞在するという三人の韓国漁民に会ったと説明。
  韓国漁民たちは、漁獲物の運搬でやってくる仲間の船がしけで来ず、食料が乏しいというので、持参した米と
タバコを差し出すと大変喜び、「捕まえたアシカを料理してごちそうすると話した」という。
  岩滝さんは食べた記憶はないが、島の周辺でアシカを「十−二十頭くらい見た」と振り返った。
  研究の一環として聞き取り調査した杉原顧問は「戦前、隠岐の漁民は計画性を持ってニホンアシカを捕獲していた。
韓国側は日本の乱獲が絶滅の原因というが、証言を聞く限り、乱獲したのはむしろ韓国の方だ」と韓国側の主張に反論した。
  李承晩ラインをはさんでは、設定直前の五一年十一月に境高校水産科(現・境港総合技術高校)の教諭らが
竹島へ渡航しており、当時の様子をつづった日誌を、松江市殿町の竹島資料室に展示している。

     http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=374380006



  韓国側の記録によると、ホンスンチル大将率いる独島義勇守備隊が一九五三年六月に日本水産高等学校実習船を拿捕したことになっているわけですが・・・。

     http://toron.pepper.jp/jp/take/sengo/dsyubi.html

Re: 竹島

投稿者: tottorishimin 投稿日時: 2007/05/12 17:21 投稿番号: [15566 / 18519]
一番下に来ていたいたので・・・。

ちなみに、私の勤務先の近くに「竹島」と言う焼き肉屋が有ります。

(2・3回ほどしか行きてませんが・・・)

Re:そうですよ

投稿者: aheahe_eee 投稿日時: 2007/05/09 18:11 投稿番号: [15565 / 18519]
自主的に消しました、tinopureさん間違えたようです俺がPC使う前に別の野郎が使用してました。

言い訳もできずコメントしてますので許してちょ!ヒツコク言う男は女にモテマセンよ。

Re:やめましょう!書き込みは健全に。

投稿者: p7df7547c3x66 投稿日時: 2007/05/09 10:27 投稿番号: [15564 / 18519]
トピック主様へ消してください!こんな内容は結構です。

あと殺し合いの内容は無し!韓国がどうであれ、日本がどうであれ!で進めてください!犯罪的な内容になります。

皆さんも目を洗い直してください。
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